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2025年8月

2025.08.18

大阪・関西万博2025

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m お盆休みも終わりましたね。私は今日まで休みでした。夕方のウォーキングのみで、どこにも出かけなかった夏休みは、もしかしたら今回が初めてだったかもしれません。その代わり、Windows 10からWindows 11への入れ替えができました。私が使っていたWindows 10のPCは、Windows 11へのアップグレードができない古い機種でしたので、PCごと入れ替える必要がありました。ガンモが早々にWindows 11が動作する新しいPCを用意してくれていたので、新しいPCに必要なアプリをインストールして、必要なデータを古いPCからネットワーク経由でコピーして移行を完了させました。ちょっとやっかいだったのは、異なるユーザ名同士のデータコピーです。「ネットワーク経由でコピーしたいデータ」が存在する古いPCのディレクトリの共有設定を行ったあと、新しいPCから古いPCに接続するのに少し手間取りました。新しいPCも古いPCもマイクロソフトのアカウントと連携させており、ログイン時のパスワードはそれぞれPINを入力していたのですが、PINはローカルコンピュータのみで有効なものなので、ネットワーク接続時には使えなかったのです。AIに教えてもらいながら、PINではなくマイクロソフトアカウントのパスワードを指定し、ユーザ名も\\コンピュータ名\ユーザ名を指定して、ようやく古いPCと新しいPCを接続することができました。Windows 10のサポート期限が迫っているため、もしかしたら同じ状況の方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方たちの助けになれば幸いです。さて今回は、大阪万博に出かけたときのことを書いてみたいと思います。


 GWの旅行中、ガンモが応募していた万博チケットの当選通知がメールで届いた。ペアチケットなので、およそ14,000円分の節約になる。私たちは歓喜し、暑くならないうちにと、五月下旬の平日の予約を入れた。

 専用アプリを使っての予約や、会場内での決済で現金が使えないことなどは、高齢者には敷居が高いような気もした。しかし、万博が日本国内だけでなく、世界中のあらゆる国からの人たちを受け入れる場所だと考えると、そうしたシステムはむしろ敷居が低いと言えるのかもしれないと思い直した。

 兵庫県に住んでいる私たちは、一時間もあれば会場に着くのではないかと軽く考えていた。しかし、自宅を出て大阪駅で大阪環状線に乗り換え、桜島駅で降りてみると、ものすごい数の人たちが並んでいた。シャトルバスは予約制だというのに、こんなにも人がいるのかと驚いたものだった。しばらく乗車待ちをして、ようやくシャトルバスに乗り込むことができ、無事に会場に着いた。自宅から一時間で着くだろうと思っていたが、二時間かかっていた。ちなみに、大阪環状線に乗ったときに、同じ車両に多数の外国人観光客がいたので、「この人たちもみんな万博に行くのかな」と考えていた。ところが、ほとんどの外国人観光客が、桜島の手前のユニバーサルシティ駅で降りてしまったことに驚きを隠せなかった。日本を訪れている外国人観光客にとっては、万博に行くことよりもユニバーサル・スタジオ・ジャパンを満喫することのほうがプライオリティが高いのだとわかった。

 万博会場の入口では手荷物検査があった。国内線の空港で行われているのとほぼ同じレベルの手荷物検査で、飲み物を持っている場合はカバンから出して検査を受ける必要があった。瓶や缶入りの飲み物は持ち込み禁止となっている。私たちは水を持参していたので、比重の確認だけで特に何も言われなかった。会場内に給水ポイントがいくつかあるというので、私たちはインスタントコーヒーやミルク、紅茶のティーバッグなどを持参し、食事のあとにそれらを飲んでくつろぐことができた。

 パビリオンの訪問は原則予約制なのだが、二つまでしか予約できなかったので、入場してすぐにいくつかのパビリオンを追加で予約しようとした。しかし、なかなか予約が取れず、夕方のオーストラリア館がかろうじて取れただけだった。ちなみに、予約していた二つとも日本のパビリオンだった。

