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2014.01.03

二〇一三年ライブ納め

ホットヨガ(三六〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。新しい年を迎えましたね。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。元旦は、ガンモと一緒に私の実家に帰省して一泊し、昨日はガンモが同窓会に参加するため、香川県のホテルに二人で一泊しました。さて、今年、最初の記事は何を書こうかといろいろ考えたのですが、年末に参加したコンサートのことを書いてみたいと思います。

 年末に、ガンモと一緒に好きなアーチストのコンサートに出掛けた。私は十一月に彼らのコンサートに参加したばかりだったのだが、ガンモは去年の春以来の参加となった。

 ガンモがiPhoneに機種変更すると言うので、コンサートの開演時間よりも早めに家を出て、コンサート会場近くのdocomoショップに足を運んだ。docomoショップでの手続きに一時間程度は掛かるのではないかと見込んでいたのだが、SIMのサイズを変更してもらうだけの作業だったためか、思いのほか早く終わった。私たちはあまりにも素早い作業に拍子抜けしながら、コンサート会場までの道のりをてくてく歩いた。

 コンサート会場近くの広場に足を運んでみると、男性が木の上を見上げながら、
「おい! おい!」
と、しきりに呼び掛けているのが見えた。木の上に一体何がいるのだろうと思い、男性の見ているほうを見上げてみると、どうやら鷹(たか)らしかった。おそらく、その男性は鷹匠(たかじょう)で、コンサート会場付近で鷹を使ったパフォーマンスを行う予定だったのだろう。しかし、何かの拍子に商売道具となるべきはずの鷹が逃げ出してしまい、木の上に停まってしまったようだ。

 鷹匠と思われる男性は、それからもずっと自分の左手を差し出しながら、
「おい! おい!」
と根気強く呼び続けていた。鷹に向かって差し出している左手には、黒い皮の手袋がはめられていた。

 やがて、その男性が携帯電話で誰かと話しているのが聞こえて来たのだが、鷹を入れた袋を開けたところ、中にいた鷹がパタパタと飛び立ってしまったらしい。しかも、鷹が木の上に停まっているのに反応したのか、カラスまでがやって来て、近くの木に停まり、鷹に向かって、
「一緒に遊ぼうよ」
と語り掛けていた。鷹匠らしき男性が木の下から鷹に向かってどんなに呼び掛けても、鷹は鷹匠らしき男性の手元には戻って来なかった。皮肉なことに、鷹が木の上に停まってしまい、鷹匠らしき男性の元になかなか戻って来ないということが、思わぬパフォーマンスになっていた。

 その後、私たちはコンサートに備えて、近くのショッピングセンターの中にあるドーナツショップでコーヒーとドーナツを注文して食べた。そして、コンサートが始まる少し前にコンサート会場に戻ったときには、もはや鷹匠らしき男性も鷹もいなかった。果たして、鷹匠らしき男性は、鷹の捕獲に成功したのだろうか。

 さて、コンサートだが、チケットが届いたときに、ステージに近い席だと喜んでいたのだが、どういうわけか、今年から会場のレイアウトが変わってしまっていて、予想に反して、ステージからは遠い席だった。それでも、たくさんの人たちがコンサート会場全体を広く見渡せるようなレイアウトになっていた。ただ、これまでと異なるレイアウトだったためか、音の響き方が以前とは違い、劣化してしまっていた。コンサートの音質にこだわるアーチストであるだけに、そのことがちょっぴり残念でもあった。

 コンサートの様子が雑誌に掲載されるのだろうか。カメラマンがコンサートの様子をカメラに収めていた。かつてはたくさんのカメラマンたちが取材に訪れていたものだったが、今回はただ一人のカメラマンだけだった。

 暗い会場でフラッシュも焚かずに、動き回る被写体を追い掛けながら、手振れのない写真を撮影するのは非常に困難なことだろう。私の知り合いに、ある海外アーチストの熱烈なファンの男性がいる。彼は何度も何度も海外に遠征しては、コンサートの模様を写真に収めている。その国では、コンサートの最中に写真を撮影することが許可されているそうだ。彼は、カメラの機材にもずいぶんお金を掛けているのだが、演奏曲ごとのライティングを正確に記憶していて、被写体に光が充分に当たっている瞬間にシャッターを切っているという。彼が撮影した写真を見せてもらったことがあるのだが、それこそ、ため息が出るほど素晴らしかった。そこには、海外アーチストに対する深い想いと、写真撮影へのこだわりが光と影の織り成す産物として映し出されていたのだ。

 そんなふうに写真を撮っている人が周りにいると、こうしてコンサート会場で写真を撮っているカメラマンが、私の好きなアーチストに対してどのくらいの情熱を持ってシャッターを切っているのかが気になったのである。

 また、ステージに立ち、「音」に合わせて踊るアーチストを見て、そのリズム感の良さに感動した。多くの場合、「音」に反応しようとすると、ほんの少しだけ身体の動きが「音」とずれてしまうものだが、そうではなく、「音」と一体になっていることに驚きを覚えたのだった。

 音の世界であれ、絵の世界であれ、文学の世界であれ、職業的でなく(誰かに頼まれて産み出そうとしているのではなく、あるいは、お金儲けのために産み出そうとしているのではなく)、自分自身の中に湧き上がる想いを使って何かを産み出している人たちは、ある種のエクスタシーのようなものを感じ続けているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 音楽の好みとしては、私はこれまで単独のアーチストを好きになったことはなく、例外なくグループが好きですね。グループの中で、一人一人が確実な役割を持ちながら自己を表現している姿が好きなのかもしれません。それだけで、音が三次元に形成されているような気がするのですね。私自身も、できる限り三次元でありたいものです。

人気blogランキングには、もともとブログの書籍化を夢見て参加させていただきました。まだまだほど遠いですが、私の夢を応援してくださると、大変うれしく思います。
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