音楽

2016.05.05

私の座る席に他の人が・・・・・・

ホットヨガ(五〇五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィークも、とうとう後半に突入してしまいましたね。ようやくガンモとの合流を果たし、今日は猫カフェの友人宅にお邪魔したあと、キャンプ場にやって来ました。せっかくのゴールデンウィークですので、キャンプとしては初の連泊をこれから体験します。日中は、かなり暑いくらいの気温でしたが、夜は少し寒く感じられます。明日は気温が低くなるようですので、気温の変化で体調を崩したりしないよう、皆さんもお気を付けくださいね。さて、今回は、コンサート会場で体験したことを綴ってみたいと思います。


 とあるコンサート会場で、私はチケットに印字された自分の座席を探していた。何とか自分の座席を見付けることができたものの、何と、そこには既に他の人が座っていた。私は、チケットに印字された座席番号と、その方が座っている座席番号が同じであることを確認してから、その方に声を掛けた。

 「あの、すみません。その座席番号は、○列△番ですよね?」
と言いながら、私は座席番号が書かれた自分のチケットをその人に差し出した。するとその方は、ご自身が持っているチケットに書かれた座席番号を確認するために、わざわざチケットを取り出してくださった。その方に見せていただいたチケットには、何と、私が持っているチケットと同じ座席番号が印刷されていた。

 私は、チケットが発券されるときに座席番号がだぶってしまったのだと思い、スタッフに相談するしかないだろうと思っていた。ところが、その方の隣に座っていた方が、その方の持っていたチケットを横からご覧になり、
「同じですね。あれ? でも、ここが違いますね」
と、違っている箇所を指さした。見ると、同じ会館で行われる同じアーチストのコンサートなのだが、その方が持っているチケットは過去のものだった。何と、そのときからさかのぼって数年前のチケットだったのだ。

 そのことがわかった途端、その方は青ざめ、お友達の分も一緒に確保しているのにどうしようと、慌て始めた。私は冷静に、
「お友達が今回のチケットをお持ちなんじゃないですか?」
と尋ねてみたのだが、チケットを手配したのはその方ご自身だそうで、お友達にはその方が持っているチケットのペアを渡してしまっているらしい。確かに、私が座るはずの席の隣には、既に荷物が置かれ、靴を脱いでくつろげるように、ビニールまで敷かれていた。その方としては、その席でお友達と一緒にコンサートを楽しむ準備が万端だったというわけだ。

 その方曰く、過去にチケットを購入したものの、コンサートに参加できなかった年があったらしい。そして、いつの間にか、参加できなかった年のコンサートのチケットと入れ替えてしまい、お友達にもその参加できなかった年のチケットを渡し、ご本人も過去のチケットでコンサート会場に入場したというわけだ。ということは、入口でチケットをもぎるスタッフも、それが過去のチケットだとは気付かなかったということである。

 その席に座る権利があるのは、その年のチケットを持っている私ということになるのだが、果たしてその方たちはコンサートを見られるのだろうか。そうこうしているうちに、その方のお友達が来られた。その方はお友達に事情を話すと、お友達は怒ったり驚いたりせずに、その方の頭を「仕方ないわね、コイツ~」のような感じで軽く叩いた。私は、それだけで救われた気がした。

 そのとき既に、コンサートが始まってしまうギリギリの時間だったので、その後、その方たちがコンサートを鑑賞することができたのかどうかはわからない。

 その方たちが去ってから間もなくして、お友達が座ることになっていると言われた私の席の隣に、別の方が来られた。その方は、たった今まで、そんな稀有なドラマが起こっていたとは知る由もなかっただろう。

 私には、この事件が深く心に残った。毎年、コンサートに参加していたというのに、参加できなかった年があり、そのときのチケットを大事に取っていたために起こってしまった悲劇だとも言える。しかし、そこには何か胸の奥を突くような想いがある。チケットを購入していたのに、どうして参加できなかったのだろうと私は考える。年齢的に、もしかしたら身内の不幸があったからかもしれないと想像すると、胸が痛くなってしまうが、それならば、一緒に参加するはずのお友達だけでも参加できたのではないかと思ったりもする。

 過去のチケットを提示してコンサート会場に入場したことは、まったく悪気のないことであり、その方たちに罪はない。また、入口でチケットをもぎる方も、それが過去のチケットであることに気が付かなかったのだから、入場を許可されたと取れるだろう。だから、おそらく、主催者側がその過失を認めることになり、何らかの形でコンサートを鑑賞することができたのではないかと期待する。私にとっても痛々しい事件だっただけに、そうあって欲しいと願うばかりである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまでたくさんのコンサートに足を運んで来ましたが、今回のようなケースに初めて遭遇しました。参加できなかった年のコンサートのチケットを大事に取っていたところと、そのチケットが有効なチケットであると疑わずに持参したところが痛く心を揺さぶられるポイントだと思います。何らかの事情で私や私の隣の席の人がコンサートに参加できなかった場合、その方たちは何も気付かずにコンサートを楽しむことができたかもしれないと思うと、それはそれで美しい物語であるような気もするのです。

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2015.11.21

ZAZ 2015 Japan Tour in Zepp Namba

ようやくアウトプットにこぎつけたの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ゆうべ、フェリーに乗り、今朝、無事に実家に帰って来ました。そのフェリーの中で、下船前に自宅に電話を掛けている六十代くらいのお母さんと、三十四歳くらいの娘さんらしき親子がいました。時間はフェリーの着岸前の五時半過ぎです。そんな時間に電話を掛けるのも、相手に対して申し訳ないと思うのですが、話の内容は、自分たちは鍵を持って出て来ていないので、自分たちが帰る時間に合わせて家の鍵を開けて欲しいというものでした。電話に出ている相手はこれから出掛けてしまうのか、家に残っている別の家族に家を開けてもらえないかと頼みたかったようです。しかし、別の家族はゆうべ二時頃に就寝したとかで、まだ寝ているとのことでした。すると、その会話の内容を隣で聞いていた娘さんのほうがものすごい剣幕で怒り出し、仕事に間に合わないから絶対に家を開けろ、今日はイベントがあるから仕事が忙しい、夜遅くまで起きていたのはそっちの勝手だなどと汚い言葉でののしり始めました。私はそれを聞いて、その娘さんに蹴りを入れてやろうかと思うほど腹が立ちました。家族だからという理由で、こんなにもわがままに自分の想いをぶつけてしまっているのだなあと驚くとともに、彼女にとっては、今の家族が存在してくれていることが、疑いもしない当たり前のことなのだろうとも思いました。この先、彼女が歳を重ね、家族と過ごした時間が本当に愛おしいと思うようになったとき、このときのわがままを反省するのではないかと思います。

