GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)
※東京で目の当たりにしたオーバーツーリズムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m GWの最終日となりました。GW後半は、お天気が崩れてしまいましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。私たちは4月25日(金)の夜から東北地方に向けて車を走らせ、車中泊と民宿への宿泊で合わせて11泊の旅を楽しんで、少し前に無事に帰宅したところです。GW後半は四連休ということもあり、道路も混雑していました。幸い、高速道路を利用したのは行きだけで、帰りは一般道を走って帰りましたので、目立った混雑はなく、予定通りの時間に帰宅することができました。今回の旅でもいろいろな気付きがありましたので、数回に分けて、皆さんにシェアさせていただきたいと思います。
今回の旅で訪れた最北端の街は、山形県の酒田市だった。そこから折り返して、帰りは日本海側を走って帰宅した。GWの東北は、やはり寒かった。山には雪が積もっており、山形の鶴岡辺りの道路沿いには、まだ雪がたくさん残っていた。
東日本大震災のあと、私たちは被災地を訪問するのをしばらく控えていたように思う。それでも、飛行機や新幹線を利用して、被害の大きかったところを避けながら、一部の地域を旅行したことはあった。今回は車での移動となったので、東日本大震災に関連する様々な施設を回ることができた。その一つが、宮城県石巻市にあるみやぎ東日本大震災津波伝承館である。ここでは、東日本大震災で発生した大津波に関する記録と、津波が発生したときにどのようにして身を守るかについての重要なメッセージが映像やパネルを使って展示されている。
東日本大震災は、マグニチュード9.0という世界規模でも四番目に大きな大地震だった。大地震が発生したことにより、宮城県には8メートルを超える津波が押し寄せ、その大津波により多くの人たちが命を落とすことになってしまった。特に、宮城県や岩手県周辺で見られるリアス(式)海岸というギザギザの形をした海岸は、ギザギザのない海岸に比べて、より高い津波が発生しやすい状況にあったようだ。(私はこの理由を、短時間で波が跳ね返って来る構造になっているためであると理解した)
みやぎ東日本大震災津波伝承館に展示されていたビデオの中に、大津波から逃げて助かった人たちからのメッセージが収録されていた。それらを要約すると、
「津波が来たら、迷わず高いところへ逃げて、決して低いところには戻らないように」
ということのようだ。もし、南海トラフ地震に直面するようなことがあったら、このときのメッセージを思い出して行動しようと思う。
ところで、私はGWの旅行中もCamblyのレッスンを受ける必要があった。レッスンをパスしてしまっても問題はないのだが、受けなかったレッスンを繰り越しすることができないので、海外旅行中であろうが、国内旅行中であろうが、私は必ず自分の決めた回数分のレッスンを受けるようにしている。東北を旅行しているときも、一度だけレッスンを受けた。そのとき、私は民宿に宿泊しており、浴衣姿でレッスンを受けたところ、イギリス人講師が浴衣姿の私を見て、いつもと雰囲気が違うと言った。そこで私は、仕事を11連休することができたので、14年前に発生した大地震と大津波の被害が大きかった地域まで旅行に来ているのだと言った。イギリス人講師には、何故、そこに足を運んだかの理由を尋ねられた。というのも、その講師は感受性が強いために、多くの人たちが亡くなった場所に足を運ぶと、平常心ではいられなくなってしまうらしい。去年の夏に、私がアウシュビッツ強制収容所を訪問したことを報告したときにも、何故、そこに行くことにしたのかと尋ねられ、自分はそういう場所は絶対ダメなのだと言われた。
私は、アウシュビッツ強制収容所を訪問した理由として、悲惨な出来事があった場所を訪れることで、その場所を浄化したい気持ちがあったと答えた。しかし、実際には一度や二度の訪問では浄化できるものではないと感じていた。アウシュビッツ強制収容所が負の遺産として今でも遺されているのは、そこを訪れた人たちに、このような悲惨な歴史を二度と繰り返して欲しくないためらしい。
それはさておき、私が東日本大震災の被災地を訪れたのは、やはりいつまでも避けていてはいけないと思っていたことが一番大きい。その場に足を運び、同じ日本人として、その痛みをきちんと感じ取りたかったのだ。
津波にのまれてしまった地域は、震災遺構として公開されていたり、住宅以外の用途で活用されていたりした。悲しいことに、住宅地の中には、新しい家ばかりが立ち並んでいる地域もあった。すなわち、古い家はなくなってしまったということなのだろう。そこでは、私たちの想像をはるかに超える被害を受けていたことが予想できた。
残念なことに、これらの複雑な想いを、イギリス人講師にうまく伝えることができなかった。そこで私は、日本では向こう30年以内に再び巨大地震が必ず起こると予想されているので、過去の大地震から学ぶべきことがあるのではないかという気持ちで訪れましたと答えた。実際には、それが東日本大震災の被災地を訪れたメインの理由ではなかったのだが・・・・・・。
するとイギリス人講師には、自分なら、必ず大地震が起こる場所で暮らし続けるのは怖いので、そこを離れて別の場所で生活すると思う、必ず大地震が起こるとわかっている場所で暮らし続ける理由がわからないと言われてしまった。そのイギリス人講師は、既にイギリスを離れて別の国で暮らしている人なので、おそらく自国を離れて暮らすことには抵抗がないのだろう。英語を自由に操ることができれば、どこの国に行こうとも、ほとんど不自由することなく生活して行くことができるだろう。また、もともとイギリスには生命が脅かされるほどの自然災害がほとんど発生しないことも、自然災害が多い日本とは大きく異なるところだと思う。日本は自然災害が多いものの、日本語を理解してくれる国が日本しかないために、日本を離れて他の国で暮らそうと考える人はそれほど多くないのではないかと思う。もし、他国でも日本語が通じるのであれば、日本を離れて他国に移住しようとする人も少なからずいるかもしれない。ただ、それとは別に、田舎のほうに行けば行くほど、地域の人たちが人との繋がりを大切にして、個人的な考えだけでは行動しない傾向にあるようにも思う。別の言い方をすれば、地元愛が深いとも言える。
おそらくだが、私自身はやがて南海トラフ大地震が来るとわかっていても、海外に脱出したりはせずに、日本に留まり続けることを選ぶに違いない。ひとまず、南海トラフ大地震はまだまだ先のこととして、その前に、私は東北の方たちが体験した激しい痛みを現地で感じ取り、追悼の意を捧げたかったのだ。
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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m みやぎ東日本大震災津波伝承館には、東日本大震災で行方不明になっている方たちを探すために、何度も何度も海に潜って探し続けたという方のコメントもありました。大地震の発生から14年経ってもなお、たくさんの方たちが行方不明の状態であると聞きました。今なお行方不明の方たちが、一日も早くご家族のもとに帰れることを願ってやみません。
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