 中には予約なしで入場できる(=現地で入場待ちをすれば入場できる)パビリオンもあった。入場した場所から比較的近いところにあったベルギー館もその一つだった。何と、並び始めて20分ほどで入場することができた。ベルギー館では、ワクチン開発などについて紹介されていた。

 私たちは、予約しているパビリオンの訪問時間に合わせてお昼ご飯を先に食べておこうと思っていた。飲食コーナーを少し回ってみたのだが、どこも高額で驚いた。お昼ご飯に3,000円以上も出すなんて、通常では考えられないことである。しかし、どこも同じような状況だったので、私たちは3,300円の韓国料理を食べることにした。これが予想外においしかった。ただ、その後もいくつかのパビリオンを回る予定だったというのに、私たちはニンニクの匂いをぷんぷんさせて歩き回っていたかもしれなかった。

 昼食後に訪れたのはNTT館だった。ここでは専用の眼鏡をかけて3Dの映像を観た。3D映像が手の届きそうなくらい、リアルだったので驚いた。その後、写真を撮ってもらい、その写真が加工された写真を確認した。AIの技術を駆使した過去と未来の自分の姿だった。

 次に訪問予定のパビリオンまで少し時間があったので、私たちはミャクミャクの人形焼き付きソフトクリームを食べた。会場内には、食べるところも座って休むところも十分に用意されていた。五月下旬で、まだそれほど暑くなかったのは幸いだった。

 次に訪れたのはPanasonic館だった。ここでは結晶を一つ選び、係員の指示に従って部屋を移動して行った。やがて自分が選んだ結晶の中に蝶が宿り、その蝶を解き放つという流れだった。NTT館もPanasonic館も、訪問者参加型のパビリオンだと感じた。訪問者参加型のパビリオンは思い出に残るのでいいと思う。

 これに対し、展示型のパビリオンも多く存在していた。コモンズ-Aとコモンズ-Cという、複数の国々のパビリオンが一つの建物に集まっているところがあったのだが、その中に含まれているパビリオンの多くは展示型のパビリオンだった。すなわち、展示物を使って自分たちの国の紹介をしているパビリオンだった。

 万博での楽しみの一つに「スタンプ集め」があるのだが、コモンズ-Aとコモンズ-Cには、スタンプを押せるパビリオンがいくつもあったので、私はスタンプを見つける度に、自分で用意したスタンプ帳に次々にスタンプを押して行った。スタンプ帳は、公式のものも売られているのだが、私は自宅から測量野帳を持参してスタンプ帳代わりに使用した。測量野帳は、万博でのスタンプ帳としては、大きさもページ数も最適だと思う。ただ、スタンプ集めに熱心になり過ぎて、自分がスタンプ集めのためにパビリオンを訪問しているのか、それとも、パビリオンの訪問のついでにスタンプを押しているのかわからなくなってしまった。「スタンプ集め」はそれくらい楽しかったと言える。

 今回の万博で特筆すべきは、何と言っても「大屋根リング」だろう。「大屋根リング」は、広い万博会場をぐるりと取り囲むように造られた木造の円形建築物である。日本の神社などで見られるような木の組み方がされている。「大屋根リング」の上は人々が歩けるようになっており、その下は日陰になって、人々が休めるようになっている。「大屋根リング」の上までは、エスカレータやエレベータなどで昇れるようになっている。私たちも「大屋根リング」の上に上がってみたのだが、思っていた以上に広く、そして芝生もあった。この芝生の上に寝転んでみると、とてつもなく気持ちがよかった。夕方になると心地よい風も吹いて、最高の休息場所だと感じた。もちろん、「大屋根リング」の上からは、万博会場を見渡せるようになっている。

 この「大屋根リング」を、万博の閉会後も残してほしいという要望が多々あるようだ。しかし、耐震処置を行うのに予算がないとかで、閉会後は取り壊しが決まっているのだとか。実にもったいない話である。それと同時に、今は十分な耐震処置が行われていないのかと思うと、少し不安にはなる。

