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2005.04.26

SPITZ JAMBOREE TOUR "あまったれ2005" 神戸公演(初日)

 今朝になると、脱線事故で亡くなられた方の数は、七十人を超えていた。本当に胸が痛む。昼休みにインターネットでその後の様子を確認してみると、あまりものむごたらしさに涙がにじみ出て来た。

 私たちが今回のような大惨事を見せられていることに意味があるとすれば、「一つになる力が足りていない」ということなのだろうか。

 私たちは、通常、様々な方法で一体感を感じることができる。例えば、私自身はまったく興味がないのだが、スポーツを通して一体感を感じる場合がある。音楽が好きな人たちは、ライブで一体感を感じる。複数の人たちが同じテーマを持ち寄って、同じことをしたり、一つの方向に向かうのを応援したりすることで、私たちは一体感を感じることができる。これらはすべて、ポジティヴな一体感である。

 今回のような大惨事が起こると、全国の人たちがこのニュースに注目する。感じ方はそれぞれでも、多くの人たちの意識が一箇所に集中し、一つの方向へと向かおうとする。私たちがネガティヴな形でこれを見せられたということは、これと同じくらいのポジティヴな一体感が、今の私たちに足りていないということなのではないかと思うのだ。

 また、こうした大惨事をきっかけに、久しぶりに連絡を取り合う人たちもいる。しかし、本当に大切な人ならば、普段からもっと密に連絡を取り合うべきなのではないだろうか。

 そう考えて行くと、最近、地震などの天災が多いことにも納得が行く。ネガティヴな手段を用いてまで思い出さねばならないほど、私たちがポジティヴな一体感を忘れてしまっているということなのだろう。

 さて、ゆうべのスピッツの神戸公演(初日)の話をしよう。

 会場は三階席まで満員で、平日だと言うのに、立見さえ出るほどの熱気ぶりだった。多くの人たちに愛されているスピッツのライブは、熱狂的なファンと、何となくチケットを取ってやって来た人たちの二手に分かれる。前者の人たちは、彼らのどのアルバムもじっくり聴き込んで、最初からノリノリなのだが、後者の人たちは、自分の知っている曲が演奏されるときだけノリノリになる。今回の神戸公演は、前者の人たちが比較的多かったように思う。そのため、会場は、最初から熱気ムンムンだった。

 喉を痛めて一週間ライブを休んでいたマサムネも、元気そうな姿を見せてくれた。彼一人でリードヴォーカルを担当しているのだから、喉を痛めてしまうのも無理はないだろう。回復してくれて、そして、ゆっくり休んでくれて良かったと思った。

 ただ、少々厳しいことを書かせてもらえば、今回のスピッツのライブは、あまりクリアな音響ではなかった。音響設備がそれほど良くないのだろうか。ヴォーカルの音質もちょっと曇っている上に、それぞれのパートの音のバランスもあまり良くなく、今一つ、音が混ざり合っていないような印象を受けてしまったのである。更に、いつものことながら、マサムネのギター音はあまり耳に入って来なかった。

 彼らのMCも、どこか素人っぽくて、思わず助け舟を出してあげたくなるような衝動に駆られる。しかし、そこがスピッツのいいところなのかもしれない。私の知る限り、MCが芸人のように達者な音楽アーチストは、たった一組だけである。とにかく、演奏以外の部分では、どこかモジモジしていて、見ていてハラハラドキドキするのだ。

 ライブの後半、四年前の隼ツアーのときと同じような曲の展開になり、当時のようなハイテンションの状態に導かれた。それまでは、脱線事故のことがずっと胸につっかかっていて、セーブモードだったのだが、私をハイテンションに誘ってくれたその曲が、「今を楽しまなけれ後悔する」という気持ちを起こしてくれたのである。私は思い切り弾け、ライブでポジティヴな一体感を感じることができた。

 彼らは、MCでは脱線事故のことについて一言も触れなかった。予め台本が出来上がっていたのかもしれないし、あれほどの深刻な内容は避けたかったのかもしれない。でも、もしも、彼らが一言でも脱線事故に触れたなら、もっと別の一体感を私たちは感じたかもしれない。

 私は、ライブでもっともっと弾けたかった。だから、今回のスピッツのツアーを、別の場所であと何本か観たいと思っている。ライブの余韻に浸るため、会場で買ったツアーTシャツを、今日、早速仕事に着て出勤した。三枚買ったので、今日からゴールデンウィーク直前の日まで、毎日一枚ずつ着て出勤するつもりだ。

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