魂の愛

2015.04.09

愛について(5)

ホットヨガ(四三三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 昨日は、まるで冬のように寒かったですね。東京では雪が降ったと聞いていますが、まさしく『春の雪』ですね。今日は昨日よりは寒さが和らいでいるように思えますが、春にしては寒いので、昨日に引き続き、冬物のコートを着て出勤しました。

 最近、「条件付きの好意」について考えることがある。

 例えば、春になると、桜の木の周りにたくさんの人々が集まる。しかし、多くの場合、それは条件付の好意だ。何故なら、春になると、桜はきれいな花を咲かせるからだ。人々は桜の木そのものではなく、美しく咲いた桜の花に魅せられて寄って来ているからである。このように、条件付きの好意には、「好きになる理由」が存在している。そして、それらの理由は、自分にとってメリットになる理由であることが多い。

 もし、桜への好意が条件付きでないならば、美しい花を咲かせない冬の桜でさえも愛でることができるだろう。

 桜が散り始めて、葉桜になりつつあるこの頃、ふとそんなことを思うのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 通勤の途中に見掛ける桜たちに、「今年もきれいな花を咲かせてくれてありがとう。来年もまたきれいな花を咲かせてね。お疲れさま」と言っておきました。無条件の愛というものがあるとするならば、毎年きれいな花そ咲かせて私たちを楽しませてくれる桜自身の、私たちへの愛なのかもしれませんね。

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2014.07.01

愛について(2)

青森~北海道旅行(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まちのオフィスに勤務するようになってから、朝の通勤電車の混雑が激しいためか、携帯電話を開いて記事の下書きをしたり、一度書き上げた記事を推敲したりするのが困難になってしまいました。満員電車の中で何とか携帯電話を開くことができたとしても、いなかのオフィスに向かって走っていた電車よりも揺れが大きいので、つり革や棒を持たなくてはなりません。そうなると、フルキーボード付きの私の携帯電話は、いよいよ文字入力が困難になってしまいます。また、電車が混雑していると、周りにいる人たちが私の携帯電話の画面に写し出された文字を読むことができてしまうので、なかなか文章を書くことに集中できません。おまけに、いなかのオフィスのような自由な雰囲気はないので、オフィスにAndroid端末を持ち込むのもやめてしまいました。環境が変わったことで、通勤環境を利用して、書くことに集中した時間を取るのが難しい状況になってしまいました。やはり環境は大事ですね。しかし、その分、通勤時間も短くなっていますので、自宅で集中した時間を取りたいと思っています。

 最近、あるアーチストが覚せい剤取締法違反の罪で逮捕された。国民的レベルの大ヒット曲を世の中に送り出したアーチストだっただけに、人々の受けた衝撃は大きかったようだ。その出来事を通して、アーチストへの感情が仮に「愛」だとすると、思うことがいくつかあったので書いてみたい。

 私が最も気になったのは、そのアーチストが覚せい剤取締法違反の罪で逮捕されたことで、多くのファンが離れて行ったことだ。まず、私は、「ファンとは何ぞや?」と思った。とは言え、「ファンとは何ぞや?」について、ここで語り始めてしまうと、「愛について」の本筋から外れてしまいそうなので、ここではあくまで、アーチストへの感情を「愛」に例えて書かせていただくことにする。

 「愛」とは、相手の取る行動によって、気持ちが左右されたりするものなのだろうかというのが、この事件を通して私に生まれた疑問だった。もしも仮にそうだったとしたら、相手への「愛」は、相手が取るであろう、自分の想定内の行動に対してのみ存在していることになってしまう。それは、自分自身が勝手に思い描いた相手の理想像であって、相手自身とイコールではない。自分が想定した範囲内でしか相手を愛せないのであれば、それは他者への愛ではなく、自分への愛、すなわち、自己愛なのではないかと私は思うのだ。

 相手を想う気持ちが「愛」から来るものであれば、相手の取る行動によって、自分自身の感情が左右されたりはしないと思う。何故なら、例え相手がどんな行動を取ろうとも、相手の「魂」の本質には影響を与えていないと思うからだ。

 しかし、「魂」を愛さない人たちは、「魂」の本質から目をそらし、相手が持っているものや相手が取る行動で判断しようとする。それでは、相手がお金持ちだからという理由で好きになるのと、それほど変わりがないように思える。「魂」を愛するというのは、「○○だから好き」というように、好きになることに理由がない。好きになることに理由があるのであれば、それは最初から「魂」を愛していることにはならないと私は思う。