 オーストラリア館の訪問の前に、お腹が空いたのでお寿司のお弁当を買って晩御飯にした。お弁当にしたからか、お昼ご飯よりはリーズナブルな価格で食事にありつくことができた。

 夕方に予約が取れたオーストラリア館も、見学型のパビリオンだった。天井まで届く大きなパネルを何枚も使い、オーストラリアの大自然の素晴らしさを紹介してくれていた。

 夕方以降は、人が少なくなって来たからか、予約なし、かつ、待ち時間もほとんどなしで入場できるパビリオンが増えて来ていた。私たちはインドネシア館、インド館、サウジアラビア館を駆け足で見学した。サウジアラビア館は、今回、訪問した中で最も大きく、そして豪華なパビリオンだった。

 夜になると、ドローンショーが行われるはずなのだが、残念ながら、私たちが訪問した日にはドローンショーは行われなかった。そのため、21時頃に万博会場をあとにすることになった。

 帰りは、開催中の通しパスを購入している人たちの優先退場となっていた。1日分のチケットで入場した私たちは、遠回りをして最寄り駅まで歩く必要があった。たった一日訪問しただけでは、ほとんど見学できなかったので、開催中の通しパスを購入する人の気持ちもわからないでもない。実は、私たちは十月に万博会場の再訪問を予定している。というのも、ある条件を達成して、またしてもペアの入場チケットをもらったからだ。

 ちなみに、今回の訪問で22.000歩ほど歩いた。これは、私たちが一日に歩く歩数の5倍くらいに相当する。休憩所が至るところにあって身体を休ませることができても、やはり万博会場はあまりにも広すぎて、あちこち歩き回るだけで疲れ果ててしまった。帰りの電車では座ったり座れなかったりした。立っているだけで腰が痛く、電車の中で物を落としても、腰を曲げるのが苦痛でなかなか拾えなかったくらいだ。翌日には、お尻も痛くなった。とは言え、一日程度で回復できた。次回の訪問までに体力アップしておくことが必要かもしれないと思っている。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m Camblyの講師に万博に行ったことを話しても、日本で万博が開催されていることを知らない講師も複数いらっしゃいました。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのあるユニバーサルシティ駅で降りてしまった多くの外国人観光客も、実は万博が開催されていることを知らなかっただけなのかもしれないですね。

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2025.08.10

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(8)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 九州北部や山口県などで線状降水帯が発生しているようですね。該当地域にお住まいの皆さんには、心よりお見舞い申し上げます。もしご自宅が安全ではないかもしれない場合は、安全な場所に避難されることを強くお勧めいたします。地元の避難所でも不安な場合は、地元から少し離れたビジネスホテルなどに滞在するのもありかと思います。残念ながら、今の時期は車中泊には向かないです。もしペットを飼っていらっしゃって、一緒に避難所に連れて行けないという事情がおありでしたら、ペット同伴可能なホテルやキャンプ場(テントやタープの用意がある場合に限りますが)もあります。キャンプ場も、今の時期は暑いですが、車中泊よりはマシかと思います。少し気温が下がって来ているとは言え、まだまだ熱中症の危険性はあるかと思いますので、どうか避難先でもくれぐれも水分補給を欠かさないようにお気をつけくださいね。

さて、昨日から夏休みが始まったという方も多いかもしれませんね。実は私もその一人です。ただ、事情があって、今年は今のところ自宅で過ごしています。実は先日、父の姉である伯母が他界しました。終末期の状態であり、余命宣告も受けていましたので、私は連休でも予定を入れずに過ごしていました。夏休みが始まる三日前に父から連絡を受けて、伯母が亡くなったことを知らされました。ガンモには、伯母が亡くなった場合は葬儀に参列したいと話していたのですが、それが夏休みの三日前だったために、職場には休暇を申請し辛いと感じてもやもやしていました。あと二日働けば夏休みなので、葬儀には参列せずに夏休みが始まってから帰省しようかとも考えていたのです。そのことをガンモに話すと、「夏休みが始まってから帰省しても意味がない。おばちゃんにお別れするために、葬儀に参列すべきだよ」と言われました。それで私も考えを改めて、職場の人たちに、忌引きで休暇を取りたいと申し出ました。もちろん、私の申し出に文句を言う人は誰も居ませんでした。

