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2012年1月

2012.01.31

まるみ流メール整理術

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 病み上がりでしたので、オフィスでは半袖Tシャツの上に半袖のカーディガンを羽織って仕事をしました。最初はそれでちょうど良かったのですが、そのうち暑くなり、いつものように半袖Tシャツに戻りました。寒気を感じなかったということは、元気になったと思って良いのでしょうね。

 今やメールは私たちにとって欠かせないコミュニケーションツールとなっている。ビジネスでもメールを活用している人たちならば、すべてのメールを一つの受信箱(あるいはInBox)に貯め込んでしまわずに、メールソフト内にいくつものフォルダを作成して、それぞれのフォルダにFromアドレスごとのメールを振り分けている人も少なくないだろう。かくいう私もそうである。

私が愛用しているメールソフトの画面。Fromアドレスごとに振り分けている

 メールの受信と同時にメールの振り分け機能が働くので、届いたメールは直ちにしかるべきフォルダへと振り分けられる。例えば、ガンモからメールが届いた場合は、「ガンモ」フォルダへと直ちに振り分けられるようになっているのだ。未読の状況も、振り分けられたフォルダ単位に管理できるので、大切なメールが他の未読メールに埋もれてしまうようなことはない。

 私の場合、このフォルダ振り分け機能を更に発展させて、自分自身が発信または返信したToアドレスのメールも振り分けの条件に加え、Fromアドレスで振り分けているのと同じフォルダに振り分けできるように設定している。例えば、ガンモにメールを発信または返信した場合、私の発信または返信したメールが「ガンモ」フォルダに振り分けられるように設定しているのだ。そうすることで、メールをスレッド表示させて管理できるようになる。

自分が発信したメールもフォルダごとに振り分けておき、フォルダ内のメールはスレッド表示させておく

 スレッド表示とは、掲示板などでは良く利用される表現だが、関連性のある話題が繋がって見える表示方法である。掲示板でもメールでもそうだが、新規発言ではなく、返信という形で書き込まれたものに対して、次々にスレッドがぶら下がるようになっている。

 スレッド表示にすると何がいいかというと、特にビジネスにおいては、話の流れを把握できるということである。もちろん、プライベートで交わすメールにおいても、このスレッドがいつまでも繋がり続けている場合、互いにメールを返信し合っているということなので、コミュニケーションにおける相性がいいことになる。日常会話と同じように、コミュニケーションの相性が良くなければ、メールのスレッドも途切れがちだったり、何かイベントがあるときにだけ限定してメールを交わすことになったりする。

 私が思うに、ここ最近のコミュニケーションは、自分からの発信はできているものの、相手が発信したことに対してちゃんと返信できていないように思う。相手から届いた返信内容が心地好くなければスレッドは途切れる。届いたメールや、こちらが発信または返信したメールの流れをスレッド表示にしてみるだけでも、その人との関わりが見えて来るのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m メールベースではなく、電話や実際に会うという方法で人と関わっている場合は、スレッドは繋がりませんね。その場合、メールで交わす内容も、ひどく簡単なものになっているかもしれませんが、決して相性が良くないというわけではありませんね。(苦笑)

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2012.01.30

映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』

ホットヨガ(二七八回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私の風邪は、それほどひどい状況には至らなかったのですが、大事を取って、仕事を一日お休みました。オフィスで働いている自分の姿を想像したときに、「今日はさすがにオフィスで、半袖Tシャツ一枚だけで過ごすのは無理だろう」と思えたのです。明日はいつも通り出勤する予定ですが、はてさて、いつものようにオフィスで半袖Tシャツ一枚だけで過ごせるのでしょうか。おそらく無理だろうと思いますので、薄手の長袖ジャケットを羽織るなどして、寒さをしのごうと思っています。

 本作を鑑賞したのは、七月二十四日のことである。このシリーズは、公開される度に、ガンモと一緒に鑑賞している。とうとう今回で最終作となったわけだが、振り返ってみると、やはり作品としての歴史を感じる。主人公の三人も成長したが、この作品を鑑賞して来た私たちも、彼らと一緒に成長したのではないだろうか。ちなみに今回は、シリーズ最終作にしてシリーズ初の試みとなる3Dでの鑑賞となった。

 前作で、一体どのような結び方をしていたのか、案の定、すっかり忘れてしまっていた。覚えているのは、カモフラージュのためにハリーの仲間たちがハリーに変装したために、ハリーの顔をした人たちがたくさんいたことと、ロンとハーマイオニーが喧嘩をしたことくらいである。何度も書くようだが、私にとって、この手の作品は、鑑賞しても、すぐに記憶の彼方へと消え去ってしまう。おそらく、私が普段から張り巡らせているアンテナに引っかからないからだろう。

 そして、こうして鑑賞から半年が過ぎてしまった今、またしても内容のほとんどを忘れてしまっていたのだが、予告編の映像を観て、ようやく思い出した。あるシーンを一つ思い出せば、記憶はつるつるとよみがえって来るものである。

 そう、私にとって本作は、このシリーズの作品の中では最も感動した作品の一つだったことを思い出した。鑑賞しながら、とても良く出来ていると感心したものだった。何故なら、物語の始めと終わりがきちんと結ばれていて、過去のこんな出来事の背景には、あんな事実が隠されていたからなのかとひどく納得したからだ。

 本作の中で思わず涙したシーンがある。それは、スネイプ先生の過去に関するシーンだ。いやはや、スネイプ先生にあんな秘密があったとは、ずいぶん泣かせてくれるではないか。シリーズ全体を通して、スネイプ先生は、あるときはハリーの味方だったり、また、敵対する関係だったりもしたのだが、本作を鑑賞してようやくスネイプ先生のはっきりしない態度の真意を理解することができた。スネイプ先生の、見えていない部分に潜んでいた想いがあまりにも強過ぎて、思わず涙してしまった次第である。

 何故、ハリーとヴォルデモードが密接な関係にあったのかも、本作を鑑賞すればわかる。もしかすると彼らは表裏一体なのかもしれない。すなわち陰と陽だ。しかし、真の陰と陽ならば、対立せずに、引き合うはずではないだろうか。しかも、二人が命を賭けて対決したならば、双方が同じだけのエネルギーを持っているために、いつまでも決着が付かないのではないだろうか。そんな疑問もあったのだが、本作は実に感動的に、そして納得の行く形でストーリーを完結させてくれた。

 私は、本作の原作を書き上げた私と同い年のJ・K・ローリングの完璧なまでのストーリーに感動した。長編小説を仕上げる過程において、ある程度の矛盾はつきものだと思うのだが、彼女はその矛盾を最小限に抑えて物語を仕上げた。ソフトウェアを開発する作業に例えると、彼女は設計力が優れていることになる。設計力の優れたソフトウェアは、実に良く売れて、多くの人たちに使われることになる。ただ小説を書くだけでなく、書き始めた段階から、主人公たちがどこに向かって行くのかを確実に考慮していたということだ。あれほど長いシリーズものにおいて、それが実現されているのは実に素晴らしいことである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このシリーズの作品がとうとう完結してしまいましたが、本作を鑑賞された皆さんもきっと満足感に包まれていると思います。もしもこのシリーズの作品をDVDで鑑賞し直すならば、真っ先に本作を鑑賞したいですね。それくらい完成度の高い作品だったと思います。

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2012.01.29

ホットヨガ(二七八回目)

リュープリンという選択(9)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅くなり、申し訳ありません。相変わらず、本格的に風邪を引いてしまいそうな状況と闘っています。ガンモや電話で話をした実家の両親にも、「いつもと声が違う」と言われてしまいました。(苦笑)そう言えば、私の場合、風邪を引くときは、喉から始まることがほとんどですね。ということは、鼻呼吸ではなく、口呼吸によりウィルスが身体の中に入り込んでいるということなのでしょうか。特に、マスクを着用すると息苦しくなるので、たくさんの酸素を取り入れようとして、ついつい口呼吸に移行してしまいがちです。せっかくマスクという人工的なフィルタを使用しているというのに、これではあまり意味がないように思えますね。

 I医師の診察のあとは、三宮のミニシアター系映画館で映画を一本鑑賞したあと、三宮店のスタジオで六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。これまで、三宮店で週末に行われている骨盤コースのレッスンは日曜日の夕方だったはずなのだが、今月は土曜日の夕方に行われているようだった。

 入口の扉を開けてみて驚いたのだが、何と三宮店においても、脱いだブーツをシューズ袋に入れてロッカーに持ち込むのではなく、梅田店のように、入口の邪魔にならない場所に脱いだまま置いておくことができるようになっていた。既にいろいろなブーツが入口の脇のほうに揃えて置かれていたので、私もそれに便乗して、ムートンブーツを邪魔にならない場所に脱いで入った。

 レッスンの参加者は二十名で、サウナスーツの女性と元神戸店のフリーパス会員さんも参加されていた。私の隣には、白人女性がいらっしゃった。レッスンはすべて日本語で行われているので、日本語を難なく理解できる方なのだろう。ここ三宮店では、複数の外人女性がレッスンに参加されているようだ。

 さて、今回のレッスンを担当してくださったのは、いつも受付ではお目に掛かっているインストラクターだった。おそらく、彼女の担当してくださるレッスンに参加するのは初めてだったのではないだろうか。

 三宮店では、昨年末に、レッスン時に貸し出されるバスタオルとフェイスタオルが新しくなり、タオルの色もこれまでのベージュからダークブラウンに変わった。新しいタオルでレッスンを受けると、とても気持ちがいい。

