母の肺がん

2017.01.22

「全体」の中に溶け込んだ母

ホットヨガ(五五二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。トランプ氏がアメリカ大統領に就任しましたね。私は政治のことは良くわかりませんし、アメリカについても詳しくは知らないのですが、オバマ氏には人間としての魅力を強く感じていました。ものごとの本質を見ることのできる人で、その人柄には、愛がにじみ出ているような気がします。しかし、トランプ氏には、オバマ氏に感じたような魅力を感じません。ものごとの本質をとらえていないために、力を入れなくてもいいところに力を入れようとしているように思えます。それでも、アメリカではこういう大統領のほうが好まれるのですね。トランプ氏は軍事力拡大を推進するのではないかと懸念されていますが、トランプ氏の政策が世界的に大きな影響を与えないことを祈ります。


 私の母は、三年半前に肺がんのために他界した。母を亡くした悲しみはとても深く、母のことを思い出しては良く泣いていたものだった。今でもその悲しみがなくなったわけではない。しかし、この「ガンまる日記」の中でもときどき触れているように、今は亡き母との別の関わり方を見出している。

 良く、親しい人を亡くした人に対し、「故人はいつまでもあなたの心の中にいる」とか「故人は空の上のお星様になって、ずっとあなたを見守ってくれてるんだよ」などといった慰めの言葉をかけたりする。私が見付けた亡き母との関わり方は、それらと似ているところもある。

 最近になって、肉体を持って生きている人と、既に肉体がなくなってしまった人の違いが何であるのかが少しずつわかるようになって来た。肉体を持って生きている人には、肉体という物理的な境界がある。私たちは他者を認識するとき、相手の顔や声で区別する。そう、肉体を持って生きている人には、境界があるが故に、他者との区別が存在している。その境界は、全体と自分を分ける境界でもあり、同時に他者と自分を分ける境界であったりもする。そして、その境界が存在するために、時には孤独を感じたりもする。しかし、肉体がなくなってしまった人には境界がない。どのようになるかというと、おそらく精神世界で言うところの「一つ(ワンネス、あるいは全体)」の中に溶け込んで行くのではないかと思うのだ。

 肉体を持って生きている人には、それぞれの自由意思があるが、既に肉体がなくなってしまった人には、全体の中に溶け込んでしまっているが故に個別の意思がない。肉体が魂の入れ物なのだとすると、その入れ物がなくなってしまうことで全体の中に溶け込み、吸収されたと解釈できる。反対に、人が肉体を持って生まれるということは、全体の中からいったん分離して、他者との間に境界線を持つということなのではないかと思う。

 何故、このように感じるようになったかというと、亡き母の意思を感じられなくなったからだ。しかし、私自身の解釈に過ぎないが、それこそが母が成仏できたということなのではないかと思うようになった。反対に、巷で報告されている心霊現象などが事実だとすると、幽霊や亡霊などは、まだ全体の中に溶け込んでいないと解釈することができる。

 肉体を持って生きている人の中にも、覚醒した人のように、全体の中に溶け込んでいることを常に意識し続けている人もいる。それは、全体の中に溶け込んでいることがとても心地よいことを知っているからだと思う。それを思うと、亡くなった人がいつまでもこの世に未練を持つということはないのではないかと思えて来るのだ。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 理想としては、肉体を持っている人であっても、肉体がなくなってしまった人であっても、同じように付き合うことができたらいいと思うのですが、私自身の中に境界が存在してしまっているため、なかなかそうは行かないものですね。今の考え方、感じ方がもう少し進化したら、この続きを書いてみたいと思います。

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2016.09.07

母の命日に野生の鷹が舞う

美瑛(びえい)でロケ地巡りの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 月曜日の夜、いつもの高速バスで実家の最寄駅から神戸の三宮駅まで帰って来ました。平日だったからか、高速バスは空いていました。最近は、仕事帰りに新幹線と在来線特急列車を乗り継いで帰省し、帰りはいつもの高速バスというパターンが定着しています。新幹線と在来線特急列車を利用すると、夜行高速バスを利用するよりも交通費は高くつくのですが、夜、ゆっくり寝られるのがいいですね。


 帰省中、小学校時代からの友人のMちゃんが、母のお墓参りをしてくれるというので、Mちゃんを母のお墓に案内させてもらった。父に、Mちゃんを母のお墓に案内するのだと言うと、父はお墓参りのときに持参する水やお線香などを用意してくれた。母のお墓に添えているお花には、すべて実家から持参した水を使用しているのだ。

 まず、Mちゃん家に行き、自転車で母のお墓まで行った。Mちゃん家から母のお墓までは近い。Mちゃんは、母の葬儀に参列してくれた友人である。母もMちゃんのことは良く知っていて、母が元気だった頃は町で会ったときに良く会話を交わしていたという。

 そんなMちゃんとのお墓参りは、いつもとは違ったものになった。いつも、父と一緒に母のお墓参りをするときは、お花の水やコップの水を取り替えて、お線香をあげたあと、母のお墓の前で一緒に般若心経を唱えている。しかし、Mちゃんも私も般若心経を完全に暗記しているわけではなかったので、途中で詰まってしまい、最後まで唱えることができなかった。中途半端になって申し訳ないので、母には謝っておいた。

