2025.07.05

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(5)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 七月に入り、本格的な夏が到来しましたね。先月末より、私たちもとうとうエアコンを使い始めました。エアコンなしでは命に関わります。トカラ列島で群発地震が続いているようですが、地震による揺れの影響を受けている地域にお住まいの皆さんには、心よりお見舞い申し上げます。ようやく、一部の方たちが船で鹿児島市に避難されたと聞き、安心しました。頻発する地震に対する不安や寝不足が少しでも解消されることをお祈りしています。さて、日付は特定されていないようですが、果たして、たつき諒さんの予知夢は的中するのでしょうか。昨日、YouTubeを見ていたら、海外の方たちがトカラ列島で群発地震が続いていることや、たつき諒さんの予知夢のことを話題にされていました。動画の中で、漫画の表紙の文字がオリジナルの日本語ではなく韓国語だったので、西洋の方たちからすれば、日本語も韓国語も同じように映って見えてしまうのかもしれないとも思いました。とにかく、日本に大災害が起こるのかどうか、世界が注目しているようです。また、たつき諒さんの予知夢を受けて、既に台湾や香港などの観光客が日本から遠のいていると聞きました。観光業界にも影響が出ているようですね。私はというと、持ち出しバッグに、水をろ過する水筒を既に用意していたのですが、夏なのでもう一つ追加で購入しておきました。もし水道が止まってしまったら、購入した水筒を使って、川の水をろ過して飲むつもりです。それ以外にも、かつてキャンプで使っていた水用タンクに飲み水以外の水を貯めておきたいと思っています。ただ、この真夏にエアコンなしの状態になってしまうのは本当に耐えがたいです。ソーラーパネルがあるとは言え、エアコンを動かせるほどの電力は作れません。動かせるとしても、せいぜいUSB充電式の扇風機くらいです。エアコンを使い始める前までに使っていた、首元を冷やすための冷感タオルがたくさんありますが、冷感タオルを使うには水が必要なんですよね。水や電気なしでこの酷暑をどのように乗り切るかは、まだまだ課題です。何が起こるかはわかりませんが、本当に危ないときは、亡き母が夢の中で私の名前を呼んで起こしてくれるはずなので、母から起こされない間は、特に心配することはないのかなとも思っています。何もないことが一番良いのですが、今後のことを考えると、今のうちにいろいろ準備しておくのは良いことだと思っています。持ち出し用バッグは、緊急時に持って行くものと、ひとまず自宅に残しておいて、災害がいったん落ち着いてから取りに戻るものとで分けておくといいそうですね。緊急時に重いものを持って逃げるのは、それだけでも命に関わりますから。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)の続きをお届けしたいと思います。


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 犬たちと戯れた日は、信玄餅の桔梗信玄餅工場テーマパークを見学したあと、山梨県の民宿に泊まった。そしてその翌日の四月二十八日(月)、私たちは神奈川県にある専修大学を訪問し、学生食堂でランチを食べた。何を隠そう、そこは私の母校なのである。旅の計画を立てていたガンモが、専修大学の学食が一般の人たちに開放されていることを知り、予定に組み込んでくれたのだ。

 大学の近くにある駐車場にカングーを停めて、キャンパスに足を踏み入れたのだが、私が在籍していた頃と比べて、キャンパスがかなり拡大されており、目に映る景色も変わっていた。いろいろな建物が立ち、中庭にはキッチンカーまで入っていた。食堂があるのに外からキッチンカーがやって来るなんて、食堂だけでは足りないということなのだろうか。しかも、まるでオフィス街のように、お弁当まで売られていた。それほど学生数が増えたのだろうか。とにかく驚きだった。

 しかも、ゴールデンウィーク中だというのに、大学に来ている学生さんの数が多かった。私は、食堂がどこにあったのかなかなか思い出すことができなかったのだが、サークルボックスの近くの生田会館に学食があったことをようやく思い出し、足を運んでみた。

 学食の入口を見つけた途端、とても懐かしい気持ちに包まれた。私の在学中には、この生田会館の食堂に森永の食堂も共存していたのだが、どこに行ってしまったのか、見当たらなかった。しかも何と、学生さん向けに100円ランチが販売されていた。今の時代、100円でランチが食べられるなんて、まるで夢のようだ。

 私たちは、500円のランチを注文した。普通に外食すると、倍以上はするだろう。窓際の席に座り、外の景色を眺めながらランチを食べた。ガンモとそこにいるのは、とても不思議な気持ちだった。私がこの大学に在籍していたのは、もう四十年も前のことだ。そのとき、未来の自分が、夫であるガンモと一緒にここを訪れることを想像していただろうか。いや、想像だにしていなかった。ここに来ると、まだガンモには出会っていない、大学生だった頃の自分を思い出すので、過去の自分と現在の自分が重なって一つになろうとしているような、とても不思議な気持ちにさせられるのだった。

 Camblyのレッスンのときにその話をしたら、
「私もかつて通っていたロンドンの大学に、夫と訪れたことがあるんだけど、確かに変な気持ちだったわ」
と共感してもらえた。私が、
「ですよね。ちなみに、そのときランチを食べてみましたか?」
と聞くと、
「いえ、食べなかったわ」
とのことだったので、
「次回は是非」
と言っておいた。Camblyの講師もまた、過去の自分と現在の自分が重なるような不思議な気持ちを体験されたに違いない。

 学食でランチを食べたあと、構内を少し見て回った。学食は、さきほど私たちが足を運んだ場所以外にも存在しているようだった。そして驚いたことに、建物には、四十年前にはなかった耐震用のⅤ字型の補強が至るところになされていた。おそらくだが、地震が多くなって来たので、古い建物にはそうした耐震用の補強をするように指導があったのだろう。

 さて、私たちは大学をあとにして、駐車場近くにある岡本太郎美術館を見学することにした。そこはとても格式高い美術館だった。訪問している人たちがまじめに鑑賞されているのである。私はアクションカメラを持っていたため、美術館のスタッフに警戒されてしまった。というのも、館内の写真撮影はOKだが、動画撮影はNGだったからだ。

 その後、東京湾アクアラインを利用して海底トンネルを通り、神奈川県の川崎市から千葉県の木更津まで移動した。途中の「海ほたる」パーキングエリアで休憩をしたあと、その先にある木更津市内の道の駅で車中泊をしたのだった。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 配偶者と一緒に大学を訪れると、そこに在籍していた頃の自分と今の自分が重なって行くような、とても不思議な感覚に襲われます。実は在学中は、大学のことがあまり好きではなかったのですが、こうした再び訪れてみて、とても緑の多い場所だとわかり、好きになりました。行って良かったです。大学を再訪するきっかけを作ってくれたガンモに感謝しています。

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2025.06.22

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まだ六月だというのに、ここのところ真夏日が続いていましたね。それでも私たちは、まだエアコンを使わずに、何とか乗り切っています。後追いになってしまいましたが、東京で目の当たりにしたオーバーツーリズム山火事の爪あとの記事とリンクしている動画を元記事に追加で貼り付けました。よろしければ動画のほうもご覧くだされば幸いです。インドの飛行機が墜落してしまったり、イランとイスラエルで紛争が始まってしまったりと、今年は何だか心を痛めることが多いように感じています。日本においても、七月五日に大津波が発生するという予言が拡散されたことから、警戒心が高まって来ているように思います。いざというときのための備えは必要ですが、ノストラダムスの大予言のときみたいな結果になってくれるといいなと思っています。さて、GWの東北旅行ですが、先に東北地方のことを書いてしまったので、今回からしばらくは、東北地方にたどり着くまでのことを書いて行こうと思います。


