精神世界

2017.08.09

ペンギンの家族

ホットヨガ(五九一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風が通り過ぎて行きました。一部の地域に大雨をもたらしたようですね。私の実家がある市でも、実家から離れた地域ではありますが、避難勧告が出ていました。ちなみに、我がテントは無事でした。皆さんのお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか。


 私が普段、使用しているOSは、Windows 10である。Windows 10には、ログオン時に背景画像を表示させる機能がある。同じ背景画像が表示され続けることもあるのだが、ときどき見たことのない背景画像が表示されることがある。ユーザを飽きさせないためのMicrosoft流の工夫なのかもしれない。

 さて、そんな背景画像に、あるときペンギンの家族が表示された。実際に家族であるかどうかはわからないのだが、数羽のペンギンが海辺をヨチヨチ歩いているという涼しげでとても平和な背景画像だった。

 私はその画像を見たとき、癒されるとともに、動物園にいるペンギンたちのことを思い出した。動物園にいるペンギンたちにもまた、この背景画像のような幸せな瞬間があったはずである。それにもかかわらず、ある日突然、人間たちに捕獲され、家族と引き離され、動物園に送り込まれたりしているのではないだろうか。

 動物園に送り込まれたペンギンたちは、食べ物や外敵の心配をしなくていい代わりに、これまでとは大きく異なる環境に置かれ、ストレスを感じているのではないだろうか。私はこの構図が、日本が抱えている拉致問題と似ているうような気がしてならない。

 いつか、人間も動物も対等になれる時代が来るといいのにと思う。Windows 10の背景画像がそのことを考えさせてくれたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 子供の頃から、動物園にはしばしば足を運んでいました。しかしそれは、動物たちが動物園にやって来た経緯を想像しなかったからかもしれません。ある時期から、動物園に行くと、動物たちがかわいそうだなあと思うようになりました。彼らは生まれ育った環境にいるのが一番いいような気がします。

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2017.07.23

愛が空回りする人

"gotcha"の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今日もロンドン在住の大学生とSkypeで話をしました。彼との会話はいつも楽しいです。今度は"gotcha"を"ゴゥチャ"と発音してみたのですが、やはり豪快に笑われてしまいました。(苦笑)そもそも日本人が"gotcha"を使うことがおかしいのかもしれないと、自分を納得させています。(笑)さて、そんな私もまた一つ歳を取りました。暑い夏の日に私を産んでくれた母や、母と出会い、DNAを分けてくれた父にとても感謝しています。


 今日は、現在、世間で話題になっている松居一代さんと船越英一郎さんの離婚問題について書いてみようと思う。この騒動が始まった初期の頃、私は松居さんのブログやYouTubeを拝見しながら、「松居さんの親友と不倫をした船越英一郎さんが悪い!」と感じていた。

 しかし、ブログやYouTubeの鑑賞を進めて行くうちに、「あれっ? 何か変だぞ?」と思うようになった。というのも、日本では、SNSを使った情報発信が米国よりも遅れていると意見しながらも、夫宛ての手紙を許可なく公開したり、夫のプライバシーを侵害するような発言を繰り返したりと、驚くような行為が見受けられるようになったからだ。SNSを使ってそのような情報を発信してはいけないことを松居さんがご存知なかったとすると、世間よりも遅れていると言わざるを得ない。

 それに加えて、彼女の見せる「愛」に疑問を抱くようにもなった。彼女は、夫や息子さんへの愛を叫びながらも、あくまでそれらが松居さん自身の視点からのものであり、相手にちゃんと届いていないのではないかと感じるようになった。愛よりもむしろ、松居さんが暗黙的に夫である船越英一郎さんや息子さんをコントロールしようとしているように見えたのだ。

 例えば、最近、公開された以下の動画の中で、松居さんは必死に息子さんへの「愛」を伝えようとしている。

 しかし、私にはこの動画が、松居さんが息子さんを暗にコントロールしようとしているように見えてしまった。息子さんが立派な起業家になるか否かについては、息子さんご自身に自由意思があると思う。その自由意思が尊重されているかどうかは、この動画を見れば明らかにわかることである。松居さんは、自らが「こうしたい!」と強く願ったことを相手に伝えることで、相手を暗に強要することになり、逆に息苦しくさせてしまっているのではないだろうか。人と関わることで大切なのは、暗に強要することではなく、相手の自由意思を尊重することだと思うのだ。

