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2024年9月

2024.09.30

旧・オスカー・シンドラーのホーロー工場跡と、海外では初めてのAirbnb

トイレ/シャワー付き寝台列車に乗って、チェコからポーランドまで大移動の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先日の大雨の影響で、元旦に大地震が発生した石川県で複数の方が亡くなられたと聞きました。あれほどの大地震に加えて、今度は大雨による被害とは・・・・・・。言葉がありません。亡くなられた方たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。ようやく涼しくなって来たところですが、現在も二つの台風が発生していますね。あれだけ暑い夏だったのですから、台風シーズンが終わるまで、まだ時間がかかりそうです。引き続き警戒して行きたいですね。


 私たちは、チェコのプラハから寝台列車に乗って、ポーランドのクラクフに到着した。クラクフには二泊する予定で、宿泊先として、クラクフ中央駅近くのAirbnbを予約していた。部屋を使用できるようになるまでまだ時間があったので、私たちはスーツケースを駅の手荷物預かり所に預けて身軽になった。

 私たちはまず、宿泊するAirbnbの場所を確認することにした。こちらは、駅から近いのですぐにわかった。続いて、翌日参加することになっている現地ツアーの集合場所も確認しておいた。

 その後、クラクフ中央駅周辺をぶらぶらと歩いてみた。お昼頃になり、お腹が空いて来たので、プラハでも行ったミルクバー(共産主義時代からの労働者向けの安価な食堂)を探して行ってみた。しかし、既に多くの利用客でいっぱいで、しばらく待たなければ利用できない状態だった。そこで、駅ビルの中にあるケンタッキー・フライド・チキンに足を運び、セルフオーダー端末を操作して商品を注文した。

 ケンタッキー・フライド・チキンでは、注文が通ると、カウンターの上方にある大きなディスプレイの受付番号表示用の窓に受付番号が表示された。そして、注文した商品が出来上がると、今度は出来上がったことを知らせるための窓に受付番号が表示された。私は、出来上がったことを知らせる窓に私たちの受付番号が表示されたのを確認して、カウンターまで商品を取りに行った。有難いことに、飲み物はお代わり自由だった。残念ながら、普段からケンタッキー・フライド・チキンをほとんど食べていないため、日本の同一商品との食べ比べはできなかった。

 こうして腹ごしらえをしたあと、私たちは路面電車に乗って、シンドラーの工場跡を利用した博物館に向かった。チェコのプラハの路面電車や地下鉄もそうだったが、ポーランドのクラクフの路面電車もまた、時間制のチケットだった。すなわち、開始時に打刻して、そこからカウントダウンが始まり、購入した時間内に下車すればOKというシステムになっているのである。シンドラーの工場跡の博物館までどのくらいかかるか良くわからなかったので、私たちは60分乗車可能な切符を購入して路面電車に乗り込んだのだが、路面電車内の案内を見てみると、博物館のある最寄り駅まで15分で着くことがわかった。ということは、20分乗車可能な切符でも利用可能だったようだが、途中で電車が遅れることも有り得るので、60分利用可能な切符のほうが安心して利用できたと思う。

 さて、路面電車を下車した駅から十分弱歩いたところに、シンドラーの工場跡を利用した博物館があった。既に入場待ちの長蛇の列ができていたが、せっかく来たので最後尾に並んで入場待ちをした。ガイド付きの入場券もあるらしく、そちらのほうが入場を優先されているようだった。私たちはガイドなしのまま利用したかったので、根気強く列に並び続けた。ただ、この日は日差しがとても強く、外に並び続けるのはかなりきつい状態だったが、根気強く一時間以上も並んで、ようやく入場することができた。

 博物館の中はエアコンが効いていて涼しかった。館内ではガイドが引率するグループがいくつも見受けられた。先ほどまで入場待ちをしていた博物館の外だけでなく、博物館の中にもたくさんの人たちがいたことになる。ガイド付きの切符を購入した方たちは、ガイドの説明に耳を傾けるために、しばらく通路に立ち止まることになる。そのため、私たちは立ち止まっている人たちの間を通って移動することが憚られた。とは言え、自分たちの見学ペースも守りたいため、できるだけ立っている人たちの邪魔にならないように移動した。