 昨日は定時で仕事を上がり、地下鉄を乗り継いで、大阪の大国町まで移動した。大国町には、Zepp Nambaというライブハウスがあるのだ。実はここで、来日中のフランス人歌手ZAZ(ザーズ)のライブが行われることになっていた。珍しく、ガンモがこのライブのチケットを押さえ、私を招待してくれたのである。休暇を取っていたガンモとは、Zepp Nambaで落ち合った。開演時間が十九時だったので、Zepp Nambaに着いた私は、すぐ近くにあるコンビにでおにぎりを買っておいた。

 会場の中に入ってみると、いかにもフランスらしく自由な雰囲気だった。ライブハウスなので、規制が緩いのかもしれないが、入場時のカメラチェックもなく、会場内での飲食も自由だった。

 私たちの席は、前から七列目という良い席だった。ライブハウスは、オールスタンディングの公演が多いと思うのだが、ZAZのライブは会場内に椅子がきちんと並べられ、座席番号も振られていた。

 私はライブのあと、フェリーで帰省することになっていたので、やや大きな荷物を抱えていた。とは言え、前日のうちに荷物を実家に送っておいたので、持っているのはその残り分だった。できれば大国町の駅構内にあるコインロッカーに荷物を預けたかったのだが、あろうことか、小銭の持ち合わせがなかった。駅の窓口で両替してもらおうかどうしようかと思いながら、そもそもコインロッカーを駅が管理しているのだろうかなどと考えているうちに、「ええい、ライブハウスなら、コインロッカーがあるはずだ」と思い、そのまま駅の階段を昇ったのだった。

 実際、Zepp Nambaに入ってみると、コインロッカーはあった。しかし、貴重品を入れるためのものなのか、コインロッカーの箱がやけに小さく、私の抱えている大きなリュックはとても入りそうになかった。それでも、会場内には椅子が並べられていたので、椅子の下にリュックを置くことができたし、幸い、端っこの席だったので、他の人たちにご迷惑をお掛けすることもなかった。

 私たちは、席に落ち着くと、ライブが始まる前に、コンビにで買ったおにぎりを食べておいた。

 およそ十分遅れでライブが始まり、演奏を担当する方たちが次々にステージに登場した。驚いたことに、人数が多く、年齢層も高かった。

 続いて、ZAZがステージに登場したとき、そのナチュラルな振る舞いにまたまた驚いた。エディット・ピアフの再来とも言われるZAZは、ハスキーな声で世界中の人たちを魅了している。私も、ガンモが彼女の曲を聴いているのを何度となく耳にして来たが、彼女の顔はまだ知らなかった。こんなにかわいい顔をして、歌も上手で、何でも彼女の思い通りになりそうなのだが、彼女の振る舞いは自然体そのもので、誰かに媚びたり、持ち上げたりする様子ともなく、みるみるうちに観客を引き込み、次から次へといろいろな歌を聞かせてくれた。

 MCはところどころ日本語だったが、九十五パーセント以上はフランス語だったので、何を言っているかさっぱりわからなかった、しかし、歌にしても、MCにしても、フランス語の美しさを充分感じさせてくれるものだった。

 ライブの後半になると、ZAZは着替えをして再びステージに現れた。パリで発生した同時多発テロで亡くなられた方たちを弔うために、会場内の照明が落とされ、ろうそくに火がともされた。ZAZは確か、"パリの灯火(ともしび)"と日本語で説明をした。その途端、会場内はしーんと静まり返り、全員が黙祷を捧げた。言葉で何かを付け足すわけでもなく、ただ灯火がともされている間はとても静かで、そのあと、普通のライブに戻った。黙祷をするのも、何の強要もなく、参加者に任されていた。こんなライブは初めてだった。

 私は、フェリーの時間があったので、日本で行われた他のライブで彼女がどれくらい曲を歌ったのか、あらかじめ、調べておいた。東京公演では二十三曲ほど歌ったと知り、最後まで聞いていたら、フェリーには間に合わないかもしれないと思った。というのも、Zepp Nambaからフェリー乗り場までは四十分ほど掛かるからだ。私は、腕時計が刻む時間を気にしながら、ガンモを残して、演奏途中で会場を出ることになってしまった。

 今日、ガンモと電話で話をして、ZAZは音楽性が高いということで意見が一致した。間違いなく彼女は、歌うために生まれて来た。もしもまた彼女が来日するときには、ガンモがチケットを取ってくれることだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m Zepp Nambaに足を運ばれていた方たちの年齢層は、思いのほか、高かったですね。私たちよりも年上の方たちが多かったように思います。あと、フランス人らしき方たちもいらっしゃり、MCのときにフランス語で返していました。フランスから来られた彼女の追っかけさんたちでしょうか。とにかく、ナチュラルな彼女に驚き、私も彼女を応援したいと思いました。

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2015.03.08

ライブ『LOVEの今日ここ大阪にいるという事』

楽しい玉造(たまつくり)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。まちのオフィスは、自分のデスクが狭くなってしまったことや、エレベータや食堂がひどく混雑していることなどを除けば、とても快適な環境です。今のところは女性だけですが、有志の人たちが自宅から本を持ち寄り、自由に貸し借りできるようになっていることも魅力の一つです。通勤の途中は携帯電話をいじることが多かったのですが、最近は熱心に読書をしています。プロの書いた文章を読むと、やはり刺激を受けますね。

 ホットヨガの梅田店のスタジオでレッスンを受けたあと、ガンモと待ち合わせて、『LOVEの今日ここ大阪にいるという事』というライブに出掛けた。会場となったのは、JR大阪駅やJR北新地駅などから比較的近いサンケイホールブリーゼというビルの七階にあるやや小さめのホールである。たまたまローソンチケットから届くメルマガでこのコンサートの存在を知ったのだが、チケットを購入したのが遅かったからか、二階席になってしまった。それでも、やや小さめのホールだったので、上から見下ろす形でもステージが良く見えた。実は、これまでにも足を運んだことのある会場なのだが、不思議なことに、以前、足を運んだときにはそれほど感じなかった、会場への愛着のようなものを感じた。

