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2012.06.24

映画『キリマンジャロの雪』

神戸花鳥園で過ごす休日(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久し振りにdocomoショップに足を運んでみました。特に機種変更を希望しているわけではなかったのですが、最近の携帯電話の動向を探るためです。私は現在、スマートフォンではないFOMA端末を使用しています。ニンテンドー DS Liteよりも少し大きいくらいの端末で、フルキーボード付きなので、仕事のある日の「ガンまる日記」はすべてこれで更新しています。しかし、docomoショップには、現在、私が使用している携帯電話の後継機となるような機種は見当たりませんでした。やはり今後はスマートフォンに移行して行くのでしょうか。私は、スマートフォンや何とかパッド系は、ソフトウェアキーボードしか付いていないので使いたくありません。こんなふうに思っているのは私だけなのでしょうかね。

 今回は、昨日鑑賞したばかりの作品をご紹介させていただこうと思う。三宮店でホットヨガのレッスンを終えて、いつも映画を鑑賞しているミニシアター系映画館の上映スケジュールを確認してみると、これから鑑賞するのにちょうど良い作品が二本あった。さて、それらのうち、どちらを選ぶかで少し悩んだのだが、できるだけ早く鑑賞したかったので、上映時間の早いほうを選んだ。それが本作だったというわけだ。

 舞台となっているのは、フランスの港町マルセイユである。人員削減を余儀なくされた会社が、くじ引きで退職者を選んでいる。労働組合委員長を務めていたミシェルは、立場上、自分自身をくじの対象から外すこともできたというのに、他の労働者たちと平等にするために、自分自身もくじの対象に加え、退職者に当選してしまう。そんなミシェルは、妻のマリ=クレールに、自分が退職することになったいきさつを正直に話す。それに対し、マリ=クレールはミシェルを責めようともせず、
「英雄(ヒーロー)と暮らすのも大変ね」
などと言って、現状を受け入れようとする。もう、その時点でこの夫婦に好感が持てるのだ。

 日本でも同じような作品を作るとしたら、どうしても妻の設定に無理が生じてしまうように思う。日本には、まだまだ男尊女卑の傾向が根強く残る一方で、夫の立場よりも妻の立場のほうが圧倒的に強い。もしも主人公が日本人の恐妻と呼ばれる立場の女性ならば、夫がミシェルのように自分自身をくじの対象から除外することもできたにもかかわらず、くじの対象に加え、見事に退職者として当選してしまったりしたら、
「仕事が決まるまでは、晩飯抜きだからね!」
などと言ってしまいかねない。とは言え、マリ=クレールがミシェルの選択を受け入れたのには、ある程度の貯蓄があったことも想像される。

 そんな素敵な夫婦は、結婚三十周年を迎え、子供たちや仲間たちからお祝いをしてもらう。そのシーンが何とも素晴らしい。ミシェルは、お祝いの場に集まってくれた人たちの前で、「どんなときも愛している」とマリ=クレールへの熱き想いを語るのだ。

 日本人の夫婦ならば、年齢を重ねるごとに次第にストレートな愛の言葉を口にしなくなってしまうことだろう。日本人の夫婦がセックスレスに陥りやすいのも、もしかするとそのせいかもしれない。結婚三十周年を迎えたミシェルは、いつまでも妻への愛を絶やさず、結婚当初のように妻への熱き想いをみんなの前で公言することができるのだ。日本人夫婦との違いは大きい。

 さて、ミシェルとマリ=クレールは、結婚三十周年のパーティの場で、子供たちからプレゼントを受け取る。それは何と、キリマンジャロへのツアー付き航空券とお金だった。

 しかし、後日、マリ=クレールの妹夫婦が遊びに来ているときに、ミシェルの家にマスクをした強盗が入って来て、それらのお金とキリマンジャロ行きの航空券の入った箱やキャッシュカードまで盗んでしまう。ピストルを突きつけられ、キャッシュカードの暗証番号まで聞き出され、答えた暗証番号が正しいと確認できるまでは見張りの強盗がずっと家に残っていたという恐ろしい状況だった。

 命は助かったものの、彼らは身体や心に傷を負った。しかし、のちにその強盗犯がミシェルのかつての同僚だったことがわかり、ミシェルらは愕然とする。

 私が本作を素晴らしい作品だと絶賛したいのは、強盗に押し入られたミシェルたちが、決して被害者には留まらなかったことだ。魂の成長という観点からすれば、被害者に留まり続けることは、魂が成長できずに足踏みを続けることだろう。しかし、ミシェルらは決して被害者に留まることなく、犯人が幼い二人の弟を抱えた上で、ミシェルの行ったくじ引きにより解雇されてしまったことが原因で、生活に困り果てた上での犯行だったことを理解した。そして、勇気をもって、自分たちが取りたいと思う行動を取ったのだ。そんなミシェルとマリ=クレールの魂は、大きな成長を遂げたことだろう。もちろん、ミシェルらがその選択をするにあたり、近親者の反対もあったかもしれないが、それを受け入れようとする近親者の魂にも成長がもたらされたのではないだろうか。

 私は、これほどまで心に響く繊細な作品を鑑賞することができたことに対し、深い喜びを感じるとともに、相変わらず、このような繊細な作品が大きな劇場では公開されることがなく、都会に住む繊細な映画好きの人たちの目にしか触れられないであろうことをとても残念に思った。そんな素晴らしい作品を、一人でも多くの人に鑑賞してもらいたいと思い、まだ公開中のうちにレビューを書かせていただいた次第である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二人が生活している空間にも好感が持てました。ミシェルとマリ=クレールの生活は、決して裕福とは言えないのかもしれませんが、それなりに住む家も庭もあり、とても居心地の良さそうな空間となっています。本作を鑑賞したあとは、マルセイユで暮らすごく一般的な家庭で起こったドラマを静かに見守ったような気がしました。

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