 しかし、残念なことに、レッスン中にスタジオ内がひどく暑くなり、継続してレッスンを受けるのが辛いと感じてしまった。インストラクターは、レッスンの合間に入口のドアを開閉してくださったのだが、開けてくださったとしても、片方だけの扉をほんの数秒程度だったので、スタジオ内の空気の入れ替えはほとんど行われなかった。私は、入口に近い後列でレッスンを受けていたので、入口の扉が開閉された瞬間の冷たい空気をかろうじて肌で感じ取ることができたのだが、開閉時間がごくわずかだったので、スタジオの中のほうでレッスンを受けていらっしゃった方たちは、暑くてたまらなかったのではないだろうか。

 暑いスタジオに不快感を感じてしまい、スタジオ内の湿度が上がっているのではないかと思い、余程、インストラクターに声を掛けて、
「湿度が上昇しているんじゃないでしょうか?」
と確認して欲しかったのだが、やはりいつものように、言葉にすることはできなかた。私がこんなふうに暑さを感じているというのに、インストラクターは、休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときでもファンヒーターを稼動させてスタジオを温めていた。私はたまらず、休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)の間中、スタジオの外に出て涼んだ。

 他の参加者の方たちも同様に感じていたのか、最後までレッスンを受けたのはおよそ半数の人たちだった。すなわち、およそ半数の人たちは、最後までレッスンを受けずに退出してしまったのである。サウナスーツの女性も私の隣の白人女性も退出してしまった。ただ、サウナスーツの女性に関しては、そのあと行われる別のレッスンに参加されていたようだった。そんな中、私は最後までスタジオに残り、レッスンを受けた。

 ところで、年末にもらった宝くじの当選番号が貼り出されているのを、先週、梅田店でレッスンを受けたときに見付けた。当選番号は、ホームページで公開されるわけではないので、貼り出されている紙を見ながら確認しなければならない。当選番号が梅田店のスタジオに貼り出されているのを見付けたとき、自宅でゆっくり確認しようと、当選番号が書かれた用紙を携帯電話で撮影しておいたのだが、結局、撮影した写真を確認せずにそのままにしてしまっていた。三宮店では、ちょうどソファがあって座れる場所に当選番号が掲示されていたので、私はソファに腰を下ろし、自分の手持ちの宝くじと見比べて、当たりがないか確認した。

 私の手持ちの宝くじはちょうど三十枚だったので、これらがすべてはずれだったとしても、五百円の割引券として使用できるようだ。それにしても、今のこのデジタルな時代に、手持ちの宝くじを一枚一枚、アナログで確認するのはなかなか骨の折れる作業だった。市販されている宝くじならば、宝くじチェッカーに掛ければ当たりくじを即座に見分けてくれるのだが、今、私が手にしているのは、このホットヨガのスタジオ内だけで有効なローカルな宝くじなので、こうして地道に確認して行くしかなかった。

 とは言え、宝くじの確認は思ったよりも早く終わった。しかし、今年の年末も同じように宝くじをもらえるのだとしたら、当選番号をもっと素早く確認できる方法を模索したいものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときは、できるだけリラックスした状態で休みたいので、やはりファンヒーターでスタジオ内を温めて欲しくないですね。むしろ、スタジオ内の温度を下げて欲しいくらいです。しかし、体感温度が違うのか、インストラクターによっては、今回のようにファンヒーターを稼動させてスタジオ内を温めるインストラクターもいらっしゃいます。インストラクターのように汗をたくさん掻いていると、暑さをあまり感じなくて済むのかもしれません。

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2012.01.28

リュープリンという選択(9)

映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。インフルエンザが流行っているようですね。皆さんもどうかお気をつけください。私は普段、滅多に風邪を引かないのですが、どうもこの週末は調子が悪く、今、まさに風邪を引いてしまいそうな自分と必死に闘っています。(苦笑)

 今日は、I医師の診察のために早起きして出掛けた。しかし、またしても家を出るのが遅くなってしまい、病院の最寄駅に着いたときには、既に予約時間となってしまっていた。しかも、病院の最寄駅から利用する路線バスは、既に発車してしまったあとだった。路線バスの発車時刻表を確認してみると、次の発車まで十五分も待たなければならないことがわかった。最寄駅からI医師の勤務する病院まではバスでおよそ十分掛かるので、このままでは予約時間に三十分も遅刻してしまうことになると思い、再び病院の最寄駅前まで戻ってタクシーを利用することにした。路線バスの運賃わずか二百円であるのに対し、タクシーはバスよりも速く移動できたものの、一二三〇円も掛かってしまった。とは言え、おかげで十分程度の遅刻に留めることができた。

 婦人科で受付を済ませると、間もなく私の名前が呼ばれた。診察室に入ってI医師とあいさつを交わすと、I医師は私に、
「あなたはいつも荷物が多いですね」
とおっしゃった。それに対し、私は、
「ヨガに通っているので、着替えなどを詰め込んでいるんです」
と説明させていただいた。それに対し、I医師は「なるほど」とうなずいていた。

 I医師に、この一ヶ月の様子を尋ねられたので、私はすかさず、本格的な生理のようなものがあったと答えた。先日の記事にも書かせていただいた通り、一週間以上も出血が続いたので、そのことをI医師にご報告させていただいたのである。具体的には、私の生理もどきは一月六日から一七日まで、連続して十二日も続いた。私の生理は、普段からこのように長引いているわけではないので、いつもよりも長い生理が、スプレキュアからリュープリンに切り替えたタイミングでやって来たのは不可解だった。

 私は、十二月二十九日が病院の年内最終診察日だったため、その前の注射の時期を少しずらしていただいたところ、その時期が妥当ではなかったのかもしれないとI医師に申し出た。確か看護師さんからは、三回目の注射までは前にずらすことは可能だが、三回目以降の注射に関しては後ろにずらすことになると言われたとI医師に報告させていただくと、I医師は、
「その言い方は良くないかもね」
と、診察室に居た看護師さんに同意を求めていた。I医師の話では、注射を始めて二回目くらいまではサイクルをきちんと守る必要があるが、三回目以降の注射の時期については、少し柔軟になっても良いとのことだった。ということは、私が四回目注射の時期を調整していただいたことは、それほど問題ではなかったわけである。

 I医師は、私に本格的な生理のような出血があったことを受けて、
「注射をすると、一時的にエストロゲン値が上がることがあるんです」
とおっしゃった。私は、そのようなことを聞いたのは初耳だったので、驚きの声をあげた。今回の私の注射は、一回目と二回目はリュープリン、三回目と四回目はリュープリンよりも弱めのスプレキュア、そして五回目と六回目は再びリュープリンに戻していただいた。I医師曰く、やはり私にとってはスプレキュアの効果が弱く、身体が少しずつ生理の準備を整え始めていたところへ強いリュープリンが投与されたためエストロゲン値が高まり、出血に至ったのではないかとのことだった。生理のサイクルは、子宮内膜の厚さとも関係しているらしく、ちょうどそのサイクルと重なったのではないかとの見解だった。

 なるほど、確かにリュープリンよりも緩めのスプレキュアの注射をしていただたいた頃は、更年期の症状は比較的軽かったものの、筋腫は元の大きさに戻りつつあったように思えた。だから、私のほうから申し出て、再びリュープリンに戻していただいたのだ。しかし、今回で六回と言われていたリュープリンの注射を終えてしまったわけで、このリュープリンがあと一ヶ月しか効き目がないのだとすると、先行きが恐ろしい気がする。何しろ、リュープリンよりも弱いとは言え、女性ホルモンの分泌を止めるほどの注射をしていただいてもなお、筋腫が成長してしまっていたのであれば、注射をせずに自然な状態に戻ったならば、私の筋腫は恐ろしいスピードで元の大きさに戻ってしまうように思えたからである。

 私は、リュープリンが効いているかどうか不安だったので、
「リュープリンが効いているかどうかは、今日、血液検査をしていただいて、エストラジオール値を診ていただけばわかるのではないでしょうか」
とI医師に提案させていただいたのだが、I医師はいつものように、
「いや、それはあまり意味がないですね。おそらく効いているでしょう」
とおっしゃった。I医師としては、血液検査による女性ホルモンの値は常に変動しているので、ある一時期だけの値を見てもあまり意味がないと考えていらっしゃるのである。

 I医師には、いつものように二ヶ月分の桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を処方していただいた。何となく、前回の診察よりもやや余裕があるように感じられたので、私はI医師に、
「患者さんは増えましたか?」
と尋ねてみた。I医師がテレビに出演されたことで、以前よりも患者さんが増えたのではないかと思っていたからだ。しかし、I医師から返って来たのは、電話による問い合わせは増えたものの、患者さんの数自体が増えたわけではないという答えだった。

 次回は二ヵ月後の診察となり、次回の診察の予約をしたあと、私はいよいよ六回目である最後の注射を打っていただいた。一回目のときに注射を担当してくださったベテランの看護師さんが、今回も注射を担当してくださった。それにしても、看護師さんによって、注射のときに皮膚を通して感じる痛みが異なるのは不思議なことである。痛みを感じるときは、注射に失敗してはいけないという恐れが患者に伝わっているのかもしれない。

 I医師の診察を終えたあと、貧血の検査もしていただこうと思っていたのに忘れたことに気が付いた。また、ここのところ、階段を昇るとひどく息切れをすることも相談させていただこうと思っていたのに、こちらも忘れてしまった。また、次回の診察のときに相談させていただこうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回で、女性ホルモンの分泌を止める注射がいったん終わりました。この注射はあと一ヶ月効果がありますが、そのあとは更年期の状態を卒業してしまいます。(苦笑)私にとって、生理がないという状態は、やはり楽チンでしたね。また、注射の時期を冬に設定したことで、更年期障害のほてりが強くなったとしても、生活面にはほとんど差し支えがありませんでした。むしろ、この寒い冬に軽装でいられるので良かったくらいですね。次回はいつになるのかわかりませんが、小さくなったお腹をこれからの目標にしながら、リバウンドに備えたいと思います。

