恋愛

2005.02.08

ガードを解除しよう

 長い間恋人のいない人たちから、「出会いがない」などという嘆きをしばしば耳にするが、本当にそうだろうか。ガードを解除する方法さえあれば、例えば、電車で隣に座った人とでさえも、会話を始めることができる。私は実際に、電車で隣に座った人と名刺交換をしたことがある。もうずいぶん前のことだが、電車でたまたま隣に座っていた人が、HP-LX200という超小型のノートパソコンを取り出してごそごそやっていた。私はそのノートパソコンを知っていたので、何となく会話がはずみ、名刺交換するまでに至ったのだ。そのとき、ガンモも一緒だったのだが、いつの間にか、三人でマニアックな話題に花を咲かせていた。今の時代、名刺にメールアドレスの一つでも書いておけば、後からその出会いを生かすことができるのではないだろうか。

 クラシックカメラを首からぶら下げて街を歩き回っていた独身時代も、おじさまたちから大変良く声を掛けていただいた。その手の出会いで面白いのは、私よりもカメラのほうをじっと見ているということである。一人で飲食店に入り、食事をしていると、私ではなく、カメラのほうをチラチラ見ている。たまり兼ねた様子で、
「そのカメラ、ちょっと見せてください」
と相手が言い出すのがとても面白かった。そこで会話がはずむと、やはり名刺交換に至る。ご年輩の方々は、若い男性と違って、大変礼儀正しく、後日、自筆の手紙を郵送してくださったりする。このような出会いで、男女の関係に発展することはなかったが、同じようなケースで、約束された出会いがあってもおかしくはない。少数派で生きている人間にとって、特別な共感や知識の共有は、砂漠の中でようやく見つけたオアシスのようなものなのだ。

 このように、あまり一般的でない知識や趣味は、人と人を容易に結び付けて行く。少数派の視点からの会話が、特別な存在であることを意識させ、ガードが解除されるのだと思う。これがもしも、
「ヘイ、そこの彼女!」
といったような、不特定多数に向けられてもおかしくないようなたナンパ方法であれば、ガードは解除されにくいだろう。

 出会いが極端に少ないという人たちは、単にガードを解除していないだけかもしれない。また、自分自身が大多数の中に埋もれてしまっていては、特別な相手を見つけだすことは難しいだろう。ちょっと考え方は違うのだが、クラシックカメラの世界で、レンズ本体よりもレンズキャップのほうを先に買っておくと、あとからレンズ本体がやって来るという迷信がある。同じように、カメラのケースを見つけたら、先にゲットしておけ。あとからカメラ本体がやって来るという言い伝えもある。

 相手を識別できるような特別な趣味や考え方を持ち、自分から特別な存在になることによって、自分にとってオリジナルな相手を、ごく自然に引き寄せて行くのではないだろうか。ただし、あまりにも極端な少数派に走り過ぎた場合は、また別の意味でのガード解除が必要かもしれない。

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2005.02.03

プログレ豆まき

 今日は節分だった。会社の売店にも、鬼の面付きの豆まきセットが売られていた。小さい頃は、この豆を、歳の数だけ食べたものだ。大人はたくさん食べられるので、早く大人になりたいと思っていたものだが、今、歳の数だけ食べるとなると、かなりの数になってしまう。

 関西に来て初めて知ったのだが、関西では、節分の日に、太巻き寿司を丸かぶりする風習がある。ガンモはスーパーで太巻き寿司を買って帰り、丸かぶりしたそうだ。私の夕食はと言うと、悲しいかな、今日も社員食堂の定食だった。ガンモと一緒に太巻き寿司を丸かぶりしたかった。

 ところで、豆まきのときは、「福は内、鬼は外」と言う。この言葉について少し考えてみたのだが、これは、光だけを取り入れて行こうとする考えであるように思う。実際の生活には、光も闇も存在している。しかし、「福は内、鬼は外」というのは、闇を排除し、光だけを残して行こうとする考えだと思う。

 私は、鬼が福になって行くプロセスも面白いと思うし、福がときどき鬼になってもいいのではないかと思っている。鬼を排除してしまうよりも、味方につけたほうがいいと思う。それに、福だって、いつもニコニコ笑っているわけにもいかないだろう。

 そんなことをふまえながら、豆まきをしようとすると、
「鬼は福、福もときどき鬼」
と、変拍子のリズムになってしまう。この掛け声を、今夜、プログレ豆まきと命名しよう。