 四月二十五日(金)の夜に自宅を出発した私たちは、途中で晩御飯を食べて、滋賀県にある伊吹パーキングエリアで車中泊をした。その翌日の四月二十六日(土)は高速道路を使い、静岡県まで移動した。今は静岡市に統合された清水(区)にある港近くのショッピングセンターでお昼ご飯を食べて、その近くにあるフェルケール博物館を見学した。そして、その日は道の駅「みのぶ富士川観光センター」で車中泊をした。

 四月二十七日(日)に、「ゆるキャン△」の聖地である本栖高校近くにある常幸院というお寺に車を停めて、お寺の入口にいる犬たちと戯れた。とても人懐っこい犬で、私たちが近寄ると、うれしそうに尻尾を振って歓迎してくれた。犬の近くに骨のおもちゃのようなものが落ちていたので、拾い上げて犬に渡してみると、何だか急にスイッチが入ったように骨のおもちゃを大きく振り回して私たちを笑わせてくれた。

 その犬がいる場所の反対側にも別の犬がいたのだが、こちらの犬は最初の犬と性格がまったく異なっていた。最初の犬が感情を全開にして人間と接しているのに比べ、こちらの犬は普段から感情を押し殺しているように見えた。しかし、ガンモが手を差し出すと尻尾を降り始めた。どうやら、自分に心を開いてくれた相手だけを受け入れようと、最初から心に決めているように見えた。こちらがその犬を受け入れて頭をなでてやると、私たちが少し動いただけで、反対側から駆け寄って来て、お手までしてくれた。

 二匹の犬たちは、お寺の左右の入口に設置された別々の犬小屋に棲んでいた。対照的な二匹の犬は、まるでリアル狛犬のようだった。そのお寺は、「ゆるキャン△」の聖地を訪れる人たちに向けてお寺の駐車場やトイレを開放してくれているため、おそらく全国から多くの人たちが聖地巡礼のために訪れているのだと思う。そのため、最初の犬も次の犬も、やはり出会った人たちとの別れが辛いのではないかと感じた。何故なら彼らは能動的に動いているわけではなく、常に受け身の状態でずっとそこにいて、訪れる人たちをただ受け入れているだけだからだ。自分から能動的に動いている私たちとは立場が違う。最初の犬は、人との出会いを正面から受け入れ、喜び、そして別れを悲しんでいた。次の犬は、出会ってもすぐに別れが訪れることをあらかじめ知っているので、最初から感情レベルを落として人と接しているいるように見えた。性格の違う犬たちだったが、出会った人たちとの別れを悲しむところは同じだと感じたのだった。


※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、週末ごとに動画を編集してYoutubeにアップしています。やはり編集には時間が掛かってしまうので、海外のテレビドラマを鑑賞する時間が減ってしまっています。(苦笑)動画編集も自己表現の一つなので、ブログと連携できるところは連携させて行きたいと思っています。

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2025.06.08

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)

「ふうふ写真散歩」が手元に届いたの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 六月になりましたね。何やらトランプ大統領とイーロン・マスク氏が決別したようで、株価などにも大きな影響を与えているようですね。人と人は凸凹の組み合わせのほうがうまく行くように思います。トランプ大統領もイーロン・マスク氏ともに凸型(改革大好き?)なので、双方の関係には、最初から互いをお許容する姿勢が足りていなかったのではないかと思います。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)の続きをお届けしたいと思います。その前に・・・・・・。原子力発電にからむ出来事として、私自身の中で、ずっと引っかかっている事件があります。私がどのようなことに引っかかっているか、もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、以下の動画をご覧くださいませ。(どの動画も1.75倍速で閲覧できます)


 今回の東北車中泊の旅で、私たちは、2006年に訪れた女川(おながわ)駅を再訪した。当時、女川駅と隣接する場所に女川温泉ゆぽっぽという町営の温泉施設があった。その温泉施設には、鉄道の車両を改造した「お座敷列車」の休憩所があり、鉄道好きの私たちは、お風呂に入ったり、その「お座敷列車」の休憩所で休んだりした。参考までに、当時撮影した写真を掲載しておく。

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 しかし、この女川周辺は、14年前の東日本大震災の大津波の被害に遭ってしまい、当時あった建物は流されてしまったようだ。そのため、現在は新しい建物が建てられている。ただ、鉄道の車両を改造した「お座敷列車」は影も形もなかった。やはり、大津波で流されてしまったのだろうか・・・・・・。

 現在の女川駅周辺は完全に生まれ変わっており、おしゃれな飲食店なども立ち並んでいた。私たちは新しくなった女川駅前でお昼ご飯を食べた。その後、津波に流されて大きく傾いた傾いた旧女川交番を見学した。二階建ての鉄筋コンクリートの杭が引き抜かれて横倒しになった旧女川交番を見て、改めて大津波の恐ろしさを思い知った。

 私たちのように、かつて足を運んだことがあるというだけでも、大津波の影響で町がすっかり変わってしまっていることに関して胸が痛むというのに、実際に大津波を経験された地元の方たちにとってはどれほど恐ろしく、そして辛く耐えがたい出来事であっただろうと思う。しかも、こうした自然災害は事前に防げるというものではなく、ひとたび起こってしまえば、それを命がけで受け止め、やがて再生して行くしかない。いつ発生するかも正確にはわからず、仮に大地震が発生したとしても心配の種が終わるわけではなく、何年か経つと再び同様の心配が生じる。今や、日本のどこに住んでいるとしても言えることだ。そうであれば、私たちも、東北の方たちから学んで行くしかない。何しろ、東日本大震災は、世界で四番目に規模の大きい大地震だったのだから・・・・・・。今回、私たちが東北を訪れたメインの理由ではないにしても、私たちは過去に発生した大地震に意識を向け、被災地の方たちがどのように苦難を乗り越えて来られたのかを学んでおく必要があるように思うのだ。

 ちなみに、日本が地震大国であることは、Campblyの講師たちも認識されている。「日本人の生徒さんとレッスンをしているときに、日本で地震が発生して、生徒さんの画面が大きく揺れたけど、生徒さんは『大丈夫、大丈夫』と言って、普通にレッスンを続けたのよ。逆にこっちが心配になっちゃったわよ」と証言するCamblyの講師が私の周りだけでも複数いる。

 近年では、私たち日本人が実施しているような、災害時の持ち出し用バックを準備することも、次第に海外で広がりつつあるようだ。やはり、気候変動や地殻変動などの話題はCamblyのレッスンで良く講師から振られる話題でもある。実際、ここ10年くらいのうちに、かつてほとんど地震のなかった四国でも地震が発生するようになり、日本国内で発生する地震の規模も大きくなりつつあるように感じている。夏に涼しかったヨーロッパも次第に暑くなり、世界レベルで見ても、以前とは違う何かが起こり始めているような気はしている。これらの変動が何らかのシフトを意味しているのだとすると、やはりそうした変動が既に起こっている地域の人たちから学ぶことがたくさんあるようにも思うのだ。私も、東北で学んだことをCamblyのレッスンを通じて講師たちに伝えて行く。「津波が発生したときは高台に逃げるべきだ」ということを、どこかで聞いたことがある人と、まったく聞いたことがない人では、いざというときに取る行動が異なって来るように思う。現に、去年スペインで起こった大洪水では、情報が少なかったために、洪水が発生しているというのに、より低い土地のほうへ逃げてしまい、命を落としてしまった人たちも多かったようだ。だから私は、地震や津波をほとんど身近に感じたことがないイギリス人講師たちに、今回の東北旅行で感じたことを伝えるのは、それなりに意味のあることなのではないかと思っているのだ。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちがGWの旅行先に東北を選んだのは、そろそろ東日本大震災で起こったことを真正面から受け入れる時期に来ていると感じていたからでした。そして、ひとたびその現実を受け入れたら、現地で学んだことを広く伝えて行くことが必要であるように感じました。

