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2014.04.09

映画『世界の中心で、愛をさけぶ』

ホットヨガ(三七四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。毎週水曜日は定時退社日なので、いつもはホットヨガのレッスンを受けているのですが、今日はガンモの仕事が休みだったので、ホットヨガの予約をキャンセルして、ガンモと二人でいつもの回転寿司屋さんに出掛けました。増税後、初めての利用となったわけですが、ネタもしゃりも小さくなっていたので、次から次へとパクパク食べることになってしまい、気が付いたら何と、十五皿も食べていました。まんまとお店の策略に引っ掛かってしまいました。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、三月九日のことである。またまたあの悪名高きU-NEXT<ユーネクスト> | 日本最大級のビデオ・オンデマンドで鑑賞した。

 実は、本作は、ずっと以前にレンタルDVDショップでDVDをレンタルしていた作品なのだが、あとでゆっくり鑑賞できる状態にしておいたにもかかわらず、まだ鑑賞していなかった。あまりにも有名な作品なので、良い作品に違いないと思い、鑑賞を後回しにしていたのだ。

 鑑賞してみると、なるほど、こういう作品だったのかと納得した。確かに、「セカチュー」ブームが沸き起こるだけの作品だと思う。最後まで画面に釘付けだった。

 ただ、柴咲コウ演じる律子が、高松に行くと書き残して出掛けたのに、何故、回想シーンで伊予鉄(いよてつ)の路面電車が走っているのかが謎だった。最初は、「高松だから、ことでん(琴平電鉄)か?」と思ったのだが、どう見ても、見慣れた伊予鉄、つまり香川の高松ではなく愛媛の松山を走る私鉄なのである。

 鑑賞後にわかったことだが、本作は、日本のいろいろな場所でロケが行われているらしい。ロケ先がわかるようなものを取り込んでおくことで、本作のファンがあちらこちらのロケ地を訪問できるように考慮してくれたのだろうか。ちなみに、見晴らしのいい場所にあるブランコと堤防のロケ地は高松らしい。

 森山未來演じる高校生の朔太郎は、長澤まさみ演じる亜紀と意気投合し、やがて恋人同士となる。二人は文字で綴る交換日記の代わりに、カセットテープに生の声によるメッセージを録音して交換していた。お互いに自然体でいられる良き交際が続いていたのだが、あるとき亜紀が白血病であることが発覚し、二人の未来は一変してしまう。

 律子は、大人になった朔太郎の現在の恋人であり、婚約者でもある。その律子が、引越しの荷物の中から古いカセットテープを見付けた。律子は、そのカセットテープを聞いて、過去を思い起こしているかのようだったが、その直後に一人で高松に向かうのだ。朔太郎は、律子のあとを追い掛けて、自分も高松に向かう。

 私は最初、律子が、朔太郎の古いカセットテープを見付けて、朔太郎の過去を探るために高松に向かったのではないかと考えた。つまり、朔太郎と結婚する前に、彼の過去の恋愛を自分の中で受け入れることができるかどうかを、彼の婚約者として確認しておきたいのではないかと思ったのだ。それが正解かどうかは、最後まで鑑賞するとわかる。

 「世界の中心」とはオーストラリアのことで、物語の舞台の一部が、オーストラリアと似たような形をしている四国であるのも興味深い。ただ、慎重に鑑賞しないと勘違いしてしまいがちになるのは、朔太郎と律子が一緒にオーストラリアに行くという設定だ。というのも、オーストラリアに行きたいと切望していたのは、朔太郎の現在の恋人である律子ではなく、過去の恋人である亜紀だったからだ。

 普通に考えると、朔太郎が過去の恋愛を引きずったまま律子と付き合い、亜紀が行きたがっていたオーストラリアに律子を道連れにしたかのように見えてしまうことだろう。しかし、実は、朔太郎と律子には、それぞれの立場から共有できるものがあったのだ。二人の取った行動は、その共有できるものに基づいた行動であり、決して朔太郎が一方的に律子を振り回しているわけではない。その、共有できるものが、あたかも二人を結び付けたかのようにも思えるところが、他の映画にはない展開だと思う。この共有できるものを愛と取るか、それとも朔太郎の自己中心的な欲望と取るかで、本作の解釈は大きく変わって来るだろうと思う。

 役者さんたちの演技でうまく表現し切れていない部分があるかもしれないが、朔太郎が、律子に対して気兼ねなく、過去の恋愛の想い出に浸ることができていることと、律子が朔太郎と一緒にオーストラリアに出掛けていることが何とも素晴らしい。

 というのも、たいていの女性ならば、婚約者に忘れられない女性がいるとわかれば、過去の恋人に対して激しく嫉妬してしまうと思うからだ。女性ならば誰でも、自分は婚約者の過去の恋人を越えられる存在でありたいと願うものだろう。それは、他者よりも自分がかわいいからだ。つまり、自己愛から来る想いである。

 しかし、本作に登場する律子は、自己愛には走らない。それは、律子が過去を追い掛けて、朔太郎と亜紀の間に通っていた真実の愛に触れたからだと思う。そのため、自分のほうが朔太郎と亜紀の間に割って入ってしまったのではないかと恐縮さえしている。

 朔太郎と亜紀の真実の愛に触れた律子は、嫉妬に狂ったり、朔太郎を自分から切り離そうとしたりしない。むしろその反対で、朔太郎と一体化して朔太郎と一緒にオーストラリアに出向き、朔太郎と共通の目的を果たすのだ。それだけでもう、二人の間には大きな愛が存在している。

 おそらくだが、朔太郎は、過去からずっと引きずり続けていた亜紀への想いをオーストラリアで解放しているようにも思う。散骨には、そういう意味もあるのではないだろうか。朔太郎のこれまでの想いも、オーストラリアの広い大地に吸収されて行ったのではないだろうか。

 だから、彼らが世界の中心で叫んだ愛は、自己愛や嫉妬などが当たり前になっている人たちにはわかりにくいかもしれない。彼らはそこでそこで区切りを付けて、二人の新たな出発をしたのだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作には、「骨」が相反する形で出て来ますね。朔太郎が手放す「骨」と、朔太郎と亜紀が盗んで来る「骨」です。(苦笑)前者は解放ですが、後者は所有です。それでも、作品全体を振り返ってみると、どの立場の人にも嫉妬の感情が描かれていないのは素晴らしいですね。嫉妬がない代わりに、受け入れがあちらこちらに存在している作品です。

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