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2025年5月

2025.05.31

「ふうふ写真散歩」が手元に届いた

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 梅雨入りした地域もあるようですが、私たちが住む関西地方はまだのようです。最近、風が強く吹いているのがひどく気になります。皆さんのお住まいの地域はいかがでしょうか。さて、GWに出掛けた東北旅行についてお伝えしているところですが、今回は東北旅行とは別にお伝えしたいことがありますので、別の記事を書かせていただこうと思います。この記事のあとに、東北旅行の記事を再開致します。どうぞご了承くださいませ。


 先日、ふうふ写真散歩というフォトエッセイが発売され、その本を注文していた私の手元にも届いた。


 

 実はこのフォトエッセイに登場する小池徹さんは、カメラの趣味を通じて知り合った、古くからの友人である。彼が独身の頃、東京から我が家に泊まりに来てくれたこともあった。大したおもてなしはできなかったが、ルーフバルコニーで一緒にご飯を食べたのを覚えている。

 カメラのイベントで私たちが東京に行くときは、必ずどこかで顔を合わせていた。東京にある松屋というデパートでカメラ市が開催される際には、カメラ市の会場を見て回って歩き疲れると、必ず会場近くの階段に座って休んだ。その階段のことを、小池さんは「四谷怪談」をもじって「松屋階段」と命名した。小池さんを含む、キヤノンデミというハーフサイズカメラの魅力に取りつかれた人たちの間で、「デニーズ」をもじって「デミーズ」という団体を結成したこともあった。どういうわけか私が「デミーズ」の会長で、小池さんが副会長だったような・・・・・・。

 そんな小池さんが、奥さんであるRINOちゃんと運命的な出会いを果たして結婚されたときは、本当にうれしかった。というのも、東京に出掛けて行く度に、小池さん、そしてガンモと私の三人で会うことに、どこかぎこちなさを感じ始めていたからである。小池さんとRINOちゃんは、私たちと同じように、出会って二カ月で電撃結婚して、結婚式も挙げていないというところまで同じだ。小池さんが結婚してからも、東京で行われる何らかのイベントで顔を合わせたりしていた。仲睦まじいお二人の姿を見るのは微笑ましいと感じていた。小池さんたちご夫婦の東京のご新居に、ガンモと二人でお邪魔したこともあった。

 とは言え、小池さんが結婚してからは、顔を合わせる回数も次第に減って行った。最後に会ったのは、もう十年くらい前かもしれない。フォトエッセイにもあるように、小池さんたちご夫婦は東京から島根へと移住された。たまたま私たちが彼らの住む島根の温泉旅館に出掛けたことがあって、お二人に、私たちが宿泊している温泉旅館まで来てもらったのだ。ホテルの人に、「部屋で面会してもいいですよ」と許可をいただいたので、ホテルの部屋で、四人で他愛のないおしゃべりをした。そのとき、小池さんに入れてもらったお茶がものすごくおいしかったのが印象的だった。

 実は去年のお正月に、車中泊で島根にも出掛けたのだが、さすがにお正月だったので、連絡はしなかった。きっとまた、もっといいタイミングに再会できると信じていたからだ。

 しかし去年の春頃、彼の奥さんであるRINOちゃんが、小池さんが事故に遭い、意識不明になったことをSNSで発信された。SNSが苦手な私は最新の情報に追い付くことができず、最初のうちは何が起こっていたのか理解できていなかったが、やがて状況を掴むことができた。私たちは、小池さんの意識が戻ってくれることを切に切に願った。あれほど温厚で敵を作らない人が、このようなむごい仕打ちを受けることが信じられなかった。何故、これほど仲の良いご夫婦に、このような悲劇が襲いかかってしまうのかとひたすら考えたが、答えは出なかった。小池さんの事故を知ってしばらく経った頃、控えめに書いた記事がこれだ。

ガンモの散歩(その後)