 その後、Mちゃんの家に戻り、いろいろ話し込んだ。その会話の中で、愛の話に触れると、二人とも涙した。最近、人と会うと、涙が出て来ることが多い。会う人の愛の体験が、私の中にダイレクトに染み込んで来るからだ。

 さて、母の命日には、母が息を引き取った時間に実家の祭壇の前に父と一緒に座り、三年前のことを思い出していた。三年経てば、父も私も、母の死を受け入れることができているようになっていた。それでも、父も私も未だに、母のことを思い出して泣くことは多い。

 台風12号の影響で雨がたくさん降っていたが、雨が止んだ隙を見計らって、父と一緒にお墓に出掛けた。すると、お墓の手前にある田んぼの中から、大きな鳥が羽ばたいて行った。その羽の模様から、最初は鷲(わし)だと思った。鷲だとしても珍しい。しかも、一羽ではなく、三羽もいた。

 父と一緒に母のお墓参りをしていると、さきほどの鷲が近くで歌を歌うように鳴き始めた。その鳴き声を聞いて、その大きな鳥が鷲ではなく鷹(たか)だということに気が付いた。それにしても何故、野生の鷹が三羽もいるのか、とても不思議だった。父に、
「お墓で野生の鷹なんか見たことある?」
と尋ねてみたが、父は、
「いや、こんなん初めてじゃ(初めてだ)」
と答えた。

 父と一緒に母のお墓の前で般若心経を唱えたあと、帰る頃になっても、鷹は私たちの近くにいた。しかも、父が車を発車させると、ついてくるではないか。ちょうど道路に沿って電線が張られていたのだが、鷹はその上にいるのだった。

 父も鷹を見上げながら、珍しい光景に見入っていた。私は、
「鷹は○さん(母の名前。私は母を名前で呼んでいた)なんじゃないん(なんじゃないの)?」
と言った。父は、
「ほうかもしれんね(そうかもしれないね)」と言った。

 私は、鷹が母だとして、鷹が三羽いる意味を考えてみた。そして、「あちらの世界で仲間と一緒にいるから大丈夫だからね」というメッセージなのではないかと感じたのだった。それにしても珍しい光景だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私が父と見たのは、野生の鷹の親子だったようです。とても優雅な親子でした。

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2016.04.07

"It's a long story."

ホットヨガ(五〇〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 関西地方の桜もすっかり満開です。この時期は、別れ(分かれ)と出会いの季節ですね。今日は、そんな話を書いてみたいと思います。


 タイトルに掲げたのは、私の大好きなBBCの人気テレビドラマ"DOCTOR WHO"にもしばしば登場する、「話せば長いんだよ」といった表現である。四月から私の仕事の環境が変わることになったと書いたが、実はこの度、十数年にも及ぶ派遣契約が終了してしまった。しかし、話せば長いのだが、私自身は引き続き、今とまったく同じ仕事を別の会社で行うことになり、しかも、この先二ヶ月余りは、これまでと同じ「まちのオフィス」で仕事を続けることになる。そして、二ヶ月余りのちには、「いなかのオフィス」に戻ることになっている。簡単に言えば、私がこれまで携わって来た仕事が「いなかのオフィス」にある別会社に引き継がれることになり、現在はその引継ぎ作業を行っているという状況なのだ。

 長く続いた仕事だったので、まさかこのような形で終わりを迎えるとは思ってもいなかった。それでも、逆に長く続いた仕事だったからこそ、これまでの仕事を引き継ぐ会社が私を雇ってくださったのだ。

 私自身、年齢的なこともあり、これまでと同じような仕事を続けて行くことができるかどうか不安を抱えていた時期もあった。とは言え、家にいても、家事を完璧にこなせるような専業主婦タイプではないので、やはり外に出て働くのが性に合っていると思っていた。すると、これまで一緒に仕事をして来た方が、仕事を引き継ぐ会社の方に私を紹介してくださった。体制を整えるために一時的に話が停滞してしまうこともあったものの、あとはとんとん拍子に話が進み、四月からはこれまでとまったく同じ仕事を別会社ですることができるようになったのである。

 私は、話がとんとん拍子に進んだ裏には、母のおかげではないかと思っている。というのも、何から何まで「大安」にことが進んで行ったからだ。実を言うと、母は「大安」にひどくこだわる人だった。新しくことを始めるときには、必ず「大安」を選ぶ人だったのだ。職を失う不安を抱えていたとき、母にお願いしていたのだが、それが一番いい形で叶ったというわけだ。

 長く働いた職場では、良い人間関係を構築できたと思っている。とても大事にしてくださり、私自身が何かを押し殺すことなくのびのびと仕事をすることができたと思う。仕事のチームワークについても、それぞれの苦手分野をカバーし合えるいい関係だったと思う。