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2012.01.27

映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

表現の不自由の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私は子宮筋腫が大きいので、これまでエストロゲンを含む乳製品は控えていたのですが、今は注射で女性ホルモンの分泌を止めているため、乳製品でも臆せずに摂っています。最近は、コンビニなどで売られている五百ミリリットル入りの紙パック飲料「練乳オーレ」が特にお気に入りです。練乳は、子供の頃にかき氷などにかけて食べていましたので、私にとっては、とても懐かしい味ですね。

 世界的に有名なストリート・アーティストのバンクシーが監督したドキュメンタリー作品である本作を鑑賞したのは、映画『いのちの子ども』を鑑賞したのと同じ七月二十三日のことである。

 あるときロサンゼルス在住のティエリー・グエッタというフランス人が、ストリート・アートの映像を撮り始めた。しかし彼は、長年撮り貯めた映像を振り返ることもせず、録画したテープは貯まる一方だった。

 のちに彼は、これらの映像を使って映画を製作しようと思い立つのだが、出来上がった作品は、彼にしかわからないようなマニアックなものだった。そこで、彼の作品の中に登場する世界的なストリート・アーチストであるバンクシーが立ち上がり、自ら監督になってティエリーも登場させ、本作を仕上げたというわけだ。

 ストリート・アートというと、日本よりも海外のほうが活動が活発であるように思う。海外を旅行した人たちがすぐさま思い浮かべるのは、海外の電車に乗ったときに景色として見えて来る数々の落書きではないだろうか。あの手の落書きは、文字が多いのだが、ストリート・アートは、文字通りアートである。私は気付かなかったのだが、ストリート・アーチストたちは、自分の作品の周辺にサインを残しているらしい。もちろん、バンクシーもそうである。

 彼らは人目につかない夜中にこっそり出掛けて行き、夜のうちに実に手際良く作品を仕上げる。しかし、実際のところ、落書きかアートかの線引きは難しいように思う。ストリート・アートは、自分の用意したキャンバスではなく、街角のコンクリートなどに勝手に描くわけだから、もしも描いたものが落書きレベルのものであれば、迷惑千万な訳である。

 そう言えば、私は東京に住んでいた頃、アパートの自室でギターの練習をしていたのだが、私が練習を始めると、隣接している歯科の窓がぴしゃりと閉められた。また、夜、遅い時間であれば、大家さんから「ギターを弾くのをやめて」と電話が掛かって来たりした。そのことを、ギターのうまい友人に話すと、「自分はそんな経験ないよ。ギターがうまいから」と憎たらしいことを言われた。

 さて、このドキュメンタリー映画の面白いところは、これまでストリート・アーチストたちの映像を撮り続けていたティエリーが、バンクシーの勧めにより、自分自身もアーチストに変身してしまうところだろう。ミイラ取りがミイラになったという表現が適切かどうかはわからないが、ストリート・アーチスト撮りがアーチストになり、作品を発表するようになったのである。しかし、ティエリーはにわかアーチストなので、どうやら真のアーチストからは批判を受けているようである。実際、彼の個展が開催されるまでのプロセスが本作に盛り込まれているのだが、スタッフはついて来ないばかりか、開催直前まで作品のレイアウトも決まらず、しっちゃかめっちゃかである。しかも、自分がアーチストになるまでに、知名度の高いバンクシーを利用しているようなフシもある。

 とは言え、本作は、そんなティエリーに仕返しをするような意味合いも込められているようにも思う。どこからどこまでがバンクシーによる演出なのか、正直言って、良くわからないところも面白い。

 本作を鑑賞して感じたのは、真のアーチストというのは、絶対に譲れない自分なりのこだわりを持っているが、にわかアーチストは人の意見に流され易いということだった。また、真のアーチストは作品を産み出すという行為は三次元以上で行われているが、にわかアーチストは二次元でそれを行っているのかもしれない。そんな違いをはっきりと感じ取ることができた。ストリート・アーチストだけでなく、ありとらゆる芸術的な分野において、真のアーチストとにわかアーチストの違いを実感したい人にもお勧めの作品である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 残念ながら、日本ではストリート・アートをあまり見掛けませんね。この作品を鑑賞してからは、ストリート・アートを見掛けたら、作者のサインに注目しようと思いました。

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2012.01.26

表現の不自由

いいところを褒められるの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 寒いですね。関西地方でも雪が舞っていました。私は、職場ではずっと半袖Tシャツで過ごしているのですが、お昼休みを終えて食堂からオフィスに戻る途中に一瞬だけ屋外に出ます。そのときに外の雪を見て、雪が降っているのに半袖Tシャツを着て歩くのも悪くないなと思いました。(苦笑)

 最近、Twitterやブログなどで自分の考えていることを述べ易くなった反面、特定の誰かの発言が広く世間に取り上げられ、発言の自由をなくすというシーンを良く目にする。Twitterやブログは、個別に向けて発信するメールと違い、大多数の人に向けて発信することになるので、その内容を受け入れてくれる人もいれば、そうでない人もいるわけである。

 私自身にも書きたいことはたくさんあるのだが、最近は、以前にも増して「読まれること」を意識するようになった。誰しもそうだとは思うのだが、日常会話においては、親しい人になら詳細まで話すが、まだそれほど親しくない人には、ここまでにしておこうと情報の公開を制限することがある。しかし、ブログに記事を書くとなると、そうは行かない。何故なら、すべての人に対し、同じ言葉で発信することになるからだ。

 そういう意味で言うと、限られた空間で綴ればいいのではないかと言われてしまいそうだが、おそらく私のように書くことが好きな人たちの中には、もともとオープンな場所で書きたいという相反した欲求が存在しているものなのである。

 そんな書き手の我儘を貫き通すとするならば、今度は読み手に大いなる期待が掛かる。どんな期待かと言えば、書き手が真剣に発信していることを素通りせずにちゃんと受け止めて、気持ちの連動が見られるような期待である。もしもそれが確実に実現されるならば、私は書きたいことを書くだろう。今、私の頭の中の大部分を占めているのはあることなので、そのことを書かなければ、嘘の自分を演出しているような気持ちになってしまうのだ。

 そのことについて書くか書かないか、しばらく考えさせて欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近の私の文章は、どことなく歯切れが悪いですよね。書きたいことを書けないでいるときに、しばしばこういう状況に陥ります。しばらく考えてみますね。

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2012.01.25

いいところを褒められる

映画『ヒミズ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画『ヒミズ』に平田満さんが出演されていると書いてしまいましたが、すみません、光石研さんの間違いでした。(苦笑)また、いつも画像を引き込んでいるガンまるコムサーバがしばらくダウンしてしまっていたため、作品の画像を表示できていなかったようです。アクセスしてくださった皆さんにはご迷惑をお掛けてしまい、申し訳ありませんでした。

 職場でちょっと面白いセミナーに参加した。内容については、詳細を書くことはできないのだが、講師の方が参加者の前で説明をするとともに、参加者にも実践の機会が与えられた。

 それは、数人のグループになって、グループのメンバーの良いところを他のメンバーが褒めるというものだった。他のメンバーから語られた内容によれば、私は話し易いらしい。普段、他の人たちとはあまりコミュニケーションを取っていない人からそう言われたので、余計にうれしくもあった。また、職場改善の提案がとても的確であるとも言われた。私は普段から、派遣社員であるという立場をあまり意識することなく、職場に対して、こうしたほうがいいのではないかという意見をできるだけ主張するようにしているのだが、そうした姿勢を前向きにとらえてくださっていたようだった。

 私のことだけでなく、同じグループの他のメンバーの良いところも次々に褒めた。私自身は、同じグループの他のメンバーとそれなりに話をしたことがあったのだが、同じグループの他のメンバーの中には、互いにあまり話をしたことのない人たちも含まれていた。それでも、あまり話をしたことのない人たちのことを、話をしたことがないなりにも普段から良く観察し、的確な言葉で褒めていたのには驚いた。「黙っていても、見ている人は見ているのだな」と、気が引き締まる思いがした。

 セミナー自体は、現実の会社生活からは少しかけ離れてしまっている部分もあったのだが、グループでのこうした実践が新たな扉を開いてくれたことは確かだろう。ただ、講師の提案通りに実践することで、ある程度、「本音ではない、作られたコミュニケーション」が形成されがちであることは否めなかった。講師が示してくれたのは、あくまでコミュニケーションのきっかけでしかなく、コミュニケーションの密度を自分の納得の行くレベルまで引き上げて行くのは自分次第なのだと思った。

 好景気の頃は、企業もこうしたセミナーに社員らを参加させることに積極的だった。そのため、あちらこちらでいろいろなセミナーが開催されてもいた。しかし、ここのところの不況で、企業もセミナー参加に対して自粛する動きが出て来た。それだけに、セミナーの内容が以前よりも濃いものになって来ているのかもしれない。たまにはこういうセミナーに参加して、新しい息吹を感じてみるのもいいかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初は、自分のことが褒められると聞いて、何だか怖いような気もしていたのですが、実際にグループの方たちの言葉に耳を傾けてみると、うれしい気持ちもありましたが、少し恥ずかしい気持ちのほうが大きかったように思いました。それでも、私にとっては、なかなか有意義なセミナーでした。講師には人を強く惹き付ける魅力がありましたので、自分自身が人前で話をするときの参考にもなりました。

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2012.01.24

映画『ヒミズ』

私は何故、今の職業を選んだか?の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。東京では雪が降ったそうですね。雪国でない地域で雪が降ると、普段から雪に慣れていないためにいろいろな事故が起こるようです。私も、関西地方で雪が降るのならば、ムートンブーツで歩くのは危険だろうと思っています。以前、冬の北海道に行く前に購入した、手持ちの靴にはめるだけの滑り止めのゴムがどこかにあったはずなのですが、どこに行ってしまったのか、見当たりません。(苦笑)地元の方に聞いたのですが、北海道で売られている靴は雪道に強い靴のようですので、雪の日でも通常の靴を履かれている方は、十分ご注意くださいね。

