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2024.12.03

宿泊費航空会社持ち(インシデント・オブ・ノーティス)でドーハのホテル滞在、そして帰国

ワルシャワ~地下鉄、ポーランド軍事博物館、関空便には乗れずの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 兵庫県知事が再選した背景について、またしても新たな疑惑が浮上して話題になっていますね。私自身はSNS嫌いなので、インスタグラムなどは開設していませんが、報道されているような内容ばかりを投稿する人をフォローしたくはないなあと感じました。それでは、夏休みの旅の最終話をお届けしたいと思います。


 ワルシャワ・ショパン空港を出発した私たちは、およそ5時間半のフライトで、カタールのドーハ・ハマド国際空港に到着した。ワルシャワ・ショパン空港の空港カウンターで案内されていた通り、飛行機を降りると、カタール航空のスタッフが次の行き先をが書かれた札を持って立っており、次の行先ごとに宿泊先のホテルの案内をしてくれた。私たちが関西国際空港行きの便に乗ることをスタッフに伝えると、私たちの名前が印刷された宿泊クーポンを手渡してくれた。

 カタールの入国審査は、これまで経験したことがないほど厳しかった。顔写真が取られ、指紋もスキャンされた上に、入国前にも荷物検査があった。

 到着ロビーに出てみると、今度はいろいろなホテルのスタッフが待機しており、私たちがどこのホテルに滞在するのかを確認してくれた。私たちが宿泊先のホテルの名前を告げると、「そのホテルならこちらで待っていてください」と案内してくれた。

 飛行機がドーハ・ハマド国際空港に着いたのは、確か朝の3時半頃だったと思う。そして、それから到着ロビーで2時間ほど待って、ようやくホテルに向かう送迎バスまで案内してもらえることになった。

 エアコンの効いた到着ロビーから一歩外に出た途端、猛烈な暑さに打ちのめされた。暑い! とにかく暑い! おまけに湿度も高い。その暑さは日本の比じゃなかった。あまりにも暑すぎるため、ドーハでの街歩きは無理だろうと思った。この当時、ドーハは連日、気温が42度くらいまで上昇していた。早朝とは言え、この日もそれくらいまで上昇していたのではないかと思う。

 ホテルの送迎バスは、思っていたよりも小さかった。果たして私たちは、この送迎バスに乗れるのだろうか。到着ロビーで2時間も待っていたのだから、誰しもこの送迎バスに乗りたいと思っていたことだろう。

 利用客が順番に送迎バスに乗り込んでいたが、既に満員のようでもあった。私たちはもう乗れないのかと諦めかけていたところ、一度乗った数人の人たちが送迎バスから降りて来た。そのため、私たちも送迎バスに乗れることになった。

 送迎バスが空港を出発して、およそ15分くらいで宿泊先のホテルに着いた。ホテルは四つ星ホテルだった。チェックインを済ませると、「お部屋をご用意している間に、お先に朝食をどうぞ」と言われた。実のところ、あまりお腹は空いていなかったのだが、せっかくなので朝食をいただくことにした。私たちが宿泊したホテルは、乗り継ぎ便の待ち合わせのために利用されているホテルのようで、チェックイン時間とチェックアウト時間が明確に決められているわけではなく、利用客が次に乗る飛行機の時間により、時間制で回しているように思えた。

 朝食はビュッフェ形式だったので、食べたいものを取り、飲みたいものを飲んだ。朝食を食べてフロントに戻ってみても、まだ部屋の用意ができていなかったので、私たちはフロント周辺でしばらく待つことになった。

 ようやく部屋の準備が整ったとのことで、フロントでカードキーを受け取って部屋に向かったのだが、指定された部屋の前でカードキーをかざしても、ロックが解除されなかった。フロントで渡された紙に書かれたルームナンバーを確認してみたところ、教えられた以外の部屋番号にも読み取れる状況だったので、その部屋の前に行き、カードキーをかざしてみたが、やはりロックは解除されなかった。

 そのためフロントに戻り、まずは部屋番号を確認したところ、部屋番号は合っていた。続いて、このカードキーでは開かなかったことを伝えたところ、フロントのスタッフがカードキーを確認してくれて、使えるようにしてくれた。どうやらカードキーに正しい部屋番号がセットされていなかったようだ。

