2025.08.18

大阪・関西万博2025

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m お盆休みも終わりましたね。私は今日まで休みでした。夕方のウォーキングのみで、どこにも出かけなかった夏休みは、もしかしたら今回が初めてだったかもしれません。その代わり、Windows 10からWindows 11への入れ替えができました。私が使っていたWindows 10のPCは、Windows 11へのアップグレードができない古い機種でしたので、PCごと入れ替える必要がありました。ガンモが早々にWindows 11が動作する新しいPCを用意してくれていたので、新しいPCに必要なアプリをインストールして、必要なデータを古いPCからネットワーク経由でコピーして移行を完了させました。ちょっとやっかいだったのは、異なるユーザ名同士のデータコピーです。「ネットワーク経由でコピーしたいデータ」が存在する古いPCのディレクトリの共有設定を行ったあと、新しいPCから古いPCに接続するのに少し手間取りました。新しいPCも古いPCもマイクロソフトのアカウントと連携させており、ログイン時のパスワードはそれぞれPINを入力していたのですが、PINはローカルコンピュータのみで有効なものなので、ネットワーク接続時には使えなかったのです。AIに教えてもらいながら、PINではなくマイクロソフトアカウントのパスワードを指定し、ユーザ名も\\コンピュータ名\ユーザ名を指定して、ようやく古いPCと新しいPCを接続することができました。Windows 10のサポート期限が迫っているため、もしかしたら同じ状況の方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方たちの助けになれば幸いです。さて今回は、大阪万博に出かけたときのことを書いてみたいと思います。


 GWの旅行中、ガンモが応募していた万博チケットの当選通知がメールで届いた。ペアチケットなので、およそ14,000円分の節約になる。私たちは歓喜し、暑くならないうちにと、五月下旬の平日の予約を入れた。

 専用アプリを使っての予約や、会場内での決済で現金が使えないことなどは、高齢者には敷居が高いような気もした。しかし、万博が日本国内だけでなく、世界中のあらゆる国からの人たちを受け入れる場所だと考えると、そうしたシステムはむしろ敷居が低いと言えるのかもしれないと思い直した。

 兵庫県に住んでいる私たちは、一時間もあれば会場に着くのではないかと軽く考えていた。しかし、自宅を出て大阪駅で大阪環状線に乗り換え、桜島駅で降りてみると、ものすごい数の人たちが並んでいた。シャトルバスは予約制だというのに、こんなにも人がいるのかと驚いたものだった。しばらく乗車待ちをして、ようやくシャトルバスに乗り込むことができ、無事に会場に着いた。自宅から一時間で着くだろうと思っていたが、二時間かかっていた。ちなみに、大阪環状線に乗ったときに、同じ車両に多数の外国人観光客がいたので、「この人たちもみんな万博に行くのかな」と考えていた。ところが、ほとんどの外国人観光客が、桜島の手前のユニバーサルシティ駅で降りてしまったことに驚きを隠せなかった。日本を訪れている外国人観光客にとっては、万博に行くことよりもユニバーサル・スタジオ・ジャパンを満喫することのほうがプライオリティが高いのだとわかった。

 万博会場の入口では手荷物検査があった。国内線の空港で行われているのとほぼ同じレベルの手荷物検査で、飲み物を持っている場合はカバンから出して検査を受ける必要があった。瓶や缶入りの飲み物は持ち込み禁止となっている。私たちは水を持参していたので、比重の確認だけで特に何も言われなかった。会場内に給水ポイントがいくつかあるというので、私たちはインスタントコーヒーやミルク、紅茶のティーバッグなどを持参し、食事のあとにそれらを飲んでくつろぐことができた。

 パビリオンの訪問は原則予約制なのだが、二つまでしか予約できなかったので、入場してすぐにいくつかのパビリオンを追加で予約しようとした。しかし、なかなか予約が取れず、夕方のオーストラリア館がかろうじて取れただけだった。ちなみに、予約していた二つとも日本のパビリオンだった。

 中には予約なしで入場できる(=現地で入場待ちをすれば入場できる)パビリオンもあった。入場した場所から比較的近いところにあったベルギー館もその一つだった。何と、並び始めて20分ほどで入場することができた。ベルギー館では、ワクチン開発などについて紹介されていた。

 私たちは、予約しているパビリオンの訪問時間に合わせてお昼ご飯を先に食べておこうと思っていた。飲食コーナーを少し回ってみたのだが、どこも高額で驚いた。お昼ご飯に3,000円以上も出すなんて、通常では考えられないことである。しかし、どこも同じような状況だったので、私たちは3,300円の韓国料理を食べることにした。これが予想外においしかった。ただ、その後もいくつかのパビリオンを回る予定だったというのに、私たちはニンニクの匂いをぷんぷんさせて歩き回っていたかもしれなかった。

 昼食後に訪れたのはNTT館だった。ここでは専用の眼鏡をかけて3Dの映像を観た。3D映像が手の届きそうなくらい、リアルだったので驚いた。その後、写真を撮ってもらい、その写真が加工された写真を確認した。AIの技術を駆使した過去と未来の自分の姿だった。

 次に訪問予定のパビリオンまで少し時間があったので、私たちはミャクミャクの人形焼き付きソフトクリームを食べた。会場内には、食べるところも座って休むところも十分に用意されていた。五月下旬で、まだそれほど暑くなかったのは幸いだった。

 次に訪れたのはPanasonic館だった。ここでは結晶を一つ選び、係員の指示に従って部屋を移動して行った。やがて自分が選んだ結晶の中に蝶が宿り、その蝶を解き放つという流れだった。NTT館もPanasonic館も、訪問者参加型のパビリオンだと感じた。訪問者参加型のパビリオンは思い出に残るのでいいと思う。

 これに対し、展示型のパビリオンも多く存在していた。コモンズ-Aとコモンズ-Cという、複数の国々のパビリオンが一つの建物に集まっているところがあったのだが、その中に含まれているパビリオンの多くは展示型のパビリオンだった。すなわち、展示物を使って自分たちの国の紹介をしているパビリオンだった。

 万博での楽しみの一つに「スタンプ集め」があるのだが、コモンズ-Aとコモンズ-Cには、スタンプを押せるパビリオンがいくつもあったので、私はスタンプを見つける度に、自分で用意したスタンプ帳に次々にスタンプを押して行った。スタンプ帳は、公式のものも売られているのだが、私は自宅から測量野帳を持参してスタンプ帳代わりに使用した。測量野帳は、万博でのスタンプ帳としては、大きさもページ数も最適だと思う。ただ、スタンプ集めに熱心になり過ぎて、自分がスタンプ集めのためにパビリオンを訪問しているのか、それとも、パビリオンの訪問のついでにスタンプを押しているのかわからなくなってしまった。「スタンプ集め」はそれくらい楽しかったと言える。

 今回の万博で特筆すべきは、何と言っても「大屋根リング」だろう。「大屋根リング」は、広い万博会場をぐるりと取り囲むように造られた木造の円形建築物である。日本の神社などで見られるような木の組み方がされている。「大屋根リング」の上は人々が歩けるようになっており、その下は日陰になって、人々が休めるようになっている。「大屋根リング」の上までは、エスカレータやエレベータなどで昇れるようになっている。私たちも「大屋根リング」の上に上がってみたのだが、思っていた以上に広く、そして芝生もあった。この芝生の上に寝転んでみると、とてつもなく気持ちがよかった。夕方になると心地よい風も吹いて、最高の休息場所だと感じた。もちろん、「大屋根リング」の上からは、万博会場を見渡せるようになっている。

 この「大屋根リング」を、万博の閉会後も残してほしいという要望が多々あるようだ。しかし、耐震処置を行うのに予算がないとかで、閉会後は取り壊しが決まっているのだとか。実にもったいない話である。それと同時に、今は十分な耐震処置が行われていないのかと思うと、少し不安にはなる。

 オーストラリア館の訪問の前に、お腹が空いたのでお寿司のお弁当を買って晩御飯にした。お弁当にしたからか、お昼ご飯よりはリーズナブルな価格で食事にありつくことができた。

