コミュニケーション

2017.01.07

一度、言われてみたかった

ホットヨガ(五五〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。今日からまた、うれしい三連休ですね。年末年始の休暇が短かったので、この三連休の間にもう少しだけお正月気分を味わっておきたいと思います。どうか皆さんも、有意義な三連休をお過ごしくださいね。


 Skypeを使った言語交換パートナーとの交流を始めてから、およそ半年が経過した。私には、四人の言語交換パートナーがいるが、そのうち最もやりとりの内容が濃いのは、気が付いたら七時間が過ぎていたの記事に書いたロンドン在住の男性である。これからどうなるかわからないが、彼以外の言語交換パートナーたちとは、次第に疎遠になりつつある。

 年明けに、そのロンドン在住の男性とチャットをしていたときに、あることがきっかけになって、彼をひどく怒らせてしまった。彼の怒りは相当なもので、私はこれまでにないほど急な展開に驚き、戸惑いを覚えたのだが、それでも私なりに冷静に対処した。しかし、彼の怒りは留まるところを知らず、"i hate you!"とか"fuck you"などと激しくののしられてしまった。

 私は、それらの文字を確認したとき、「いやあ、"i hate you!"や"fuck you"って、映画の台詞なんかでは良く聞くけど、まさか私自身がネイティヴスピーカーから言われることになろうとは思ってもみなかったわあ」と内心、思った。それでも、せっかく築き上げた言語交換パートナーとの関係が今にも崩れそうな状況だというのに、私はそれらの台詞が自分の身に降りかかったことをほくそえんでもいた。

 彼は怒りが収まらなかったのか、間もなくオフラインになり、これまでSkypeの画面から見えていた彼のプロフィール画像がデフォルト画像に切り替わってしまった。私は、「彼のコンタクトリストから削除されてしまったのだろうか?」と不安になったが、Skypeへの接続状況を色で示す丸印がそのままの状態だった(コンタクトリストから削除されると、この丸印が?マークになる)ので、削除はされていないのではないかと期待していた。

 しかし、翌朝、Skypeに接続してみると、Skypeへの接続状態を色で示す丸印が?マークに変わり、彼とのトーク画面にも「認証待ち」の文字があった。それは明らかに、私が彼のコンタクトリストから削除されてしまったことを意味していた。私は、「ああ、削除されてしまったんだ。あんなに会話したのに、ずいぶんあっけないものだなあ」と思った。彼のコンタクトリストから外されてしまったことはとても悲しかったが、これまでの交流の積み重ねがあっただけに、これで終わりになるはずはないだろうと心のどこかで期待していた。

 しかし、通勤途中や昼休みにタブレットPCからSkypeに接続してみても、「認証待ち」の表示は変わらなかった。Skypeのコンタクトリストは、簡単に追加したり削除したり、また、いったん削除したものを復活させたりできることを知っていたので、そのうちほとぼりが冷めれば彼のコンタクトリストに復活させてくれるのではないかという希望を持っていた。

 彼のコンタクトリストから削除された翌日、私は残業のため、深夜に帰宅した。帰りの電車の中でタブレットPCを開いてSkypeに接続しても、また、帰宅して自分のノートPCを開いてSkypeに接続しても、「認証待ち」の表示は変わらないままだった。しかし、どういうわけか、いきなり彼からコンタクトがあった。「もしかすると、昨日は言い過ぎてごめん」と書かれてたりするのかな?」と思いながらコメントを表示させてみると、何と、またしても"i hate you"から始まる内容だった。余程怒りが収まらないらしい。彼が私をコンタクトリストから削除したことがわかったので、念のため、連絡先を交換していない人ともチャットができる設定に変更しておいたのだ。

 それから彼と私は、「認証待ち」の状態のままで、いろいろな話をした。それは、とても穏やかで深いものだった。

 今回のことでわかったのは、人は、感情を極限まで表現してしまうと、やがて次のステップに進むことができるということだった。そして、お互いの理解を深めるためには、やはり本音を言い合ったほうがいいのだということも理解した。むしろ、他の言語交換パートナーたちとは、本音を言い合うことができないからこそ疎遠になってしまっているのだとも思った。

 彼はまだ私をコンタクトリストから外したままだが、何となく、これまでとは違う交流ができそうな予感がしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m "i hate you!"や"fuck you"をネイティヴスピーカーから感情をもって言われるのは、私の中では勲章のようなものです。(笑)私たちは、他者と接するときに、ある程度の境界線を引いて自分の領域を守っていますが、感情を極限まで表現することにより、これまでの境界線が崩れて、より相手に近付いて行くことができるのだと実感しました。

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2016.03.05

自分を良く知るきっかけ

映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 急に暖かくなりましたね。朝はそれなりに寒いのですが、夜はコートを着て電車に乗ると、暑く感じるほどです。朝用のコートと夜用のコートを別々にしたい気分です。(笑)