 最後に、相手の取る行動や相手の持っているもので判断しようとせずに、相手の「魂」を愛することは、覚醒剤の所持や使用を認めることとは大きく異なることも加えておきたい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中の流れとは違う考え方だと思いますが、最近の出来事から感じたことを、「愛」に例えて書いてみました。相手の表面的な行動に惑わされることなく、相手の「魂」にいつまでも惹かれ続けるのが「愛」ではないかと私は思うのです。

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2014.04.30

愛について(1)

おばあさんのお見舞いの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私たちは、昨日、江差(えさし)から、再び青森まで移動して、青森から飛行機で帰って来ました。悪天候のため、飛行機がひどく揺れました。旅行中、ずっと天候に恵まれていたので、帰って来たときに雨が降っていたとしても、旅行には影響ありませんでした。江差では、ガンモと一緒にあるところに出掛け、心底リラックスすることができました。そこで気付いたことについて書いてみたいと思います。今回の記事は、とても短いです。(笑)

 愛とは、外側からも、内側からも、同時に通じることだと思う。良く言われる、「表面的な言葉だけで云々」という表現は、外側からだけの通路のみ通じている状態を意味している。そうした状態を毛嫌いする人たちも多い。内側からの通路が通じている状態というのは、相手と自分の区別がない状態にあることで、相手のことを自分のことのように感じられる状態のことであある。

 思えば、私は学生の頃から、人と内側から繋がることを模索し続けていたように思う。そのため、ごく少数の人たちと深く関わることを望んだ。おそらく、同時に多くの人たちと、外側からも内側からも通じることができる自信がなかったのだと思う。それは、まだ私の中に、外側からも内側からも同時に通じる「道」ができていなかったからなのだろう。その「道」ができてしまえば、多くの人たちに、もっといろいろなことを伝えて行きたいと思うようになるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今後も「愛について」というタイトルで、書かせていただくために、今回はその(1)とさせていただきました。また、心底リラックスできたときに、新たな気付きがあれば、この続きを書かせていただくことにしますね。

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2013.09.01

運命の人と出会う

ホットヨガ(三五一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ずいぶん過ごしやすくなりましたね。そのせいか、早くも長袖の服を着て歩いている人たちを見掛けます。最高気温は二十七度くらいまでは上がっているようですが、半袖では寒いと感じる方もいらっしゃるみたいですね。私は、上半身のほてりがあるので、おそらく最高気温が十七度くらいに下がるまでは半袖で過ごすと思います。(苦笑)

 mixiには、「つぶやきネタ」という機能がある。つぶやきのネタになるようなお題を運営側が提供したり、ユーザからも募ったりして、回答したいネタを選んでお題に答えることができる。それらの中に、運命の人とどのように出会いたいかについて綴るつぶやきネタがあったので、読ませていただいた。

 しかし、拝見してみてがっかりしたのは、多くの人たちが、運命の出会いをほとんど期待してはいないということだった。最も多かったのは、「パンを加えて走っているときに、曲がり角で誰かにぶつかり、登校してみると、ぶつかったのは転校生で、その転校生と恋に落ちる」という回答だった。次に多かったのは、「(運命の人が)空から降って来る」というものだった。同じような回答がいくつも挙げられていたので、もしかすると、アニメかマンガかゲームに登場する男女の出会い方なのかもしれない。

 ガンモと私の場合、馴れ初めはパソコン通信だったのだが、私はガンモとの出会いにより、これまでに体験したことのないような感情を体験した。というのも、愛しさのために、とてつもなく泣けて来るのである。決して悲しいわけでもなく、単にうれしいわけでもない。その存在を認識し、心の中で想うときに、魂の奥底からわき上がって来るような愛しさを感じたのだ。

 その感情は、ガンモの頭のほうから発せられる何かに反応しているように思えたので、当時の私は、ガンモが宇宙人によって何らかの回路を頭の中に埋め込まれ、私がその回路に反応しているのではないかと思っていたほどだ。

 結婚してからも、早く家に帰りたくて、仕事中も良く泣いていたのを覚えている。じっとしていても愛しさがこみ上げて来るのである。

 しかし、そうした尋常ではない愛しさは、他の人たちとの関係性にギャップを与えることにもなった。ガンモと過ごす時間があまりにも心地よいために、とりわけ仕事を通じて出会った人たちとの社会的な関係が、ひどく味気のないものに思えてしまったのだ。

 結婚して十数年経つと、こうしたわき上がって来る感情はずいぶんと落ち着いて来たのだが、果たしてあの頃の感情が何だったのかと考えてみると、魂としての再会の喜びだったのかもしれないと思っている。というのも、ある前世において、私はガンモの目の前で、ゴンドラのようなものから落ちて命を落としているからだ。退行催眠によって、そのときのことを思い出したときにも、私は尋常ではない感情に襲われたものだ。大切な人を遺して肉体を去って行くことの辛さを体験したのだ。