 夕方に予約が取れたオーストラリア館も、見学型のパビリオンだった。天井まで届く大きなパネルを何枚も使い、オーストラリアの大自然の素晴らしさを紹介してくれていた。

 夕方以降は、人が少なくなって来たからか、予約なし、かつ、待ち時間もほとんどなしで入場できるパビリオンが増えて来ていた。私たちはインドネシア館、インド館、サウジアラビア館を駆け足で見学した。サウジアラビア館は、今回、訪問した中で最も大きく、そして豪華なパビリオンだった。

 夜になると、ドローンショーが行われるはずなのだが、残念ながら、私たちが訪問した日にはドローンショーは行われなかった。そのため、21時頃に万博会場をあとにすることになった。

 帰りは、開催中の通しパスを購入している人たちの優先退場となっていた。1日分のチケットで入場した私たちは、遠回りをして最寄り駅まで歩く必要があった。たった一日訪問しただけでは、ほとんど見学できなかったので、開催中の通しパスを購入する人の気持ちもわからないでもない。実は、私たちは十月に万博会場の再訪問を予定している。というのも、ある条件を達成して、またしてもペアの入場チケットをもらったからだ。

 ちなみに、今回の訪問で22.000歩ほど歩いた。これは、私たちが一日に歩く歩数の5倍くらいに相当する。休憩所が至るところにあって身体を休ませることができても、やはり万博会場はあまりにも広すぎて、あちこち歩き回るだけで疲れ果ててしまった。帰りの電車では座ったり座れなかったりした。立っているだけで腰が痛く、電車の中で物を落としても、腰を曲げるのが苦痛でなかなか拾えなかったくらいだ。翌日には、お尻も痛くなった。とは言え、一日程度で回復できた。次回の訪問までに体力アップしておくことが必要かもしれないと思っている。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m Camblyの講師に万博に行ったことを話しても、日本で万博が開催されていることを知らない講師も複数いらっしゃいました。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのあるユニバーサルシティ駅で降りてしまった多くの外国人観光客も、実は万博が開催されていることを知らなかっただけなのかもしれないですね。

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2025.08.10

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(8)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 九州北部や山口県などで線状降水帯が発生しているようですね。該当地域にお住まいの皆さんには、心よりお見舞い申し上げます。もしご自宅が安全ではないかもしれない場合は、安全な場所に避難されることを強くお勧めいたします。地元の避難所でも不安な場合は、地元から少し離れたビジネスホテルなどに滞在するのもありかと思います。残念ながら、今の時期は車中泊には向かないです。もしペットを飼っていらっしゃって、一緒に避難所に連れて行けないという事情がおありでしたら、ペット同伴可能なホテルやキャンプ場(テントやタープの用意がある場合に限りますが)もあります。キャンプ場も、今の時期は暑いですが、車中泊よりはマシかと思います。少し気温が下がって来ているとは言え、まだまだ熱中症の危険性はあるかと思いますので、どうか避難先でもくれぐれも水分補給を欠かさないようにお気をつけくださいね。

さて、昨日から夏休みが始まったという方も多いかもしれませんね。実は私もその一人です。ただ、事情があって、今年は今のところ自宅で過ごしています。実は先日、父の姉である伯母が他界しました。終末期の状態であり、余命宣告も受けていましたので、私は連休でも予定を入れずに過ごしていました。夏休みが始まる三日前に父から連絡を受けて、伯母が亡くなったことを知らされました。ガンモには、伯母が亡くなった場合は葬儀に参列したいと話していたのですが、それが夏休みの三日前だったために、職場には休暇を申請し辛いと感じてもやもやしていました。あと二日働けば夏休みなので、葬儀には参列せずに夏休みが始まってから帰省しようかとも考えていたのです。そのことをガンモに話すと、「夏休みが始まってから帰省しても意味がない。おばちゃんにお別れするために、葬儀に参列すべきだよ」と言われました。それで私も考えを改めて、職場の人たちに、忌引きで休暇を取りたいと申し出ました。もちろん、私の申し出に文句を言う人は誰も居ませんでした。

翌日、ガンモと私は早起きをして、愛媛に帰省しました。葬儀はお昼からだったので間に合いました。こうして、ガンモのおかげで伯母に最期のお別れができました。葬儀に参列して、様々なことを感じました。まず、伯母の亡骸を目にしたときに、明らかに魂が入っていないことがわかりました。かつて母の亡骸を目にしたときも、同じように感じました。しかし、葬儀の式場の祭壇に飾られていた伯母の遺影には魂が入っているのを感じました。そのとき、私たちは普段、特に意識していなくても、相手の目を見たり、相手の心を感じ取ったりしながら、実は相手の魂と交流をしているのだと思いました。伯母の遺影は、伯母が生きているときに撮影されたものなので、伯母の魂がしっかりと写り込んでいるのだと思いました。

伯母は若い頃に大変苦労した人でしたが、子供たちに恵まれ、晩年にはたくさんの孫たちやひ孫たちにも恵まれました。その数の多さには圧倒されるほどでした。私自身は子供を産まなかったので、子供を産んでくれた「はとこ」のお嫁さんや、「はとこの子供(=何と言うのかわからない)」のお嫁さんにはとても感謝しています。

そして何と言っても、伯母の長男である従兄の会葬御礼のあいさつに、多くの参列者が心を打たれたのです。従兄は伯母がとても働き者だったこと、女手一つで自分たちを育ててくれたこと、家を建ててくれたことなどを、参列者である私たちに語り掛けるように話しました。そのスピーチの背景には被害者意識もなく、お涙頂戴のようなシーンもなく、参列者の誰からもエネルギーを奪い取りませんでした。むしろ参列者は従兄から高いエネルギーを受け取り、感動に包まれることになったのです。

帰り際に私は従兄に、スピーチがとても素晴らしかったことを伝えました。親族たちは伯母の永遠の不在を悲しんではいましたが、その会話の中には、時には笑いさえも混じっていました。私は、自分がこの輪の中に存在していることがとても心地よいと感じました。それらを総合的に考えて、伯母の葬儀は、私がこれまで体験したことのないほど素晴らしいものだったと感じました。

葬儀に参列して良かったと心から思えました。私の肩を押してくれて、私を愛媛まで車で連れて帰ってくれたガンモのおかげでもあります。翌日に夏休み前の仕事を控えていたので、私たちは日帰りしました。今回の葬儀で様々なことを学びました。従兄が実践したように、自分が被害者になることなく、むしろ参列者にエネルギーを分けるような手法は、誰にでも実践できることではないと思います。それでも、今後、人に対して何らかの行動を起こすときの大きなヒントになることは間違いありません。

それでは長くなりましたが、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)の続きをお伝えしたいと思います。今回の記事で、GWの旅行は完結します。


 私たちはその日も道の駅で車中泊をし、翌日、出雲崎レトロミュージアムを訪問した。ここは、大人一人1000円で昭和時代にタイムスリップできる場所である。

 館内にあるほとんどのレトロゲームは、追加料金なしで楽しむことができるようになっていた。そこで私はパチンコとギャラガをプレイして楽しんだ。パチンコ台で大当たりが出ても景品の交換はできないが、大当たりが発生したときの雰囲気を存分に味わうことができた。

 ギャラガは、若い頃に私がかなりはまったシューティングゲームである。確かファミリーコンピュータでも、中古のカセットを購入して楽しんでいたはずだ。しかし、こうして久し振りにプレイしてみると、やはり若い頃のようには敵を倒せなくなってしまっていた。反射神経がにぶくなってしまったのだろうか。思い通りに敵を倒せないことが悔しくて、追加料金が必要ないのをいいことに、何度もプレイしてみたものの、やはり当時の勘は戻らなかった。ガンモは黙々とパックマンに専念していた。ギャラガの隣にはインベーダーゲームもあったが、こちらは名前だけ知っていてあまり馴染みがなかったので、私はプレイしなかった。

 懐かしのジュークボックスもあり、誰かが百円を入れたのか、ゴダイゴの『銀河鉄道999』が流れていた。本当に懐かしかった。

 一口に昭和と言っても、私自身の子供時代よりも更に前の時代の展示品もあった。館内には子供さんたちの姿もあったが、きっと本当に楽しんでいるのは大人たちだろうと思った。出雲崎レトロミュージアムは、大人たちが子供時代に帰れる場所、と言ってもいいのかもしれない。またこちらに来ることがあったら、是非とも立ち寄りたい場所である。