 このコンサートは、東日本大震災で被災した子供たちに文房具を贈るためのチャリティコンサートの形で行われている。実は、私はこのコンサートの趣旨を良く理解しないままコンサート会場に足を運び、会場で説明を受けて初めて知ることになった。コンサートの発起人はLOVEという女性シンガーソングライターで、コンサートの趣旨に賛同して集まったアーチストは、

石原正一(演劇人・漫画朗読人)
坂崎幸之助(From THE ALFEE)
たむらぱん
Chage
矢井田瞳

スティーヴ エトウ

(以上、敬称略)

である。

 ステージは三時間にも及び、それぞれのアーチストがソロで演奏したり、漫画朗読を披露したり、また、複数のアーチストでコラボを披露してくれたりと、盛りだくさんな内容だった。どのアーチストも素晴らしく、さすがはプロだと恐れ入った。当たり前のことだが、プロのミュージシャンは、歌を歌っても音を外すことがなく、声も実に良く伸びる。確実に音が取れているのだ。また、坂崎氏のギターテクニックにもうなり、パーカッションで参加されていたスティーヴ エトウ氏の素晴らしいリズム感にも打ちのめされた。何だ、この人たちは、というレベルの高さである。楽器を使う彼らに共通して言えるのは、使っている楽器が既に身体の一部になってしまっているということである。それほど、使っている楽器とすっかり仲良くなっているのが伝わって来るのだ。彼らは楽譜を見て、暗記した音符の並びをそのまま演奏しているのではない。楽器も、そして楽器を使って生み出す音もまた、彼らの一部になってしまっているのである。

 このコンサートでは、特に、プロとして活動することの意味を突き付けられたような気がしている。インターネットが普及してからというもの、いろいろな場面において、アマチュアの作品を鑑賞する機会に恵まれるようになった。アマチュアのアーチストたちが、インターネット上で自分の作品を公開することにより、他の人たちに自分の作品を見てもらうことで、次第にそれらの作品が洗練されて行くとも考えられる。その一方で、プロとして活躍されている方たちは、やはりそれなりに抜きん出た人たちなのだと実感した。そして、私自身の中に、分野は違っていたとしても、何か抜きん出た才能があるのだろうかなどと自問自答することにもなった。

 また、普段はソロや自分なりのグループで活躍しているアーチストたちがこのような形で集うとき、その相対関係がもたらす新たな可能性についても注目した。出演されたアーチスト曰く、楽屋の雰囲気がとても良かったそうで、アーチストたちが相対関係の心地よさを実感しているのが良くわかった。ソロや自分なりのグループでは実現できないことを、このような形で複数のアーチストが集うことで、自分の持っている個性を出し合いながら、調和させて行く。プロのアーチストは、それ一つだけでも成立する特定の形を持ったロックのようなもので、お互いの形が合えば他のアーチストとも結び付き、ソロや自分なりのグループで活動しているときとは違う自分を演出できるのではないかと感じた。そして、結び付いたときの相対性が心地よいと感じれば、また別の機会に再会することができるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m Chageの元気な姿を見ることができて、安心しました。もちろん、かつての相方の不祥事をネタにできる段階ではありませんでしたが、彼も根強いファンに支えられ、頑張っているのだなあと思いました。共演者の方たちも、不謹慎な突っ込みはしていませんでしたね。何事もなかったかのように、普通に接することは、「頑張れよ」と口にするよりも説得力のある応援方法なのではないかと感じました。

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2014.05.14

霊的な繋がり

映画『ムカデ人間』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 認知症の女性が、七年振りに夫と再会できたというニュースをインターネットで知りました。女性の名前はミエコのはずでしたが、警察の記録にエミコと添えられていたために、長い間、身元がわからなかったとのことです。介護施設に入ったときに、認知症のために「ミエコ」という自分の名前ではなく、娘さんの名前を名乗ったというニュースも流れていましたね。何を隠そう、私の名前は「みえ」(実際は漢字)ですが、しばしば、「えみ」と間違えられます。(苦笑)ですので、この女性が「エミコ」と間違えられたという状況がとても良く理解できます。先日の健康診断でも、「○○えみさーん」と呼ばれ、「また間違えられた」と心の中で苦笑しながらも、「はーい」と返事をしました。きっと、「みえ」よりも「えみ」のほうがメジャーなんでしょうね。今回のミエコさんの一件で、周りの人たちが、「みえ」と「えみ」を意識して区別してくださるといいなと思っています。

 最近、「霊的な繋がり」について思うことが多い。「霊的な」というのは、「幽霊の」という意味ではなく、「魂の」という意味に近い。

 思えば、私は若い頃から、人と「瞬間的に理解し合える」ことを望んでいたように思う。「瞬間的に理解し合える」というのは、多くを語らなくても、短時間でわかり合えるような間柄だ。

 ガンモとの結婚を決めたのも、交際が始まってからわずか二ヶ月ほどのことで、実際に結婚したのは、交際が始まってから四ヶ月後のことだった。こうした状況からも、「瞬間的に理解し合えた」と思って良いだろう。実際に「瞬間的に理解し合えた」かどうかについては、ガンモとの楽しい楽しい結婚生活が、今でもずっと続いていることが証明してくれている。

 とは言え、私にとって、このような出会いを体験したのは、ガンモが初めてではない。実は、私の好きなアーチストとの間にも、霊的な繋がりがあったのではないかと思っているのだ。というのも、先日、好きなアーティストのライブに参加して、過去の出来事を思い出しながら、そう実感したからだ。

 そのライブには、もともと参加する予定がなかったので、チケットを購入してはいなかった。しかし、同じアーチスト仲間の友人から、ライブに参加できなくなったので代わりにどうかという連絡をもらい、喜んで参加させてもらったのだ。実際、参加させてもらって、本当に良かったと思っている。チケットを譲ってくれた友人には、とても感謝している。

