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2013.06.19

映画『もうひとりのシェイクスピア』

濃厚な時間(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この時期に台風が来ているようですが、とらえ方によっては恵みの雨でもありますよね。台風は来なくていいので、雨だけ降ってくれればいいなあ、などと思っています。

 本作を鑑賞したのは、映画『96時間/リベンジ』を鑑賞したのと同じ一月十八日のことである。この日はTOHOシネマズの1ヶ月フリーパスを活用して、全部で四本の作品を鑑賞した。本作は、そのうちの二本目の作品である。

 本作もまた、劇場で予告編を何度も見ていて、劇場公開されたら絶対に鑑賞しようと心に決めていた作品である。しかし、実際に鑑賞してみると、登場人物が多い上に、時代が変わると、同じ登場人物でも演じる役者さんが変わってしまうため、ストーリーを追うのに精一杯だった。こうして本作のレビューを書くに当たり、映画サイトに書かれている情報を参照しながら、理解を深めているところである。

 世界的に有名な劇作家であるウィリアム・シェイクスピアに関する個人情報は、意図的に抹消されてしまったのか、存在していないのだそうだ。そのため、作品は残っているものの、それらの作品を一体誰が書き上げたのかという情報がまったくない状態なのだそうだ。本作は、その謎に対し、ある仮説を立てたものである。

 その仮説とは、ある貴族がウィリアム・シェイクスピアの影武者だったというものである。その影武者とは、若い頃にエリザベス一世と恋仲にあったオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアである。その後、彼はエリザベス一世との関係を引き裂かれ、エリザベス一世の宰相であるウィリアム・セシル卿の娘と結婚させられる。この物語には、叶わなかった恋に対する悲しみが込められてもいるわけだ。

 エドワードにとって書くということは、エリザベス一世への熱き想いにも繋がっている。おそらく、エリザベス一世への熱き想いは、エドワードにとっての軸になっていたはずである。書くという行為が、そうした熱き想いに繋がっていなければ、おそらく多くの人たちを魅了することはできなかっただろう。書き手の愛の経験と、鑑賞する側の愛の経験が、高いレベルで反応し合うのである。

 本作でメガホンを取っているのは、何と、ローランド・エメリッヒ監督である。これまでの作品とはまったく異なる分野の作品に挑戦されたというわけだ。

 愛し合う男女が映画の中で引き離されると、鑑賞している人たちは、「どうしてあんなに愛し合う二人を引き離してしまうの?」という理不尽な気持ちになってしまうものだが、もしもエドワードとエリザベス一世の愛が悲恋でなければ、エドワードは書くということに関して、これほど情熱を注ぎ込まなかったかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうしておさらいしてみると、良くできている作品だと思います。ただ、登場人物の数が多いと、ストーリーを追い切れません。(苦笑)

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