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2014.03.18

生き物には意思がある

映画『秘密』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。暖かくなったので、半袖Tシャツの上にノースリーブのダウンジャケットを羽織って通勤しています。電車の中では、このような格好でも少し暑いくらいですが、外を歩くときは涼しくて、とても気持ちが良いのです。(笑)

 大阪の弁天町にある交通科学博物館という鉄道の博物館が閉館するというので、ガンモと二人で足を運んだ。閉館後は、かつてガンモと足を運んだ梅小路蒸気機関車館の近くに移転することになるのだそうだ。

 かつて秋葉原にあった交通博物館も、さいたま市に移転してしまったが、弁天町にある交通科学博物館も、とうとう移転するというわけだ。ちなみに、梅小路蒸気機関車館に足を運んだときの様子については、遠くで汽笛を聞きながらという記事に書いている。

 ところで、今回、足を運んだ弁天町の交通科学博物館にも、ちょうど十年前にガンモと一緒に足を運んでいる。そのときは、それほど混雑していなかったので、館内にある食堂車で昼食をとったのだ。しかし、今回は閉館前のためか、館内もひどく混雑していて、食堂車での食事は叶わなかった。

食堂車で昼食をとった(二〇〇四年初夏に撮影)

 それはさておき、ここから先は鉄道に関する話ではなく、弁天町の交通科学博物館にある模型鉄道パノラマ室で大型ジオラマを見たときに感じたことを書いてみたいと思う。

 模型鉄道パノラマ室では、実物の八十分の一の大きさの鉄道模型たちが、毎日、決められた時間に走っている。いや、「走っている」という表現よりも、「走らされている」という表現のほうが適切かもしれない。何故なら、鉄道模型たちは、自分の意思で走っているわけではないからだ。

 私は、走らされている鉄道模型たちを見たときに、「鉄道模型の新幹線は、蛇と形が似ている」と思った。しかし同時に、「蛇と形は似ているけれど、何かが違う」とも思った。

 何が違うのかというと、先ほども触れた通り、蛇には意思があるが、鉄道模型の新幹線には意思がないということだ。言い換えると、蛇は自分の意思で動いているが、鉄道模型の新幹線は誰かの意思で動かされているということだ。

 ここで私は、英語学習のために、いつも昼休みに読んでいるMail Onlineで紹介されていた蛇に関する記事のことを思い出した。これからその記事へのリンクを貼らせていただくが、見るに耐えない内容なので、リンクをクリックされる方は、かなりの覚悟が必要だ。

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 閲覧注意 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

The Indonesian slaughter house where snakes are killed to make designer wear | Mail Online

↑ ↑ ↑ ↑ ↑ 閲覧注意 ↑ ↑ ↑ ↑ ↑

 ご紹介させていただいたのは、インドネシアでおびただしい数の蛇が、人間たちの使うハンドバッグや上着、靴の材料に使用されるために殺されているという記事である。例え、道端で出会えば逃げ出したくなるような対象であったとしても、蛇たちは、人間たちの使うハンドバッグや上着、靴になるために生まれて来たのではない。彼らだって、尊い意思を持っているはずなのだ。私たちは、その尊い意思を奪うようなことをすべきではないと、私はこの記事を見て強く感じたのだ。

 それならば、動物を食べることはどうなのかと問いたがる人たちもいらっしゃることだろう。それについては、これまでも何度か「ガンまる日記」でも触れて来たが、私自身もまだ明確な答えを出せないでいる。しかし、明確な答えを出すことができない今は、そのことよりも、ご紹介させていただいた記事を見て、何を感じるかが大切であるように思う。私たちは、蛇たちがこのような形で犠牲になっていることにも知らずに、蛇の皮でできたものを使い続けているのではないだろうか。しかし、実際は、私たちの見えないところで、このようなことが行われていたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、私も蛇皮らしき財布を使っています。しかし、ご紹介したリンク先の記事を読んでからは、彼らにとても申し訳なく思えて来ました。だからと言って、その財布をすぐに捨ててしまうのは、彼らにとって、もっと申し訳ないことかもしれないとも思っています。何故なら、彼らの死を、いとも簡単に無駄にしてしまうことになるからです。とは言え、今後は蛇皮の財布を買うことはないだろうとも思っています。多くの場合、こうした製造のプロセスは隠されていますよね。私には、こうした形で生き物の命が奪われて行くことと、生き物の肉を食べることは別物であるように思えます。何故なら、前者は必要条件ではありませんが、後者はある程度の必要条件に相当するのではないかと思うからです。実は、私も過去に菜食主義を貫こうとしたこともあったのですが、じゃあ、「植物は食べても良いのか?」という疑問に答えることができませんでした。そして、ついには、命があるものだからと言って、何から何まで食べないでおくのは不可能だという結論に達し、菜食主義であり続けることを断念しました。そうした意味で、今回の記事は、食肉のことはさておいて、「意思」に注目したというわけです。

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