 有り難いことに、かなり前のほうの席だったので、ステージの様子がとても良く見えた。私は、ステージの上にいる好きなアーチストの姿を確認しながら、昔のことをいろいろ想い出していた。私は、そのアーチストのことがとても好きだったので、何かと顔を合わせるきっかけを作っては、ほんの短い会話をしていた。今でもそうだが、私は彼のことを一人のアーチストとしてというよりも、一人の人間として、魂として見ていた。おそらくだが、今でも、当時の私のような存在が、彼の周りにはたくさんいることだろう。

 その頃の会話について、いろいろ思い起こしてみるのだが、会話が実に効率的だったように思う。余分な説明は不要で、一言で伝わってしまうこともあった。それは、相手の言うことを自分の頭で考えて理解するというよりも、相手の言葉がヒントになり、ピンとひらめくような感じだった。驚かれるかもしれないが、周りに人がたくさんいると彼に対して引いてしまうが、一対一で会話をすると、とてもリラックスできた。

 東京に住んでいたときは、偶然会うことも多く、しかも、会う前に予感がするのか、突然、目の前に現れても驚かなかった。そして、偶然、顔を合わせたあとは、何の名残惜しさも感じずに、当たり前のように日常に戻るのだった。ガンモと結婚したあとも、プライベートで大阪を訪れた彼と、大阪でばったり会ったこともある。ガンモとも、申し合わせてもいないのに、仕事帰りに実に良く会う。何が引き寄せてくれるのかわからないが、とても不思議なものである。

 そのアーチストを好きになったのは、雑誌に載っている彼の写真を見たときに、「この人のことを良く知っている! 何だか懐かしい!」と強く感じたことがきっかけだった。すなわち、彼に対して「既知感」があったのである。同様の既知感は、ガンモに対しても、ツインソウルに対しても感じた。私の経験から言うと、そのように感じた人との縁は、必ず何らかの形で繋がるようになっている。

 ただ、ひとたび、そういう対象に出会ってしまうと、他の対象にしても、同じような感覚を求めてしまいがちだ。実際、私もガンモと結婚してから、実生活と社会生活とのギャップを感じ続けることになってしまった。言い換えると、既知感のない出会い、すなわち、魂としての出会いがまだ浅い人たちとの交流を積み重ねて行くことで、はるか先に、ガンモや好きなアーチストに感じた既知感を感じることができるかもしれないということなのだろう。孤独を感じたときは、このように既知感を感じた人が存在してくれることを思い出しながら、元気を分けてもらうことができるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「仲良くなるのに時間の掛からない人」や「具体的な言葉にしてもらわなくても、考えていることがわかってしまう人」は、確かに存在しますね。その一方で、「いつまでも他人行儀な人」もいますし、「言葉でいくら説明しても、わかり合えない人」もいます。既知感を感じる人は、人生におけるとても苦しい時期において、何らかの形で手を差し伸べてくれる頼もしい存在でもあります。

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2014.01.03

二〇一三年ライブ納め

ホットヨガ(三六〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。新しい年を迎えましたね。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。元旦は、ガンモと一緒に私の実家に帰省して一泊し、昨日はガンモが同窓会に参加するため、香川県のホテルに二人で一泊しました。さて、今年、最初の記事は何を書こうかといろいろ考えたのですが、年末に参加したコンサートのことを書いてみたいと思います。

 年末に、ガンモと一緒に好きなアーチストのコンサートに出掛けた。私は十一月に彼らのコンサートに参加したばかりだったのだが、ガンモは去年の春以来の参加となった。

 ガンモがiPhoneに機種変更すると言うので、コンサートの開演時間よりも早めに家を出て、コンサート会場近くのdocomoショップに足を運んだ。docomoショップでの手続きに一時間程度は掛かるのではないかと見込んでいたのだが、SIMのサイズを変更してもらうだけの作業だったためか、思いのほか早く終わった。私たちはあまりにも素早い作業に拍子抜けしながら、コンサート会場までの道のりをてくてく歩いた。

 コンサート会場近くの広場に足を運んでみると、男性が木の上を見上げながら、
「おい! おい!」
と、しきりに呼び掛けているのが見えた。木の上に一体何がいるのだろうと思い、男性の見ているほうを見上げてみると、どうやら鷹(たか)らしかった。おそらく、その男性は鷹匠(たかじょう)で、コンサート会場付近で鷹を使ったパフォーマンスを行う予定だったのだろう。しかし、何かの拍子に商売道具となるべきはずの鷹が逃げ出してしまい、木の上に停まってしまったようだ。

 鷹匠と思われる男性は、それからもずっと自分の左手を差し出しながら、
「おい! おい!」
と根気強く呼び続けていた。鷹に向かって差し出している左手には、黒い皮の手袋がはめられていた。

 やがて、その男性が携帯電話で誰かと話しているのが聞こえて来たのだが、鷹を入れた袋を開けたところ、中にいた鷹がパタパタと飛び立ってしまったらしい。しかも、鷹が木の上に停まっているのに反応したのか、カラスまでがやって来て、近くの木に停まり、鷹に向かって、
「一緒に遊ぼうよ」
と語り掛けていた。鷹匠らしき男性が木の下から鷹に向かってどんなに呼び掛けても、鷹は鷹匠らしき男性の手元には戻って来なかった。皮肉なことに、鷹が木の上に停まってしまい、鷹匠らしき男性の元になかなか戻って来ないということが、思わぬパフォーマンスになっていた。

 その後、私たちはコンサートに備えて、近くのショッピングセンターの中にあるドーナツショップでコーヒーとドーナツを注文して食べた。そして、コンサートが始まる少し前にコンサート会場に戻ったときには、もはや鷹匠らしき男性も鷹もいなかった。果たして、鷹匠らしき男性は、鷹の捕獲に成功したのだろうか。

 さて、コンサートだが、チケットが届いたときに、ステージに近い席だと喜んでいたのだが、どういうわけか、今年から会場のレイアウトが変わってしまっていて、予想に反して、ステージからは遠い席だった。それでも、たくさんの人たちがコンサート会場全体を広く見渡せるようなレイアウトになっていた。ただ、これまでと異なるレイアウトだったためか、音の響き方が以前とは違い、劣化してしまっていた。コンサートの音質にこだわるアーチストであるだけに、そのことがちょっぴり残念でもあった。

