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2014.09.05

一年で一番辛い日

「オフィスカジュアル」についての記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 何だか今日もムシムシした暑い一日でしたね。思わず、エアコンのスイッチを入れたくなるほどでした。オフィスも異常に暑かったので、いつもよりも残業を早めに切り上げて帰宅しました。

 母の命日の前日、仕事をしているときに、「いよいよ明日が母の命日だ」と思うと、こらえ切れない悲しみが押し寄せて来て、涙を隠し切れなかった。仕事中で自席にいたが、もしもオフィスの誰かに泣いている顔を見られたならば、「明日が母の命日なので・・・・・・」と告白しようと思っていた。しかし、うまく涙を隠すことができたのか、誰にも何も尋ねられずに済んだ。私は、「命日の前日にこれほど悲しいのだから、明日の母の命日の、母が息を引き取ったその時間に、果たして平常心でいられるのだろうか」と思った。母の命日なのだから、休暇を取って、自分なりの心の供養をしたかったが、どうしても期限内に終わらせなければならない仕事を抱えているため、今月は休日出勤も余儀なくされるほど忙しく、仕事中にその時間を迎えることにしたのだ。

 夕方のちょっとした休み時間に父と電話で話をしたあと、間もなくしてから、父から電話が掛かって来た。残業時間中だったが、仕事に差し支えなかったので電話を取ってみると、私の友人が母にお花を贈って来てくれたそうで、お礼を言っておいて、とのことだった。あとから父がお花の写真をメールに添付して送って来てくれたのだが、とてもきれいなお花で、花が大好きだった母がとても喜んでくれるだろうと思った。その友人は、いつも真剣な想いを傾けてくれる心優しい存在だ。彼女自身がいろいろな困難を乗り越えて来たことが彼女の霊的な成長を確実にし、他者に対してどのように振舞うかが、彼女の中でしっかりと確立されているのだ。彼女の取る行動には迷いがなく、投げ掛けてくれる言葉もいつも真実だった。とてもきれいなお花だったので、父は恐縮していたが、残業時間中だったので、夕方の休み時間に社員食堂で晩ご飯を食べたあと、彼女にお礼のメールを入れておいた。

 思えば、母の一周忌に帰省していたときも、母のためにお供えを持って来てくれた友人がいた。母の葬儀にも参列してくれた友人である。こういうときに、迷うことなく想いを傾けてくれるのは、その人たちの中に真実の愛があるからだと思う。真実の愛がなければ、迷ったり、距離を置いたり、どのような行動を取ったらいいかわからなかったりすると思うのだ。

 そして、いよいよ母の命日を迎えた。日付が切り替わったとき、私は言いようのない悲しみに襲われ、またしても夜中に嗚咽していた。母が息を引き取ったのは、朝の九時台だったというのに、一年前のことを思い出し始めると嗚咽が止まらず、それをなだめるかのように、母に想いを馳せていた。

 どういうわけか、一年前のことが鮮明に想い出された。母が入院していた病室や、お世話をしてくださった看護師さんの顔などを、しばらく忘れてしまっていたというのに、くっきりと思い出すことができたのだ。母は、夜中のうちに息が大きくなったようだ。母が私に黙って逝ってしまったのは、母なりの、私への愛情だったのではないかと今では思っている。

 夜はなかなか眠れなかった。寝不足のまま仕事に出掛け、何とか仕事をこなした。ちょうど母が息を引き取った時間に、私の周りの席の人たちが打ち合わせに入ったので、私は自席で黙祷を捧げようと思っていた。ところが、母が息を引き取った時間の数分前にその打ち合わせが終わり、私の周りの席の人たちが自席に戻って来られた。そこで私は急遽、母が息を引き取った時間をトイレでひっそりと迎えることにした。もちろん、自分なりの世界を守るためである。

 ところが、私がトイレの個室にこもって間もなくすると、トイレの入口の扉が空いて、すぐ隣の個室に誰か入って来られた。何とか、母が息を引き取った時間は一人で黙祷を捧げることができたのものの、その直前に現実に引き戻されてしまったので、じっくり黙祷することができなかった。おそらく母は、「しっかり仕事に集中しなさい」と私に言っているのだろう。

 そして、そのままいつものように仕事をして、残業もして帰宅したわけである。いつもと違っていたのは、オフィスで飲むためのお茶や水、コーヒーなどを用意してステンレスボトルやペットボトルに入れたあと、それらを通勤用リュックにしまい込んだというのに、家を出て、自転車に乗っていると、いつもよりも身体がやけに身軽であることに気が付いてしまったことだ。何と、私は、玄関のドアを閉める前に、玄関の外に出しておいた通勤用リュックを、玄関の外に出したまま、背中に背負うことなく、自転車に乗ってしまったのだった。慌ててガンモにLINEで連絡を入れて、通勤用リュックを家の中に取り込んでもらったのだが、こんなことは初めてのことだったので、おかしな一日の始まりだと思ったのだ。もしもこれが一年前ならば、もっと別のメッセージが含まれていたのではないだろうか。

 夕方、父に電話を掛けてみると、
「今日は、一日、一緒におっちゃろと思とったんじゃけど、何じゃかんじゃで庭の掃除したりしよった(今日は、一日、<母の魂と>一緒にいてあげようと思っていたのだけれども、何だかんだで庭の掃除をしたりした)」
と言っていた。実家には、母の友人が来てくれたそうだ。一周忌にはご案内していなかった友人だが、母の命日をちゃんと覚えてくれていたようだ。そして、
「あと何年かは覚えとくけん(覚えておくから)」
と言ってくれたそうだ。

 こうして父も私も、母に真剣な想いを傾けてくれた人たちに支えながら、母の命日を迎えることができたのである。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m つい先日までは、「一年前の同じ時期には、母の肉体はまだあったのに・・・・・・」などと思っていましたが、一年経つと、そうも思えなくなってしまいました。これからは、「二年前の同じ時期には、・・・・・・」に切り替えなければなりません。母の命日に来てくれた母の友人は、父に、「楽しいことをしながら、毎日を過ごしたらええんよ(いいのよ)」と言ってくれたそうです。とても温かく、ありがたい友人ですね。

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