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2005.02.01

凍結した道路

 今朝、起きてみると、うっすらと雪が積もっていた。窓を明けて見てみると、ふかふかした雪ではなく、凍りやすいタイプの粉雪だとわかった。以前、ガンモは雪の日に、自転車に乗り、すってんころりんと転んでしまい、左肩の小さな骨を折ってしまったことがある。
「あんなことにならないように、十分注意してよ」
と念を押して、ガンモを送り出した。

 ガンモの会社は九時始まりで、通勤時間も我が家から、せいぜい多く見積もっても片道四十五分程度なのだが、私は通勤時間が片道一時間半と長い。そのため、いつもフレックスタイムギリギリの十時出勤にさせてもらっている。だから、私たちは、帰りは待ち合わせて一緒に帰って来るが、朝、出掛ける時間は微妙にずれている。

 しかし、今日は私もいつもより少し早めに家を出た。最寄駅までは自転車なのだが、途中で滑ったりしないように、細心の注意を払いながら、自転車を走らせた。思った通り、道路は凍結していて、ブレーキをかけるのが怖かった。何とか駅まで辿り着き、ホームに上がると、いつも何もなくても遅れている電車が、今日は遅れていなかった。三宮に着いたとき、先に会社に着いたであろうガンモに電話を掛けて、ガンモの無事を確認した。

 夕方は、久しぶりにガンモと待ち合わせて、一緒に夕食を取った。その帰り、みどりの窓口に寄って、この春引退する寝台特急「あさかぜ」と「さくら」の空席状況を確認した。ある程度、予想はしていたが、どちらも満席だった。引退前に乗車できないのはいささか残念だが、
「考えてみると、満席の寝台特急って怖いよなあ。鉄ばっかりだよ、きっと」
とガンモは言う。自分だって、その鉄のくせに。実は、「あさかぜ」のほうが、喫煙席なら取れているのだが、長旅を喫煙車両で過ごすのは厳しいと判断し、キャンセルするつもりだ。さきほど、Yahoo!オークションで検索してみたら、「あさかぜ」と「さくら」の寝台特急券が売りに出され、高値がついている。

 みどりの窓口をあとにして、冷たい風が吹きすさぶ中、私たちは帰路に着いた。道路はもう凍結してはいなかったが、耳当てと帽子なしではいられないほどの冷たさだった。私は毛糸の帽子をかぶっていたが、ガンモには帽子がなかった。

 私たちの住んでいる地域は、普段、ここまで温度が下がらないだけに、ちょっとでも零度を下回ろうものなら、もう大騒ぎである。北国の人は、もっともっと寒いところで暮らしているだろうに。そう言えば、以前、春先に北海道に行ったとき、私たちはものすごく寒いと感じているのに、地元の人たちは平気で薄着で歩いているのに驚いた。地元の人に会ったのだが、
「もう暖かいですよ」
などと言いながら、薄着で笑っている。私には、彼らが化け物に思えたものだ。 

 外は、まるで嵐のように冷たい風がビュービューと吹き付けている。明日もまた、道路が凍っているのだろうか。

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2005.01.16

ガンモの帰宅

 きのうから生理が始まった。生理の最中に鍼灸治療を受けると、身体が恐ろしくだるくなる。おそらく、その影響だろう。今日は一日中トローンとしていて、思うように活動できなかった。おまけに、ホルモンのバランスが崩れているせいだろう。どうにもこうにも眠くて仕方がない。夕方、ガンモが帰って来るので、大阪まで迎えに行き、一緒に夕食を食べて帰る約束をしていたのだが、どうも出掛けられそうにない。そこで、ガンモに電話を掛けていったん断った。しかし、その後、パソコンを立ち上げ、メールをチェックしてみると、電話を掛ける前に送ったと思われるガンモからのメールがあり、「○時○分に大阪に着くから」と書かれてあった。そうだ、私たちは、ようやく一日振りの再会なのだ。やっぱり、予定通り大阪に行こう。そう思って、ガンモにもう一度電話を掛け、支度を整え、家を出た。

 ガンモが到着するまでにまだ時間があったので、私はボーっとした頭のまま、ヨドバシカメラにフラフラと立ち寄り、携帯電話の機種変更をした。年が明けたら新しい機種に変更しようと決めていたからだ。機種変更にはおよそ四十分かかり、その間、私が現在使っている携帯電話を預けることになってしまった。私はガンモにもう一度電話を掛け、機種変更したことを告げたあと、待ち合わせ場所を決めて、携帯電話を預けた。