 私は、今の若者たちが、こうした尋常ではない感情を体験するチャンスを失ってしまっているように思えた。ひょっとすると、何らかの理由により、こうした尋常ではない感情を体験できる回路を閉じてしまっているのかもしれない。若者たちには、もっと「感じる」ということを大切にして欲しいと思うこの頃だ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m mixiのつぶやきネタで、運命の出会いに関する書き込みをされていた方たちの多くは、運命の出会いをほとんど期待していないように思えましたね。感情のブロックを解いてあげれば、変わって行くような気がします。

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2013.06.15

魂の親和性

ホットヨガ(三三六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。この週末は、義父と義母の法事があるため、四国に帰省しています。誰も住まなくなってしまったガンモの実家に泊まるのも何となく気が引けるので(私たちが使った布団を干したり、布団カバーを洗濯したりする作業を義弟に押し付けてはいけないと思い)、ガンモの実家近くの国民休暇村にガンモと一緒に泊まりました。雨が降って、濃い霧が出ていたので、利用客は少ないのではないかなどと思っていたのですが、着いてみると、ものすごくたくさんの利用客でにぎわっているので驚きました。お風呂は温泉ではないのですが、夕食と朝食のバイキングが充実しているのが人気の秘密のようでした。

 先週末は、二日間連続のライブに参加した。もともと、私のMRIの検査の予定が入っていたため、週末を利用して帰省することはできなかった。それに加え、数ヶ月前からライブのチケットを申し込んでいたので、予定通り、参加することにしたのだ。やはり、状況的にいろいろ思うところがあり、途中で涙が出て来たシーンも多かった。

 一日目は、三階席だったので、上から見下ろすような感じだった。それでも、思っていたよりも良く見えた。私の席は端っこで、壁にもたれながら演奏に聴き入ることができる反面、アンコールが始まったときに席を立ってトイレに行くのが非常に困難だった。というのも、端っこの席だというのに、片側は壁で閉じられてしまっているため、そこから通路に出ることはできず、反対側の通路に出て行くまでには、大勢の人たちに謝りながら、席を掻き分けて出て行かなければならなかったからだ。さすがにそこまでの勇気はなかったので、私は大きな筋腫で圧迫され続けている膀胱に鞭打って、コンサートが完全に終わるまで三時間余りもトイレに行くのを我慢した。そのため、終演と同時にトイレに駆け込んだのは言うまでもない。

 二日目は、一階席の前のほうの席だった。しかも、ありがたいことに、私の好きなメンバーがとても良く見える席だった。とは言え、コンサート会場にいながらも、私はやはり、頭の中では母のことを想っていた。

 ステージが席から近かったからだろうか。好きなメンバーの顔がとても良く見えて、私は、この魂が大好きだなあ、彼の近くにいると、とても居心地が良いなあと実感した。

 彼の魂は、私の魂にとても近いと感じる。魂同士の親和性を感じるのだ。しかも、魂としての付き合いは、とても古いと感じる。だから、長いこと離れていても、まるで昨日の続きのような会話が実現できそうな気がする。一瞬のうちに、空白を埋め合わせることができるような気がするのだ。

 私は、彼の前では、とてもリラックスした気分でいられたことを思い出していた。人によっては、いつまで経っても緊張が解けない人も多い。例えば、お互いにいつまでも名字 + さん付けで呼び合っていたり、敬語が抜けなかったりするような場合は、魂としての付き合いがまだまだ浅いのだと思う。だから、喧嘩もできなかったり、言いたいことを言えなかったりもする。しかし、彼に対しては、とてもリラックスすることができた。むしろ、大勢の中の一人として接しているよりも、一対一で会話をするときのほうがリラックスできていたと思う。また、彼が頭の中で考えているであろうことを簡単に予測することもできた。

 ただ、魂としては、彼との間には、もはや男女のとしての学びは終了していると感じた。ゲームに例えるならば、既にクリアしてしまったゲームである。私にとって彼は、同じ魂のグループの親玉のような存在で、私自身がどのような人と親しい関係を築いて行くかを報告する相手であるように感じている。だから、今、私がガンモと一緒に過ごしていることを見守ってもらいたいのだと思う。

 自分と親和性を感じる魂は、確かに存在している。しかし、ひとたびその存在を知ってしまえば、ぎこちなく感じてしまう魂の存在も同時に知ることになる。反対に、魂の親和性を感じることなく過ごすこともできるが、それでは、とても平坦な人生になってしまうような気がするのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分と近いとか、自分と合うと感じる魂を持っている人は、確かにいますね。そのような魂を持っている人に出会うと、言葉ではとても表現し切れないような親しさを感じるものです。言葉でわかり合うよりも素早いものを互いに持ち合わせていますね。

