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2009.06.09

一周忌(3)

一周忌(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。とにかく、義父が元気になっているのに驚きましたね。義母が亡くなった頃は、歩くのもおぼつかなくて、車椅子に乗って葬儀に参列していたほどだったのです。今になって思えば、精神的なショックが大きかったのかもしれません。元気になった義父は何と、三十数年振りに煙草を吸い始めたようです。そのため、義弟は、義父が元気になり過ぎたことに苦笑していました。

 四十九日まで毎週行われていた週命日の法要では、参列者にお経の本が配られ、おじゅっさんと一緒にお経を唱えるといった方式が取られていた。しかし、四十九日の法要と今回の一周忌の法要は、参列者にお経の本は配られず、週命日のときに唱えていたお経とはまったく異なるお経がおじゅっさんによって唱えられた。お経のわからない私たちは、頭を下げてお経に耳を傾けるしかなかった。

 途中で休憩が入ると、義妹と私は素早く立ち上がり、まずはおじゅっさん、そして参列してくださった人たちに次々にお茶とお茶菓子をお出した。台所への出入口に近いところに座っていた義妹がいち早く対応してくれたので、滞りなくお茶とお茶菓子をお出しすることができた。休憩が終わると、再びお経が唱えられ、無事に一周忌の法要を終えた。

 私たちは予定通り、おじゅっさんたちが帰り支度を整えるまでのわずかの間に、親戚の方たちからいただいたお供えを下げて、三つの袋に分けて詰めた。義弟はおじゅっさんたちに、お膳代とお包みをお渡しした。いつもながらこの瞬間が、おじゅっさんと私たちが最も緊張する一瞬だ。

 おじゅっさんたちにお供えを詰めた袋を手渡して見送ると、仕出しの業者さんが来てくださり、座敷にお膳を並べる準備を始めてくださった。参列者の方たちは、その間に歩いて義母のお墓に出向いてくださったので、これまで座敷にいた人たちの居場所がなくなるということはなかった。

 私は、仕出しの業者さんから受け取った天つゆとお汁をコンロで温めた。そして温めたお汁を、仕出し業者さんが用意してくださった汁椀に一つ一つ装い、義妹たちと手分けして参列者の方たちのお膳の上に並べた。

 参列してくださった方たちがお墓から帰って来ると、座敷でお膳を囲んで会食した。喪主の義父に代わり、長男のガンモがあいさつをした。ガンモは参列のお礼とともに、神戸からインフルエンザを持って来たと言って、笑いを取っていた。平日であるにもかかわらず、こうして義母のために多くの人たちが集まってくださったことに深く感謝した。

 授業を抜け出して来たという義妹の小学生の子供たちに(義妹は、前夫との間に生まれた二人の子供とともに義弟と再婚した。義弟は初婚だが、子供たちは義弟にとても良くなついている)、
「今日は、お友達が給食のパンを持って来てくれるの?」
と尋ねると、義妹が、
「最近は、そういうことがないんですよ」
と答えた。私たちの子供時代は、学校を休むと、友達が給食のパンを届けてくれたものだった。しかし、最近の小学校には、そのような風習はないのだという。やはり、食品衛生上のことなのだろうか。また、小学校の給食で楽しみの一つだった揚げパンのメニューも、今はないそうだ。

 静かにお膳を突付く大人たちに対し、これを言ってはいけないというフィルタを持たない子供たちは、正直に、そしてにぎやかにお膳を突付いていた。彼らのおかげで、静かな場がいつも和んでいた。

 お膳は、食べ残したものを持ち帰ることができるようになっていたので、食べ切れなかったものがある参列者の方たちは、家族で一つのお膳にまとめ、紙製の風呂敷に包んでいた。そろそろ帰り支度を始める人たちが出て来たので、私たちは小分けしたお供えの袋と商品券を用意して、玄関で待機した。そして、それらの品を一人一人に手渡しながらお礼を言ってお見送りした。