 最近、またまた仕事帰りに英会話カフェに寄ることが多くなった。今回は、そこで自分なりに気付いたことを書いてみたいと思う。

 毎回、「このままではいけない」と実感してしまうのは、いきなり話題を振られると、なかなか答えられないことである。英語に関するとあるメールマガジンによれば、英会話が得意な人というのは、自分の話したいことを予め用意しているのだそうだ。言い換えると、英語を流暢に話す外国人を自分自身の世界に引きずり込んでしまうということでもある。

 実際、私が通っている英会話カフェにも、その日に話すことを決めて参加している方もいらっしゃるようだ。そういう方は、たいてい、一時間だけの滞在と最初から決めていて、一時間の会話を楽しんだあとは、躊躇することなく立ち上がり、去って行く。私はというと、その逆で、特に話したいことを決めてもいないのに長く滞在し続けているという感じだ。そのような参加方法だから、外国人の方に何か話題を振られても、なかなか答えられない。つまり、常に相手主体の会話になってしまっているのである。

 そこで、英会話カフェで良く聞かれる質問について、自分なりに答えを用意すべく、ノートに書き出してみた。まずは、良く聞かれる質問の一つとして、「これまでどの国を旅行したことがあるか?」である。これまで訪れた国をノートに書き出しながら、気付いたのは、訪問したことをすっかり忘れてしまっている国がいくつかあったことだ。例えば、カリプソオカマショーを楽しんだというのに、タイに行ったことを忘れてしまっていたし、ベルギーに行ったことも、いつの間にか忘れてしまっていた。そのことは、私としてもかなりショックだった。

 訪れた国を一つ一つ書き出したあとは、一つ一つの国に関して、実際に訪れた場所を更に細かく書き出して行った。その作業を通じて更に驚いたのは、いくつかの旅先についても、自分が訪れたことを、もう何年も思い出していない場所がいくつもあったということだ。私は、これまでいろいろな場所を旅行して、自分の中に一体何を残して来たのだろうと衝撃を受けた。何かをするからには、自分の中に何かをしっかりと残しておきたいと思った。そのためには、訪れた場所について、ときどき振り返ることも大切なのだと思った。そうすることで、時間が過去にも現在にも双方向に流れて行くのではないだろうか。

 次に良く聞かれる質問として、「どんなジャンルの映画が好きか?」、「これまで観た中で最も面白かった映画は何か?」などの映画の話題についても、答えを用意しておくことにした。私が好きなのは、ミニシアター系映画館で鑑賞するヒューマンドラマだと決まってはいるものの、最も面白かった映画については、答えを用意していないので、いつもなかなか答えられないでいた。これも旅行と一緒で、映画をたくさん見ているというのに、なかなか好きな映画のタイトルを即座に答えられない。邦題が原題とかけ離れているために、答えられないという問題も実はあるのだが、それ以前に、映画自体を選び出せない。これもまた、私自身が過去の振り返りを行っていないためだとわかった。

 そこで私は、最も好きな映画を選び出した。私が最も好きな映画は、映画『ぼくのエリ 200歳の少女』 である。映画『SHAME -シェイム-』も大好きだ。他にもいくつか好きな作品はあるが、先ほど挙げた二つの作品が突出して好きである。今度、映画の話題が出たときのために、これらの作品の簡単な説明ができるように用意しておき、これらの作品が好きだと言ってみようと思う。

 このように、質問の答えを用意することは、自分を良く知ることにも繋がるのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これらの作業は、普段、意識していないことを顕在化させるきっかけになりました。良く、私たちは他者と通して自分を知ることになると言われていますが、まさしくその通りなのかもしれません。

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2015.12.31

癒しの猫カフェ

初めての車中泊の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ガンモは元日から仕事の当番の予定が入っているため、私の実家に一泊したあと、一足先にカングーに乗って帰宅しました。無事に着いたと連絡があったので、安心しています。さて、今日は大晦日ですね。今頃、テレビを観て過ごされている方が多いのではないでしょうか。今年も一年、「ガンまる日記」をご愛顧くださいまして、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い致します。どうか皆さんも、良いお年をお迎えくださいね。

 今月のとある週末に、ガンモとキャンプに出掛けた帰りに、友人宅に寄らせてもらった。同じ県内に住んでいるというのに、片道百キロ以上離れているためか、お互いに気合を入れなければ、ほとんど会うことができない。今回は、彼女の住んでいる市にキャンプという用事を作って、ガンモと一緒に出掛けたのだった。

 彼女は、家の中で五匹の猫を飼っている。どの猫も、彼女が保護した猫で、彼女と深い縁がある猫たちばかりである。彼女はそれらの猫に避妊手術を施して、それぞれに愛情を傾けている。猫たちはみんな毛並みがきれいだった。