 その後、私たちは東京電力のサービスホールを見学し、原子力発電について学んだ。ここは、福島県で訪れた廃炉資料館のような厳格な雰囲気はなく、子供にもわかるように原子力発電について説明する目的を持った場所であるように見受けられた。原子力発電については、やはりもやもやした気持ちが残っているため、そのもやもやした気持ちを来館者に向けたアンケートに記載しておいた。

 そして、その日は民宿に宿泊した。その民宿では、チェックイン時に部屋の鍵(ルームキー)は渡されなかった。というのも、部屋の鍵は、部屋の内側にしかなかったからだ。部屋の鍵は何と、昔ながらの「ねじ込み式の鍵」だった。「ねじ込み式の鍵」は、昔の日本家屋では良く見掛けたものの、最近ではほとんど見掛けなくなっているので、もしもこの民宿に若いカップルが泊まったとしたら、部屋の鍵の掛け方を知らないまま一夜を過ごしてしまうかもしれないと思った。

 その民宿で、私たちは「部屋出し」の料理を食べることができた。「部屋出し」と言っても、大きな入れ物に載せられた二人分の料理が民宿のスタッフによって部屋まで運ばれると、私たち自身でテーブルの上に並べて食べるという形式のものである。民宿の料理は、旅館の食事のように量が多くなく、私たちの世代にはちょうどいいと感じる。部屋にトイレや洗面所の設備がないからか、価格がリーズナブルなのも魅力的だ。

 民宿をチェックアウトしたあとは、ひたすら自宅方面を目指した。とは言え、一般道を走って、一気にその日のうちに帰宅できるわけではないので、その日は途中の道の駅で車中泊をした。そしてその車中泊が、今回の私たちの旅行の最後の宿泊となった。

 こうして十二日間におよぶ車中泊と民宿への宿泊の旅が静かに幕を閉じた。ゴールデンウィークは、まだ少し肌寒さも残っており、車中泊には最適な季節だと改めて実感した。秋になればまた車中泊を再開できるので、私たちはそのときを今から楽しみにしている。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い旅行記にお付き合いくださり、ありがとうございました。車で長い道のりを移動しましたが、無事に帰宅できたことに感謝しています。夏休みに出掛けられる方たちもいらっしゃるかと思いますが、どうかくれぐれもお気をつけくださいね。

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2025.08.02

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(6)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 八月に入りましたね。猛暑が続いていますが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。先日、カムチャッカ半島で発生した巨大地震の影響により、津波警報が発令されて恐ろしい想いをされた方たちもたくさんいらっしゃるかと思います。特に東日本大震災で大津波の被害が出た地域にも津波警報が発令されていましたので、当時のようなことが起こらなければいいのにとひたすら願っていました。日本にも津波は到達したようですが、予測されていたよりは小さな規模だったので、ほっと胸をなでおろしました(もちろん、規模が小さくても、決して油断できるものではありませんが・・・・・・)。とは言え、高台に避難するときに車の運転を誤って転落死された方がいらっしゃり、とても気の毒に思っています。私が住んでいる地域は警報ではなく注意報であり、海からも離れていたのでそのまま自宅で仕事をしていました。心配なので実家にも電話をかけたところ、父はテレビのニュースで津波警報のことを知ったと言っていました。まさか日本以外の国で巨大地震が発生して、日本に津波がやって来るとは考えてもいなかったので、こんな危険もあるのかと改めて認識させられました。それにしても、真夏に避難するのは、真冬の避難とは違った大変さがありますね。津波から逃れることができても、避難した先で熱中症になってしまっては何のために逃げて来たのかわからないですよね。元自衛官だったというYouTuberの方が、「国から避難指示が出たとしても、今、自分がいる場所が高台であったり、頑丈な建物の中である場合は、避難せずに、そこに留まる選択をするほうが安全だ」とおっしゃっていました。今回のように真夏の避難であることと、避難所に行ってもすべての避難者を受け入れる体制が整っていないことを考慮しての発言だと思います。特に津波に関しては、自分のいる場所まで津波が到達するであろう時間を確認した上で、本当に避難すべきかどうかの判断を下す必要があるそうです。誰しも慣れていることではないので、判断するのはなかなか難しいかと思います。私たち夫婦の場合は、海からは比較的離れたマンションの中階に住んでいるため、小規模の津波の場合は避難せずに自宅に留まろうと思っています。というのも、避難所として指定されている場所よりも高い位置に住んでいるからです。ただ、大津波がやって来るという状況になってしまった場合や、出先にいるときなどは、津波の到達時間を把握した上で判断したいと思っています。ひとまず、大津波が発生するかもしれないと言われていた七月は何とか終わりましたが、引き続きあらゆる自然災害に備えておきたいですね。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(6)の続きをお届けしたいと思います。


 私たちは千葉県~茨城県を経由して福島県に入り、宮城県を訪れた。それらの状況については、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)およびGWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)に記載した通りだ。

 兵庫県にある自宅を出発してから、早くも一週間が経とうとしていた。私たちの旅は山形県酒田市で折り返すことになった。山形県酒田市では土門拳写真美術館に立ち寄った。その後、新潟県に入り、「胎内(たいない)市チューリップフェスティバル 2025」の会場を訪れた。広い会場一面にチューリップが植えられ、その奥には菜の花畑の迷路が用意されていた。菜の花畑の迷路には、毎年異なる文字が描かれているという。人々は菜の花畑の入口から入り、その迷路を辿って出口を目指す。なかなか粋な企画だと思った。胎内市という名前も優しくていい。入場料はわずか300円だった。

 会場一面に咲いたチューリップを高所から観賞できるように、会場には何と、高所作業車が出動していた。人が乗ったゴンドラを、高いところまで持ち上げてくれるというものだ。普段は会場全体に咲いたチューリップを高所から見渡すためではなく、別の用途で使用されているものだろう。おそらく、事故が起こってしまったときの対応のためだと思われるが、利用するには、住所と名前、連絡先の電話番号を記入する必要があった。大人一人の一回の利用料金は1000円だった。ガンモが乗りたいと言うので、高所恐怖症の私も意を決して乗り込んでみた。

 高所作業車が私たちの乗ったゴンドラを少しずつ持ち上げて行くと、私たちはやがてチューリップが一面に咲いた会場を見渡すことができた。これはいい。恐怖心を除けば、乗ってみて良かったと思えた。ただ、菜の花畑に描かれた花迷路の文字は読み取れなかった。読めなくても種明かしはされており、どうやら「胎内市政二十周年」と描かれていたようだ。

 ゴンドラから降りたあと、チューリップ畑を間近で見てみた。色や形の異なるチューリップがきれいに咲いていた。違っていても、それぞれの持つ美しさがあり、ベースは皆同じだった。人類と共通しているのかもしれないと思った。それぞれの個が全体に属しているという意識を持ち続けていれば、秩序が守られ、それぞれの美しさも保たれて互いに尊重し合えるのではないかと感じたのだった。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 高所作業車をこのような形で活用しているイベント会場があることに驚きを覚えました。高所作業車を活用する発想が素敵だなと感じました。一面に咲いているチューリップもきれいで、イベントとしても成功していると思いました。

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2025.07.21

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(6)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さん、三連休をいかがお過ごしでしょうか。私たちは自宅でのんびり過ごしています。先週末、ガンモと自転車で出掛けて図書館で過ごしていました。熱い日差しがじりじりと照りつける炎天下での自転車の移動はかなりきつかったです。夏のお出掛けには、帽子と飲み物は必須ですね。この暑い時期に、屋外など、エアコンのない場所で作業されている方たちもいらっしゃるかと思います。どうかくれぐれも熱中症にはお気を付けくださいね。さて、先に記事を書いていたのに、動画の編集が追い付いていませんでしたが、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)の記事の最後に、私が撮影した女川の動画を貼り付けておきました。よろしければご鑑賞ください。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(5)の続きをお届けしたいと思います。


 私たちは千葉県内を移動していた。途中、千葉県いすみ市にあるいすみポッポの丘に立ち寄り、そこに展示されている古い鉄道車両を見学した。もともと養鶏場を営んでいたオーナーが、千葉県のいすみ鉄道の社長さんから、古い鉄道を買わないかと持ちかけられたことがきっかけになり、古い鉄道車両の収集が始まったのだという。公共の施設のような広い場所ではないが、個人で集めるには充分なほどの車両が揃っていた。もとが養鶏場ということで、たまごかけご飯もこちらで食べられるようだ。

