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2012.06.12

映画『ゲーテの恋 ~君に捧ぐ「若きウェルテルの悩み」~』

神戸花鳥園で過ごす休日(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m オフィスがとても暑いので、涼しさを求めて勝手に使用し始めたUSBファンですが、一台では物足りなくなって来たので、自宅からもう一台持ち込んで、二台いっぺんに稼働させています。(苦笑)それなりに涼しいのですが、オフィス内にはパソコンなどの熱気がこもっているため、やはりクーラーほど涼しくはありません。窓を開けてもらえればずいぶん涼しい日もあるのに、オフィスではなかなかそういうわけにも行きませんね。

 本作を鑑賞したのは、十月二十九日のことである。愛と結婚が必ずしもイコールではなかった時代、ドイツの文豪ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』のモデルともなったゲーテ自身の叶わぬ恋を描いた作品である。脚本と監督を担当しているのは、映画『アイガー北壁』のフィリップ・シュテルツェルだ。

 法律を学ぶゲーテは、実のところ作家志望であるものの、父の強い勧めにより、ヴェッツラーの裁判所で実習生として働くことになる。同僚とすぐに仲良くなったゲーテは、同僚と連れ立って出掛けた舞踏会でシャルロッテという女性との運命的な出会いを果たす。

 その後、礼拝堂で歌を歌うシャルロッテと再会したゲーテは、瞬く間にシャルロッテに恋をしてしまう。ゲーテが小説を書くことが好きなのと同じように、シャルロッテは歌を歌うことが好きなのだ。しかし、シャルロッテの家は弟や妹も多く、生活は貧しかった。そして、そんなシャルロッテに恋をしていたのは、実はゲーテだけではなかった。あろうことか、ゲーテの上司であるケストナー参事官は、シャルロッテの父親を通してシャルロッテに結婚を申し込んでいたのだった。ケストナー参事官と結婚すれば、シャルロッテには裕福な生活が約束されるだけでなく、これまで学校に行くことのできなかった弟や妹たちを学校に行かせることもできる。しかし、シャルロッテの心はゲーテ一色に染まっていた・・・・・・。

 ちなみに、ゲーテの上司であるケストナー参事官を演じているのは、映画『ミケランジェロの暗号』のモーリッツ・ブライブトロイである。映画『ミケランジェロの暗号』とはまた違った役柄である。

 愛と結婚はイコールだと思っていたい私としては、チクチクと胸が痛む話である。私自身がシャルロッテだったとしたならば、果たしてどのような決断をしただろうか。本当に生活が苦しいという経験がないのでわからないというのが正直なところだ。本当に生活が苦しいとき、それでも自分自身の幸せを取るのか、はたまた家族の幸せを取るかということにかかって来る。

 とは言え、本当の意味での幸せとは一体何なのだろうか。金銭的に恵まれていることなのだろうか。ケストナー参事官のように、自分だけの一方的な想いで、好きな人との結婚を果たすことだろうか。

 本作のような光景を目にするとき、私たちは不完全な存在であることを意識せずにはいられない。そう、何かを手に入れようとすると、まるで押し出されるかのように、別の何かが足りなくなってしまうのだ。

 例えば、仕事中に暑いので、団扇(うちわ)でパタパタ扇(あお)ぐとしよう。そうすると、涼しさを手に入れることはできるものの、仕事中であるにもかかわらず、片方の手の自由は奪われてしまう。また、団扇で扇いで風を産み出すことによって、目が乾いて来る。このように、何かを得ると、一方で何かを失ってしまうのが、私たちのいる二元的な世界なのである。

 しかし、そんな二元的な世界で本当の幸せを見出だそうとするならば、例え行動することによって何かを失ってしまう(あるいはもともと手に入らない)としても、そこにこだわりを持たずに、自分の新たなる選択によって心からの喜びを感じられることではないだろうか。

 例えば、シャルロッテにしてみれば、金銭的には苦しくても、彼女が心から愛するゲーテと一緒になれることが彼女にとっての本当の幸せであり、家族にとっても、金銭的には苦しくても、シャルロッテが心から愛する人と結ばれることが本当の幸せであるように思える。言い換えると、何かを犠牲にして得たものは、表面的な幸せに過ぎないのではないかということである。

 とは言え、不完全であり続けることは、私たちに魂の成長をもたらしてくれているのではないだろうか。もしも何から何まで完成されてしまっていたら、私たちはたちどころに目標を失ってしまう。だからこそゲーテは、自らの経験によって、小説『若きウェルテルの悩み』を書き上げることができたのではないだろうか。私は、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』を読んだわけではないが、もしもこの小説に書かれていることが表面的な出来事ならば、実に二百年以上にも渡って、世界中の人たちに読まれることもなかったのではないかと思うのだ。すなわち、ゲーテの奥深いところにあった魂の叫びに、多くの人たちが反応したのではないだろうか。

 ところで、本作で私が気に入っているところは、ゲーテとシャルロッテが再会するシーンだ。あれほど深く愛し合った二人なのだから、そこですべてを捨てて新たな人生を、などという展開をちょっぴり期待したりもするのだが、理性的な二人はそうはならない。そういうところが素晴らしくもある。自分の選択を受け入れ、責任を果たすとともに発展させようとしているのである。

 ひょっとするとゲーテとシャルロッテは、長い長い転生の中で、今回の転生では一緒にいられないようなカルマを作ってしまい、一緒に過ごさないことでカルマを解消した上で、次の転生で一緒になることを約束しているのかもしれない。ふと、そんなことを感じた作品だった。

 ちなみに、私ごとで恐縮だが、三年前に、本作の舞台となっているヴェッツラーに足を運んだ。のちにカメラのライカユーザーの聖地となったヴェッツラーで、このような歴史的ドラマが繰り広げられていたとは実に感慨深い。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ゲーテは、愛する女性と結ばれなかっただけでなく、親友の自殺によっても心を痛めます。私には想像もできないような苦悩がゲーテを襲ったわけですが、ゲーテはそうした苦悩を体験することによって、平面から立体に変わってしまうくらいの大きな変化を遂げたのかもしれません。それは、魂の成長と呼べるものだと思います。

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