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2014.07.01

愛について(2)

青森~北海道旅行(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m まちのオフィスに勤務するようになってから、朝の通勤電車の混雑が激しいためか、携帯電話を開いて記事の下書きをしたり、一度書き上げた記事を推敲したりするのが困難になってしまいました。満員電車の中で何とか携帯電話を開くことができたとしても、いなかのオフィスに向かって走っていた電車よりも揺れが大きいので、つり革や棒を持たなくてはなりません。そうなると、フルキーボード付きの私の携帯電話は、いよいよ文字入力が困難になってしまいます。また、電車が混雑していると、周りにいる人たちが私の携帯電話の画面に写し出された文字を読むことができてしまうので、なかなか文章を書くことに集中できません。おまけに、いなかのオフィスのような自由な雰囲気はないので、オフィスにAndroid端末を持ち込むのもやめてしまいました。環境が変わったことで、通勤環境を利用して、書くことに集中した時間を取るのが難しい状況になってしまいました。やはり環境は大事ですね。しかし、その分、通勤時間も短くなっていますので、自宅で集中した時間を取りたいと思っています。

 最近、あるアーチストが覚せい剤取締法違反の罪で逮捕された。国民的レベルの大ヒット曲を世の中に送り出したアーチストだっただけに、人々の受けた衝撃は大きかったようだ。その出来事を通して、アーチストへの感情が仮に「愛」だとすると、思うことがいくつかあったので書いてみたい。

 私が最も気になったのは、そのアーチストが覚せい剤取締法違反の罪で逮捕されたことで、多くのファンが離れて行ったことだ。まず、私は、「ファンとは何ぞや?」と思った。とは言え、「ファンとは何ぞや?」について、ここで語り始めてしまうと、「愛について」の本筋から外れてしまいそうなので、ここではあくまで、アーチストへの感情を「愛」に例えて書かせていただくことにする。

 「愛」とは、相手の取る行動によって、気持ちが左右されたりするものなのだろうかというのが、この事件を通して私に生まれた疑問だった。もしも仮にそうだったとしたら、相手への「愛」は、相手が取るであろう、自分の想定内の行動に対してのみ存在していることになってしまう。それは、自分自身が勝手に思い描いた相手の理想像であって、相手自身とイコールではない。自分が想定した範囲内でしか相手を愛せないのであれば、それは他者への愛ではなく、自分への愛、すなわち、自己愛なのではないかと私は思うのだ。

 相手を想う気持ちが「愛」から来るものであれば、相手の取る行動によって、自分自身の感情が左右されたりはしないと思う。何故なら、例え相手がどんな行動を取ろうとも、相手の「魂」の本質には影響を与えていないと思うからだ。

 しかし、「魂」を愛さない人たちは、「魂」の本質から目をそらし、相手が持っているものや相手が取る行動で判断しようとする。それでは、相手がお金持ちだからという理由で好きになるのと、それほど変わりがないように思える。「魂」を愛するというのは、「○○だから好き」というように、好きになることに理由がない。好きになることに理由があるのであれば、それは最初から「魂」を愛していることにはならないと私は思う。

 最後に、相手の取る行動や相手の持っているもので判断しようとせずに、相手の「魂」を愛することは、覚醒剤の所持や使用を認めることとは大きく異なることも加えておきたい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中の流れとは違う考え方だと思いますが、最近の出来事から感じたことを、「愛」に例えて書いてみました。相手の表面的な行動に惑わされることなく、相手の「魂」にいつまでも惹かれ続けるのが「愛」ではないかと私は思うのです。

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