 展示されている鉄道車両の多くは、中に入って見学することもできた。全体的に手入れが行き届いていない感は否めなかったが、これだけの規模の車両が一カ所に集まっているのは素晴らしいことだと思った。私なりに見学できて良かったと思えたのは、丘の上のほうに設置されていたブルトレ(ブルートレイン = 寝台特急)の中に入ることができたことだ。ブルトレには何度か乗車しているのだが、たいてい深夜に乗車して、朝になって慌ただしく下車することになってしまうので、せっかく乗車してもブルトレの中をじっくりと観察する時間はない。今回、他の利用客がほぼいない状態で、車両の中をゆっくりと歩いて見学することができたのは良かったと思う。

 展示されていたのは、私たちが利用したことのある九州方面に向かう寝台特急さくらと寝台特急はやぶさである。展示されている寝台特急に乗り込んでみると、車内アナウンスが流れていた。しかしどいういうわけか、流れているアナウンスはJR東日本の寝台特急あけぼのと寝台特急北斗星のものだった。

 実は、寝台特急北斗星は、かつて東京の旅行会社に予約してもらい、乗車するのを楽しみにしていた寝台特急だった。しかし、私たちが乗車する直前に東日本大震災が発生し、寝台特急北斗星はしばらく運休となってしまった。その後、復旧はしたものの、さすがに東日本大震災で大きなダメージを受けたであろう東北を寝台特急で旅行する気持ちにはなれなかった。そうこうするうちに、その後のダイヤ改正により、私たちが利用することのないまま、寝台特急北斗星は引退することになった。私たちが乗車できなかった寝台特急北斗星のアナウンスをここで聞くことができただけでも良かったと思う。

 ただ、昼間の明るい時間帯に寝台特急のアナウンスを聞いても、寝台特急に乗って旅をするというわくわく感がないことに気が付いた。展示されているのは、実際に動いている列車ではなく、ずっと停車中のままの列車なので、隅々までじっくり観察することはできるものの、当然のことながら、これから始まる旅に向けてのわくわく感は湧き上がって来なかったのだった。

 いすみポッポの丘を見学したあと、私たちは山田うどん食堂で昼食をとった。山田うどん食堂は、関東にしか店舗がないため、関西在住の私たちは、普段、利用することができない。四国生まれの私たちは大のうどん好きだが、関東で食べるうどんは、だしの色が濃い上に味も違うので、食べる度に毎回不思議な気持ちになってしまう。それでも、リーズナブルな価格でボリュームたっぷりのうどんを食べることができたので満足だった。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 安価な高速バスの台頭でブルトレは引退することになりましたが、ここに来れば、当時のブルトレの雰囲気を味わうことができます。これまでにも引退したブルトレの車両を宿として改良した宿泊施設に泊まったことがありましたが、車内放送を聞くことはできなかったので、貴重な体験ができたと思います。

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2025.07.05

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(5)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 七月に入り、本格的な夏が到来しましたね。先月末より、私たちもとうとうエアコンを使い始めました。エアコンなしでは命に関わります。トカラ列島で群発地震が続いているようですが、地震による揺れの影響を受けている地域にお住まいの皆さんには、心よりお見舞い申し上げます。ようやく、一部の方たちが船で鹿児島市に避難されたと聞き、安心しました。頻発する地震に対する不安や寝不足が少しでも解消されることをお祈りしています。さて、日付は特定されていないようですが、果たして、たつき諒さんの予知夢は的中するのでしょうか。昨日、YouTubeを見ていたら、海外の方たちがトカラ列島で群発地震が続いていることや、たつき諒さんの予知夢のことを話題にされていました。動画の中で、漫画の表紙の文字がオリジナルの日本語ではなく韓国語だったので、西洋の方たちからすれば、日本語も韓国語も同じように映って見えてしまうのかもしれないとも思いました。とにかく、日本に大災害が起こるのかどうか、世界が注目しているようです。また、たつき諒さんの予知夢を受けて、既に台湾や香港などの観光客が日本から遠のいていると聞きました。観光業界にも影響が出ているようですね。私はというと、持ち出しバッグに、水をろ過する水筒を既に用意していたのですが、夏なのでもう一つ追加で購入しておきました。もし水道が止まってしまったら、購入した水筒を使って、川の水をろ過して飲むつもりです。それ以外にも、かつてキャンプで使っていた水用タンクに飲み水以外の水を貯めておきたいと思っています。ただ、この真夏にエアコンなしの状態になってしまうのは本当に耐えがたいです。ソーラーパネルがあるとは言え、エアコンを動かせるほどの電力は作れません。動かせるとしても、せいぜいUSB充電式の扇風機くらいです。エアコンを使い始める前までに使っていた、首元を冷やすための冷感タオルがたくさんありますが、冷感タオルを使うには水が必要なんですよね。水や電気なしでこの酷暑をどのように乗り切るかは、まだまだ課題です。何が起こるかはわかりませんが、本当に危ないときは、亡き母が夢の中で私の名前を呼んで起こしてくれるはずなので、母から起こされない間は、特に心配することはないのかなとも思っています。何もないことが一番良いのですが、今後のことを考えると、今のうちにいろいろ準備しておくのは良いことだと思っています。持ち出し用バッグは、緊急時に持って行くものと、ひとまず自宅に残しておいて、災害がいったん落ち着いてから取りに戻るものとで分けておくといいそうですね。緊急時に重いものを持って逃げるのは、それだけでも命に関わりますから。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)の続きをお届けしたいと思います。


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 犬たちと戯れた日は、信玄餅の桔梗信玄餅工場テーマパークを見学したあと、山梨県の民宿に泊まった。そしてその翌日の四月二十八日(月)、私たちは神奈川県にある専修大学を訪問し、学生食堂でランチを食べた。何を隠そう、そこは私の母校なのである。旅の計画を立てていたガンモが、専修大学の学食が一般の人たちに開放されていることを知り、予定に組み込んでくれたのだ。

 大学の近くにある駐車場にカングーを停めて、キャンパスに足を踏み入れたのだが、私が在籍していた頃と比べて、キャンパスがかなり拡大されており、目に映る景色も変わっていた。いろいろな建物が立ち、中庭にはキッチンカーまで入っていた。食堂があるのに外からキッチンカーがやって来るなんて、食堂だけでは足りないということなのだろうか。しかも、まるでオフィス街のように、お弁当まで売られていた。それほど学生数が増えたのだろうか。とにかく驚きだった。

 しかも、ゴールデンウィーク中だというのに、大学に来ている学生さんの数が多かった。私は、食堂がどこにあったのかなかなか思い出すことができなかったのだが、サークルボックスの近くの生田会館に学食があったことをようやく思い出し、足を運んでみた。

 学食の入口を見つけた途端、とても懐かしい気持ちに包まれた。私の在学中には、この生田会館の食堂に森永の食堂も共存していたのだが、どこに行ってしまったのか、見当たらなかった。しかも何と、学生さん向けに100円ランチが販売されていた。今の時代、100円でランチが食べられるなんて、まるで夢のようだ。

 私たちは、500円のランチを注文した。普通に外食すると、倍以上はするだろう。窓際の席に座り、外の景色を眺めながらランチを食べた。ガンモとそこにいるのは、とても不思議な気持ちだった。私がこの大学に在籍していたのは、もう四十年も前のことだ。そのとき、未来の自分が、夫であるガンモと一緒にここを訪れることを想像していただろうか。いや、想像だにしていなかった。ここに来ると、まだガンモには出会っていない、大学生だった頃の自分を思い出すので、過去の自分と現在の自分が重なって一つになろうとしているような、とても不思議な気持ちにさせられるのだった。

 Camblyのレッスンのときにその話をしたら、
「私もかつて通っていたロンドンの大学に、夫と訪れたことがあるんだけど、確かに変な気持ちだったわ」
と共感してもらえた。私が、
「ですよね。ちなみに、そのときランチを食べてみましたか?」
と聞くと、
「いえ、食べなかったわ」
とのことだったので、
「次回は是非」
と言っておいた。Camblyの講師もまた、過去の自分と現在の自分が重なるような不思議な気持ちを体験されたに違いない。