 部屋の前まで戻り、カードキーをかざすと、ようやく部屋のドアのロックが解除されて中に入ることができた。さすが四つ星ホテルだけあって、部屋の中はとてもきれいだった。ひとまず、私たちのスーツケースはカタール航空に預けたままだったので、着の身着のままの私たちは、着ているものをいったん脱いでシャワーを浴び、洗面所で洗濯をした。

 ベッド脇の引き出しを開けてみると、コーランがあった。アラビア語で書かれているため、まったく読めなかった。アラビア語は右から左に向かって書かれているらしい。日本語も縦書きで表記することがあり、よく外国人から日本語は難しいと言われているが、アラビア語の難しさには負けている気がする。ちなみに、イスラム教徒の方たちは、コーランの全章を暗記するそうだ。

 そして私たちはベッドに横になり、四時間半ほど眠った。起きてから、ホテルの外に出てみたが、やはり暑かったので、すぐにホテルに舞い戻って部屋でくつろいだ。

 その後、お腹も空いて来たので、ルームサービスを注文することにした。しかし、ルームサービス専用の番号に電話をかけても誰も出てくれなかった。何度かけても同じ状況だったので、フロントまで出向き、スタッフに尋ねてみたところ、フロント近くのカフェで注文を受け付けてくれるとのことだった。そこで私はカフェに直接出向き、カフェのスタッフに注文内容を伝えて部屋に戻った。

 ところが、注文してから一時間経っても食事が運ばれて来なかったので、またしてもカフェに出向き、様子を見に行った。すると、カフェのスタッフがまさしく私たちが注文した料理をワゴンに載せて運ぼうとしていたところだったので、カフェのスタッフと一緒にエレベータに乗って部屋に戻った。

 どうやら私たちが注文した一部の商品が品切れだったらしく、代わりにアラビアのナンを用意してくれていたのだが、これがとてもおいしかった。他の料理も大満足だった。

 ホテルからドーハ・ハマド国際空港まで向かう送迎バスが出発するのは、21時50分頃だったと思う。それまでの間、自由時間だったので、部屋でのんびりと過ごした。ちなみに、洗濯していた服は、湿度が高いためか、部屋干ししてもあまりよく乾かなかった。そこで、アイロンをかけて何とか乾かしたのだった。

 私たちがカタール航空のスタッフから受け取った宿泊クーポンで、ホテルのレストランで晩御飯を食べてもまったく余裕の状態だったのだが、お昼ご飯を食べたのが遅かったこともあって、ホテルでは晩御飯を食べないままチェックアウトした。今、思えばちょっともったいなかったかなとも思う。

 そして私たちはホテルの送迎バスに乗り込み、再びドーハ・ハマド国際空港に到着した。ドーハ・ハマド国際空港はとてつもなく大きな空港だった。そのため、私たちは空港内をかなり歩くことになった。おそらく、私たちがこれまで訪れた国際空港の中で一番大きな空港だったかもしれない。

 飛行機の手前まで、バスで移動して、タラップを上がって飛行機に乗り込んだ。帰りの飛行機の中はとてつもなく寒かった。夏でもカーディガンや羽毛ジャケットは必要だと思った。幸い、私は羽毛のひざ掛けやカーディガン、羽毛のレッグウォーマー、首巻きなどを持っていたので何とか寒さをしのぐことができた。ガンモは寒さ対策の用意がなかったので、私が持っていたショールを渡した。棚の上に上げてしまったリュックの中に、羽毛のひざ掛けがもう一枚入っていたのだが、他の乗客の方に遠慮してしまい、取り出すことができなかった。ガンモは私が渡したショールで首を温めて何とか寒さをしのいでいたが、やはり寒かったようなので、意を決してリュックから、もう一枚の羽毛のひざ掛けを取り出すべきだったと後悔している。

 カタール航空の機内食はやはりがっつり系だった。飛行機が関西国際空港に着陸するまでに、二回の食事が配られた。そして、私たちの乗った飛行機は無事に関西国際空港に着陸し、12日間の夏休みの旅行を終えたのだった。

※今回も、私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い旅行記にお付き合いくださり、ありがとうございます。帰国した翌日から仕事をしましたが、やはり時差ボケの関係で昼間は眠かったです。(苦笑)

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