 コンサートの様子が雑誌に掲載されるのだろうか。カメラマンがコンサートの様子をカメラに収めていた。かつてはたくさんのカメラマンたちが取材に訪れていたものだったが、今回はただ一人のカメラマンだけだった。

 暗い会場でフラッシュも焚かずに、動き回る被写体を追い掛けながら、手振れのない写真を撮影するのは非常に困難なことだろう。私の知り合いに、ある海外アーチストの熱烈なファンの男性がいる。彼は何度も何度も海外に遠征しては、コンサートの模様を写真に収めている。その国では、コンサートの最中に写真を撮影することが許可されているそうだ。彼は、カメラの機材にもずいぶんお金を掛けているのだが、演奏曲ごとのライティングを正確に記憶していて、被写体に光が充分に当たっている瞬間にシャッターを切っているという。彼が撮影した写真を見せてもらったことがあるのだが、それこそ、ため息が出るほど素晴らしかった。そこには、海外アーチストに対する深い想いと、写真撮影へのこだわりが光と影の織り成す産物として映し出されていたのだ。

 そんなふうに写真を撮っている人が周りにいると、こうしてコンサート会場で写真を撮っているカメラマンが、私の好きなアーチストに対してどのくらいの情熱を持ってシャッターを切っているのかが気になったのである。

 また、ステージに立ち、「音」に合わせて踊るアーチストを見て、そのリズム感の良さに感動した。多くの場合、「音」に反応しようとすると、ほんの少しだけ身体の動きが「音」とずれてしまうものだが、そうではなく、「音」と一体になっていることに驚きを覚えたのだった。

 音の世界であれ、絵の世界であれ、文学の世界であれ、職業的でなく(誰かに頼まれて産み出そうとしているのではなく、あるいは、お金儲けのために産み出そうとしているのではなく)、自分自身の中に湧き上がる想いを使って何かを産み出している人たちは、ある種のエクスタシーのようなものを感じ続けているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 音楽の好みとしては、私はこれまで単独のアーチストを好きになったことはなく、例外なくグループが好きですね。グループの中で、一人一人が確実な役割を持ちながら自己を表現している姿が好きなのかもしれません。それだけで、音が三次元に形成されているような気がするのですね。私自身も、できる限り三次元でありたいものです。

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2013.06.15

魂の親和性

ホットヨガ(三三六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。この週末は、義父と義母の法事があるため、四国に帰省しています。誰も住まなくなってしまったガンモの実家に泊まるのも何となく気が引けるので(私たちが使った布団を干したり、布団カバーを洗濯したりする作業を義弟に押し付けてはいけないと思い)、ガンモの実家近くの国民休暇村にガンモと一緒に泊まりました。雨が降って、濃い霧が出ていたので、利用客は少ないのではないかなどと思っていたのですが、着いてみると、ものすごくたくさんの利用客でにぎわっているので驚きました。お風呂は温泉ではないのですが、夕食と朝食のバイキングが充実しているのが人気の秘密のようでした。

 先週末は、二日間連続のライブに参加した。もともと、私のMRIの検査の予定が入っていたため、週末を利用して帰省することはできなかった。それに加え、数ヶ月前からライブのチケットを申し込んでいたので、予定通り、参加することにしたのだ。やはり、状況的にいろいろ思うところがあり、途中で涙が出て来たシーンも多かった。

 一日目は、三階席だったので、上から見下ろすような感じだった。それでも、思っていたよりも良く見えた。私の席は端っこで、壁にもたれながら演奏に聴き入ることができる反面、アンコールが始まったときに席を立ってトイレに行くのが非常に困難だった。というのも、端っこの席だというのに、片側は壁で閉じられてしまっているため、そこから通路に出ることはできず、反対側の通路に出て行くまでには、大勢の人たちに謝りながら、席を掻き分けて出て行かなければならなかったからだ。さすがにそこまでの勇気はなかったので、私は大きな筋腫で圧迫され続けている膀胱に鞭打って、コンサートが完全に終わるまで三時間余りもトイレに行くのを我慢した。そのため、終演と同時にトイレに駆け込んだのは言うまでもない。

 二日目は、一階席の前のほうの席だった。しかも、ありがたいことに、私の好きなメンバーがとても良く見える席だった。とは言え、コンサート会場にいながらも、私はやはり、頭の中では母のことを想っていた。

 ステージが席から近かったからだろうか。好きなメンバーの顔がとても良く見えて、私は、この魂が大好きだなあ、彼の近くにいると、とても居心地が良いなあと実感した。

 彼の魂は、私の魂にとても近いと感じる。魂同士の親和性を感じるのだ。しかも、魂としての付き合いは、とても古いと感じる。だから、長いこと離れていても、まるで昨日の続きのような会話が実現できそうな気がする。一瞬のうちに、空白を埋め合わせることができるような気がするのだ。

 私は、彼の前では、とてもリラックスした気分でいられたことを思い出していた。人によっては、いつまで経っても緊張が解けない人も多い。例えば、お互いにいつまでも名字 + さん付けで呼び合っていたり、敬語が抜けなかったりするような場合は、魂としての付き合いがまだまだ浅いのだと思う。だから、喧嘩もできなかったり、言いたいことを言えなかったりもする。しかし、彼に対しては、とてもリラックスすることができた。むしろ、大勢の中の一人として接しているよりも、一対一で会話をするときのほうがリラックスできていたと思う。また、彼が頭の中で考えているであろうことを簡単に予測することもできた。

 ただ、魂としては、彼との間には、もはや男女のとしての学びは終了していると感じた。ゲームに例えるならば、既にクリアしてしまったゲームである。私にとって彼は、同じ魂のグループの親玉のような存在で、私自身がどのような人と親しい関係を築いて行くかを報告する相手であるように感じている。だから、今、私がガンモと一緒に過ごしていることを見守ってもらいたいのだと思う。

 自分と親和性を感じる魂は、確かに存在している。しかし、ひとたびその存在を知ってしまえば、ぎこちなく感じてしまう魂の存在も同時に知ることになる。反対に、魂の親和性を感じることなく過ごすこともできるが、それでは、とても平坦な人生になってしまうような気がするのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分と近いとか、自分と合うと感じる魂を持っている人は、確かにいますね。そのような魂を持っている人に出会うと、言葉ではとても表現し切れないような親しさを感じるものです。言葉でわかり合うよりも素早いものを互いに持ち合わせていますね。

