« ホットヨガ(三六二回目) | トップページ | 釜あげうどんに魅せられる »

2014.01.26

映画『カーマ・スートラ/愛の教科書』

ホットヨガ(三六二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。年末年始と入院期間中、そして自宅療養期間中に、インターネットで鑑賞した映画が五十本を超えました。(苦笑)インターネットは映画の宝庫です。今回は、それらの鑑賞作品の中から、映画のレビューをお届けしたいと思います。

 本作を鑑賞したのは、十二月二十一日のことである。実は、何年か前にDVDで鑑賞した作品ではあるのだが、YouTubeでの英語のfull movieのリストに出て来たので、日本語字幕なしの英語のみで鑑賞してみた。DVDで鑑賞したときには、性描写にがっかりしてしまったのを覚えているのだが、こうして再び鑑賞してみると、嫌悪感を抱く性描写と、好感が持てる性描写の両方が存在していたことに気が付いた。

ダイジェスト版

本編

 召使のマヤと貴族の娘タラは、幼馴染だった。あるときタラは、藩王ラジャのもとに嫁ぐことになる。しかし、ラジャの視線がマヤに注がれていることを知ったタラは、みんなの見ている前でマヤに唾を吐きかける。そのことを怨みに思ったマヤは、ラジャとベッドを共にしてしまうのだった。やがてマヤは宮廷を追われる身となるのだが、宮廷彫刻家ジャイと出会い、恋に落ちる。その後、マヤは、ジャイが紹介してくれたある女性のもとで性愛の聖典『カーマスートラ』の奥義を学び、再び宮廷に戻ることができるのだが・・・・・・。

 嫌悪感を抱く性描写というのは、ラジャがタラやマヤとベッドを共にするシーンだった。ラジャの行為には愛がなく、彼の取るどんな行為も、自分の欲望を満たすためだけの行為であるように思えた。そんな彼は、女性たちに施す愛撫も、ずいぶん手抜きだった。

 それに対し、宮廷彫刻家ジャイとマヤのセックスシーンは、愛撫も多く、愛に溢れていて好感が持てた。挿入そのものがセックスだと思い込んでいる人たちもいるのかもしれないが、本作を鑑賞すると、そうではないことがはっきりわかる。しかも、ちゃんと、愛のないセックスは、互いにとって良いセックスではないことが表現されていたのだった。

 更に面白いのは、愛撫には、男女の区別がないということだった。すなわち、本作には、女性同士の愛撫のシーンも盛り込まれているのだ。不思議なことに、そのようなシーンを目にしても、ちっとも嫌な感じはしなかった。相手を大切に想っていることを表現するために、愛撫のシーンがふんだんに取り入れられているようにも思える。だから、敢えて男女を区別しようとしなかったのかもしれない。

 若い頃に鑑賞したときには、本作で表現されている愛撫の素晴らしさに気付かず、過剰な性描写にがっかりしてしまったのだが、改めて鑑賞してみて、作り手が本作を通して表現したかったであろうことの本質に気が付いた。嫌悪感を抱く性描写と好感が持てる性描写の両方が存在していることで、作品全体が性愛の聖典になっているようにも思えたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ベースに愛がないと、性描写に対して嫌悪感を抱いてしまうだけですね。反対に、ベースに愛があると、それが同性同士の行為であったとしても違和感を感じることなく鑑賞することができました。愛とは不思議なものですね。

人気blogランキングには、もともとブログの書籍化を夢見て参加させていただきました。まだまだほど遠いですが、私の夢を応援してくださると、大変うれしく思います。
↓↓↓↓↓↓

哲学・思想[人気blogランキング]に

|

« ホットヨガ(三六二回目) | トップページ | 釜あげうどんに魅せられる »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/59013774

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『カーマ・スートラ/愛の教科書』:

« ホットヨガ(三六二回目) | トップページ | 釜あげうどんに魅せられる »