 以前、霊能者の木村藤子さんが松居さんを霊視したときの状況が以下の動画で公開されている。

 この動画によると、松居さんは、掃除をしたいと思ったら、家族が寝ていても、朝の四時から掃除を始めてしまうそうだ。夫の睡眠時間が少ないので睡眠不足から身体を壊したりしないか心配していると言いながらも、朝の四時から掃除を始めてしまう矛盾に絶句した。

 松居さんがもっと相手の自由意思を尊重することができたなら、今回のような騒動も起こらなかったのではないだろうか。私には、そんな気がしてならないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 他者を愛しているようでいて、実は自分のことを一番愛しているというパターンの典型なのかもしれません。松居さんには、木村藤子さんに言われていることをもう一度、思い出して欲しいですね。

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2017.01.22

「全体」の中に溶け込んだ母

ホットヨガ(五五二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。トランプ氏がアメリカ大統領に就任しましたね。私は政治のことは良くわかりませんし、アメリカについても詳しくは知らないのですが、オバマ氏には人間としての魅力を強く感じていました。ものごとの本質を見ることのできる人で、その人柄には、愛がにじみ出ているような気がします。しかし、トランプ氏には、オバマ氏に感じたような魅力を感じません。ものごとの本質をとらえていないために、力を入れなくてもいいところに力を入れようとしているように思えます。それでも、アメリカではこういう大統領のほうが好まれるのですね。トランプ氏は軍事力拡大を推進するのではないかと懸念されていますが、トランプ氏の政策が世界的に大きな影響を与えないことを祈ります。


 私の母は、三年半前に肺がんのために他界した。母を亡くした悲しみはとても深く、母のことを思い出しては良く泣いていたものだった。今でもその悲しみがなくなったわけではない。しかし、この「ガンまる日記」の中でもときどき触れているように、今は亡き母との別の関わり方を見出している。

 良く、親しい人を亡くした人に対し、「故人はいつまでもあなたの心の中にいる」とか「故人は空の上のお星様になって、ずっとあなたを見守ってくれてるんだよ」などといった慰めの言葉をかけたりする。私が見付けた亡き母との関わり方は、それらと似ているところもある。

 最近になって、肉体を持って生きている人と、既に肉体がなくなってしまった人の違いが何であるのかが少しずつわかるようになって来た。肉体を持って生きている人には、肉体という物理的な境界がある。私たちは他者を区別するとき、相手の顔や声で識別する。そう、肉体を持って生きている人には、境界があるが故に、他者との区別が存在している。その境界は、全体と自分を分ける境界でもあり、同時に他者と自分を分ける境界であったりもする。そして、その境界が存在するために、時には孤独を感じたりもする。しかし、肉体がなくなってしまった人には境界がない。どのようになるかというと、おそらく精神世界で言うところの「一つ(ワンネス、あるいは全体)」の中に溶け込んで行くのではないかと思うのだ。

 肉体を持って生きている人には、それぞれの自由意思があるが、既に肉体がなくなってしまった人には、全体の中に溶け込んでしまっているが故に個別の意思がない。肉体が魂の入れ物なのだとすると、その入れ物がなくなってしまうことで全体の中に溶け込み、吸収されたと解釈できる。反対に、人が肉体を持って生まれるということは、全体の中からいったん分離して、他者との間に境界線を持つということなのではないかと思う。

 何故、このように感じるようになったかというと、亡き母の意思を感じられなくなったからだ。しかし、私自身の解釈に過ぎないが、それこそが母が成仏できたということなのではないかと思うようになった。反対に、巷で報告されている心霊現象などが事実だとすると、幽霊や亡霊などは、まだ全体の中に溶け込んでいないと解釈することができる。