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2013.05.03

地元で行われたコンサート

映画『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。高知の足摺岬と愛媛の愛南町にそれぞれ一泊したあと、愛媛にある私の実家にやって来ました。私が猫好きではないことは以前にも書かせていただきましたが、実家の猫だけは特別です。実家の猫と特別な時間を持ち、好きな想いを伝えました。実家の猫はスキンシップを求めて来るので、しばらくの間、しっかりと抱き合いました。それは、これまでにない特別な時間でした。

 私の好きなアーチストが、私の実家近くでコンサートを行うというので、ゴールデンウィークを利用して、ガンモと一緒に足を運んだ。会場の駐車場にカングーを停めるために、開演の二時間ほど前に会場に向かったのだが、既に駐車場は一杯で、停めることができなかった。それでも、会場の係員の方がすぐ近くの臨時駐車場を案内してくださったので、何とかそこにカングーを停めることができた。ゴールデンウィーク中ということで、全国各地から遠征して来ている人たちが多いようだった。JR線の駅からも近い会場なので、JR線が到着すると、会場に向かってずんずん歩く人たちの姿も数多く見受けられた。おそらくみんな、この日を楽しみにやって来たのだろう。

 私はもともと、コンサートが行われた市ではなく、隣の市で生まれ育った。しかし、私が生まれ育った隣の市は、コンサートが行われた市と何年か前に吸収合併して同じ市になったのだ。それでも、人口数万人ほどしかいない市に好きなアーチストがやって来るというのは、私にとっては心躍る出来事だったのだ。

 とは言え、同時に、少々複雑な気持ちも抱えていた。というのも、私自身が既に地元を離れて兵庫県で暮らしているということもあるのだが、地元の人たちよりも、全国各地から足を運んでいる人たちのパワーに圧倒されているようにも思えたからだ。要するに、地元の人たちだけで会場をいっぱいにできない悔しさのようなものを感じたというわけなのである。ちなみに、前売チケットは既に完売されていて、当日券は販売されていなかった。その中で、一体どれくらいの人たちが地元の人たちだったのだろうと思うと、ちょっぴり不安な気持になってしまったというわけなのである。

 コンサートは、およそ十分押しで始まった。いつものことだが、彼らのコンサートは音がとてもクリアで、音に対するこだわりを感じる。

 実は、以前にもこの会場には足を運んだことがある。そのときは、好きなアーチストのメンバーの一人がラジオの公開録音のためにやって来たのだ。確か、私の生まれ育った市が吸収合併して間もなくのことだったと思う。吸収合併を記念して、ラジオの特番が組まれたと記憶している。そのとき、私の好きなアーチストのメンバーが私の出身高校に足を運んだことがわかり、興奮した。私が高校生のときに通っていた図書館のあたりにも足を運んだようだった。時代が違えば、そこで顔を合わせることができたのに、などと空想にふけったのを覚えている。

 グループとしては、初めてその市でコンサートを開催してくれたわけだが、コンサートのMCで、かつてのラジオの公開録音の話は出て来なかった。ラジオの公開録音で使ったのと同じ会館でコンサートを行っているというのに、まさか、そのときのことをすっかり忘れてしまったのだろうかと不安になってしまった。

 コンサートはきっかり三時間行われ、アレンジされた昔の曲や、新しい曲などが次々に演奏された。一階の後ろのほうの席から見ていたのだが、会場の作りが良いせいか、とても良く見えて満足だった。

 好きなアーチストのメンバーの一人が、
「もっと早く、○○市(コンサートが行われた市)に来たかった」
と言ってくれたのだが、果たして、次回はあるのだろうか。位置的には、県庁所在地である松山よりは、他県からも足を運びやすい場所にあると思う。しかし、逆に、県庁所在地に住む人たちからすれば、何故、これまでのように松山でコンサートを開催してくれないのだろうかという不満もあるかもしれない。もちろん、会場の都合もあるのだろうが、今後はどのように開催されるのだろう。個人的には、ゴールデンウィーク中に私の地元で開催されるならば、帰省しやすいのでとても有り難いのだが・・・・・・。

 さて、今回のコンサートで、久し振りの友人と再会を果たした。彼女も長年、彼らのコンサートに足を運んでいる友人の一人である。彼らのコンサートに来ると、こうした情熱に触れられるのがとても心地よい。話をすると、互いの情熱を分け合うような感じになるのがとてもうれしいのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m コンサートのあとは、ガンモと一緒に近くの温泉銭湯に入って実家に帰りました。とてもいいお湯で、ガンモが特に気に入っていました。

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2013.01.04

二〇一ニ年ライブ納め

「かろいち」の親ガニ汁無料サービスの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この冬は、寒さがとても厳しいですね。今は体温の低い周期に当たっているせいか、自転車で外を走っていて、「これはたまらん!」と思いました。仕事が始まったら、通勤が辛くなってしまいそうです。室内との温度差がありますので、外に出るときは温度差に気を付けたいものですね。

 年末に、好きなアーチストのライブに足を運んだ。南森町店のスタジオでホットヨガのレッスンを受けてから、南森町店のスタジオの近くで「ガンまる日記」を書き上げ、会場に向かったのだが、ホットヨガのレッスンを受けた直後はそれほどでもなかったというのに、どういうわけか、お腹がひどく張ってしまい、歩くのもやっとという状況に陥ってしまった。これではライブに遅刻してしまうと自分自身に言い聞かせながら、ホットヨガの重い荷物を持ったままではとても会場まで歩けないと思い、会場から近いJR線の駅のコインロッカーにホットヨガの重い荷物を預けて、一生懸命歩いた。

 コインロッカーに荷物を預けたおかげで身軽にはなったものの、元気な人たちが私をどんどん追い越して行く姿を見ていると、劣等感のようなものに襲われた。以前にも、仕事帰りにこのような状況に陥ったことがあった。生理が近くなるとお腹がひどく張ってしまい、お腹に力を入れることができず、歩きにくくなってしまうようだ。おまけに貧血も加わり、私はニ~三歩歩く度に「ハアハア」と大きな息をしていた。