 三月の終わりに女性社員の方たちがお昼休みに食事会を開いてくださり、高層ビルの中にある眺めのいいお店でランチをごちそうになった。オフィス街でお店が混雑するので、わざわざ参加者のオーダーを聞いて予約までしてくださり、お店に着くとすぐに料理が出て来るという手際の良さだった。しかも、その後、一部の女性社員の方たちから、プレゼントまでいただいてしまった。そして、最終日はお花をいただき、みなさんの前であいさつをして、「また来週」と言って別れた。「また来週」と言ったのは、四月一日だけ「いなかのオフィス」に出勤し、そのあとはまたこれまでと同じ「まちのオフィス」に出勤することが決まっていたからである。別れであるはずなのに、本当の別れではないような、何とも不思議な気持ちが今でも続いている。

 更に、部署が異動になった方たちと一緒に歓送迎会も開いてくださり、ざっくばらんに話をすることができた。本当に至れり尽くせりの状態で、とても有り難いことである。

 今、私は、新しいメンバーのいるチームに加わって、これまでと同じ仕事を続けている。まだまだチームワークも出来上がってはいないが、これから今のメンバーと新たなチームワークを築いて行くつもりだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m アットホームな良い会社だったと思います。今も不思議な感じで繋がりが続いています。それだけ、ご縁があったのかもしれませんね。この時期、新しい環境に身を置くことになった方たちも多いかと思いますが、一緒に頑張って行きましょう!

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2016.03.22

"visit graves"

宮崎~熊本~福岡の旅(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ベルギーで同時多発テロがあり、少なくとも三十人以上の方たちが亡くなられたとのニュースが飛び込んで来ました。実に恐ろしいことであります。まさかとは思いますが、ヨーロッパ、それもフランス語圏が狙われているのでしょうか。できれば、テロリストに選ばれた「その場」には居合わせたくないものです。さて、三連休が終わってしまいました。皆さんの三連休はいかがでしたでしょうか。私は、三連休を実家で過ごし、ゆうべの高速バスで無事に帰宅しました。高速道路は、いつもよりも交通量が多かったのですが、ほぼ定刻に到着しました。いつも高速バスに乗るときは、母にお願いしているのです。毎回、その願いが叶って、それほど遅延することなく、無事に移動することができています。今日はそれに関する話を書いてみたいと思います。


 タイトルに掲げた"visit graves"は、「(複数の故人の)お墓参りをする」という意味である。特定の故人のお墓参りをするときは、"visit one's grave"のように使うらしい。今回のお彼岸の帰省では、複数の故人のお墓参りをしたので、"visit graves"というタイトルを選んだわけだ。

 父と弟の建墓の年回りが悪かったため、母が他界してから二年もの間、お墓を作るのを見送ったという話を"It's complicated"の記事に書いた。

 私は何度も何度も他界した母の夢を見ているというのに、父は、母が他界してから一度も母の夢を見たことがなかったという。もしかすると、父の想いが強過ぎたのかもしれない。しかし、お墓を作ってもいい年回りを迎え、ようやく母のお墓が出来上がった日の夜に初めて、父の夢の中に母が出て来たそうだ。父は、
「(お墓ができるのを)待ちよったんじゃなかろか(待っていたんじゃないだろうか)」
と、涙交じりに言った。私は、
「多分、ほうじゃわい(多分、そうだろう)」
と、父の意見に納得した。

 お墓とは、遺された人たちのものであると、私たちは思っているかもしれない。遺族の喪失感が大きい場合、お墓参りをすることで、心が落ち着く場合もあるだろう。しかし、図書館で読んだ本によると、故人はお墓があることで、あちらの世界で一人前になれるのだそうだ。そうだとすると、母はあちらに旅立ってから二年もの間、あちらでずっと肩身の狭い想いをし続けていたのではないかと思った。そうだとすると、父が感じたことは、おそらく正しい。

 その一方で、お墓参りをする度、私は、お墓というものは、故人と遺された者たちを繋ぐ扉のようなものではないかと思うようになった。扉の向こうには故人がいて、お墓参りをする私たちの発する言葉に聞き耳を立てているのではないだろうか。お互いに、その扉を開けることはできないが、あちらにいる故人が扉越しに私たちの話を聞くことはできるのではないかと思う。

 こんなことを書いても、お墓参りなどまったくしないという人もいらっしゃることだろう。あるいは、故人を想う気持ちはちゃんとあるものの、形式にはとらわれたくないと思っていらっしゃる方もいるかもしれない。私は、故人と私たちは物理的に別々の空間に存在しているため、故人と何らかの接点を持つためには、それなりのお作法が必要なのではないかと思っている。それがお墓参りであったり、○周忌などの供養であったりするのではないだろうか。できれば、自分なりにアレンジした方法ではなく、先人たちが見いだした、そのお作法に従ったやり方で故人と関わって行きたい。そうすることで、故人にも私たちが大切に想っていることが伝わりやすいのではないか。例え目に見える形ではなくても、故人と遺された者たちとの間に双方向の絆ができやすいのではないか。最近、ふと、そんなふうに思っているのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お作法を守りながら、故人との繋がりを持ち続けていると、故人と新たな関係が築かれているのがわかるようになって来ます。最初は漠然としたものから始まりますが、やがて確信へと変わって行くのです。もっと具体的なことについては、また日を改めて書こうと思っています。

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2016.03.16

"It's complicated."

