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2025年9月

2025.09.23

還暦を迎えた私の就職活動

かわいいファースト・レディの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ようやく涼しくなりましたね。今度こそ秋の到来となるでしょうか。さて、私は仕事を4連休にして、10年振りにガンモと小豆島に出掛けていました。滞在中、少しずつ秋を感じられるような旅となりました。


 私は今年の7月に還暦を迎えた。一般の企業ならば、定年退職を促されるところだが、最近では還暦を過ぎても同じ職場に残ろうとする人たちも多い。
 私の場合は無期雇用の派遣社員なので、派遣先の企業ではなく、派遣会社を7月末でいったん退職することになった。とは言え、派遣会社を退職しても、派遣先企業との契約期間がまだ残っていたので、私は引き続き同じ派遣会社で働き続けることになっていた。ややこしい話だが、還暦を迎えた私は、派遣先企業との関係性は変わらないままで、仕事を紹介してくれている派遣会社との関係性がほんの少し変わっただけ、ということになる。派遣会社をいったん退職しても、65歳くらいまではこれまでとほぼ同じ条件で働くことができるらしい。

(成り立っている構図)

     私 ⇔ 派遣会社 ⇔ 派遣先企業
     私は派遣会社と契約をして、派遣会社を通じて派遣先企業に労働力を提供している。

 しかし、のちに派遣先企業との関係性が変わる出来事が発生し、私は9月末で現在の派遣先企業での仕事を終えることになった。派遣先企業が仕事をいただいている別の企業から、発注額の削減を依頼されたためである。派遣先企業の上層部の方がいろいろと手を尽くしてくださったのだが、私と同じ派遣会社から派遣されているもう一人の派遣社員と私、そして少なくとも一人の社員さんが現在のプロジェクトを卒業することになった。

 不思議なことだが、このことが発覚する二ヶ月ほど前に、私自身が現在のプロジェクト内で浮いてしまっているような、場違いな存在であるような感覚に襲われた。私が所属しているプロジェクトは、英語に触れることの多い状況でありながらも、常に英語を素通りしなければならなかった。英語を丁寧に扱って行くことよりも優先度の高い作業が常に山積みであったため、英語対応が後回しになっていたのだ。そうした状況の中、私自身は常にもやもやした気持ちを抱えながら作業を続けていた。

 これまで様々な派遣先企業で働いて来た私は、今回のように、自分が場違いな存在であるという感覚を抱くとたいてい、契約が終了していた。そのため、今回もそうなるのではないかと考えていたところ、やはり予想が的中したというわけだ。とは言え、派遣会社の担当から契約終了の連絡を受けたとき、何となくほっとしたのを覚えている。というのも、自分自身が今の職場にそぐわなくなって来ているのを感じていたからだと思う。

 ただ、還暦を迎えた私が、新しい職場で、新しい人たちと一緒に、新しい仕事を続けて行けるのだろうかという不安もあった。それでも、これまでも何度となく、亡き母が私の仕事をサポートしてくれていたので、これからもきっと助けてくれるだろうと思って母にお願いしたりしていた。

 やがて派遣会社の担当から、次の仕事の紹介があった。何とその会社は、二十年以上前に一度お世話になったことのある会社だった。しかし、あまりいい想い出がなかったことと、在宅勤務ができない条件であったことから、お断りさせていただくことになった。というのも、私は今後もCamblyのレッスンを続けて行きたいので、せめてレッスンを受ける日だけでも在宅勤務ができる状態であって欲しいと思っていたからだ。そうしなければ、レッスン前に数時間掛けて、レッスンの準備をすることは難しいと考えたのだ。レッスンの準備をせずに、ただ受け身でレッスンを受けるだけというのはレッスンの消費になってしまうので、絶対に避けたいと思っている。

 派遣会社の担当は、私が一社目の紹介をお断りしたあと、ほどなくして別の派遣先企業の仕事を紹介してくれた。その仕事でもらえる時給は、現在、私がもらっている時給より550円も低かった(★)。しかし、在宅勤務は可能だという。私は時給には目を瞑ろうと思い、在宅勤務ができるという条件に惹かれてその案件に応募することにした。ありがたいことに、その派遣先企業は、私の現在の仕事の就業後の時間帯にオンラインで面接をしてくださるという。