翌日、ガンモと私は早起きをして、愛媛に帰省しました。葬儀はお昼からだったので間に合いました。こうして、ガンモのおかげで伯母に最期のお別れができました。葬儀に参列して、様々なことを感じました。まず、伯母の亡骸を目にしたときに、明らかに魂が入っていないことがわかりました。かつて母の亡骸を目にしたときも、同じように感じました。しかし、葬儀の式場の祭壇に飾られていた伯母の遺影には魂が入っているのを感じました。そのとき、私たちは普段、特に意識していなくても、相手の目を見たり、相手の心を感じ取ったりしながら、実は相手の魂と交流をしているのだと思いました。伯母の遺影は、伯母が生きているときに撮影されたものなので、伯母の魂がしっかりと写り込んでいるのだと思いました。

伯母は若い頃に大変苦労した人でしたが、子供たちに恵まれ、晩年にはたくさんの孫たちやひ孫たちにも恵まれました。その数の多さには圧倒されるほどでした。私自身は子供を産まなかったので、子供を産んでくれた「はとこ」のお嫁さんや、「はとこの子供(=何と言うのかわからない)」のお嫁さんにはとても感謝しています。

そして何と言っても、伯母の長男である従兄の会葬御礼のあいさつに、多くの参列者が心を打たれたのです。従兄は伯母がとても働き者だったこと、女手一つで自分たちを育ててくれたこと、家を建ててくれたことなどを、参列者である私たちに語り掛けるように話しました。そのスピーチの背景には被害者意識もなく、お涙頂戴のようなシーンもなく、参列者の誰からもエネルギーを奪い取りませんでした。むしろ参列者は従兄から高いエネルギーを受け取り、感動に包まれることになったのです。

帰り際に私は従兄に、スピーチがとても素晴らしかったことを伝えました。親族たちは伯母の永遠の不在を悲しんではいましたが、その会話の中には、時には笑いさえも混じっていました。私は、自分がこの輪の中に存在していることがとても心地よいと感じました。それらを総合的に考えて、伯母の葬儀は、私がこれまで体験したことのないほど素晴らしいものだったと感じました。

葬儀に参列して良かったと心から思えました。私の肩を押してくれて、私を愛媛まで車で連れて帰ってくれたガンモのおかげでもあります。翌日に夏休み前の仕事を控えていたので、私たちは日帰りしました。今回の葬儀で様々なことを学びました。従兄が実践したように、自分が被害者になることなく、むしろ参列者にエネルギーを分けるような手法は、誰にでも実践できることではないと思います。それでも、今後、人に対して何らかの行動を起こすときの大きなヒントになることは間違いありません。

それでは長くなりましたが、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)の続きをお伝えしたいと思います。今回の記事で、GWの旅行は完結します。


 私たちはその日も道の駅で車中泊をし、翌日、出雲崎レトロミュージアムを訪問した。ここは、大人一人1000円で昭和時代にタイムスリップできる場所である。

 館内にあるほとんどのレトロゲームは、追加料金なしで楽しむことができるようになっていた。そこで私はパチンコとギャラガをプレイして楽しんだ。パチンコ台で大当たりが出ても景品の交換はできないが、大当たりが発生したときの雰囲気を存分に味わうことができた。

 ギャラガは、若い頃に私がかなりはまったシューティングゲームである。確かファミリーコンピュータでも、中古のカセットを購入して楽しんでいたはずだ。しかし、こうして久し振りにプレイしてみると、やはり若い頃のようには敵を倒せなくなってしまっていた。反射神経がにぶくなってしまったのだろうか。思い通りに敵を倒せないことが悔しくて、追加料金が必要ないのをいいことに、何度もプレイしてみたものの、やはり当時の勘は戻らなかった。ガンモは黙々とパックマンに専念していた。ギャラガの隣にはインベーダーゲームもあったが、こちらは名前だけ知っていてあまり馴染みがなかったので、私はプレイしなかった。