昨日、ガンモと一緒に大阪にある万博記念公園に足を運び、岡本太郎さんが制作された「太陽の塔」の中を見学しました。これまで、「太陽の塔」の外見しか知らなかった私たちでしたが、中に入ってみて、とにかく驚きました。中には何と、アメーバから始まって、生命が次第に進化して行く過程とともに、過去から未来へと伸びて行く「生命の樹」という名の素晴らしい芸術作品が隠されていたのです。見学して受け取った「生命の樹」のエネルギーが、このエネルギーを必要としている人たちに届きますように。

 手元に届いたフォトエッセイを読んで、お二人が結婚前に大阪でデートをして、「太陽の塔」に足を運んでいたことを知って驚いた。

 小池さんご夫婦のために私も何かしたいが、一体何ができるのかといろいろ考えていた。RINOちゃんはSNSで発信されており、多数のフォロワーがいらっしゃるようだ。そんな状況の中、私の個人的な想いをSNS上にコメントするのは、どうしてもはばかられた。誰よりも重たいコメントを書いてしまいそうな予感がしていたのと、そんな重たい私のコメントを読んだRINOちゃんが、私に返信しなければならないというプレッシャーを感じてしまうのではないかという想いもあったからだ。

 やがて、RINOちゃんがSNSで発信していたお二人の写真が出版社の方の目に留まり、今回のような形で小池さんとRINOちゃんのフォトエッセイが完成した。そこで、私もこうしてブログを書いているのだから、フォトエッセイについて記事にさせてもらえば、私なりに彼らを応援することができるのではないかと考えた。何よりも、自分のページなので、気兼ねなく自分の想いを綴ることができる。フォトエッセイが発売されて、本名まで公開されているのだから、もう何の気兼ねもいらないはずだ。そう思って、今回の記事を書いてみた。

 人の本当の想いは写真に現れるのだなと思った。小池さんが撮った写真の中で、RINOちゃんの笑顔がはちきれんばかりの状態になっているのがたまらなくいい。それと同時に、その写真を撮った小池さんの意識が、今でも戻らない状況であるのがとてつもなく悲しい。喜びと悲しみが同時に詰まっているフォトエッセイなのである。とにかく、とても素敵なフォトエッセイなので、少しでも興味を持っていただけたら幸いである。

 私は、医師から意識が戻らないという診断を受けていたとしても、少なくとも小池さんの耳は聞こえている状態であると信じたい。だから、RINOちゃんが根気強く小池さんに語り掛けてくれていることで、時々わずかな反応があるのではないか。そしてゆくゆくは、何らかの形で小池さんとRINOちゃんの間で意思疎通ができるようになる日が来るのを願ってやまない。


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 6月1日(日)まで、東京・四谷にあるギャラリー・ニエプスというところで出版記念写真展が開催されています。RINOちゃんもギャラリーにいらっしゃるようです。お出掛けのついでにでも、訪問してみてくださいませ。会場に展示されているモノクロ写真は、有志の方が丁寧に焼きつけてくださったそうです。頭が下がります。

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2025.05.18

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(2)

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まだ五月だというのに初夏を通り越した暑さですね。今、これを書いているテントの中は32度まで上昇しています。遮光性を持つタープを張り、テントの入口も窓も開けて通気性も良くして、扇風機も回しています。もちろん、既に半袖を着て生活しています。ふと考えてみたのですが、私が中学生/高校生の頃は、六月の始めと十月の始めに制服の衣替えがありました。すなわち、半袖は六月から、長袖に戻るのは十月からだったわけです。しかし、今や私たちが半袖の服を着る時期は、五月から十月までに拡張されているのではないでしょうか。一年の半分を半袖で過ごすことになろうとは・・・・・・。どうか皆さんも、熱中症にはくれぐれもご注意くださいね。それでは、GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の続きをお伝えしたいと思います。


 GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)の記事では、津波にフォーカスを当ててお伝えした。しかし、東日本大震災の被害で忘れてはいけないのが、福島第一原子力発電所の事故である。大地震が発生したときに、原子炉は自動停止したものの、発電所で停電が発生したことにより、原子炉を冷やすための注水ができなくなり、その後、水素爆発が起こり、放射性物質が外部に流出する事故に繋がった。東京電力は、現在も、それらの原子炉を廃炉にするための作業と除染などの作業に取り組んでいるが、これらの作業が完全に終了するのは数十年かかると言われている。東京電力は、2051年(東日本大震災の発生から40年後)までに廃炉を完了させたいようだが、作業に遅れが出ているようだ。

 私たちは、福島県双葉郡にある東京電力廃炉資料館を見学した。ここでは、水素爆発の事故が発生してしまった経緯や、廃炉への取り組みについての資料が展示されていた。

 私たちがここを訪れた感想を率直に書かせていただくとするならば、汚染水が充分に薄められて海に流されていることは納得できた。しかし、福島の一部の地域では高濃度の放射性物質が放出されていることが確認されており、そのために、今なお帰宅困難区域とされており、そこには住めない状況になっているが、それら地域への具体的な対応についての説明が不足しているようにも思えた。

 帰宅困難区域の周辺には放射線のレベルを測定するガイガーカウンターの値が表示されており、値を確認してみたところ、実際に高い値を示していた。実は私たちは、東日本大震災が発生する以前からガイガーカウンターを所持していた。というのも、私たちの共通の趣味は古いカメラを集めることなのだが、一部の古いカメラのレンズにおいて、ガイガーカウンターが非常に高い値を示すものがあると聞いたことがあるからだ。そこで、福島の一部の地域でガイガーカウンターによる放射線のレベルが表示されているのであれば、私たちも手持ちのガイガーカウンターを持参して確認してみることにしたのだ。

Fukushimaplant
東電福島第一原発事故 日本の原子力政策のサイトより画像拝借

 その結果、上記サイトに示されている値とほとんど変わりない値が、窓を開けて走行ずる車の中に設置したガイガーカウンターにも表示された。このことはすなわち、放射線が既に周辺の空気の中に溶け込んでしまっているということなのだろうか。反対に、帰宅困難区域以外の場所で計測した値は、私たちが住んでいる関西地域とほぼ変わらない値だったので、その点においては安心できるのではないかと思う。ただ、帰宅困難区域に住んでいた方たちは本当に気の毒だと思う。誰しも、自分自身の状況に置き換えて考えてみると、悲しくてたまらなくなるはずだ。

 さて、東京電力廃炉資料館を見学した私は、何だかもやもやしていた。処理水の安全性のみに焦点が当てられているように感じたからかもしれない。そうではなく、そもそも日本に原子力発電所は本当に必要なのだろうか? Camblyのレッスンで話題にしてみた。

 日本の22倍くらいの広さの国に住んでいるイギリス人講師に、「そちらの国では原子力発電に頼っているか?」と質問してみたところ、「原子力発電は使用していない」という答えが返って来た。日本よりもずっと広い国なのに原子力のエネルギーに依存しなくてもやっていけるということに、私は驚きを隠せなかった。ただ、その国は、日本よりもエネルギーを作り出す資源が豊富で、主に水力発電や風力発電に頼っているということだった。

 別のイギリス人講師は、福島第一原子力発電所の事故のことを良く把握されていて、
「津波が発生しやすい状況にあるなら、原子力発電所を海沿いに作るのではなく、山の上に作ったらいいんじゃないかしら」
と言った。しかし私は、「万が一のときに原子炉を冷やす必要があることと、処理水を捨てる必要があることから、海に近いほうがよいのではないか」と答えた。これが正しいかどうかはわからないが、山に作った場合でも、万が一事故が発生した場合に人間の飲み水に大きな影響を与えてしまう可能性も高いと考えられる。むしろ、水が山の高いところから低いところへと流れて行く過程で、海に近いところにあるよりも山の上にあるほうが被害は広がってしまうかもしれない。ちなみに、イギリスでも原子力発電に頼っているそうだ。