 携帯電話を預けていたため、ちょっとしたすれ違いもあったものの、ヨドバシカメラの店内で何とかガンモと再会できた。ガンモはすっかり鼻声になっていて、時折咳き込んでいた。風邪を引いていたため、旅館でお風呂には入らなかったと言う。見ると、私が伝授した方法で、カイロをバンダナに巻き込み、自分で喉を保護していた。ガンモに、
「カニはどうだった?」
と尋ねると、
「カニの話はやめて」
と言う。どうやら、カニのことを想像するだけでも気持ち悪くなってしまうほど、カニをたらふく食べて来たらしい。

 夕ご飯を食べて家に帰ると、ガンモは、
「やっぱり家が一番いい」
と言って喜んだ。そして、私たちは、歓喜天のように、一日振りの熱い抱擁を交わした。

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2005.01.14

モデル撮影会への抵抗

 ガンモが所属している某カメラ倶楽部の会報に、ヌード撮影会の案内が書かれていた。ガンモも私も趣味でカメラをいじくったり、あちこち出掛けては写真を撮ったりして楽しんでいるが、ヌード撮影会と名のつくものには、一度も参加したことがない。私は、ヌード撮影会どころか、服を着たモデル撮影会にさえ抵抗がある。

 何故、抵抗があるのかと言うと、撮影するときに、モデルさんたちと心を通わせることがないからだ。相手はあくまで商売として撮られようとする。カメラを向けられたら、誰に対しても愛想を振り撒くのが当たり前。彼女たちの笑顔は、心を許した特定の人だけに向けられる笑顔ではなく、大多数に向けられた営業用スマイルだ。撮影する側にも愛はなく、モデルさんたちを人間ではなくモノとして扱う。お互いに、感情をはさまないドライな関係。私はそこがイヤなのだ。

 ガンモと二人で参加している神戸のカメラクラブが主催する写真撮影会に、いつもモデルさんと一緒に参加しているメンバーがいる。その撮影会は、毎年行われているのだが、その方は、毎回違うモデルさんを連れて来る。単に風景だけを撮るわけにはいかないものだろうかと私はいつも思う。その方にも奥さんがいらっしゃるはずなのだが、奥さんではなく、何故、毎回モデルさんと同行されているのかも不思議でならない。芸術と生活は、常に切り離されなければならないのだろうか。

 そう言えば、学生の頃、DPEショップでアルバイトをしていたときに、ヌードの写真ばかり持って来るお客さんがいたことを思い出した。確か、どの写真を見せてもらっても、違うモデルさんだったように思う。私は、そのお客さんが苦手だった。

 果たして、撮影会という限られた時間の中で、モデルと撮影者は、親密な関係を築き上げることができるのだろうか。そうした撮影会で撮られた写真よりも、日常のスナップ写真のほうが、ぐっと心を動かされることが多いのは、気のせいだろうか。

※メールと掲示板の返信が、合わせて二十件ほど溜まってしまっています。現在、少しずつ返信させていただいておりますので、しばらくお時間をくださいますよう、お願い申し上げます。m(__)m

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2005.01.11

肉体と精神の休養

 ゆうべ布団に入ったときに、ガンモの体温を感じながら、ガンモが私の隣にいてくれることがとてつもなく幸せだと感じた。そして、この平穏がずっと続いて行くことを、心から祈りながら眠りに就いた。

 今朝、目覚めたとき、肉体的にも精神的にも、仕事に出掛けることが困難であると感じた。肉体的には、旅の疲れと睡眠不足のため、体調を崩してしまっていた。精神的には、仕事に出掛けることは、愛からかけ離れる行為だと直感した。ガンモと愛情たっぷりの休日を送ったあと、無機質なやりとりしか行えない職場に足を運ぶことは、非常に困難であると感じたのだ。私は休暇を取り、肉体と精神を休養させた。

 肉体の休養に関しては、多くの人に理解していただけると思うのだが、精神の休養に関しては、なかなか理解し難い人も多いのではないだろうか。私はここのところ、「開いている」、「閉じている」という表現にこだわっているが、愛情いっぱいの楽しい休日を過ごし、愛し愛される喜びを実感しているときは、愛に関して開いているときである。しかし、職場では、愛に関して開いている必要がないので、せっかく開いている部分を閉じることになってしまう。それが苦痛なのだ。

 実は、これが、私がガンモと結婚してから感じ続けている家庭生活と社会生活とのギャップなのである。こうしたギャップを感じている人は、家庭生活が円満な人に多いのではないだろうか。ギャップを感じる対象は、何も仕事に限ったことではない。交友関係に対しても感じることが多々ある。だから私は、自分の世界を守るためにホームページやブログを持ち、開いている部分を維持しようとしているのだと思う。

