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2005.07.24

愛とは何か?

 ある人が、私に言った。彼女はかつて、自分のどんな言葉も使っていいと私に言ってくれたので、今回の記事では彼女の言葉を引用させていただこうと思う。

まるみん(まるみの愛称)、愛とは何だろねぇ?
あたしはさぁ、果ての果てまで見てみたい気がするんだよなぁ。
恋もした。愛してるつもりにもなった。が、それはどれも欲望だった。
本当の愛を知ってみたいんだよなぁ。

 最初に断っておくが、彼女は、私が化け物だと絶賛するほど精神世界を深く探求している人である。ツインソウルのご主人さんと人生を一緒に過ごし、自分を高めるために精神世界の本を読むことを常に欠かさず、歯の痛みさえも瞑想で治してしまうほどの人である。

 彼女はこれまで体験して来たどの恋も、そして愛でさえも、欲望だったと言っている。そして、欲望ではない本当の男女の愛を知りたいと言っているのだ。欲望とは、自分自身に向かう愛、つまり、自己愛とイコールなのだと思う。果たして、そうではない男女の愛とは、どのような愛なのだろうか。

 今、私の中に、彼女が見たがっているであろう、果ての果ての男女の愛の問に対する答えがあると確信している。それは、愛し合う男女が一緒に過ごさなくても、一緒に過ごしている人たちと同じ学びを経験することではないだろうか。物理的にはそこに存在しなくても、あたかもそこに存在しているかのような愛のエネルギーを放ちながら、お互いのことをいつも大切に想い、一緒に過ごさないでいることを苦しいとも思わず、ピンチのときは惜しみなく手を差し伸べ合い、突き放すべきときは決して甘やかさず、時にはお互いの魂のエネルギーを交差させることのできるような魂の愛。更には、例え相手が別の人と一緒に過ごしていようとも、その愛の学びを決して邪魔することなく、むしろ心から応援できるような愛。このような愛を、一緒に過ごしている人たちと変わりなく経験することができるなら、その愛は欲望ではないだろう。何しろ、一緒に過ごしたいという欲望を最初から放棄しているのだから。

 私は、ツインソウルという存在は、どうしようもなく極に向かいたがる組み合わせだと思っている。彼女は既に、ツインソウルのご主人さんと一緒に過ごすことにおいて、一つの極を体験してしまったのではないだろうか。だから、一緒に過ごさないというもう一つの極を経験したいと思うようになったのではないだろうか。一つの極を経験した魂は、例え離れ離れになっても、決して愛が終わらないことを、どうしようもなく証明したくなってしまうのではないだろうか。

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