 今回は、一月二十日に鑑賞したばかりの本作のレビューを書かせていただくことにする。映画『冷たい熱帯魚』映画『恋の罪』の園子温監督がまたまた新作を発表した。劇場で本作の予告編が流れたとき、正直言って、「えっ? ついこの間、映画『恋の罪』を鑑賞したばかりなのに」と、心の中でうれしい悲鳴をあげた園子温監督ファンは、私だけではなかったはずだ。

 本作のキャストは、映画『冷たい熱帯魚』の俳優陣に、光石研さんと染谷将太くん、二階堂ふみちゃんが加わったような感じだ。そして今回も園子温監督は、人間の持つ深い深い闇を見せ付けてくれた。それも、単なる闇ではない。実の親からも愛されず、むしろ憎まれながら生きて来た十五歳の少年少女の話なのだ。

 冒頭で、壊れた家屋などが写し出されたとき、「えっ? これ、セットじゃないよね? まさか、東日本大震災のリアル映像?」と思い、少し引いてしまった。実際に、東日本大震災のリアルな映像が映画に使われるとは思ってもいなかったからだ。というよりも、仮にそうした映像を受け入れられる時期が来るとしても、もっと先のことではないかと思っていた。私たちが東日本大震災のリアルな映像を映画の中の一こまとして受け入れるには、まだまだ早いような気がしていたのだ。ちなみに、舞台となっているのは東北地方ではなさそうだが、染谷将太くん演じる主人公の住田の住む貸ボート屋の近くには、東日本大震災で家をなくした人たちがテントを張って暮らしている。

 両親に愛されることなく育って来た住田の心は頑(かたく)なだった。母親は住田に興味がなく、質素な生活を送りながらも、しばしば恋人との逢瀬を重ねている。父親は、ときどき貸ボート屋にやって来ては金をせびり、住田に対して、「お前なんて生まれて来なけりゃ良かったんだ。あのとき死んでいれば保険金が入ったのに」などという暴言を住田に向かって繰り返し吐く。信じられないことだが、そこには正真正銘の憎しみが込められているようにも思えた。

 父親も母親も、自分自身が幸せになろうとすることに精一杯で、子供である住田の幸せを考える余裕などなさそうに見えた。育ち盛りの住田の顔に笑いがないのは、彼が親から愛されずに育ってしまったからだろう。愛されないどころか、むしろ憎まれながら生きて来たのだから、それでも彼が笑っていられるとしたら、よほど能天気な青年と言える。

 しかし、そんな住田に注目している少女がいる。二階堂ふみちゃん演じる住田のクラスメイトの茶沢である。茶沢もまた、親に愛されずに育ったことは、彼女の自宅での描写から想像できる。茶沢の母は首吊り台を作り、我が子である茶沢を自殺させようとしているのだ。

 それでも私は、茶沢の中から溢れ出る住田への確かな好意に注目した。茶沢にとって、最初はアイドル並みの存在だったはずの住田が、いろいろな出来事を経て、ただの憧れ的な存在から本当の愛を注ぐべき存在へと変化している。いろいろなテーマが詰まった作品だとは思うのだが、私は本作を純愛映画ととらえた。

 私がどうしても涙をこらえ切れなかったシーンがある。それは、住田と茶沢が横になって寝ているときのシーンだ。二人は互いに顔を合わさないまま、とても大切なことを語り合っている。それは、住田に関わるある重大な事実を知ったあとのシーンなのだが、永遠の愛を誓おうとする茶沢に対し、住田は、茶沢が大学生になれば、アルバイト先で知り合った男と恋に落ちるだろうと予言しながら涙するのだ。このシーンは、これまでずっと頑なだった住田を見守って来た人たちにとってはたまらないシーンだ。何故なら、親に愛されなかった住田が、本当は愛を受け取るのが怖くて(受け取った愛を失ってしまうのが怖かったのかもしれない)、必死で突っ張り続けていたのに、ようやく茶沢の愛を受け入れ、未来のことを語り合うシーンだからだ。

 これまで、愛というものを肌で感じ取って来なかっただけに、やや自己愛寄りの愛情表現になってしまっているのだが、おそらくこれが住田にとっての精一杯の愛情表現だったのだろう。しかも、そこで語られていることは、大人になったら結婚して子供を生んで、というごくごく当たり前の平凡な男女の未来だ。それなのに、住田や茶沢には、みんなが当たり前のように目指せるはずの平凡な未来が約束されていなかったのだ。本作のすべてはこのシーンに集約されていると思う。またしても、園子温監督、やってくれたなあという印象だった。

 茶沢にとって、最初はアイドル的な存在だったはずの住田が、だんだん身近な存在になり、互いに感情を交わし合う関係になる。アイドルとは、確実に、相手の生き方に影響を与えない一方的に参照するだけの存在であり、本当の愛とは、確実に、相手の生き方に影響を与える関係なのだと実感した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても衝撃的な園子温監督の作品でありました。今回の作品は、じわじわと責めて来ます。(苦笑)若いのに、茶沢はしっかりした愛を持っていると感動しました。彼女自身も親に憎まれて育って来たと思うのですが、彼女の魂の奥底からの愛は、どこから生まれて来たのでしょう。う。これほどの深い愛情を持って生きて行けたらいいですね。

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2012.01.23

私は何故、今の職業を選んだか?

ホットヨガ(二七七回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。久し振りに「地震が発生しました」というタイトルのメールが届き、驚きました。びくびくしながら開封してみると、福島県で震度五弱の地震が発生したと書かれていました。該当地域にお住まいの皆さん、お怪我はありませんでしたでしょうか。余震が続いていた頃は、まだまだ地震に対する心構えもあったかと思うのですが、ここのところ、比較的大きな地震は発生していなかったかと思いますので、驚きや不安、そして恐怖心も大きかったことと思います。今や日本全国の人たちが地震に備えるべき時代がやって来ました。もしものときに冷静に行動できるように、普段から準備しておきたいものですね。

 職場では、私と同業者であるソフトウェアエンジニアの皆さんが書かれているブログをiGoogleに登録して仕事の合間に読んでいる。その中の一つに、ひでみさんの書かれているプログラマで、生きているというブログがある。ひでみさんのブログは、以前からずっと拝読しているのだが、はっきり言って骨のあるブログだ。私がひでみさんのブログを特に気に入っているのは、毎回、良く練られた文章を書かれているからである。ひでみさんの書かれる文章は比較的長いのだが、誤字や脱字がない。おそらく、一度記事を書き上げてから何度も何度も推敲を重ねられているのだろう。また、私の苦手な顔文字や絵文字もない。だからだろうか。私の中には、ひでみさんの書かれる文章が頭の中にすっと入って来るのだ。

 そんなひでみさんが、先日、自分の稼ぎで食っているという記事を書かれた。この記事の中には、私と同い年のひでみさんが、何故、現在の職業を選択したかということについて、ご自身の健康状態を背景に赤裸々に綴られている。私はこの記事を拝読して、強く心を打たれた。そして、思ったのだ。では、私自身は何故、現在の仕事を選択したのだろうと・・・・・・。

 小学校の教科書に載っている脚本をみんなの前で読んだときに、先生が誉めてくださったのをいいことに、私は大人になったら女優さんになりたいと思っていた。しかし、自分で脚本を書いたり、高校時代に演劇部に所属したりはしたものの、結局、本格的に女優を目指すことはなかった。

 その一方で、子供の頃は刑事ドラマにも憧れ、自分で警察手帳を作り、大人になったら女刑事になろうとも思っていた。子供向けの推理小説も読みあさっていたので、女刑事になるよりは女探偵のほうがいいかもしれないなどとも思っていた。探偵になって、警察も解決できないような難事件を解決したいと思ったのだ。しかし、実際の探偵の仕事は、浮気調査などが主であるということを知り、夢破れてしまった。

 そんな私がソフトウェア業界を目指したのは、ひとえにテレビゲームが好きだったことに起因する。しかし、私が就職活動をしていた頃、ゲーム業界はまだ週休二日制ではなかったので、もし同じような仕事をするならばと、業務アプリを開発する会社に就職したのだった。

 ひでみさんも書かれているように、コンピュータ業界はまだまだ若い業界だったので、仕事で頭を酷使することからも、当時は「三十五歳定年説」なるものがささやかれていた。すなわち、三十五歳になれば、プログラムを作成する能力が衰えてしまうので、やがて退職することになるだろうということだ。

 しかし、いつの間にか、予想された定年を十年以上も上回ってしまった。そんな今でも、私自身、やりたいことが他にないと言えば嘘になる。それでも私がこの業界で働き続けているのは、やはりひでみさんが書かれているように、手に職を付けたからなのかもしれない。あまりもの忙しさに辞めようと何度も思い、結婚してしばらくしてからは、実際に仕事を辞めて一年ほど自宅で過ごしていたりもしたのだが、派遣会社の営業担当からの熱心なアプローチを受けて仕事に復帰し、現在に至る。

 仕事に関しては、いろいろ書きたいことがもやもやと渦巻いているので、この続きはまた別の機会に書かせていただくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 時々、今とはまったく違う職業に就いていたら、果たしてどんな人生になっていたのだろうと考えることはありますね。でも、仕事に関しては、どこか割り切りがあるように思えます。スピリチュアルな世界においては、自分の好きなことを仕事にしなさいと言われていますが、仕事でお金を受けとるのだとしたら、そこに必ず誰かの利益を追求するための、本来、自分のやりたいことを実現するという純粋な意志とは違うものが働いてしまうように思えるのです。それならば、どんな仕事をしても同じではないかと、思ってしまうのですね。