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2025.05.18

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まだ五月だというのに初夏を通り越した暑さですね。今、これを書いているテントの中は32度まで上昇しています。遮光性を持つタープを張り、テントの入口も窓も開けて通気性も良くして、扇風機も回しています。もちろん、既に半袖を着て生活しています。ふと考えてみたのですが、私が中学生/高校生の頃は、六月の始めと十月の始めに制服の衣替えがありました。すなわち、半袖は六月から、長袖に戻るのは十月からだったわけです。しかし、今や私たちが半袖の服を着る時期は、五月から十月までに拡張されているのではないでしょうか。一年の半分を半袖で過ごすことになろうとは・・・・・・。どうか皆さんも、熱中症にはくれぐれもご注意くださいね。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の続きをお伝えしたいと思います。


 GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事では、津波にフォーカスを当ててお伝えした。しかし、東日本大震災の被害で忘れてはいけないのが、福島第一原子力発電所の事故である。大地震が発生したときに、原子炉は自動停止したものの、発電所で停電が発生したことにより、原子炉を冷やすための注水ができなくなり、その後、水素爆発が起こり、放射性物質が外部に流出する事故に繋がった。東京電力は、現在も、それらの原子炉を廃炉にするための作業と除染などの作業に取り組んでいるが、これらの作業が完全に終了するのは数十年かかると言われている。東京電力は、2051年(東日本大震災の発生から40年後)までに廃炉を完了させたいようだが、作業に遅れが出ているようだ。

 私たちは、福島県双葉郡にある東京電力廃炉資料館を見学した。ここでは、水素爆発の事故が発生してしまった経緯や、廃炉への取り組みについての資料が展示されていた。

 私たちがここを訪れた感想を率直に書かせていただくとするならば、汚染水が充分に薄められて海に流されていることは納得できた。しかし、福島の一部の地域では高濃度の放射性物質が放出されていることが確認されており、そのために、今なお帰宅困難区域とされており、そこには住めない状況になっているが、それら地域への具体的な対応についての説明が不足しているようにも思えた。

 帰宅困難区域の周辺には放射線のレベルを測定するガイガーカウンターの値が表示されており、値を確認してみたところ、実際に高い値を示していた。実は私たちは、東日本大震災が発生する以前からガイガーカウンターを所持していた。というのも、私たちの共通の趣味は古いカメラを集めることなのだが、一部の古いカメラのレンズにおいて、ガイガーカウンターが非常に高い値を示すものがあると聞いたことがあるからだ。そこで、福島の一部の地域でガイガーカウンターによる放射線のレベルが表示されているのであれば、私たちも手持ちのガイガーカウンターを持参して確認してみることにしたのだ。

Fukushimaplant
東電福島第一原発事故 日本の原子力政策のサイトより画像拝借

 その結果、上記サイトに示されている値とほとんど変わりない値が、窓を開けて走行ずる車の中に設置したガイガーカウンターにも表示された。このことはすなわち、放射線が既に周辺の空気の中に溶け込んでしまっているということなのだろうか。反対に、帰宅困難区域以外の場所で計測した値は、私たちが住んでいる関西地域とほぼ変わらない値だったので、その点においては安心できるのではないかと思う。ただ、帰宅困難区域に住んでいた方たちは本当に気の毒だと思う。誰しも、自分自身の状況に置き換えて考えてみると、悲しくてたまらなくなるはずだ。

 さて、東京電力廃炉資料館を見学した私は、何だかもやもやしていた。処理水の安全性のみに焦点が当てられているように感じたからかもしれない。そうではなく、そもそも日本に原子力発電所は本当に必要なのだろうか? Camblyのレッスンで話題にしてみた。

 日本の22倍くらいの広さの国に住んでいるイギリス人講師に、「そちらの国では原子力発電に頼っているか?」と質問してみたところ、「原子力発電は使用していない」という答えが返って来た。日本よりもずっと広い国なのに原子力のエネルギーに依存しなくてもやっていけるということに、私は驚きを隠せなかった。ただ、その国は、日本よりもエネルギーを作り出す資源が豊富で、主に水力発電や風力発電に頼っているということだった。

 別のイギリス人講師は、福島第一原子力発電所の事故のことを良く把握されていて、
「津波が発生しやすい状況にあるなら、原子力発電所を海沿いに作るのではなく、山の上に作ったらいいんじゃないかしら」
と言った。しかし私は、「万が一のときに原子炉を冷やす必要があることと、処理水を捨てる必要があることから、海に近いほうがよいのではないか」と答えた。これが正しいかどうかはわからないが、山に作った場合でも、万が一事故が発生した場合に人間の飲み水に大きな影響を与えてしまう可能性も高いと考えられる。むしろ、水が山の高いところから低いところへと流れて行く過程で、海に近いところにあるよりも山の上にあるほうが被害は広がってしまうかもしれない。ちなみに、イギリスでも原子力発電に頼っているそうだ。

 私は、「原子力に取って代わる、より安全なエネルギーを見つける時期が来ているのではないかと思う。日本では30年以内に大地震が発生すると言われているので、そのときに原子力発電所が再び大きなダメージを受けるのは容易に予測できる」と言った。「しかも、日本は原子力爆弾による唯一の被爆国であるというのに」と付け加えた。

 そうは言うものの、私自身も普段から、脱・原子力発電に向けての活動が充分にできているわけではない。車中泊のときと自宅でソーラーパネルから取り込んだ電気を蓄電して活用しているくらいだ。蓄電の技術がもっともっと進めば、例えば、夏の暑さを冬の暖房に活用できたりするのではないか。またはその逆も・・・・・・。更には小電力で動作する電子機器の開発も必要だ・・・・・・。そんなことを妄想しているくらいだ。

 考えてみれば、福島第一原子力発電所の事故のほかにも、原子力発電については課題が山積みであるようにも思う。さきほど書いた30年以内に発生すると言われている南海トラフ大地震への備えもさることながら、使用済み核燃料の廃棄方法についても考えなければならないのではないだろうか。

 実は以前、映画『100,000年後の安全』という映画を映画館で鑑賞したことがある。映画の内容は、フィンランドにおいて、使用済み核燃料の廃棄に頭を悩ませているというものだった。フィンランドでは、使用済み核燃料を地下500メートルのところに埋めて廃棄しているが、使用済み核燃料が人類にとって無害の状態になるには十万年かかると言われており、その間に氷河期も発生し、おそらく言語も変わってしまうので、未来人たちにこれが非常に危険なものであることをどのように知らせるかで頭を悩ませているのである。

 原子力発電に頼っている国に住む人たちは、使用済み核燃料が無害になるまでの時間を認識しているのだろうか。ただ、中には十万年もかからないと力説する人もいる。

【アゴラVlog】プルトニウムに「10万年後の安全」は必要か
(再生速度:1.75で視聴可能)

 映画『100,000年後の安全』の映画で懸念されていることと、上記の動画で語られていることとどちらが本当なのかは素人の私にはわからない。ちなみに、映画『100,000年後の安全』をYouTubeで検索してみると、日本語の吹き替え版を投稿している方がいらっしゃる。これは違法なのかもしれないので、リンクは貼らないでおく。

 それはさておき、日本においても、使用済み核燃料を廃棄する場所に関して、課題が残されているようである。以下のドキュメンタリー動画には、使用済み核燃料の廃棄場所として、地元を提供しようとする町長と、そこに住む住民たちの戦いが記録されている。

「ネアンデルタール人は核の夢を見るか~“核のごみ”と科学と民主主義~」2021年11月20日放送 芸術祭賞やギャラクシー賞、JCJ賞などを受賞したドキュメンタリー!
(再生速度:1.75で視聴可能)

