読んだ本

2015.07.02

本『第十の予言』

ホットヨガ(四四九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 早いもので、 もう七月になりましたね。関西地方は昨日、まるで梅雨だったことを思い出したかのように雨がたくさん降りました。となると、週末のお天気はどうなのでしょう。週末は、またまたガンモと一緒にお出掛けしますので、週末のお天気が気になっています。

 何年も前に購入して、いったん読み始めたものの、書かれている内容が難しく感じてしまい、読むのをやめてしまった本『第十の予言』を再読している。ほぼ読み終えたので、おそらく明日中には読み切ってしまうことだろう。

 私の記憶では、本書は、本『聖なる予言』の続編として書かれた小説だったと思う。本『聖なる予言』がなかなか良かったので、その乗りで続編となる本書を手に取り、読み始めたところ、難しく感じてしまい、途中で投げ出してしまっていたというわけだ。

 しかし、こうして何年も経ってから再読してみると、今度は私自身がこの作品の世界とは異なる世界に足を踏み入れてしまっていることに気が付いた。ずばり、本書は、輪廻転生を前提とした考え方がベースになっている。そのため、同じ魂のグループで繋がりを持ちながら、個人あるいは魂のグループの「課題」をクリアしながら前に進んで行こうとする。「レベル」という考え方も根底にある。過去世から現世への時間の経過を思わせるところや、「レベル」が存在することから、何となくシーケンシャルにものごとが進んで行くという「縦の学び」をイメージしてしまう。

 何を隠そう、私は最近、阿部敏郎さんのリーラに惹き付けられることが多い。そのため、こうした「縦の学び」に違和感を感じてしまう。というのも、阿部敏郎さんのおっしゃる「いまここ」は、「レベル」も過去も未来もない「横の学び」だと思うからだ。

 私の場合、前世の記憶も少し残っていて、前世を思い出したときに尋常でない泣き方をしてしまったこともある。それでも今は、時間が過去から未来へと一方向だけに進んでいるようには思えなくなってしまった。実は、私たちは、ランダムに再生するCDプレイヤーのようなものではないかと思っているのだ。

 本書では、「次の段階」に進むために、「魂のグループ」たちが「前世の遣り残し」にチャレンジして行く。私たちの生き方も、本当にその通りなのだろうか。そうした生き方に疑問を持つようになると、本書の面白さは失われてしまうものの、主人公が森の中をさまよいながら、一つの方向に導かれて行く手法は良かったと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m リアルタイムで読んでいた頃は難解だったために、しばらく放置していたのですが、時を経て読み返してみたところ、私自身がすっかり変化してしまっていました。とにかく壮大な物語なのですが、映像で見たら、何か変わるかもしれません。本『聖なる予言』を面白いと感じた方も、今、読み返してみると、また違った感じ方ができるかもしれませんね。

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2015.06.25

本『再会 死んだ家族にもう一度逢える/塩田芳享』

映画『ザ・トライブ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ゆうべ、仕事を終えて帰宅したところ、仕事が休みだったガンモから、「たまが亡くなった」と聞きました。私の中で「たま」と言えば、サザエさんのたまか、たま駅長です。私は咄嗟にたま駅長のことだと思い、「そうか、亡くなったのか・・・・・・」と言いました。既に様々なニュースで取り上げられていますが、たま駅長が世界的に有名な猫だったと知って驚いています。社葬も行われるそうで、まだまだ話題になりそうですね。たま駅長、これまでお疲れさまでした。あなたは世界中の人たちから愛されています。どうか安らかに眠ってくださいね。

 今回、ご紹介させていただくのは、図書館でたまたま見付けて、その場で手に取り、椅子に座って一気に読んでしまった本である。大切な人を亡くした人ならば、涙なしには読めない一冊だと思う。


 この本は、霊媒師である平田照美さんの活動内容について書かれたものである。実のところ、ジャーナリストである著者の塩田芳享(よしたか)さんは、最初のうちは、平田さんの霊媒師としての能力に対して半信半疑だったそうだ。しかし、実際に平田さんの活動を見守って行く中で、本物の霊媒師だと認識され、本書を執筆するに至ったそうだ。