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2012.01.22

ホットヨガ(二七七回目)

映画『いのちの子ども』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画の記事で、ほとんど毎回、予告編の動画を貼り付けていますが、私が常用しているGoogle ChromeやIEでは、それぞれの記事に貼り付けた予告編の動画が正しく表示されているにもかかわらず、どういうわけかFirefoxで見ると、過去の記事に貼り付けた予告編の動画が新しい記事の中に表示されていたりします。どうしてなんでしょうね。

 一月二十一日土曜日は、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。先週に引き続き、これまでよりも一本早い電車に乗ることができたので、レッスン開始の数分前にスタジオに着くことができた。しかし、支度を整えてスタジオに入ってみると、やはりレッスンは始まってしまっていた。おそらく、いつもこのレッスンに参加されている方たちには、「あの人はいつも遅刻して来る。もっと早く家を出ればいいのに」と思われていることだろう。

 レッスンの参加者は二十一名で、うち男性会員は一名だけだった。これまでお目にかかったことのない男性会員だったので、骨盤コースのレッスンには男性会員が極端に少ないということをご存知なかったのかもしれない。ちなみに、レッスンを担当してくださったのは、梅田店でしばしば骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターである。

 今回のレッスンは、比較的深いポーズを取ることができたように思う。どういうわけか、ときどきこんなふうに調子のいいときがある。いつもは固くて動かない身体が柔らかくなっているのだ。そのため、汗もたくさん掻いた。

 いつもよりも深いポーズを取ることができた確かな証として、四つん這いのポーズのあとに行うぺちゃんこ座りの状態のまま身体を仰向けに寝かせるポーズを取ることができたのだ。実はこれまで、骨盤コースのレッスンに何度も参加していながら、ただの一度もこのポーズを実践できた試しがなかった。しかし、今回のレッスンでは、ぺちゃんこ座りをした状態から、徐々に身体を後ろに倒し、ぺちゃんこ座りの姿勢を崩さずに仰向けで寝ることができたのである。私にとって、これは快挙である。とは言え、すぐに苦しくなってしまい、他の方たちよりも早めに足を緩めることになった。ちなみに、このポーズは骨盤を小さくするポーズと言われている。これまでできなかったことができるようになったということは、ようやく私も骨盤を小さくするための準備が整い始めたのかもしれない。

 また、今回は、熱気のこもり易いスタジオの奥のほうでレッスンを受けていたにもかかわらず、レッスン中、一度もスタジオの外に出ることなく、最後までレッスンを受けることができた。ほてりが以前ほど強くなくなって来たために、三十八度に保たれたスタジオでも暑さを感じなくなって来たようだ。そろそろ自律神経が整い始めているのかもしれない。

 レッスンを終えてシャワーを浴びたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行った。いつものように、スタッフだけが出入りできる場所に格納されているであろう私のムートンブーツを勝手に探していたのだが、どんなに探しても、私のムートンブーツは見当たらなかった。受付にいたスタッフが出て来てくださり、一緒に探してくださったのだが、やはりなかった。

 しかし、良く見ると、スタジオの入口のところに私のムートンブーツが脱いだままになっていた。他のムートンブーツは、このように待避されていたというのに、私のムートンブーツだけがこうして入口に残っていたので、ちょっぴりバツが悪いような、何だか寂しいような気がした。まるで、私のムートンブーツだけが、出来の悪ムートンブーツのように思えてしまったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この日は雨が降っていたので、レッスンバッグに忍ばせていた折り畳み傘を使用したのですが、安物の傘なので、いつの間にか骨が折れてしまっていて、けろっこデメタンが持っているような蓮のよれよれの傘をさして歩いているような気持ちになってしまいました。(苦笑)

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2012.01.21

映画『いのちの子ども』

どんな会話でもいいわけじゃない(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅くなり、申し訳ありません。数々の不具合のあったセンター試験ですが、無事に再試験が行われたようですね。それでも、おそらく最初の試験問題とは異なっているはずなので、採点に関してはどうなるのでしょうね。それにしても、わずか一週間で新しい問題を用意できたとなると、それはそれで凄いとは思います。

 本作を鑑賞したのは、七月二十三日のことである。パレスチナのガザ地区というと、今でもイスラエルとの紛争が絶えない地域である。おそらく皆さんも、ニュースなどでその地域の名前を耳にすることも多いはずである。本作は、そのガザ地区で長年取材を続けて来たテレビジャーナリストのエルダールが監督を務め、パレスチナ人の赤ん坊ムハンマドがテル・アビブ郊外の病院でイスラエル人医師の治療を受ける様子がドキュメンタリーとしてまとめられている。お互いの国同士は敵対関係にあるというのに、医師と患者という個人レベルにおいては、国境も宗教も関係ないことを示す感動作だ。

 エルダールは、イスラエル人のソメフ医師からの協力申請を受けて、免疫不全という難病を抱えたパレスチナ人の赤ん坊ムハンマドを救うために必要な骨髄移植の手術の費用をテレビで呼び掛けて募る。イスラエル人向けの番組で、パレスチナ人を救うための寄付が呼びかけられたものの、無事に寄付は集まり、免疫不全のパレスチナ人の赤ん坊ムハンマドは手術を受けられることになる。

 やがて、骨髄移植にはドナーが必要なため、ムハンマドの家族や親族が検査される。その結果、従妹がドナーとして適合したのだが、従妹に病院まで来てもらおうとするものの、ちょうどそのときガザ地区で大規模な爆破事件が発生し、従妹は検問所を通ってイスラエルに入国できなくなってしまった。それでも、三日後にはようやく検問所を通過することができて、手術も成功する。

 骨髄移植のドナー探しは大変なことであるとは知ってはいたが、なるほど、血縁者であれば、適合する確率が高くなるのだとわかった。しかし、もともと病気を抱えているのはパレスチナ人の赤ん坊であるのに対し、対応している医師はイスラエル人である。それにガザ地区における爆破事件という新たな要因も加わり、ただでさえ困難な骨髄移植が一層困難なものになってしまった。それでも手術に成功したのだから、パレスチナ人の赤ん坊ムハンマドは、実に多くの人たちに支えられていることになる。

 本作には、パレスチナ人であるムハンマドの母ラーイダとイスラエル人で本作の監督であるエルダールが互いの本音を交わすシーンがある。国や宗教も違う二人は、ムハンマドの病気を通じて表面的には友好的な状態にあるものの、やはりお互いの宗教観は大きく異なっていた。私自身も驚いたのは、ムハンマドが大きくなったら殉教させるかもしれないとラーイダが口にしたことだった。殉教? 何故? こうしてムハンマドの小さな命を救おうと、既にたくさんの人たちが必死で働き掛けているというのに、せっかく救ってもらった尊い命を宗教によって失う覚悟があるというのは、私にも理解できなかった。もちろん、エルダールもラーイダのこの言葉には強い衝撃を受けたようだった。

 理由もわからずに、ただ自分の周りにいる人たちが受け入れているというだけで、ある価値観を受け入れることが良くある。殉教という価値観に関しても、もしかしたらそのような歴史があるのかもしれない。何故、殉教させるのかという問い掛けに対し、その宗教を信仰していない人たちが納得できるだけの明確な説明は、おそらくできないだろうと思う。

 エルサレムに行ってみたいというラーイダの願いを叶えてあげたときも、エルダールはずいぶん複雑な想いを抱えていただろうと思う。何故ならエルサレムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地だからだ。

 私には、パレスチナ問題は難しい。実際、ムハンマドがイスラエル人に助けてもらったということで、パレスチナ人からは非難の声も上がっていたらしい。それでも、国境や宗教を越えて、個人レベルでは助け合うことができたということを高く評価すべきではないかと思う。こうしたことの積み重ねが、のちの平和にも繋がって行くようにも思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本は、他国と海で隔てられているために、このような問題とはほとんど無縁だと思います。しかも、日本人の宗教心は、他国に比べると緩い気もしますよね。しかし、国同士が隣接していて、宗教心も高ければ、このような争いが起こり得るのかもしれないとも思いました。それでも、個人レベルでは救いの手を差し伸べることができていることがせめてもの救いですね。

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2012.01.20

どんな会話でもいいわけじゃない(後編)

どんな会話でもいいわけじゃない(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かなりの円高ですね。何と、ユーロが百円を切っています。二、三年前にガンモと一緒にヨーロッパを旅行したときは、一ユーロ百六十円台だったと記憶しています。しかも、今はポンドが百二十円弱ではないですか。私たちがロンドンを訪れたときは、一ポンド二百五十円程度でした。当時は、懐と相談しながらチップを用意していたような気がします。逆に今は、日本にいる外国人の方たちが、当時の私たちと同じような想いを抱えていらっしゃうのでしょうね。こういうときは、円を使って、海外通販を利用するに限ります。

 仕事帰りに、どんな会話でもいいわけじゃないの記事に書いた派遣仲間と一緒になった。私は彼女に、先日、気遣いのメールを送ってくれたことに対し、お礼を述べた。彼女の中には、警備員さんと私の間に入って、私ができるだけ早く帰宅できるように応援したいという気持ちがあったらしい。しかし、警備員さんがとても良くしゃべるので、間に割って入れなかったそうだ。

 彼女とは、仕事帰りに地下鉄の中でしばしば話をしている。彼女の中には、スピリチュアルな考え方がベースにあるので、私が心の中で思っている本心を口にし易い。

 そんな彼女は、人の誕生日や血液型を覚えることに興味がないため、一度聞いてもすぐに忘れてしまうのだそうだ。一方、私はというと、人の誕生日や血液型はすぐに覚えてしまうし、名前や顔を覚えるのも速い。また、時には誰がどこの大学出身で、専攻は何かということまで覚えていたりする。それは、私が普段から、それらの情報にアンテナを立てることによって、人とのコミュニケーションの材料に使用しているためでもある。