 私たちが家の中に入ると、猫たちは驚いた様子で、あっという間に持ち場から散り、少し離れたところから私たちを観察していた。それでも、こたつの中に入ってくつろいでいる猫もいた。ベッドの下にいた大きな猫は、百音(もね)だった。百音は、彼女の家に来たときは子猫だったようだが、どんどん大きくなり、今では怪傑ライオン丸のように首周りの毛がふさふさしている。

Nekocafe0

Nekocafe2

百音(もね)

怪傑ライオン丸 オープニング

 百音は、とても存在感のある猫で、間近で見るとびっくりするくらい大きい。私たちがこたつに入り、しばらく友人と話し込んでいると、ベッドの下からのそのそと出て来て、私たちに見向きもせずに私たちの横を素通りして行った。マイペースな猫なのである。

 そんな百音が、とうとう私たちの存在を認めてくれたのか、何時間か話しているうちに私たちの近くまでやって来て、身体を触らせてくれるようになった。こうした変化はとてもうれしい。

 また、最初から、それほど警戒心が強くない猫もいた。真っ白な琥珀(こはく)である。琥珀は私たちに、とても友好的に接してくれた。

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琥珀(こはく)

 こたつの中に入っていたのは、子音(しおん)である。トラ猫の子音は、猫のキャラクターとして描かれる絵にそっくりの猫だった。

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子音(しおん)

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百音(もね)(左)と子音(しおん)(右)

 黒猫の風太は、最後まで私たちに気を許してはくれなかった。いったん、私たちの前に姿を現したかと思うと、部屋のどこかに隠れてしまい、しばらく姿を現さなかった。ガンモは、
「黒猫が、この部屋のどこかに居たはずだ。絶対、部屋の中から出てないと思う」
と言って、部屋の中にいるはずの風太を探し回っていたのだが、なかなか見付からなかった。ときどき、開いている押し入れが動くので、きっと押し入れの中にいるのだろうと思っていたものの、探してもなかなか見付からなかった。

 ところが、友人が押し入れの中を探してくれたところ、押し入れの中の籠の中に風太が身を潜めていたことがわかった。ガンモは、その籠の中も確認しようとしたらしいのだが、そこに風太がいることがわからなかったようだ。風太が籠の中にいることがわかったので、しきりに外に出て来るように呼び掛けたのだが、私たちが帰る頃になっても、とうとう風太は出て来なかった。

Nekocafe5

風太(ふうた)

 そして、もう一匹、ののという比較的小さめの猫がいた。その猫も、私たちのことを警戒していて、押し入れの中に逃げ込んだまま出て来なかった。

Nekocafe6

のの

 とまあ、このような猫カフェ状態で、彼女といろいろな話をしたのだが、人間が動物に癒されることの意味を知ったような気がする。彼らは人間のことをずっと気に掛けてくれるわけではなく(いわゆる、「面」の付き合いではない)、自分たちのペースで傍に寄り添ってくれているのだ(「点」の付き合い)。ただ彼らが存在するだけで癒しになっているのである。

 それと、友人と、人間としての相性の良さを実感した。多くのことを説明しなければわかってもらえない場合もあるが、それは、前提条件が異なっている場合のことである。しかし、彼女とは、前提条件が近いので、多くのことを説明しなくても、感覚でわかり合える部分が多いのである。それがまた癒しにもなった。

 ガンモも私も、猫カフェでずいぶん癒された。また用事を作って、彼女の街まで出掛けて行こうと思っている。とても楽しいひとときをありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 風太は、私たちが帰ったあと、すぐに押し入れから出て来たそうです。(苦笑)もともと友人と私は同じアーチストのファン仲間なのですが、三十年ほど前に、出会ったその日に同じホテルのツインルームに泊まった仲なのでした。おそらく直感で引き合ったのだと思いますが、その直感は決してぶれてはいなかったと思います。

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2015.08.06

聞き上手

ホットヨガ(四五四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今日で、広島に原爆が投下されてから七十年経ちました。私は、現役で入学した大学が広島にありましたので、その大学を休学して再受験するまでの間、一年だけ広島に住んでいました。その頃、平和記念公園から比較的近いところに住んでおきながら、広島平和記念資料館に足を運んだのは、ガンモと結婚してからのことでした。学生さんが持っていたお弁当が一瞬のうちに焼き付けられていたことに強い衝撃を覚えました。同じように、人の形がそのままコンクリートのようなところに焼き付けられていたことにも衝撃を受けました。長崎を旅行したときにも、長崎原爆資料館に足を運びました。悲惨な戦争の被害を見せ付けられるとともに、千羽鶴にこめられた平和への願いを感じられる場所でした。少ないですが、広島と長崎で撮影した旅行アルバムのスライドショーを貼り付けておきます。戦争だけでなく、ありとあらゆる面において、人々が第三者によって尊い自由意思を奪われることがないように強く願います。

※スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、広島~平和への祈り~をご覧ください。

※スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、長崎~平和への祈り~をご覧ください。

※スマートフォンやタブレットからアクセスしてくださっている方たちには、スライドショーが表示されないそうで、申し訳ありません。m(__)m

 先日の東京滞在中に、好きなアーチストの実家に足を運んだ。そこは、三十一年前にも訪れたことのあるお店である。初めて訪れたとき、お店が閉まっていたので途方に暮れながら、シャッターの閉まったお店を外から写真撮影していた。すると、どこからともなくお母さまが外出着で現れ、ついさきほどまでお店を開けていたが、これから出掛けるので閉店したのだと教えてくださった。私はお店が開いていなかったことに落胆しながらも、お母さまとのツーショット写真を撮っていただいたのを覚えている。そのとき、通行人の方にシャッターを押していただいたのかどうかまでは思い出せない。

 それからも、私自身が東京に住んでいたり、また、結婚してからも、東京に足を運ぶ機会が何度もあったというのに、好きなアーチストの実家を訪れることはしなかった。おそらく、実家の前でお母さまとのツーショット写真を撮っていただいたことに満足していたのだと思う。

 そして、今回、三十一年振りに好きなアーチストの実家を訪れたわけだが、うれしいことにお店が開いていた。お店の外には私の好きなアーチストの写真が貼られ、一目見て、そのお店がそのアーチストと深い関わりがあることがわかった。

 お店の中では、好きなアーチストのお兄さんが店番をされていた。好きなアーチストのファンらしき人たちもいた。好きなアーチストのグッズが売られていることを知っていた私は、グッズコーナーでTシャツとハンドタオルを選ぶと、レジへと向かった。

 初めてお話をさせていただくお兄さんは、好きなアーチストとは顔もあまり似ていなかったが、サービス精神満点であるところはそっくりだった。私がファンだとわかると、どこから来たのか、いつ東京へ来たのか、どこのホテルに泊まっているのか、東京に来てからどこかへ行ったのかなど、いろいろ聞き出してくださった。私はそれらの質問に答えながら、「ああ、商売人は聞き上手なんだなあ」と思った。自分の話をするのではなく、相手から話題を引き出そうとしているのだ。十年前に、しゃべり続ける関西人という記事を書いたが、彼らがお兄さんの姿勢を知ったら、ひどく驚くことだろう。

 好きなアーチストの実家でお会計を済ませると、私もお兄さんに、あることを質問してみた。するとお兄さんは、面白おかしく、そして冷静に私の質問に答えてくださった。

 帰り際に、
「じゃあ、暑いのでこれをどうぞ」
と言って、差し出されたのは、お店の名前とアーチストの名前が入った団扇(うちわ)だった。私は、その団扇を有難く受け取り、お礼を言ってお店を出た。ほんの短い間だったのに、聞き上手なお兄さんのおかげで、とてもいい気持ちにさせていただいた。

 そんなお兄さんに、言い忘れたことがある。
「お兄さん、あなたがこうして家業を継いでくださっているから、彼は今の仕事に専念できているのだと思いますよ」

 お店の中にも、好きなアーチストのポスターなどが貼られていたが、好きなアーチストもまた、いろいろなメディアで実家のお店を紹介したりしている。好きなアーチストと実家のお店の間には、とても良い循環が出来上がっているように見えたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m うまい商売をする人というのは、自分を押し付けずに、相手からどんどん引き出そうとするのですね。お兄さんから、コミュニケーションの基本を学んだような気がしています。

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2015.05.01

「女子会」なるものに参加した

至上最大の泥遊びの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。今日は健康診断を受診しました。毎年、健康診断の記事を書いていますが、今年は他にも書きたい記事がたくさんあるので、記事にはしません。(笑)いつもと違っていたのは、健康診断の最後の問診の担当医師が若い医師だったことです。あと、平日だったためか、待ち時間も少なくて済みました。いつもは土曜日に受診していたのですが、土曜日はひどく混んでいることが良くわかりました。

 ゴールデンウィーク休暇の少し前に、珍しく、「女子会」なるものに参加した。メンバーは、直径十二センチの彼女と、もう一人の派遣仲間と私の三人である。ちなみに、直径十二センチの彼女の現在の子宮筋腫は、直径十二センチよりも小さいとご本人からご指摘があった。とは言え、直径十二センチの彼女のままで行こうと思う。

 直径十センチの彼女とは、確か二ヶ月ほど前に会っているが、もう一人の派遣仲間とは、およそ一年ほど前に、いなかのオフィスの食堂で一緒にご飯を食べて以来の再会である。もう一人の派遣仲間と直径十二センチの彼女とは、三年振りくらいの再会だったようだ。