 霊媒師と聞いて、多くの方たちが真っ先に思い浮かべるのが、恐山(おそれざん)のイタコの口寄せではないだろうか。私も何度か青森に足を運んでいるのだが、恐山に出向き、イタコを通じて故人と話をしてみたいと思ったことがある。しかし、恐山のイタコについて、インターネットでいろいろ調べてみると、当たり障りのないことしか言わないとか、青森出身でもない故人が津軽弁で話すなどといった、否定的なことばかり書かれていた。そのため、わざわざ恐山まで出向いてイタコの口寄せをお願いしても、がっかりするだけかもしれないと思い、いまだに恐山には足を運んでいない。

 ところが、この本で紹介されている平田照美さんは、降霊した故人の語り口調そのもので話すという。この本が書かれた頃には、年に一度のペースで降霊会が行われていたそうで、降霊会への応募者の中から三十人ほどが選ばれ、参加していたという。

 平田さんの肉体に故人の霊が宿ると、声も口調も別人のように変わり、その故人と関係のある降霊会の参加者の前まで歩いて行くそうだ。それだけでも驚きなのだが、故人の生前の口調そのもので語り掛けられ、固有名詞が飛び交うようだ。また、時には、降霊会に参加された方と故人しか知り得ないことが語られることもあるという。

 著者の塩田さんは、降霊会の録音テープを聞いたり、実際に降霊会に参加された方たちに会って話を聞き、本書を書き上げたそうだ。塩田さん曰く、降霊会が録音されたテープを聞いていると、あまりにも自然な会話が交わされていることに驚いたという。それはやはり、会話の中に固有名詞が登場しているからだろうと塩田さんは分析されていた。

 また、平田さんに、故人の戒名や生年月日などの情報を伝えると、紙に書いた特殊な菱形の中から、霊界より受け取ったメッセージを伝えてくれるらしい。とは言え、参加者が中途半端な気持ちで臨んだり、故人が降霊を拒んだりすると、うまく行かないこともあるという。

 また、平田さんの降霊会で、故人と参加者とのやりとりから察するに、霊界では、こちらの世界で一緒だった人たちと一緒にいるそうだ。ということは、きっと母も祖父や祖母たちと再会できたのではないかと思い、安心した。

 そして、何よりも心を打たれたのが、故人がこちらの世界のことをいつも見守ってくれていると、平田さんの肉体に宿った複数の故人が証言していたことだった。その証拠に、平田さんの肉体に宿って語った故人は、こちらの世界のことをとても良く知っていた。だから私が困ったときには、いつも母が助けてくれているのだろうと思った。

 この本を読みながら、私は何度泣いたことだろう。この本に書かれていることが真実ならば、平田さんは、私たちが今いる世界と霊界を繋げてくれる正真正銘の霊媒師なのだろう。平田さんは、塩田さんに、この本の執筆を提案されたそうだが、この本を通して、先祖供養の大切さを伝えたかったようだ。いつも私たちを見守ってくれているお礼に、先祖供養をすると、良い循環が出来上がるようだ。

 私はこれまで、これほどはっきりとした降霊について書かれた本を読んだことがなかったので、その後の平田さんについてインターネットで検索してみた。しかし、どういうわけか、驚くほど情報が少ないのである。お孫さんが修行中との情報もあったのだが、現在はどのような形で活動が行われているのかわからなかった。それでも、いろいろなことのつじつまが合い、とても熱い気持ちになれる一冊なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 良い本を読むと、思わず誰かにその本をプレゼントしたくなるのですが、この本はそういう類いの本でした。特に、大切な人を亡くして辛い想いを抱えている人には読んで欲しい一冊です。この本を読めば、この世とあの世が見えないところで繋がっていることを実感できると思うからです。

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2015.06.18

本『痴人の愛/谷崎潤一郎』

ホットヨガ(四四六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 窓を開けていても暑い夜もありましたが、今夜はとても涼しく、むしろ窓など開けていられないほど寒くなって来ました。日中、どんなに暑くても、夜になると涼しい気候ならば、自宅で冷房を使わなくても過ごせそうな気がします。でも、こんな日々もあと半月くらいなのでしょうかね。