 博物館内は、ユダヤの人々の暮らしや、ナチスの資料や映像、シンドラーの工場で製造されていたホーロー製品など、展示が盛りだくさんだった。どういう意図なのかわからないが、ヒトラーのパペット人形まで展示されていた。

 私たちは、博物館をあとにして、元来た道を戻った。手荷物預かり所に預けていたスーツケースを受け取り、コンビニで夕食を買って、予約していたAirbnbにチェックインした。Airbnbでは、鍵を置いてあるボックスの暗証番号をホストから教わり、教えてもらった暗証番号を使って鍵を取り出す。その鍵を使って借りた部屋に入室するわけなのだが、ヨーロッパのAirbnbの鍵はちょっと癖がある。どういうことかというと、鍵を鍵穴に挿した状態で二回ほど回す必要があったりするのだ。更に、部屋の中から鍵をかけるときも、外から開けた鍵を使って鍵をかける。日本では、外から開けた鍵を使って鍵を開けて中に入ったあと、部屋の中から鍵をかけるときは、たいていドアに付属の回転式のロックをスライドさせて鍵をかけると思う。ヨーロッパのテレビドラマや映画などで、外から開けた鍵を使って、部屋の中から鍵をかけているシーンを何度か目にしたことがあったのだが、実際に使ってみると不思議な感じだった。ガンモはすぐにこの鍵のシステムに慣れたようだが、私はやや不安だった。聞くところによると、こうしたタイプの鍵は、日本人と中国人には難しく、ホストへの問い合わせも多くなっているのだそうだ。

 Airbnbは、過去に日本で一度だけ利用したことがあった。そのため、私たちは今回で二回目の利用となる。私たちが利用したクラクフのAirbnbの部屋はこじんまりしていたものの、必要なものはすべてそろっていた。有難かったのは、洗濯機だ。三泊したプラハのホテルには、コインランドリーがなかったので、浴室で服を手洗いして部屋に干していた。手洗いするのは簡単だが、洗剤が落ちるまですすいだあと、手で絞るのはなかなか骨の折れる仕事だった。

 実は、Airbnbに設置されていたのと同じようなタイプの洗濯機を、以前、ロンドンで利用したStudio Flatで使おうとしたことがある。そのときは、洗濯機を使うために設定することがあまりにも多すぎて使い方がさっぱりわからず、イギリス人の男性に助けてもらった。Camblyのレッスンのときに、ヨーロッパの洗濯機は使うのが難しいので不安だという話をしたところ、「設定は変えずに、そのままにしておけばいいのよ」とアドバイスをもらった。また、ヨーロッパ式の洗濯機は、洗濯完了まで4時間かかるという。「本当に4時間かかるのですか?」とCamblyの講師に確認してみたところ、「確かにだいたい4時間かかるけど、1時間で終わらせる設定もできるわよ」と教えてもらった。また、洗剤や柔軟剤を入れる場所が三カ所ほどあり、どこに何を入れたらいいのか、ロンドンではさっぱりわからなかったのだが、今回は事前にYouTubeの動画を見て、洗剤は一番左に入れればいいということを確認しておいたのだった。

 更に、Camblyの講師に聞いてみて初めてわかったことだが、日本で一般的に使われている据え置き型の縦型の洗濯機は、アメリカ式の洗濯機だったのだそうだ。ヨーロッパで普及しているドラム式の洗濯機とは使い方がまったく異なるのである。(最近は、日本でもドラム式の洗濯機が増えて来ているのかもしれないが・・・・・・。)というわけで、「1時間で洗濯が完了するように設定する」、「洗剤は一番左に入れる」を守ってスタートボタンを押して、無事に洗濯が完了したのである。