 彼女は、そんな私に対し、コミュニケーションの取り組み方が真剣だと言ってくれたのだが、私自身は人とのコミュニケーションにあまり満足していないと答えた。警備員さんとのとりとめのない会話ももちろんそうなのだが、特に携帯電話が普及してからは、端末に自分の名前が表示されるために、メールでも自分の名前を名乗らなかったり、相手の名前を呼び掛けなかったり、相手の言葉を引用せずに自分の言葉ばかりで返事が書かれるので、コミュニケーションを取っている気がしないと答えた。

 「ガンまる日記」にも何度も書いて来たことだが、私は文字によるコミュニケーションにおいては、こちらが発信した内容を着実に引用しながら交流を進めて行きたいという想いが強い。少なくとも、私が十数年前にパソコン通信を始めた頃には、そうした交流が実現されていたのだが、携帯電話やインターネットが普及してからは、コミュニケーションの形態が簡略化されてしまった。しかし、これらの方法では、自分の発信した内容に対し、相手がイエスの感情を持っているのかノーの感情を持っているのか、とてもわかりにくいのだ。場合によっては、お互いに自分の発信したいことだけを伝え合い、相手からの問い掛けには答えないという状況が発生する。私は、そんなコミュニケーションがひどく嫌なのだと主張した。

 すると彼女は、コミュニケーションに関してそれほど熱心に取り組めるのは素晴らしいと言ってくれた。しかし、私としては、それらの方法をただ一方的に望んでいるだけで、実践できていないのだから、常に自分だけの願望が空回りしているようにも思えた。

 ところで、彼女が人の誕生日を覚えないことについて、彼女なりの体験談に耳を傾けてみると、どうやら彼女は子供の頃から自分の誕生日をほとんどお祝いしてもらっていないようだった。彼女の生まれ育った環境で、家族の誕生日が連続していたため、あまりにもお祝い続きになることを避けたかったからなのか、彼女の誕生日はしばしばスキップされてしまったそうだ。

 それを聞いたとき、彼女は他の人の誕生日に無頓着なのではなく、自分自身が子供の頃にあまり誕生日をお祝いしてもらえなかったことで、人の誕生日に対して無関心でいるという方法でもって、彼女自身ができるだけ傷付かないように自分自身を守って来たのではないかと私は言った。彼女はしばらく考えて、「なるほど! そうかもしれない」とうなずいた。

 他にも、いろいろな話をしながら、一つ一つ、彼女の深層心理を解き明かして行った。不思議なことに、他の人に対しては遠慮してしまうような内容のことであっても、スピリチュアルベースの考え方をする彼女の前では、私自身もスピリチュアルな回路を開くことができた。

 そんな会話を重ねながら、私は彼女とのコミュニケーションに満足している自分に気が付いていた。普段から私が望んでいるのは、この手の会話だとはっきりと実感した。そして、おそらく、どんな会話でもいいわけじゃない(前編)に書いたようなことで悩まないようにするためには、私自身が普段からどのような会話に満足しているかを、周りに対してもっと主張して行く必要があるのではないかと感じたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 仕事帰りの地下鉄の中で、思わず盛り上がってしまいました。(苦笑)きっと、周りの人たちからすると、何の話をしているのだろうと不思議に思っていただろうと思います。こうした交流を通じて自分の中にあるものを表現することはとても大切なことだと思います。私たちは、相手の鏡の中に写し出される自分についても、常に理想を持っているのでしょうね。

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2012.01.19

どんな会話でもいいわけじゃない(前編)

映画『デビル』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 阪神高速で「大きな豚が歩いている」という通報があり、大阪府警高速隊らが駆けつけてみると、確かに道路上で豚が歩き回っていたそうです。また、神戸市内の有料道路でも豚が見付かったそうで、どうやら二頭とも、三重県から香川県に運ばれる途中で逃げ出してしまった豚だったようです。これは驚きのニュースですね。逃げ出したのが龍だったら、新春らしいニュースになったと思いますね。(苦笑)

 最近は、事情があって、仕事を終えると直ちに勤務先の最寄駅まで向かい、地下鉄に乗っている。できるだけ早い時間の地下鉄に乗って移動してしまいたいため、職場を去るときに顔見知りの警備員さんが話し掛けて来ないだろうかとびくびくしながら、警備員さんの立っている場所を通過している。というのも、私は警備員さんたちと立ち話をすることが多いからだ。とは言え、その内容はいつもとりとめのないもので、私の荷物がいつもよりも少ないとか、冬なのに半袖でいるとか、そんな内容のことばかりである。

 私が勤務しているビルでは、八百人以上の人たちが働いているのだが、警備員さんと話をする人たちはそれほど多くはないようだ。ただ、私は目立つのか、いつの間にか警備員さんたちと話をするようになっていた。そんな姿が同じ職場の人たちにもしばしば目撃されている。

 あるとき、私はいそいそと出口に向かって歩きながら、顔見知りの警備員さんに軽く挨拶して立ち去ろうとしたところ、声を掛けられた。その内容は、やはりとりとめのないものだった。私は、できるだけ早く電車に乗りたかったのだが、立ち止まって警備員さんと話をした。ちょうどそこへ、私が早く帰りたがっている事情を知っている派遣仲間がやって来て、通り過ぎて行った。彼女は、警備員さんと顔見知りではないので、私が警備員さんと話をしている姿を見守りながら、先を歩いて行ったのだ。

 そして、警備員さんとの話が終わり、地下鉄に乗って帰宅していると、さきほどの派遣仲間から私の携帯電話にメールが届いた。その内容は、「早く帰りたい事情を知っているにもかかわらず、警備員さんとの話に加わることができなくてごめんなさい」というものだった。彼女はわざわざ私の状況を気遣って、そんなメールをよこしてくれたのである。

 私はうれしかったので、「実は、警備員さんとは良く話をするのだけれど、内容はひどくとりとめのないことばかりで、いつも彼らの前で自分自身を表現できてないんだよね」とこぼした。

 しかし、これまでのことを振り返ってみると、相手が警備員さんであろうとなかろうと、私は多くの人たちとの会話に満足していないことがわかった。「ガンまる日記」にも何度も書いているように、私には確実に触れてほしい領域がある。しかし、ほとんどの人たちはそこを素通りしてしまうのだ。

 素通りせずに、ちゃんと触れてくれる人とは、ふわふわとした会話が成り立ち、とても心地好い。会話をすることで、私自身がどんどん引き出されて行くような感じである。お互いの会話が絡み合い、いつまでも心に残るのだ。私としては、どんなときもそのような会話を目指しているつもりなのだが、どういうわけか、誰かと会話を始めると、自分の理想とはかけ離れてしまうのである。

 他の人たちに比べると隙があるのか、私は話し掛けやすいのかもしれない。そうであれば、誰からも話し掛け辛いほどに、もっと気むずかしく生きたほうがいいのだろうか。それとも、会話が絡み合うように、こちらからねっとりとした話題を提供したほうがいいのだろうか。会話の量ではなく、質を重視したいと願うこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思わず、日頃の悩みを綴ってしまいました。皆さんは、いろいろな人たちと取り交わされる会話に満足していますか? 私はしていません。だから、他の人から見る私と、自分で思う自分との間に大きなギャップがあるように感じますね。今年はこのギャップを何とかして埋めたいと思っています。

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2012.01.18

映画『デビル』

映画『ちいさな哲学者たち』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。更新が遅くなった上に連続で申し訳ありませんが、事情により、今回も映画のレビューを書かせていただきます。

 本作を鑑賞したのは、七月二十二日のことである。正直言って、鑑賞した作品のタイトルを見ても、果たしてどのような内容の作品だったのか、すっかり忘れてしまっていた。しかし、ひょんなことから、「そうだ、確かエレベータの中で繰り広げられる奇妙なミステリーだった」ということを思い出した。

 本作は、映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』映画『エアベンダー』のM・ナイト・シャマラン監督の長年のアイディアが原案となっているらしい。しかし、今回はM・ナイト・シャマラン監督自身はメガホンを取らず、若手監督に任せているようだ。どうも最近のM・ナイト・シャマラン監督は、ヒット作に恵まれていないように見える。アイディアは豊富なのに、あまりにも力が入り過ぎて空回りしてしまっているようにも思えるのだ。だから、長年温め続けたアイディアだけを提供して、あとは若手監督に任せてしまいたかったのかもしれない。

 あるとき、高層オフィスビルから男が転落死する。その直後、その高層オフィスビルのエレベータに五人の男女が乗り合わせる。しかし、そのエレベータは突然、停止し、その中で電気が消えたりする一瞬の間に、次々に不可解な殺人が起こって行くというストーリーである。

 エレベータの様子は、警備室からモニタを通して見ることができる。しかし、警備室からエレベータの中に向かって語り掛けることはできるものの、エレベータの中の声や音は警備室には届かない。それゆえに、エレベータの中に閉じ込められた五人がどのような人物であるのかを証明するための書類などを、エレベータのカメラに向かって提示させるシーンがユニークだ。

 エレベータの中に閉じ込められた人たちは、警備室と回線が繋がっていることがわかっているだけに、いつまで経っても救助がやって来ないことに苛立ちを隠せない。密室であるはずのエレベータの中で次々に殺人が起こっているのだから、犯人は必ずこの中にいるはずである。エレベータの中に閉じ込められた人たちの中では、次第に他者に対する不信感が募り始める。そんな状況の中、停止してしまったエレベータを何とかしようと救助に向かった整備担当者が、ワイヤーを伝ってエレベータに辿り着こうとしたところ、転落死してしまう。