 肉体を持って生きている人の中にも、覚醒した人のように、全体の中に溶け込んでいることを常に意識し続けている人もいる。それは、全体の中に溶け込んでいることがとても心地よいことを知っているからだと思う。それを思うと、亡くなった人がいつまでもこの世に未練を持つということはないのではないかと思えて来るのだ。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 理想としては、肉体を持っている人であっても、肉体がなくなってしまった人であっても、同じように付き合うことができたらいいと思うのですが、私自身の中に境界が存在してしまっているため、なかなかそうは行かないものですね。今の考え方、感じ方がもう少し進化したら、この続きを書いてみたいと思います。

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2016.11.18

受け入れの度合い

彼らのおかげです!の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 別の記事を書こうと思っていたのですが、皆さんとシェアしたい出来事がありましたので、そのことを書いてみたいと思います。


 とんだ失態をやらかしてしまった。インド人の大学生に、ガンモの英語への関心度を尋ねられたので、ガンモが仕事で英語を良く使っていること、私よりも英語力が高いことなどを話した。

 そのやりとりの内容を、インド人の大学生とやりとりしているLINEのページからコピーして、ガンモに向けたメッセージも添えるべく編集した。そして何を思ったか、編集した内容を、ガンモとやりとりしているLINEのページではなく、インド人の大学生とやりとりしているLINEのページにそのまま貼り付けてしまった。

 「ああっ! しまった!」
と思い、急いで投稿をキャンセルしようと、ガラケーの中止ボタンを押したが遅かった。もちろん投稿はキャンセルできず、中止ボタンを強く押したために、私のガラケーの電源がいったんオフになっただけだった。

 このときばかりはかなり慌てた。いつかこういうことが起こってもおかしくない状況ではあったが、ついにやってしまった。

 とにかく、正直に詫びるしかないと思い、すぐにガラケーを再起動して再びLINEにアクセスして、インド人の大学生のLINEのページを開いて、心からの謝罪の言葉を述べた。自分が書いたコメントを他の人にコピーして見せようとされたのだから、彼はきっと傷つくだろうと思っていた。

 LINEには、相手がメッセージを読んだかどうかがわかる機能が備えられているが、ガラケーからはそれがわからなかった。そこで私は、普段、持ち歩いているタブレットPCを起動して、LINEアプリを立ち上げてみた。すると、私が書いたメッセージがまだ既読になっていないことがわかった。もしかすると、このメッセージを削除できたりするのだろうかと思い、慣れない画面と格闘しているうちに、私の書いたメッセージが既読になってしまった。ああ、とても素直で美しい心を持った青年を傷つけてしまったと思った。

 ところが、彼の反応は、思いのほか寛大だった。大丈夫だと言ってくれただけでなく、何と、夫婦の関係が一番大切だとまで書いてくれていた。今、それを読み返して涙が出て来る。何という精神性の高さだろう。私よりも三十一歳も年下だというのに、彼は一体、何者なのだろう。

 彼はヨギでもあり、普段の会話からも、精神性の高さを実感することが多い。いつだったか、自分の肉体は実年齢だが、メンタルは違うと彼自身も言っていたことがある。私も本当にそう思う。相手の精神性の高さは、「受け入れの度合い」から感じ取ることができるが、「受け入れの度合い」は、常に精神性の高さと比例しているのだろうか。
 「受け入れの度合い」が高いということは、自己中心的ではないということであり、想いの矢印が自分ではなく他者に向かっていることでもある。例えば、元兵庫県県会議員の野々村氏が記者会見の席で号泣した動画が世界中に配信され、話題になったことは記憶に新しい。その動画を見た人たちは、彼が国民に向かって謝罪しているのではなく、自分のために泣いていると気がついて、興ざめしたのではないだろうか。つまり、野々村氏は、自分自身を愛することに精一杯で、他者を愛する余裕がないと判断できる。他者からの想いを受け取ってないからこそ、あのような行動を取り、裁判にもなったわけだ。

 また、「受け入れの度合い」が高いというのは、相手の立場になってものを考えることができる状態でもある。それゆえに、精神性が高いと感じられるのかもしれない。

 とにかく、他者を受け入れながら生きることは、自分自身の成長にも繋がるのではないかと実感したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とんでもないことをやらかしてしまい、とにかく焦りました。このような不注意は、私自身が他者を大切にできていないから起こってしまったのだと思います。他者を大切にして受け入れることを三十一歳も年の離れた若者から教わりました。(苦笑)