 このドキュメンタリー動画を見て、やはり原子力発電に関連するものは、多額のお金が絡んでいるという印象を受けた。すなわち、原子力発電に力を貸す自治体は、見返りとして多額の報酬を受け取ることができるということだ。多額の報酬を受け取ることで町が豊かになると考える人たちもいれば、町の安全が確実に保証されるのかどうかについて疑問を持つ人たちもいるため、許容できないと主張する人たちもいる。そして、原子力発電を無理に推進しようとしている人たちに共通して言えることは、「どこか冷たい印象を持っている」ということだった。自分のことしか考えていない人たちが多いのではないかという印象だ。

 これらのことから想像するに、おそらくだが福島県もまた、東京電力の原子力発電の建設にあたり、多額の報酬を受け取っていたはずだが、東日本大震災で想定外のことが起きてしまった。東京電力は、その後始末に必死で取り組んでいるが、2051年までに完了する見込みは立っていないと思われる。また、使用済み核燃料の処理の問題も残っている。これらの問題を、今後どのように解決して行くのか。おそらくこれは、東京電力だけの問題では済まされないだろう。原子力発電のメリットだけで新技術に飛びついてしまった感がぬぐえなくもない。デメリットについても充分考察すべきだったのではないか。

 東京電力には引き続き、福島の帰宅困難区域の除染を進めていただくとして、各電力会社で力を合わせて、原子力発電に代わるエネルギーの開発と蓄電への取り組みも進めて欲しいと思う。どうにもこうにも私は専門家ではないので、ここまでの提案しか書けないのが残念だ。とにかく一日も早く、福島の帰宅困難区域の除染が完了して、かつてそこに住んでいた方たちが安心して戻れるようになることを願ってやまない。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 原子力発電の活用に関しては、このまま前に進んで行くことも元に戻すことも困難な状況であるようにも思えます。「トイレのないマンション(使用済核燃料を捨てる場所がないことを意味している)」とは良く言ったものですね・・・・・・。

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2025.05.07

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)

東京で目の当たりにしたオーバーツーリズムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m GWの最終日となりました。GW後半は、お天気が崩れてしまいましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。私たちは4月25日(金)の夜から東北地方に向けて車を走らせ、車中泊と民宿への宿泊で合わせて11泊の旅を楽しんで、少し前に無事に帰宅したところです。GW後半は四連休ということもあり、道路も混雑していました。幸い、高速道路を利用したのは行きだけで、帰りは一般道を走って帰りましたので、目立った混雑はなく、予定通りの時間に帰宅することができました。今回の旅でもいろいろな気付きがありましたので、数回に分けて、皆さんにシェアさせていただきたいと思います。


 今回の旅で訪れた最北端の街は、山形県の酒田市だった。そこから折り返して、帰りは日本海側を走って帰宅した。GWの東北は、やはり寒かった。山には雪が積もっており、山形の鶴岡辺りの道路沿いには、まだ雪がたくさん残っていた。

 東日本大震災のあと、私たちは被災地を訪問するのをしばらく控えていたように思う。それでも、飛行機や新幹線を利用して、被害の大きかったところを避けながら、一部の地域を旅行したことはあった。今回は車での移動となったので、東日本大震災に関連する様々な施設を回ることができた。その一つが、宮城県石巻市にあるみやぎ東日本大震災津波伝承館である。ここでは、東日本大震災で発生した大津波に関する記録と、津波が発生したときにどのようにして身を守るかについての重要なメッセージが映像やパネルを使って展示されている。

 東日本大震災は、マグニチュード9.0という世界規模でも四番目に大きな大地震だった。大地震が発生したことにより、宮城県には8メートルを超える津波が押し寄せ、その大津波により多くの人たちが命を落とすことになってしまった。特に、宮城県や岩手県周辺で見られるリアス(式)海岸というギザギザの形をした海岸は、ギザギザのない海岸に比べて、より高い津波が発生しやすい状況にあったようだ。(私はこの理由を、短時間で波が跳ね返って来る構造になっているためであると理解した)

 みやぎ東日本大震災津波伝承館に展示されていたビデオの中に、大津波から逃げて助かった人たちからのメッセージが収録されていた。それらを要約すると、
「津波が来たら、迷わず高いところへ逃げて、決して低いところには戻らないように」
ということのようだ。もし、南海トラフ地震に直面するようなことがあったら、このときのメッセージを思い出して行動しようと思う。

 ところで、私はGWの旅行中もCamblyのレッスンを受ける必要があった。レッスンをパスしてしまっても問題はないのだが、受けなかったレッスンを繰り越しすることができないので、海外旅行中であろうが、国内旅行中であろうが、私は必ず自分の決めた回数分のレッスンを受けるようにしている。東北を旅行しているときも、一度だけレッスンを受けた。そのとき、私は民宿に宿泊しており、浴衣姿でレッスンを受けたところ、イギリス人講師が浴衣姿の私を見て、いつもと雰囲気が違うと言った。そこで私は、仕事を11連休することができたので、14年前に発生した大地震と大津波の被害が大きかった地域まで旅行に来ているのだと言った。イギリス人講師には、何故、そこに足を運んだかの理由を尋ねられた。というのも、その講師は感受性が強いために、多くの人たちが亡くなった場所に足を運ぶと、平常心ではいられなくなってしまうらしい。去年の夏に、私がアウシュビッツ強制収容所を訪問したことを報告したときにも、何故、そこに行くことにしたのかと尋ねられ、自分はそういう場所は絶対ダメなのだと言われた。

 私は、アウシュビッツ強制収容所を訪問した理由として、悲惨な出来事があった場所を訪れることで、その場所を浄化したい気持ちがあったと答えた。しかし、実際には一度や二度の訪問では浄化できるものではないと感じていた。アウシュビッツ強制収容所が負の遺産として今でも遺されているのは、そこを訪れた人たちに、このような悲惨な歴史を二度と繰り返して欲しくないためらしい。

 それはさておき、私が東日本大震災の被災地を訪れたのは、やはりいつまでも避けていてはいけないと思っていたことが一番大きい。その場に足を運び、同じ日本人として、その痛みをきちんと感じ取りたかったのだ。

 津波にのまれてしまった地域は、震災遺構として公開されていたり、住宅以外の用途で活用されていたりした。悲しいことに、住宅地の中には、新しい家ばかりが立ち並んでいる地域もあった。すなわち、古い家はなくなってしまったということなのだろう。そこでは、私たちの想像をはるかに超える被害を受けていたことが予想できた。

 残念なことに、これらの複雑な想いを、イギリス人講師にうまく伝えることができなかった。そこで私は、日本では向こう30年以内に再び巨大地震が必ず起こると予想されているので、過去の大地震から学ぶべきことがあるのではないかという気持ちで訪れましたと答えた。実際には、それが東日本大震災の被災地を訪れたメインの理由ではなかったのだが・・・・・・。

 するとイギリス人講師には、自分なら、必ず大地震が起こる場所で暮らし続けるのは怖いので、そこを離れて別の場所で生活すると思う、必ず大地震が起こるとわかっている場所で暮らし続ける理由がわからないと言われてしまった。そのイギリス人講師は、既にイギリスを離れて別の国で暮らしている人なので、おそらく自国を離れて暮らすことには抵抗がないのだろう。英語を自由に操ることができれば、どこの国に行こうとも、ほとんど不自由することなく生活して行くことができるだろう。また、もともとイギリスには生命が脅かされるほどの自然災害がほとんど発生しないことも、自然災害が多い日本とは大きく異なるところだと思う。日本は自然災害が多いものの、日本語を理解してくれる国が日本しかないために、日本を離れて他の国で暮らそうと考える人はそれほど多くないのではないかと思う。もし、他国でも日本語が通じるのであれば、日本を離れて他国に移住しようとする人も少なからずいるかもしれない。ただ、それとは別に、田舎のほうに行けば行くほど、地域の人たちが人との繋がりを大切にして、個人的な考えだけでは行動しない傾向にあるようにも思う。別の言い方をすれば、地元愛が深いとも言える。