 もしも私が原案者ならば、やはり観客には最後まで真犯人を知られたくないだろう。そのためには、真犯人があたかも真犯人ではないかのような状況に導く必要がある。そうだとすると、一番に怪しいのはあの人物だろう。鑑賞中にそんなことを考えている余裕はなかったのだが、こうして作品を振り返ってみると、なるほどと思う。そして、意外な結末に驚かされる。なるほど、話はこんなふうに繋がっていたのかと納得するのだ。

 ちなみに、出演者は私の良く知らない俳優さんたちばかりだったのだが、フィラデルフィア市警殺人課のボーデン刑事を演じていたのが、映画『お家(うち)をさがそう』のクリス・メッシーナだった。映画『お家(うち)をさがそう』とはまったく異なるキャラクターだったので、レビューを書くまで気付かなかった。

 経験なクリスチャンの警備員がデビルの存在を匂わせてもいるので、『デビル』というタイトルに惑わされがちな作品なのだが、ひょっとすると、これは「見せる殺人」と言えるのかもしれない。

 M・ナイト・シャマラン監督自身が監督を手掛けると、またまた力が入り過ぎてしまうような気がするので、今回は若手監督に任せてしまって正解だったのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 監督は違えども、やはりM・ナイト・シャマラン監督の作品の匂いがしますね。そういう意味では、本作の若手監督は、M・ナイト・シャマラン監督の想いを映像にすることができたと言っていいのではないかと思います。

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2012.01.17

映画『ちいさな哲学者たち』

ほてりに効く! 爪もみ療法の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 少し暖かくなりましたね。我が家では、暖房器具を何も使用していないのですが、この暖かさですと、この先も暖房器具は不要な気がしますね。

 本作を鑑賞したのは、七月十六日のことである。予告編を観たときからひどく気になる作品だった。「ちいさな哲学者たち」とは、フランスのとある幼稚園で二年間に渡って実施された哲学の授業に参加している子供たちのことである。そう、本作はドキュメンタリー作品なのだ。

 「幼稚園の子どもたちが哲学を学ぶなんて!」と、驚かれる方も多いかもしれないが、本作を鑑賞して、私としてはとても画期的な教育法だと思った。どうやらそのように感じていたのは私だけではなかったようで、子供たちが哲学の時間をとても楽しみにしているのが保護者らに伝わったらしく、保護者らにもこの教育法が受け入れられていた。

 スクリーンには、まだほんの小さな子供たちが愛や死について真剣に考えて発言している姿が写し出されている。哲学は、数学や化学のように唯一の答えが存在しているわけではない。中には、身近な大人が発言したであろう言葉をそのまま鵜呑みにして、まるでそれが自分の中から沸き上がって来た言葉であるかのように口にする子供たちもいる。しかし、私たち大人は、そんな彼らの言葉に、毎回、はっとさせられるのだ。

 精神世界に興味を持っている私は、普段から、この手の話題を誰かとしたくてうずうずしている。しかし、実際は、なかなかそうは行かない。哲学もそうかもしれないが、精神世界について何らかの考えを持っている人というのは、言葉の端はしに精神世界の足跡を残して行く。私は、その足跡を確認した上で相手に話し掛けることになる。もしくは、自分から足跡を残して、相手の反応をうかがう。

 しかし、普段から精神世界に興味を持たずに生きている人たちは、私の探し求めているような足跡を残さない。あるいは、私が残した足跡にも気付いてはくれない。だから、会話をしても、私の話したい領域には触れてもらえない。そんな寂しさをいつも抱えているので、おそらく何かに興味を持つということは、どこかの段階で、しかるべき思考回路が開かれるきっかけが必要なのだろうと思っていた。だから本作のように、まだ子供の頃から、哲学の回路が開かれるということは、その回路が今後の彼らにとって重要な意味を持つようになると思うのだ。

 予告編にもあるように、ある子供が自分の思い通りにならない友達を叩いたときに、幼稚園の先生が、
「たたけば解決するの?」
と言う。子供は、叩いても解決しないことを本当は知っている。幼稚園の先生は、相手に自分の気持ちをわかってもらいたければ、
「まず話すの」
と言う。

 このやりとりは、とても興味深い。というのも、世の中で起こっている不可解な事件の答えが、ここに集約されているように思えるからだ。「叩く」という行為は、他の様々な行為に置き換えられるだろう。わかって欲しいという気持ちが強過ぎると、言葉を使って相手に伝えることよりも先に、身体が動いてしまうのかもしれない。ということは、言葉を使って相手に自分の気持ちを伝えるプロセスを踏むことによって、ある程度、冷静になれるということだ。

 世の中には、必ずしも本作に登場するような幼稚園の先生ばかりではないと思うのだが、もしも本作に登場するような幼稚園の先生が幼稚園の子供たちをのびのびと育ててくれたならば、世の中の犯罪も少なくなるのではないかと感じた。そのような先生ならば、子供たちの中にあるものを適切な形で引き出せる先生だと感じたからだ。

 それにしても、場所がパリであるだけに、実に様々な国籍の子供たちが同じ幼稚園で学習しているものだ。これだけ多彩な顔ぶれが揃っているならば、個が尊重される環境も形成され易いのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 優秀な先生というのは、子供の可能性を適切な形で引き出すことのできる先生なのだと思いました。哲学には答えはありませんが、答えがないからこそ、どんな意見も尊重されるという意味で、子供たちは哲学の時間をいつも楽しみにしていたのではないかと思います。哲学の時間を共有することで、自分たちの限りない可能性を模索していたのではないでしょうか。

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2012.01.16

ほてりに効く! 爪もみ療法

ホットヨガ(二七六回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東京都昭島市のアパートで、局部を切り取られた全裸男性の遺体が見付かったそうです。まるで、阿部定事件のような殺人事件が起こりましたね。しかし、阿部定事件からは、加害者となった阿部定の、殺害された男性への深い愛情が感じられるのですが、今回の事件からは感じられません。あくまで私の直感的なものではありますが・・・・・・。

 上半身に強いほてりのあった私が、半袖のジャケットを着て「マタギ」の生活を送っていたのは、今からおよそ一ヶ月ほど前の去年十二月の半ばくらいまでのことである。その頃と今と、気温が著しく変化したわけではないと思うのだが、何と、現在の私は長袖の分厚いダウンジャケットを着て通勤しているのだ。しかも、その間に凍えるような寒さも経験し、更に長めのコートを着用して出勤したこともある。

 つい一ヶ月ほど前までは、仕事中も職場の暖房が暑くてたまらず、真夏にエコ対策で人気のマジクール相当品を使って腕を冷やしていた。しかし、今では半袖Tシャツ一枚になれば、仕事中も涼しく過ごすことができるようになった。何よりも自分で驚いているのは、満員電車に長袖の分厚いダウンジャケットを着たまま乗り込んでも、暑さを感じなくなったことだ。少し前までは、暖房が暑過ぎて、電車に乗ろうものなら、顔をしかめながら、ただちに長袖の服を脱いでいたというのに、それほどほてりの強い私がここまで変わったのは、決して気温のせいだけではないだろう。

 実は、自律神経の働きを整えるために、爪もみ療法を始めたのだ。爪もみ療法とは、爪の生え際を十秒程度もむだけの画期的な健康法である。基本的には薬指以外の指の爪をもみ、自分の気になる症状に対応している指の爪については、二十秒程度もむというものだ。

 私の場合、小指の爪を二十秒、それ以外の指の爪を十秒もんでいる。ただし、薬指の爪はもまない。薬指の爪をもむと、交感神経を優位にしてしまうため、外したほうがいいそうだ。すなわち、薬指以外の爪もみにより、副交感神経を優位にさせることで、いろいろな症状を改善することができるらしい。

 最初は半信半疑で始めた爪もみ療法だったが、実践し始めた直後から、足があまり冷えずに良く眠れるようになった。そして、いつの間にか、以前よりも上半身のほてりが和らいで来たのだ。おかげで、自律神経の乱れが改善されて来たのか、決して人並みとまでは言えないまでも、気温や室温の変化に自分自身の身体を順応させることができるようになったのである。

 このように、爪もみ療法はなかなか画期的な方法なので、皆さんも、私に騙されたと思って実践されてみてはいかがだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 下半身の症状を改善するには、足の指の爪もみをすると効果的だと書かれています。下半身にも不具合のある私が足の指の爪をもんでみると、確かに「きく~!」と叫びたくなりますね。(苦笑)

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2012.01.15

ホットヨガ(二七六回目)

映画『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。イタリアで大型クルーズ船が座礁し、亡くなられた方もいらっしゃるようですね。異国に出掛けて行って、このような事故に巻き込まれるケースが、最近、増えているように思います。かと言って、本当は旅行に出掛けて行きたいのに、最初から事故が起こることを危惧してまったく旅行に出掛けないというのも、人生をエンジョイできていない気がします。人生には、ある程度の冒険が必要だとは思いますが、どうもその加減が難しそうですね。

 一月十四日土曜日は、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。私にとっては、今年になって初めてのレッスンである。

 新年を迎えて心を入れ替えたのか、何と、いつもよりも早く家を出ることができたため、レッスン開始時間の六分前に梅田店のスタジオに着くことができた。途中、お気に入りのコンビニ兼酒屋さんで、後ろ髪が引かれるようなグッズが売り出されていなかったことも、早めにスタジオに着くことが出来た要因の一つかもしれない。とは言え、梅田店のスタジオに着いて、受付でロッカーの鍵をもらって着替えを済ませたあとトイレを利用したため、支度を整えて骨盤コースのレッスンが行われるスタジオに滑り込んだときには既にレッスンが始まってしまっていた。最近は、レッスン前にはトイレに行くことなくレッスンを受けていたのだが、自宅の最寄駅で缶コーヒーを買って飲んだため、レッスン前にトイレに行っておきたかったのだ。