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2008.05.12

三人のツインソウル

心の領域と魂の領域の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この記事にたくさんの応援クリックをいただきました。心よりお礼申し上げます。私の中に自然に沸き上がって来た内容を綴った記事だったので、ここで皆さんとシェアさせていただいて本当に良かったと思いました。「魂は傷つかない」ということに気が付けば、多くの人たちが心の領域にある喜怒哀楽に左右されることなく、しっかりと前を向いて生きられるのかもしれませんね。さて今回は、「ソウルメイト診断」に関するお話です。

 最近の私は前世づいている。若い頃から自分の前世に興味があり、退行催眠誘導CDを購入して自分自身で退行催眠を行い、いくつかの前世を断片的に思い出したこともある。退行催眠に取り組んだ当時、問題を抱えていた私は、前世の自分の行いを知ることで、問題解決の糸口を見つけることができた。そうした探求もひと段落ついて、ここしばらくの間、前世への探究を休止していたのだが、最近になって再燃して来た。そこで、携帯電話のパケット通信を使い放題のパケホーダイに加入しているのをいいことに、自分の前世を探るために「前世からの約束」と「前世療法」という有料サイトに登録してみた。

 このようなサイトにアクセスすると、やはり気になるのは、現世で出会った、魂が近いと感じる人たちとの前世からの繋がりである。登録したどちらのサイトにも「ソウルメイト判定」なる診断メニューが設けられ、魂が近いと感じる人たちの生年月日を入力して簡単な質問に答えると、その人と自分が前世からどのような繋がりを持っているかを診断してくれるようになっていた。

 こんな判定、ばかばかしいと思う方もいらっしゃるかもしれない。しかし、魂が近いと感じる人たちに対しては、出会いの初期の段階から、何か特別な親しさを感じている。そのような対象に出会った人たちは、自分の奥底から沸き上がって来るその特別な親しさが一体何であるかを知りたくなってしまうものなのだ。

 そんな出会いを経験した私は、二十年以上前からソウルメイトについての探求を始め、それが高じてソウルメイトやツインソウルについてのサイトも立ち上げることになった。そして、私のサイトでも、この手の判定ページを設けている。というのも、それを設置する以前の掲示板や電子メールに、「彼と私はソウルメイトなのでしょうか?」といった問い合わせが多かったからだ。

 それはさておき、私は登録した二つのサイトに、魂が近いと思う三人の男性の情報を入力してみた。ガンモ、好きなミュージシャン、そしてツインソウルである。まずは、「前世からの約束」というサイトからの診断結果をご紹介しよう。

 ガンモと好きなミュージシャンは、「パートナー」という同じ結果が出た。

パートナー

まるみさんとガンモさん(好きなミュージシャンさん)はパートナーソウルの要素があります。人生におけるさまざまな出会いの中で、親密な関係を持つ相手はそれなりの縁を持って生まれて来るようです。単なる出会いと別れの繰り返しのように見えても、実はまるみさんの成長のために現れた存在であり、現在気になるガンモさん(好きなミュージシャンさん)もそんな魂のひとつと思われます。一緒にいると自由を与えられたようにのびやかな恋愛が楽しめ、多少の困難にぶつかったとしても、ふたりの努力で難なくクリアーして行けることでしょう。しかし、魂の成長には時として別れが必要なことも。もしその時を迎えることになったとしても、それはまるみさんが更に前進するきっかけであり、幸せになるためのひとつの過程に過ぎないのです。

 なるほど。この診断結果を読むと、「パートナー」とは、私の中の「ソウルメイト」という感覚と近いようである。ガンモと好きなミュージシャンで同じ結果が出たというのは興味深い。

 そしてツインソウルは、「ツインソウル」との結果が出た。

ツインソウル

まるみさんと○○さんはツインソウルの要素があります。一緒にいると、本来の自分に戻れるような開放感をおぼえ、激しい恋愛感情というよりも穏やかな気持ちでお互いをいたわり合うでしょう。そんなふたりは、ともすれば短命で終わりがちな男女の恋愛よりも、さながら無二の親友のような信頼を築き上げるかもしれません。ほどよい距離を保つことで理想の関係が維持できるとも考えられます。どのような関係であれ、お互いが人生の要所要所で必要なメッセージを運んで来てくれる、かけがえのない存在となることでしょう。日常の中でふと相手のことが頭をよぎったら、それは○○さんを必要としているサインかもしれませんので、すぐに連絡をとってみましょう。