 おそらくだが、私自身はやがて南海トラフ大地震が来るとわかっていても、海外に脱出したりはせずに、日本に留まり続けることを選ぶに違いない。ひとまず、南海トラフ大地震はまだまだ先のこととして、その前に、私は東北の方たちが体験した激しい痛みを現地で感じ取り、追悼の意を捧げたかったのだ。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m みやぎ東日本大震災津波伝承館には、東日本大震災で行方不明になっている方たちを探すために、何度も何度も海に潜って探し続けたという方のコメントもありました。大地震の発生から14年経ってもなお、たくさんの方たちが行方不明の状態であると聞きました。今なお行方不明の方たちが、一日も早くご家族のもとに帰れることを願ってやみません。

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2025.04.26

東京で目の当たりにしたオーバーツーリズム

山火事の爪あとの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いよいよゴールデンウィークが始まりましたね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は仕事の納品を控えて、この四月はこれまでにないほど残業をしていました。すべてテレワークで対応できたので、通勤時間がかからなかったことについてはとてもありがたかったです。また、私自身の至らないところをチームのみんながサポートしてくれたことについても、大いに感謝しています。もしかすると、ゴールデンウィークも何日かは出勤する必要があるかもしれないという状況に陥っていたのですが、チームのメンバーのサポートもあって、何とか昨日のうちに予定していた作業を終えることができました。おかげで、このゴールデンウィークは十一連休することができます。というわけで、ゆうべのうちに自宅を出発して、ガンモと車中泊の旅に出て来ています。今年のゴールデンウィークは飛び石連休になるとのことで、何となく交通量は少ないように思います。皆さんも、どうか楽しいゴールデンウィークをお過ごしくださいね。


 今回は、三月の春分の日を挟んで、仕事を四連休にして東京に出掛けたときの話をしようと思う。

 東京に出掛けることになったきっかけは、ガンモが新卒で三年間だけ勤めた会社の同僚たちが定年退職するというので、当時の同期のみんなで東京に集まることになったためだ。それに合わせて私も有給を取得して、海外旅行で貯めたマイルを消費して、飛行機で東京へと向かったというわけである。

 東京のホテルは、円安に惹かれて日本を訪れている外国人観光客の方たちが支払える価格に合わせてひどく高騰していた。そのため、私たちは世田谷区にある古い昭和のアパートを改造して作られたリーズナブルな価格のビジネスホテルに宿泊した。私が独身時代に住んでいた下北沢も同じ世田谷区にあり、しかも、今回宿泊した宿の最寄駅のすぐ隣がその下北沢だった。そのため、今回の東京滞在は、私にとっては非常に懐かく感じるものとなった。

 不思議なことなのだが、羽田空港に着いて東京に一歩足を踏み入れた途端、「私は東京にいるんだ」というモードに切り替わった。大学進学のために上京し、ガンモと結婚する直前まで十一年間東京に住んでいたので、ひとたび東京の空気に触れると、東京に住んでいたときの感覚がすぐに蘇るのだった。

 結婚してからも、しばしば東京を訪れてはいたものの、おそらくここ十年くらいは東京から遠ざかってしまっていたように思う。久し振りの東京訪問でまず驚いたのは、やはり電車や景色などがすっかり変わってしまっていたことだった。駅のホームにもホームドアが設置されていただけでなく、私の知らない新しい路線まで登場していた。

 他に驚いたことと言えば、何と言っても、外国人観光客が極端に多いことだった。ある有名なお寺に足を運んだところ、何とそのお寺を訪れている九割程度の人たちが外国人観光客だった。秋葉原にも足を運んだのだが、街を歩いている六割程度の人たちが外国人観光客だった。ここは本当に日本なのだろうかと疑ってしまうほど、とても複雑な気持ちになった。おそらく、京都や大阪で起こっているのと同じ現象が、東京でも顕著に起こっているのだと思う。まさしくオーバーツーリズムを目の当たりにした瞬間だった。

 実は、去年、京都の嵐山までトロッコ電車に乗るためにガンモと二人で出掛けて行ったのだが、今回訪れた東京のお寺とほとんど同じことが起こっていた。トロッコ電車の利用客のほとんどが外国人観光客だったのである。ここは本当に日本なのだろうかと、目を疑ってしまった。

 こういう話をCamblyのレッスンでイギリス人講師に話すと、「以前は、日本まで行くのも価格が高かったし、なかなか実現できなかったんだけど、今は二ヶ月くらい滞在するのも可能な状況になって来ているのよ。そこに住んでいたらわからないと思うけど」と言われた。いやはや、それは今の日本が、かつて日本から見て物価が安いと感じていた他の国々と同じようになって来たということなのだろうか。

 その一方で、ある英語系Youtuberが、自身のチャンネルでこんな話をしていた。最近は、海外で売春をするほうが日本の二倍も三倍も稼げるので、アメリカなどに単身出向いて売春をする日本人女性が増えているらしい。アメリカの入国審査官たちは、そうした女性を入国させないために、これまで以上に厳しい審査を行っているのだとか・・・・・・。

 それはさておき、日本が好きで日本を楽しんでくれる外国人観光客が増えているのはうれしい反面、他国の文化と混ざることで、やがて日本独特の文化が失われていくのではないかという懸念もある。また、日本の重要文化財に落書きをする外国人もいると聞く。海外に出掛けると、あちらこちらに落書きが多いのは見慣れた光景なのだが、日本にはまだそれほど落書きが定着していない。日本においても、やがてどこに行っても落書きを見かけるようになってしまうのだろうか。また、街もゴミで溢れるようになってしまうのだろうか。そんな懸念もある。おそらく、このまま円安が続いて行く限り、今後も外国人観光客は増え続けることだろう。そうなると、やがて文化が混ざってしまうのは避けられないのではないだろうか。

 あれほど物価の高いイギリスでさえ、外国人観光客が多くやって来ているという話は以前から良く聞く。ロンドン出身のイギリス人講師は、「学校のクラスには、インドや日本などのいろいろな国から移住して来たクラスメイトが数人はいたわよ」と言っていた。さすがに、今の日本はそこまでの状況にはなっていないと思うが、やはりそのイギリス人講師に、「自分の国に多くの外国人がやって来ることについてどう感じていましたか?」と尋ねてみると、「やはり複雑な気持ちだったわね」と語ってくれる。

 Camblyのレッスンを受ける前まで英語のプライベートレッスンを担当してくれていたイギリス人講師もまたロンドン出身だったのだが、やはり自分の生まれ育った地域に外国人が移住して来るのを複雑な気持ちで受け入れていたと言っていた。

 そういう意味では、日本もようやく他国並みになって来たということなのだろうか。それとも、今の状況は、かつての鎖国時代の反動なのだろうか・・・・・・。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 都会では、外国人観光客が多く見受けられるようになって来ていると思います。仕事先は大阪なのに、テレワーク続きなので大阪の状況はわかりませんが、万博が始まったので、おそらく大阪もすごいことになっていそうです。(苦笑)今はただ旅行のために日本を訪れている外国人観光客が多い状態であると思うのですが、やはり日本が好きだから移住しようと決意する外国人の方たちが今後は更に増えて行くのではないかと思っています。

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2025.02.13

大寒波と車中泊

鷲羽山(わしゅうざん)ハイランド(地上16メートル)恐怖のスカイサイクルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大寒波が通り過ぎて行きましたが、皆さんのお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか。この冬はあともう一つ、寒波がやって来るそうなので、少しでも快適に過ごせるようにしておきたいですね。埼玉県八潮市の道路が突如として陥没して、大型トラックがその穴に落ちてしまった事故は、大変痛ましいことだと感じています。未だにそのトラックの運転席が引き上げられていないのも大変気の毒に思います。最近は、飛行機事故も多いように感じますし、事故ばかり起こる年にはなって欲しくないなあと思います。


