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2013.11.04

振り返り(13)

振り返り(12)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。インターネットを徘徊しながら、Karenさんという方が書かれているcare and shareというブログを見付けました。Karenさんがブログに綴られている内容は、これまで私が感じて来た悲しみにとても近いように思います。お母さまを亡くされてから、人とのコミュニケーションに求めるものが変わって来たというのも同じです。Karenさんのお仕事は翻訳家なのでしょうか。親が亡くなったときに自分を癒す方法という記事も書かれていて、その内容にとても癒されます。この記事の原文は、こちらでも紹介されています。私は、このブログの管理人であるKarenさんが、ブログに書き込まれた一つ一つのコメントに対し、とても丁寧に心を込めて返信されている姿に心を打たれました。こういう心のこもった返信は、綴った人の想いがいつまでもそこにあるような気がしますね。また、私もいつか綴ろうと思っていたのですが、Karenさんは大切な人を亡くした友達のためにできること2という記事も書かれていて、またまた共感できることがたくさんありました。私もいつか記事にまとめますね。それでは、振り返り(12)の続きを書かせていただきます。

 十九時少し前に、お坊さんが到着されたと、斎場スタッフから父に連絡があった。父は用意していたお布施などを持って、お坊さんの控え室を訪れた。お坊さんはしばらくすると、通夜の会場となる控え室に入って来られた。三十代後半から四十代前半くらいの年齢のお坊さんだった。

 真言宗のお坊さんの動作は、さすが密教と言われているだけあって、これまで私が身近で体験して来た浄土真宗のお坊さんの動作とはまったく異なっていた。動作の中には、どこか儀式的なところもあった。思えば、私が真言宗の通夜や葬儀に参列したのは、小学校四年生のときに父方の祖父が亡くなったときだけではないだろうか。祖母が亡くなったときは、私は広島で一人暮らしをしながら浪人中で、大学受験の本番を控え、ちょうど予備校の合宿に参加している最中だった。そのため、母が私に動揺を与えないようにと気遣って、祖母が亡くなったことを私に伏せてくれていたのだった。そんな背景から、祖母の葬儀には参列していない。しかし、合宿のあと、私は祖母に呼び寄せられるかのように、自ら帰省したのを覚えている。

 そんな状況だったので、真言宗のお作法に驚きを覚えた。おそらく、小学校四年生のときも体験しているはずなのだが、どのようなお作法であったのかを、すっかり忘れてしまっていたのだ。インターネットで検索してみても、真言宗の通夜や葬儀はとても印象的だと書かれていた。

 とは言え、お経はこれまで聞いたことのあるものが多かった。特に、般若心経は子供の頃から慣れ親しんでいたので、ほとんど空(そら)で唱えることができた。また、真言十三仏に対する真言も、私自身が仏像好きであるため、知っているものが多かった。

 通夜を終えたあと、母に与えられた戒名について、お坊さんが説明をしてくださった。母は花が好きだったので、花を意味する漢字が一文字使われ、母の名前の一部も、その漢字そのものではないが、それと近い意味の漢字が一文字使われていた。

 更にお坊さんは、法話を聞かせてくださった。その内容は、「末期(まつご)の水」に関するものだった。ご存知のように、「末期の水」とは、亡くなった人の唇を最期の水で湿らせてあげることである。私の実家方面では、一葉だけのしきび(しきみ)の葉を水で濡らして、亡くなった人の唇を湿らせてあげている。

 お坊さんの法話によると、その昔、お釈迦様が亡くなられる直前に水を飲みたいとおっしゃったので、弟子が川に水を汲みに行ったところ、あいにく、川の水がとても濁っていたので、水を汲まずにお釈迦さまのところにそのまま戻ったそうだ。しかし、お釈迦さまはどうしてみ水を飲みたいとおっしゃり、水が澄んでいる川の名前を弟子に告げたところ、実際にその川に弟子が出向いてみると、とてもきれいな水が流れていたので、弟子はその川の水を汲んでお釈迦さまに飲んでいただいたそうだ。「末期の水」は、そうした話から来ているという。

 私は、肺炎を引き起こしたために、水分をろくに取ることができなかった母の唇に、しきびの葉に水を含ませて何度も飲ませてあげた。母の安らかな顔は、娘の私が言うのも変だが、とてもかわいらしいと感じた。

 お坊さんが退出されたあとは、注文しておいたお寿司の盛り合わせを親族でいただくことになった。しかし、私は食欲がなく、ほとんど食べることができなかった。人数をしっかりと把握できていなかったので、お寿司の盛り合わせが足りるかどうか心配だったが、ほんの少し余っただけなので、ちょうど良かったようだ。親戚の女性たちがお茶を入れるのを手伝ってくれて、有り難かった。

 ただ、私は、母の弟や妹が通夜に来てくれていないことが気になっていた。実は、母は、少しの間、自分の兄弟と疎遠になってしまっていた。母の入院中も、お見舞いに来てくれたりはしたのだが、気まずくなるような出来事もあり、父は母の従弟や従姉に、母の兄弟への連絡をお願いしたという。しかし、通夜に駆けつけてくれた母の従弟や従姉の話によると、三人いるはずの母の兄弟の誰にも電話が繋がらなかったというのだ。そのため、通夜のことを知らず、通夜に足を運んでくれなかったようだ。私は、そのことが気になってはいたのだが、斎場スタッフとの今後の打ち合わせも入ったり、翌朝、行われることになっている納棺のために、実家に戻って母の想い出の品々を用意しなければならなかったりと、とても慌しい状況に陥ってしまったのだった。

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