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2014.02.12

映画『髪結いの亭主』

ホットヨガ(三六五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 最近はホットヨガのレッスンに通っていないため、自宅で過ごすときは、ほとんど一日中、映画を鑑賞しています。月曜日の夜から昨日にかけて、七本の映画を一気に鑑賞しました。そこまですると、さすがに運動不足になってしまいますので、仕事がある日は、できるだけ身体を動かさなければなりませんね。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、一月二十六日のことである。Gyao!で無料鑑賞した。

 何年か前にDVDで鑑賞している作品なのだが、そのときは、作品の中で表現されている内容を理解することができなかった。登場人物に感情移入できなかったのだ。そして、あれから何年か経った今、本作を鑑賞した当時よりもたくさんの映画を鑑賞し、少しは本作に対する理解も深まるかと思い、再び鑑賞してみた。しかし、映画を観て感覚的に理解したというよりも、多くの方たちが書かれたレビューを拝見して、ようやく理解したという感じである。

 夫のことを心から愛し、夫からも心から愛されている妻が次に取る行動は何か? と考えてみると、愛には様々な段階があるために、次に取る行動として挙げるものが違って来るのではないかと思う。

 例えば、夫のことをまったく愛さずに、夫からも愛されていない妻と、夫のことを少しだけ愛し、夫からも少しだけ愛されている妻では、次に取る行動は違って来るだろう。そして、夫のことを究極的に愛し、夫からも究極的に愛されている妻ならば、その次に取る行動は何か? と考えたときに、本作の中で妻が取った行動を理解することができるようになる。ただし、実際に私自身が同じような行動を取るかというと、決してそうではないと思う。

 本作に感じる違和感は、実はそこにある。すなわち、映画としては理解できても、現実としては理解できないのだ。だから、どうしても、映画の中で表現されている世界がおとぎ話のように思えてしまう。

 仮に、夫のことを究極的に愛し、夫からも究極的に愛されている妻であったとして、やはり違和感を感じるのは、本作の中で二人が取っている愛に関する行動だ。もしも二人の愛が究極的であるならば、私はもっと究極的な愛を知っているように思うのだ。本作で表現されている愛は、愛というよりもむしろ、欲望(自己愛)であるように思えてしまう。何故なら、他者の想いを尊重せずに、自分だけの想いで行動しているからだ。本作の二人の愛を究極的な愛だと定義すると、やはりそこが一番の違和感となり得る。

 例えば、私は休日にガンモと一緒に過ごす時間がとても楽しく、この幸せがずっと続けばいいと思っている。子供がいないので、将来に対する不安はある。しかし、だからと言って、本作の妻が取ったような行動を取ろうとは思わない。何故なら、そんなことをすると、ガンモがひどく悲しむと思うからだ。しかし、自分だけの想いで行動できる人は、この映画を感覚的に理解することができるのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m また何年か経ってから、もう一度鑑賞してみたいと思います。ひょっとすると、この映画を高く評価できる人は、受身の恋をして来た人なのかもしれませんね。

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