 先週末、有給を加えて四連休にすることができたので、ガンモと一緒に愛車カングーで車中泊に出掛けた。大寒波が到来していたので、慎重に移動したのだが、やはり西日本は冬でも暖かい地域のためか、冬用タイヤに履き替えずにノーマルタイヤで走行している車がたくさん見受けられた。中には、道路脇で立往生している車やJAFに牽引されている車を何台も見た。私たちも以前、無謀にもノーマルタイヤで雪道を走り、車が動かなくなってしまったという苦い経験がある。そのときの経験から、私たちは冬になると毎回、冬用タイヤに履き替えるようにしている。冬用タイヤに履き替えたあとは、ノーマルタイヤに戻す作業も必要になるので、毎回、手間ではある。しかし、今回の車中泊では、冬用タイヤに履き替えておいて本当に良かったと感じた。

 私たちが車中泊に出掛けるときは、高速道路を使わずに一般道を利用する。ところが、今回は大寒波の影響で、多くの一般道が通行止めになってしまっていた。そのため、迂回しながら移動したのだが、初日はとうとう予定していた場所にたどり着くことができなかった。その日の移動中に、大型トラックが道路で方向転換しようとしている場面に出くわした。大型トラックにより道がふさがれてしまっているため、私たちも、そして反対方向からやって来る他の車も、大型トラックの方向転換が終わるのをじっと見守っていた。無事に大型トラックの方向転換が終わって走り去って行ったので、果たして大型トラックが行こうとしていた先に何があったのだろうと思い、私たちもその先に進もうとして驚いた。何とぞの先は、道がものすごく狭くなっていたのだった。こんなに細い道を大型トラックが通れるはずがなかった。なるほど、その大型トラックは、あちらこちらの道路が通行止めになってしまっている影響で、普段、利用している比較的大きな道路を通ることができなかったのだろう。不慣れな道路を走行し始めたものの、その先はどうしても進めない状況になってしまい、大がかりなUターンを試みたのだと思われる。そう考えると、大型トラックの運転手さんが気の毒に思えた。天候が、確実に大型トラックの運転手さんの仕事に影響を与えていたからだ。

 レジャーで訪れている私たちも、本当はもう少し足を伸ばす予定だったのだが、予定を変更して、雪の少ない道の駅で車中泊をした。四連休の初日は、私たちが宿泊した道の駅でも最低気温がマイナス3℃まで下がった。それでも私たちは、自宅で過ごすのと同じように、暖房器具は何も使わずに車中泊を楽しんだ。厚着をして寝袋を二重にすれば、何とかやり過ごすことができた。朝方は、カングー内の温度が4.5度くらいまで下がっていた。とてつもなく寒い日に、テントで過ごすのとほとんど変わらない。とは言え、低体温症は怖いので、最近は飲み物にしょうがパウダーを混ぜて、深部体温を上げる努力をしている。

 ちなみに私は、テントでは防災用のアルミシートを2枚活用している。1枚はテントの入口に垂らして冷気を遮るようにしている(テントの入口は、防災用アルミシートだけではなく他にもいろいろかぶせて保温性を高めている。そのため、テント内はおおよそ外気温プラス7度を維持できている)。もう1枚は、テントで使用している毛布と毛布の間に挟んで使っている。これがものすごく暖かい。防災用のアルミシートを持ち出し用リュックに入れているという方もいらっしゃると思うが、実は防災用アルミシートは寝具の間に挟んで使うとものすごく暖かいのだ。

 今回、当初の予定を変更することになってしまったわけだが、それゆえに、車中泊は急な予定変更にもフレキシブルに対応できる旅行の楽しみ方だと強く感じた。ホテルに宿泊することにしていたら、ホテルまでたどり着けない場合は、直前の予約キャンセルを余儀なくされるため、キャンセル料もかかってしまったかもしれない。しかし車中泊の場合、その日の宿泊地は自分たちで自由に決めることができるだけでなく、事前予約も必要ない。日帰り温泉施設が溢れている日本においては、入浴するにもまったく困らない。車で移動すると、CO2を排出してしまうことや、ガソリンが高騰しているという問題点はあるものの、度を越した利用でない限りは、車中泊は手軽に楽しめるレジャーだと思うのだ。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 車中泊にどっぷりはまっている人たちの中には、車中泊をもっと快適にするためにキャンピングカーを購入したり、より大きな車を購入して車中泊仕様に改造したりしている人たちもいらっしゃるようです。私たちは今のところ、カングーのままで充分楽しめています。後部座席は、寝やすいようにフラットにしてしまっているので、人を乗せて走ることはできませんが・・・・・・。(苦笑)

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2025.01.24

鷲羽山(わしゅうざん)ハイランド(地上16メートル)恐怖のスカイサイクル

2025年もほぼ日手帳活用宣言の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 年末あたりからいろいろな事件が起こっていますね。まずは中居くんのことですが・・・・・・。被害女性が本当に気の毒です。決して、お金で解決できる問題ではないとは思っています。芸能界の引退を決意したのは潔かったと思います。いろいろな報道や憶測が飛び交っており、それらを総合して考えてみると、やはり〇物疑惑はまんざらあり得ない話でもないのではないかと思ってしまいます。とても正気じゃない気がしています。そして、もしもこの問題が今でも明るみにならなかったとしたら、被害女性の数は今よりももっと増えていたかもしれないですよね。それだけは良かったことなのかなと思います。それから兵庫県の闇・・・・・・。こちらも次から次へといろいろな報道や憶測が飛び交っていますが、もしかしたら表に出ていることが真実とは限らないのかもしれないですね。さて、新年早々いろいろな事件があり、気がめいってしまっているので、お正月明けに取った動画を公開させていただきたいと思います。


 年末年始は10連休することができたので、ガンモと一緒に車中泊を楽しみながら私の実家に帰省し、最終日はホテルに泊まってから帰宅した。その途中で、岡山県の鷲羽山(わしゅうざん)ハイランドという遊園地に立ち寄った。ここには、地上16メートルのレールの上を走るスカイサイクルという恐怖のアトラクションがある。以前からこのアトラクションは恐ろしいという話をあちらこちらから聞いていたので、私たちも意を決して、これに挑戦してみようと思い立ったのだ。

 鷲羽山ハイランドは、四国から瀬戸大橋を渡るときに見えている遊園地で、その名の通り、山の上にある。園内に入ってからも、階段や坂道の多い構造になっている。園内を移動するだけでも、かなりの体力を使う。移動専用のリフトが欲しいくらいだ。しかし、実際にはそんな便利なリフトはないので、私たちは一生懸命階段を昇って、スカイサイクルの乗り場までやって来た。

 スカイサイクルは二人乗りの自転車で、前向きに動く自転車と横向きに動く自転車がある。横向きに動く自転車は、景色を見ながら移動することができる自転車で、最近リリースされたらしい。私たちは、昔ながらの前向きに動く自転車を選んだ。

 スカイサイクルに乗るときは、転落防止のために、シートベルトを着用することになっている。と言っても、ジェットコースターのように上から押さえてもらうようなしっかりしたものではなく、自動車の後部座席のシートベルトのような、腰を固定させるだけの簡易的なものである。