 学食でランチを食べたあと、構内を少し見て回った。学食は、さきほど私たちが足を運んだ場所以外にも存在しているようだった。そして驚いたことに、建物には、四十年前にはなかった耐震用のⅤ字型の補強が至るところになされていた。おそらくだが、地震が多くなって来たので、古い建物にはそうした耐震用の補強をするように指導があったのだろう。

 さて、私たちは大学をあとにして、駐車場近くにある岡本太郎美術館を見学することにした。そこはとても格式高い美術館だった。訪問している人たちがまじめに鑑賞されているのである。私はアクションカメラを持っていたため、美術館のスタッフに警戒されてしまった。というのも、館内の写真撮影はOKだが、動画撮影はNGだったからだ。

 その後、東京湾アクアラインを利用して海底トンネルを通り、神奈川県の川崎市から千葉県の木更津まで移動した。途中の「海ほたる」パーキングエリアで休憩をしたあと、その先にある木更津市内の道の駅で車中泊をしたのだった。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 配偶者と一緒に大学を訪れると、そこに在籍していた頃の自分と今の自分が重なって行くような、とても不思議な感覚に襲われます。実は在学中は、大学のことがあまり好きではなかったのですが、こうした再び訪れてみて、とても緑の多い場所だとわかり、好きになりました。行って良かったです。大学を再訪するきっかけを作ってくれたガンモに感謝しています。

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2025.06.22

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(4)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まだ六月だというのに、ここのところ真夏日が続いていましたね。それでも私たちは、まだエアコンを使わずに、何とか乗り切っています。後追いになってしまいましたが、東京で目の当たりにしたオーバーツーリズム山火事の爪あとの記事とリンクしている動画を元記事に追加で貼り付けました。よろしければ動画のほうもご覧くだされば幸いです。インドの飛行機が墜落してしまったり、イランとイスラエルで紛争が始まってしまったりと、今年は何だか心を痛めることが多いように感じています。日本においても、七月五日に大津波が発生するという予言が拡散されたことから、警戒心が高まって来ているように思います。いざというときのための備えは必要ですが、ノストラダムスの大予言のときみたいな結果になってくれるといいなと思っています。さて、GWの東北旅行ですが、先に東北地方のことを書いてしまったので、今回からしばらくは、東北地方にたどり着くまでのことを書いて行こうと思います。


 四月二十五日(金)の夜に自宅を出発した私たちは、途中で晩御飯を食べて、滋賀県にある伊吹パーキングエリアで車中泊をした。その翌日の四月二十六日(土)は高速道路を使い、静岡県まで移動した。今は静岡市に統合された清水(区)にある港近くのショッピングセンターでお昼ご飯を食べて、その近くにあるフェルケール博物館を見学した。そして、その日は道の駅「みのぶ富士川観光センター」で車中泊をした。

 四月二十七日(日)に、「ゆるキャン△」の聖地である本栖高校近くにある常幸院というお寺に車を停めて、お寺の入口にいる犬たちと戯れた。とても人懐っこい犬で、私たちが近寄ると、うれしそうに尻尾を振って歓迎してくれた。犬の近くに骨のおもちゃのようなものが落ちていたので、拾い上げて犬に渡してみると、何だか急にスイッチが入ったように骨のおもちゃを大きく振り回して私たちを笑わせてくれた。

 その犬がいる場所の反対側にも別の犬がいたのだが、こちらの犬は最初の犬と性格がまったく異なっていた。最初の犬が感情を全開にして人間と接しているのに比べ、こちらの犬は普段から感情を押し殺しているように見えた。しかし、ガンモが手を差し出すと尻尾を降り始めた。どうやら、自分に心を開いてくれた相手だけを受け入れようと、最初から心に決めているように見えた。こちらがその犬を受け入れて頭をなでてやると、私たちが少し動いただけで、反対側から駆け寄って来て、お手までしてくれた。

 二匹の犬たちは、お寺の左右の入口に設置された別々の犬小屋に棲んでいた。対照的な二匹の犬は、まるでリアル狛犬のようだった。そのお寺は、「ゆるキャン△」の聖地を訪れる人たちに向けてお寺の駐車場やトイレを開放してくれているため、おそらく全国から多くの人たちが聖地巡礼のために訪れているのだと思う。そのため、最初の犬も次の犬も、やはり出会った人たちとの別れが辛いのではないかと感じた。何故なら彼らは能動的に動いているわけではなく、常に受け身の状態でずっとそこにいて、訪れる人たちをただ受け入れているだけだからだ。自分から能動的に動いている私たちとは立場が違う。最初の犬は、人との出会いを正面から受け入れ、喜び、そして別れを悲しんでいた。次の犬は、出会ってもすぐに別れが訪れることをあらかじめ知っているので、最初から感情レベルを落として人と接しているいるように見えた。性格の違う犬たちだったが、出会った人たちとの別れを悲しむところは同じだと感じたのだった。


※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、週末ごとに動画を編集してYoutubeにアップしています。やはり編集には時間が掛かってしまうので、海外のテレビドラマを鑑賞する時間が減ってしまっています。(苦笑)動画編集も自己表現の一つなので、ブログと連携できるところは連携させて行きたいと思っています。

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2025.06.08

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)

「ふうふ写真散歩」が手元に届いたの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 六月になりましたね。何やらトランプ大統領とイーロン・マスク氏が決別したようで、株価などにも大きな影響を与えているようですね。人と人は凸凹の組み合わせのほうがうまく行くように思います。トランプ大統領もイーロン・マスク氏ともに凸型(改革大好き?)なので、双方の関係には、最初から互いをお許容する姿勢が足りていなかったのではないかと思います。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)の続きをお届けしたいと思います。その前に・・・・・・。原子力発電にからむ出来事として、私自身の中で、ずっと引っかかっている事件があります。私がどのようなことに引っかかっているか、もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、以下の動画をご覧くださいませ。(どの動画も1.75倍速で閲覧できます)


 今回の東北車中泊の旅で、私たちは、2006年に訪れた女川(おながわ)駅を再訪した。当時、女川駅と隣接する場所に女川温泉ゆぽっぽという町営の温泉施設があった。その温泉施設には、鉄道の車両を改造した「お座敷列車」の休憩所があり、鉄道好きの私たちは、お風呂に入ったり、その「お座敷列車」の休憩所で休んだりした。参考までに、当時撮影した写真を掲載しておく。

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 しかし、この女川周辺は、14年前の東日本大震災の大津波の被害に遭ってしまい、当時あった建物は流されてしまったようだ。そのため、現在は新しい建物が建てられている。ただ、鉄道の車両を改造した「お座敷列車」は影も形もなかった。やはり、大津波で流されてしまったのだろうか・・・・・・。

 現在の女川駅周辺は完全に生まれ変わっており、おしゃれな飲食店なども立ち並んでいた。私たちは新しくなった女川駅前でお昼ご飯を食べた。その後、津波に流されて大きく傾いた傾いた旧女川交番を見学した。二階建ての鉄筋コンクリートの杭が引き抜かれて横倒しになった旧女川交番を見て、改めて大津波の恐ろしさを思い知った。

 私たちのように、かつて足を運んだことがあるというだけでも、大津波の影響で町がすっかり変わってしまっていることに関して胸が痛むというのに、実際に大津波を経験された地元の方たちにとってはどれほど恐ろしく、そして辛く耐えがたい出来事であっただろうと思う。しかも、こうした自然災害は事前に防げるというものではなく、ひとたび起こってしまえば、それを命がけで受け止め、やがて再生して行くしかない。いつ発生するかも正確にはわからず、仮に大地震が発生したとしても心配の種が終わるわけではなく、何年か経つと再び同様の心配が生じる。今や、日本のどこに住んでいるとしても言えることだ。そうであれば、私たちも、東北の方たちから学んで行くしかない。何しろ、東日本大震災は、世界で四番目に規模の大きい大地震だったのだから・・・・・・。今回、私たちが東北を訪れたメインの理由ではないにしても、私たちは過去に発生した大地震に意識を向け、被災地の方たちがどのように苦難を乗り越えて来られたのかを学んでおく必要があるように思うのだ。