ホットヨガ(四九七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今朝はひどく寒かったものの、日中は気温が上がったみたいですね。勤務先の近くにある桜の木にもつぼみが出ていました。春はもう、すぐそこまで来ていますね。


 先日、英会話カフェで、今度の週末の予定を聞かれたので、実家に帰る予定だと伝えたところ、実家に帰るのはどれくらい振りかと聞かれた。そこで、およそ二か月振りだと私が答えると、更に、実家に対して想いを馳せているかと聞かれた。それに対し、もちろんだと答えたところ、更なる詳細について突っ込まれた。一瞬、いろいろなことが頭の中を駆け巡ったが、そのすべてを英語で説明するのがとても面倒だったので、

"It's complicated.(複雑なんです)"

と言って逃げた。すると、「"It's complicated."というのは、複雑な関係を想像してしまう。彼氏でもいるのか?」と聞かれた。確かに、映画を鑑賞していても、妻のいる主人公が女性と密会しているときに奥さんから電話が掛かって来たりするシーンで、その状況を他人に説明しようとしている場合などに"It's complicated."が使われていたりする。

 「彼氏でもいるのか?」の問い掛けに対し、参加者の中からどっと笑いが沸き起こり、私は、違う違うと否定し続けたのだが、参加者はみんな、私が帰省するのを楽しみにしている理由を知りたがった。しかし、私は説明することができず、Japanese Smileで逃げ切った。

 あのとき言いたかったのは、母のお墓ができてから初めてとなる春のお彼岸に、母のお墓参りをするということだった。母が他界したのは二年半前だが、父と弟の建墓の年回りが良くなかったので、お墓を建てるのを丸二年見送ることになった。そのお墓がようやく去年の始めに出来上がり、去年の母の三回忌の法要のあとにお坊様にお願いして、ようやく納骨をした。それから初めて迎える春のお彼岸なのだ。

 これらの事情について、

"It's complicated."

という表現で逃げようとしたわけだが、実際、シリアスな話をするのに、話題が笑いの方向へと進んでしまうと、なかなか本当のことを話し辛い。また、相手が日本人であれば、お彼岸に帰省するのはお墓参りをするからではないかと想像してもらえるかもしれないが、そうした信仰についてもなかなか説明し辛いと感じた。

 とは言え、何もかも、

"It's complicated."

で逃げ切れるわけではないので、やはり少しずつでも時間を掛けて説明したほうがいいのだろうと思うこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m というわけで、今日も英会話カフェに行って来ました。(笑)ただ、やはり話題には困りますね。普段、脳裏にさえ存在していない内容についていきなり質問されても、なかなか答えられませんし、その場にいる人たち全員で楽しめる共通の話題を割り出すのも、なかなか難しいと感じています。

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2015.10.19

振り返り(42)

ホットヨガ(四六七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ゆうべ、無事に長野から帰宅しました。日曜日の夜だったからか、高速道路は交通量が多かったですね。それでも、ストレスになるような渋滞もなく、比較的順調に帰宅することができました。カングーで出掛けると、ガンモが一人で運転することになるので、ガンモはかなり疲れていたようです。それでも頑張って運転してくれました。さて、長野から帰ったゆうべ、母が亡くなった夢を見ました。私の母は肺がんで亡くなっているのですが、夢の中の母は、私が予約した高速バスに乗っているときに交通事故に遭い、亡くなりました。目が覚めてから、母が亡くなっているのは現実の世界でも既に起こってしまっていることなのに、やはり取り返しのつかない悲しみを感じました。

 母が亡くなってから、この「振り返り」の記事を書き始めたわけだが、今回は、しばらく書けなかった内容について触れてみたいと思う。

 母は、抗がん剤を投与していただくために、大きな病院に通っていた。私がその病院の医師から話を聞いたのは、母の最初の入院の少し前のことで、それ以降は、いつも父が母の通院に付き添ってくれていた。

 母は、最初にがんが見付かったときから既に肺がんのステージIVで、胃のリンパ節への転移のほか、脳転移もあった。大きな病院で受けた治療は、分子標的薬と呼ばれるイレッサの投薬と点滴による抗がん剤の投薬だった。

 イレッサは母にとても良く効き、そのことが論文として発表されたことは以前も書かせていただいた通りである。おそらくだが、これまでは、扁平上皮がんの肺がん患者には、イレッサがあまり効いていなかったのではないかと思う。母は扁平上皮がんでも非喫煙者だったので、イレッサが良く効いてくれたのかもしれないと素人ながらに思っている。

 母を担当してくださった医師は、最初は若い先生だったようだが、のちにその病院でも部下がたくさんいる敏腕医師に担当が変わった。母は、その敏腕医師とウマが合い、診察の度にバカ話をして楽しく診察を受けていたようだ。しかし、それは一年ほどでいきなり幕を閉じた。

