家事と仕事
※忘れるのではなく、留めるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m フェリーは海の上をスイスイ走りますね。もしかすると海は、香川のガンモの実家と兵庫の私たちの自宅の間にある生活のギャップに相当しているのかもしれません。時間旅行をするように、海という空間をゆっくりと移動して、まったく別の生活を営む空間にやって来たわけです。やがてそのギャップは、職場でも感じることになります。
一週間ぶりに出勤するのは、何となく気恥ずかしいものがあった。勤務先では、私の個人情報は守られ、メールで個別に報告した上司たち以外は、私の休暇の理由を知らなかった。ただ、トイレで顔を合わせた同じプロジェクトメンバの派遣仲間に、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)、今、大変なんやってね」
と言われた。私が、
「えっ? うん、ありがとう」
と言うと、彼女は同じプロジェクトメンバの別の派遣仲間とともに、私が丸々一週間出勤して来ないので、心配してくれていたらしい。そんなとき、たまたま同じビルの別会社で働いている好敵手の彼女とばったり会い、私の抱えていた事情を知ったそうだ。私は、好敵手の彼女にはある程度の事情を話していたのだが、他の派遣仲間たちには話していなかったのだ。トイレで声を掛けてくれた同じプロジェクトメンバの派遣仲間にこの一週間のこ出来事を話して聞かせると、彼女はその内容を予期していなかったのか、驚きの表情を隠し切れない様子だった。
職場の人たちに香川のお土産を配ると、遊びに行って来たと思われたらしく、明るい表情で、
「うどんを食べに行って来たの?」
とか、
「香川に行って来たんや」
と言われた。私が声のトーンを落として事情を説明すると、その人たちは瞬く間に申し訳なさそうな顔をして私に謝って来た。そのような展開になると、かえって私のほうが恐縮してしまうので、つとめて明るく振舞うようにした。
心配していた仕事は、私がいなくてもちゃんと回っていた。休暇中、上司からの質問にメールで答えたことが確実に生かされていたのだ。おかげで今月頭の納品も無事に終えることができそうである。ガンモの実家に滞在中、休暇を取るべきか取らざるべきか理性で悩み、一時は私だけが帰宅して仕事に出掛けようとしていたことが、今となっては恥ずかしい。本当に究極的な状況に陥ったときは、なるようになるものだ。
ただ、先日までのガンモの実家での生活と一変してしまったことが、私にはまだ受け入れられなかった。頭に浮かんで来るのは、仕事のことよりも義父のことばかり。毎日、三度の食事を義父やガンモと一緒に取ったことが忘れられないのである。
私は初めて、女性が外で仕事をするということについて考えさせられた。大学を卒業してからも東京に残り続け、独り暮らしをしながら仕事をしていた。ガンモと出会い、関西に移り住んでからも、当たり前のように外で仕事を続けて来た。外で仕事をしていることを理由に、自宅ではほとんど家事をしていなかった。そんな私が、ガンモの実家に滞在している間、及ばずながらも家事をこなしていた。社会人になってからというもの、私には、家事よりも仕事のほうが似合っているとさえ思っていた。外で働くことが、自分が奉仕できる最も自然な形だと信じて疑わなかったのだ。しかし、実際はそうではなかった。私の中には、それなりに家事をこなし、家事を楽しむ自分もいたのである。
私は、意外な自分を発見できたことに驚いた。そして、今後のことを考えるにあたって、実現を妨げるであろう様々な項目について心に留めてみた。これから先、私たちがどのような選択をして行くか、まだわからない。しかし、ガンモの実家で過ごした一週間と一日は、これからの新しい未来に繋がって行くかもしれない。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 休暇明けは、外で仕事をする自分と、家で家事をする自分のギャップに戸惑いました。今回、納品間近の仕事の危機を切り抜けられたことで、「仕事をこなすのは、自分でなくても良かった」という気持ちが新たに芽生えたことは確かです。それならば、「自分でなければならないところに身を置いてもいいのではないか」という考えも沸いて来ています。とは言うものの、まだまだ実現にはほど遠い状況ではあります。
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