 この表現もしっくり来る。とりわけ、私にとっては、男女の愛ではなく、無二の親友を目指したい点においても一致している。

 ちなみに、「前世からの約束」サイトには、ツインソウル、パートナーのほか、メンター、エネミー、スピリチュアルファミリーというカテゴリがあった。メンターというのは、魂の成長の指導者だそうだ。エネミーというのがどうやら私の解釈するところのカルマの相手らしい。そして、スピリチュアルファミリーは、血縁関係ではないが、家族以上の絆で結ばれたグループだそうだ。

 さて、続いて「前世療法」サイトでの診断結果をご紹介しよう。「前世からの約束」サイトで私のツインソウルが「ツインソウル」と診断されたので、最初にツインソウルから診断してみた。すると結果は・・・・・・。

まるみさんと○○さんは、運命のツインソウルです。まるで2つのろうそくの炎が互いを照らしあうように、互いの魂に共通した使命や目的達成のために助け合うソウルメイトです。他人なのに家族のような安心感と信頼感があり、過去世では夫婦や恋人のような近い存在だったのでしょう。今世で困っていると不思議とタイミング良く「やってきて」助けてくれる相手です。共通の学びが多い関係に当たるので、お互いに高めあうには理想的な相手となり、一緒にいることで自分に足りない部分を補うことができるでしょう。

 なるほど、こちらでもツインソウルと診断された。そして、ガンモと好きなミュージシャンを診断してみると・・・・・・。あれれ? あろうことか、ガンモも好きなミュージシャンも、ツインソウルと同じ結果が出てしまったのである。この診断結果を素直に受け入れるならば、私には「前世療法」サイトで言うところの「運命のツインソウル」が三人もいることになってしまう。しかも、書かれている内容も、ソウルメイトの特徴とツインソウルの特徴が混同されているようだ。私にとっては、助けてくれる魂は、ツインソウルというよりも、ソウルメイトのほうがしっくり来る。一方、自分に足りない部分を補い合うのはツインソウルだ。この診断結果を見て、何となくだが、どこかから借りて来たような表現を用いているという印象を抱いてしまった。

 三人に対して「運命のツインソウル」という同じ診断結果が出てしまったものだから、「前世療法」サイトにおいては、ガンモで診断しても、好きなミュージシャンで診断しても、ツインソウルで診断しても、どの項目もほとんど同じ結果が表示されるようになってしまった。三人も「運命のツインソウル」に当てはまってしまうなんて、もう少し診断プログラムに工夫があって欲しいものである。同じ結果ばかり表示されてつまらないので、他の人で診断しようとしたのだが、意外にも生年月日を正確に覚えている異性は少ないということに気が付いてしまった。

 とは言うものの、私たちは、こうしたサイトの診断結果に一喜一憂してしまうのも事実である。おそらくだが、こうしたサイトに使用されているソウルメイトやツインソウルの「診断プログラム」は、相手の生年月日が一番の判断材料になっていると思われる。逆に、たったそれだけの材料で、ある程度の関係性が診断できてしまうのだから、生年月日というものに神秘を感じてしまう。

 ある程度の自由意思はあるにしても、多くの占いや診断が生年月日を判断材料にしているように、私には、人が誕生するのに、この世に生まれ出てから他の人とどのような関係を結ぶかが予め決められているような気がしてならない。三人いっぺんに「運命のツインソウル」などと診断されてしまったが、私にとって、それだけ縁の深い人たちなのだろう。「○○の星の下に生まれる」などと言うが、もしかすると、最初から人間そのものが星なのかもしれない。私たちは、誕生した日付と実際に結ぶ交友関係により、最初から夜空の星のように配置され、きらめく。実際のところ、私たちの誕生の物語には、夜空にきらめく星と同じくらいの神秘があるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。実は、ゴールデンウイークが明けてから、仕事が忙しくなり、慌しい毎日を送っています。心の中では、「ゴールデンウイークが早く来ないかな」などと、既に終わったゴールデンウイークに想いを馳せています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.05.11

心の領域と魂の領域

IKEAに行けばの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m お店の名前がIKEAではなくIKEYAであれば、「IKEYAに行けや」というタイトルにしたかったところです。(笑)さて、今日は久しぶりに(?)スピリチュアルな話を書いてみたいと思います。

 最近になって、心と魂の明確な違いを実感するようになって来た。私たちはしばしば、「傷ついた」という表現を使うことがある。実際にその人がひどくしょげ返っているならば、傷ついているのかもしれない。しかし、傷ついているのは、おそらく心の領域だ。魂の領域までは侵されていない。

 心の領域は相対的であるがゆえに、第三者からの影響を受け易い。第三者の言動による喜怒哀楽は、心の領域に配置される。しかし、時として、喜怒哀楽の感情に支配されることなく、何かに突き動かされるような想いで行動することがある。

