2012.05.28

グループに属さない人間関係

ホットヨガ(二九二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そろそろ寝ようと思い、ベッドに横になったところ、激しい雨とともに雷が鳴り始めました。その直前に、Yahoo! JAPAN 防災速報からの豪雨注意報のメールが次々に届いていました。私はほてりがあるので、寝室の窓を開けて扇風機をぶんぶん回しながら寝ているのですが、雷が鳴り始めたので、慌てて窓を閉めました。そして、首に着けている肩凝り防止用のヘマタイトのネックレスも外しました。最近、落雷により感電されている方が多いですよね。窓際に寝ていて、肩凝り防止用のヘマタイトのネックレスに落雷したなんてことになれば恥ずかしいと思った次第です。

 ホットヨガのレッスンのあと、職場の食堂でときどき一緒にご飯を食べている派遣仲間と待ち合わせをして飲みに行った。食堂で話をすることもできるのだが、昼休みという限られた時間内であることや、場所が職場の食堂であるだけに、なかなか深い話もできないということで、休日に時間を作って会うことになったのである。

 ふらりと入ったのは、中華料理のお店だった。適当に料理やアルコールを注文して飲み食いしているうちに、次第に話に花が咲いた。

 以前から強く感じていたことだが、派遣仲間も私も、人と深く繋がりたい欲求が人一倍強いようだ。二人とも、まったく異なるタイプなのだが、人と深く繋がりたい気持ちだけは近いものがあるようで、やはり職場で築かれる人間関係は希薄になりやすいという話をした。

 「食堂で一人でご飯を食べているときに、他の人たちが話してる内容にさりげなく耳を傾けてみるんだけど、話の合いそうな人がなかなかいないんだよねえ」
と私がぼやくと、派遣仲間もうなずいていた。同じ職場で働く女性チームも食堂を利用しているのだが、彼女たちと私は話の方向性がまったく異なっているので、そのグループには混ざらずに、私は一人でご飯を食べている。以前から何度も書いているように、私は女性同士のグループで最大公約数的な当たり障りのない話をするのが苦手なのだ。

 派遣仲間と、
「コミュニケーションの基本は、やっぱり一対一だよね」
という話もした。一対一のコミュニケーションであれば、喧嘩もできるが、グループに属してしまえば、特定の人と特別親しくすることもできず、また、喧嘩もできない。逆に、喧嘩もできないから、それ以上、親しくなることもできない。

 そんな話をしながら、何故、グループに属して一対多の交流を楽しむことができる人と、そうでない人がいるのかという話になった。私は、グループに属さずに一対一の密な関係をひとたび築いてしまえば、その心地良さに酔いしれて、グループ交流では物足りなくなってしまうのではないかと思っていたのだ。すると派遣仲間は、
「ひょっとすると、グループに属している人たちであっても、仕事以外で一対一の密な関係を築いているかもしれないよ」
と言った。確かにそうかもしれないが、一度でも深い交流を体験した人は、当たり障りのない話には満足できなくなるのではないかというのが私の持論である。

 そんな話をしているうちに、気が付いたら二十三時半を回っていた。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまう。コンタクトレンズ使用とエストロゲン不足のために水分を失った私の目はもうしょぼしょぼである。電車の時間もあったので、慌てて帰宅することになった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、書きたい話が他にもあるのですが、ここに書いても良いという許可をもらっていないので、この辺でやめておきますね。(苦笑)

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2012.04.13

つかず離れず

ファースト・イレッサ(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 北朝鮮の発射したミサイルは、発射直後に爆発し、打ち上げは失敗に終わったそうですね。ひとまずほっとしましたが、この失敗を埋め合わせるために次なる行動に出られるのが怖いような気がします。今後も警戒が必要でしょうね。

 ここのところ、お昼ごはんを勤務先の食堂で食べているという記事を書いて来た。人と深い話をするのが好きな私は、食堂内で繰り広げられている当たり障りのない会話にこっそり耳を傾けながらも、私と話が合う人など、この食堂にはほとんどいないのではないかと日々嘆いていた。同じ職場で働いている人たちも、いくつかのグループに分かれて食堂を利用しているものの、私はその人たちと話が合うわけでもないので、いつも一人で食べている。そのほうが気楽なのだ。複数の人たちが集まり、グループを形成すれば、会話は深くならず、当たり障りのない話ばかり展開されてしまいがちである。私はそうした状況の中に自分を置くのがひどく苦手なのである。

 そんな価値観を持っているというのに、少し前から、ある派遣仲間とときどき食堂で落ち合い、お昼ご飯を一緒に食べるようになった。その派遣仲間とは、好敵手の記事に書いた派遣仲間である。彼女は、かつては私と同じ職場で働いていたのだが、今は同じビルの別の階にある別会社で働いているのだ。そんな彼女とは、これまで、仕事帰りにしばしば外でご飯を食べに出掛けていたのだが、平日の夜はお互いの予定がなかなか合わないことから、それならばお昼休みに食堂で少しずつ話をしようということになったのだ。

