お作法カメラ
早朝、突然、足が激しくつって目が覚めた。
「あいたたたたたたた!」
あまりの痛さに大声を出して、隣に寝ているガンモを起こしてしまった。右足のふくらはぎが突然パンパンになり、激しくつってしまったのだ。足を上下させたり、大きく呼吸したりしてようやく収まったが、衝撃的な一日の始まりだった。
ガンモは、
「足がつるって何?」
と言う。ガンモは、足がつることも、肩が凝ることも経験がないのだ。何とも小憎らしいヤツである。
出勤してみると、話の長い女性が、ロシア製のクラシックカメラを私に差し出した。以前、彼女と話をしているときに、カメラが好きだという話を聞いたことがあったのだ。ロシアカメラとしては有名なロモの他にもロシア製の古いカメラを持っているというので、カメラの名前を聞き出したところ、確か、「ゼ」で始まるカメラだと言う。「まさかゼニット?」と思い、なかなかマニアックな女性だと思っていたのだが、良く良く聞いてみると、ゼニットではなく、ゾルキーだった。「それにしても、何故にゾルキー?」と私は思いながら、
「じゃあ、今度、持って来ましょうか?」
と言う彼女の提案に、
「うん」
とうなずいていたのだ。聞くところによると、彼女はどうも、ゾルキーの使い方が、いま一つわからないらしい。
ロシア製カメラの使い方がわからないと聞いて、すぐに思いつくのは、撮影後のフィルムの巻き取り方である。しかし、話を良く聞いてみると、ピントの合わせ方からしてわからないらしい。私は、彼女が持って来たゾルキーを自分の手に持ち、皮ケースを開いて、カメラの説明を始めた。カメラはゾルキー4で、製造番号からして、おそらく一九五八年製のものだった。
その人が、カメラに対してどのくらいの愛情を持っているかどうかは、カメラにストラップを付けているかどうかでわかる。彼女のカメラには、皮ケースには紐がついていたものの、カメラ本体にはストラップが取り付けられていなかった。カメラを連れ回したい人は、皮ケースの紐は劣化させないように大事に取っておいて、カメラの耳にストラップを取り付けるものである。私のカメラ仲間の友人に、耳のないカメラに工夫をこらして、ストラップを取り付けて大事に持ち歩いている人がいる。その方は、好きが高じて速写ケースまで作ってしまった。本当に好きならば、ないものを生み出してまで、何とか便利にしようとするものなのだ。
さて、レンズキャップを開けてみると、レンズはやはり、ジュピター8だった。このレンズは、ロシア製のレンズとしては、かなり写りがいいと評判のレンズである。とてもいいレンズなのに、使い方がわからないのはもったいない。私はそう思って、ファインダーにオフィスの壁時計を映し出してみた。レンズの真ん中に、黄色いぼやっとした領域があり、レンズを回すと、像が左右に揺れた。この時期のカメラはレンズに映る二重像を合致させてピントを合わせるようになっている。彼女はそのことを知らなかったようだ。私は彼女にカメラを渡し、レンズを回しながら、真ん中に見える黄色いぼやっとした領域の像が重なったらピントが合っている状態なのだと教えた。彼女は、ようやくピントの合わせ方がわかったと言いながら喜んでいた。
次は、シャッタースピードと絞りである。マニュアルカメラを使いこなすには、頭の中に、シャッタースピードと絞りの相関関係が出来上がっていなければならない。しかし、一眼レフを少しいじったことがある程度だと言う彼女には、そうした相関関係は出来上がっていなかった。
ゾルキーには、バルナックライカと同じように、スローシャッターがついている。私は、
「シャッターをゆっくり切る必要があるときは、スローシャッターと言って、こっちのダイヤルを回すことになるんだけど・・・・・・」
と言いかけて、やめてしまった。既にその時点で、彼女とかなりのギャップを感じてしまっていたからである。これから先、このギャップをどのようにして埋めて行ったらいいのだろう。
また、彼女の持っていたジュピター8には、被写界深度を示す表記があった。彼女に、
「これは何ですか?」
と尋ねられたのだが、またまた言葉に詰まってしまった。カメラの初心者に、被写界深度の概念をどのように説明したらいいのか。私は、仕事中に話が長くならないように、
「被写界深度というキーワードでネットを調べたら出て来ると思う」
とだけ答えた。
私が初めてバルナックライカを手にしたとき、確かに戸惑うことも多かった。知らないこともたくさんあった。しかし私は、詳しい人に聞くことよりも、自分でいろいろな文献を調べて、使い方を研究していた。そして、どうしてもわからないところだけを人に聞いた。私は、彼女が何故、ゾルキーを買ったのか、とにかく不思議でならなかった。私が初めてバルナックライカを手に入れたとき、うれしくてうれしくて枕元に置いて寝たものである。そこまでの思い入れは必要ないかもしれないが、相手を知ろうという姿勢で付き合って行かなければ、古いものはいつか死んでしまう。
古いカメラのコレクターと言われている人たちは、例えカメラを使わなくても、時々シャッターを切っている。動かしてやることによって、古いカメラは生き続けることができるのだ。かくいう私も最近、カメラをいたわってやっていないので、あまり大きなことは言えないのだが・・・・・・。それと、何か趣味を始めたときに、同じ志を持った人たちと集うということはとても大切なことだと思った。私自身、そうした人たちに強く刺激されながら、成長することができたように思うからだ。
最近は、インターネットなどの普及で、わからないことがあっても、調べたい情報を容易に手に入れることができる。同じ志を持った人たちで集うことも、知りたいことに対する積極的な姿勢があれば、たやすいことだ。しかし、自分からそれをせずに、知ることに受身になってしまうことについて、私はとても残念に思う。特に、彼女の場合はゾルキー4を購入してからずいぶん時間が経ってしまっていたのだ。私が直径十二センチの彼女の選択に好感が持てたのは、彼女は知ろうという姿勢を持って、徹底的に知ることを実践したからだと思った。
そして、私自身の傾向として、こうした強い受身の姿勢に対し、いつもかなりがっかりした思いを抱いてしまうようだ。いつも対等でいたいという私は、ライバル意識を持つことによって向上して行く環境が合っているのかもしれない。彼女の場合、自分がお作法が必要なカメラを持っていることを理解していないと思った。クラシックカメラの世界ではそれほどマニアックなカメラではなくても、世間一般から見るとマニアックなカメラなだけに、持つなら覚悟を決めて、それの持つ良さを徹底的に生かして欲しいと強く思ってしまうのだ。
※いつも応援クリックしてくださっている皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久しぶりにカメラのことを記事にしてみました。自分が力を入れて来た分野で、誰かと大きなギャップを感じてしまったときに、皆さんは、相手に対してどのような態度を取るでしょうか。私は、今回のことが、とにかく残念でなりませんでした。きれいなカメラなのに、ちゃんと使ってもらってなくて、とてもかわいそうに思えました。私も昔、ちょっと難しいカメラを使ってみたいと言って、マニアの方をひどく怒らせてしまった経験があります。お作法もわからないのに、そんなこと言うもんじゃないと思われたようです。世界的にも台数の少ないカメラだったので、その方が怒るのも無理はなかったのです。そのときは、そのカメラに対する愛情もないのに、触りたがった自分を恥じました。クラシックカメラの世界は、そういう世界でもあるのです。
※前日の夜、一緒に飲みに行った直径十二センチの女性と私は、お互いに、相手の夢を見ていたようです。飲んでいるときに話した内容があまりにも強烈で、お互いの中に残っていたのでしょうね。
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