 直径十二センチの彼女がこぢんまりした隠れ家的なお店を予約してくれたおかげで、とてもおいしいイタリア料理にありつくことができた。一度訪れた利用客は、必ずまた利用したくなるような素敵なお店だった。

 オフィスカジュアルの話になり、やはり私の着ている服はオフィスカジュアルではないと言われてしまった。私はその日、無地のチュニックにつけ襟をして、インド綿のエスニック柄のスカートを穿いて行った。もうその時点でオフィスカジュアではないのだが、私はこれが自分のオフィスカジュアルだと主張した。しかし、二人は認めてくれなかった。直径十センチの彼女曰く、私が着ているのはオフィスカジュアルではなく、私ふうのファッションなのだそうだ。

 実は、まちのオフィスに移転してしばらくの間は、できるだけ控えめな服装にしていたのだが、やはり自分らしさを取り戻したい欲求に駆られ、エスニック柄のロングスカートを穿いて出勤するようになった。どうも私はエスニック系のファッションや小物が好きらしく、何とかしてオフィスカジュアルの服装に取り入れたかのだ。そこで、これまでのパンツスタイルからロングスカートに転身したというわけなのである。

 もう一人の派遣仲間からは、柄のスカートはオフィスカジュアルではないと言われてしまった。それに対し、私は、トップスが無地ならば、ボトムスは柄でもいいのだと主張した。実際、職場でも、柄のスカートを穿いている人はいる。しかし、エスニック柄のスカートではなく、自己主張のない大人しい柄のスカートである。

 もう一人の派遣仲間は、私のオフィスカジュアルを気に掛けてくれている別の派遣仲間にも見せたいと言って、私の服装をiPhoneで激写していた。ちなみに、いなかのオフィスに勤務していた頃の私は、片腕におよそ六個ずつのパワーストーンを着けていたが、今では遠慮して、パワーストーンの数は片腕に三つずつに留めている。それでも、他の人から見れば多いようだ。ちなみに、指輪も片手に二個ずつ着けている。しかも、右手に着けているのは蛇の指輪である。

 オフィスカジュアルの職場で勤務するようになってから、かれこれ一年近くが経過しているが、どうも私は他の人たちが着ているような服を着ることができないことに気が付いてしまった。その根底には、着ているものでその人が判断されるべきではないという想いがあるからだと思う。むしろ、オフィスカジュアルでビシッと固めている人のほうが、私には近付きにくい。裏に何か隠し持っているのではないかと思ってしまうのだ。

 もう一人の派遣仲間曰く、私は、人の心の扉を開けてしまうらしい。心の扉を開けることを意識しているわけではないが、人と根本的に繋がることができずに当たり障りのない話を続けるほうが、私には苦手なのである。だから私は、たくさんの人と広く浅く繋がるSNSには向かないのではないかと、最近、思い始めている。思えば、心地よいと感じている人たちとは、当たり障りのない話では終わっていないことに気が付いた。

 他にもいろいろな話をして、面白おかしく笑いながら、最後は記念撮影をして分かれた。みんな、そのお店が気に入ったので、次回の女子会もそのお店で開催することになりそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m オフィスカジュアルの職場で働くと、服だけでなく、カバンも靴も倍に増えます。(苦笑)それでも、週に五日は自分がそれほど好きではない服とカバンと靴で過ごし、自分の好きな服とカバンと靴で過ごせるのは残りの二日だけなのです。何だか切ないですね。オフィスカジュアルにも自分の好みを取り入れたくなる気持ちがおわかりいただけるのではないかと思います。

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2015.04.24

会話のツボを刺激する

映画『ダイアナ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 最高気温が二十度を超える日々が続いていますね。私は昨日から、長袖のジャケットを羽織るのをやめて、半袖だけで通勤してみました。涼しくてとても気持ちが良かったです。今のような気温がずっと続けばいいのにと思ったりもしますが、そうなると、雪も降らなければ、プールで泳いだりすることもできないのですね。四季を楽しめるだけの余裕を持ちたいものです。

 春は、出会いと別れの季節である。私の勤務先にも、転勤される方、よそから転勤して来られる方がいらっしゃる。

 先日、その方たちの歓送迎会が開催されたので参加して来た。悲しいことに、今の職場で長きに渡り、ずいぶんお世話になった方が転勤されることになってしまった。その方は、しばしば夢に現れ、感情が手に取るようにわかるので、霊的な関わりを感じている。

 普段はあまり話をしていないのだが、何かの行事があるときには、何となく近くにいることが多かった。魂として、心地よいと感じていたのではないかと思っている。

 歓送迎会は、金曜日ではなく、次の日も仕事のある曜日に行われたのだが、私は珍しく、二次会まで参加した。そこで感じたのは、やはり人との会話は一対一が最も心地よいということだった。複数の人と共通のテーマで語り合うのもいいのかもしれないが、私としては、一人の人から、その人らしさを引き出すのが一番好きである。