 第三者の言動による喜怒哀楽に左右されることなく、何かに突き動かされているような行動を取っているときは、魂の領域にある想いを実現させていると言える。心の領域が第三者の影響を受け易く相対的と表現するならば、魂の領域は絶対的だ。魂の領域は、何者にも支配されない。心が深く傷ついているように見えても、魂は決して傷つかず、時に心に反した行動を取ることさえある。そのような状況に陥ると、私たちはひどく戸惑う。言い方を変えれば、心の領域にある想いはコントロール可能であり、時には押し込めてしまうこともできるが、魂の領域にある想いはコントロール不可能だということだ。

 例えば、男女の愛で、心が傷ついても傷ついてもやがて立ち直り、何ごともなかったかのように付き合いを存続させようとする強い愛がある。これは、心の領域にある喜怒哀楽を通り越して、魂の領域にある想いを実現させていることになる。反対に、心が傷ついたとして、やむなく別れを選択する場合、心の領域にある想いだけが存在し、魂の領域にある想いの手助けがないことになる。

 心の領域にある想いはいつも複雑で、時には自我との戦いを強いられる。しかし、何者にも左右されない魂の領域にある想いは、もっとシンプルだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は短いですが、この手の記事はできるだけ簡潔に書いたほうが、皆さんの中にある同じ想いとリンクし易いのではないかと思い、書かせていただきました。私たちは普段、心の領域と魂の領域をあまりにも混同し過ぎているかもしれません。でも、戸惑いを感じてしまうのは、いつも心の領域なんですよね。魂の領域にある想いは揺れませんから。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2006.03.29

魂の旅

 かつて私は、愛を思い出す関係愛を蓄積する関係という記事を書いた。その中でご紹介させていただいたご夫婦の片割れであるゆきさんが、この度、ご主人さんと別々の人生を歩んで行くことを決意されたそうだ。

 私は、かつてゆきさんからいただいたメールを、ゆきさんのアドレスに再送させていただいた。そのメールには、ゆきさんがご主人さんとの間にある深い愛を思い出し、これからも幾多の困難を一緒に乗り越えて行こうとする決意が込められていた。今のゆきさんを励ますのは、ゆきさん自身の過去の固い決意なのではないかと思ったのだ。

 ゆきさんは、もともと、ご主人さんとの関係がカルマの関係ではないかと思われていたそうだ。しかし、私のサイトの掲示板の過去ログをご覧になり、ご主人さんとの深い愛を思い出されたのだった。ゆきさんからのメールの内容をここに転載することは控えるが、私は今、そのメールを読み返しながら、お二人の愛の深さ、結びつきの強さに感動の涙を流しているのである。

 ここから先は、ゆきさんが掲示板に書き込んでくださった内容を引用させていただきながら、記事を書いて行きたい。太字の部分がゆきさんの発言であるが、二重引用符が付いているのは、私の過去の発言である。

> 夫は、今も昔も、私にとって唯一の人です。
> 他にこんな風に身体の芯で関われる人は絶対にいません。
> それだけは、はっきりとわかります。
> でも、もう、一緒に同じ方向を見て進んではいけません。

ゆきさん、私たちの魂の旅は、永遠です。
真に愛し合う魂が、例え別々に生きて行く決断を下したとしても、
その別離は一時的なものだと私は思います。
単に、再会までの時間差が大きいか小さいかの違いだけです。

例えば、愛し合う恋人同士がお互いの家に帰るために、
どちらかの最寄駅でいったん別れを告げたあと、
翌日、再びどこかで待ち合わせて再会するのと、
人生最大の決断という意気込みでもって、
最愛の人と別れるのとは、
再会までの時間差が大きいか小さいかの違いだけだと
私は思っているのです。

ゆきさんが、今は同じ方向を見て進んでは行けないと感じていても、
真に愛し合う二人ならば、
必ずまた、同じ方向を見るようになります。
愛とはそういうものだと思いますよ。

> >ツインソウルは、自己愛というものについて、究極的に問われる存在ですね。
> >相手よりも自分のことのほうが大切であれば、相手から離れて行こうとし、
> >相手のことも自分と同じように大切であれば、決して離れようとはしません。
>
> まるみさん。
> 私は、夫よりも自分が大切なんです。
> まるみさんに、こんな事を書いている自分が悲しい。胸が痛いです。
> でも、結局そうなんです。
> 夫と別れることを決めた時、今まで彼が私にしてくれた事柄を思い出して、
> 感謝の気持ちで一杯になりました。
> 不思議なことに、憎しみもなくなっているんです。
> 久しぶりに彼の疲れた顔を見て「苦しめてごめんね」と、心底思いました。
> でも、これからを、また、一緒に・・・・とは、
> 今はどうしても思うことができないんです。