 何を隠そう、私の好きな文学のジャンルは純文学である。今回ご紹介させていただくのは、職場文庫からの貸し出し図書ではなく、自宅文庫から選んだ一冊である。どこかの古本屋さんで購入して以来、ずっと自宅の本棚に並べていたものだが、お恥ずかしいことに、これまで一度も読んだことがなかった。しかし、何か本を読み始めると、読み終えたときに寂しさを感じてしまい、次に読むべき本を直ちに探し始めるようになる。そして、本『天使と悪魔/ダン・ブラウン』を読み終えたあと、すぐに読み始めたのが本作だったというわけだ。

 大正時代に書かれたであろう本作だが、今、読んでみてもそれほど古めかしい感じはしない。もちろん、物価や流行は大きく異なっていて、例えばダンスが流行していたりする。また、、カフェのことがカフェーと表記されていたりもする。ちょうど、西洋から入って来た「洋服」や「ダンス」などが日本人の生活の中に徐々に取り込まれ始めた時代が物語の背景となっている。

 本作ほど知名度の高い作品ならば、簡単なあらすじくらいは知っていても良さそうなものだが、私は本作を読んだことがなかったので、ほとんど何も知らなかった。実際に読んでみると、『痴人の愛』というよりは、『痴人への愛』のほうがふさわしいタイトルなのではないかと思った。谷崎潤一郎は何故、『痴人への愛』というタイトルにしなかったのだろうか。「痴人」とは、主人公の男性のことだったのだろうか。

 物語は、主人公である河合譲治という二十六歳の青年が、行き着けのカフェーで、十五歳のナオミという娘と出会うところから始まる。この時代の人たちは、西洋のものに対する憧れが強かったようで、譲治はハーフのような顔立ちのナオミに強く惹かれ、ナオミの保護者に許可をもらい、ナオミと一緒に暮らし始めるのだった。若い男女が同居すると、いろいろなことを想像してしまいがちだが、読者が嫌悪感を抱くようないやらしい描写は皆無と言ってもいいほど含まれていない。

 ただ、物語の始まりと終わりで、ナオミがまったくの別人のように変化してしまっているのが本作の最たる特徴である。しかし、最初から最後まで、ナオミの譲治に対する感情が読み取れないのが恐ろしいところでもある。譲治がナオミを好きなのはとても良くわかる。では、ナオミはどうなのだろうと、最後まで疑問が残ってしまう。特に、愛と欲望を分けて考えるようになると、余計に混乱する。果たして、ナオミをあんなふうに目覚めさせてしまったのは譲治なのだろうか。

 本を読むこともまた映画鑑賞のようだと感じるのは、映画にも、作品の中での時間の進み方がやたらと速く、鑑賞してしばらく経つと、内容をすっかり忘れてしまう作品があるからだ。本もまた同じで、作家が登場人物の描写を粗末に行ってしまえば、読者は本を読むはたから、どんどん本に書かれている内容を忘れて行く。しかし、本作のようにきめ細かな描写がなされていると、本作の内容は、読者の心の中にずっと残り続けて行くだろうと思う。

 素晴らしいと思ったのは、譲治がある限界を越えて行くところだ。譲治がその限界を越えることができずに、そこで物語がおしまいになってしまっていたとしたら、本作が私の心に強く残るようなことはなかっただろう。しかし、譲治は境界を越えて大いなる脱皮を果たした。だから、譲治が乗り越えて行った貴重な経験が、読者である私の中に鮮明に残ったのである。ゆえに、なかなか読み応えのある本であることは間違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 後書きにもありましたが、谷崎潤一郎には、ナオミのモデルがちゃんといたようですね。何とも複雑な人間関係だったようであります。谷崎潤一郎は、幅広い小説を書いたようですが、私は大衆文学よりも、この手の作品のほうが好きです。

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2015.06.11

本『天使と悪魔/ダン・ブラウン』

映画『ミッシング・デイ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 通勤電車が混雑するため、読書を始めました。というのも、私の携帯電話は、スマートフォンのように片手で操作することができないからです。どうせ両手を使うことになるなら、携帯電話を操作するよりも、本を読もうと思いました。自宅に眠っている本を掘り起こしたり、「職場文庫」で借りたりしています。今日は、そんな話も交えて書かせていただきます。

 ひょんなことから、悪魔崇拝の組織と言われるイルミナティに興味を持つようになった。そう言えば、ダン・ブラウン原作の映画『天使と悪魔』を鑑賞したことを思い出し、DVDでもう一度鑑賞しようと思った。その頃、たまたま開催されていた古本市で、中古のDVDをわずか五百円で手に入れた。そのとき、一緒に映画『ダ・ヴィンチ・コード』のDVDも同じく五百円で手に入れたのだから運が良かった。