 母が亡くなる四ヶ月ほど前のことである。母は、
「頭が痛い」
とこぼすようになった。それに加え、動作がのろくなったり、自分で靴を履くことができなくなってしまったり、語り口調がおかしくなったりした。

 私は、もしかすると、転移性脳腫瘍が大きく成長してしまっているのではないかと心配していた。それまでは、不思議なことに、分子標的薬や抗がん剤が良く効いていたのに合わせて、転移性脳腫瘍も小さくなっていた。しかし、この頃は、新しい抗がん剤に切り替わって四ヶ月ほど経った頃だった。新しい抗がん剤に切り替わった頃に、頭部のMRIも取っておくべきだったのだ。

 私は、そのことが気に掛かっていたのに、診察に付き添っていなかったために、MRIを取っておいたほうがいいのではないかと提案することができなかった。父と母は敏腕医師を信頼し切っていたし、信頼し切っている敏腕医師の治療方法に口出しをするようなことは控えたかったのだ。しかし、結果的には、それが致命的な状況を引き起こした。

 母の様子がおかしいのは、やはり転移性脳腫瘍のせいだと感じたものの、次の診察までまだ日にちがあった。しかし、できるだけ早めに診察を受けたほうがいいと思い、父に頼んで大きな病院に電話を掛けてもらい、診察の予定を早めてもらった。

 そして、すぐに診察を受けたところ、やはり転移性脳腫瘍が大きくなり、浮腫までできていることがわかった。母は、放射線治療を受けるために入院となった。しかし、驚いたことに、その時点で母の担当医が、これまでの敏腕医師から新米医師に変わってしまったのだ。私はそのとき、何が起こったのか、まったく理解できなかった。というのも、そのときまでは、転移性脳腫瘍をガンマナイフかサイバーナイフでやっつければいいと思っていたからだ。

 しかし、母の転移性脳腫瘍は、脳の中枢にもできてしまっており、ガンマナイフもサイバーナイフもできない状態にあった。そのため、敏腕医師は母の担当から外れ、代わりに新米医師が担当してくださったのだとわかった。つまり、母はこれ以上の治療ができないと判断されてしまったのだ。

 その後、私は二回ほど、新米医師と話をした。そのうち一回は、父と一緒だった。その話の中で、母はこの病院がとても気に入っていて、敏腕医師のことも信頼していたので、最期までここで治療を受けさせてもらえないかというようなことを父が言ったと思う。しかし、新米医師からは、
「ここは治療をする病院です」
と言われてしまった。決して冷たい言い方ではなく、他に治療の必要な患者さんを受け入れたいという言い方だったと思う。かつては母も、「治療の必要な患者」の中に入っていたというのに・・・・・・。

 私は、大きな病院の敏腕医師が母を診てくださっているのだからと、変に遠慮して治療に口出ししなかったが、命に関わることなのだから、もっと口出しすれば良かったと、今では後悔している。それと同時に、今、もしもこのブログを読んでくださっている方たちの中で、抗がん剤や分子標的薬などの投薬を受けている方たちが身近にいらっしゃるという方たちに、お医者さんに遠慮せずに、どんどん治療に口出しして、納得の行く治療を受けて欲しいと心から願う。それと、がんが進行して来ると、容態が急変することもあるので、そのことにも充分注意して欲しいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 抗がん剤が切り替わる頃は、特に要注意かもしれません。母がお世話になっていた大きな病院では、前の抗がん剤が身体から抜け切るのを待ってから、次の抗がん剤を投与してくださっていたので、前の抗がん剤が効かなくなってから次の抗がん剤が効き始めるまでに少し時間が経ってしまいました。その間に、転移性脳腫瘍が活発になってしまったのではないかと思っています。転移性脳腫瘍も、脳幹にできなければ、ガンマナイフやサイバーナイフで何度でも取り除けると思います。しかし、母の場合は脳幹にできてしまったので、残された治療法は、一生に一度だけの全能照射のみになってしまったのでした。

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2015.08.30

母の三回忌

Let's go to LEGOLAND!(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。八月最後の日曜日でしたね。先日の記事の冒頭で、夏休みが終わるのが一週間早くなっているのが不思議だと書きましたが、ゆとり教育の調整のために、神戸や大阪では、二学期の始まりが一週間早まっているのだそうです。もしかすると、全国的にそうなっているのかもしれません。毎年、今頃は、夏休みの宿題を仕上げるのに大変な時期だったと思いますが、それが一週間も早まったのだから、余計に大変だったみたいですね。

 今日は、母の三回忌の法要を行った。前日から時折激しい雨が降っていて、今日の天気予報も雨だったはずなのだが、母の三回忌の法要が始まる頃になると、雨も上がっていた。おまけに、ここのところ、蒸し暑い日が続いていたというのに、今日はとても涼しかった。