 相手との会話を通して、相手の視点が見えて来ると面白い。相手の視点が見えないままに会話を続けると、思わぬ勘違いをしてしまったりして、会話が異常終了してしまったりもするが、相手が語りたいであろうツボを探り当てて刺激すると、もっと深い話を聞くことができる。相手との会話を通して、そのツボを探し当てることは、私にとっての喜びにもなる。

 同じ相手と会話をしているのに、普段の会話では相手のツボを探し当てていないのだとすれば、普段は社会的な関係を築いているか、会話のツボが共通にならない第三者が会話に加わっているのだろうと思う。

 お世話になった方とは、帰りの電車で一緒になり、また深い話をした。私としては、またいつかお会いできるような気がしていたのだが、どうやら仕事面での繋がりはずいぶん薄くなってしまうようだ。帰り際に、
「お世話になりました」
と言ってくださったのだが、私のほうがお世話になっているというのに、またすぐにお会いできるだろうという考えがあったために、「お世話になりました」という言葉に対する返信のような形でしか言葉を発することができず、そのまま分かれてしまった。そのことが、何だか心残りなのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 心残りの感情を残しておくと、魂は、その感情を何とか改善しようとするのではないかと期待しています。(苦笑)しかし、こういう分かれは物理的な分かれであって、きっと精神的な分かれではないはずですよね。

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2015.04.11

いろいろな制約から解放された再会

愛について(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この春は、本当に雨が多いですね。今日の関西地方は、雨こそ降ってはいませんが、どんよりとした曇り空です。たまにはからっとした青空を見せて欲しいものです。

 雨が降っていたが、仕事帰りに、かつての派遣仲間と待ち合わせをして、大阪造幣局の桜の通り抜けを初体験して来た。造幣局の桜については、後日、写真を添えながら書かせていただくことにして、今回は、彼女との交流の中で新たな気付きがあったので書いておきたい。

 桜の通り抜けを体験したあと、インドカレーのお店で食事をしながら、彼女といろいろな話をした。

インドカレー

食後のチャイ

 彼女と顔を合わせるのは、およそ一年振りだろうか。彼女は、同じ職場で知り合った派遣仲間なのだが、今はその職場を離れてしまっている。これまでは、同じ職場でお昼休みに一緒にご飯を食べたり、仕事の合間に少し立ち話をする程度だったのだが、職場を離れて交流してみると、いろいろな制限から解き放たれていることがわかった。昼休みでもないので、昼休みの終わりを告げるチャイムを気にする必要もなく、職場のトイレではないので、周りの気配を気にする必要もなかった。また、少しお酒も入り、自分自身を解放することができた。

 話の内容は書けないが、彼女のベースにスピリチュアルな感覚が根付いていることもわかった。なかなかうまく行かないことがあったとしても、自分に起きていることの意味を他の事象と関連付けながら、人生の大きな流れに身を任せて生きている。それは、自分自身の運命を受け入れることでもある。彼女曰く、若い頃にはそういう生き方はできなかったそうだ。

 職場というところは、もともといろいろな制約のある場所であり、誰もが自分自身を解き放ってはいない。ゆえに、そこで垣間見る人間関係は、その本質と必ずしもイコールではない。また、多対多で社会的な関係を結ぶ場所でもあり、一対一とは異なる関係が出来上がる。とは言え、職場である程度、会話がはずむことをまず実感していないと、プライベートな時間までは共有できないのもまた事実なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼女と、バランスの取れた男女の愛の話もしました。私はやはり、バランスの取れた男女の愛の話が大好きだと実感しました。バランスの取れた男女の愛の話を始めると、エネルギーの話に発展しますね。

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2015.01.24

喧嘩するほど仲がいい

ホットヨガ(四二一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 昨日、仕事帰りにホットヨガの梅田店のスタジオでレッスンを受けたのですが、その帰りにJR大阪駅付近でタクシーを拾うサラリーマンに出会いました。サラリーマンはタクシーの運転手さんに、「心斎橋まで」と告げていました。私がJR大阪駅付近から心斎橋まで移動するとしたら、絶対に地下鉄を利用します。地下鉄の駅も目の前にあるというのに、わざわざタクシーに乗るという発想は、バブル期を思い起こさせました。景気が回復している兆しなのかもしれませんね。

 水曜日の仕事帰り、ホットヨガのレッスンを受けずに、直径十二センチの彼女と会って、晩ご飯を食べながらいろいろな話をした。彼女と会うのは、およそ半年振りのことだろうか。

