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2013.05.17

映画『その夜の侍』

ホットヨガ(三三二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m オフィスで何となく、他の方たちの机の上を見てみると、何人かの方たちが、職場の電源を使ってスマートフォンを充電されているのがわかりました。やはり、スマートフォンは電池を消費するので、勤務先の電源を拝借してでも、充電したいものなのですね。

 本作を鑑賞したのは、十二月一日のことである。劇場で何度か予告編を観ていたので、自然な流れでの鑑賞となった。

 堺雅人くん演じる中村健一は、東京で小さな鉄工所を営んでいる。あるとき健一の妻は、山田孝之くん演じる木島宏にひき逃げされ、帰らぬ人となってしまう。やがて木島は逮捕され、服役したものの、それ以来、健一は固く心を閉ざしてしまう。そして健一は、自らの手で木島を殺そうと心に決めるのだった。

 夏の暑い盛りに、何かにとりつかれたような顔をした男が包丁を持って歩いている。妻をひき殺した木島を自分の手で殺そうとチャンスをうかがいながら歩いている健一である。その表情と彼の置かれている立場を想像すると、こちらにも緊張感が伝わって来る。健一は、妻と一緒に暮らしていた部屋で、妻が生きていたときのままの状態を保ちながら、妻が残した留守番電話のメッセージを何度も何度も繰り返し聞いている。その光景は、あのときから、健一の時が止まってしまっていることを物語っていた。

 人が愛を知れば、愛し合う喜びで満たされるものの、愛する人を失ったときの喪失感も同時に知ることになる。愛が深ければ深いほど、喪ったときの悲しみも深くなる。反対に、愛を知らなければ、愛で満たされることがない代わりに、愛を失ったときの喪失感を知ることもない。本作においては、健一が前者の立場で、木島が後者の立場だと言えるだろう。果たして、人として、どちらがより幸せと言えるのだろうか。

 本作で興味深いと感じたのは、健一を突き動かしているエネルギーが、「自分をこんな目に合わせておいて!」という恨みからではなく、亡き妻への愛から行動していると感じられることだ。良く似ているのだが、両者はベクトルが違う。「自分をこんな目に合わせておいて!」という、いわば自己愛的な言動ならば、見ていて興ざめしてしまうのだが、亡き妻への愛からの行動となると興ざめしない。それは、愛を知った人という意味での安心感があるからなのかもしれない。

 雨の夜、健一はとうとう木島を殺すために接近するのだが、二人がもみ合うシーンが何とも不思議である。やはり亡き妻への愛が健一を突き動かしているから、このような展開になるのではないかと思えるのだ。

 それにしても、山田孝之くんは、悪役が板について来たと思う。悪役とは、つまり、愛を知らない役を演じ切るということでもある。しかし、悪役に慣れてしまうと、愛を知っている善良な役柄を演じることが難しくなってしまうのではないか。ちょっぴりそんな心配もしてしまったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とにかく、対照的な二人が描かれていました。留守番電話のメッセージを何度も何度も聞くというのは、痛々しいですね。しかし、それも、愛を知ればこそ、の行為だと思うのです。

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