父が経験した足の痛み
※初めての残業と、改善されたもろもろのことの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ようやく寒さが和らいで来ましたね。今回の寒波では、ルーフバルコニーのスポンジが凍っただけでは済みませんでした。水道の蛇口まで凍ってしまい、お湯をかけなければ復活させることができませんでした。ルーフバルコニーのタイルの上も凍っていました。貴重なエネルギーの消費を避けるためにも、夏の暑さと冬の寒さが同時に起こってくれればいいのにとさえ思いました。せめて両方の季節で、気温の貸し借りができるといいですよね。または、それぞれの家庭のエアコンが地球の反対側のどこかの国と繋がっており、「温める」ボタンを押すと、地球の反対側の暖かい空気を送り込んでくれるような装置が欲しいです。度々訪れた大寒波では、積雪が多い地域にお住いの方たちも大変な時期を過ごされたことと思います。まだまだ寒い時期は続きますが、やがて訪れる春への希望を持ち望みながら過ごして行きたいですね。
年末年始に帰省していたときに、父が足の痛みを訴えていた。床から立ち上がるときに足が痛むという。ただ、ひとたび立ち上がって歩き始めると、やがて痛みは引くのだそうだ。父には以前から膝の痛みがあったので、サ〇トリーの某サプリを定期購入して飲んでもらったりはしている。しかし今回の父の訴えは、その手の痛みとは違うようにも思えた。
実は数年前に父が胸椎圧迫骨折をしたことから、ベッドからの立ち上がり介助のための手すりを購入していた。今ではそのときの痛みはすっかり完治しているため、それらの手すりはもはや使っていないとのことだった。そこで、それらの手すりを床の上に置いて、立ち上がりのときに再び使ってもらうようにしておいた。
ただ、その後も父と電話で話をすると、しばしば足の痛みを訴えて来ていた。父に痛む正確な場所を確認してみると、ふくらはぎから上のほうだと答えていたので、私はお年寄りに多い変形性膝関節症なのだろうかと考えていた。とは言え、父は病院には行きたがらなかったので、変形性膝関節症に効果のあるストレッチなどを調べて父に知らせたりしていた。
ところが、先週の金曜日に父と電話で話したときに、父は、
「痛いんは膝やない、ふくらはぎのほうじゃった。良く見たらふくらはぎが腫れとる」
と言ったのだ。私は、これはえらいことだと思った。片方の足だけふくらはぎが腫れていると聞いて、私はすぐに血栓の可能性を疑ったのだ。そこで私は強い口調で、
「明日、土曜日だけど、〇〇先生のところで診てもらって。もしそれが血栓で、はがれた血栓が肺に達してしまったら命取りになるから」
と言った。〇〇先生とは、父がいつもお世話になっているかかりつけ医のような立場の医師で、普段は血圧の薬などを処方してもらっている。実は、母の肺がんを見つけてくださった医師でもある。父は、
「わかった」
とは言ってくれたものの、実際に受診してくれるかどうか、とても不安だった。そこで翌日の土曜日の朝にも父に電話を掛けて、切羽詰まった口調で父に受診を懇願した。自分でもその言い方は、半ば脅迫じみていて嫌だったのだが、父に病院に行ってもらうためには仕方がないとも思っていた。何しろ、命に関わるかもしれないことなのだから。
そして、その日の朝11時頃に父から電話があり、病院で血液検査を受けたと教えてくれた。〇〇先生が何と言っていたかを尋ねてみると、特に血栓があるかもしれないというようなことは言われなかったそうだ。ただ、父のふくらはぎを見るなり、
「腫れとるねえ」
とは言われたそうだ。血液検査の結果は火曜日に出るとのことで、その日に受診するように言われたそうだ。調べてみると、血栓がある場合は血液検査でわかるらしい。〇〇先生はそのことを調べるために、父に血液検査をしてくださったのだろうと思った。
それから火曜日までは気が気じゃなかった。小さな病院なので、血液検査の結果判定は外部に委託するらしい。実は看護師さんからは、月曜日には結果が出ると言われたそうだ。もし、看護師さんの言うことが本当で、月曜日に結果がわかっているなら、急を要する場合は病院から連絡があるのではないかと思っていた。月曜日の仕事帰りに父に電話を掛けてみると、特に病院から連絡はなかったとのことだったので、ひとまず急を要する状況ではないのだろうと考えていた。