 会話の中で、
「女性同士って、気を遣うから苦手なんだよね」
と彼女が言った。私もそれにはまったくの同感だった。
「そうそう、女性同士って、妙に気を遣い過ぎるんだよね。がさつにできないというか。むしろ、相手が男性のほうが気を遣わなくて済むから楽なんだよね」
と私が言うと、彼女もそれに同意してくれた。

 彼女は最近、職場で仲良くなった男性たちと、しばしば食堂で一緒にご飯を食べているようだ。私も、彼女が食堂で誰かと一緒にご飯を食べているところ何度か見掛けたことがある。そんなときは、お互い顔を合わせて、軽くあいさつを交わしている。

 女性同士が何故、気を遣うかというと、依存の関係に陥り易いからではないかと思う。一人で行動できない女性は、自分が一人でいたくないがために、自分と一緒に行動してくれる誰かを求める。しかし、一人で行動できる女性は、相手に依存されているのがわかると、その依存関係から抜け出しにくい。

 例えば、私が一人では行動できないタイプの女性だったとしよう。そんな私が、ときどき一緒にお昼ご飯を食べている彼女が別の人たちと一緒にお昼ご飯を食べているところに出くわせば、何となく気まずい雰囲気になってしまうのではないだろうか。そのとき、彼女は私に対して気を遣わなければならないはずである。そういうところが「女性同士は気を遣う」という感覚に繋がるのだと思う。幸い、私は一人で行動できるタイプなので、彼女に依存してはいない。だから、くっつくときはくっつくが、距離を置くべきときは距離を置くことを心得ている。女性同士は、確かにそうした絶妙な距離感を保つのが難しい。

 相手を利用するのではなく、相手の自由意思を尊重し、つかず離れずといった関係が、彼女と私の間には成り立っているのだと思う。そして、こうしたコミュニケーションは、女性同士よりもむしろ異性同士のほうが成立し易いように思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今の職場は、グループを作っている女性たちもいますが、それ以外の女性たちはみんな自立していて、一人で行動できる人たちです。だから、お昼休みに食堂を利用しない女性たちは、自分の席で一人でお昼ご飯を食べていますね。私としては、そういうところがとてもやりやすい職場でもあります。逆に、話が合う合わないに関わらず、単に同じ女性というだけで会議室に集まって、ワイワイガヤガヤお昼ご飯を食べるような職場は、私には大きなストレスに感じられると思います。(苦笑)

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2012.04.07

「何ができよんな」

県会議員を後ろから睨み付けるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ガンモの仕事が休みだったので、お花見に行こうかという話が持ち上がったのですが、ホットヨガのレッスンをキャンセルしなければならず、見送ることにしました。もう少し早く決断できていれば、キャンセル料の掛からない時間帯にキャンセルできたのに、残念なことをしました。

 ガンモの伯母の葬儀のときに、ガンモ一族の中で最も活発に動き回っている伯母と話をした。その伯母は、もう八十歳近いというのにとにかく多趣味で、今でも現役で自ら自家用車を運転し、図書館で本を借りて読んでは新しいことを吸収している。また、踊りを習い、老人ホームなどを訪問しては踊りを披露したり、お料理教室にも通っている。それでけではない。皇居などにも出向いて奉仕で掃除をしたり、全国あちらこちらの観音様をお参りしたりもしている。ガンモの従姉である娘さん曰く、伯母が自分の予定を書き込んでいるカレンダーは、予定でびっしり埋まっているのだそうだ。そんな活発な伯母からは、親戚の集まりで顔を合わせる度に、いろいろな話を聞かせてもらっている。

 どうしてそんなに元気でいられるのかと伯母に尋ねてみたところ、やはりそれなりに健康のことにも気遣っているそうだ。例えば整体に通ったり、外から帰ったときはうがいや手洗いを欠かさないという。整体に通っていても、単に受身ではなく、整体師さんから身体の原理を学ぼうとしている。また、自分の身体に合うサプリメントに出会うことができたので、毎日それを欠かさず飲んでいるのだそうだ。そして、お風呂に入っても、身体をマッサージしているうちに身体もほっこり温まるという。

