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2012.01.20

どんな会話でもいいわけじゃない(後編)

どんな会話でもいいわけじゃない(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かなりの円高ですね。何と、ユーロが百円を切っています。二、三年前にガンモと一緒にヨーロッパを旅行したときは、一ユーロ百六十円台だったと記憶しています。しかも、今はポンドが百二十円弱ではないですか。私たちがロンドンを訪れたときは、一ポンド二百五十円程度でした。当時は、懐と相談しながらチップを用意していたような気がします。逆に今は、日本にいる外国人の方たちが、当時の私たちと同じような想いを抱えていらっしゃうのでしょうね。こういうときは、円を使って、海外通販を利用するに限ります。

 仕事帰りに、どんな会話でもいいわけじゃないの記事に書いた派遣仲間と一緒になった。私は彼女に、先日、気遣いのメールを送ってくれたことに対し、お礼を述べた。彼女の中には、警備員さんと私の間に入って、私ができるだけ早く帰宅できるように応援したいという気持ちがあったらしい。しかし、警備員さんがとても良くしゃべるので、間に割って入れなかったそうだ。

 彼女とは、仕事帰りに地下鉄の中でしばしば話をしている。彼女の中には、スピリチュアルな考え方がベースにあるので、私が心の中で思っている本心を口にし易い。

 そんな彼女は、人の誕生日や血液型を覚えることに興味がないため、一度聞いてもすぐに忘れてしまうのだそうだ。一方、私はというと、人の誕生日や血液型はすぐに覚えてしまうし、名前や顔を覚えるのも速い。また、時には誰がどこの大学出身で、専攻は何かということまで覚えていたりする。それは、私が普段から、それらの情報にアンテナを立てることによって、人とのコミュニケーションの材料に使用しているためでもある。

 彼女は、そんな私に対し、コミュニケーションの取り組み方が真剣だと言ってくれたのだが、私自身は人とのコミュニケーションにあまり満足していないと答えた。警備員さんとのとりとめのない会話ももちろんそうなのだが、特に携帯電話が普及してからは、端末に自分の名前が表示されるために、メールでも自分の名前を名乗らなかったり、相手の名前を呼び掛けなかったり、相手の言葉を引用せずに自分の言葉ばかりで返事が書かれるので、コミュニケーションを取っている気がしないと答えた。

 「ガンまる日記」にも何度も書いて来たことだが、私は文字によるコミュニケーションにおいては、こちらが発信した内容を着実に引用しながら交流を進めて行きたいという想いが強い。少なくとも、私が十数年前にパソコン通信を始めた頃には、そうした交流が実現されていたのだが、携帯電話やインターネットが普及してからは、コミュニケーションの形態が簡略化されてしまった。しかし、これらの方法では、自分の発信した内容に対し、相手がイエスの感情を持っているのかノーの感情を持っているのか、とてもわかりにくいのだ。場合によっては、お互いに自分の発信したいことだけを伝え合い、相手からの問い掛けには答えないという状況が発生する。私は、そんなコミュニケーションがひどく嫌なのだと主張した。

 すると彼女は、コミュニケーションに関してそれほど熱心に取り組めるのは素晴らしいと言ってくれた。しかし、私としては、それらの方法をただ一方的に望んでいるだけで、実践できていないのだから、常に自分だけの願望が空回りしているようにも思えた。

 ところで、彼女が人の誕生日を覚えないことについて、彼女なりの体験談に耳を傾けてみると、どうやら彼女は子供の頃から自分の誕生日をほとんどお祝いしてもらっていないようだった。彼女の生まれ育った環境で、家族の誕生日が連続していたため、あまりにもお祝い続きになることを避けたかったからなのか、彼女の誕生日はしばしばスキップされてしまったそうだ。

 それを聞いたとき、彼女は他の人の誕生日に無頓着なのではなく、自分自身が子供の頃にあまり誕生日をお祝いしてもらえなかったことで、人の誕生日に対して無関心でいるという方法でもって、彼女自身ができるだけ傷付かないように自分自身を守って来たのではないかと私は言った。彼女はしばらく考えて、「なるほど! そうかもしれない」とうなずいた。

 他にも、いろいろな話をしながら、一つ一つ、彼女の深層心理を解き明かして行った。不思議なことに、他の人に対しては遠慮してしまうような内容のことであっても、スピリチュアルベースの考え方をする彼女の前では、私自身もスピリチュアルな回路を開くことができた。

 そんな会話を重ねながら、私は彼女とのコミュニケーションに満足している自分に気が付いていた。普段から私が望んでいるのは、この手の会話だとはっきりと実感した。そして、おそらく、どんな会話でもいいわけじゃない(前編)に書いたようなことで悩まないようにするためには、私自身が普段からどのような会話に満足しているかを、周りに対してもっと主張して行く必要があるのではないかと感じたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 仕事帰りの地下鉄の中で、思わず盛り上がってしまいました。(苦笑)きっと、周りの人たちからすると、何の話をしているのだろうと不思議に思っていただろうと思います。こうした交流を通じて自分の中にあるものを表現することはとても大切なことだと思います。私たちは、相手の鏡の中に写し出される自分についても、常に理想を持っているのでしょうね。

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