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2016.09.01

There is no reason

ホットヨガ(五三〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 昨日、熊本で震度五弱の地震がありましたね。しばらく大きな余震がなかったので、熊本地震のときに体験された恐怖を思い出された方も多いかと思います。東日本大震災のときも、ずいぶん長いこと余震が続いていました。地震が多いのは、地震大国日本に住んでいる宿命かもしれません。地震とうまく付き合って行く方法が見つかればいですが、なかなか見つからないものですね。


 英会話カフェで話題が途切れると、話題探しのために、外国人講師から参加者に質問が投げられることがある。例えば、気が付いたら七時間が過ぎていたの記事でもご紹介したように、
「これまで訪れた国の中で一番好きな国はどこか?」
と聞かれたりする。そのとき、どういうわけか、好きな理由も一緒に尋ねられることが多い。しかし、私の場合、いつも直感に従っているためか、好きになる理由がない。そのため、毎回、回答に困ってしまう。

 というのも、私はわけもなくUKに惹かれているからだ。英語の発音やアクセントが耳に心地いいとか、夏でも涼しいとか、夏は二十一時頃まで外が明るいとかいうのは好きな理由にはならない。それらはUKを構成するほんの一部に過ぎない。

 人は何故、好きなことには理由があると思いたがるのだろう。そこには、人が何かを好きであるためには、その対象から何か好都合なものを受け取っているのではないかという思い込みが存在しているような気がしてならない。私はUKから、私にとって何か好都合なものを受け取ってはいない。UKのことが直感的に好きで、UKに片思いしているだけなのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 好きなことに理由が存在しているのだとすれば、それは好きなことに対して打算的になってしまっているように思えますね。だからどんなときも、「好きな理由はない」と胸を張って答えたいですね。

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2016.06.30

ほおずき

ホットヨガ(五一六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大雨の影響で被害が出ている地域にお住まいの皆さん、お見舞い申し上げます。どうかこれ以上、被害が大きくならないよう、お祈りしています。さて、今日は、ふと浮かんだことを書き留めておきたいと思います。


 私たちが本当は何者であるのかということについて、若い頃から、私はいつも考えていた。はっきりと答えは出ないものの、「これは違う!」と違和感を感じたものからは、次第に遠ざかって行った。例えば、大勢の人たちが参加する飲み会などは、あとに何も残らないので苦手だった。

 つい先日のことである。私の頭の中に、ほおずきのことが浮かんだ。

 今、肉体を持って生きている私たちの実体は、ほおずきの皮をむいたときに現れる実のようなものなのではないだろうか。その実体は、肉体という皮が破られた途端、全体の中に溶け込まれて行くように思う。全体と個は、一枚の皮を隔てて、それ自身が内側に隠れたり、全体の中に吸収されたりもする。この皮が破られて全体の中に吸収されて行くことを、『もともとひとつだった』と呼んでいるのだと思う。

 ほおずきの皮をむく瞬間のことは、覚醒、あるいは肉体を離れる行為に相当すると思う。言い方を変えれば、今、肉体を持っている私たちは、ほおずきを包んでいる皮によって、他者との境界を作ってしまっているというわけだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ほおずきは、どこからどこまでが自分自身だと思っているでしょうか。皮を包む外側も含めて自分だと思っているでしょうか。実際は、自分自身が皮に包まれているのではなく、もっと広い全体の中に含まれているようなイメージでしょうか。伝わりにくいかもしれませんが、ひとまず書き留めておきます。(笑)

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2016.03.05

自分を良く知るきっかけ

映画『ニシノユキヒコの恋と冒険』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 急に暖かくなりましたね。朝はそれなりに寒いのですが、夜はコートを着て電車に乗ると、暑く感じるほどです。朝用のコートと夜用のコートを別々にしたい気分です。(笑)