 ちなみに、日本が地震大国であることは、Campblyの講師たちも認識されている。「日本人の生徒さんとレッスンをしているときに、日本で地震が発生して、生徒さんの画面が大きく揺れたけど、生徒さんは『大丈夫、大丈夫』と言って、普通にレッスンを続けたのよ。逆にこっちが心配になっちゃったわよ」と証言するCamblyの講師が私の周りだけでも複数いる。

 近年では、私たち日本人が実施しているような、災害時の持ち出し用バックを準備することも、次第に海外で広がりつつあるようだ。やはり、気候変動や地殻変動などの話題はCamblyのレッスンで良く講師から振られる話題でもある。実際、ここ10年くらいのうちに、かつてほとんど地震のなかった四国でも地震が発生するようになり、日本国内で発生する地震の規模も大きくなりつつあるように感じている。夏に涼しかったヨーロッパも次第に暑くなり、世界レベルで見ても、以前とは違う何かが起こり始めているような気はしている。これらの変動が何らかのシフトを意味しているのだとすると、やはりそうした変動が既に起こっている地域の人たちから学ぶことがたくさんあるようにも思うのだ。私も、東北で学んだことをCamblyのレッスンを通じて講師たちに伝えて行く。「津波が発生したときは高台に逃げるべきだ」ということを、どこかで聞いたことがある人と、まったく聞いたことがない人では、いざというときに取る行動が異なって来るように思う。現に、去年スペインで起こった大洪水では、情報が少なかったために、洪水が発生しているというのに、より低い土地のほうへ逃げてしまい、命を落としてしまった人たちも多かったようだ。だから私は、地震や津波をほとんど身近に感じたことがないイギリス人講師たちに、今回の東北旅行で感じたことを伝えるのは、それなりに意味のあることなのではないかと思っているのだ。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちがGWの旅行先に東北を選んだのは、そろそろ東日本大震災で起こったことを真正面から受け入れる時期に来ていると感じていたからでした。そして、ひとたびその現実を受け入れたら、現地で学んだことを広く伝えて行くことが必要であるように感じました。

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2025.05.18

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まだ五月だというのに初夏を通り越した暑さですね。今、これを書いているテントの中は32度まで上昇しています。遮光性を持つタープを張り、テントの入口も窓も開けて通気性も良くして、扇風機も回しています。もちろん、既に半袖を着て生活しています。ふと考えてみたのですが、私が中学生/高校生の頃は、六月の始めと十月の始めに制服の衣替えがありました。すなわち、半袖は六月から、長袖に戻るのは十月からだったわけです。しかし、今や私たちが半袖の服を着る時期は、五月から十月までに拡張されているのではないでしょうか。一年の半分を半袖で過ごすことになろうとは・・・・・・。どうか皆さんも、熱中症にはくれぐれもご注意くださいね。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の続きをお伝えしたいと思います。


 GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事では、津波にフォーカスを当ててお伝えした。しかし、東日本大震災の被害で忘れてはいけないのが、福島第一原子力発電所の事故である。大地震が発生したときに、原子炉は自動停止したものの、発電所で停電が発生したことにより、原子炉を冷やすための注水ができなくなり、その後、水素爆発が起こり、放射性物質が外部に流出する事故に繋がった。東京電力は、現在も、それらの原子炉を廃炉にするための作業と除染などの作業に取り組んでいるが、これらの作業が完全に終了するのは数十年かかると言われている。東京電力は、2051年(東日本大震災の発生から40年後)までに廃炉を完了させたいようだが、作業に遅れが出ているようだ。

 私たちは、福島県双葉郡にある東京電力廃炉資料館を見学した。ここでは、水素爆発の事故が発生してしまった経緯や、廃炉への取り組みについての資料が展示されていた。

 私たちがここを訪れた感想を率直に書かせていただくとするならば、汚染水が充分に薄められて海に流されていることは納得できた。しかし、福島の一部の地域では高濃度の放射性物質が放出されていることが確認されており、そのために、今なお帰宅困難区域とされており、そこには住めない状況になっているが、それら地域への具体的な対応についての説明が不足しているようにも思えた。

 帰宅困難区域の周辺には放射線のレベルを測定するガイガーカウンターの値が表示されており、値を確認してみたところ、実際に高い値を示していた。実は私たちは、東日本大震災が発生する以前からガイガーカウンターを所持していた。というのも、私たちの共通の趣味は古いカメラを集めることなのだが、一部の古いカメラのレンズにおいて、ガイガーカウンターが非常に高い値を示すものがあると聞いたことがあるからだ。そこで、福島の一部の地域でガイガーカウンターによる放射線のレベルが表示されているのであれば、私たちも手持ちのガイガーカウンターを持参して確認してみることにしたのだ。

Fukushimaplant
東電福島第一原発事故 日本の原子力政策のサイトより画像拝借

 その結果、上記サイトに示されている値とほとんど変わりない値が、窓を開けて走行する車の中に設置したガイガーカウンターにも表示された。このことはすなわち、放射線が既に周辺の空気の中に溶け込んでしまっているということなのだろうか。反対に、帰宅困難区域以外の場所で計測した値は、私たちが住んでいる関西地域とほぼ変わらない値だったので、その点においては安心できるのではないかと思う。ただ、帰宅困難区域に住んでいた方たちは本当に気の毒だと思う。誰しも、自分自身の状況に置き換えて考えてみると、悲しくてたまらなくなるはずだ。

 さて、東京電力廃炉資料館を見学した私は、何だかもやもやしていた。処理水の安全性のみに焦点が当てられているように感じたからかもしれない。そうではなく、そもそも日本に原子力発電所は本当に必要なのだろうか? Camblyのレッスンで話題にしてみた。

 日本の22倍くらいの広さの国に住んでいるイギリス人講師に、「そちらの国では原子力発電に頼っているか?」と質問してみたところ、「原子力発電は使用していない」という答えが返って来た。日本よりもずっと広い国なのに原子力のエネルギーに依存しなくてもやっていけるということに、私は驚きを隠せなかった。ただ、その国は、日本よりもエネルギーを作り出す資源が豊富で、主に水力発電や風力発電に頼っているということだった。

 別のイギリス人講師は、福島第一原子力発電所の事故のことを良く把握されていて、
「津波が発生しやすい状況にあるなら、原子力発電所を海沿いに作るのではなく、山の上に作ったらいいんじゃないかしら」
と言った。しかし私は、「万が一のときに原子炉を冷やす必要があることと、処理水を捨てる必要があることから、海に近いほうがよいのではないか」と答えた。これが正しいかどうかはわからないが、山に作った場合でも、万が一事故が発生した場合に人間の飲み水に大きな影響を与えてしまう可能性も高いと考えられる。むしろ、水が山の高いところから低いところへと流れて行く過程で、海に近いところにあるよりも山の上にあるほうが被害は広がってしまうかもしれない。ちなみに、イギリスでも原子力発電に頼っているそうだ。

 私は、「原子力に取って代わる、より安全なエネルギーを見つける時期が来ているのではないかと思う。日本では30年以内に大地震が発生すると言われているので、そのときに原子力発電所が再び大きなダメージを受けるのは容易に予測できる」と言った。「しかも、日本は原子力爆弾による唯一の被爆国であるというのに」と付け加えた。

 そうは言うものの、私自身も普段から、脱・原子力発電に向けての活動が充分にできているわけではない。車中泊のときと自宅でソーラーパネルから取り込んだ電気を蓄電して活用しているくらいだ。蓄電の技術がもっともっと進めば、例えば、夏の暑さを冬の暖房に活用できたりするのではないか。またはその逆も・・・・・・。更には小電力で動作する電子機器の開発も必要だ・・・・・・。そんなことを妄想しているくらいだ。

 考えてみれば、福島第一原子力発電所の事故のほかにも、原子力発電については課題が山積みであるようにも思う。さきほど書いた30年以内に発生すると言われている南海トラフ大地震への備えもさることながら、使用済み核燃料の廃棄方法についても考えなければならないのではないだろうか。

 実は以前、映画『100,000年後の安全』という映画を映画館で鑑賞したことがある。映画の内容は、フィンランドにおいて、使用済み核燃料の廃棄に頭を悩ませているというものだった。フィンランドでは、使用済み核燃料を地下500メートルのところに埋めて廃棄しているが、使用済み核燃料が人類にとって無害の状態になるには十万年かかると言われており、その間に氷河期も発生し、おそらく言語も変わってしまうので、未来人たちにこれが非常に危険なものであることをどのように知らせるかで頭を悩ませているのである。

