« 「面会人の名前は言えません」 | トップページ | ファースト・イレッサ(20) »

2013.02.10

映画『私が、生きる肌』

「面会人の名前は言えません」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一日があっという間に過ぎて行きます。その日の出来事を振り返ろうとしても、すぐに次の日がやって来てしまうという感じです。その日に起こった出来事を記録する暇もありません。時間が過ぎて行くスピードを調整できるつまみがどこかにあればいいのですが・・・・・・。(苦笑)

 本作を鑑賞したのは、六月十五日のことである。

 ペドロ・アルモドバル監督の作品というと、映画『オール・アバウト・マイ・マザー』や映画『死ぬまでにしたい10のこと』、映画『ボルベール <帰郷>』映画『抱擁のかけら』を鑑賞している。もしかすると本作は、これまでに鑑賞したペドロ・アルモドバル監督の作品の中で、最も衝撃的な作品だったかもしれない。

 優秀な形成外科医のロベルは、愛する妻を亡くしてしまった悲しみから立ち直れないでいる。そのため彼は、形成外科医としてのモラルを侵して、ある人物に人口皮膚を移植することで、亡き妻の代役に仕立て上げてしまう。見た目は亡き妻にそっくりの代役だが、人口皮膚の下には、亡き妻の代役をつとめている人物の本心が隠されているかのように見えた。

 まず、予告編において、美しい女性が全裸かと思えるような格好で身体を動かしている姿が目に入り、驚いてしまった。実は彼女は、ロベルによって人口皮膚を移植された、ロベルの妻の代役だったのだ。おそらく、人口皮膚が身体に馴染むまでは、そのような格好をして、人口皮膚が馴染むのを待っていたのだろう。

 確かに、愛する者を喪ってしまえば、どんな形であれ、自分の側にいてくれたらいいのにと願う気持ちも良くわかる。しかし、ロベルが望んでいたのは、あくまで亡き妻の肉体が再現することだったのだろうか。肉体のみを亡き妻そっくりに創り変えてしまったとしても、果たしてそれが亡き妻となり得るのだろうか。そこが一番の疑問である。ということは、本作の真逆の作品としては、内面が同じでも、外見がまったく異なる人物を妻として愛するということなのだろう。もちろん、私としては、後者のほうが好みではある。

 強引にことを進めてしまったばっかりに、衝撃的な結末が用意されている作品なのだが、途中のシーンにも凄まじいシーンが含まれている。亡き妻の姿が美しいだけに、やりきれないものがある。全体としては、復讐が巧みに盛り込まれた精巧な作品と言えるだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 亡き妻の代役を演じているエレナ・アナヤは本当に美しいですね。女性の私でさえ、思わず見とれてしまうほどの美しさでした。強烈な性描写も含まれていますが、良い作品だと思います。

人気blogランキングには、もともとブログの書籍化を夢見て参加させていただきました。まだまだほど遠いですが、私の夢を応援してくださると、大変うれしく思います。
↓↓↓↓↓↓

哲学・思想[人気blogランキング]に

|

« 「面会人の名前は言えません」 | トップページ | ファースト・イレッサ(20) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/56740840

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『私が、生きる肌』:

« 「面会人の名前は言えません」 | トップページ | ファースト・イレッサ(20) »