 最近、またまた仕事帰りに英会話カフェに寄ることが多くなった。今回は、そこで自分なりに気付いたことを書いてみたいと思う。

 毎回、「このままではいけない」と実感してしまうのは、いきなり話題を振られると、なかなか答えられないことである。英語に関するとあるメールマガジンによれば、英会話が得意な人というのは、自分の話したいことを予め用意しているのだそうだ。言い換えると、英語を流暢に話す外国人を自分自身の世界に引きずり込んでしまうということでもある。

 実際、私が通っている英会話カフェにも、その日に話すことを決めて参加している方もいらっしゃるようだ。そういう方は、たいてい、一時間だけの滞在と最初から決めていて、一時間の会話を楽しんだあとは、躊躇することなく立ち上がり、去って行く。私はというと、その逆で、特に話したいことを決めてもいないのに長く滞在し続けているという感じだ。そのような参加方法だから、外国人の方に何か話題を振られても、なかなか答えられない。つまり、常に相手主体の会話になってしまっているのである。

 そこで、英会話カフェで良く聞かれる質問について、自分なりに答えを用意すべく、ノートに書き出してみた。まずは、良く聞かれる質問の一つとして、「これまでどの国を旅行したことがあるか?」である。これまで訪れた国をノートに書き出しながら、気付いたのは、訪問したことをすっかり忘れてしまっている国がいくつかあったことだ。例えば、カリプソオカマショーを楽しんだというのに、タイに行ったことを忘れてしまっていたし、ベルギーに行ったことも、いつの間にか忘れてしまっていた。そのことは、私としてもかなりショックだった。

 訪れた国を一つ一つ書き出したあとは、一つ一つの国に関して、実際に訪れた場所を更に細かく書き出して行った。その作業を通じて更に驚いたのは、いくつかの旅先についても、自分が訪れたことを、もう何年も思い出していない場所がいくつもあったということだ。私は、これまでいろいろな場所を旅行して、自分の中に一体何を残して来たのだろうと衝撃を受けた。何かをするからには、自分の中に何かをしっかりと残しておきたいと思った。そのためには、訪れた場所について、ときどき振り返ることも大切なのだと思った。そうすることで、時間が過去にも現在にも双方向に流れて行くのではないだろうか。

 次に良く聞かれる質問として、「どんなジャンルの映画が好きか?」、「これまで観た中で最も面白かった映画は何か?」などの映画の話題についても、答えを用意しておくことにした。私が好きなのは、ミニシアター系映画館で鑑賞するヒューマンドラマだと決まってはいるものの、最も面白かった映画については、答えを用意していないので、いつもなかなか答えられないでいた。これも旅行と一緒で、映画をたくさん見ているというのに、なかなか好きな映画のタイトルを即座に答えられない。邦題が原題とかけ離れているために、答えられないという問題も実はあるのだが、それ以前に、映画自体を選び出せない。これもまた、私自身が過去の振り返りを行っていないためだとわかった。

 そこで私は、最も好きな映画を選び出した。私が最も好きな映画は、映画『ぼくのエリ 200歳の少女』 である。映画『SHAME -シェイム-』も大好きだ。他にもいくつか好きな作品はあるが、先ほど挙げた二つの作品が突出して好きである。今度、映画の話題が出たときのために、これらの作品の簡単な説明ができるように用意しておき、これらの作品が好きだと言ってみようと思う。

 このように、質問の答えを用意することは、自分を良く知ることにも繋がるのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これらの作業は、普段、意識していないことを顕在化させるきっかけになりました。良く、私たちは他者と通して自分を知ることになると言われていますが、まさしくその通りなのかもしれません。

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2015.11.26

愛について(7)

ホットヨガ(四七四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 自宅の最寄駅の駐輪場のおじさんは、朝は忙しそうだったのでいったん見送り、夕方、別のおじさんに頼んでみました。おじさんが快く空気入れを貸してくださったので、私はガンモの自転車の前輪のタイヤに空気を入れておきました。私よりも帰りが遅かったガンモは、その自転車に乗って帰宅しました。

 母が他界して間もない頃、父と一緒に地元の仏壇店に足を運んだ。そのとき、仏壇店の女性店員さんが応対してくださったので、母が他界したことを告げると、女性店員さんは、
「私も母を亡くしましたので、父には長生きして欲しいと思っています」
とおっしゃっていた。