 原子力発電に頼っている国に住む人たちは、使用済み核燃料が無害になるまでの時間を認識しているのだろうか。ただ、中には十万年もかからないと力説する人もいる。

【アゴラVlog】プルトニウムに「10万年後の安全」は必要か
(再生速度:1.75で視聴可能)

 映画『100,000年後の安全』の映画で懸念されていることと、上記の動画で語られていることとどちらが本当なのかは素人の私にはわからない。ちなみに、映画『100,000年後の安全』をYouTubeで検索してみると、日本語の吹き替え版を投稿している方がいらっしゃる。これは違法なのかもしれないので、リンクは貼らないでおく。

 それはさておき、日本においても、使用済み核燃料を廃棄する場所に関して、課題が残されているようである。以下のドキュメンタリー動画には、使用済み核燃料の廃棄場所として、地元を提供しようとする町長と、そこに住む住民たちの戦いが記録されている。

「ネアンデルタール人は核の夢を見るか~“核のごみ”と科学と民主主義~」2021年11月20日放送 芸術祭賞やギャラクシー賞、JCJ賞などを受賞したドキュメンタリー!
(再生速度:1.75で視聴可能)

 このドキュメンタリー動画を見て、やはり原子力発電に関連するものは、多額のお金が絡んでいるという印象を受けた。すなわち、原子力発電に力を貸す自治体は、見返りとして多額の報酬を受け取ることができるということだ。多額の報酬を受け取ることで町が豊かになると考える人たちもいれば、町の安全が確実に保証されるのかどうかについて疑問を持つ人たちもいるため、許容できないと主張する人たちもいる。そして、原子力発電を無理に推進しようとしている人たちに共通して言えることは、「どこか冷たい印象を持っている」ということだった。自分のことしか考えていない人たちが多いのではないかという印象だ。

 これらのことから想像するに、おそらくだが福島県もまた、東京電力の原子力発電の建設にあたり、多額の報酬を受け取っていたはずだが、東日本大震災で想定外のことが起きてしまった。東京電力は、その後始末に必死で取り組んでいるが、2051年までに完了する見込みは立っていないと思われる。また、使用済み核燃料の処理の問題も残っている。これらの問題を、今後どのように解決して行くのか。おそらくこれは、東京電力だけの問題では済まされないだろう。原子力発電のメリットだけで新技術に飛びついてしまった感がぬぐえなくもない。デメリットについても充分考察すべきだったのではないか。

 東京電力には引き続き、福島の帰宅困難区域の除染を進めていただくとして、各電力会社で力を合わせて、原子力発電に代わるエネルギーの開発と蓄電への取り組みも進めて欲しいと思う。どうにもこうにも私は専門家ではないので、ここまでの提案しか書けないのが残念だ。とにかく一日も早く、福島の帰宅困難区域の除染が完了して、かつてそこに住んでいた方たちが安心して戻れるようになることを願ってやまない。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 原子力発電の活用に関しては、このまま前に進んで行くことも元に戻すことも困難な状況であるようにも思えます。「トイレのないマンション(使用済核燃料を捨てる場所がないことを意味している)」とは良く言ったものですね・・・・・・。

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2025.05.07

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)

東京で目の当たりにしたオーバーツーリズムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m GWの最終日となりました。GW後半は、お天気が崩れてしまいましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。私たちは4月25日(金)の夜から東北地方に向けて車を走らせ、車中泊と民宿への宿泊で合わせて11泊の旅を楽しんで、少し前に無事に帰宅したところです。GW後半は四連休ということもあり、道路も混雑していました。幸い、高速道路を利用したのは行きだけで、帰りは一般道を走って帰りましたので、目立った混雑はなく、予定通りの時間に帰宅することができました。今回の旅でもいろいろな気付きがありましたので、数回に分けて、皆さんにシェアさせていただきたいと思います。


 今回の旅で訪れた最北端の街は、山形県の酒田市だった。そこから折り返して、帰りは日本海側を走って帰宅した。GWの東北は、やはり寒かった。山には雪が積もっており、山形の鶴岡辺りの道路沿いには、まだ雪がたくさん残っていた。

 東日本大震災のあと、私たちは被災地を訪問するのをしばらく控えていたように思う。それでも、飛行機や新幹線を利用して、被害の大きかったところを避けながら、一部の地域を旅行したことはあった。今回は車での移動となったので、東日本大震災に関連する様々な施設を回ることができた。その一つが、宮城県石巻市にあるみやぎ東日本大震災津波伝承館である。ここでは、東日本大震災で発生した大津波に関する記録と、津波が発生したときにどのようにして身を守るかについての重要なメッセージが映像やパネルを使って展示されている。

 東日本大震災は、マグニチュード9.0という世界規模でも四番目に大きな大地震だった。大地震が発生したことにより、宮城県には8メートルを超える津波が押し寄せ、その大津波により多くの人たちが命を落とすことになってしまった。特に、宮城県や岩手県周辺で見られるリアス(式)海岸というギザギザの形をした海岸は、ギザギザのない海岸に比べて、より高い津波が発生しやすい状況にあったようだ。(私はこの理由を、短時間で波が跳ね返って来る構造になっているためであると理解した)

 みやぎ東日本大震災津波伝承館に展示されていたビデオの中に、大津波から逃げて助かった人たちからのメッセージが収録されていた。それらを要約すると、
「津波が来たら、迷わず高いところへ逃げて、決して低いところには戻らないように」
ということのようだ。もし、南海トラフ地震に直面するようなことがあったら、このときのメッセージを思い出して行動しようと思う。

 ところで、私はGWの旅行中もCamblyのレッスンを受ける必要があった。レッスンをパスしてしまっても問題はないのだが、受けなかったレッスンを繰り越しすることができないので、海外旅行中であろうが、国内旅行中であろうが、私は必ず自分の決めた回数分のレッスンを受けるようにしている。東北を旅行しているときも、一度だけレッスンを受けた。そのとき、私は民宿に宿泊しており、浴衣姿でレッスンを受けたところ、イギリス人講師が浴衣姿の私を見て、いつもと雰囲気が違うと言った。そこで私は、仕事を11連休することができたので、14年前に発生した大地震と大津波の被害が大きかった地域まで旅行に来ているのだと言った。イギリス人講師には、何故、そこに足を運んだかの理由を尋ねられた。というのも、その講師は感受性が強いために、多くの人たちが亡くなった場所に足を運ぶと、平常心ではいられなくなってしまうらしい。去年の夏に、私がアウシュビッツ強制収容所を訪問したことを報告したときにも、何故、そこに行くことにしたのかと尋ねられ、自分はそういう場所は絶対ダメなのだと言われた。

 私は、アウシュビッツ強制収容所を訪問した理由として、悲惨な出来事があった場所を訪れることで、その場所を浄化したい気持ちがあったと答えた。しかし、実際には一度や二度の訪問では浄化できるものではないと感じていた。アウシュビッツ強制収容所が負の遺産として今でも遺されているのは、そこを訪れた人たちに、このような悲惨な歴史を二度と繰り返して欲しくないためらしい。

 それはさておき、私が東日本大震災の被災地を訪れたのは、やはりいつまでも避けていてはいけないと思っていたことが一番大きい。その場に足を運び、同じ日本人として、その痛みをきちんと感じ取りたかったのだ。

 津波にのまれてしまった地域は、震災遺構として公開されていたり、住宅以外の用途で活用されていたりした。悲しいことに、住宅地の中には、新しい家ばかりが立ち並んでいる地域もあった。すなわち、古い家はなくなってしまったということなのだろう。そこでは、私たちの想像をはるかに超える被害を受けていたことが予想できた。

 残念なことに、これらの複雑な想いを、イギリス人講師にうまく伝えることができなかった。そこで私は、日本では向こう30年以内に再び巨大地震が必ず起こると予想されているので、過去の大地震から学ぶべきことがあるのではないかという気持ちで訪れましたと答えた。実際には、それが東日本大震災の被災地を訪れたメインの理由ではなかったのだが・・・・・・。