私は困ったことが起きると、何でも母にすがる。仕事で面接を受けるときも、仕事で困ったときも、旅に出掛けるときも、どんなときでもそうだ。そうして毎回、母には助けてもらって来た。母のおかげで人生の危機を乗り越られたと言っても過言ではないくらいだ。そのことを父に共有すると、ある書類を提出するために、弟の実印を探していたがいくら探しても見つからなかったときに、思い切って母に頼んでみたという。すると、すぐに実印が出て来たそうだ。あれだけ探し回っても出てこなかったのに、と父は驚いていた。ただ、こうした尊いパワーを「利用」してはいけない。願いがかなった時のお礼を、お願いするのと同じくらいの気持ちを込めて伝えることがとても大切だ。おそらく、母が他の家族よりも先にあちらの世界に行ってしまったのは、こちらに残された家族を全力でサポートするためでもあったのではないか。そんなことを思うこともある。
仮に父の足に血栓ができていたとしても、血液をさらさらになる薬できっと良くなるはずだ。だから母には、父が適切な治療を受けることができて、足の痛みが引いて再び元気に歩けるようになるようにお願いしておいたのだ。
そして運命の火曜日を迎えた。私は仕事があったので、お昼休みにガンモの作ってくれたお弁当を食べたあと、エレベータを降りてビルの外に出てから、父に電話を掛けた。しかし、父への電話は繋がらなかった。仕事中は携帯電話を所定の場所に預けているので、かかって来た電話に出ることはできない。そのため、夕方にまた電話をすると父にメッセージを残して再びオフィスに戻った。
仕事を終えて父に電話を掛けるとき、何となく父は大丈夫だという予感がしていた。そして、父と電話が繋がった。父によると、血液検査の結果が、良好というわけではないものの、すべてにおいて許容できる範囲の値を示していたという。つまり、血栓ではなかったということだ。〇〇先生からは、「運動不足が原因」と言われたそうだ。父には、むくみを取る薬が処方され、それを飲んで運動するように促されたそうだ。ああ、血栓ではなくて本当に良かった。しかも、血液検査の値も気にするレベルではなかったというのは、お酒好きの父の食生活からすると驚異に値する状況である。私は歓喜しながら、母に何度も何度も厚くお礼を言った。
自分にとって大切な存在が健康であり、安全であること。それは、私たちが無意識のうちに願っていることであり、エネルギーの根源にも繋がって行く大切なことなのだと改めて実感した。自分を取り巻く「家族」という小さな世界(=モデル)でそれを実現できていることが理想である。ただ、その一方で、私たちには喪失に対抗して行く力強さが備わっているのも確かだ。恐ろしいのは、そのどちらも経験せずに人生を終えてしまうことではないだろうか。とは言え、こんな法則もあるかもしれない。ある時点における歓喜が大きい場合は、ある時点における喪失感も果てしない。
ちなみに、血栓について私が初めて認識したのは、私自身がとてつもなく巨大な子宮筋腫を育てていたときである。そのときの主治医から、あまりに育てていると、血栓ができることもあると言われていた。足に血栓ができたときは、片方だけの足がとてつもなく腫れ上がるらしい。今回の父の場合は、そこまで腫れ上がっていなかったはずである。そしてもう一つ思い出したのは、母が亡くなったときの状況だ。末期がんで終末治療を受けていた母の足は、息を引き取ったときに、片方の足だけがとてつもなく腫れ上がっていた。もしかすると、あれが血栓だったのではないのかと、私は密かに思っている・・・・・・。
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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お年寄りから状況を聞きだしたり、こちらかの情報を伝えたりするのはなかなか難しいと感じることがあります。今回、父のふくらはぎが腫れていることにたどり着くにも時間がかかってしまいました。また、私自身がいろいろ調べたことを父のスマホにLINEで送っても、なかなか読んでもらえなかったりもしました。そんな父は、いつの間にか八十代後半です。
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