アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所見学 その1~現地ツアーに参加し、「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」を訪問する。
※旧・オスカー・シンドラーのホーロー工場跡と、海外では初めてのAirbnbの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ようやく涼しくなって来たなと思ったら、急に寒くなったり、今度は暑くなったりと、なかなか気温差が激しいこの頃ですね。先日の週末は衣替えをしました。ようやく夏物をしまえるかなと思ったのですが、まだ暑い日があるかもしれないので、夏服も少し残しています。しばらくは気温差に気を付けながら、やがて来るであろう、本格的な秋を迎えたいものですね。
クラクフで迎えた二日目の朝、私たちは出発の準備を整えて、前日のうちに下見をしておいたクラクフ中央駅前の集合場所へと向かった。この日は、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」を見学するために、現地ツアーに参加することになっていたのだ。
八時二十分に集合場所に出向き、しばらく待っていると、ツアーバスがやって来た。同じツアーに参加するであろう人たちも既に集まっていた。バスの入口で女性スタッフが点呼を取り始めたので、私たちも名前が呼ばれるのを待った。名前を呼ばれた人たちは次々とバスに乗り込んで行ったのだが、私たちの名前がなかなか呼ばれなかったので、少し不安になっていた。確か、前日の夕方に、ガンモのスマートフォンに集合時間が少し早まったと連絡があったので、おそらく大丈夫だとは思うのだが・・・・・・。そうこうしているうちに、バスを待っていた人たちが全員、バスに乗車してしまった。まさか、何か手違いでもあったのだろうかと不安になっていると、ようやく最後にガンモの名前が呼ばれた。私たちは安堵しながら、バスに乗り込んだ。
ツアーに参加していたのは、およそ40名ほどの欧米人だったと思う。アジア人は私たちだけだった。これまで聞いたことのない言語もあちらこちらから聞こえて来た。
バスが出発してからおよそ1時間半で、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の駐車場に到着した。「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」は複数の建物に分かれており、それぞれの建物を見学するには、バスで移動する必要がある。最初に私たちが到着したのは、「アウシュヴィッツ第一強制収容所」があるところで、ここの発券窓口で優先入場券を発行してもらい、まずはここからバスで10分ほどのところにある「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」を見学してから、再び「アウシュヴィッツ第一強制収容所」に戻って来るという見学コースだった。
優先入場券というのは、入場券を発行してもらう窓口に、ツアーガイドに同伴してもらい、パスポートを見せて入手できる入場券で、あらかじめオンラインなどを経由して、私たちが参加したようなツアー会社を通じて購入する必要がある。ツアーガイドを介さない場合、すなわち、個人で「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」を見学したい場合は、入場券を発行してもらうために、長蛇の列に並ばなければならない。前日に訪れた旧・オスカー・シンドラーのホーロー工場跡の博物館もそうだったが、ツアーガイドが同伴してくれることで入場が優先されるというシステムになっているのである。
ちなみに、最初に「アウシュヴィッツ第一強制収容所」を見学しないのは、16時を過ぎると「アウシュヴィッツ第一強制収容所」の見学が無料になるためらしい。そのため、最初に「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」を見学して、「アウシュヴィッツ第一強制収容所」の見学料が無料になる頃合いを見計らって、「アウシュヴィッツ第一強制収容所」に戻って見学するというツアーだったのである。ただ、ツアーガイドはどちらの強制収容所の中は同行せず、母国語で書かれたガイドブックが貸与されるだけだ。言い換えると、私たちが参加した現地ツアーは、バスでの送迎とバスの中での説明がついて、更に希望する人にだけランチが配布されるという、比較的自由なツアーだったのである。これで一人6000円なので、往復で合計3時間以上もバスに乗ることを考えると、ランチもついていてお得かもしれないと思う。
さて、バスが「アウシュヴィッツ第一強制収容所」に到着したあと、バスを降りたとき、あろうことか、私たちはツアーガイドからはぐれてしまった。ツアーガイドも含めて、ツアーに参加されている方たちがどこに消えてしまったのか、あまりにも人が多過ぎてわからない。はてさて、どうしたものか。同じバスに乗っていた人たちの顔も覚えていないし、現地ツアーなので、同じバッジを胸につけるようなこともしていない。ツアーガイドの顔さえあやふやだった。果たしてどのようにして合流すればいいのか。しかも、まだ優先入場券を受け取っていない状態だったので、このままでは何もできない。このまま見学できずに帰るなんて、洒落にもならない。見ると、チケットの発券窓口まで長蛇の列ができている。まさかこの長蛇の列の最後尾に並ばなければならないのだろうか? 私たちはあたふたしながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりした。幸い、同じようにはぐれた人たちがいたので、協力し合いながら、まずは長蛇の列に並ぼうとした。しかし、こんな長い列に並んでいたら、一体いつ入場できるかわからない。私たちと同じように、はぐれた人たちもぶつぶつ言っていた。あとでわかったことだが、私たちが並ぼうとしていた長蛇の列は、ツアーガイドを介入せずに、個人でやって来て入場しようとしている人たちだったらしい。優先入場券ではないので、長く待って入場券を購入することになってしまうようだ。