 ところで、Airbnbで用意されていた室内干し用の物干しがとても素敵だった。これがあれば洗濯が楽しくなることは間違いなしだった。私たちはこの室内干し用の物干しに影響されて、日本でも同じようなものを入手できないか、あちらこちらで探し回ったのだが、結局似たようなものさえ見つけることはできなかった。とても残念だが、私たちの場合は洗濯物をルーフバルコニーに干すので、まあ良いかと思っている。

 コンビニで買った夕飯は、Airbnbでのリラックスした時間を私たちに与えてくれた。私たちはもうかつてのように若くはないので、暑い中、精力的に歩き回るとかなり疲れてしまう。その状態で外食するのは更なるエネルギーを必要とするので、夕食の多くはコンビニで購入したサンドイッチで済ませることになった。ちなみに、ポーランドの餃子「ピエロギ」をコンビニで買って試してみたのだが、予想していた味とは違っていたのだった。

今回も、私が撮影した動画を貼り付けておきます。よろしければ御覧くださいませ。

※このブログへのコメントは、ガンまる日記掲示板で承ります。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 動画では、シンドラーの工場跡の博物館で入場待ちをしているときに、あまり暑さを感じないかもしれませんね。しかし、この日は暑かったですね。よく頑張って一時間以上も待ったものだと思いました。

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2024.09.22

トイレ/シャワー付き寝台列車に乗って、チェコからポーランドまで大移動

チェコで過ごす最終日/朝食、地下鉄、共産主義博物館、トラムの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先週に引き続き、今回も三連休ですね。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は、ガンモと愛媛の実家に帰省しています。元旦に大地震に見舞われた石川県の能登地方が、今度は大雨に見舞われてしまっているようですね。既に犠牲者が出ているとの報道がありますが、どうかこれ以上、新たな犠牲者の数が増えないことを祈るばかりです。行方不明になっている方たちの無事が確認されることを祈っています。これからは、命を守る行動とはどのようなものなのか、普段から意識しながら生きて行く必要がありそうです。誰もが最悪の事態を想定し、自分たちや家族の身を守る行動をして行かなければならないですね。


 チェコで過ごす最終日の夜、私たちはプラハ本駅構内の手荷物預かり所に預けていたスーツケースを受け取り、チェコ国鉄のラウンジへと向かった。これから私たちは、寝台列車に乗ってポーランドへと向かうのである。寝台列車で二等席を利用するため、ラウンジを利用できるというわけだ。ラウンジの入口で寝台列車の切符を提示して、空いている席に座った。カプチーノを飲みながら、しばらくゆっくりしたあと、寝台列車が発車するプラットフォームが決まったので、ラウンジを出て、プラットフォームへと向かった。

 寝台列車の発車時刻は22時過ぎとなっていたため、おそらく私たちがプラットフォームに向かったのは22時前だったと思う。それにもかかわらず、プラットフォームに向かう通路はたくさんの利用客でいっぱいだった。

 ガンモは、寝台列車を牽引する機関車を撮影するとかで、寝台列車の先頭車両まで行き、写真を撮っていた。機関車の写真を撮ったあとは、自分たちが乗車する車両まで移動し、切符を見せて乗車した。チェコ国鉄はアプリからチケットを購入することができるようになっていたので、これまで乗車したチェコ国鉄の切符は、すべてアプリから購入していたのだが、寝台列車の場合は、スタッフに紙の切符を見せなければならないらしい、ということがわかったため、ガンモは日本人の代理エージェントに頼んでチケットを購入してもらい、送ってもらったようだ。

 寝台列車には、車両ごとに専属のスタッフがいる。私たちの車両の世話をしてくださるスタッフは女性だった。その女性が、翌朝の朝食も部屋に運んでくれた。

 私たちが利用する部屋には、二段ベッドとトイレ/シャワーが完備されていた。寝台列車に乗るときは、毎回、ガンモが下段に寝て、高所恐怖症の私が上段に寝ることになっている。下段のほうが、いろいろな写真が撮れるので、鉄道愛が強いガンモ向けになるのだ。

