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2015.08.01

振り返り(41)

ネコノミー症候群の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東京に住んでいた頃は気付かなかったのですが、東京ではお盆が一ヶ月早いんですね。そうなると、例えば東京にご実家があって、地方で働いている人は、東京のお盆の頃に休暇を取るのは難しいのではないでしょうか。「お盆の時期」と「エスカレータで立つ位置(ほぼ全国的にエスカレータでは左側に立つのに対し、大阪や神戸は右側に立ちます)」を全国的に統一したほうがいいと思うのですが、皆さん、いかがでしょうか。(笑)

 夏が来ると、母の肺がんがどうにもならないとわかってしまった二年前の夏を思い出す。あの夏の日々を、私は頭の中で何度も何度も繰り返す。母の人生は七十年と半月余りだったが、あたかもあの夏の日々が母の生きて来た人生そのものであったかのように錯覚してしまう。母がもっと元気に過ごしていた時期があったはずなのに、今でははつらつとしていた母のことをなかなか思い出せないでいる。

 母を亡くしてから二年が経ち、周りには、もう母がいない悲しみなど感じていないかのように映ってしまっているかもしれない。その証拠に、先日、ある方から、「お母さまを亡くされた悲しみは今も続いているんですね」というようなことを言われた。私の中では、母のいない悲しみを感じ続けることは当たり前のことだったが、おそらく、私自身が母を亡くした悲しみをあからさまにしないようになったことから、周りにはそう映って見えてしまうのだろうと思った。私は、決して悲しみを感じていないわけではない。二年経っても、母を亡くした悲しみはまだ深い。表に出さなくなった分、悲しみは奥へ奥へと入り込んでしまっているようだ。昨日もホットヨガのレッスンを受けたあと、シャワーを浴びて着替えをしながら、母のことを想うと泣けて来た。そのとき感じたのは、とにかく母を愛しているということだった。

 愛していることや愛されていることを知れば、死別の悲しみはそれだけ深くなる。愛していることや愛されていることに気付いていない人たちのほうが立ち直りは早い。また、頭の中だけで考える死別と、実際の死別にもギャップがある。死別の悲しみの深さは、その人がもともと持っているものやこれまで体験して来たことで決まる。

 死とは何かについて、以前よりもいっそう深く考えるようにもなった。調子がいいときには、この世とあの世の接点を見付けたような気にもなる。しかし、その感覚が長く保たれることはなく、すぐに悲しみの世界へと舞い戻ってしまう。私たちの魂は、本当に、この世とあの世を行ったり来たりしているのだろうか。本『第十の予言』に書かれていたような魂のグループは本当に存在しているのだろうか。輪廻転生があるとしたら、そのサイクルは何年単位なのだろうか。魂のグループが存在しているのだとすれば、先に旅立って行った魂は、あとから追いついて来る魂を待って、一緒に再出発するのだろうか。いろいろなことが頭に浮かぶが、本当のことはまだわからない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今になって思えば、七月には三連休があり、八月には夏休みがあったおかげで、あの夏の日々は、それだけ母と一緒に過ごせた時間が長かったように思います。それに加え、毎週月曜日に休暇を取らせていただいたので、勤務先の協力もずいぶん得られたんですよね。いろいろいろなことを思い出しては、あの選択をしていたらどうなっていたのだろうと考えたりしています。本当に貴重な夏の日々でした。

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