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2005.12.27

湯治(五日目)

 今日も三朝(みささ)は雪だった。それにしても、本当に良く降るものだ。

 湯あたりの症状が軽くなり、お昼前に少し晴れ間も出て来たので、お気に入りの株湯に行った。ちょうど三人組の女性がお湯から上がったところで、服を脱いで中に入ってみると、おばあちゃん一人だけだった。三人組の女性の話によれば、おばあちゃんは倉吉(三朝温泉からバスで二十五分くらいのところ)から来られたらしい。おばあちゃんは、男湯に入っているおじいちゃんとしきりにコミュニケーションを取っていた。その様子が、何とも微笑ましいのだ。

 そのうち、おばあちゃんは、
「では、ごゆっくりと」
と言いながらお湯から上がって行った。私は一人になり、リラックスしながらゆったりと株湯につかった。

 お湯から上がると、服を着込んださきほどのおばあちゃんが、男湯にいるおじいちゃんが出て来るのを待っていた。外はとても寒いので、脱衣所の手前の入口のところに座り、番台の女性に、
「まだでしょうかね」
と確認している。番台の女性が、
「ああ、今、出て行かれますよ」
と答えると、おばあちゃんはあいさつをして出て行った。雪の中を、わざわざ倉吉からおじいちゃんと一緒にやって来て、温泉に入って帰って行く。ここには、そんなそんなお年寄りの生活があったのだ。

 株湯からの帰り、以前、下見に来たときに立ち寄った喫茶店で昼食を取った。お店の女性マスターが私のことを覚えていてくださって、
「あれからずっとご滞在ですか?」
と聞いてくださった。私は、一度家に帰ってから再びこちらにやって来て、しばらく滞在しているのだと答えた。滞在先の湯治宿について、
「○○さんに?」
と聞かれたので、
「いえ、△△さんです」
と答えた。やはり、彼女のお店には湯治客も多いのだろうか。

 それから私は、スーパーで買い物を済ませ、いったん旅館に帰り、荷物を置いたあと、バスに乗ってみささ町立図書館へと出掛けた。滞在期間中、もっともっと図書館を利用できると思っていたのだが、ままならなかった。私は、図書館が大好きなくせに、普段、時間的にも距離的にも図書館とは縁遠い生活を送っている。だから、三朝に滞在したら、毎日でも図書館に通いたいと思っていたのだ。それなのに、生理やら精神的ダメージやら湯あたりやらが重なって、なかなか思うように利用できなかった。

 みささ町立図書館では、手塚治虫先生の火の鳥(未来編)と火の鳥(望郷編の一部)を読んで満足した。手塚先生の作品は、台詞の一つ一つが奥深い。時には近親相姦なども描かれているのだが、読んでいてちっともイヤな感じがしない。読み終わったあとも、心に残るものがある。また、何度でも読み返したくなる。本屋さんで買ってもいいのだが、手塚先生の作品はあまりにも数が多いので、私はときどき宝塚市にある手塚治虫記念館に足を運び、手塚先生の作品に目を通していた。三朝町の人たちは、図書館で手塚先生の作品を堪能できるのだから、ちょっぴりらやましい。

 夜、洗濯をしようと岩風呂と洗濯室のほうに足を運ぶと、「女性入浴中」の札がかかっていた。誰かが利用しているのにお邪魔をするのは悪いのではないかとも思ったが、洗濯をしなければ着替えがないので、思い切って仲間に入れていただいた。洗濯室に行くには、岩風呂の脱衣場のすぐ横を通るので、女性が岩風呂を使用しているときでないと、洗濯室に行き辛いのだ。私は洗濯物を素早く洗濯槽に入れ、着替えを済ませて岩風呂の中に入った。

 岩風呂を利用していたのは、私と同い年くらいのお母さんと、小学校低学年の男の子だった。今日、岡山から着いたばかりで、お正月明けの四日くらいまで滞在されるのだそうだ。
「どこかお悪いんですか?」
と聞かれ、これこれこういう訳で、と説明する。その女性は、特にどこかが悪いわけではなく、単にしばらく滞在するだけだと言う。倉吉にいる知り合いが、この湯治宿を紹介してくれたのだそうだ。
「やっぱり寂しいですよねえ」
と彼女が言った。
「そうなんですよ。夫は家にいますしね」
と私は答えた。

 彼女のおっぱいは、子供を産んで育てたおっぱいの形をしていた。子供を産んだことのない私のおっぱいの形とはまったく違う。彼女のおっぱいの形は、子育てをした勲章だ。私は、彼女のおっぱいに、母性を感じた。そして、自分の母のおっぱいの形を思い出していた。

 それにしても、通常の付き合いでは、裸の付き合いに至るまでに長い長い年月を要すると言うのに、こうした旅館では、いきなり裸の付き合いが始まるわけである。彼女と再びお風呂で会えるかどうかはわからないが、これからどのような展開になるのか楽しみでもある。

 さて、いよいよ湯治期間もあと残すところわずかとなった。実は、今、私の中に、延泊しようかどうしようかという迷いが湧き上がって来ている。最初はガンモと離れてあれだけ寂しかったのに、三朝に対する愛着も沸いて来たのだと思う。もともと、二十九日は、好きなアーチストのコンサートに参加するために帰るつもりでいた。しかし、本当に湯治に専念できるのはこれからのような気もしている。わざわざ仕事で休みをもらってまでやって来ているのに、まだそれらしい効果が現れて来ない。しかも、このような長期休暇は滅多にないチャンスだ。湯治宿も空いていることだし、もう少し延泊して、湯治に専念したいという気持ちもあるのだ。

 問題は、ガンモの了解が得られるかどうかということと、コンサートに一緒に参加する予定になっている友人たちに事情を説明しなければならないことくらいだ。幸い、今回のコンサートのチケットは私が手配して、友人たちに郵送している。これがもしも逆で、友人に手配してもらったチケットならば、自分の都合でコンサートを見送るのは忍びない。しかし、私がチケットを手配しただけに、コンサートの当日、彼女たちからチケットの代金を手渡しで受け取ることになっている。私がコンサートに行かないとなると、彼女たちからは銀行振り込みという形で代金を受け取ることになる。それは、彼女たちに余計な手間をかけてしまうことになる。そんなことをいろいろ考えている。

 ガンモに電話を掛けてみると、忘年会の帰りの電車の中だった。いつもの癖で、ついつい、
「何時に帰って来るの?」
などと聞いてしまう。
「何言ってるの。家にいないのに」
とガンモに切り返されてしまう。
「あのね、延泊しようかなと思うんだけど」
「何言ってる。帰って来い!」
とガンモは言う。私もガンモに会いたい。しかし、もう少しチャンスも生かしたい。はてさて、私はどのような選択を取ることになるのだろう。

この日撮影した写真:
鳥取県

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