 するとイギリス人講師には、自分なら、必ず大地震が起こる場所で暮らし続けるのは怖いので、そこを離れて別の場所で生活すると思う、必ず大地震が起こるとわかっている場所で暮らし続ける理由がわからないと言われてしまった。そのイギリス人講師は、既にイギリスを離れて別の国で暮らしている人なので、おそらく自国を離れて暮らすことには抵抗がないのだろう。英語を自由に操ることができれば、どこの国に行こうとも、ほとんど不自由することなく生活して行くことができるだろう。また、もともとイギリスには生命が脅かされるほどの自然災害がほとんど発生しないことも、自然災害が多い日本とは大きく異なるところだと思う。日本は自然災害が多いものの、日本語を理解してくれる国が日本しかないために、日本を離れて他の国で暮らそうと考える人はそれほど多くないのではないかと思う。もし、他国でも日本語が通じるのであれば、日本を離れて他国に移住しようとする人も少なからずいるかもしれない。ただ、それとは別に、田舎のほうに行けば行くほど、地域の人たちが人との繋がりを大切にして、個人的な考えだけでは行動しない傾向にあるようにも思う。別の言い方をすれば、地元愛が深いとも言える。

 おそらくだが、私自身はやがて南海トラフ大地震が来るとわかっていても、海外に脱出したりはせずに、日本に留まり続けることを選ぶに違いない。ひとまず、南海トラフ大地震はまだまだ先のこととして、その前に、私は東北の方たちが体験した激しい痛みを現地で感じ取り、追悼の意を捧げたかったのだ。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m みやぎ東日本大震災津波伝承館には、東日本大震災で行方不明になっている方たちを探すために、何度も何度も海に潜って探し続けたという方のコメントもありました。大地震の発生から14年経ってもなお、たくさんの方たちが行方不明の状態であると聞きました。今なお行方不明の方たちが、一日も早くご家族のもとに帰れることを願ってやみません。

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2025.04.26

東京で目の当たりにしたオーバーツーリズム

山火事の爪あとの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いよいよゴールデンウィークが始まりましたね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は仕事の納品を控えて、この四月はこれまでにないほど残業をしていました。すべてテレワークで対応できたので、通勤時間がかからなかったことについてはとてもありがたかったです。また、私自身の至らないところをチームのみんながサポートしてくれたことについても、大いに感謝しています。もしかすると、ゴールデンウィークも何日かは出勤する必要があるかもしれないという状況に陥っていたのですが、チームのメンバーのサポートもあって、何とか昨日のうちに予定していた作業を終えることができました。おかげで、このゴールデンウィークは十一連休することができます。というわけで、ゆうべのうちに自宅を出発して、ガンモと車中泊の旅に出て来ています。今年のゴールデンウィークは飛び石連休になるとのことで、何となく交通量は少ないように思います。皆さんも、どうか楽しいゴールデンウィークをお過ごしくださいね。


 今回は、三月の春分の日を挟んで、仕事を四連休にして東京に出掛けたときの話をしようと思う。

 東京に出掛けることになったきっかけは、ガンモが新卒で三年間だけ勤めた会社の同僚たちが定年退職するというので、当時の同期のみんなで東京に集まることになったためだ。それに合わせて私も有給を取得して、海外旅行で貯めたマイルを消費して、飛行機で東京へと向かったというわけである。

 東京のホテルは、円安に惹かれて日本を訪れている外国人観光客の方たちが支払える価格に合わせてひどく高騰していた。そのため、私たちは世田谷区にある古い昭和のアパートを改造して作られたリーズナブルな価格のビジネスホテルに宿泊した。私が独身時代に住んでいた下北沢も同じ世田谷区にあり、しかも、今回宿泊した宿の最寄駅のすぐ隣がその下北沢だった。そのため、今回の東京滞在は、私にとっては非常に懐かく感じるものとなった。

 不思議なことなのだが、羽田空港に着いて東京に一歩足を踏み入れた途端、「私は東京にいるんだ」というモードに切り替わった。大学進学のために上京し、ガンモと結婚する直前まで十一年間東京に住んでいたので、ひとたび東京の空気に触れると、東京に住んでいたときの感覚がすぐに蘇るのだった。

 結婚してからも、しばしば東京を訪れてはいたものの、おそらくここ十年くらいは東京から遠ざかってしまっていたように思う。久し振りの東京訪問でまず驚いたのは、やはり電車や景色などがすっかり変わってしまっていたことだった。駅のホームにもホームドアが設置されていただけでなく、私の知らない新しい路線まで登場していた。

 他に驚いたことと言えば、何と言っても、外国人観光客が極端に多いことだった。ある有名なお寺に足を運んだところ、何とそのお寺を訪れている九割程度の人たちが外国人観光客だった。秋葉原にも足を運んだのだが、街を歩いている六割程度の人たちが外国人観光客だった。ここは本当に日本なのだろうかと疑ってしまうほど、とても複雑な気持ちになった。おそらく、京都や大阪で起こっているのと同じ現象が、東京でも顕著に起こっているのだと思う。まさしくオーバーツーリズムを目の当たりにした瞬間だった。

 実は、去年、京都の嵐山までトロッコ電車に乗るためにガンモと二人で出掛けて行ったのだが、今回訪れた東京のお寺とほとんど同じことが起こっていた。トロッコ電車の利用客のほとんどが外国人観光客だったのである。ここは本当に日本なのだろうかと、目を疑ってしまった。

 こういう話をCamblyのレッスンでイギリス人講師に話すと、「以前は、日本まで行くのも価格が高かったし、なかなか実現できなかったんだけど、今は二ヶ月くらい滞在するのも可能な状況になって来ているのよ。そこに住んでいたらわからないと思うけど」と言われた。いやはや、それは今の日本が、かつて日本から見て物価が安いと感じていた他の国々と同じようになって来たということなのだろうか。

 その一方で、ある英語系Youtuberが、自身のチャンネルでこんな話をしていた。最近は、海外で売春をするほうが日本の二倍も三倍も稼げるので、アメリカなどに単身出向いて売春をする日本人女性が増えているらしい。アメリカの入国審査官たちは、そうした女性を入国させないために、これまで以上に厳しい審査を行っているのだとか・・・・・・。

 それはさておき、日本が好きで日本を楽しんでくれる外国人観光客が増えているのはうれしい反面、他国の文化と混ざることで、やがて日本独特の文化が失われていくのではないかという懸念もある。また、日本の重要文化財に落書きをする外国人もいると聞く。海外に出掛けると、あちらこちらに落書きが多いのは見慣れた光景なのだが、日本にはまだそれほど落書きが定着していない。日本においても、やがてどこに行っても落書きを見かけるようになってしまうのだろうか。また、街もゴミで溢れるようになってしまうのだろうか。そんな懸念もある。おそらく、このまま円安が続いて行く限り、今後も外国人観光客は増え続けることだろう。そうなると、やがて文化が混ざってしまうのは避けられないのではないだろうか。

 あれほど物価の高いイギリスでさえ、外国人観光客が多くやって来ているという話は以前から良く聞く。ロンドン出身のイギリス人講師は、「学校のクラスには、インドや日本などのいろいろな国から移住して来たクラスメイトが数人はいたわよ」と言っていた。さすがに、今の日本はそこまでの状況にはなっていないと思うが、やはりそのイギリス人講師に、「自分の国に多くの外国人がやって来ることについてどう感じていましたか?」と尋ねてみると、「やはり複雑な気持ちだったわね」と語ってくれる。

 Camblyのレッスンを受ける前まで英語のプライベートレッスンを担当してくれていたイギリス人講師もまたロンドン出身だったのだが、やはり自分の生まれ育った地域に外国人が移住して来るのを複雑な気持ちで受け入れていたと言っていた。

 そういう意味では、日本もようやく他国並みになって来たということなのだろうか。それとも、今の状況は、かつての鎖国時代の反動なのだろうか・・・・・・。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 都会では、外国人観光客が多く見受けられるようになって来ていると思います。仕事先は大阪なのに、テレワーク続きなので大阪の状況はわかりませんが、万博が始まったので、おそらく大阪もすごいことになっていそうです。(苦笑)今はただ旅行のために日本を訪れている外国人観光客が多い状態であると思うのですが、やはり日本が好きだから移住しようと決意する外国人の方たちが今後は更に増えて行くのではないかと思っています。

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