 そんなこんなで何とか会場に滑り込んだのは、ほとんど開演間際だった。忙しい中、今回のチケットを手配してくださったライブ仲間のお友達へのごあいさつもそこそこに、ライブが始まった。大きな会場でのコンサートだというのに、相変わらず、彼らの生み出す音はとてもクリアだった。しかも、私は立って彼らの演奏に耳を傾けるほどの体力を持ち合わせていなかったので、ほとんど椅子に座ったままで鑑賞していたというのに、音がこもらず、とてもきれいに聴こえていたのだ。おそらく、上から吊り下げた大きなスピーカーが効いているのだろう。

 今回のライブでは、好きなアーチストの演奏する音楽を絶対音感で聞き取ってみようと試みた。曲が演奏され始めると、私は曲のキーを紙に書き留めた。明らかにキーがわかる曲もあれば、わからない曲もあった。ステージで演奏されているギターのコードを見てしまうと、曲のキーがわかってしまうので、なるべくギターのプレイには注目しないように心掛けた。まだ答え合わせはしていないのだが、普段からこういう感覚を大切にして行きたいと思う。

 前半は特に何ごともなく過ぎて行った。しかし、後半になって、ある曲が演奏され始めたとき、私の心はとてつもなく大きく揺り動かされた。というのも、何年か前に自ら命を絶ってしまったミュージシャンが作曲した曲を彼らが演奏したからだ。その美しい旋律には、いかにもその曲を作曲したミュージシャンらしさが漂っていた。私は、そのミュージシャンと親交の深かった彼らが、一体どのような気持ちでその曲を演奏しているかを想像した。特に、そのミュージシャンと最も身近な存在だったメンバーの哀しみは、計り知れないものだったろうと思う。私は、そのメンバーが精神的に一番大変なときに、何の励ましの言葉も贈ることができなかった。自分はそういう立場にないと思っていたし、私の想いを彼には直接届けられないだろうと思い込んでいたからだ。しかし、こうして何年か経ってみて、良くぞあの辛い時期を乗り越えてくれたと思う。そのメンバーを身近で支えてくれた人たちのおかげである。

 同時に、そのメンバーが近年体験したであろう別の哀しみについても、励ましたり、一緒に哀しんだりすることができなかったことを悔やんだ。ずっと以前にも書かせていただいたのだが、私自身は人生で体験した最大のピンチを、一瞬にして磁場が変わるほどそのメンバーに救ってもらっているというのに、彼のピンチを救うことができなかった自分の無力さを実感する羽目になってしまったのだ。

 コンサートの最中、私は他にもいろいろなことを想っていた。実は、数ヶ月後に、人口わずか数万人の私の生まれ故郷で彼らのライブが開催されることになっている。おそらく、彼らとしては初めての試みになるだろうと思う。できればそのライブに、実家の父や母と一緒に参加したいと思っているのだが、やはり難しいだろう。母は、今月から新しい抗がん剤が投与されることになっているのだが、彼らが私の生まれ故郷でライブを行う頃には、もはやその抗がん剤が効かなくなってしまっているかもしれない。私にはそれが怖かった。もしも母に免疫力も体力もあり、大勢の人たちの中で過ごしても体調に影響のない状態ならば、一緒にライブに参加したいと思っていたのだ。しかし、後日、母に確認してみたところ、やはり参加は難しいと言っていた。

 コンサートを終えてから、いつもライブに遠征して来ている友人にメールを送ってみた。彼女と言葉を交わすと、彼らに対して長年抱え続けて来た、私の中にある熱い想いを開放し、共有することができる。彼女もまた、今回のライブに参加していたようだった。彼女から届いたメールには、彼らのことが「好きで好きでたまらない!」と書かれてあった。私も彼女と同じ気持ちだった。ただ、私の場合は、自分の想いを共有できる人にだけ、彼らに対する熱い想いを語ることができる。おそらく、彼らのライブに参加している人たちの多くは、目に見えるところが熱いのだろう。しかし、私の場合、表面的には冷めてしまっているように見えるかもしれない。私の中では、目に見えるところが熱い人には、自分の中で隠し持っている熱さを悟られたくないという防御が働いてしまうようなのだ。

 とにかく、今回のライブでは様々な想いが頭の中を駆け巡った。その一方で、会場が冷えていたからだろうか。私はライブ鑑賞中に下半身が良く冷えて、開演から終演までの間に三~四回もトイレに走った。トイレに行き易い場所で鑑賞できたのは、とても有り難いことだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何だかいろいろなことを想ったライブ納めでありました。ライブのあと、彼らがライブで演奏して、私の心を揺さぶった曲を何度も繰り返し聞きました。YouTubeなども探ってみると、その曲を作曲したミュージシャンへの追悼の想いが綴られていました。そのミュージシャンは多くの人たちから慕われ、支持されていたはずなのに、自ら命を絶ち、亡くなってしまいました。私はそこに、求める者と与える者のギャップを感じてしまいました。むしろ、こうしたギャップが新たな作品を生み出す原動力になったりもするのですが、そうではない場合、悲劇を引き起こすこともあるのだと実感しました。私自身も、日々、求めるものがなかなか得られないというジレンマを抱え続けていますが、このジレンマに打ち勝つには、どうすればいいのでしょうね。そこにあるものに満足することは大切ですが、満足してしまえば、向上心からは遠ざかってしまうようにも思うのです。こうしたジレンマがまったくない場合、何かを生み出すエネルギーさえも失われてしまうのではないかと危惧したりもします。

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2012.11.07

青春時代に引き戻される曲

映画『ポエトリー アグネスの詩(うた)』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m あまりにも痒みがひどいので、逆流性食道炎の症状を改善するために処方していただいている六君子湯の副作用だろうかと思い始めました。お腹の膨満感も伴っているので、やはり副作用なのかもしれません。しばらく服用をやめて、様子を見てみたいと思います。

 好きなアーチストのコンサートに行った。あいにくの二階席だったが、会場に着いてみて驚いた。三階席まである大きな会場で、立ち見客が出ているのである。ということは、指定席のチケットもすべて売れてしまったということなのだろう。しかし、会場は大きいのに、一つ一つの席に割り当てられたスペースはひどく狭い。自分の席の前に、荷物を置くスペースが用意されていないのだ。仕方がないので、私は座席の上に荷物を置いた。せっかくきれいな会館なのに、もっとゆったりとした設計にして欲しかったものである。