 十一時から始まる法要に、親戚の人たちが次々に集まってくれた。私は台所にいて、来てくれた親戚の人たちに次々にお茶を出して行った。早い時間に集まる人たちはまばらだったので、お茶を出す人数も把握しやすかったのだが、十時半を過ぎた頃から、人がまとまって集まって来たため、お茶を出していない人たちの数を把握し切れなくなってしまった。私があたふたしていると、飲み終えたグラスを台所に持って来て、自ら洗ってくれる親戚の人たちもいたので助かった。

 お坊さんが来てくださると、蓋付きの湯のみにお茶を入れて、お菓子も添えてお出しした。

 みんなが揃ったので、予定よりも十分早く三回忌の法要が始まった。法要に使う経本をお坊さんが持って来てくださったので、一人一冊ずつお借りした。これまで何度も口にして来たお経なので、みんな慣れたものである。

 不思議なことに、法要が始まると、母の遺影の表情が喜んでいるように見えた。有難いお経を聞くと、やはりうれしくなるのかもしれない。

 法要の途中にお焼香をした。お焼香の間は、お坊さん専用の経本に書かれているお経が読まれていた。そして、お焼香が終わると、再び経本のお経に戻り、三回忌の法要を終えた。

 法要のあと、お坊さんの法話を聞くことができた。私は毎回、法話が楽しみなのである。今回の法話は、納骨と三回忌にちなんだ内容だった。納骨に関しては、お釈迦さまが亡くなられたときに、お釈迦さまのお弟子さんたちがお釈迦様の想い出になるものをということで、お釈迦様の遺骨を分けたことから始まったそうだ。仏舎利とはお釈迦様のお墓のことで、五重塔なども仏舎利なのだそうだ。そして、お墓に立てる塔婆(とうば)は、お釈迦様のお墓を意味するストゥーバから来ているもので、塔婆のギザギザは塔を意味しているのだそうだ。

 法話のあと、お坊様にもう一度お茶をお出しした。私はそのあと、大急ぎで法事饅頭(法事のときに分けるお饅頭。法事の間は祭壇にお供えし、法事が終わればすぐに祭壇から下げて分ける)とお供えを分けて、親戚の人たちに渡すお返しの袋に詰めて行った。この作業も親戚の人たちが手伝ってくれたので助かった。

 そして今回は、法事のあとに納骨式を行うため、玄関でお返しの品を親戚の人たちに渡して、母のお墓へと向かった。母のお墓は、お墓を建てる父または弟の年回りが良くなかったために一年見送り、今年の三月にようやく完成していた。そして、三回忌の法要に合わせて納骨を行うことにしていたのである。

 集まってくれた親戚の人たちの中には、お墓の場所を知らない人たちもいたので、お墓の場所を知っている人たちが先導する必要があった。しかし、私たちは私たちで、祭壇の蝋燭を消したり、家の戸締りをしたり、母の遺骨や塔婆などを持参したりするのに手間取ってしまい、お墓に着いたのは一番最後だった。そのため、お坊さまや親戚の人たちに待っていただくことになってしまった。それでも、みんな迷うことなくお墓に着いていたので、お墓の場所を知っている他の人たちが先導してくれたようである。そして今回は、お墓を立ててから初めての納骨になるため、お墓を建てるときにお世話になった墓石の業者さんに立会いをお願いしていた。

 墓石の業者さんが石室を開けてくださり、母の遺骨を納めてくださった。そのあと、丁寧に元通りにしてくださると、お坊様が開眼供養をしてくださった。雨が降っていなくて本当に良かったと思った。母のことだから、きっとみんなのためを思って、雨を降らせないようにしたのではないだろうかと思っている。

 そのあと、近くのホテルで会食をした。そのホテルは、母がまだ闘病中だった頃、母に何か悪い菌を持ち帰ってはいけないと思い、ガンモと二人で泊まったホテルでもあった。以前、法要あとの会食の場所を探していたときに、友人のMちゃんがそのホテルのレストランをお薦めしてくれたのだ。

 お料理がとてもおいしく、みんながとても喜んでくれたので良かった。お料理好きな人は、メニューを持ち帰り、味を覚えておいて、自宅でその料理を再現されるのだそうだ。私には到底できないことである。

 お会計の少し前に、親戚の人が、「スマホで割引画面を見せると、お会計が十パーセントオフになる」とこっそり教えてくれた。実はその親戚も、このホテルの料亭で法事のあとの会食をしたばかりだったのだ。ところが、ガンモはスマホを私の実家に置いたままにしていたし、弟は弟で、そのホテルのWiFiがSoftbankしかないので、切り替えが面倒だと言った。仕方がないので、私のガラケーでそのサイトにアクセスして、割引画面を表示させておいた。結果的にその割引画面は有効になり、お会計のときに料理に限ってのみ、十パーセントオフにしてもらえた。

 三回忌ともなると、こうした会食も次第ににぎやかになって来るものだと思った。かつて、悲しみは深くても、その悲しみを乗り越えて行く強さを身に着けて行くものだと教えてくれた人がいる。確かに、その方の言う通りなのかもしれないと、今では思う。