このような選択も、今のゆきさんにとっては必要なことなのでしょうね。
これだけ一生懸命関わったのだから、
一度、離れてみるのもいいと私は思いますよ。

でも、何故でしょう。
誰かが愛の関係をおしまいにしようとしているとき、
私はいつも、「別れないで、ちゃんと向き合って乗り越えてください」
などとコメントして来たのに、不思議です。
先日の愛ちゃんのときも、
離れてることによって、見えて来るものがあるんじゃないか、
などとコメントしました。

お二人が再び同じ方向を見るようになることを、
それとなく感じ取っているのでしょうか。

それに、何よりも、このような離れ方はとても感動的です。
離れるにしても、とても愛があると感じます。
だからきっと、愛は決して二人を引き裂かず、
再び一緒に歩むチャンスを与えてくれると感じるのでしょう。

愛を思い出すために、
現在のような状況を選択をされたのかもしれませんね。

> >苦しい気持ちも良くわかりますよ。
> >本当に、逃げ出したくなりますよね。
> >でも、本当に逃げ出してしまったら、
> >今度は離れたことで苦しくなってしまう存在。
> >ポジティヴなときは、離れていても強い繋がりを感じられる存在なのに。
>
> 離れたらもっと苦しくなるんでしょうか?
> 今はわかりません。

実は、これについては少し違っていました。
ツインソウルとの関わりという観点で言うと、私は、
ここしばらくツインソウルと交流を持っていなかったのですが、
その間、苦しいという感情はほとんどなかったように思います。
むしろ、これまでよりも、
ツインソウルの魂をすぐ近くに感じていました。
だから、離れても離れなくても、ツインソウルは同じだ、
という結論に達したのです。

ツインソウルは、離れている間に、
これまで足りていなかったものが強化される関係だと思いました。
離れているときは、離れているなりに、
エネルギーの交流が行われているからです。

実際、離れると、これまで見えていなかったものが
どんどん見えて来ます。

今はもう、交流が復活しましたけれども、
ときどき離れて、また新たな発見をしたいような、
そんな衝動に駆られます。

もしかすると、ゆきさんたちの魂も、
そのような経験をしたがっているのかもしれませんね。

> まるみさん、私、ジェットコースターから振り落とされました。
> 違いますね・・・自分から降りてしまおうとしています。
> 今は、早く降りて楽になりたい。
>
> こんな報告ですみません。
> 今は、いっぱいいっぱいです。

私は、愛を思い出そうとしているゆきさんを、
ずっと応援していますよ。
正式な決断を下す前に、ゆきさんの過去の言葉が、
ゆきさん自身を励ましてくれることを強く望みますが、
例えゆきさんがどんな選択をされたとしても、
ゆきさんの魂の選択を応援して行きたいと思います。

どうか、これからの魂の旅を、有意義なものにしてくださいね。

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2005.11.01

全身全霊

 もしも今、何かのアンケートで、「あなたの一番好きな言葉は何ですか?」と聞かれたなら、私は迷わず、「全身全霊」と答えるだろう。

 ガンモと私が交際するようになる少し前、ガンモと私のじゃれあいを見ていた私の友人が、
「ガンモちゃんは、まるみちゃんのことを全身全霊で受け止めようとしてる」
と言ってくれた。私も、彼女と同じ感覚でガンモを見ていた。ガンモとは、お互いに、自分がこれまで知らなかったパワーを引き出せるような気がしていたのだ。そして、私たちは実際に、全身全霊で関わって来た。全身全霊とは、自分の持っているものを出し惜しみせずに、何から何まで注ぎ込むことだろうと思う。または、全速力で駆け抜けるようなイメージだ。言い換えると、手抜きのない、ごまかしの効かない関係でもある。

 全身全霊と言うと、もう一つ、思い出すことがある。それは、前世におけるツインソウルと私の関わりだ。一日中、飽きもせず、裸で抱き合い続けていたあの時代。いつも私の目の前にあった、ツインソウルの熱い潤んだ瞳。ツインソウルから注がれるものはすべて私に流れ込んでいた。私も、自分の持っているものすべてをツインソウルに注ぎ込んでいた。二人の間には、マグマのように溢れ出す熱いエネルギーが流れていた。

 その熱いエネルギーを思い出すと、今、私がガンモと一緒に過ごしていることや、ツインソウルが別の人と一緒に過ごしていることが、私の魂からの喜びになっているのがわかる。ああ、どなたか、この素晴らしい感覚を理解してくださる方はいらっしゃるだろうか。あの熱いエネルギーを、ツインソウルや私が、他の人たちにも注いでいるという喜びを。他の人にも愛を分けているという喜びを。