 入場の際、
「間もなく開演となりますので、お早めにご入場ください。なお、いったん開演されますと、構成の関係上、しばらくご入場はできませんのでご了承ください」
というアナウンスが流れていた。一体どのような構成なのだろうと思っていたところ、開演とともにノンストップであれやこれやと曲の演奏が始まり、観客はずっと立ちっぱなしだった。いつもの流れからすると、そろそろ座席に座って鑑賞できる頃だろうと思いきや、
「ここで十分間の休憩に入ります」
とアナウンスが流れた。「ええっ? 宝塚を観劇してるんじゃないんだから」と私は思った。まるで幕間のような明示的な休憩の間に、よっこらしょっと立ち上がり、近隣の人たちに「すみません」と謝りながら、狭い通路を通って、トイレに行った。実は、会場に着いたのが開演ギリギリの時間だったので、トイレも行かずに着席してしまったのだ。そのため、この十分間の休憩は、とてもありがたかった。

 十分間の休憩のあとは、しっとりとした曲のオンパレードだったので、しばらく座ったままで音楽に聴き入っていた。彼らの演奏する音楽を聴きながら、私は自分がまだ若かった頃のことを思い出していた。私は、好きなアーチストのレコードを買ったり、出演しているテレビ番組をチェックすることよりも、彼らと話をしたかった。そんなふうに考えるファンは、絶対数としては少なかったのかもしれないが、のちに私は、自分と同じような考えの友人たちと出会うことができた。彼女たちとの付き合いは本当に濃いものだった。

 ある曲が演奏され始めたとき、私はその曲がリリースされた頃のことを思い出した。それとともに、私の好きなアーチストの中に、一体、私の何が残っているのか、無性に知りたくなった。彼の中に残っているかもしれない私の断片と、私の中に残っているものは、果たして一致しているのだろうか。

 その曲を聴くと、どうしても青春時代に舞い戻ってしまう。しかし、あの頃にはもう二度と戻ることはできないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 音楽には、それを聴いていた当時の自分を思い出させてくれる不思議な力がありますよね。古い曲を聴き返すときは、当時の思い出も一緒に思い出してしまうのです。

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2012.05.24

グリグリゾンの仲間

映画『アンフェア the answer』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 朝、起きたら、携帯電話にYahoo! JAPANからの防災速報メールが届いていました。一体何ごとだろうと思いながらメールを開いてみると、青森県で震度五強の地震が発生したとのことでした。該当地域にお住まいの皆さん、お怪我はありませんでしたでしょうか。日本列島はなかなか落ち着きませんね。ここ二、三年のうちに、青森県には二回ほど足を運んでいますので、距離的には遠くても、青森県は身近に感じてしまいます。現在は、揺れに敏感になっている状態だとは思いますが、大きな揺れは、どうかこの一回のみで落ち着いてくれますように。

 真空管アンプ好きのガンモは、ときどき思い付いたようにレコードを買って来る。とは言え、リビングを片付けていないので、もう何年も真空管アンプを稼動させてはいない。それでもガンモはレコードを買い続ける。

 あるとき、ガンモが買ったばかりのレコードがリビングに置かれていたので、包みを開けてみた。それは、ピンクフロイドのアニマルズだった。これは、プログレッシブロックと言われる分野のレコードで、私が購入するならまだしも、ガンモが購入する分野のレコードではない。

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 ガンモに、
アニマルズ買ったんだ。sheepが入ってるやつでしょ。ウチにCDがあるよ」
と言ってみた。プログレッシブロックの領域に片方だけ足を突っ込んだことのある私は、レコードこそ持ってはいないものの、CDなら持っていた。このアルバムもCDからmp3化して、通勤の途中に聴いていたはずだった。

 するとガンモは、
「ロンドに行ったときに見た発電所が写ってたから買った」
と言った。私自身はまったく記憶になかったのだが、調べてみると、アニマルズのジャケットに写っているのは、ロンドンのテムズ川沿いにあるバターシー発電所らしい。確かにテムズ川には何度か足を運んだが、発電所など見えていたかどうかまで覚えていない。ガンモは、
「あの発電所がピンクフロイドのアルバムのジャケットに使用されていると、ガイドブックに載ってた」
と言った。ガンモにしてみれば、ガイドブックで紹介されている建物が目の前に見えて来たので、はっきりと印象付けたのだろう。私は、CDを買っておきながら、このアルバムの持つそうした背景に関しては疎かった。

 ガンモは更に、
「これはグリグリゾンの仲間だから」
と言った。グリグリゾンというのは、キングクリムゾンのことである。何年か前に、キングクリムゾンやイエスが来日したときにガンモと一緒にコンサートに足を運んだ。そのときガンモは、キングクリムゾンのことを知らなかったので、インターネットで検索しようとしたらしい。しかし、キングクリムゾンというグループ名を思い出すことができなかったので、それに近い「グリグリゾン」を検索キーワードにして検索したと言うのだ。当然、有益な情報は得られなかったようで、
「『キングクリムゾン』がわからなかったので、『グリグリゾン』で検索してみたけど、ヒットしなかった」
と言っていた。グリグリゾンは、キングクリムゾンを思い出せないガンモが勝手に創造したバンド名なので、当然のことだろう。

 ガンモ曰く、購入したレコードは、キングクリムゾンやイエスのアルバムと同じコーナーに並べられていたという。だから、「グリグリゾンの仲間」と表現したのだ。そしてガンモは、
「えっと、こういう音楽の分野、何だっけ?」
と私に聞いて来た。私は即座に、
「プログレッシブロックでしょ」
と答えた。するとガンモは目を輝かせながら、
「そう、それそれ!」
と言った。

 普段、自分の得意とする分野に関してはひどく饒舌になるガンモだが、あまり得意でない分野に関してはこんなにも曖昧であることがかわいらしくもあり、おかしくもあった。これを機に、ガンモがキングクリムゾンやピンクフロイドのことを正確に記憶したかどうかは定かではない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモと私は、好きな音楽の分野が異なっていますね。だから、ガンモがプログレのレコードを買って来たのは驚きでしたが、そのような理由があったのですね。ガンモはバターシー発電所の写真をちゃんと撮影しているそうです。私も、過去の写真を洗い出してみると、このジャケットに写っている写真が出て来るかもしれません。(笑)

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