 次にこのメンバーで集まるのは、四年後の七回忌のときである。その頃には、今よりももっと、悲しみを乗り越えて行く強さを身に着けているのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m バタバタしていましたが、何とか無事に母の三回忌の法要と納骨、そして法要後の会食を終えました。何となくですが、親戚の中でも、次第に長男が親の代から役割を引き継いでいるように見えました。わかり易く言うと、高齢化して来た親の代わりに、法事に出席してくれた従兄弟らが何人かいたということです。こうした行事もまた、親の代から子供へと受け継がれて行くものなのですね。

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2015.08.18

今年も「送り火」をする

ホットヨガ(四五五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ゆうべはとても心地よい風が吹いて、涼しかったですね。このまま涼しくなるのかと期待していたら、今日はまた暑かったようです。今、部屋の温度は三十度くらいです。今夜もエアコンなしで寝てみようかと思っていますが、さあ、どうでしょう。

 夏休みの最終日となった十六日の夕方、兵庫県の自宅に帰る前に、父とガンモと私の三人で「送り火」をした。あちらから帰って来るときは、きゅうりで作った馬に乗って来てもらい、あちらに戻るときは、なすびで作った牛に乗って行ってもらう。母は、お盆の間、実家に帰ってくれていたのだろうか。

玄関先で焚いた「送り火」

 以前、母の四十九日が終わるちょうど境目の日に、明らかに、母の魂があちらの世界へ旅立ってしまったのがわかったと書いたが、実は、迎え火をした翌日、早朝にトイレに立つと、二階の階段の下あたりの空気がいつもと違うのを感じた。とは言え、決定的な何かが起こったわけではなかった。

 去年のお盆には、飼い猫が、
「おっかあ」
と鳴いたが、今年はどうなのだろうと思っていたところ、迎え火をした翌々日の十五日に飼い猫が、
「おっかあ」
と鳴いた。母がいた頃は、飼い猫がそのように鳴くことを母からしばしば聞かされていたものだったが、ここ最近はまったくと言っていいほど聞いたことがなかった。しかし、十五日には確かにそのように鳴いたのだ。やはり、母は帰って来ていたのだろうか。

 去年のように、蜘蛛を見たり、蝉が家の中に入って来たりはしなかったのだが、母が大事にしていた庭の手入れをしようとすると、蝶が舞っていた。ただ、一匹ではなく、何匹かいた。他にも、カエルやカナヘビなどがときどき姿を見せていた。母が帰って来ていたのか、そして、再びあちらに戻って行ったのか、私にははっきりとはわからなかったが、祭壇に飾られた母の写真を見ながらいろいろ話し掛けていた。同じ写真なのに、母の表情が時々違って見えるのは不思議なものである。

 「送り火」をしたあと、私たちはカングーに乗り込み、高速道路を走ってこちらに戻って来た。先日も書いた通り、お盆の最終日だというのに渋滞もなく、スイスイ帰宅することができたのは、母が見守ってくれたおかげだと思っている。目には見えなくても、私たちはいろいろな形で故人との対話が成り立っているのではないだろうか。最近、どうもそんな気がしてならないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「迎え火」と「送り火」をするのは、新盆とその次の年だけのようです。ということは、母の「迎え火」も「送り火」も今年でおしまいということになります。「迎え火」や「送り火」は、新しい仏様に、「ここがあなたの家ですよ」と目印を見せる目的で行うのでしょうか。仏様も、自分の家に帰ることに慣れて来ると、目印が不要になるのかもしれませんね。

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2015.08.13

今年も「迎え火」をする

映画『いまを生きる』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今日は、昨日よりも少し暑かったですが、猛暑というわけではなかったですね。父が良くテレビを見ているので、帰省すると、私も父と一緒に、普段はまったく見ないテレビを見ます。それらの番組の中で、お盆の時期に発生しがちな火事について取り上げられていました。何と、仏壇に燈すお蝋燭(ろうそく)やお線香の火が原因となる火事もあるとか。お蝋燭の火をつけたまま仏壇のものを動かしたりすると、仏壇の上に置いてあるものの位置が変わってしまい、火のついたお蝋燭から火が燃え移ることもあるそうです。また、お蝋燭を立てる燭台(しょくだい)に水が溜まっていると、お蝋燭が燃え尽きる直前に飛び火をする事例も紹介されていました。更に、お線香が倒れて座布団の上に落ちると、何と、小さな火が四十時間もくすぶり続けてやがて火事に発展するといった事例も紹介されていました。本当に恐ろしいですね。私たちも気を付けたいものです。

 今年も「迎え火」をした。去年は、母の新盆(あらぼん)だったので、通常よりも一日早い八月十二日に「迎え火」をした。今年は新盆ではないので、八月十三日に「迎え火」をすることになっているのだ。「迎え火」については、去年の記事を引用しておく。

お盆には、故人が帰って来ると言われているが、迎え火とは、お盆に故人が迷わず帰って来られるように、「おがら」という木の皮を焚いて目印にする風習である。「おがら」は、「焙烙(ほうろく)」と呼ばれる平たいお皿の上で焚くことになっている。