 懐かしのジュークボックスもあり、誰かが百円を入れたのか、ゴダイゴの『銀河鉄道999』が流れていた。本当に懐かしかった。

 一口に昭和と言っても、私自身の子供時代よりも更に前の時代の展示品もあった。館内には子供さんたちの姿もあったが、きっと本当に楽しんでいるのは大人たちだろうと思った。出雲崎レトロミュージアムは、大人たちが子供時代に帰れる場所、と言ってもいいのかもしれない。またこちらに来ることがあったら、是非とも立ち寄りたい場所である。

 その後、私たちは東京電力のサービスホールを見学し、原子力発電について学んだ。ここは、福島県で訪れた廃炉資料館のような厳格な雰囲気はなく、子供にもわかるように原子力発電について説明する目的を持った場所であるように見受けられた。原子力発電については、やはりもやもやした気持ちが残っているため、そのもやもやした気持ちを来館者に向けたアンケートに記載しておいた。

 そして、その日は民宿に宿泊した。その民宿では、チェックイン時に部屋の鍵(ルームキー)は渡されなかった。というのも、部屋の鍵は、部屋の内側にしかなかったからだ。部屋の鍵は何と、昔ながらの「ねじ込み式の鍵」だった。「ねじ込み式の鍵」は、昔の日本家屋では良く見掛けたものの、最近ではほとんど見掛けなくなっているので、もしもこの民宿に若いカップルが泊まったとしたら、部屋の鍵の掛け方を知らないまま一夜を過ごしてしまうかもしれないと思った。

 その民宿で、私たちは「部屋出し」の料理を食べることができた。「部屋出し」と言っても、大きな入れ物に載せられた二人分の料理が民宿のスタッフによって部屋まで運ばれると、私たち自身でテーブルの上に並べて食べるという形式のものである。民宿の料理は、旅館の食事のように量が多くなく、私たちの世代にはちょうどいいと感じる。部屋にトイレや洗面所の設備がないからか、価格がリーズナブルなのも魅力的だ。

 民宿をチェックアウトしたあとは、ひたすら自宅方面を目指した。とは言え、一般道を走って、一気にその日のうちに帰宅できるわけではないので、その日は途中の道の駅で車中泊をした。そしてその車中泊が、今回の私たちの旅行の最後の宿泊となった。

 こうして十二日間におよぶ車中泊と民宿への宿泊の旅が静かに幕を閉じた。ゴールデンウィークは、まだ少し肌寒さも残っており、車中泊には最適な季節だと改めて実感した。秋になればまた車中泊を再開できるので、私たちはそのときを今から楽しみにしている。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い旅行記にお付き合いくださり、ありがとうございました。車で長い道のりを移動しましたが、無事に帰宅できたことに感謝しています。夏休みに出掛けられる方たちもいらっしゃるかと思いますが、どうかくれぐれもお気をつけくださいね。