 掲示板に、ようこちゃんが、こんなことを書いてくださった。

ソウルメイトは、外の介入を許せるのに、
ツインソウルは、外の介入を許せないのね。

ソウルメイトの友人はソウルメイトになれるのに
ツインソウルは中途半端な愛情として、許せないのよね。
ツインソウルは、いつも、いつも、100パーセントの愛でなくては、
不安になっちゃうのかなあ・・・。絶対愛だからね。

 おそらくだが、全身全霊の関係なら許容できるのではないだろうか。いや、全身全霊の関係ならば、許容どころか、それが大きな喜びになる。自分と全身全霊で関わった魂が、別の人を全身全霊で愛していることの喜び。ああ、これ以上の表現が見つからないことがもどかしい。

 しかし、全身全霊の関係でなく、中途半端な関係ならば、きっと許容は起こらない。かくいう私も、ツインソウルのファンだと言っていた複数の女性たちとうまく行かなかった経験がある。彼女たちが、ツインソウルのことを全身全霊で愛してくれているとは思えなかったからだ。しかし、ツインソウルが奥さんと一緒に過ごしていることは、うれしくてたまらない。これは、ツインソウルが奥さんのことを、全身全霊で愛していることが伝わって来るからだと思うのだ。つまり、私は、ツインソウルが、全身全霊を注ぎ込んでいる姿が好きでたまらないのだ。きっと、全身全霊という言葉に反応してくださる方ならば、私がここに書いた想いをわかってくださることだろう。

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2005.10.07

重要な役割を持っている人たちとの相関性

 私が初めてお付き合いをした男性は、ギター好きで写真好きだった。高校時代、演劇部だった私は、放課後の部室で、同じ演劇部の彼が弾いてくれるギターに耳を傾けたものだった。しかし、彼の影響を受けて、自分でもギターを弾いてみたいとは思わなかった。コンパクトカメラでなく、一眼レフというカメラが良く写るカメラだと知ったのもその頃だったが、自分でも一眼レフを使ってみようとは思わなかった。

 その後、一人のミュージシャンに出会い、私の人生は大きく変わった。初めてお付き合いした男性からは、まったく影響を受けなかったはずなのに、そのミュージシャンからは、多大な影響を受けたのだ。そのミュージシャンの影響で、私は、ギターと写真に興味を持った。

 そして、ミュージシャンの参加しているサークルに顔を出したことにより、カルマ的な男性と出会った。本当に不思議なことなのだが、ミュージシャンもカルマ的な男性も、ガンモも私も、そのサークルに所属していた。そのサークルは、月に一回、東京のとある集会場で開かれていたのだ。そのような狭い場所に、全員集合とまでは行かなくても、それぞれが集っていたことは、実に不思議なことである。

 カルマ的な男性、ソウルメイトであるガンモと、更にはツインソウル。私にとって、重要な役割を持っている人たちは、ギターか写真のどちらか、あるいは、両方の趣味を持っていた。今になって思えば、初めてお付き合いをした男性は、魂としての関わりはとても浅かったが、ギターと写真というしるしを思い出させてくれるための存在だったのかもしれない。その後、ガイド的なソウルメイトであるミュージシャンが現れて、こっちだよ、と道を照らしてくれた。そして、照らしてくれたその先に、カルマ的な男性やガンモが居た。ツインソウルだけは、出会い方がまったく違ったのだが、ツインソウルとの関わりには、ミュージシャンが私に伝えてくれたものを使うことができた。そして、ツインソウルは、ミュージシャンが持っている他のものも持ち合わせていた。

 ギターは繊細さと情熱と頑固さを映し出し、写真はその人の心の視点を映し出す。私よりも陽であるはずのミュージシャンが奏でるギターからは、例え激しい曲であっても、陰の要素を強く感じ取る。そして、陰であるはずのツインソウルが奏でるギターからは、例え静かな曲であっても、情熱や頑固さといった、陽の要素を感じる。カルマ的な男性も、ガンモも、ギターは弾かないが、写真の趣味に関しては、私にとって重要な役割を持っていたすべての人たちに共通している。それに加え、ガンモが鉄道にはまると、ツインソウルも鉄道好きだったことがわかった。

 これらの相関性は一体何なのだろう。こうした相関性は、まだソウルメイトやツインソウルに出会っていない人たちにとっては、十分参考になるかもしれない。自分にとって、重要な役割を持っている人たちとは、何らかの相関性があるということだ。重要な役割を持った複数の人たちとの間にそうした相関性が見られるのであれば、ソウルメイトやツインソウルへの出会いは、既に果たされているか、そろそろ近づいて来ていると言えるのではないだろうか。

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