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2015.05.26

映画『海にかかる霧』

ホットヨガ(四四一回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 暑くなりましたね。そろそろ扇風機が活躍する季節ではないでしょうか。外で寝たら、夜風に吹かれてちょうどいいような気がするのですが、なかなかそういうわけにも行かないですよね。

 本作を鑑賞したのは、五月二十一日木曜日のことである。翌日の金曜日に休暇を取っていたので、仕事帰りにレイトショーで鑑賞した。

 劇場で予告編を見ることもなく、映画サイトで簡単なあらすじを読んだだけで鑑賞に踏み切ったのだが、鑑賞し終えたあと、人間があらわにするすさまじい狂気に打ちのめされた。これまでにも、見応えのある韓国映画をたくさん鑑賞して来たが、本作もまた、鑑賞する人たちを尋常ではない世界へと誘ってくれる。

 本作は、二〇〇一年に実際に起こった「テチャン号事件」をもとに作られた舞台を映画化したものらしい。映画の内容は、実際の事件に忠実ではないのだが、それでも、作品が訴え掛けようとしている迫力は充分過ぎるくらい伝わって来る。

 最初に書かせていただいたように、本作で描かれているのは、人間の狂気である。しかし、描かれているどの狂気も、究極的には「守るため」の狂気だ。自分の船と生活を必死で守ろうとする狂気、家族や自分を守るために、裕福と言われている韓国へ命がけで渡航しようとする密航者たちの狂気、好きになった女性の安全を必死で守ろうとする狂気、そして、「守る」というカテゴリからは外れてしまうが、横恋慕の対象となる女性を自分のものにしようとする狂気などである。

 すべては不漁が招いた不幸であるとしか言いようがない。もしもこれまでと同じように、順調に漁ができていたならば、本作の舞台となっているチョンジン号を操る船長も、危ない橋を渡らずに済んだことだろう。そして、船長が危ない橋を渡ろうとしなければ、他の船員たちもこのような狂気を体験せずに済んだと言える。とは言え、密航者たちは他の船に乗り込んだ可能性もあるが、その場合はもっと違った結末を迎えていたかもしれない。

 どんなに追い詰められたとしても、決して足を踏み入れてはいけない領域があるということを、本作は必死に訴え掛けているのかもしれない。船長は、その領域に足を踏み入れてしまったために、もうあとには引けなくなってしまったのだろう。次々に襲い掛かる不運な出来事に対し、「もっとやばい選択」をして行く。

 本作の中で唯一の光があるとすれば、危機の中で誕生したカップルの存在だろうか。二人が船の中で結ばれるシーンもまた究極的なもので、二人の置かれている状況と、二人の必死の演技がぴったり重なって、私はうなずきながらそのシーンを見守っていた。まさか、死と隣り合わせの緊迫した状況の中で、そのような行為に及ぶはずがないと、冷静な人たちは違和感を覚えるかもしれない。しかし私は、死と隣り合わせの状況だからこそ、他者と結び付きたい気持ちが強くなったのではないかと想像する。そうすることで、二人は死の恐怖を分かち合い、乗り越えたのかもしれない。

 実際に起こった事件とは異なるところがあるので、この二人が実在したかどうかはわからない。しかし、男女の愛の観点から言えば、二人の歩んだ道は理解できなくもないのだが、私にはちょっと物足りなかった。ただ、未来に繋がる結末ではあったと思う。何はともあれ、見応えのある作品であることは間違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 冒頭で、出演者たちが日本の観客のために短いトークを披露してくださるのですが、今、思えば、本作が舞台をベースにした作品だったからなんでしょうね。きっと、舞台あいさつみたいな感じだったのでしょう。

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