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2013.10.23

振り返り(10)

振り返り(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 先日の台風で大きな被害が出たばかりだというのに、またしても大型台風がやって来ていますね。これから先、どんなに技術が発達したとしても、大型台風から人々を守ることができるような技術は生まれないのでしょうか。前回、大きな被害が出た地域への被害が少ないまま通り過ぎてくれるといいですね。私たちも、来るべき台風に備えましょう。さて、月日が経つのは早いもので、先日の日曜日に、母の四十九日の法要を終えました。父も私も、何だか気が抜けたような感じです。四十九日の法要を終えたとしても、気持ちはなかなか現実には追いつかないものですね。それでは、振り返り(9)の続きを書かせていただきます。

 ガンモと私はカングーから降りると、喪服と必要最小限のものだけを手に持って、通夜の会場へと足を踏み入れた。その日に行われるのは母の通夜だけだった。斎場スタッフに案内されて控え室に向かうと、既に何人かの親戚の人たちが集まってくれていた。私が帰省しているときに母を見舞ってくれた人たちとはしばしば顔を合わせていたが、集まってくれていた親戚の人たちの中には、もう何年も顔を合わせていない人たちもいた。

 既に何人かの親戚の人たちが集まってくれているということは、もはや家族葬で母を送る選択肢はないだろうと思った。私自身の中にも、家族葬で母を送るよりも通常の葬儀のほうがいいのではないかという想いが芽生えていたので、その流れには逆らわなかった。

 母の亡骸は、きれいな布団の上に寝かされ、顔には上品な白い布がかぶせられていた。私は荷物を置くと、母が横たわっている枕元に座り、母の顔に被せられている上品な白い布をそっとめくった。

 そこには、この世のすべての時間が止まってしまった母の穏やかな顔があった。その顔を見た途端、私は父から聞いていた通り、母がほとんど苦しむことなく息を引き取ったことを確信した。母の魂が肉体を去ってしまった悲しみは込み上げて来たものの、肺がんを患いながらも、肉体の苦しみに支配されることなく静かに息を引き取ったことがせめてもの救いだと思った。

 ただ、驚かれるかもしれないが、母はまだ満七十歳だった。母は二十歳のときに、当時二十三歳だった父とお見合い結婚して、二年後に長女である私を生んでくれた。その私が今年、年女なので、父と母はあと三ヶ月で金婚式を迎えられるはずだったのだ。

 私は、愛情を込めて母の頬を撫でてみた。既に体温を失ってしまった母の頬は冷たくなっていた。それでも、表情だけはとても穏やかだった。

 悲しみが込み上げて来ても、私たちは前に進んで行かなければならなかった。私はまず、母の携帯電話に登録された情報を頼りに、先ほど自宅に足を運んでくださったという母の友人に電話を掛けた。私自身は、その方と面識があったので、電話を掛け易かった。そして、電話に出てくださった母の友人に、十九時から通夜を行うこと、翌日の十一時から葬儀を行うことを伝え、よろしければ足を運んでくださいとお願いした。すると、ありがたいことに、通夜にも葬儀にも足を運んでくださると答えてくださった。

 そして私は、もう一人の母の友人に電話を掛けた。その友人は、しばしば野菜を分けてくださったり、母が入院しているときに電話を掛けて来てくださったりした方だ。母からも、何度となくその方の話を聞いていたし、入院中の母が電話に出られないときに、私が代わりに電話に出たこともあったのだ。その方は、通夜には足を運べないものの、葬儀には参列してくださると答えてくださった。

 喪主となった父は、いろいろなことで頭がいっぱいのようだった。通夜や葬儀を行うに当たり、決めなければならないことや用意しなければならないものがいくつもあった。ガンモや私は、義母と義父の葬儀で喪主代行や喪主を経験しているのだが、末っ子の父は、身近な人の葬儀で喪主を務めるのは初めてだったようだ。

 斎場スタッフが、通夜や葬儀に来てくださる方たちにどのようなお料理をお出ししておもてなしをするかの判断を父に委ねていた。そのため、私たちは通夜や葬儀に来てくださる方たちのおおよその人数を把握しておく必要があった。その結果、通夜に来てくださる方たちには大皿のお寿司を用意し、葬儀に足を運んでくれる親族には、一人一人、お料理を用意することになった。

 今回、初めて知ったのだが、私の出身地にある火葬場では、火葬している間、火葬場に用意された控え室で親族が集まって軽い食事をすることになるのだそうだ。そのための大皿料理も注文する必要があった。

 これまでに、ガンモの実家方面でいくつかの葬儀を経験して来た私たちだったが、ガンモの実家方面では、火葬が始まるといったん斎場に戻り、火葬が終わるまで斎場で軽い食事をしながら待機していた。そして、火葬が終わる頃に再び火葬場に出向き、骨を拾い、そのあと再び斎場に戻り、初七日の法要を行う流れになっていた。本格的な料理を食べるのは、初七日の法要のあとだった。

 しかし、私の実家方面では、葬儀のあとに初七日の法要も行ってから親族で火葬場に出向き、火葬している間に、火葬場に用意された控え室で簡単な料理を食べることになっていた。そして、簡単な料理を食べている間に火葬が終わると、骨を拾ってから斎場に戻り、本格的な料理を食べるという流れだった。

 それにしても、午前中に亡くなってしまうと、その日のうちに通夜をして、翌日には葬儀をして火葬することになるというのは、あまりにも流れが速すぎるのではないだろうか。せめて三日ほど掛けてゆっくりとお別れをしたいものだと思った。しかし、私たちはそんなことをじっくりと考える余裕もなく、定められた予定を次々にこなして行かなければならなかったのだ。

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