 寝台列車は22時過ぎにプラハ本駅を出発すると、翌朝6時過ぎに私たちが下車するポーランドのクラクフに到着する。クラクフが終点ではないため、私たちは下車する時間までに荷物をまとめて降りる準備をしておかなければならない。寝る前にシャワーを浴びて、それからぐっすり寝て、翌朝配達される朝食を受け取って、クラクフに着くまでに朝食を食べ終えて下車の準備をするとなると、やや忙しくなりそうで少し心配になったが、列車が30分ほど遅れていたために、気持ちには少し余裕ができた。

 身体を洗うためのシャワーは、手洗い用のシンクを横にずらすことで利用することができた。やはり少し狭い気はしたものの、暑い夏の旅行中にシャワーを浴びられるのはありがたいことだと思った。

 驚いたことに、ガンモも私も、これまで利用した寝台列車の中で一番深く眠ることができた。ガンモ曰く、揺れが少なかったからだという。日本の寝台列車は、一度停車したあと、次に発車するときの揺れがひどいのだが、今回私たちが利用した寝台列車ではそのようなことはなかった。ガンモは、寝台列車を牽引する機関車の馬力が強いから、日本の寝台列車よりも揺れなかったのではないか、と分析していた。

 朝食が届いたので、一つ一つ味わいながらいただいた。ボリュームはかなりあったと思う。朝食後、私は下段のベッドに降りて、ガンモと一緒に走り続ける列車の車窓を眺めた。ガンモ曰く、ポーランドで寝台列車を牽引する機関車の付け替えが行われたらしい。そのため、ポーランドのクラクフに着いたら、またまた先頭の機関車を撮影したいとのことだった。

 寝台列車に乗って旅をする際に、日本では、寝ている間に別の国に着くことはあり得ないため、目が覚めたときに別の国まで移動しているというのは、とても不思議な感覚だった。移動するときに入国審査が要らないのも、ヨーロッパ旅行の醍醐味である。

 さて、私たちが乗った寝台列車がポーランドのクラクフに到着した。私たちは一晩過ごした部屋に別れを告げて、寝台列車を降りた。ガンモは私に自分の荷物を預けると、直ちにポーランドから寝台列車の先頭に連結されたという新しい機関車の撮影に行ったが、あろうことか、先頭とは反対の最後尾に向かってしまい、ポーランドの機関車の写真を撮ることができなかった。それでも、寝台列車で国境を超える大移動は、鉄道好きの私たちにとって、大満足の旅となったのだった。

今回も、私が撮影した動画を貼り付けておきます。よろしければご覧くださいませ。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 早いもので、帰国してから、一ケ月が経過しました。こうして日本でも、ようやく秋の気配が感じられるようになりましたね。秋が短くなってしまった分、思い切り楽しみたいと思います。

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2024.09.16

チェコで過ごす最終日/朝食、地下鉄、共産主義博物館、トラム

コンパートメント車両で行く、セドレツ納骨堂の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風13号が奄美大島を通り過ぎて行ったようですが、奄美大島にお住まいの皆さん、大丈夫でしたでしょうか。続いて、台風14号も発生したようですね。何だか台風13号と似たルートを通りそうな予報になっています。最近の台風は雨量も風の強さもパワーアップしているように見えますので、注意が必要ですね。台風シーズンが終わるまでは、まだまだ気を抜けない状態だと思います。予報に注意して、事前に台風への備えができるといいですね。

 プラハのホテルに三泊して迎えた四日目の朝、私たちはホテルのレストランで最後の朝食をとった。その後、荷物をまとめてホテルをチェックアウトすると、スーツケースを転がしにくいヨーロッパの石畳との格闘を繰り広げながら、プラハ本駅へと向かった。ガンモと私のスーツケースは、プラハ本駅の荷物預かり所で預かってもらった。