 しかし、映画については、既にどちらも鑑賞していたので、やはり原作本を読みたいと思っていた。同じ古本市で『天使と悪魔』の原作本を探し回ったのだが、あいにく見付からなかった。

 見付からないとなると、いっそう手に入れたくなってしまうのが人間の心理というものである。とは言え、インターネットで購入すると間違いなく見付けられるだろうが、送料が余分に掛かってしまう。また、本屋さんに駆け込んだとしても、今さら新品の本を購入するのは何となく悔しい。私としては、せっかく中古のDVDを格安で購入できたのだから、できれば原作本も古本で入手したいと思っていたのだ。

 それから何日くらい経っただろうか。おそらく、一ヶ月も経ってはいなかったと思う。勤務先に、有志の人たちが自宅から持ち寄った本を置いている本棚があるのだが(私は勝手に「職場文庫」と名付けている)、何とその中に、『天使と悪魔』の文庫本が上、中、下巻ともに揃っているのを発見したのだ。

 私は、狂喜しながらそれらの本を借りて、通勤途中の混雑した電車の中でむさぼるように読み始めた。仕事の休み時間中も夢中になって読み続けた。原作本を読んだ人たちの中には、時が経つのも忘れて読みふけったと感想を書いている人たちが多かったが、その方たちの気持ちがとても良くわかった。

 確かに面白く、引き込まれる本だった。主人公はギリギリのところまで追い詰められるものの、毎回、ピンチを切り抜けて次なるステージへと進んで行く。絶対絶命のピンチを何度乗り越えて来たことだろう。原作もいいのだろうが、日本語訳もまた素晴らしい。とても自然な日本語なのだ。翻訳者自身が原作者に惚れ込んでいなければ、ここまで自然な日本語訳は書けないのではないだろうか。

 ただ、一つだけ困ったことがあった。原作を読まずに、先に映画『天使と悪魔』を鑑賞してしまったために、主人公のロバート・ラングドンが登場すると、必ずトム・ハンクスの顔が頭に浮かんでしまったのだ。そして、とうとう最後まで、ロバート・ラングドンとトム・ハンクスを切り離すことができなかった。いや、むしろ、ロバート・ラングドンの役をトム・ハンクスが演じたのは完璧な配役だったのではないかとさえ思った。本当に素晴らしい配役である。もはや彼以外にロバート・ラングドンの役は考えられない。幸いと言うべきか、ヴィットリアを演じた女優さんのことは忘れてしまっていたので、ヴィットリアが出て来る度に特定の女優さんを思い浮かべるということはなかった。

 また、読み進めて行くうちに、映画『天使と悪魔』と原作本との違いにも気付いた。ある出来事に関しては、原作本のほうが救いがなく、映画『天使と悪魔』のほうには救いがあった。普段、原作を読まずに映画ばかり鑑賞しているせいか、両者の違いがとても新鮮だった。そういう確認作業もまた楽しかった。

 何となくだが、映画もヒットして、原作本も良く読まれている場合、両者にギャップがないことを示しているのではないだろうか。例えば、その顕著な例が『ハリー・ポッター』シリーズなのではないかと思う。最初のうち、私は『ハリー・ポッターシ』リーズの原作本を読んでから劇場に足を運んでいたが、映画を鑑賞しても、原作とのギャップがほとんどなかった。両者の間にギャップがないということは、映画と原作の両方のファンに支持されているということである。おそらく、本作もそういう傾向が強いのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 先に原作を読んでから映画を鑑賞するのと、先に映画を鑑賞してから原作を読むのとは、明らかに違いますね。今回、私が実践したように、先に映画を鑑賞してから原作を読んだ場合、配役にとらわれてしまいます。(苦笑)しかし、やはり、原作本のほうが詳細であることは明確ですね。映画は、長編小説を二時間余りのドラマに仕立て上げるのですから、やはりカットする部分も多いのでしょうね。私なりに、カットされているシーンは頭の中にありますが、実際に当たっているかどうか、近いうちにDVDを鑑賞して確認してみたいと思います。

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