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2012.11.18

映画『汽車はふたたび故郷へ』

ステンドグラスみたいな老眼鏡の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ステンドグラスみたいな老眼鏡の記事に掲載した老眼鏡は、帰宅してからアップさせていただいたのですが、もう少し写真を追加する予定です。追加したらまたお知らせさせていただきますね。

 本作を鑑賞したのは、三月十七日のことである。旧ソ連の共和国の一つだったグルジアという国のご出身であるオタール・イオセリアーニ監督がメガホンを取った作品である。梅田店のスタジオでホットヨガのレッスンを受けたあと、スタジオ近くのミニシアター系映画館で鑑賞した。私が鑑賞した上映回では、上映終了後にグルジア出身の男性によるトークショーが開催された。

 本作は、オタール・イオセリアーニ監督自身の半生を振り返ったものだと言われている。若き主人公であるニコは、映画を撮りたい一心で映画作りを始めるものの、検閲や思想統制によって、映画作りがなかなかうまく行かず、苦悩する。

 登場人物は、ニコの家族や友人たちなのだが、日本人として驚いてしまうのが、登場人物らがお茶を飲むかのごとくお酒を飲んでいることである。かと言って、お酒にひどく溺れているわけでもない。登場人物らにとって、どうしても切り離せない日常として、お酒が存在しているようだった。

 あまりにもお酒を飲むシーンが多かったので、上映終了後のトークショーでグルジア出身の男性に質問させていただいた。
「映画の中では、お酒を飲んでいるシーンがかなり多かったのですが、グルジアの人たちはみんなお酒が強いのですか?」
私がそんな質問をすると、会場からは笑い声があがった。おそらく、他の方たちも同じように感じていらっしゃったのだろう。グルジア出身の男性からは、やはり、みんなお酒には強いという答えが返って来た。

 話を映画に戻そう。このままグルジアにいても、自由に映画を撮ることができないとわかったニコは、やがて自由な国フランスへと亡命する。しかし、フランスで彼の実力が認められ、ありがたい出資者も現れたものの、今度はニコの撮る映画を商売道具として扱われるようになり、ニコ自身が撮りたい映画ではなく、売れる映画を撮るようコントロールされるようになる。果たして、ニコの表現の自由はどこにあるのか。

 自由であるときは、不自由さを感じることがないために、自由のありがたみがわからないものだが、ニコのように環境的にもいろいろな制約を受けていた立場からすれば、自由であることのありがたみを身をもって実感していることだろう。私は気づかなかったのだが、トークショーでグルジアのお話をしてくださった男性が、ラストシーンに監督の求めた自由が表現されているとおっしゃっていた。なるほど、そのように解釈するのかと思った。

 グルジアよりも自由な国である日本に住んでいる私からすると、何故そこまで制約するのだろうと理解できないシーンも多かったのだが、グルジア出身の男性のトークショーのおかげで本作への理解も深まったように思う。その後、その男性ともう一人の男性が二人で音楽を披露してくださり、ミニシアター系映画館ならではの企画で楽しむことができた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m グルジアという国があることを、本作を鑑賞して初めて知りました。それにしても、映画の登場人物は、私たちがお茶を飲むようにお酒を飲んでいましたね。いろいろな規制により、緊張した生活をお酒で緩ませているのかもしれませんね。

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