 スーツケースを預けて身軽になった私たちは、二十四時間利用できる地下鉄とトラムの一日券を購入し、まずは地下鉄に乗って移動した。最初の行先は、Museum of comunism(共産主義博物館)である。ここで、共産主義時代のチェコについて学んだ。民主主義化を強く望む若者たちと警察官の激しい戦いの映像を目にしたとき、若者たちのこうしたエネルギーは、世の中がうまく回っていないと感じるときにだけ生まれるものなのだろうかと思った。というのも、今の日本において、同じようなことが起こるとはとても考えられなかったからである。例えば、兵庫県知事の辞職を要求する若者たちが一致団結して、警察官と戦うシーンなど到底想像できない。くすぶる想いはあっても、なかなか行動に移せないのが現代の私たちの傾向ではないだろうか。いろいろな意味で、昔は、それだけ熱い時代だったと言えるのかもしれないと思った。

 Museum of comunism(共産主義博物館)をあとにした私たちは、Jidelna Svetozor(スヴェトゾル食堂)という庶民の食堂に向かった。ここは、ガンモがガイドブックで見付けていたお店で、お手軽な価格でランチを楽しめるという。ただ、私たちが行ったときには格安のランチは売り切れてしまっていたようで、ランチよりも少しだけ割高なメニューしか残っていなかった。私たちはチェコ語がわからないので、英語のメニューを見せてもらって、その中から選んで注文した。とは言え、私たちが選んだメニューは豆を主食にした料理で、大量の豆の上にスライスされたハムときゅうりが載っているという変わった料理だった。日本人にとって、豆は主食ではなく、おかずに過ぎないので、大量の豆を、おかずとしてではなく主食として食べるというのは、何だか我慢比べのようで苦しかった。そのため、私たちにはめったにないことなのだが、全部食べ切れずに残してしまった。追加で注文したスープも思いのほか辛(から)かったのが残念だった。他の方たちは、私たちとは別のものを注文されていて、みんなおいしそうに食べていたので、きっと私たちが注文した料理が人気の料理ではなかったのだろう。ちなみに、多くの人たちは、食事と一緒にアルコールを注文されていた。

 昼食を全部食べ切ることができなかったため、もう少し何かを食べたいと思っていた。そこで、巻貝のようなパン生地の中にアイスクリームを詰めたトゥルデルニークを買って食べることにした。これはとてもおいしかった。ただ、トゥルデルニークを全部たいらげるほどお腹は空いていなかったので、アイスクリームの表面だけ食べて、巻貝のようなパン生地の部分は、袋に入れてリュックの中に入れておき、またお腹が空いたときに食べることにした。

 その後、私たちは再び地下鉄に乗って移動し、ダンシング・ビルを見学した。ダンシング・ビルは、女性が男性を抱えるようにして踊っているように見える、いっぷう変わったビルである。確かに、向かって左側のビルがスカートを履いた女性のように見え、向かって右側のビルが男性のように見えた。

 地下鉄とトラムに乗車できる一日券を購入していた私たちは、ダンシング・ビル近くの電停からトラムに乗り、街を巡ったのだった。

 今回も、私が撮影した動画をご紹介しておこうと思う。


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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちがチェコを訪れたときの日中の最高気温は32度くらいでしたが、今では16度くらいまで下がっています。夏に熱波がやって来たとしても、やはりヨーロッパは秋が来るのが早いみたいですね。うらやましい限りです。私たちも早く秋を感じたいものです。

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2024.09.08

コンパートメント車両で行く、セドレツ納骨堂

チェコ/街歩き~カレル橋の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 残暑が非常に厳しいですね。十月の初めくらいまでこの残暑が続くのではないかというニュース記事を読み、絶望的な気持ちになっています。地球に向けてのレイキヒーリングを続けて行きたいと思います。