 夏に会ったときに、彼女は私のオフィスカジュアルの服装を楽しみにしていてくれたというのに、そのとき私が着ていた服が、オフィスカジュアルだとはっきり主張できるものではなかったため、ちょっとがっかりさせてしまった。そこで今回はワンピースを着て行ったところ、オフィスカジュアルだと承認してくれた。とは言え、服装はオフィスカジュアルでも、中身は私だと言ってくれた。それは、今の私にとってはうれしい台詞だった。というのも、オフィスカジュアルの服装では、自分らしさを抑えてしまっているように思えていたからだ。直径十二センチの彼女は、私が着ているオフィスカジュアルの服装を通してではなく、私が最も私らしい服装をしていた頃の私が本当の私であるとわかってくれているのだと思った。

 彼女は、私が仕事関係で出会った唯一のスピリチュアルな魂を持った存在である。そのため、他にも同じ時期に出会った仕事仲間が何人かいるにもかかわらず、グループで会うことは年に一回、あるかないかだ。グループで会えばスピリチュアルな話にはならないが、個別に会うと、それが実現する。

 私は、出会った相手が自分と合うかどうかを直感的に判断して付き合いを深めて来たこと、これまでその直感がぶれたことはなく、相手がどんな立場の人であれ、距離を縮めることができたことなどを話した。更に、現在の職場では、長く勤めていることもあり、年月を重ねて行くごとにお互いの理解を深めて来ていることから、時間を掛けてわかり合う関係もあることがわかって来たと話した。彼女は私の話に大きくうなずいてくれた。

 職場で関わりを持っている人たちの中には、夢に出て来る人たちもいるのだが、夢の中で感情を交わす人とそうでない人がいることに気が付いていた。夢の中で感情を交わす人は現実の世界でも感情を交わしているし、夢の中で感情を交わさない人とは現実の世界でも感情を交わしていない。そうしたことからも、やはり人付き合いにおいては、お互いの感情を交わすことが、仲良くなるための近道なのだとわかっている。

 そうした話の延長として、喧嘩をすることも時には必要だと話した。喧嘩をすることもまた、感情を交わす手段の一つであると感じているからだ。私は、喧嘩の相性がいい人は、喧嘩をしないときの相性も良いと思っていると述べた。ところが直径十二センチの彼女は、育って来た環境から、喧嘩ができなかったと言っていた。彼女は言いたいことを言えずに抑圧されて来たようだった。そのため、できれば喧嘩をせずに軌道修正したいと思っているようだった。私は、喧嘩というものは、感情を瞬間的に解放するものなので、元の関係に戻り易いと述べた。そして、相性が良くない人とは喧嘩もできず、また、喧嘩をした場合に元に戻れないことが多いとも話した。今思えば、元に戻らない喧嘩は相手と離れるための喧嘩だが、相性の良い人との喧嘩はお互いの理解を深めるための喧嘩なのかもしれない。

 不思議なことに、直径十二センチの彼女が職場で苦手としていた人と私は仲が良い。過去を振り返ってみれば、私はその人と良く喧嘩をしていたものだった。それでも決して険悪なムードにはならず、過去に喧嘩したことなどすっかり忘れて、今はお互い歩み寄っている。夢に出て来て感情を交わしているのもその人だ。多分、喧嘩をすると、お互いを守っていた壁が一つ壊されるのだろう。壁が壊れたことが心地よいと感じればもっと親密になれるし、壁が壊れたことが心地よくなければ疎遠になってしまうような気がしている。

 まだいろいろ話したいことはあったのだが、翌日も仕事だったので、二十二時くらいで切り上げて帰宅した。次に会うのはまた数ヶ月後かもしれないが、彼女から受け取ったポジティヴなエネルギーを取り込みながら、数ヵ月後の再会を楽しみにしておこうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事を書きながら、やはりお互いの感情を交わすことが大事なのだなと、改めて実感しました。まちのオフィスに移転してから、直径十二センチの彼女と仕事帰りに待ち合わせをしやすくなりました。これも何かのご縁なんでしょうね。大阪のお店に詳しくなりそうです。(笑)

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2014.12.27

二〇一四年仕事納め

雪の城崎温泉の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。年賀状は、クリスマスイブの日に無事に投函できました。朝、自宅の最寄駅近くのポストに投函するのを忘れてしまい、まちのオフィスの最寄駅に着いてから、ポストのある場所を探して歩き回りました。いなかのオフィスに勤務していた頃は、勤務先の最寄駅がそれほど大きな駅ではなかったので、ポストのある位置もちゃんと把握できていました。しかし、利用する駅が大きくなると、ポストがどこにあるのかを確認するのもなかなか大変ですね。普段、利用している改札の関係で、駅前にあるポストを確認することができず、おろおろしてしまいましたが、まちのオフィスのすぐ側にある建物の前に赤いポストをようやく発見して、投函することができました。やれやれであります。

