« 術後二ヶ月 | トップページ | ホットヨガ(三七〇回目) »

2014.03.12

振り返り(26)

術後二ヶ月の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。東日本大震災から、早くも三年が経過しましたね。イギリスのニュースサイトでも、そのことが取り上げられていました。他国の方たちも、日本のことを気に掛けてくださっているようです。東日本大震災では、大きな揺れと津波でたくさんの方たちが犠牲になりました。今もなお、行方不明の方たちがたくさんいらっしゃると聞いています。そして、福島で発生した原子力発電所の事故もまだ収束していません。親しい人たちを亡くされた人たちの悲しみに加え、日本が背負っている課題は、今なお大きいです。「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中にも、ご家族や親しい方たちを亡くされた方たちがいらっしゃるかもしれませんね。私自身、突然の天災で身近な人を亡くした経験がないので、経験された方たちの気持ちを、自分自身の身近な悲しみに置き換えて想像するしかありません。私が母を亡くしたときに、ある方がこんなことを言ってくださいました。「悲しみは消えないけれど、時間が経つごとに、その悲しみに打ち勝てるだけの強さを備えられるようになりますよ」と・・・・・・。なるほど、そうかもしれないと思いました。その方に、私自身が感じ続けている悲しみを否定されなかったことがうれしくもありました。東日本大震災で身近な方を亡くされた方たちの心にも、この言葉が届くといいなと思っています。ところで、私が個人的に気になっているのは、女川(おながわ)のことです。もう十年近く前のことになりますが、女川駅前にあった女川温泉ゆぽっぽに足を運びました。東日本大震災で、ここがどうなったのか、ずっと気になっていたのですが、インターネットに掲載された情報から、津波で被災して閉館してしまったと知りました。とても残念です。それでも、再建されるとの情報がありましたので、以前のようにくつろげる場所になるといいですね。それでは、振り返り(25)の続きを書かせていただきます。

 葬儀のあとも、いろいろな方たちが次から次へと弔問に来てくださった。

 母の通夜と葬儀は平日に行ったため、仕事の都合がつかずに休暇を取ることができなかったという母の従弟たちが、週末に弔問に来てくれた。

 母の従弟たちにお茶を出したときに、母の従弟の一人が母との想い出話を語ってくれた。母の従弟は、
「だいぶ前のことなので、事実と異なるかもしれませんが・・・・・・」
と前置きをしてから、私がギターを抱えて実家に帰省したときに、小銭の持ち合わせがなかったために、
「一曲、いかがですか?」
と誰かに声を掛けて、弾き語りを聴かせて小銭を稼いだと、母から聞いたのだと話してくれた。

 実家にギターを抱えて帰省したことがあったのは確かだが、ギターの弾き語りを人に聴いてもらって、小銭を稼げるほどの技術を持ち合わせてはいないので、母と母の従弟がそのとき想像しながら話をしたことが、あたかも事実であったかのように、母の従弟の記憶に残っていたのではないだろうか。ちなみに、母の従弟たちも、二年ほど前に父親を亡くしたばかりだった。

 母が肺がんのターミナル期を過ごした病院に、母と同じ時期に入院していた近所のおばあさんの娘さんも弔問に来てくださった。娘さんと言っても、母と同じくらいの年齢の方である。そのおばあさんは、同じ病院に何ヵ月も入院できない状態だったため、別の病院に転院されたのだが、転院して間もなく亡くなってしまったのだ。入院中の母にそのことを伝えたとき、
「あなに元気やった人が亡くなるやんて(あんなに元気だった人が亡くなるなんて)・・・・・・」
と、ひどくショックを受けていた。そのおばあさんと母は、
「一緒に頑張ろやの(一緒に頑張ろうね)」
と言って、励まし合っていたそうだ。そのおばあさんの娘さん曰く、転院先の病院は、母が入院していた病院よりも大きな病院だったはずなのに、介護や看護が手薄だったのだそうだ。

 弔問に来てくださった近所の方たちの中で、お香典を持参すると気を遣うだろうということで、母の祭壇の前でお線香を立ててくださったあと、まるでお賽銭のように百円玉だけをお供えして帰宅された方がいらっしゃった。細やかな気遣いのできる方だと思った。また、その方のお兄様が老人会の会長さんだったので、老人会を代表して、あとからわざわざ弔問に来てくださった。

 近所に住んでいた、私の小学校時代の同級生も弔問に来てくれた。彼に会うのは、本当に何年振りのことだったろう。小学校のときに、私が図書委員会の図書部長を、彼が書記を担当していた。そんな彼は、若い頃にお母様を亡くし、それから何年も経たないうちに、妹も亡くしてしまった。

 また、近所に住む母の友人も足を運んでくれた。ここしばらくは交流がなかったようで、葬儀のあとに喪主が近所の電信柱などに貼る「会葬御礼」の紙に書かれた父の名前を見て、誰が亡くなったのかと近所の人に確認して、驚いて駆けつけてくれたようだ。母の友人は、実家の玄関を開けたときから顔をくしゃくしゃにして、大きな声をあげて泣いていた。その母の友人もまた、数年前にご主人様を亡くしたばかりだった。

 私が大学に通っていた頃、母は花屋さんで働いていたことがあったのだが、その頃の母の仕事仲間も駆けつけてくれた。聞くところによると、その方は私とそれほど年が変わらず、また、遠い親戚でもあるらしかった。彼女もまた、私たちと一緒に泣いてくれたのだった。

 こうしていろいろな方たちが弔問に駆けつけて来てくださったのは、おそらく、母の訃報が人づてに伝わって行ったからだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 弔問に来てくださった多くの方たちが、過去に身近でどなたかを亡くされて、悲しい想いを体験された方たちだったようです。ご自身が、これまでに他の人から歩み寄ってもらってうれしいと感じていたことを、私たちにも分けてくださったように感じました。とても有難いことだと思いました。だから私たちも、他の人たちからしてもらってうれしかったことを、どんどん分けて行こうと思っています。

人気blogランキングには、もともとブログの書籍化を夢見て参加させていただきました。まだまだほど遠いですが、私の夢を応援してくださると、大変うれしく思います。
↓↓↓↓↓↓

哲学・思想[人気blogランキング]に

|

« 術後二ヶ月 | トップページ | ホットヨガ(三七〇回目) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/59194751

この記事へのトラックバック一覧です: 振り返り(26):

« 術後二ヶ月 | トップページ | ホットヨガ(三七〇回目) »