魂の感覚を忘れた一年間
しばらくご無沙汰していた人たちとの交流が復活し、その中で、明るかったはずの人が鬱になっていたことを知った。私は、鬱になった経験はないが、今年はとことんパワー不足の年回りだったので、その経験をもとに、彼女に向けて思いつく限りのエールの言葉を贈った。彼女のことを絡ませながら、今日は、この一年の私自身の状況について書かせて欲しい。
私にとってこの一年は、日常生活の感動から遠ざかり、まるで地の底を這うような感覚が続いていた。エネルギー値がとことん下がり、些細なことでも感動の涙を流していた自分がまるで別人のように思えていた。そのため、魂の感覚を使うことができず、言葉に魂を込めることが困難な状態にあった。そんな中にあって、この「ガンまる日記」を書き続けることが苦しいと思うことさえあった。文月のふみの日に生まれ、書くことが好きで好きでたまらなかったはずの私なのに、書くということがこれほどまで困難になろうとは思いもよらなかった。「ガンまる日記」を読んでくださった方たちが、たくさんのコメントを寄せてくださったにもかかわらず、魂の感覚を使えないために、掲示板やメールの返信もすっかり滞ってしまった。今年から交流の始まった人も多いと思うが、とにかく、今の私は本当の私じゃないので、もっと元気な私を知って欲しいとさえ思っていた。
私は、「ガンまる日記」を書き続けたい一心から、「ガンまる日記」を読んでくださっている皆さんに、ランキングへの投票をお願いした。このお願いは、実はとても心苦しかった。はづきさんも実践されているように、ブログランキングに参加されているほとんどの方は、一つ一つの記事にランキングへの投票リンクを埋め込んでいる。しかし、できれば私はその方法を取りたくなかった。それでも、皆さんにお願いしなければ、私は記事を書き続けられないと思った。自分がライフワークとして取り組んでいること(特に男女の愛)に対し、読んでくださっている皆さんに、一体どれくらいの波紋を投げかけているのかを知ることで、エネルギーを循環させたかったのだ。更には、書くということに関して、自分を厳しい状況に置いておきたかった。実際、私が魂を吹き込んだと思える記事に関しては、多くの方がクリックしてくださった。私は、その反応により、魂の感触を取り戻そうとしていた。そういう意味で、私は、皆さんから返って来る反応のパワーによって、記事を書かせていただいたと言っても過言ではない。本当に、応援クリックしてくださった多くの方たちに助けられた。名前は出さないけれど、毎日のようにクリックしてくださった皆さん、本当にどうもありがとう。
魂の感覚を忘れてしまった私は、自分の感情を引き出すということが非常に困難な状況にあった。自分の感情を引き出すために私が取った行動は、たくさんの映画を観て、たくさんの漫画(グリム童話系)を読むことだった。それでもまだ、これまでの自分ではない気がしているのだが、春頃のような極度の低迷状態からは次第に回復しつつあるように思う。
このような一年間を送って来たので、鬱になったという彼女の状況も、ほんの少しは理解できるのだ。それは、自分の体験して来た苦しみと置き換えて考えられるからだと思う。オフィスの空調があまりにも寒過ぎて、ビルの設備係の人を呼んでもらったとき、同じオフィスで働いている他の人たちは、「何でこのくらいで寒いんだろう」というような態度を取っていた。そのとき、私は、人の苦しみを理解できない人たちのことを大変気の毒に思った。私は、そのとき初めて、掲示板で交流させていただいている、ある病気を抱えている女性のことを思い浮かべ、その苦しみを少しは想像することができたのだ。(「日々の気づき」にも書いたことだが、ここでも書かせて欲しい)彼女は、自分の病気のことを、誰からも理解してもらなくて、ずっと孤独だったに違いないと感じた。そのとき私は、こういう苦しみは、体験しなければわからないのだと理解した。だから、何か苦しみを抱えている人に対して、言葉を投げかけてあげられる人は、自分も同じような苦しみを経験して来た人なのだと思う。その苦しみを知らない人は、声を掛けてあげることに対し、偽善者のような気持ちになってしまうのではないだろうか。苦しみは、他の人に寄り添うためにあるような気がする。そして、苦しみを知った人ほど、言葉に魂がこもっていて、私を泣かせてくれる。
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