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2014.02.02

振り返り(21)

遠近両用コンタクトレンズを作りに行くの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。入院中は、がんで闘病している方たちと同室だったからか、これまで以上に、母が闘病中に感じていたであろう辛さを実感することになりました。実感したと言っても、私自身がその辛さを実際に経験したわけではないのですが、私自身の感覚が、最も深いところまで降りて行くのを感じました。そして、その最も深いところで、苦しみを感じていたであろう母を、思い切り抱きしめて愛情で包み込んであげたいような衝動に駆られました。もちろん、それは叶わないので、入院中のベッドから、たくさんの想いを母に贈りました。それでは、少し時間が空いてしまいましたが、振り返り(20)の続きを書かせていただきます。

 ガンモと私は、カングーではなく、親戚の人が運転する車に同乗させてもらい、火葬場へと向かった。車の中で、母がどのようにして亡くなったかの話になり、私は、
「右足がものすごく腫れ上がっていたので、血栓だと思う」
と個人的な意見を述べた。

 このときはまだ確信があったわけではなかったのだが、先月、子宮全摘手術を受けるために私自身が入院したときに、血栓防止のための弾性ストッキングを穿いたことにより、この考えは、ほぼ確信へと変わった。というのも、手術後に身体を動かせなくなるだけでも、血栓防止のための対策が取られるというのに、転移性脳腫瘍のために寝たきりになってしまった母には、私よりももっともっと血栓を防止する対策が必要だったはずだと思ったからだ。私は、自分自身が入院してみて初めて、治療を行う病院と、治療を行わない病院(つまりは、終末期の緩和ケアを行う病院)との違いを実感することになった。

 私たちが火葬場に着いたのは、母の亡骸とともに霊柩車に乗り込んだ父と弟よりも十分程度、遅かったように思う。そのため、私たちが火葬炉の前に到着したとき、既に母の亡骸が入った棺には着火されていて、火葬炉も閉まっていた。私たちの到着が遅かったため、私たちの到着を待たずに着火されてしまったようだ。私は、葬儀のあと、火葬場に足を運ぶことなく帰宅する親族に折り詰めを渡したりしていたので、遅くなってしまったのだ。

 ガンモの実家方面では、喪主が火葬炉のボタンを押すことになっているのだが、私の実家方面では、火葬場のスタッフが火葬炉のボタンを押したそうだ。着火後に、喪主が火葬炉の鍵を預かる点については、ガンモの実家方面と同じだった。私は、母の火葬炉に着火される瞬間に間に合わなかったが、例え間に合っていたとしても、悲しいだけだったかもしれないと思う。

 火葬炉の前には、母の遺影とともにお線香やろうそくが立てられていた。それこそが、私が葬儀のあとに持っていた「燭台のようなもの」だった。今になって思えば、私の到着が遅かったはずなので、私は、葬儀のあとに持っていた「燭台のようなもの」を誰かに託したのかもしれない。

 火葬場の造りは、いくつかの火葬炉が並んでいるエリアと、火葬している間に親族らが集まってものを食べるエリアの二つで成り立っていた。どちらのエリアも横並びに造られているため、別のエリアに移動するには、他の遺族の方たちが利用しているエリアを横切ることになった。例えば、火葬炉がAからEまで五つあるとすると、火葬炉Aに行くのに、火葬炉E、火葬炉D、火葬炉C、火葬炉Bの前を横切らなければならなかった。それぞれの火葬炉の前には、何人かの遺族が待機しているのだった。また、遺族らが集まってものを食べるエリアも同様だった。そのため、何度も何度も他の遺族たちと顔を合わせることになった。

 火葬には、それなりの時間が掛かるので、火葬が行われている間に遺族がどのように過ごすかについては、日本全国で様々な方式があるだろう。ガンモの実家方面では、火葬場からいったん斎場まで戻り、斎場で過ごすことになる。そして、火葬が終わる頃に、再び火葬場へと足を運ぶのだ。以前の記事でも触れさせていただいたのだが、私の出身地では、火葬している間に親族が集まって食事をする。火葬場にそのようなエリアが用意されているのだ。そのため、火葬場での食事を斎場で注文することになっている。食べ物だけでなく、飲酒する人たちのためにビールやお酒を注文したり、飲酒しない人たちのために、ジュースやウーロン茶なども注文していた。

 私たちは、火葬場に足を運んでくれた親族をもてなす側だったので、親族に食べ物が行き渡ったのを確認してから食べることになった。おにぎりやおかずなどを注文しておいたのだが、お昼ご飯を食べていなかったのでちょうど良かった。そして、その場で、しばらく音信不通だった親族らといろいろな話をした。

 そうしている間にも、他の遺族らが私たちの前を何度も何度も行き来していた。何と、同じ火葬場の別の火葬炉に来ている遺族の中に、弟の知り合いがいるようだった。世の中、狭いものである。亡くなられたのは、まだ二十代の若者らしい。お店でお酒を飲んでいるときに亡くなってしまったそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 火葬場の構造上、他の遺族の方たちが何度も何度も横切る造りになっているので、なかなか落ち着きませんでした。火葬場が火葬を行う場所だけでなく、火葬されている間に食事をする場所でもあることにも驚きました。また、ガンモの実家方面では、火葬場に着いてもすぐには火葬せずに、お坊さんも火葬場に一緒について来てくださり、簡単にお経をあげてくださったあとに火葬となるのですが、私の実家方面にはそのような場所は用意されていませんでした。地域によっていろいろ違うのですね。とにかく、私が着いたときにはもう火葬が始まっていて、あまりにもあっけなかったですね。

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