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2016.05.24

映画『ラブリーボーン』(再鑑賞)

ホットヨガ(五〇九回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 仕事から帰宅したところ、同じマンションの男性が宅配ボックスに届いた荷物を取り出して、私が乗っているエレベータに乗り込んで来ました。見ると、Amazonの箱を二つも抱えていたので、「どの家庭も同じだなあ」と思い、笑ってしまいました。手軽に買い物ができる通販は本当に便利ですよね。インターネットが普及してから、儲かっているのは、ネットショップだけではなく、運送業者ではないでしょうか。


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 二〇一〇年二月に劇場で鑑賞した本作をU-NEXT<ユーネクスト> | 日本最大級のビデオ・オンデマンドで再鑑賞した。実のところ、U-NEXT<ユーネクスト> | 日本最大級のビデオ・オンデマンドにおいて、既に劇場で鑑賞した作品をもう一度鑑賞することは稀である。というのも、まだ鑑賞していない他の作品を鑑賞するのを優先することが多いからだ。そういう意味で、本作は特別だと言える。

 劇場で鑑賞したとき、とても印象的で心に残る作品だった。殺人事件を扱う作品なのに、他の作品とは視点がまったく違うのである。起こって欲しくはないことではあるものの、このような視点は、本作の被害者家族と同じような立場に立ってしまった人たちにとっては救いになるのではないかと思う。

 本作を劇場で鑑賞したとき、亡き母はまだがんであることさえわかっていなかった。再鑑賞した今と、劇場で鑑賞した頃の私は、母の肉体が存在しているかどうかで大きく異なっている。母の肉体がなくなってしまった今、本作のようなアプローチはとても励みになる。亡くなった人が、天国に近い場所、あるいは天国で、かつて自分の身近だった人たちのことを見守り続ける様子が描かれているからだ。

 とは言え、肉体を持つ私たちは、肉体の一部である目を使って見ようとするために、形があるものしか見えない。それに対し、わずか十四歳で殺されてしまったスージー・サーモンには、肉体を持つ家族のことも、自分と同じように肉体を持たない人たちのことも見えている。ということは、彼らは目でものを見ているわけではなく、感じているだけなのかもしれない。肉体を持っている私たちも、目を使わずに見ることができたら・・・・・・。

 本作を冷静に鑑賞してみてわかったことがある。それは、家族が悲しみにくれている間は、スージーからのアプローチを受け入れる余裕がないということだ。スージーが亡くなってからある程度の時間が経過し、スージーを喪った哀しみから立ち直り始めると、家族にはスージーの存在が感じられるようになる。まだまだ双方向の関係にまでは至らないが、スージーの想いが家族に届く。本当は、私たちと故人の間にも、スージーと家族のような関係が成り立っているのかもしれない。そのことに気付かずに過ごしてしまっているのだとしたら、非常にもったいないことだ。本作が私たちに与えてくれる希望とは、そういうことなのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 殺人事件を扱った作品で、これほど映像の美しい作品は珍しいと思います。最終的にはみんながポジティヴになれる不思議な作品ですね。

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