 私たちは、出発した直後から恐怖を感じた。何故なら、移動中もレールの下が丸見えだからだ。これは本当に怖い。実は私は飛行機に乗るのも怖いほど、高所恐怖症なのだ。それなのに、わざわざ鷲羽山ハイランドまでやって来て、地上16メートルのレールの上を走る恐怖のスカイサイクルに乗っている。とてつもなく怖いが、動き始めたからには、自転車をこぎ続けなければゴールに着かない。私たちは恐る恐るペダルを踏んで、前に進んだ。とは言え、他の人たちは余裕で自転車をこいでいる。こんなに怖がっているのは私たちだけのようだ。

 私たちは恐怖を感じながら、時には叫びながら、何とか一周した。途中、瀬戸大橋が良く見えるポイントがあったというのに、恐怖のため心に余裕がなく、自転車の上から瀬戸大橋を眺めることはできなかった。いやはや、スカイサイクルは本当に怖かった。寿命が30年くらい縮まった気分だった。

 私たちは前向きに進む自転車を選んだので、レールがずっと見えていて怖かったが、横向きに進む自転車のほうが、レールが見えない分、怖くない気がした。横向きに進む自転車は、景色を見ながら移動できるのだが、果たして景色を見ることに集中できるのだろうか。もし、今度来ることがあったら、次回は横向きに進む自転車を試してみようと思う。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鷲羽山ハイランドは、数え年で60歳以上の人は2500円のパスを購入して提示すると、永久に毎回無料で利用できるようです。私たちは二人ともその条件に該当しているので、次回も無料で利用することができます。高所恐怖症の克服にはいいのかもしれませんが、階段が多いのでかなり体力を使います。(笑)

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2024.12.16

帰国後に人生初のコロナ感染

宿泊費航空会社持ち(インシデント・オブ・ノーティス)でドーハのホテル滞在、そして帰国の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 本格的に寒くなって来ましたね。中山美穂さんの訃報を聞いて、ショックを受けている方も多いかと思います。実は私もその一人です。防ぐことができたかもしれない事故であればなおさらです。事務所から正式な発表があったにもかかわらず、今でも様々な憶測が飛び交ってはいるようですが、対面された方のお話によると、まるで眠っているのと変わらない状態だったそうですね。きっとあちらの世界にも、中山美穂さんのファンの方はたくさんいらっしゃることと思いますので、好きな歌を歌い続けて欲しいですね。ご冥福をお祈りいたします。


 夏休みの旅行から帰った直後とその翌日、ガンモは
「何もする気が起こらない」
と言って、いつもよりも口数が少なくなってしまった。私は、
「旅行が終わってしまって、燃え尽き症候群みたいになっているのかな」
と言ったのだが、ガンモはその翌日には復活して、平常運転となった。

 私はというと、帰国した翌日からすぐに仕事だったので、これまでのスマホだけの目覚ましに加えてアナログ時計も用意して、時差ぼけと戦いながら、起きて仕事をした。とは言え、これまでチェコとポーランドにおいては日本と7時間の時差(日本のほうが早い)、ドーハにおいては日本と6時間の時差(こちらも日本のほうが早い)だったので、朝から仕事を始めても、お昼過ぎまでは眠気との戦いだった。

 いっぽう、いったん平常運転に戻ったガンモはというと、やはりいつもとは調子が違っており、やがて咳が出始めて、とうとう熱まで出てしまった。そこで帰国してから4日目の朝に、自宅近くの病院で診察を受けたところ、ガンモはコロナ陽性の診断を受けてしまった。ガンモによると、喉の痛みが半端なかったらしい。病院では、カロナールを処方してもらったそうだ。カロナールのおかげで、熱はすぐに下がったようだ。4日ほどで楽になれると聞いてはいたものの、ガンモにとって、喉の痛みはかなり辛かったようだ。

 いっぽう、私はというと、特に症状はなかったものの、お腹が少し緩くなっていた。ガンモと一緒に生活をしているので、おそらく私も感染するのだろうとは思っていた。そして、やはりそのときはやって来た。ガンモが燃え尽き症候群のようになった日をコロナ1日目とした場合、ガンモのコロナ5日目に私自身も咳が出始めた。その翌日には、エアコンを使っていると寒さを感じる状態になっていた。そして、ガンモのコロナ6日目に私も熱が出た。その頃にはガンモの喉の痛みは少しマシになっていたようだ。おそらくガンモのコロナが私にうつったのだろう。ガンモのコロナ7日目に、私の体温は39.1度まで上昇した。

 実は、旅行先でコロナに感染した場合のことを考えて、アセトアミノフェンやのどヌールを旅行に持参していた。結局、そのときに用意した薬を帰国してから使用する羽目になってしまった。喉の痛みを訴えるガンモにのどヌールを渡してみたのだが、のどヌールでは喉の痛みを部分的にしか抑えてくれないので、ないよりはマシだが、のど全体の痛みをカバーしてくれないのであまり役に立たないと言われてしまった。私自身は、発熱に対してはアセトアミノフェンを飲んで対処した。病院には行かなかった。幸い、私の場合は喉の痛みはまったくなく、ガンモよりも熱がやや高かったくらいだ。その熱も、アセトアミノフェンを飲めば収まってくれたので、何とか仕事も休まずにこなすことができた。ずっとテレワークで仕事をしているため、コロナに感染しても仕事を休まなければ誰にも迷惑をかけることはなかった。それだけは幸いだったと思う。ただ、やはり、仕事中もときどき意識が朦朧としていたように思う。私は、発熱してから2日くらいで熱が下がった。喉の痛みがまったくなかったので、ガンモからは不思議がられていた。

 果たして、私たちはどこで感染したのだろうと考えた。可能性として最も高いのは、やはりアウシュビッツ強制収容所の現地ツアーに参加したときだと思う。長時間を過ごしたバスの中で、咳こんでいる人が複数いたからだ。彼らは咳こんでいてもマスクをしないので、バスの中にコロナウィルスが拡散されていたのではないかと思う。しかし、それだと潜伏期間が5日間になってしまう。仮にもし、ワルシャワからドーハまでの飛行機の中で感染したのだとすると、潜伏期間が2日間になってしまい、計算が合わないことになる。私自身がガンモのコロナ5日目に症状が出始めたことを考えると、やはりアウシュビッツ強制収容所の現地ツアーでもらって来たのだと考えるのが自然だと思う。ガンモと私で、症状が出始めた時期がずれていることから、おそらく私自身は旅先では感染しなかったが、やはりガンモを経由して感染したと思われる。

 これが私たちにとっての初のコロナ感染となったわけだが、過去にワクチンを接種していたこともあって、比較的軽くて済んだのではないかと思う。ただ、罹患中は二人とも食が細かった。ありがたいことに、二人とも味覚障害などの後遺症はない。ただ、咳はしばらく残っていたと思う。それでも、旅先で発症せずに、帰国してから発症したことは、今になって思えば不幸中の幸いだったと思うのだ。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私自身は病院に行って診察を受けていないので、私もコロナ陽性だったとは言い切れないのですが、ガンモが陽性になったあとに私も発熱して咳が出ているので、非常に高い確率で私自身もコロナ陽性だったと思っています。ガンモは喉の痛みが激しかったようですが、それでも、私たち二人とも比較的軽い症状で良かったなと思います。冬にまた感染が広がるかもしれないので、皆さんもどうかお気を付けくださいね。

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2024.12.03

宿泊費航空会社持ち(インシデント・オブ・ノーティス)でドーハのホテル滞在、そして帰国

ワルシャワ~地下鉄、ポーランド軍事博物館、関空便には乗れずの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 兵庫県知事が再選した背景について、またしても新たな疑惑が浮上して話題になっていますね。私自身はSNS嫌いなので、インスタグラムなどは開設していませんが、報道されているような内容ばかりを投稿する人をフォローしたくはないなあと感じました。それでは、夏休みの旅の最終話をお届けしたいと思います。