 しかも、何だか不思議なことが起こった。その後、営業担当が伝えて来た仕事内容は、最初に伝えられていたものではなく、現在私が担当している仕事の内容と比較的近いものに変わったのだ。

 オンライン面接の当日は、勤務時間中に20分ほど私用で抜けることについて、現在の派遣先企業に了承をいただき、派遣会社の営業担当との事前打ち合わせをオンラインで行った。そのときに、在宅勤務を希望していることなどを伝えておいた。

 そして、現在の派遣先企業の仕事が終わったあと、いよいよ本番の派遣先企業との面談を行った。仕事内容について、現在の勤務先での仕事内容と似ているのかと思っていたのだが、おそらく大きなところでは繋がってはいるものの、担当する部分が異なっているためか、あまり具体的なイメージを持つことができなかった。それに加え、在宅勤務は難しいと言われてしまったのだ。私は、それらのことにショックを受けてしまい、やはり今回の企業のお話もお断りしようと考え、そのことを派遣会社の営業担当にも伝えておいた。

 ところが、オンライン面接を受けた二日後に派遣会社の営業担当から電話があり、派遣先企業が私を採用する決断をしてくださったと知らせてくれた。しかも、時給についても当初の予算より550円アップして、現在と同じ時給で私を採用してくださるという。私は、在宅勤務ができないことは度外視して、「そんなこと言われたら、もう断れないじゃないですか」とうれしい悲鳴をあげるしかなかった。ただし、契約はいったん11月末までとし、今後も契約を更新するかどうかは、双方で同時に検討することになっているという。すなわち11月末までは、お互いにとってのお試し期間のようなものであるということだ。

 確かに、これまでほとんどフル在宅で仕事を続けて来た私にとって、いきなり毎日出勤に切り替わってしまうのは、肉体的にも精神的にもCambly的にも厳しいはずである。これまでガンモと一緒に出掛けていた夜のウォーキングも、休日のみの実施となる。朝はこれまでよりも一時間半は早く起きる必要がある。そして、通勤には片道1時間ほどかかる。これまでの在宅勤務では必要なかった出勤前の準備時間や通勤時間として、併せて3.5時間ほど必要になってしまうのである。そうした時間を私生活の中でやりくりしながら、Camblyのレッスンの準備もしなければならない。しかも、歳を重ねて行くごとに、予定した時間よりも早く目が覚めてしまい、おまけに二度寝ができずに寝不足にもなる。果たして私は、これらの変化に耐えられるのだろうか。

 まだ始まっていないので、これから先どのように転んで行くかはわからないが、まずは新しい変化を受け入れることから始めてみようと思っている。亡き母もきっと助けてくれるつもりで、次の仕事に繋げてくれたに違いないからだ。

(★)現在の仕事は、時給2650円からスタートして、200円アップしている

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 次の仕事を決めるに当たり、派遣会社の担当といろいろ話をしました。私は今の職場で英語をあまり使える状況になかったので、次の仕事では英語を使って行きたいと申し出たのです。しかし、無期雇用派遣という立場のままだと、これまで実績のある仕事しか紹介してもらえないのだそうです。英語を使う仕事に就きたい場合は、派遣会社との雇用形態を有期雇用派遣に変える必要があるのだとか。しかも、無期雇用派遣から有期雇用派遣に転身する場合は、派遣会社との契約をいったん解除しなければならないそうです。いったん有期雇用派遣になると、無期雇用派遣になるまでに時間がかかってしまうので、結局私は、無期雇用派遣のままでいることにしました。無期雇用派遣は、 仕事の契約が切れても、社員のようにお給料をもらうことができる派遣なので、いろいろと制約があるようです。

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2025.09.14

かわいいファースト・レディ

母の十三回忌の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さん、三連休をいかがお過ごしでしょうか。ほんの少し残暑が少し和らいで来たかと思ったら、また夏日に戻ったりといった日々が続いていますね。ウォーキングをしていると、秋の虫たちが気持ちよさそうに鳴いているというのに、外はまだまだ暑いという状況です。当の虫たちも混乱しているかもしれませんね。ふと思ったのですが、みんなで力を合わせて草木を植えるようにしたら、CO2の削減に貢献できるだけでなく、熊たちが人間を襲う問題もやがて解決して行けるのではないでしょうか。近年、あちらこちらで山火事が発生しているのも、実は私たちが木々の大切さを再認識するためなのかもしれない、などと考え始めています。