 私はそんな伯母に、
「それだけいろいろなことをしていると、周りの人たちと価値観が合わなかったりしませんか?」
と尋ねてみた。私は、活発な伯母を自分自身と重ねてみたかったのかもしれない。すると伯母は、
「合わないんじゃないん(合わないんじゃないの)。自分が合わすん(自分が合わせるの)。だから、誰が隣に座っても怖くない」
と言った。これには目から鱗だった。伯母は、
「隣に誰が座っても、『何ができよんな(讃岐弁で、最近、どう?)』で会話を始めれば、どんな会話もそこから始まる」
と言った。いやはや、恐れ入った。伯母は、いろいろなことを吸収した結果、閉鎖的になるのではなく、自分が吸収したことを他の人たちとのコミュニケーションに活かしているのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分がいろいろな世界を持ち過ぎて、他の人たちと話が合わないと嘆くのではなく、自ら吸収したことを他の人たちとのコミュニケーションの扉に変えて、しっかりと活用しているのですね。とにかく驚きました。伯母と話をしていると、「活性化」というキーワードが浮かびました。きっと伯母の中では、ありとあらゆる面において、「活性化」が実現されているのだと思います。

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2012.04.01

相手を活かすコミュニケーション

ホットヨガ(二八八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 福島県沖で、また震度五弱の地震があったそうですね。該当地域にお住まいの皆さん、お怪我はありませんでしたでしょうか。地震の速報を携帯電話などで得ることができるのはとても有り難いのですが、やはり心臓には良くないですよね。実際に揺れを体験されている方たちは、もっと怖かっただろうと思います。この先、地震を正確に予知することができて、私たちもそれに備えることができるようになるといいですね。

 先日、開催された送別会に参加したときに感じたことを書いてみたいと思う。

 今回の送別会で送別の対象となったのは、私と仲の良かった二人の派遣仲間と海外から研修に来ていた二人、それから外注さんの二人だった。

 私自身もそうだが、仲の良かった派遣仲間の一人は、今の職場で自分自身を表現することがとても難しかった。その派遣仲間は、次の仕事も決まっているので、今は新しい職場への希望に満ちていることと思う。

 これで最後だと思ったからなのか、それとも、お酒が入っていたからなのか、その派遣仲間は送別会の席で、ほんの一部ではあるものの、自分自身を表現することができた。その派遣仲間と一緒に仕事をしていた別の派遣仲間が、その派遣仲間が自分自身を表現している姿を見て、
「まるで別人みたい」
と驚いていたそうだ。おそらく、自分自身を表現することができた派遣仲間は、送別されるもう一人の派遣仲間や私が近くに座っていたため、リラックスして、自分自身を表現することができたのではないかと思う。

 実は、こうしたことは、私自身もしばしば経験している。これは、コミュニケーションがいつも相対的に成り立っているためで、自分が表現したいことを誰かが引き出してくれなければ、持っている輝きが失われてしまうのである。しかし、相手の中にあるものを引き出すと言っても、相手が自分とあまりにも違い過ぎる場合は、それも難しい。言い換えると、それが相性と言われているものだと思う。「あの人は苦手だ」と感じている人がいるとしよう。何故、その人のことが苦手なのか、突き詰めて考えてみると、自分の持っているものをうまく引き出してくれる相手ではないからではないだろうか。

 そのような場合、コミュニケーションが一方通行になってしまっている可能性がある。誰かと会話をするにしても、相槌を打ちながら自分の知っていることを話すのではなく、相手の中にあるものをどんどん引き出すような会話が望ましい。そうでなければ、話し手にとって、話の途中で話の腰が折られてしまうばかりか、話し手の意図しなかった方向へと話が流れて行ってしまう。また、このような場合、聞き手の中に残るのは、「新たな価値観に触れた」という達成感ではなく、「既に自分の中にあったものを再確認した」という満足感だけである。

 今回の送別会では、驚いたことがもう一つあった。それは、海外から研修に来ていた二人が、自分の連絡先を知らせるのに、自分のメールアドレスではなく、facebookのアカウントを知らせていたことだ。私は、facebookのアカウントを持っていないので良くわからないのだが、facebookのアカウントを知らせるということは、個別のコミュニケーションよりも、一対多のコミュニケーションを望んでいるということなのだろう。時代は変わったものである。しかし、そうした手段もまた、自分が本当はどのような人間であるかを周りに示すための効率的な手段なのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分にとって心地良い相手であるかどうかは、自分の軸になっているものをその相手に見せることができるかどうかにかかっているような気がしています。その相手と、自分の主となる軸から外れたコミュニケーションしか成り立たっていない場合は、居心地が悪くなるんですよね。

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2012.01.31

まるみ流メール整理術

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 病み上がりでしたので、オフィスでは半袖Tシャツの上に半袖のカーディガンを羽織って仕事をしました。最初はそれでちょうど良かったのですが、そのうち暑くなり、いつものように半袖Tシャツに戻りました。寒気を感じなかったということは、元気になったと思って良いのでしょうね。

 今やメールは私たちにとって欠かせないコミュニケーションツールとなっている。ビジネスでもメールを活用している人たちならば、すべてのメールを一つの受信箱(あるいはInBox)に貯め込んでしまわずに、メールソフト内にいくつものフォルダを作成して、それぞれのフォルダにFromアドレスごとのメールを振り分けている人も少なくないだろう。かくいう私もそうである。