 そのときの私は、まだいろいろなことを受け入れる余裕がなく、母を亡くしたことが、すぐに父に長生きして欲しいという想いに繋がるのかどうか実感が沸かなかった。しかし、あれから二年以上経って、ようやくそのことを実感できるようになった。本当に、父には長生きして欲しい。心からそう思う。

 父とは、電話や帰省したときに、いろいろな想い出話をする。私が子供の頃のことや、母のことなどが中心だ。父との会話を通して、私は、父と一緒に生きて来たことを実感する。私にとって、父は、生きた証人だ。

 先日の帰省でフェリーを使ったとき、父は早朝であるにもかかわらず、フェリーが着く時間に港まで自家用車で迎えに来てくれた。夜行高速バスで帰省するときも、毎回、迎えに来てくれる。しかし、フェリーが着く港は、夜行高速バスの停留所よりも実家から遠かった。フェリーを利用する場合、連絡バスも無料で利用できたのに、連絡バスで自宅の近くまで移動すれば良かったと後悔した。そのほうが、父がゆっくりできるからだ。そのことを父に告げると、
「かまんよ(かまわないよ)」
と言ってくれた。親は子供に対して、いつでも献身的なのだ。

 ちょうど年賀状を準備する季節なので、帰省中に、父の出す年賀状のデザインを作成し、プリンタのインクカートリッジの替え方などを伝授しておいた。また、父と一緒に、毎日、母のお墓参りに行った。母のお墓参りをするという父の日課に私が加わったというわけだ。母という伴侶を喪って、父はどんなに寂しい想いをしていることだろう。きっと、子供の私では埋められない寂しさを抱えているはずだ。それでも、私がこうして帰省することで、少しでもにぎやかに過ごすことができればいいと思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 帰省中に、最近、可愛がっていたペットを亡くした友人にも会いました。みんな、愛するがゆえの、不在の寂しさを味わっています。彼女に対して何ができるのだろうと考えていたのですが、話を聞くだけでも力になれることがわかりました。こういうことは、頭で考えるよりも、実践したほうがいいのですね。

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2015.11.12

直感に従えば

海外ドラマ『ドクター・フー シーズン2』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先日の楽天のセールで、今まで気にはなっていたものの、まだ一度も購入したことのなかった大容量、マザーズバッグ、トートバッグ、ママバッグ、ジムバッグ【2980円送料無料】軽量で丈夫...を購入してみました。届いた次の日から、早速使い始めたのですが、ポケットがたくさんあって、本当に使い易いです。ポケットがたくさんあると、小さいものしか入らなかったりしますが、このバッグは大きなものも入るような工夫が施されています。メインはリュックなので、リュックに入り切らないものを入れるのにちょうどいいです。これから重宝しそうです。

 今月の三連休に帰省しようと思い立ったが、三連休の始まりの土曜日には、通院している漢方医の診察の予約を入れている。現在、漢方薬を処方していただくサイクルが、三週間ないし四週間ごとになっているのだが、ちょうどその時期に漢方薬が切れることになっているために、やむなくその時期に診察の予約を入れたのだ。とは言え、平日に何とか仕事を定時で上がれば、診察を受けられるのではないかとも考えていた。

 漢方医の診察予約を平日の夕方に変更できるならば、三連休に帰省できると思い、まずはガンモに予定を尋ねてみたところ、ガンモは仕事の予定が入っているという。それならば、高速バスで帰省しようと思い、仕事帰りにコンビニに寄って、高速バスの乗車券を購入しようとした。

 ところが、二十日金曜日の夜行高速バスは既に満席で予約が取れなかった。夜行高速バスは、眠っている間に移動できる上に早朝に目的地に着くことができるので、多少寝不足にはなるものの、大変重宝している。しかし、今回は予約が取れない。

 さあ、どうしたものか。今は満席の高速バスでも、予約をキャンセルする人がいれば、いずれ予約が可能になるのではないかと思い、コンビニをはしごしたりして、高速バスの予約状況をこまめにチェックしていた。実は、その日の夜行便よりも一本手前の便には空きがあった。仕事を定時で上がることができれば、間に合う時間だ。その便のチケットを購入することもできたのだが、どういうわけか気が進まなかった。