 プラハに到着して三日目の早朝、ホテルの部屋で「ポッポー」という電車の汽笛音が聞こえた。何とそれは、ガンモがタブレットにインストールしていたチェコ国鉄のアプリからの通知だった。私たちは滞在中にチェコ国鉄を利用することになっていたので、ガンモがチェコ国鉄のアプリを使って列車を予約してくれていたのだった。アプリの通知音に列車の汽笛音を採用するなんて、チェコ国鉄はなかなか粋な計らいをしてくれるではないか。アプリからの通知は、車両編成が変わったことと、それに伴い、予約していた座席番号が変わったことだった。車両構成としては、一列の向かい合わせの座席から、ハリーポッターの登場人物たちが乗っていたようなコンパートメント車両に変わったとのことだった。コンパートメント車両に乗車できるなんて、きっと楽しい旅になるに違いない。

 私たちはホテルで朝食を取ったあと、予約していた列車に乗るために、プラハ本駅まで歩いて移動した。ヨーロッパの鉄道は、日本と違って、列車が発車するプラットフォームが、出発の二十分ほど前に決まるため、駅に設置された電光掲示板を見ながら、あらかじめ予約しておいた列車がどのプラットフォームから発車するのかをチェックする必要がある。

 ようやく、私たちが乗車する列車のプラットフォームが決まった。プラットフォームに移動してみると、同じ列車に乗る人たちがたくさんいることがわかった。乗車する車両の入口を見つけたので、そこから乗り込んだところ、確かにコンパートメント車両で構成されていた。ただ、コンパートメント車両が横に広いため、まるで寝台列車のように通路が狭く、反対側から歩いてくる人たちを通してあげるために、ときどきどこかのコンパートメント車両の中に入って通路を空けなければならなかった。ガンモ曰く、アプリが示す進行方向と、列車を引っ張る機関車の位置が反対になっていたため、多くの人たちが自分の予約した席に移動するのに、同じ車両でも遠いほうの入口から乗り込んでしまい、車両の反対側まで移動する羽目になってしまったようだった。もちろん、私たちも例外ではなかった。

 何とか予約していた席に着席し、コンパートメント車両でおよそ一時間、ゆったりと過ごすことができた。途中、チェコ国鉄の車掌さんが切符の確認に来られたので、ガンモがチェコ国鉄のアプリを見せて対応した。チェコ国鉄のアプリがあれば、紙の切符を購入する必要がない。車掌さんにはアプリが表示しているQRコードを読み取ってもらうだけで良いのだ。チェコ国鉄は、日本よりも進んでいると思った。

 私たちはクトナー・ホラ駅で降りた。ここにはセドレツ納骨堂という、とても変わった納骨堂がある。どのように変わっているかというと、納骨堂の内装に人間の骨が使われているのである。チェコについて調べていたときに、セドレツ納骨堂が穴場の観光名所であることがわかり、こうしてやって来たのである。

 そもそも何故、人間の骨が内装に使われているかについては、チェコの穴場スポット!骸骨教会『セドレツ納骨堂』の行き方と詳細情報のサイトに詳しく書かれている。要約すると、13世紀頃に、セドレツの修道院長だった人がエルサレムを訪れ、イエス・キリストが磔になった丘と言われているゴルゴダの丘の土を持ち帰り、その土を共同墓地として使用されていた場所に撒いたという。そのことが中央ヨーロッパ中に広まり、その墓地への埋葬を希望する人たちが殺到したことに加え、14世紀から15世紀の間にペストの流行やフス戦争などで亡くなった何万人もの人たちがその墓地に埋葬されたそうだ。しかし、墓地が巨大化したことから、やがて地下に納骨堂が作られ、その後、19世紀になってから、当時の教会の持ち主が埋葬された人たちの骨を使って納骨堂を内装して欲しいと木彫家に依頼したことで、現在の形に収まっているらしい。ちなみに、納骨堂の中は、現在は撮影禁止となっているのだが、セドレツ納骨堂の公式チャンネルがYouTubeに存在しており、内装も公開されているので、ここでご紹介しておきたい。(実際に人の骨で装飾されているので、人の骨が苦手だという方は注意が必要かもしれない)