私が愛用しているメールソフトの画面。Fromアドレスごとに振り分けている

 メールの受信と同時にメールの振り分け機能が働くので、届いたメールは直ちにしかるべきフォルダへと振り分けられる。例えば、ガンモからメールが届いた場合は、「ガンモ」フォルダへと直ちに振り分けられるようになっているのだ。未読の状況も、振り分けられたフォルダ単位に管理できるので、大切なメールが他の未読メールに埋もれてしまうようなことはない。

 私の場合、このフォルダ振り分け機能を更に発展させて、自分自身が発信または返信したToアドレスのメールも振り分けの条件に加え、Fromアドレスで振り分けているのと同じフォルダに振り分けできるように設定している。例えば、ガンモにメールを発信または返信した場合、私の発信または返信したメールが「ガンモ」フォルダに振り分けられるように設定しているのだ。そうすることで、メールをスレッド表示させて管理できるようになる。

自分が発信したメールもフォルダごとに振り分けておき、フォルダ内のメールはスレッド表示させておく

 スレッド表示とは、掲示板などでは良く利用される表現だが、関連性のある話題が繋がって見える表示方法である。掲示板でもメールでもそうだが、新規発言ではなく、返信という形で書き込まれたものに対して、次々にスレッドがぶら下がるようになっている。

 スレッド表示にすると何がいいかというと、特にビジネスにおいては、話の流れを把握できるということである。もちろん、プライベートで交わすメールにおいても、このスレッドがいつまでも繋がり続けている場合、互いにメールを返信し合っているということなので、コミュニケーションにおける相性がいいことになる。日常会話と同じように、コミュニケーションの相性が良くなければ、メールのスレッドも途切れがちだったり、何かイベントがあるときにだけ限定してメールを交わすことになったりする。

 私が思うに、ここ最近のコミュニケーションは、自分からの発信はできているものの、相手が発信したことに対してちゃんと返信できていないように思う。相手から届いた返信内容が心地好くなければスレッドは途切れる。届いたメールや、こちらが発信または返信したメールの流れをスレッド表示にしてみるだけでも、その人との関わりが見えて来るのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m メールベースではなく、電話や実際に会うという方法で人と関わっている場合は、スレッドは繋がりませんね。その場合、メールで交わす内容も、ひどく簡単なものになっているかもしれませんが、決して相性が良くないというわけではありませんね。(苦笑)

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2012.01.25

いいところを褒められる

映画『ヒミズ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画『ヒミズ』に平田満さんが出演されていると書いてしまいましたが、すみません、光石研さんの間違いでした。(苦笑)また、いつも画像を引き込んでいるガンまるコムサーバがしばらくダウンしてしまっていたため、作品の画像を表示できていなかったようです。アクセスしてくださった皆さんにはご迷惑をお掛けてしまい、申し訳ありませんでした。

 職場でちょっと面白いセミナーに参加した。内容については、詳細を書くことはできないのだが、講師の方が参加者の前で説明をするとともに、参加者にも実践の機会が与えられた。

 それは、数人のグループになって、グループのメンバーの良いところを他のメンバーが褒めるというものだった。他のメンバーから語られた内容によれば、私は話し易いらしい。普段、他の人たちとはあまりコミュニケーションを取っていない人からそう言われたので、余計にうれしくもあった。また、職場改善の提案がとても的確であるとも言われた。私は普段から、派遣社員であるという立場をあまり意識することなく、職場に対して、こうしたほうがいいのではないかという意見をできるだけ主張するようにしているのだが、そうした姿勢を前向きにとらえてくださっていたようだった。

 私のことだけでなく、同じグループの他のメンバーの良いところも次々に褒めた。私自身は、同じグループの他のメンバーとそれなりに話をしたことがあったのだが、同じグループの他のメンバーの中には、互いにあまり話をしたことのない人たちも含まれていた。それでも、あまり話をしたことのない人たちのことを、話をしたことがないなりにも普段から良く観察し、的確な言葉で褒めていたのには驚いた。「黙っていても、見ている人は見ているのだな」と、気が引き締まる思いがした。

 セミナー自体は、現実の会社生活からは少しかけ離れてしまっている部分もあったのだが、グループでのこうした実践が新たな扉を開いてくれたことは確かだろう。ただ、講師の提案通りに実践することで、ある程度、「本音ではない、作られたコミュニケーション」が形成されがちであることは否めなかった。講師が示してくれたのは、あくまでコミュニケーションのきっかけでしかなく、コミュニケーションの密度を自分の納得の行くレベルまで引き上げて行くのは自分次第なのだと思った。

