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2013.11.10

振り返り(14)

ホットヨガ(三五二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。茨城県を中心に大きな地震がありましたが、関東地方にお住まいの皆さん、お怪我などはありませんでしたでしょうか。少し前に発生した地震に引き続き、今回も東日本大震災の余震とのことですが、それにしても、比較的大きな余震ですよね。東日本大震災以来、地震の数も規模も増加傾向にあるように思います。不安定な環境の中にあっても、何とか生き抜いて行かなければなりません。みんなそれぞれに、大きな課題を抱えながら生きて行く時代ががやって来ているのかもしれませんね。それでは、振り返り(13)の続きを書かせていただきます。

 通夜のあと、親戚の人たちがそれとなく話をしている中で、従兄が看護師の従姉に向かって、
「夜勤明けなんじゃろ<夜勤明けなんだろ)? 今日はもう帰ったら」
と言った。私は、看護師の従姉が夜勤明けで母の臨終に付き合ってくれたことは聞いていたが、父が帰宅している間に母が入院していた病室の後片付けもしてくれて、そのあと喪服に着替えて通夜に参列してくれたというのに、従兄が口にしたその言葉が先に出て来なかったことを恥じた。従兄のその言葉で、みんなが看護師の従姉のことを気遣ったので、看護師の従姉も、やや遠慮がちに、
「それでは、お先に失礼します」
と言って、みんなにあいさつをして立ち上がった。私も看護師の従姉に厚くお礼を言い、通夜が行われた控え室から看護師の従姉を見送った。そのときに、母のあごを支えていた大きな白いシュシュのようなものを処分しておいてくれるということと、口紅の件についても再び触れられた。看護師の従姉には、何から何までお世話になり、本当に有難いと思った。

 看護師の従姉が帰ると、他の親戚の人たちもぱらぱらと席を立って帰り始めた。誰もが翌日の葬儀にも参列してくれるようだった。それでも、何人かの親戚の人たちはまだ残ってくれていた。

 そんな中、女性の斎場スタッフが打ち合わせにやって来た。翌日の葬儀は十一時から行われることになっていたのだが、その前の九時に納棺の儀を行うという。納棺の儀とは、控え室の布団の上に寝かされている母の亡骸をお棺に納めるための儀式である。母の亡骸は、納棺の儀を経てお棺の中に納められ、お棺ごと祭壇の前に安置されるのだ。

 また、母がどのような人生を生きたかについて、斎場スタッフに尋ねられた。葬儀のときに、母の生きて来た人生が言葉で語られるという。父と私は、母が花をこよなく愛したことと、十年に渡り、母が実母(すなわち、私から見れば祖母)の世話をしたことを話した。

 納棺の儀のときに、母が好きだったものをお棺の中に入れてあげることになっていたので、父と弟、そして私で手分けして実家に戻り、母の想い出の品々を持参することになった。まだ親戚の人たちが残ってくれていたので、まずは弟が一人で実家に戻り、母が好きだった飼い猫の写真を携帯電話のカメラに収め、プリントアウトしてくれた。そのあと、父と私が一緒に実家に戻り、お棺の中に入れてあげる品々を探した。それとは別に、父は、母があちらの世界に持って行くためのお米や、葬儀のあとに割ることになっている、これまで母が使っていたお茶碗を用意した。また、近所に住む父の姉(すなわち、私から見れば伯母)も一緒に付き合ってくれて、母の想い出の品々を一生懸命、探し回った。

 父も私も冷静ではなかったので、できるだけ効率良く作業するために、用意すべきものを手帳にリストアップしておいた。そして、それらをまとめて斎場に持ち込むために新品のエコバッグを用意して、その中に次々に詰めて行った。

 私は、母が良く着ていたものを探してエコバッグに詰めた。母の普段着を目にするのはとても辛かった。冬になると、母は好んでロングスカートを履いていたのだが、そのロングスカートを伯母が見付けてくれたので、そのロングスカートも用意したエコバッグに詰めた。

 また、母は抗がん剤と全脳照射による放射線治療の副作用で髪の毛が抜けてしまっていたので、私が贈った医療用かつらをかぶせてあげたいと思っていた。しかし、家中、どこを探しても、そられの医療用かつらは見当たらなかった。母にはいくつかの医療用かつらを贈っていたのだが、最初のうちは、白髪の医療用かつらがあることを知らなかったので、栗色の医療用かつらを購入してしまった。しかし、母は、栗色の医療用かつらはあまりにも若々しすぎると言って、かぶるのを躊躇していた。その後、白髪の医療用かつらをようやく入手することができたので、再びいくつか購入して贈ったのだが、そのどれもが行方不明の状態だったのだ。最初のほうに贈った栗色の医療用かつらは見付かったのだが、母が着けるのを躊躇していた医療用かつらをかぶせてあげるわけにはいかなかった。

 思えば、最初に入院した病院には、私があとから贈った白髪の医療用かつらを持ち込んでいたはずなのだが、転院してからは、母は特に何もかぶらずに過ごしていた。わざわざ医療用かつらをかぶるのが煩わしいと思っていたのか、もはや医療用かつらをかぶるほどの精神的な余裕がなくなってしまったかのどちらかである。

 しかし、そんな母を気の毒に思ってくれたのか、母が医療用かつらを持っているとは知らずに、母の従姉が母のために肌ざわりの良い帽子を作ってくれた。母が息を引き取ったとき、病室にあったその帽子を誰かがかぶせてくれたようだった。とは言え、実は母は、最初に入院していた病院でお世話になっていた看護師さんからいただいた手作りの帽子がとても気に入っていて、最初に入院した病院でも、毎日のようにかぶっていたのだった。ところが、転院したあといったん退院し、救急車で急搬送されてからは、そのお気に入りの帽子もかぶらなくなった。そのお気に入りの帽子を探してみたのだが、父に聞いても、どこにあるかわからない状態だった。おそらく、病室でもうかぶらなくなってしまったので、父がどこかに片付けてしまったのだと思う。

 私は、白髪の医療用かつらも、母が気に入ってかぶっていた手作りの帽子も見当たらないことにやきもきしていた。それでも、母のために帽子を手作りしてくれた母の従姉が、母が息を引き取ったあとに病室に来てくれて、自分がプレゼントした帽子を母がかぶっているのを見て喜んでいたと看護師の従姉から聞いていた。それならば、その帽子をかぶったままで納棺してもらおうということになった。

 他にも、伯母にも見てもらいながら、母が持っていた着物の中から、最も適当な一枚を選び出した。医師から余命宣告を受けていたのなら、こうした準備を予め行っておくという方法もあったのかもしれないが、父も私も、それはできなかった。何故なら、帰省するときに喪服を持ち帰る罪悪感と同じように、母がまだ生きている状態で、母が亡くなったときのことを考えて行動するのは、やはり罪悪感と悲しみを伴うことになるからだ。

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