 実は私たちは、2009年にパリの地下墓地カタコンブを見学している。セドレツ納骨堂を見学したときも、パリの地下墓地カタコンブを見学したときと同じような気持ちになった。パリの地下墓地カタコンブの記事から、当時、私の私が感じたことを、以下に転記してみた。

・山積みされた人骨は、いくつものオブジェのように私たち観光客の心の中に響く何かを落として行った。私の中に芽生えたのは、肉体を出て行った魂は、もはやかつての肉体には執着していないという感覚だった。それと、たくさんの人骨が一箇所に集められることで、個は潰されているが、「大きな一つ」を生み出しているということだった。私たちは、肉体を持っている間は自由意思を持ち、全体の中の単なる一つの存在に過ぎないが、ここに集められた七百万体の無縁仏は、肉体から離れることで自由意思を手放し、全体で「大きな一つ」を形成していた。つまり、One of themからOneへの変貌を遂げたように思えたのだ。生きるということは執着し続けることで、肉体を離れるということは執着から解放されることなのかもしれないとも思った。

・(編集後記より)それにしても、積み上げられた人骨を初めて目にしたときは驚きました。最初のうちは、人骨を薪のように積み上げるなんて、死者に対して敬意が払われていないように感じたのですが、骨の種類ごとにきれいにまとめられているのを確認したとき、決してこれらの人骨が無造作に扱われているのではないと思い直しました。それに、ここに葬られていればたくさんの仲間たちと一緒なので、寂しくはないのではないか、とも思いました。更には、ここに収められた人骨は、自分への扱いが無造作であるとか、敬意が払われていないとかいうことはもはや気にせずに、次の段階へ進んでいると思いました。感じることや、考えるところの多い場所でありました。

 さて、セドレツ納骨堂をあとにした私たちは、大聖堂へと向かった。その途中にあるお店では、骸骨が飾られていた。また、お土産物屋さんでは、ドクロが売られていた。

 セドレツ納骨堂が死者のための場所であるとするならば、大聖堂は生きている人たちのための場所と言えるのかもしれない。大聖堂内はとても明るく、ポジティヴな雰囲気に包まれていた。涼しかったことと、座るための椅子もたくさんあったので、私たちはしばらくここで休んだ。ヨーロッパの教会らしく、宗教画や懺悔室などが展示されていた。

 その後、私たちは、再び歩いてクトナー・ホラ駅まで戻った。この駅のトイレは、タッチ・ペイが使えたので、小銭の持ち合わせがなくても利用することができた。実は、プラハ本駅からの列車を降りた直後にこのトイレを利用しようとしたときに、またしても小銭の持ち合わせがなくてあたふたしていたところ、小銭の持ち合わせがなかったチェコ人の女性が家族に助けを求め、そのチェコ人の家族の方が小銭を入れてくださり、私も一緒にどうぞと言ってくださった。とても有難かった。トイレ用の小銭は、トイレのドアを空けるためのものなので、ときどきこういったことが起こる。(または、トイレから出て来た人が、トイレの入口のドアを開けたままにして、トイレに入ろうとしている人を招いてくださることもある)

 トイレを済ませた私たちは再び列車に乗り、プラハ本駅まで戻った。帰りはプラハ本駅までの直通列車ではなかったので、途中の駅でまたまたコンパートメント車両の列車に乗り換えた。こうしてチェコの三日目が静かに過ぎて行ったのだった。

 今回も私が撮影した動画をご紹介させていただくことにする。鉄分がかなり多めになってしまっているかもしれないが・・・・・・。

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※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人間の骨を内装に使うなんてとんでもないと思われるかもしれませんが、パリのカタコンブと同様に、骨はとても丁寧に扱われていました。そのため、安心して訪れても良い場所だと感じました。

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