 好景気の頃は、企業もこうしたセミナーに社員らを参加させることに積極的だった。そのため、あちらこちらでいろいろなセミナーが開催されてもいた。しかし、ここのところの不況で、企業もセミナー参加に対して自粛する動きが出て来た。それだけに、セミナーの内容が以前よりも濃いものになって来ているのかもしれない。たまにはこういうセミナーに参加して、新しい息吹を感じてみるのもいいかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初は、自分のことが褒められると聞いて、何だか怖いような気もしていたのですが、実際にグループの方たちの言葉に耳を傾けてみると、うれしい気持ちもありましたが、少し恥ずかしい気持ちのほうが大きかったように思いました。それでも、私にとっては、なかなか有意義なセミナーでした。講師には人を強く惹き付ける魅力がありましたので、自分自身が人前で話をするときの参考にもなりました。

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2012.01.20

どんな会話でもいいわけじゃない(後編)

どんな会話でもいいわけじゃない(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かなりの円高ですね。何と、ユーロが百円を切っています。二、三年前にガンモと一緒にヨーロッパを旅行したときは、一ユーロ百六十円台だったと記憶しています。しかも、今はポンドが百二十円弱ではないですか。私たちがロンドンを訪れたときは、一ポンド二百五十円程度でした。当時は、懐と相談しながらチップを用意していたような気がします。逆に今は、日本にいる外国人の方たちが、当時の私たちと同じような想いを抱えていらっしゃうのでしょうね。こういうときは、円を使って、海外通販を利用するに限ります。

 仕事帰りに、どんな会話でもいいわけじゃないの記事に書いた派遣仲間と一緒になった。私は彼女に、先日、気遣いのメールを送ってくれたことに対し、お礼を述べた。彼女の中には、警備員さんと私の間に入って、私ができるだけ早く帰宅できるように応援したいという気持ちがあったらしい。しかし、警備員さんがとても良くしゃべるので、間に割って入れなかったそうだ。

 彼女とは、仕事帰りに地下鉄の中でしばしば話をしている。彼女の中には、スピリチュアルな考え方がベースにあるので、私が心の中で思っている本心を口にし易い。

 そんな彼女は、人の誕生日や血液型を覚えることに興味がないため、一度聞いてもすぐに忘れてしまうのだそうだ。一方、私はというと、人の誕生日や血液型はすぐに覚えてしまうし、名前や顔を覚えるのも速い。また、時には誰がどこの大学出身で、専攻は何かということまで覚えていたりする。それは、私が普段から、それらの情報にアンテナを立てることによって、人とのコミュニケーションの材料に使用しているためでもある。

 彼女は、そんな私に対し、コミュニケーションの取り組み方が真剣だと言ってくれたのだが、私自身は人とのコミュニケーションにあまり満足していないと答えた。警備員さんとのとりとめのない会話ももちろんそうなのだが、特に携帯電話が普及してからは、端末に自分の名前が表示されるために、メールでも自分の名前を名乗らなかったり、相手の名前を呼び掛けなかったり、相手の言葉を引用せずに自分の言葉ばかりで返事が書かれるので、コミュニケーションを取っている気がしないと答えた。

 「ガンまる日記」にも何度も書いて来たことだが、私は文字によるコミュニケーションにおいては、こちらが発信した内容を着実に引用しながら交流を進めて行きたいという想いが強い。少なくとも、私が十数年前にパソコン通信を始めた頃には、そうした交流が実現されていたのだが、携帯電話やインターネットが普及してからは、コミュニケーションの形態が簡略化されてしまった。しかし、これらの方法では、自分の発信した内容に対し、相手がイエスの感情を持っているのかノーの感情を持っているのか、とてもわかりにくいのだ。場合によっては、お互いに自分の発信したいことだけを伝え合い、相手からの問い掛けには答えないという状況が発生する。私は、そんなコミュニケーションがひどく嫌なのだと主張した。

 すると彼女は、コミュニケーションに関してそれほど熱心に取り組めるのは素晴らしいと言ってくれた。しかし、私としては、それらの方法をただ一方的に望んでいるだけで、実践できていないのだから、常に自分だけの願望が空回りしているようにも思えた。

 ところで、彼女が人の誕生日を覚えないことについて、彼女なりの体験談に耳を傾けてみると、どうやら彼女は子供の頃から自分の誕生日をほとんどお祝いしてもらっていないようだった。彼女の生まれ育った環境で、家族の誕生日が連続していたため、あまりにもお祝い続きになることを避けたかったからなのか、彼女の誕生日はしばしばスキップされてしまったそうだ。

 それを聞いたとき、彼女は他の人の誕生日に無頓着なのではなく、自分自身が子供の頃にあまり誕生日をお祝いしてもらえなかったことで、人の誕生日に対して無関心でいるという方法でもって、彼女自身ができるだけ傷付かないように自分自身を守って来たのではないかと私は言った。彼女はしばらく考えて、「なるほど! そうかもしれない」とうなずいた。