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2025.08.02

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(7)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(6)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 八月に入りましたね。猛暑が続いていますが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。先日、カムチャッカ半島で発生した巨大地震の影響により、津波警報が発令されて恐ろしい想いをされた方たちもたくさんいらっしゃるかと思います。特に東日本大震災で大津波の被害が出た地域にも津波警報が発令されていましたので、当時のようなことが起こらなければいいのにとひたすら願っていました。日本にも津波は到達したようですが、予測されていたよりは小さな規模だったので、ほっと胸をなでおろしました(もちろん、規模が小さくても、決して油断できるものではありませんが・・・・・・)。とは言え、高台に避難するときに車の運転を誤って転落死された方がいらっしゃり、とても気の毒に思っています。私が住んでいる地域は警報ではなく注意報であり、海からも離れていたのでそのまま自宅で仕事をしていました。心配なので実家にも電話をかけたところ、父はテレビのニュースで津波警報のことを知ったと言っていました。まさか日本以外の国で巨大地震が発生して、日本に津波がやって来るとは考えてもいなかったので、こんな危険もあるのかと改めて認識させられました。それにしても、真夏に避難するのは、真冬の避難とは違った大変さがありますね。津波から逃れることができても、避難した先で熱中症になってしまっては何のために逃げて来たのかわからないですよね。元自衛官だったというYouTuberの方が、「国から避難指示が出たとしても、今、自分がいる場所が高台であったり、頑丈な建物の中である場合は、避難せずに、そこに留まる選択をするほうが安全だ」とおっしゃっていました。今回のように真夏の避難であることと、避難所に行ってもすべての避難者を受け入れる体制が整っていないことを考慮しての発言だと思います。特に津波に関しては、自分のいる場所まで津波が到達するであろう時間を確認した上で、本当に避難すべきかどうかの判断を下す必要があるそうです。誰しも慣れていることではないので、判断するのはなかなか難しいかと思います。私たち夫婦の場合は、海からは比較的離れたマンションの中階に住んでいるため、小規模の津波の場合は避難せずに自宅に留まろうと思っています。というのも、避難所として指定されている場所よりも高い位置に住んでいるからです。ただ、大津波がやって来るという状況になってしまった場合や、出先にいるときなどは、津波の到達時間を把握した上で判断したいと思っています。ひとまず、大津波が発生するかもしれないと言われていた七月は何とか終わりましたが、引き続きあらゆる自然災害に備えておきたいですね。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(6)の続きをお届けしたいと思います。


 私たちは千葉県~茨城県を経由して福島県に入り、宮城県を訪れた。それらの状況については、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)およびGWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(3)に記載した通りだ。

 兵庫県にある自宅を出発してから、早くも一週間が経とうとしていた。私たちの旅は山形県酒田市で折り返すことになった。山形県酒田市では土門拳写真美術館に立ち寄った。その後、新潟県に入り、「胎内(たいない)市チューリップフェスティバル 2025」の会場を訪れた。広い会場一面にチューリップが植えられ、その奥には菜の花畑の迷路が用意されていた。菜の花畑の迷路には、毎年異なる文字が描かれているという。人々は菜の花畑の入口から入り、その迷路を辿って出口を目指す。なかなか粋な企画だと思った。胎内市という名前も優しくていい。入場料はわずか300円だった。

 会場一面に咲いたチューリップを高所から観賞できるように、会場には何と、高所作業車が出動していた。人が乗ったゴンドラを、高いところまで持ち上げてくれるというものだ。普段は会場全体に咲いたチューリップを高所から見渡すためではなく、別の用途で使用されているものだろう。おそらく、事故が起こってしまったときの対応のためだと思われるが、利用するには、住所と名前、連絡先の電話番号を記入する必要があった。大人一人の一回の利用料金は1000円だった。ガンモが乗りたいと言うので、高所恐怖症の私も意を決して乗り込んでみた。

 高所作業車が私たちの乗ったゴンドラを少しずつ持ち上げて行くと、私たちはやがてチューリップが一面に咲いた会場を見渡すことができた。これはいい。恐怖心を除けば、乗ってみて良かったと思えた。ただ、菜の花畑に描かれた花迷路の文字は読み取れなかった。読めなくても種明かしはされており、どうやら「胎内市政二十周年」と描かれていたようだ。

 ゴンドラから降りたあと、チューリップ畑を間近で見てみた。色や形の異なるチューリップがきれいに咲いていた。違っていても、それぞれの持つ美しさがあり、ベースは皆同じだった。人類と共通しているのかもしれないと思った。それぞれの個が全体に属しているという意識を持ち続けていれば、秩序が守られ、それぞれの美しさも保たれて互いに尊重し合えるのではないかと感じたのだった。

※私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 高所作業車をこのような形で活用しているイベント会場があることに驚きを覚えました。高所作業車を活用する発想が素敵だなと感じました。一面に咲いているチューリップもきれいで、イベントとしても成功していると思いました。

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