 私は、「原子力に取って代わる、より安全なエネルギーを見つける時期が来ているのではないかと思う。日本では30年以内に大地震が発生すると言われているので、そのときに原子力発電所が再び大きなダメージを受けるのは容易に予測できる」と言った。「しかも、日本は原子力爆弾による唯一の被爆国であるというのに」と付け加えた。

 そうは言うものの、私自身も普段から、脱・原子力発電に向けての活動が充分にできているわけではない。車中泊のときと自宅でソーラーパネルから取り込んだ電気を蓄電して活用しているくらいだ。蓄電の技術がもっともっと進めば、例えば、夏の暑さを冬の暖房に活用できたりするのではないか。またはその逆も・・・・・・。更には小電力で動作する電子機器の開発も必要だ・・・・・・。そんなことを妄想しているくらいだ。

 考えてみれば、福島第一原子力発電所の事故のほかにも、原子力発電については課題が山積みであるようにも思う。さきほど書いた30年以内に発生すると言われている南海トラフ大地震への備えもさることながら、使用済み核燃料の廃棄方法についても考えなければならないのではないだろうか。

 実は以前、映画『100,000年後の安全』という映画を映画館で鑑賞したことがある。映画の内容は、フィンランドにおいて、使用済み核燃料の廃棄に頭を悩ませているというものだった。フィンランドでは、使用済み核燃料を地下500メートルのところに埋めて廃棄しているが、使用済み核燃料が人類にとって無害の状態になるには十万年かかると言われており、その間に氷河期も発生し、おそらく言語も変わってしまうので、未来人たちにこれが非常に危険なものであることをどのように知らせるかで頭を悩ませているのである。

 原子力発電に頼っている国に住む人たちは、使用済み核燃料が無害になるまでの時間を認識しているのだろうか。ただ、中には十万年もかからないと力説する人もいる。

【アゴラVlog】プルトニウムに「10万年後の安全」は必要か
(再生速度:1.75で視聴可能)

 映画『100,000年後の安全』の映画で懸念されていることと、上記の動画で語られていることとどちらが本当なのかは素人の私にはわからない。ちなみに、映画『100,000年後の安全』をYouTubeで検索してみると、日本語の吹き替え版を投稿している方がいらっしゃる。これは違法なのかもしれないので、リンクは貼らないでおく。

 それはさておき、日本においても、使用済み核燃料を廃棄する場所に関して、課題が残されているようである。以下のドキュメンタリー動画には、使用済み核燃料の廃棄場所として、地元を提供しようとする町長と、そこに住む住民たちの戦いが記録されている。

「ネアンデルタール人は核の夢を見るか~“核のごみ”と科学と民主主義~」2021年11月20日放送 芸術祭賞やギャラクシー賞、JCJ賞などを受賞したドキュメンタリー!
(再生速度:1.75で視聴可能)

 このドキュメンタリー動画を見て、やはり原子力発電に関連するものは、多額のお金が絡んでいるという印象を受けた。すなわち、原子力発電に力を貸す自治体は、見返りとして多額の報酬を受け取ることができるということだ。多額の報酬を受け取ることで町が豊かになると考える人たちもいれば、町の安全が確実に保証されるのかどうかについて疑問を持つ人たちもいるため、許容できないと主張する人たちもいる。そして、原子力発電を無理に推進しようとしている人たちに共通して言えることは、「どこか冷たい印象を持っている」ということだった。自分のことしか考えていない人たちが多いのではないかという印象だ。

 これらのことから想像するに、おそらくだが福島県もまた、東京電力の原子力発電の建設にあたり、多額の報酬を受け取っていたはずだが、東日本大震災で想定外のことが起きてしまった。東京電力は、その後始末に必死で取り組んでいるが、2051年までに完了する見込みは立っていないと思われる。また、使用済み核燃料の処理の問題も残っている。これらの問題を、今後どのように解決して行くのか。おそらくこれは、東京電力だけの問題では済まされないだろう。原子力発電のメリットだけで新技術に飛びついてしまった感がぬぐえなくもない。デメリットについても充分考察すべきだったのではないか。