 今回は、フランス大統領の奥様であるブリジット・マクロン女史に関するとんでもない噂話について書いてみたいと思う。既にご存じの方もいらっしゃるかと思うが、「彼女は男性として生まれた。彼女の兄が性転換して女性になった。彼女の兄の顔と彼女の顔をAIに判定させたところ、高確率で同一人物であるという判定結果が出た。ブリジット女史は、まるで急に大人になったみたいに、若い頃の情報がない」などなど、根も葉もない噂を広めている人たちがいる。しかも、ブリジット女史はもともと彼女の兄だったというだけでなく、マクロン大統領の父親であるという説まで浮上しているのだ。というのも、本来は血の繋がりのないはずの、ブリジット女史の兄の子供がマクロン大統領にそっくりだという情報もあったからだ。説明に使われている写真の真偽は定かではないが、ここまで来ると、もうとんでもない話である。

 ことの発端は、四年ほど前にある人物らが広めた噂が引き金になっており、それをアメリカのポッドキャスターのキャンディス・オーウェン氏が支持する形で拡散されているようだ。彼女のYouTubeチャンネルを見てみたが、これらのことについてシリーズ化し、力をこめて大真面目に語っていた。おそらくだが、ブリジット女史がマクロン大統領よりもかなり年上だったことから、様々な憶測が飛び交い、このような奇妙な噂話に結びついたと思われる。しかし、キャンディス・オーウェン氏がフランス人ならまだしも、アメリカ人の彼女が何故ここまで力を入れてこの情報を拡散しているのか、私にはさっぱりわからなかった。

 Camblyの英会話のレッスンで、複数の講師にこの話題を振ってみたところ、いろいろな反応が返って来たので、ここで皆さんにシェアさせていただこうと思う。

 まずはフランス在住のイギリス人講師にこの話をしてみたところ、
「その話は知ってるけれど、まったくのデマよ。ブリジット女史の兄は別人として存在していて、かつてチョコレート工場のオーナーを努めていたのだけど、残念ながら、2018年に亡くなってしまったのよ」
と教えてくれた。調べてみると、ブリジット女史の実家は確かにチョコレート工場を営んでいたようだ。フランス在住の講師にこの噂を強く否定してもらえて、私はすっかり安心した。キャンディス・オーウェン氏は、「ブリジット女史と彼女のお兄さんが同時に会見を開けば、即座に解決することなのに」などと主張しているが、ブリジット女史のお兄様が既に他界されているのであれば、お二人が同時に会見を開くことは、もはや不可能だろう。もし、キャンディス・オーウェン氏がそのことを知っていた上で同時会見の話に言及しているのだとしたら、かなり悪質だと思う。

 南半球在住のイギリス人講師にもこの話をしてみたところ、その講師もやはりこの噂のことは知っており、このようなデマを流す人たちについて、デマを広めるべきではないときっぱりと言い放った。このとき私は、自分自身がこの噂に踊らされてしまったことを深く反省した。

 イギリス在住のイギリス人講師にもこの話題を振ってみたところ、その講師自身はこの噂のことは知らなかった。しかし、今や生成AIなどの発達により様々なフェイクニュースが飛び交う中で、私たち自身がどのようにして真実を見極めて行くかについて話し合うことができた。私は、
「やはり最初は信じてしまいがちですが、いろいろ調べているうちに、やがて嘘であることに気づくことになると思います」
と答えた。

 ポッドキャスターやYoutuberなどのインフルエンサーが「職業」として存在するならば、彼らは自分自身に支払われる収益のために多少のリスクを犯してでも、人々から注目される投稿を続けて行くのかもしれない。そこが、真実を伝える責任のある「報道」との大きな違いだろうか。ただ、ブリジット女史の件については、過去に裁判にまで発展しており、いったんはインフルエンサーたちに支払い命令が出されていたものの、のちに逆転無罪となっている。そのような背景があるために、キャンディス・オーウェン氏も強気なのかもしれない。