ツアーガイドを探してあたふたしているうちに、一緒にはぐれた人たちの数が少しずつ減って行った。それでも、一組のグループだけが残っていたので、心強かった。実は、ツアー会社に電話を掛けてみたのだが、「バスに戻って、チケットを受け取ってください」と言われてしまった。そこでバスに戻ってみると、運転手さんが電話で長話をしていた。運転手さんの電話が終わるのを待って、ツアーガイドとはぐれてしまったことを話したが、「わからない」と言われてしまった。そのことを、同じようにはぐれた一組のグループに話したところ、やはりツアー会社に電話をかけて同じことを言われたと言っていた。「バスでチケットを受け取る」と言っても、受け取ろうとしているチケットが優先入場券を意味しているのであれば、それはツアーガイドに同行してもらって、チケットの発券窓口で発券してもらうものであるはずなのだが・・・・・・。
そうこうしているうちに、はぐれたグループのお父さんがツアーガイドと電話で話すことに成功したようだ。おそらく、前日の夜に集合時間が変わったことを知らせてくれた電話番号から辿ったのではないかと思われる。ああ、私たちもそうすれば良かった。ありがたいことに、はぐれたグループのお父さんは、私たちも一緒にはぐれていることをツアーガイドに伝えてくれた。そのお父さんのおかげで、チケット発券窓口の近くで、めでたくツアーガイドと再会することができて、何とか優先入場券をゲットすることができたのだった。日本語で書かれたガイドブックも貸与してもらった。はぐれたグループの方たちには、感謝しても感謝し切れない。
「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」に移動するまで時間があったので、あちらこちらを散策したりしていた。しかし、優先入場券を持っていても、まだ「アウシュヴィッツ第一強制収容所」には入場できないので、実際のところ、時間を持て余してしまった。(実は、ゲットした優先入場券を使って「アウシュヴィッツ第一強制収容所」に入場しようとしたのだが、「このチケットは16時15分から有効です」とスタッフに言われてしまい、入場できなかった。)
早めにバスに戻り、バスの出発を待った。私たちはランチを注文していたので何も食べなかったのだが、一部の人たちは腹ごしらえをしていたようだ。そうこうしているうちに、バスが出発した。ただ、バスは「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」には直行せずに、地元の追憶博物館に私たちを連れて行ってくれた。そこは小さな博物館で、外に公園のようなものがあったので、博物館を見学したあと、散策してみた。
小さな博物館に立ち寄ったあとは、ユダヤ人の方たちが運ばれたという貨車が置かれている場所に向かった。本来ならば、貨車は「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」の線路の中にあるらしいのだが、その貨車がちょうど改装中だったため、他の貨車を展示しているところに案内してくれたようだ。もともと家畜用の貨車には窓がなく、トイレの代わりに隅っこにバケツが置かれているだけだったそうだ。ヨーロッパのあちらこちらから集められたユダヤ人の方たちは、一つの貨車に80人から100人も詰め込まれ、二週間ほども旅をして、ここにたどり着いたという。過酷な状況の中で、ここに着くまでに命を落としてしまう人も多かったとか・・・・・・。私たちは展示されている貨車を近くで見るためにバスを降りた。見ているだけでも痛ましい乗り物だった。
貨車を見学しているときに、誰かが注文したランチのことをツアーガイドに話し、ツアーガイドから注文したランチを受け取っていたので、私たちもそれに便乗した。実のところ、私たちはずっとお腹が空いていたのだが、誰も言い出さないので我慢していたのだった。驚いたのは、私たちが注文していたそのランチが、無造作にバスの冷蔵機能のない荷物室に入れられていたことだった。日本で同じことをしたら、きっと食べられなかったことだろう。ヨーロッパも日本よりは涼しいとは言え、おそらくこの日も最高気温は32度くらいだったと思う。そして、その後、ランチタイムが設けられたとように思う。バスがどこかお店の近くに停車し、トイレに行く人たちや食料を調達する人たちが降りて行った。
そして私たちは、いよいよ「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」へと向かった。映画などでこれまで何度も目にして来た「死の門」を目の前にしたとき、私はここで亡くなられたユダヤ人の方たちが気の毒で仕方がないという気持ちがこみあげて来た。それは嗚咽にも似た感情で、私は「死の門」を目の前にして、泣きながら動画を撮影していた。世界中から多くの人たちが訪れることで、やがてこの場所が浄化されて行くことを心から願いながら・・・・・・。
私も「死の門」をくぐり、「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」の中へと入った。敷地内はとても広く、「こんなのどかな場所であのような恐ろしいことが行われていたなんて信じたくない」と思えるくらい、静かな場所だった。しかし、ここで多くのユダヤ人の方たちが命を落としているという黒い歴史は変えられないのだ。
まるであぜ道でも歩くかのように、私たちは「アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ」の敷地内を歩いた。ここは、建物の中を見学するというよりは、歩いて見て回ることの多い場所だった。バスでの集合時間まで一時間あったので、私たちは歩けるだけ歩いたのだった。
※今回も、私が撮影した動画をご紹介させていただきます。よろしければご覧ください。
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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「死の門」を目の前にしたときにこみあげて来た感情は忘れません。ここに何度足を運んだら、ここが完全に浄化されるのだろうと考えていました。ただただ心の中で祈りを捧げながら歩いていました。
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