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2005.01.05

♪四十一歳の春だから

 今日はガンモの四十一歳の誕生日だった。そう、ガンモはとうとうバカボンのパパと同じ年になったのだ。ガンモも童顔なので、きっと四十一歳には見えないことだろう。ガンモは歳を重ねたことに対して、ちょっとしょげ返っている。どうやら自分の誕生日がうれしかったのは、三十代までだったらしい。

 私たちは、毎日が記念日なので、特別なことはしないのだが、今夜は仕事を終えたあと待ち合わせて、お気に入りのインド料理屋さんでディナーを食べた。と言っても、特に記念日でなくても、仕事の帰りにここに寄ることもあるのだが。いつもよりはグレードの高いコースを注文して、おなかいっぱい食べた。しかし、ガンモは仕事のことで悩みがあるらしく、口数が少なかった。

 私は、ガンモがこれまで乗り越えて来た様々なことを例に挙げて、ガンモを励ました。
「あれだけ辛かったことも、今はもう忘れているのだから、今抱えている問題だって、きっと平気になるときが来るよ」
と私は言った。

 駅のホームで、私はマフラーを振り回して、ガンモの厄払いをした。厄払いに行かないのなら、私が厄を払ってあげようと思ったのだ。しかし、厄を受けて立つほうが、ぐんぐん成長できるのではないだろうか? RPGだって、強い敵を打ち倒せば、経験値が大幅にアップするのだし。厄を払ってしまったら、強い敵がやって来ないのでは? ふと、そんなことも思った。

 おなかがいっぱいになったガンモは、ちょっと元気になっていた。

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2005.01.04

目玉焼きタイプと卵焼きタイプ

 男女の愛を考えるとき、大きく分けて、二通りの考え方がある。一つは、人間はもともと一人という割り切った考えで、お互いに個を尊重した付き合い方をする。そしてもう一つは、相手と融合して行くことを喜びとする考えで、互いに溶け合って一つになることに喜びを見出す。私がガンモと体験しているのは、間違いなく後者だ。だから、必然的に似て来るし、最初から似ている部分も多い。

 二つの付き合い方は、それぞれ、目玉焼きタイプと卵焼きタイプと言うことができる。目玉焼きタイプは、白身は白身、黄身は黄身のままで存在しているが、全体としては一つだ。卵焼きタイプは、白身と黄身の境界をなくし、同一のものとして混ざり合う。食べ物に例えたとしても、私は卵焼きのほうが好きだ。

 当然のことながら、それぞれ異なるタイプの愛を体験している人たちが対話を始めると、お互いの立場をなかなか理解し合うことができない。個を守りたい目玉焼きタイプの人たちは、卵焼きタイプの体験している融合が、大変窮屈に思えるらしい。個を尊重するあまり、いつも一緒にいたい、お揃いでいたいという気持ちを理解できないために、お互いの自由意思でそうしていることを、拘束し合っていると思い込んでしまうようだ。一方、卵焼きタイプの人が目玉焼きタイプの人を観察すると、ドライな関係に見えてしまう。何故、一緒に行動しないのか、とても不思議に思ってしまうようだ。更に、「尊重」という表現に妙にひっかかり、「『尊重』などと言うのは、自分が長い時間、相手と一緒にいることを苦痛に感じてしまうからでは?」などとひねくれた考えを持ってしまう。

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2005.01.03

持続と変化

 今日でとうとうお正月休みも終わり、いよいよ明日から仕事が始まる。あちこち出掛けたおかげで、あっという間のお正月休みだった。お正月休み最後の今日は、ガンモも仕事で呼び出されることもなく、まったりとした時間を過ごした。

 ところで、先日、愛と人生ってなんだろうね「理想の相手」が相手を縛るにコメントを書かせていただいたところ、管理人のmiyashuさんより「もう少し詳しく説明を」とのリクエストがあったので、トラックバックさせていただくことにする。

【元の記事より引用】
それは言い換えれば、ここまでの理想的な相手がいながらも「悪魔」の力は強く人を引っ張るものであるということを主張したいのでしょうか。あるいは理想過ぎるからこそそこに問題が生じるといいたいのでしょうか。

【それに対する私のコメント】
世の中に戦争が起こってしまう原因が、これと似ているのかもしれませんね。
私は、生きて行くときのテーマとして、持続と変化があると思っています。
これらは、片方だけでなく、両方必要なのでは? と思うのです。

そう言えば、今年観た『ビッグフィッシュ』という映画の中に、ユートピアにいる詩人が詩を書けないと嘆いているシーンがあり、とても印象的でした。
満たされていない状態は、何かを生み出したいエネルギーになるのではないでしょうか。