 今後もこのような傾向が続いて行くのだとしたら、果たして私たちはどのような対策を取って行けばいいのだろうか。調べてみたところ、Snopes.com | The definitive fact-checking site and reference source for urban legends, folklore, myths, rumors, and misinformation.というサイトが存在していることがわかった。このサイトは、真偽がわからない噂などの情報についての真偽を判定してくれるサイトである。試しに"Was Brigitte Macron born male?(ブリジット・マクロンは男性として生まれた?)"と入力してみると、噂の真偽を判定してくれた。いくつかの判定結果が表示されており、

"No, France's First Lady Brigitte Macron Isn't Trans"
(いや、フランスのファーストレディー、ブリジット・マクロンはトランスジェンダーではない)

といった情報が複数出ていた。すなわち、「ブリジット・マクロン女史は男性として生まれたわけではない」と判定されたいうことだ。このサイトでは、FactBotというAIが活躍してくれているようだ。今後はこのようなサイトを活用して、噂の真偽を確かめることにしようと思う。(日本語で検索できるサイトもいくつかあるようだが、今回のケースは、検索してもヒットしなかった)


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の噂について調べているうちに、ブリジット・マクロン女史は私よりもずっと年齢が上なのに、とてもかわいらしい方だなあと思いました。やはり、彼女が感情を押し殺さずに生きているように見えるからでしょうか。少し前には、飛行機の中でマクロン大統領を平手打ちする映像が出回っていましたね。間違いなく、かわいいファースト・レディだと私は思います。

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2025.09.03

母の十三回忌

大阪・関西万博2025の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 九月になりましたが、まだまだ酷暑が続きそうですね。しかも、もうすぐ新たな台風も発生しそうです。引き続き、熱中症や自然災害には気を付けて行きたいものですね。


 先月末、母の十三回忌のために、ガンモと二人で愛媛に帰省した。八月は伯母の葬儀もあったため、二回も帰省したことになる。夏休みにどこにも出掛けなかったのに帰省しなかったのは、母の十三回忌を控えていたからだ。八月の終わりというと、少しくらいは涼しくなってもよさそうなものだが、今年は異常に暑かった。

 愛媛にある私の実家に向かう途中、香川県にあるガンモの両親、そして弟のお墓参りをした。お墓参りでは、いつも私たちを守ってくれているお礼を述べたあと、今後のお願いをしている。お墓参りの後は、お昼ご飯を食べて私の実家方面へと向かった。そして、私の実家に行く前に母のお墓参りをして、買い物をしてから私の実家へと向かった。

 実家に着くと、私はまず仏壇に直行して母にお線香をあげた。十三回忌ということで、父が母のために祭壇を用意してくれていた。父は、「自分が生きているうちの節目の供養は今回が最後だから・・・・・・」などと言っていた。十三回忌のあとは十七回忌というのが控えているらしい。私は、十七回忌には参列できないと言う父の戯言は受け入れてはいない。それはさておき、これまでの法要は、すべてお坊様に自宅まで来ていただいて行って来たのだが、今回は自宅ではなく、私たちがお寺に出向いて、そこで十三回忌の法要をお願いすることになっていた。すなわち、私たちにとっては新しい形での法要となるのである。

 母の祭壇にお線香をあげたあとは、先日亡くなった伯母の家に行った。実家のすぐ隣にある家である。そこにはいとこたちが住んでいる。葬儀のときは、いとこたちとゆっくり話をすることができなかったので、伯母にお線香をあげたあと、いとこたちと、伯母についてのいろいろな話をした。まだ四十九日も過ぎていないので、もちろん、涙なしではいられなかった。それでもいとこたちは、伯母の不在を何とか受け入れようとしているようだった。従姉は、医師から余命宣告されたことを伯母に告知することで、伯母が残りの人生で何をしたいかを聞き出すことができたと言っていた。これは大変重みのある選択だと思った。私たちが母に対してできなかった選択でもある。今でも、どちらが良かったのかはわからない。いとこたちといろいろな話をして、伯母の家をあとにした。

 ところで、これまで私たちは、帰省してもエアコンのある部屋に滞在できるわけではなかったので、夏の帰省はなかなか厳しいものだった。父と弟はエアコンのある部屋で過ごしているのだが、私たちもそこで一緒に寝泊まりするというわけには行かなかった。ただ、法事があるために帰省するとは言え、この酷暑において、エアコンは必須である。そこで、自宅のテントで使用しているようなスポットクーラーを実家用にも購入して送っておいた。スポットクーラーがとても良く冷えることは、既にテントで実証済だったからだ。ただ、テントではダクトを外に出しやすい状態だが、実家ではサッシの間に設置した枠から出す必要がある。そのための枠もセットになって配達されているので、まずはその枠を設置することから始めた。