 他にも、いろいろな話をしながら、一つ一つ、彼女の深層心理を解き明かして行った。不思議なことに、他の人に対しては遠慮してしまうような内容のことであっても、スピリチュアルベースの考え方をする彼女の前では、私自身もスピリチュアルな回路を開くことができた。

 そんな会話を重ねながら、私は彼女とのコミュニケーションに満足している自分に気が付いていた。普段から私が望んでいるのは、この手の会話だとはっきりと実感した。そして、おそらく、どんな会話でもいいわけじゃない(前編)に書いたようなことで悩まないようにするためには、私自身が普段からどのような会話に満足しているかを、周りに対してもっと主張して行く必要があるのではないかと感じたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 仕事帰りの地下鉄の中で、思わず盛り上がってしまいました。(苦笑)きっと、周りの人たちからすると、何の話をしているのだろうと不思議に思っていただろうと思います。こうした交流を通じて自分の中にあるものを表現することはとても大切なことだと思います。私たちは、相手の鏡の中に写し出される自分についても、常に理想を持っているのでしょうね。

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2012.01.19

どんな会話でもいいわけじゃない(前編)

映画『デビル』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 阪神高速で「大きな豚が歩いている」という通報があり、大阪府警高速隊らが駆けつけてみると、確かに道路上で豚が歩き回っていたそうです。また、神戸市内の有料道路でも豚が見付かったそうで、どうやら二頭とも、三重県から香川県に運ばれる途中で逃げ出してしまった豚だったようです。これは驚きのニュースですね。逃げ出したのが龍だったら、新春らしいニュースになったと思いますね。(苦笑)

 最近は、事情があって、仕事を終えると直ちに勤務先の最寄駅まで向かい、地下鉄に乗っている。できるだけ早い時間の地下鉄に乗って移動してしまいたいため、職場を去るときに顔見知りの警備員さんが話し掛けて来ないだろうかとびくびくしながら、警備員さんの立っている場所を通過している。というのも、私は警備員さんたちと立ち話をすることが多いからだ。とは言え、その内容はいつもとりとめのないもので、私の荷物がいつもよりも少ないとか、冬なのに半袖でいるとか、そんな内容のことばかりである。

 私が勤務しているビルでは、八百人以上の人たちが働いているのだが、警備員さんと話をする人たちはそれほど多くはないようだ。ただ、私は目立つのか、いつの間にか警備員さんたちと話をするようになっていた。そんな姿が同じ職場の人たちにもしばしば目撃されている。

 あるとき、私はいそいそと出口に向かって歩きながら、顔見知りの警備員さんに軽く挨拶して立ち去ろうとしたところ、声を掛けられた。その内容は、やはりとりとめのないものだった。私は、できるだけ早く電車に乗りたかったのだが、立ち止まって警備員さんと話をした。ちょうどそこへ、私が早く帰りたがっている事情を知っている派遣仲間がやって来て、通り過ぎて行った。彼女は、警備員さんと顔見知りではないので、私が警備員さんと話をしている姿を見守りながら、先を歩いて行ったのだ。

 そして、警備員さんとの話が終わり、地下鉄に乗って帰宅していると、さきほどの派遣仲間から私の携帯電話にメールが届いた。その内容は、「早く帰りたい事情を知っているにもかかわらず、警備員さんとの話に加わることができなくてごめんなさい」というものだった。彼女はわざわざ私の状況を気遣って、そんなメールをよこしてくれたのである。

 私はうれしかったので、「実は、警備員さんとは良く話をするのだけれど、内容はひどくとりとめのないことばかりで、いつも彼らの前で自分自身を表現できてないんだよね」とこぼした。

 しかし、これまでのことを振り返ってみると、相手が警備員さんであろうとなかろうと、私は多くの人たちとの会話に満足していないことがわかった。「ガンまる日記」にも何度も書いているように、私には確実に触れてほしい領域がある。しかし、ほとんどの人たちはそこを素通りしてしまうのだ。

 素通りせずに、ちゃんと触れてくれる人とは、ふわふわとした会話が成り立ち、とても心地好い。会話をすることで、私自身がどんどん引き出されて行くような感じである。お互いの会話が絡み合い、いつまでも心に残るのだ。私としては、どんなときもそのような会話を目指しているつもりなのだが、どういうわけか、誰かと会話を始めると、自分の理想とはかけ離れてしまうのである。

 他の人たちに比べると隙があるのか、私は話し掛けやすいのかもしれない。そうであれば、誰からも話し掛け辛いほどに、もっと気むずかしく生きたほうがいいのだろうか。それとも、会話が絡み合うように、こちらからねっとりとした話題を提供したほうがいいのだろうか。会話の量ではなく、質を重視したいと願うこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思わず、日頃の悩みを綴ってしまいました。皆さんは、いろいろな人たちと取り交わされる会話に満足していますか? 私はしていません。だから、他の人から見る私と、自分で思う自分との間に大きなギャップがあるように感じますね。今年はこのギャップを何とかして埋めたいと思っています。