 ワルシャワ・ショパン空港を出発した私たちは、およそ5時間半のフライトで、カタールのドーハ・ハマド国際空港に到着した。ワルシャワ・ショパン空港の空港カウンターで案内されていた通り、飛行機を降りると、カタール航空のスタッフが次の行き先をが書かれた札を持って立っており、次の行先ごとに宿泊先のホテルの案内をしてくれた。私たちが関西国際空港行きの便に乗ることをスタッフに伝えると、私たちの名前が印刷された宿泊クーポンを手渡してくれた。

 カタールの入国審査は、これまで経験したことがないほど厳しかった。顔写真が取られ、指紋もスキャンされた上に、入国前にも荷物検査があった。

 到着ロビーに出てみると、今度はいろいろなホテルのスタッフが待機しており、私たちがどこのホテルに滞在するのかを確認してくれた。私たちが宿泊先のホテルの名前を告げると、「そのホテルならこちらで待っていてください」と案内してくれた。

 飛行機がドーハ・ハマド国際空港に着いたのは、確か朝の3時半頃だったと思う。そして、それから到着ロビーで2時間ほど待って、ようやくホテルに向かう送迎バスまで案内してもらえることになった。

 エアコンの効いた到着ロビーから一歩外に出た途端、猛烈な暑さに打ちのめされた。暑い! とにかく暑い! おまけに湿度も高い。その暑さは日本の比じゃなかった。あまりにも暑すぎるため、ドーハでの街歩きは無理だろうと思った。この当時、ドーハは連日、気温が42度くらいまで上昇していた。早朝とは言え、この日もそれくらいまで上昇していたのではないかと思う。

 ホテルの送迎バスは、思っていたよりも小さかった。果たして私たちは、この送迎バスに乗れるのだろうか。到着ロビーで2時間も待っていたのだから、誰しもこの送迎バスに乗りたいと思っていたことだろう。

 利用客が順番に送迎バスに乗り込んでいたが、既に満員のようでもあった。私たちはもう乗れないのかと諦めかけていたところ、一度乗った数人の人たちが送迎バスから降りて来た。そのため、私たちも送迎バスに乗れることになった。

 送迎バスが空港を出発して、およそ15分くらいで宿泊先のホテルに着いた。ホテルは四つ星ホテルだった。チェックインを済ませると、「お部屋をご用意している間に、お先に朝食をどうぞ」と言われた。実のところ、あまりお腹は空いていなかったのだが、せっかくなので朝食をいただくことにした。私たちが宿泊したホテルは、乗り継ぎ便の待ち合わせのために利用されているホテルのようで、チェックイン時間とチェックアウト時間が明確に決められているわけではなく、利用客が次に乗る飛行機の時間により、時間制で回しているように思えた。

 朝食はビュッフェ形式だったので、食べたいものを取り、飲みたいものを飲んだ。朝食を食べてフロントに戻ってみても、まだ部屋の用意ができていなかったので、私たちはフロント周辺でしばらく待つことになった。

 ようやく部屋の準備が整ったとのことで、フロントでカードキーを受け取って部屋に向かったのだが、指定された部屋の前でカードキーをかざしても、ロックが解除されなかった。フロントで渡された紙に書かれたルームナンバーを確認してみたところ、教えられた以外の部屋番号にも読み取れる状況だったので、その部屋の前に行き、カードキーをかざしてみたが、やはりロックは解除されなかった。

 そのためフロントに戻り、まずは部屋番号を確認したところ、部屋番号は合っていた。続いて、このカードキーでは開かなかったことを伝えたところ、フロントのスタッフがカードキーを確認してくれて、使えるようにしてくれた。どうやらカードキーに正しい部屋番号がセットされていなかったようだ。

 部屋の前まで戻り、カードキーをかざすと、ようやく部屋のドアのロックが解除されて中に入ることができた。さすが四つ星ホテルだけあって、部屋の中はとてもきれいだった。ひとまず、私たちのスーツケースはカタール航空に預けたままだったので、着の身着のままの私たちは、着ているものをいったん脱いでシャワーを浴び、洗面所で洗濯をした。

 ベッド脇の引き出しを開けてみると、コーランがあった。アラビア語で書かれているため、まったく読めなかった。アラビア語は右から左に向かって書かれているらしい。日本語も縦書きで表記することがあり、よく外国人から日本語は難しいと言われているが、アラビア語の難しさには負けている気がする。ちなみに、イスラム教徒の方たちは、コーランの全章を暗記するそうだ。

 そして私たちはベッドに横になり、四時間半ほど眠った。起きてから、ホテルの外に出てみたが、やはり暑かったので、すぐにホテルに舞い戻って部屋でくつろいだ。

 その後、お腹も空いて来たので、ルームサービスを注文することにした。しかし、ルームサービス専用の番号に電話をかけても誰も出てくれなかった。何度かけても同じ状況だったので、フロントまで出向き、スタッフに尋ねてみたところ、フロント近くのカフェで注文を受け付けてくれるとのことだった。そこで私はカフェに直接出向き、カフェのスタッフに注文内容を伝えて部屋に戻った。

 ところが、注文してから一時間経っても食事が運ばれて来なかったので、またしてもカフェに出向き、様子を見に行った。すると、カフェのスタッフがまさしく私たちが注文した料理をワゴンに載せて運ぼうとしていたところだったので、カフェのスタッフと一緒にエレベータに乗って部屋に戻った。

 どうやら私たちが注文した一部の商品が品切れだったらしく、代わりにアラビアのナンを用意してくれていたのだが、これがとてもおいしかった。他の料理も大満足だった。

 ホテルからドーハ・ハマド国際空港まで向かう送迎バスが出発するのは、21時50分頃だったと思う。それまでの間、自由時間だったので、部屋でのんびりと過ごした。ちなみに、洗濯していた服は、湿度が高いためか、部屋干ししてもあまりよく乾かなかった。そこで、アイロンをかけて何とか乾かしたのだった。

 私たちがカタール航空のスタッフから受け取った宿泊クーポンで、ホテルのレストランで晩御飯を食べてもまったく余裕の状態だったのだが、お昼ご飯を食べたのが遅かったこともあって、ホテルでは晩御飯を食べないままチェックアウトした。今、思えばちょっともったいなかったかなとも思う。

 そして私たちはホテルの送迎バスに乗り込み、再びドーハ・ハマド国際空港に到着した。ドーハ・ハマド国際空港はとてつもなく大きな空港だった。そのため、私たちは空港内をかなり歩くことになった。おそらく、私たちがこれまで訪れた国際空港の中で一番大きな空港だったかもしれない。

 飛行機の手前まで、バスで移動して、タラップを上がって飛行機に乗り込んだ。帰りの飛行機の中はとてつもなく寒かった。夏でもカーディガンや羽毛ジャケットは必要だと思った。幸い、私は羽毛のひざ掛けやカーディガン、羽毛のレッグウォーマー、首巻きなどを持っていたので何とか寒さをしのぐことができた。ガンモは寒さ対策の用意がなかったので、私が持っていたショールを渡した。棚の上に上げてしまったリュックの中に、羽毛のひざ掛けがもう一枚入っていたのだが、他の乗客の方に遠慮してしまい、取り出すことができなかった。ガンモは私が渡したショールで首を温めて何とか寒さをしのいでいたが、やはり寒かったようなので、意を決してリュックから、もう一枚の羽毛のひざ掛けを取り出すべきだったと後悔している。

 カタール航空の機内食はやはりがっつり系だった。飛行機が関西国際空港に着陸するまでに、二回の食事が配られた。そして、私たちの乗った飛行機は無事に関西国際空港に着陸し、12日間の夏休みの旅行を終えたのだった。

※今回も、私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い旅行記にお付き合いくださり、ありがとうございます。帰国した翌日から仕事をしましたが、やはり時差ボケの関係で昼間は眠かったです。(苦笑)

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