 東京電力には引き続き、福島の帰宅困難区域の除染を進めていただくとして、各電力会社で力を合わせて、原子力発電に代わるエネルギーの開発と蓄電への取り組みも進めて欲しいと思う。どうにもこうにも私は専門家ではないので、ここまでの提案しか書けないのが残念だ。とにかく一日も早く、福島の帰宅困難区域の除染が完了して、かつてそこに住んでいた方たちが安心して戻れるようになることを願ってやまない。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 原子力発電の活用に関しては、このまま前に進んで行くことも元に戻すことも困難な状況であるようにも思えます。「トイレのないマンション(使用済核燃料を捨てる場所がないことを意味している)」とは良く言ったものですね・・・・・・。

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2025.05.07

GWの東北旅行~車中泊と民宿に宿泊の旅(1)

東京で目の当たりにしたオーバーツーリズムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m GWの最終日となりました。GW後半は、お天気が崩れてしまいましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか。私たちは4月25日(金)の夜から東北地方に向けて車を走らせ、車中泊と民宿への宿泊で合わせて11泊の旅を楽しんで、少し前に無事に帰宅したところです。GW後半は四連休ということもあり、道路も混雑していました。幸い、高速道路を利用したのは行きだけで、帰りは一般道を走って帰りましたので、目立った混雑はなく、予定通りの時間に帰宅することができました。今回の旅でもいろいろな気付きがありましたので、数回に分けて、皆さんにシェアさせていただきたいと思います。


 今回の旅で訪れた最北端の街は、山形県の酒田市だった。そこから折り返して、帰りは日本海側を走って帰宅した。GWの東北は、やはり寒かった。山には雪が積もっており、山形の鶴岡辺りの道路沿いには、まだ雪がたくさん残っていた。

 東日本大震災のあと、私たちは被災地を訪問するのをしばらく控えていたように思う。それでも、飛行機や新幹線を利用して、被害の大きかったところを避けながら、一部の地域を旅行したことはあった。今回は車での移動となったので、東日本大震災に関連する様々な施設を回ることができた。その一つが、宮城県石巻市にあるみやぎ東日本大震災津波伝承館である。ここでは、東日本大震災で発生した大津波に関する記録と、津波が発生したときにどのようにして身を守るかについての重要なメッセージが映像やパネルを使って展示されている。

 東日本大震災は、マグニチュード9.0という世界規模でも四番目に大きな大地震だった。大地震が発生したことにより、宮城県には8メートルを超える津波が押し寄せ、その大津波により多くの人たちが命を落とすことになってしまった。特に、宮城県や岩手県周辺で見られるリアス(式)海岸というギザギザの形をした海岸は、ギザギザのない海岸に比べて、より高い津波が発生しやすい状況にあったようだ。(私はこの理由を、短時間で波が跳ね返って来る構造になっているためであると理解した)

 みやぎ東日本大震災津波伝承館に展示されていたビデオの中に、大津波から逃げて助かった人たちからのメッセージが収録されていた。それらを要約すると、
「津波が来たら、迷わず高いところへ逃げて、決して低いところには戻らないように」
ということのようだ。もし、南海トラフ地震に直面するようなことがあったら、このときのメッセージを思い出して行動しようと思う。