 夕方、弟と私が見守る中、父が「おがら」に火を点けて、母に目印を示した。

玄関先で焚いた「迎え火」

 「おがら」は、去年よりも良く燃えた。しかし、燃え易いだけに、すぐに燃え尽きてしまった。「おがら」を燃やしている間、ほんの少しだけ雨がぱらついたものの、すぐに止んだ。母はちゃんと目印を見付けて、迷わずに帰って来てくれるだろうか。

 去年と同じように、施餓鬼(せがき)供養のための精霊棚には、きゅうりで作った馬と、なすびで作った牛をお供えしている。「迎え火」のときは、馬に乗って急いでこちらにやって来てもらい、お盆の終わりにする「送り火」のときには、牛に乗ってゆっくり帰ってもらうためである。

施餓鬼供養のための精霊棚
きゅうりで作った馬となすびで作った牛をお供えしている

 かつては、夏休みやお盆休みを利用して、ガンモと一緒に海外などに旅行に出掛けていたものだったが、お盆に大切な人たちが帰って来ることを意識していれば、それはできなかっただろうと思う。これまでの私は、それほど身近な人を亡くしてはいなかったので、お盆にそのような風習があることを強く意識することがない状態にあったのだ。とは言え、こうした風習は、地域や宗教によっても大きく異なる。例えば、同じ四国内でも、ガンモのように浄土真宗の人たちは、お盆に何か供養をするわけではない。ひょっとすると、お盆に「迎え火」や「送り火」をするのは、真言宗だけなのだろうか。

 何はともあれ、今年もこうして、母の帰りを待っているのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m インターネットでざっと検索してみたところ、「迎え火」や「送り火」をするのは、真言宗以外の宗派では見当たりませんでした。真言宗と、他の宗派の男女が結婚すると、お互いにギャップを感じてしまうかもしれませんね。

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2015.08.01

振り返り(41)

ネコノミー症候群の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東京に住んでいた頃は気付かなかったのですが、東京ではお盆が一ヶ月早いんですね。そうなると、例えば東京にご実家があって、地方で働いている人は、東京のお盆の頃に休暇を取るのは難しいのではないでしょうか。「お盆の時期」と「エスカレータで立つ位置(ほぼ全国的にエスカレータでは左側に立つのに対し、大阪や神戸は右側に立ちます)」を全国的に統一したほうがいいと思うのですが、皆さん、いかがでしょうか。(笑)

 夏が来ると、母の肺がんがどうにもならないとわかってしまった二年前の夏を思い出す。あの夏の日々を、私は頭の中で何度も何度も繰り返す。母の人生は七十年と半月余りだったが、あたかもあの夏の日々が母の生きて来た人生そのものであったかのように錯覚してしまう。母がもっと元気に過ごしていた時期があったはずなのに、今でははつらつとしていた母のことをなかなか思い出せないでいる。

 母を亡くしてから二年が経ち、周りには、もう母がいない悲しみなど感じていないかのように映ってしまっているかもしれない。その証拠に、先日、ある方から、「お母さまを亡くされた悲しみは今も続いているんですね」というようなことを言われた。私の中では、母のいない悲しみを感じ続けることは当たり前のことだったが、おそらく、私自身が母を亡くした悲しみをあからさまにしないようになったことから、周りにはそう映って見えてしまうのだろうと思った。私は、決して悲しみを感じていないわけではない。二年経っても、母を亡くした悲しみはまだ深い。表に出さなくなった分、悲しみは奥へ奥へと入り込んでしまっているようだ。昨日もホットヨガのレッスンを受けたあと、シャワーを浴びて着替えをしながら、母のことを想うと泣けて来た。そのとき感じたのは、とにかく母を愛しているということだった。

 愛していることや愛されていることを知れば、死別の悲しみはそれだけ深くなる。愛していることや愛されていることに気付いていない人たちのほうが立ち直りは早い。また、頭の中だけで考える死別と、実際の死別にもギャップがある。死別の悲しみの深さは、その人がもともと持っているものやこれまで体験して来たことで決まる。

 死とは何かについて、以前よりもいっそう深く考えるようにもなった。調子がいいときには、この世とあの世の接点を見付けたような気にもなる。しかし、その感覚が長く保たれることはなく、すぐに悲しみの世界へと舞い戻ってしまう。私たちの魂は、本当に、この世とあの世を行ったり来たりしているのだろうか。本『第十の予言』に書かれていたような魂のグループは本当に存在しているのだろうか。輪廻転生があるとしたら、そのサイクルは何年単位なのだろうか。魂のグループが存在しているのだとすれば、先に旅立って行った魂は、あとから追いついて来る魂を待って、一緒に再出発するのだろうか。いろいろなことが頭に浮かぶが、本当のことはまだわからない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今になって思えば、七月には三連休があり、八月には夏休みがあったおかげで、あの夏の日々は、それだけ母と一緒に過ごせた時間が長かったように思います。それに加え、毎週月曜日に休暇を取らせていただいたので、勤務先の協力もずいぶん得られたんですよね。いろいろいろなことを思い出しては、あの選択をしていたらどうなっていたのだろうと考えたりしています。本当に貴重な夏の日々でした。

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