 愛を持続させることは男女の関係においてもっとももっとも大切なことの一つであるが、次第に変化して行く要素もある。あたかも持続だけで突っ走っているような男女にさえ、必ず変化は訪れている。その変化が著しくなく、例え変化してもお互いの関係が常に相対的に保たれていれば、変化が持続を上回ることはない。変化が持続を上回った場合、劣化になる。上記の私のコメントに当てはまっているのは、変化が持続を上回る関係に限定されるだろう。と、ここまでは前置きである。

 ホームページを通じていろいろな方々と交流させていただく中で、私がいつも感じているのは、多くの人が男女間の問題を抱えているということである。自由意思に満ち溢れた存在である私たちが、わざわざそのような選択をしてしまうのは、問題を抱えていたほうが、本当の愛を理解しやすいということの証なのではないかと思う。つまり、本当に愛する人の不在でもって、その人が自分にとっていかに貴重な存在であることを確かめようとしているということである。不足している状態が、活力になるのだ。

 愛を持続させることができない多くの人は、本当の愛を知るために、わざわざ遠回りの選択をしてしまう。その遠回りが何故必要なのかと言うと、関わりが長くなって行くと、変化が持続を上回ってしまうからなのではないだろうか。そして、この元記事に書かれているのは、愛を持続することができない人の例ではないだろうか。

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2005.01.02

ガンモの実家

 ゆうべ、午後七時半頃、ガンモの実家に着いた。私たちが帰ると、義母はたくさんの心のこもった手料理で私たちをもてなしてくれる。義母の手料理は、薄味で、私の口に馴染む。私はいつもパクパク食べ過ぎて、ガンモに怒られてしまう。

 私の実家の両親に比べて、ガンモの両親はとても大人しい。私たちの料理を用意してくれたあと、そっと別の部屋にこもり、私たちが食べ終わるのを静かに待ってくれている。私たちと一緒にご飯を食べたがる私の実家の両親とは大違いだ。

 ところが今回は、私たちの食事中も、義母がキッチンに残ってくれた。私たちとコミュニケーションを取りたがっているのがわかる。そのうち、別の部屋でテレビを見ていた義父もやって来る。静かな人たちなので、わいわい騒いで大笑いするようなことはないが、いつの間にか世間話で盛り上がる。

 ガンモは、両親の前でもほとんどしゃべらないので、私が言葉の繋ぎ役を買って出ることになる。今年本厄のガンモは、義母から地元の有名なお寺にお払いに行くことをしきりに勧められるのだが、厄払いのお寺が駅から遠いこともあって、ガンモは頑なに拒んでいた。こういうとき、親の言うことを素直にきくことが親孝行になるのだろうか? 私はガンモに、
「親の言うことはきくものよ」
と言ってみたものの、心の中ではしっくり来なかった。

 私たちは親に甘えさせてもらったおかげで、旅行の疲れや睡眠不足をすっかり解消させることができた。いつもなら、香川のガンモの実家に一泊したあと、お隣の愛媛の私の実家にも一泊して帰るのだが、明日はガンモが自宅待機の担当のため、自宅に帰らなければならず、私の実家に帰ることは見送った。

 両親とのほんの短い再会はいつも、私たちが両親からの愛情を受け取るだけに終わってしまう。男女の愛と違って、親子の愛には時間差が起こり得る。特に、私たちのようなひねくれ者は、親から受け取った愛をリアルタイムで返すことができない。それは、もともと、ストレートな愛情を親から受けて育っていないせいだと思われる。特に、私の両親などは、私への愛情をストレートに表現せずに私を育て上げた。以前もここに書いたことがあるが、田舎にはへりくだりの文化があるために、親は自分の子供を誉めないのだ。子供は誉めてあげないとひねくれる。そして、一度ひねくれてしまうと、愛情表現が下手になってしまう。ガンモもまた、私と同じように育って来たそうだ。そんな私たちは、こうして親の愛を受け取ることができるようになった分だけ、まだ進歩していると言えるのだ。

 実は、この裏には、私たちが親元を離れる時期が早かったという背景がある。ガンモは十六歳、私は十八歳のときに親元を離れ、一人暮らしを始めた。その後、親元を離れたまま就職、そして結婚したので、私たちは、その頃までしか親と同居していないことになる。世の中には、もっともっと長い時間を親と過ごしている人たちもいる。そういう人たちは、親との密なコミュニケーションがずっと続いているのだと思う。しかし、そうでない私たちは、親からしてみれば、もっともっと手をかけたい対象なのではないだろうか。

 夕方になって、とうとうガンモの実家をあとにすることになり、名残惜しい思いを抱えながらも、帰路についた。きっと、今と違う距離感ならば、親に対して感じることもまた違って来るのだろう。

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