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2011.12.28

受け身になる

映画『テンペスト』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さんはもう、今年の仕事納めをされましたでしょうか? 私は今日、ちょうど切りも良く仕事納めできました。いつも、職場の飲み会には参加できないことが多いので、納会には最後まで残っていろいろ話をしました。

 直径十二センチの彼女のことを覚えてくださっているだろうか。かつて私と同じ職場で働いていた派遣仲間で、筋腫の大きさが直径十二センチと診断されたスピリチュアルな彼女である。とは言え、彼女の実際の筋腫の大きさは、直径十二センチではなかったのだが・・・・・・。

 その彼女から、突然、今日、会えないかと私の携帯電話宛にメールが届いた。彼女は私の住んでいる市内で用があるとかで、その用が終わったあとに会えないかと誘ってくれたのだ。

 まだ仕事納めをしていない平日のことだったので、私は、
「○時頃なら、仕事を終えて自宅の最寄駅まで移動してると思うけど、最寄駅に着いてからは電話を掛けるところがあるので、そのあとであればOKだよ」
と返信した。私は、あることをきっかけに、毎日欠かさず電話を掛けている。もちろん、夏休みに思い切ってオーストラリアに出掛けたときも、例外ではなかった。

 彼女は、私が既に仕事納めをして年末年始の休みに入っているものと思い込み、連絡をして来てくれたらしい。そのため、私が指定した時刻が夕方だったので、かえって驚いたようだ。その後、彼女の予定が変更になったりもしたのだが、結局のところ、ほぼ最初に予定した通りの時間に私の自宅の最寄駅で彼女と会うことができた。

 彼女と会うのは、今年の一月以来のことである。久し振りに会った彼女は、とても彼女らしくキラキラと輝いていた。いろいろなストレスを抱えてはいるものの、それらが彼女の中で停滞したりせずに、ちゃんと外に出ているのが良くわかった。

 彼女は、私の肌が以前にも増してツルツルだと言ってくれた。有り難いことに、職場でも、出先でも、そのように言ってくださる方が何人かいらっしゃるのだが、私は自分ではあまり実感していなかった。しかし、普段からお世辞など言わない彼女が何度も誉めてくれるので、私もちょっといい気分になった。私は普段から、顔を洗うときも普通の石鹸かボディーソープを使い、洗顔後は化粧水も乳液も付けていない。それでも私の肌を気に入ってくださる方がいるとするならば、やはり顔に化学物質を塗っていないからだと断言することができるだろう。

 彼女と一緒に入ったお店は、私の自宅の最寄駅ではやや有名なレストランだった。私も以前から気にはなっていたのだが、私がいつも利用している最寄駅の出口とは反対側にお店があることもあり、これまで一度も足を運んだことがなかった。一方、彼女のほうも、このお店の存在は以前から知っていたようなのだが、やはり一度も利用したことがなかったようだ。

 店内はとても静かで、圧倒的に女性客に人気のあるお店だった。カップルの利用客が一組もいないというのも珍しい。私たちはディナーのために用意されたスパゲティのセットを注文して食べた。さすが、人気のあるお店だけあって、とてもおいしかった。

 そもそも、彼女が私の住んでいる市内を訪れた目的は、彼女があることで受け身になるためだった。これまでにも彼女は、何度もその手のことで受け身になって来た。彼女が受け身になって実践しているのはスピリチュアルなことなので、私も決して興味が持てないわけではないのだが、どうも私はその手のことをもっと能動的に実践したがっているようだ。すなわち、あまり人の力を借りたりはしない。彼女の行動を観察した結果、私自身はなかなか受け身になれないという弱点を見出したわけである。

 平日の夜で翌日も仕事だというのに、彼女とは二十一時半頃まで話し込んでいた。休日前であれば、時間を気にすることなくもっともっと話ができたのだが、翌日も仕事があるので早めに切り上げることにした。普段は、平日の夜で翌日も仕事がある日は大人しくしているのだが、急な展開を受け入れてみて良かったと思った。これまで私は、受け身になるのは苦手だと思っていたが、今回のことで、気後れせずに状況を受け入れてみることで、こうして楽しい時間を過ごせることもわかったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ここのところ、本気の感情を探し続けていたので、彼女との話が表面的なもので終わってしまわなくて良かったと思いました。私にはやはり、複数の人たちと同時に話をするよりも、一対一で話をするほうが心地がいいですね。

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2011.09.22

平日のランチ

ホットヨガ(二五四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m すっかり秋らしくなりましたね。つい先日までのあれほど暑かった夏が、早くも幻のようです。それでも、昔は九月半ば頃には確実に涼しかったと思うのですが、残暑がずいぶん長引くようになって来た気もします。何はともあれ、季節の変わり目は体調を崩しやすい時期なので、皆さんもどうか体調管理には充分お気を付けくださいね。