 もともと乗りたいと思っていた夜行便には空きがないことをガンモに話すと、
「それより、二十日の夜はライブの予定が入っているのを覚えてる?」
と言うではないか。私は、ガンモとの約束を思い出して、
「ああ、ごめん! すっかり忘れてた!」
と言った。そうなのだ。その日は珍しく、ガンモが私をライブに誘ってくれていたのだ。あろうことか、私はそのことをすっかり忘れてしまっていた。もしも夜行高速バスの予約が取れていたら、キャンセル処理など面倒な手続きを踏まなければならないところだった。

 そして、私ははたとひらめいた。ライブに参加したあと、実家近くまで移動できる手段があることに気が付いたのだ。しかも、ライブ会場からその移動できる手段の乗り場までは近い。なるほど、夜行高速バスの予約が取れなかったのは、そういう予定が入っていたからなのだと思った。夜行便の一つ前の便が空いているのに予約しなかったのは、深いところでそういうことに気が付いていたからではないだろうか。直感に従えば、いろいろなことも、意外とうまく行くのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 当日は仕事もするので、ずいぶん忙しい一日になりそうですが、いつもと違うルートで帰省するのも、たまにはいいのではないかなと思っています。今からわくわくしています。

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2015.07.02

本『第十の予言』

ホットヨガ(四四九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 早いもので、 もう七月になりましたね。関西地方は昨日、まるで梅雨だったことを思い出したかのように雨がたくさん降りました。となると、週末のお天気はどうなのでしょう。週末は、またまたガンモと一緒にお出掛けしますので、週末のお天気が気になっています。

 何年も前に購入して、いったん読み始めたものの、書かれている内容が難しく感じてしまい、読むのをやめてしまった本『第十の予言』を再読している。ほぼ読み終えたので、おそらく明日中には読み切ってしまうことだろう。

 私の記憶では、本書は、本『聖なる予言』の続編として書かれた小説だったと思う。本『聖なる予言』がなかなか良かったので、その乗りで続編となる本書を手に取り、読み始めたところ、難しく感じてしまい、途中で投げ出してしまっていたというわけだ。

 しかし、こうして何年も経ってから再読してみると、今度は私自身がこの作品の世界とは異なる世界に足を踏み入れてしまっていることに気が付いた。ずばり、本書は、輪廻転生を前提とした考え方がベースになっている。そのため、同じ魂のグループで繋がりを持ちながら、個人あるいは魂のグループの「課題」をクリアしながら前に進んで行こうとする。「レベル」という考え方も根底にある。過去世から現世への時間の経過を思わせるところや、「レベル」が存在することから、何となくシーケンシャルにものごとが進んで行くという「縦の学び」をイメージしてしまう。

 何を隠そう、私は最近、阿部敏郎さんのリーラに惹き付けられることが多い。そのため、こうした「縦の学び」に違和感を感じてしまう。というのも、阿部敏郎さんのおっしゃる「いまここ」は、「レベル」も過去も未来もない「横の学び」だと思うからだ。

 私の場合、前世の記憶も少し残っていて、前世を思い出したときに尋常でない泣き方をしてしまったこともある。それでも今は、時間が過去から未来へと一方向だけに進んでいるようには思えなくなってしまった。実は、私たちは、ランダムに再生するCDプレイヤーのようなものではないかと思っているのだ。

 本書では、「次の段階」に進むために、「魂のグループ」たちが「前世の遣り残し」にチャレンジして行く。私たちの生き方も、本当にその通りなのだろうか。そうした生き方に疑問を持つようになると、本書の面白さは失われてしまうものの、主人公が森の中をさまよいながら、一つの方向に導かれて行く手法は良かったと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m リアルタイムで読んでいた頃は難解だったために、しばらく放置していたのですが、時を経て読み返してみたところ、私自身がすっかり変化してしまっていました。とにかく壮大な物語なのですが、映像で見たら、何か変わるかもしれません。本『聖なる予言』を面白いと感じた方も、今、読み返してみると、また違った感じ方ができるかもしれませんね。

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