 私の実家の母は、親戚の人たちと花の話で盛り上がり、このあと花をもらって帰るのだと言っていた。実は、今回の法要に、母が実家の庭に咲いていた花を持参してくれた。その花をひとたび花瓶に飾ったあと、その花を欲しいという親戚の人たちに分けてあげたのだ。そこから、自宅の庭に咲いている花の話で盛り上がったらしい。

 ひとまず、私の実家の両親を玄関で見送ったのだが、そのあと、母が用意してくれた手作りのおかずや野菜ジュースを受け取り、カングーに積み込んだ。母は私と違って料理が得意なので、手作りの料理をクーラーボックスに入れ、わざわざ届けてくれたのだ。私はそれらをありがたく頂戴した。両親は、親戚の人が花を持って来てくれるのをしばらく外で待つと言った。私は両親を見送りたかったが、両親は、私にまだ法事の片付けが残っていることを気遣って、
「早く片付けに戻りなさい」
と言ってくれた。そこで私は泣く泣く、両親をそのままにして、ガンモの実家に戻った。片付けがひと段落ついたので、もう一度外に出てみると、両親の車は、そこにはもうなかった。

 ガンモは疲れが出たのか、二階で休んでいた。私も寝不足のまま活動していたので、ガンモと一緒に休みたかったが、なかなかそうも行かなかった。義弟が仕出し業者の方に連絡をして、後片付けに来てくださるようにお願いをしてくれていたのだが、忙しい時間帯だったのか、仕出し業者の方はなかなか現れなかった。仕出し業者の方たちが来てくださるまでの間も、義弟は湯飲みを片付けたり、座布団をしまったりと、忙しく動き回っていたようだ。

 ようやく仕出し業者の方が後片付けに来てくださり、私も少し手伝いながら、すべてのお膳を座敷から運び出した。ようやくこれで、すべての予定が終わった。義弟のおかげで、一周忌の法要を無事に終えることができたのだ。

 台所には、今回の法要を円滑に進めるために、義弟が書いたメモが貼り付けられていた。そのメモは、四十九日の法要のときに、親戚の方たちから聞いた内容をまとめたものだという。今回、義弟は、そのときのことを思い出しながら準備を進めたそうだ。私は、何度も何度も義弟にお礼を言った。私たちにしてみれば、「何かできることがあったら言ってね」というレベルの関わり方に過ぎなかった。しかし、このようなメモを残していた義弟は、最初から最後まで、全体を見通していたのだ。一周忌の法要に全体として関わるか、一部として関わるか、義弟と私たちの姿勢の違いを大きく見せつけられた。

 片付けも終わったので、私たちは帰路につくことにした。ガンモは少し眠って元気を取り戻したようだったが、私は寝不足のままカングーに乗り込んだ。
「帰り道、カングーの中で寝てもいいよね?」
とガンモに確認してみると、
「それはダメ」
と言う。ガンモは、運転中に私が横で眠ると、一緒に眠くなってしまうらしい。そのため、私はどんなに眠くても起きていなければならなかった。だから私は、自家用車で遠出をするのがあまり好きではない。公共機関ならば、移動中に自分の好きなことができるのだが、自家用車での移動は眠ることができないので、余計に疲れが溜まってしまうのだ。

 途中で何度か休憩を入れながら、私たちの乗ったカングーは何とか自宅にたどり着いた。寝不足だった私は、ほとんどベッドになだれ込んだ。こうして、大きな行事が無事に終わったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一周忌の法要が終わり、ほっと一息ついているところです。準備を進めてくれていた義弟には本当に世話になりました。次回は来年の三回忌です。一周忌の次は三回忌なんですよね。(苦笑)肉腫と闘っていた義母の死は、壮絶なものではありましたが、こうして遺された私たちに、親戚同士の交流などの大切なチャンスを与えてくれています。それらは決して天秤にかけて比べることはできませんが、私にとってはとても貴重な体験です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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