 ところで、私はGWの旅行中もCamblyのレッスンを受ける必要があった。レッスンをパスしてしまっても問題はないのだが、受けなかったレッスンを繰り越しすることができないので、海外旅行中であろうが、国内旅行中であろうが、私は必ず自分の決めた回数分のレッスンを受けるようにしている。東北を旅行しているときも、一度だけレッスンを受けた。そのとき、私は民宿に宿泊しており、浴衣姿でレッスンを受けたところ、イギリス人講師が浴衣姿の私を見て、いつもと雰囲気が違うと言った。そこで私は、仕事を11連休することができたので、14年前に発生した大地震と大津波の被害が大きかった地域まで旅行に来ているのだと言った。イギリス人講師には、何故、そこに足を運んだかの理由を尋ねられた。というのも、その講師は感受性が強いために、多くの人たちが亡くなった場所に足を運ぶと、平常心ではいられなくなってしまうらしい。去年の夏に、私がアウシュビッツ強制収容所を訪問したことを報告したときにも、何故、そこに行くことにしたのかと尋ねられ、自分はそういう場所は絶対ダメなのだと言われた。

 私は、アウシュビッツ強制収容所を訪問した理由として、悲惨な出来事があった場所を訪れることで、その場所を浄化したい気持ちがあったと答えた。しかし、実際には一度や二度の訪問では浄化できるものではないと感じていた。アウシュビッツ強制収容所が負の遺産として今でも遺されているのは、そこを訪れた人たちに、このような悲惨な歴史を二度と繰り返して欲しくないためらしい。

 それはさておき、私が東日本大震災の被災地を訪れたのは、やはりいつまでも避けていてはいけないと思っていたことが一番大きい。その場に足を運び、同じ日本人として、その痛みをきちんと感じ取りたかったのだ。

 津波にのまれてしまった地域は、震災遺構として公開されていたり、住宅以外の用途で活用されていたりした。悲しいことに、住宅地の中には、新しい家ばかりが立ち並んでいる地域もあった。すなわち、古い家はなくなってしまったということなのだろう。そこでは、私たちの想像をはるかに超える被害を受けていたことが予想できた。

 残念なことに、これらの複雑な想いを、イギリス人講師にうまく伝えることができなかった。そこで私は、日本では向こう30年以内に再び巨大地震が必ず起こると予想されているので、過去の大地震から学ぶべきことがあるのではないかという気持ちで訪れましたと答えた。実際には、それが東日本大震災の被災地を訪れたメインの理由ではなかったのだが・・・・・・。

 するとイギリス人講師には、自分なら、必ず大地震が起こる場所で暮らし続けるのは怖いので、そこを離れて別の場所で生活すると思う、必ず大地震が起こるとわかっている場所で暮らし続ける理由がわからないと言われてしまった。そのイギリス人講師は、既にイギリスを離れて別の国で暮らしている人なので、おそらく自国を離れて暮らすことには抵抗がないのだろう。英語を自由に操ることができれば、どこの国に行こうとも、ほとんど不自由することなく生活して行くことができるだろう。また、もともとイギリスには生命が脅かされるほどの自然災害がほとんど発生しないことも、自然災害が多い日本とは大きく異なるところだと思う。日本は自然災害が多いものの、日本語を理解してくれる国が日本しかないために、日本を離れて他の国で暮らそうと考える人はそれほど多くないのではないかと思う。もし、他国でも日本語が通じるのであれば、日本を離れて他国に移住しようとする人も少なからずいるかもしれない。ただ、それとは別に、田舎のほうに行けば行くほど、地域の人たちが人との繋がりを大切にして、個人的な考えだけでは行動しない傾向にあるようにも思う。別の言い方をすれば、地元愛が深いとも言える。

 おそらくだが、私自身はやがて南海トラフ大地震が来るとわかっていても、海外に脱出したりはせずに、日本に留まり続けることを選ぶに違いない。ひとまず、南海トラフ大地震はまだまだ先のこととして、その前に、私は東北の方たちが体験した激しい痛みを現地で感じ取り、追悼の意を捧げたかったのだ。


※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m みやぎ東日本大震災津波伝承館には、東日本大震災で行方不明になっている方たちを探すために、何度も何度も海に潜って探し続けたという方のコメントもありました。大地震の発生から14年経ってもなお、たくさんの方たちが行方不明の状態であると聞きました。今なお行方不明の方たちが、一日も早くご家族のもとに帰れることを願ってやみません。

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