 暑い中、部屋で扇風機を回しながら、サッシを少しだけ開けてそこに枠をはめた。そして、枠の下にダクトの先を差し込み、室内から取り込んだ温かい空気がダクトを通って屋外に抜けるようにした。しかし、どういうわけか、スポットクーラーの稼働により生成された水を排出するためのホースを、屋外に排出する仕組みがなかった。サッシに取り付ける枠のどこかにホースを通すための穴が空いていればよかったのだが、そのような穴はなかったのだ。そこで仕方なく、大きめのバケツに、スポットクーラーから排出された水を溜めておくことにした。ところが、数時間稼働させているうちに、用意した大きなバケツにかなりの水が溜まってしまった。これでは、寝ている間に水が溢れ出してしまうに違いない。そこで、ガンモが何とかやりくりしてサッシの間からホースを通し、スポットクーラーから出た水を窓の外に排出することに成功した。実際、そのようにして正解だったと思う。この日は従妹夫婦と子供たちが訪ねて来てくれて、設置したばかりのスポットクーラーのある部屋で、涼しくにぎやかに過ごした。

 翌日、母の十三回忌のためにお寺まで出向いた。前日に訪ねてくれた従妹の母、すなわち母の妹も参列してくれた。母の兄妹たちも、一人、また一人と亡くなり、とうとう母の妹だけになってしまった。お寺で行われる法事に参列したのは今回が初めてだったのだが、エアコンもしっかりと効いており、椅子に座ることもできて、とても快適だった。正座が苦手な私は、葬儀などに参列する際には正座用の小さな椅子を持参していたものだった。しかし、今回は必要なかったので安心だった。

 法要のあとは、お坊様がありがたい法話を聞かせてくださった。私は法事のあとの法話が大好きだ。今回の法話は、人が亡くなったときに白米を入れたお茶碗にお箸を垂直に立てる由来についてだった。昔の人々はとても貧しかったので、白米を食べることはほとんどなく、白米の代わりに、ひえやあわなどの雑穀類が混じったおかゆを食べていたという。しかし、せめて亡くなった方の最後の食事は白米にしたいという想いから、白米を故人にお供えするようになったという。雑穀類が混じったおかゆは、その柔らかさゆえに、お箸を垂直に立てると倒れてしまう。お茶碗の上でお箸が垂直に立っているということは、すなわち、お茶碗に入っているのはお箸を固定できる硬さを持つ白米だとわかるようになっている、ということらしい。なるほど、そういうことが由来だったのかと勉強になった。

 十三回忌の法要のあとは、みんなで母のお墓参りに行った。無事に十三回忌の法要を終えることができて、母もほっとしているに違いない。誰かが故人のことを想ってお経を唱えれば唱えるほど、故人の魂としての格が上がって行くように思う。そして、格の上がった魂が、身内や子孫を守り続けてくれているのではないか、私はそんな気がしてならない。

 その後、私たちは予約していたレストランに行き、一緒に食事をした。そのレストランを利用するのは二回目か三回目だったと思う。何と、女性の店員さんが別の従妹の同級生だったことが発覚した。私も別の従妹と一緒に、子供の頃にその女性と遊んでいたことを覚えていた。およそ五十年振りくらいに再会した彼女は、子供の頃の面影が少しだけ残っていた。

 十三回忌を終えたあとは、疲れが出たのか、帰宅してからしばらく熟睡してしまった。そして、実家にもう一泊してから帰路についたのだが、私の小学校時代からの友人が母にお供えを持って来てくれていたので、帰る前に彼女の家に寄ったのだった。何から何まで、人々の暖かい思いやりを受け取ることができた十三回忌だった。

 すべてにおいて長く深くというわけには行かなかったが、今回、母の十三回忌で再会できた人たちがたくさんいたことは、大変喜ばしいことだと私は思っている。


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お寺での法要は、故人のお位牌と写真を持参する必要がありますが、少人数向けとしては最適だと思いました。自宅で法事を行うと、お坊様にお茶をお出したりして緊張するのですが、その必要もありません。(苦笑)できれば、十七回忌もお寺での法要を希望したいと思っています。

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