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2012.03.23

忘れられない結婚記念日

ホットヨガ(二八六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ソフトキャリーケースを転がして、またまた地元の映画館に足を運びました。私のソフトキャリーケースをご覧になった映画館のスタッフが、「そちらのお荷物、お預かりします」とおっしゃったので、今度は「持ち込みたいのですが」と主張してみました。すると、「防犯上、お預かりすることになっていますので」と返されてしまいました。私が、「隣の席が空いているはずなので、そこに置きます」と言うと、「わかりました」と承諾してくださいました。このやりとりから感じたのですが、ソフトキャリーケースは、私のために預かってくださるわけではなかったのですね。(苦笑)

 担当外の医師による説明を受けた帰り、私たちは香川県の病院に入院していた義父を見舞った。長いこと糖尿病と向き合って来た義父は、その一年ほど前に脳梗塞を患い、奇跡的な回復を遂げたものの、その後の経過はあまり芳しくなかった。私たちが兵庫県に住んでいるということで、近くに住む義弟が献身的に義父の身の回りの世話をしてくれていた。

 私たちが義父を見舞った数日後、義父はとうとう帰らぬ人となってしまった。思えば、この頃の私たちは、いろいろな意味で必死だったと思う。義父の様態も芳しくない状態で母の肺がんが発覚し、心の中ではどっちを向いたらいいのかわからない状態だった。もしかしたら、義父にはそんな心の叫びが聞こえていたのかもしれない。

 義父が亡くなったという知らせを受けて、私たちは休暇を申請し、支度を整えてガンモの実家へと向かった。そして、静かに義父を見送った。

 私の実家の両親は、義父のお通夜にも葬儀にも参列することができなかった。母にしてみれば、自分自身も死と向き合わなければならない状況の中で、精神的にも肉体的にも負担が大きかったのだろうと思う。それに加え、抗がん剤治療による入院を間近に控えていたため、あれもこれも選択することはできない状況だったのだろう。

 義父のお通夜や葬儀のために、私たちがガンモの実家に帰省している間に、母の入院日が確定した。それは、義父の葬儀の二日後のことだった。義父の葬儀の翌日まで、私たちは香川県にあるガンモの実家に滞在してはいたのだが、愛媛県にある私の実家に寄って、母の顔を見てから兵庫県に戻るかどうかでしばらく悩んだ。葬儀後になすべきことがたくさん残っていたため、帰り支度を整えて、ガンモの実家を出るのがお昼過ぎになってしまった。それから愛媛県にある私の実家に寄って、兵庫県にある我が家に帰宅するには既に遅い時間だった。それに加え、入院を翌日に控えている母を見舞うのは、かえって母を疲れさせてしまうのではないかという懸念もあった。

 結局、私たちは考えた末に、無理をしないことに決めた。あとから知ったことだが、私の実家のある地域では、身近な人が亡くなると、四十九日が終わるまでは、人との直接的な交流を避ける風習があるらしい。特に、母はそうした風習を重んじる傾向にあるので、このとき私たちが帰省するのを見送ったのは、あながち的はずれな行動ではなかったと言える。そして、そのことを知った私たちは、義父の四十九日が終わるまでは、私の実家には帰省しないことに決めたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この頃の私たちは、とにかく必死でしたね。義父が亡くなったのは、私たちの結婚記念日のことでした。私たちの結婚記念日に義父が亡くなったことに対し、母は、私たちが義父のことを忘れないようにするためではないかと言っていました。確かに私たちは、義父のことで義弟に頼ってばかりいましたので、毎年、このような形で義父のことを思い出せるほうがいいのかもしれません。

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