 昨日、仕事納めだった方たちも多いのではないだろうか。かくいう私も昨日が仕事納めで、今日から年末年始の九連休に入った。

 仕事に関しては、今年はかなりシビアな部分もあった。詳しくは書けないが、派遣仲間が減ってしまい、やりきれない想いを抱えたりもした。その一方で、社員の方たちと、これまでとは違う関わり方ができるようになったようにも思う。

 私は昔から、ソウルメイトやツインソウルに興味があった。言い換えれば、前世からの繋がりを大切にしたいという想いがベースにある。しかし、そうではなく、時間を掛けて繋がっていく関係もあるのだと、仕事を通して出会った方たちとの交流を通して思うようになった。出会った直後から既知感があったり、不思議な縁を感じたり、わざわざ言葉で表現しなくても少ない情報だけで理解できる人たちばかりと関わって行くわけではない。多くの言葉を交わし、相手の行動パターンや思考パターンを読みながら、理解しようとすることもあるのだと思うようになった。

 今月に入ってからは、特に職場の人たちとの交流が重なり、納会も含めて飲み会に参加することも多かった。そうしたお酒の席では、ごく少数の人たちとしか話をすることができないものだが、実を言えば、共感というよりも、自分との違いを実感することのほうが多かった。例えば映画の話をしても、相手がたくさん映画を観ているにもかかわらず、観ている映画がまったくかぶらなかったりする。旅行に関しても、ツアーであちらこちら出掛けている旅行好きな人と、私たちのように個人旅行主義を貫く立場では、なかなかお互いの経験がかぶらない。それでも、会話を通して、お互いに何かを吸収することはできる。また、そうした会話の中で、これまで暗黙的に守っていたお互いの境界を越えて行くような瞬間がある。それが何とも心地よい。

 同じ職場の人で、しばしば夢に出て来る人もいる。夢を通して、私はその人が自分の味方であることを知っている。すると、現実の世界においても、その人とは前置きの必要のないごく自然な会話ができる。どちらともなく歩み寄り、会話がはずむのだ。それもまた心地よい。

 中にはマニアな人もいる。同じ職場の人たちは、彼の話を半分くらいしか理解できないと言う。しかし、彼と同じようなマニアな世界にいる私にとっては、彼の話が面白く、いつも聞き入ってしまい、いろいろな引き出しを開けようとする。

 ソウルメイトやツインソウルのように、最初からはっきりとわかる繋がりでなくても、その予備軍のような人たちがところどころに配置されているおかげで、飲み会の席で交わされる会話が空回りせずに済んでいる。来年は、予備軍がもっと育っているのだろうか。そうした楽しみも見つけながら、関わって行きたいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今の職場の人たちとも、ずいぶん長い付き合いになって来ました。理解し合うために時間が必要な人もいますが、これからも関わって行こうと思います。仕事納めをされた皆さん、お疲れさまでした。まだまだお仕事が残っている皆さん、次のお休みに向けて頑張ってください。

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2014.12.05

感覚の共有

ホットヨガ(四一四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本格的に寒くなりましたね。カニのおいしい季節になりましたので、私たちは休暇を取って、城崎(きのさき)温泉に来ています。途中、「天空の城」と呼ばれている竹田城にも寄って、城崎温泉入りしたのですが、昼間は晴れていたのに、夜になると雪が降り始めました。そのため、七つの外湯巡りも雪の中、旅館の傘を差して歩くことになりました。寒いのと、お腹に大きな手術痕があるために、外湯巡りは一つだけに留めました。

 感覚を共有できることは、相互理解への一番の近道だと思う。しかし、感覚を共有できないでいると、相手にとっての未知なるものに対し、言葉で説明し続けなければならない。とは言え、相手にとっての未知なるものを言葉で説明するのは非常に困難だ。何故なら、相手が自分にとって未知なるものを理解しようとするときに、既に自分が知っている知識を引き出して、フル活用しようとするからだ。それが自分にとって未知なるものであるにもかかわらず、そのような作業を行うため、未知なるものを理解しようとしているのに、その作業は先入観に満ちたものになってしまう。その結果、双方には更なる誤解が生まれる。未知なるものを理解するのに、先入観は邪魔者なのだ。

 感覚を共有すると、言葉による説明が不要になり、相互理解へのスピードが速まる。お互いに相手のことを理解しているかどうかを言葉で確認する必要はなく、その最も根本的な部分を暗黙的に確認するだけで良い。感覚の共有は、知識や経験の共有とも違う。それは、開いている相手のハートに向かって語り掛けるような感じで、私が目指そうとしている瞬間的な理解に近い。

 感覚を共有できる相手とは、既に相互理解が深まっているだけに、俗世間的な会話にはならない。むしろ、会話を交わす機会さえ少ないかもしれない。それでも、「確かに繋がっている」と思えるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 感覚を共有できる相手との関わりが強いと、ハートのチャクラのあたりが強く反応しますね。知らず知らずのうちに、お互いに送信したり、受信したりしているのかもしれません。

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