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2025.09.03

母の十三回忌

大阪・関西万博2025の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 九月になりましたが、まだまだ酷暑が続きそうですね。しかも、もうすぐ新たな台風も発生しそうです。引き続き、熱中症や自然災害には気を付けて行きたいものですね。


 先月末、母の十三回忌のために、ガンモと二人で愛媛に帰省した。八月は伯母の葬儀もあったため、二回も帰省したことになる。夏休みにどこにも出掛けなかったのに帰省しなかったのは、母の十三回忌を控えていたからだ。八月の終わりというと、少しくらいは涼しくなってもよさそうなものだが、今年は異常に暑かった。

 愛媛にある私の実家に向かう途中、香川県にあるガンモの両親、そして弟のお墓参りをした。お墓参りでは、いつも私たちを守ってくれているお礼を述べたあと、今後のお願いをしている。お墓参りの後は、お昼ご飯を食べて私の実家方面へと向かった。そして、私の実家に行く前に母のお墓参りをして、買い物をしてから私の実家へと向かった。

 実家に着くと、私はまず仏壇に直行して母にお線香をあげた。十三回忌ということで、父が母のために祭壇を用意してくれていた。父は、「自分が生きているうちの節目の供養は今回が最後だから・・・・・・」などと言っていた。十三回忌のあとは十七回忌というのが控えているらしい。私は、十七回忌には参列できないと言う父の戯言は受け入れてはいない。それはさておき、これまでの法要は、すべてお坊様に自宅まで来ていただいて行って来たのだが、今回は自宅ではなく、私たちがお寺に出向いて、そこで十三回忌の法要をお願いすることになっていた。すなわち、私たちにとっては新しい形での法要となるのである。

 母の祭壇にお線香をあげたあとは、先日亡くなった伯母の家に行った。実家のすぐ隣にある家である。そこにはいとこたちが住んでいる。葬儀のときは、いとこたちとゆっくり話をすることができなかったので、伯母にお線香をあげたあと、いとこたちと、伯母についてのいろいろな話をした。まだ四十九日も過ぎていないので、もちろん、涙なしではいられなかった。それでもいとこたちは、伯母の不在を何とか受け入れようとしているようだった。従姉は、医師から余命宣告されたことを伯母に告知することで、伯母が残りの人生で何をしたいかを聞き出すことができたと言っていた。これは大変重みのある選択だと思った。私たちが母に対してできなかった選択でもある。今でも、どちらが良かったのかはわからない。いとこたちといろいろな話をして、伯母の家をあとにした。

 ところで、これまで私たちは、帰省してもエアコンのある部屋に滞在できるわけではなかったので、夏の帰省はなかなか厳しいものだった。父と弟はエアコンのある部屋で過ごしているのだが、私たちもそこで一緒に寝泊まりするというわけには行かなかった。ただ、法事があるために帰省するとは言え、この酷暑において、エアコンは必須である。そこで、自宅のテントで使用しているようなスポットクーラーを実家用にも購入して送っておいた。スポットクーラーがとても良く冷えることは、既にテントで実証済だったからだ。ただ、テントではダクトを外に出しやすい状態だが、実家ではサッシの間に設置した枠から出す必要がある。そのための枠もセットになって配達されているので、まずはその枠を設置することから始めた。

 暑い中、部屋で扇風機を回しながら、サッシを少しだけ開けてそこに枠をはめた。そして、枠の下にダクトの先を差し込み、室内から取り込んだ温かい空気がダクトを通って屋外に抜けるようにした。しかし、どういうわけか、スポットクーラーの稼働により生成された水を排出するためのホースを、屋外に排出する仕組みがなかった。サッシに取り付ける枠のどこかにホースを通すための穴が空いていればよかったのだが、そのような穴はなかったのだ。そこで仕方なく、大きめのバケツに、スポットクーラーから排出された水を溜めておくことにした。ところが、数時間稼働させているうちに、用意した大きなバケツにかなりの水が溜まってしまった。これでは、寝ている間に水が溢れ出してしまうに違いない。そこで、ガンモが何とかやりくりしてサッシの間からホースを通し、スポットクーラーから出た水を窓の外に排出することに成功した。実際、そのようにして正解だったと思う。この日は従妹夫婦と子供たちが訪ねて来てくれて、設置したばかりのスポットクーラーのある部屋で、涼しくにぎやかに過ごした。

 翌日、母の十三回忌のためにお寺まで出向いた。前日に訪ねてくれた従妹の母、すなわち母の妹も参列してくれた。母の兄妹たちも、一人、また一人と亡くなり、とうとう母の妹だけになってしまった。お寺で行われる法事に参列したのは今回が初めてだったのだが、エアコンもしっかりと効いており、椅子に座ることもできて、とても快適だった。正座が苦手な私は、葬儀などに参列する際には正座用の小さな椅子を持参していたものだった。しかし、今回は必要なかったので安心だった。

 法要のあとは、お坊様がありがたい法話を聞かせてくださった。私は法事のあとの法話が大好きだ。今回の法話は、人が亡くなったときに白米を入れたお茶碗にお箸を垂直に立てる由来についてだった。昔の人々はとても貧しかったので、白米を食べることはほとんどなく、白米の代わりに、ひえやあわなどの雑穀類が混じったおかゆを食べていたという。しかし、せめて亡くなった方の最後の食事は白米にしたいという想いから、白米を故人にお供えするようになったという。雑穀類が混じったおかゆは、その柔らかさゆえに、お箸を垂直に立てると倒れてしまう。お茶碗の上でお箸が垂直に立っているということは、すなわち、お茶碗に入っているのはお箸を固定できる硬さを持つ白米だとわかるようになっている、ということらしい。なるほど、そういうことが由来だったのかと勉強になった。

 十三回忌の法要のあとは、みんなで母のお墓参りに行った。無事に十三回忌の法要を終えることができて、母もほっとしているに違いない。誰かが故人のことを想ってお経を唱えれば唱えるほど、故人の魂としての格が上がって行くように思う。そして、格の上がった魂が、身内や子孫を守り続けてくれているのではないか、私はそんな気がしてならない。

 その後、私たちは予約していたレストランに行き、一緒に食事をした。そのレストランを利用するのは二回目か三回目だったと思う。何と、女性の店員さんが別の従妹の同級生だったことが発覚した。私も別の従妹と一緒に、子供の頃にその女性と遊んでいたことを覚えていた。およそ五十年振りくらいに再会した彼女は、子供の頃の面影が少しだけ残っていた。

 十三回忌を終えたあとは、疲れが出たのか、帰宅してからしばらく熟睡してしまった。そして、実家にもう一泊してから帰路についたのだが、私の小学校時代からの友人が母にお供えを持って来てくれていたので、帰る前に彼女の家に寄ったのだった。何から何まで、人々の暖かい思いやりを受け取ることができた十三回忌だった。

 すべてにおいて長く深くというわけには行かなかったが、今回、母の十三回忌で再会できた人たちがたくさんいたことは、大変喜ばしいことだと私は思っている。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お寺での法要は、故人のお位牌と写真を持参する必要がありますが、少人数向けとしては最適だと思いました。自宅で法事を行うと、お坊様にお茶をお出したりして緊張するのですが、その必要もありません。(苦笑)できれば、十七回忌もお寺での法要を希望したいと思っています。

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