 シルバーウィークの後半の一日前は、ガンモと二人でちょっとした旅に出掛けるために休暇を取った。平日だったので、いつもは値段が少々割高のために敬遠してしまう自宅近くのレストランに足を運び、そのレストランとしては比較的割安な平日限定のランチを注文した。ランチというと、たいていどこのレストランでも、ドリンク付きで千円以内には収まると思うのだが、そのレストランはもともと割高なので、千五百円払ってもランチにドリンクは付かなかった。

 普段から外食をする機会が少なければ、たまの外食ぐらいはちょっぴり奮発してみようかという気持ちにもなれるのだが、普段から外食の多い私たちにしてみれば、やはり比較的割安なランチと言えどもドリンクの付かない千五百円のランチは割高に感じられる。とは言え、それだけにとても上品で、味も確かにおいしいのだ。

 そんな、私たちにとってはちょっぴり敷居の高いレストランで平日限定の比較的割安なランチを食べながら、私たちはそのレストランを利用している人たちの人間ウォッチングを始めた。

 平日の昼間ということで、やはり圧倒的に多かったのは、主婦の方たちである。私たちのテーブルのすぐ近くには、小さな子供さん連れの主婦の方たちが三人集まって食事をしていた。彼女たちが食べていたのは、平日限定の比較的割安なランチではなく、通常のメニューだったように思う。私は、この割高なレストランに子供さん連れでやって来た上に、平日限定の比較的割安なランチではなく、通常メニューの食事ができる彼女たちの懐の暖かさに驚いた。おそらくこれが日常ではないにしても、少なくともここに来る回数は、私たちよりもずっと多いはずである。

 私は、その光景を眺めながら、いろいろなことを想像した。例えば、映画『阪急電車 片道15分の奇跡』のように、本当は気が進まないのにちょっぴり無理をして、仲間たちとの食事に付き合っている人も中にはいるのではないかとも思えた。というのも、もしもこの方たちの結び付きが、私の予想に反して互いに強固なものならば、もっと食事中に視線を送り合ったり、時には心の底から笑い合えるような会話が飛び交うのではないかと思ったからだ。しかし、私には何となく、その雰囲気から、三人がまだまだお互いの中に遠慮のある関係のように思えてしまったのである。そう言えば、主婦向けの漫画などには、「ママ友」の付き合いに関する悩みを扱った作品が掲載されているが、ひょっとすると、このどこか他人行儀な三人組のママ友さんたちも、互いの心の中まではさらけ出していないのかもしれないと思った。

 また、少し離れたテーブルでは、いかにも上品そうなご年配のご婦人二人が食事をしていた。おそらく、私の母とほぼ同世代ではないだろうか。しかし、田舎に住む母には外食の習慣はなく、何でも自分で作ってしまう。そのご年配のご婦人たちは、母とほぼ同じ世代だというのに、その上品な雰囲気からも、母とはまったく違う人生を送っているように見えた。同様に、さきほどのママ友さんたちもまた、私とはまったく違う人生を送っているように思えた。人は、過ごす時間と空間が違えば、まったく違う人生を送ることになり、同時に、互いの人生を交差させることも難しいのかもしれない。

 そうこうしているうちに、今度はスポーツウェアを着た数名の女性たちが私たちのすぐ近くのテーブルにやって来た。近くにスポーツセンターがあるので、そこでテニスをした帰りらしい。平日にテニスを楽しむだけでも優雅に感じられるというのに、テニスが終わったあとに、比較的割高なレストランでみんなで昼食をとるというのもまた優雅に感じられる。

 身を粉にするほどではないにしても、私たちの平日と言えば、たいていはオフィスにこもって仕事をしている。そんな私たちと、この比較的割高なレストランで優雅な時間を過ごしている人たちの接点は、ほぼ皆無と言ってもいいだろう。

 私は、もしも平日が自由になる身であれば、果たしてどんな時間を過ごすだろうと考えてみた。やはり私は、大勢の人たちの中に属すことは好まないだろう。私自身の中から、最も私自身に近い部分を際限なく引き出してくれるような、私自身を埋もれさせないでいてくれる人と濃い時間を過ごしたいと強く望むのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 時間と空間を共有することで、初めて接点が生まれるのですね。今回、レストランでお会いした方たちとは、普段はほとんど接点がありません。だから、自分がいきなり、普段とはまったく異なる空間に迷い混んだような気がして、何となく場違いな気がしていました。ということは、これまで私は私なりに、居心地のいい空間にちゃんと配置されていたのかもしれません。更に、気づいたことがあります。それは、「子供を産まなかった私には、ママ友がいない」 ということでした。(苦笑)いや、決して負け惜しみのつもりはありませんが、あたかも子供の存在に救われているかのような、他人行儀な光景を見てしまうと、食事中にリラックスできないのは、私には辛そうです。

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