 ロッカールームで着替えをしていると、最近、骨盤コースのレッスンに復活されたご年配の女性が、他の会員さんと話をされているのが聞こえて来た。梅田店のスタジオまで毎日通っていらっしゃるようなので、やはりフリーパス会員さんなのだろう。ご年配の女性は、駅(JR大阪駅または地下鉄/阪神/阪急梅田駅)からここまで十五分歩いて通っていて、途中に歩道橋があるとおっしゃっていた。私が梅田店のスタジオまで歩いているルートには歩道橋がないので、おそらくその方は、JR線以外の路線を利用されているのだろう。

 さて、今回のレッスンの参加者は十八名で、男性会員はゼロだった。いつもは横長いスタジオにびっしりと参加者がいらっしゃるのだが、今回は使用されていないヨガマットがいくつか残っていた。レッスンを担当してくださったのは、これまで苦手だと思っていたインストラクターである。何故、過去形になっているのかについては、後ほど書かせていただくことにしよう。

 今回のレッスンは、生理(?)の直後だったためか、大きな筋腫があまり邪魔にならず、気持ち良くレッスンを受けることができた。ほてりもそれほど強くなかったのか、レッスン中、一度もスタジオの外に出て休むことなく最後までレッスンを受けることができた。ただ、骨盤コースのレッスンをすべてこなそうとすると、やはり息切れがする。

 シャワーを浴びたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、先ほどのインストラクターが対応してくださった。インストラクターは、私がしばしば骨盤コースのレッスンに通っているのを認識してくださっているようで、
「骨盤コースのレッスンを良く受けていらっしゃいますねが、骨盤コースがお好きなんですか?」
と話し掛けてくださった。私は、
「ええ、やはり骨盤の歪みが気になりますので参加させていただいているのですが、やはり、きついですね」
と答えた。するとインストラクターは、
「私自身もきついと感じることがありますよ。一緒に頑張って行きましょう」
と言ってくださった。たったこれだけの会話なのだが、何故、私はこれまで、彼女のことを苦手だと思い込んでいたのだろうと不思議に思った。おそらく、他のインストラクターとは当たり前のように成り立つ会話でも、彼女との間には成り立っていなかったことが原因なのかもしれない。私は、ただ単に、彼女のことを良く知らなかっただけなのだ。

 その後、入口に脱いでおいたムートンブーツを、スタッフのみ出入り可能な場所から勝手に取ろうとすると、別のインストラクターが私の名前を呼び、慌てて私のムートンブーツを取り出してくださった。「あれ? 彼女はしばしば骨盤コースのレッスンを担当してくださっているインストラクターだが、先ほど受付で対応してくださったインストラクターではない。それなのに、何故、私の名前を呼んでくださったのだろう?」と不思議に思った。ひょっとすると、会員証の私の写真を見て、覚えてくださったのかもしれない。そんなちょっとした心遣いがうれしいではないか。

 無事にムートンブーツを履いて、一階まで降りて荷物の整理をしていたところ、後ろから、
「お疲れ様でした」
と声を掛けられた。一体誰だろうと思い、振り返ってみると、見知らぬ若い女性だった。しかし、相手のことを知らなくても、私は反射的に、
「お疲れさまでした」
と答えていた。果たしてその女性は誰だったのだろう?

1.その若い女性は会員さんで、私の後ろ姿を他の会員さんと間違えて声を掛けて来た。

2.その若い女性は梅田店のインストラクターで、ホットヨガのレッスンを終えた会員(私のこと)が一階にいるので、声を掛けてくださった。

3.その若い女性は、誰にでも声を掛けて、相手を驚かせている。

 2と考えるのが自然だとは思うのだが、仮にその女性が梅田店のインストラクターだったとしても、これまで一度もお目に掛かったことのない女性だったのだ。ということは、1なのだろうか。この謎を解明するためにも、今年もしばしば梅田店のスタジオでレッスンを受け続けようと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 昨年末からおよそ二週間振りのレッスンとなりましたので、少し身体の目覚めが良くないのではないかと思っていましたが、その点については大丈夫でした。そう言えば、回数券を二回分使用して参加できるというVIP会員専用の特別レッスンのお誘いをいただきました。常温で行われる九十分のヨガのようです。これは興味がありますが、日曜日の開催なんですよね。参加するかどうかは、考え中です。(苦笑)

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2012.01.14

映画『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』

こんな組み合わせならツインソウルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。成田国際空港発シドニー行きの飛行機の前方座席付近から一センチ程度の炎が上がっているのを客室乗務員が発見したため、飛行機は安全確認のために成田国際空港に引き返したそうですね。どうやらビジネスクラスの座席付近で発生した出来事のようですが、去年の夏休みに私たちが利用したのと同じ便ですね。しかも、夜行便だったので、私たちは貯めたマイルを使ってビジネスクラスにランクアップさせていました。だから、現場の状況は何となく把握できるのですが、仮にビジネスクラスの乗客がライターを持ち込んでいたとしても、おそらく航空会社は、ビジネスクラスの利用客に対して、あまり強気な態度は取れないでしょうね。

 本作を鑑賞したのは、七月十五日のことである。このシリーズは、これまで一度も鑑賞したことがなかったのだが、予告編を観て鑑賞する気になった。ちなみに、メガホンを取っているのは、映画『キック・アス』のマシュー・ヴォーン監督である。

 既に公開されているシリーズものでは、X-MENというミュータントの集団を設立したプロフェッサーXと、ミュータント・テロリスト軍団“ブラザーフッド”の首領であるマグニートーが対立しているらしい。若い頃、チャールズと呼ばれていたプロフェッサーXは、裕福な家庭に育っていた。一方、若い頃、エリックと呼ばれていたマグニートーは、ナチスに最愛の母親を殺され、復讐心を抱きながら生きて来た。本作は、そんな二人が親友だった頃の物語である。

 私は勝手な思い込みから、本作は地球に紛れ込んでいる異星人たちが結束を固めて戦おうとする物語なのだと思っていた。しかし、登場するのは異星人ではなくミュータントである。ミュータントとは、突然の遺伝子変異によって現れる固体や細胞のことらしい。

 この地球上で同じようなミュータント仲間たちと巡り合い、それぞれの特殊能力を伸ばすために訓練を重ねるミュータントたちの姿を見守っていると、得意分野はそれぞれ違っていても、目立たないように、一般の人たちと同じような格好をして、一般の人たちの中に紛れ込んで生活をして来た苦悩から解放されたことだけでも良かったのではないかと思えた。そんなふうに思うのは、私自身が他の人たちとどこか違うと感じ続けて来たからかもしれない。だから、あんなふうに特殊能力を持つミュータントたちが身を寄せ合って生きている姿がうらやましくもあった。何故なら、特殊能力を持っている人たちが集まっているということは、個が尊重される環境にあると思うからだ。

 本作は、アメリカの人気コミックが原作となっているらしい。とは言え、原作のコミックは、一九六〇年代に初めて登場したときはあまり人気がなかったらしいのだが、一九七〇年代半ば頃から人気が出て来たという。もしかすると人気が出て来たのは、一人一人が個を尊重して欲しいと願う時代がやって来たからではないだろうか。大多数の中に埋もれて目立たないように生きるのではなく、自分だけの特殊な能力を伸ばしながら生きて行きたいという願望が誰にでもあるのかもしれない。

 更に、本作を面白くさせているのは、ミュータントの特殊能力を恐れて撲滅させようとするベクトルと、ミュータントの特殊能力を高めた上で一般の人たちとの共存を目指そうとするベクトルと、ミュータントの特殊能力を活かして世界征服をたくらむベクトルという三つのベクトルが絶妙に絡み合っているからなのかもしれない。鑑賞するときも、自分自身の立場を三つのベクトルの中の好きな位置に投影させることができるために、多くの人たちに受け入れられているのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このシリーズの作品を初めて鑑賞しましたが、なかなか面白いと感じました。私としては、やはり、特殊能力を持ったミュータントたちが同じような仲間たちに出会えたことにより、それぞれの個が尊重され、他と違うという疎外感を感じることなく助け合いながら生きて行く姿がうらやましく思えました。特殊能力を持った者同士であれば、素の自分を表現することができて、深い部分で分かり合えると思ったからです。

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2012.01.13

こんな組み合わせならツインソウル

リュープリンという選択(8)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。広島市の刑務所を脱走していた囚人が逮捕されたそうですね。私は浪人時代と言いますか、いったん広島市内の大学に入学したあと、広島で予備校に通って再受験したので、一年間だけですが広島に住んでいました。しかし、刑務所がどこにあったのかは、まったく知りません。住所だけを見ると、私が住んでいたところからそれほど遠くはないと思っているのですが・・・・・・。何はともあれ、逮捕されて良かったですね。刑務所にも、映画のような脱走劇があるのですね。

 いつの頃からか、この「ガンまる日記」で最も多い検索フレーズは、「ツインソウル」となっている。

検索フレーズランキング

 ツインソウルについて知りたいという方たちは、検索エンジンに「ツインソウル」と入力して、何を調べようとされているのだろうか。そもそもツインソウルに出会っていなければ、「ツインソウル」というキーワードを検索エンジンに入力することもないだろう。反対に、ツインソウルが常に身近にいる人たちもまた、わざわざ「ツインソウル」というキーワードを検索エンジンに入力したりはしないだろう。ということは、あるとき衝撃的な出会いを果たした方たちが、その相手が自分のツインソウルなのかどうかを確認したいと思ったときに、検索エンジンのキーワードに「ツインソウル」と入力されているのかもしれない。

 かつて私のホームページには、質問に答えていただくことで、ツインソウル度をチェックできるアンケートを設置していた。しかし、そのようなツールを提供してくれているサイトが閉鎖されてしまったため、今ではそのアンケートも動作しなくなってしまった。

 そこで、ツインソウルとはどのような存在かということについて、改めて、現在の私が感じていることを書いてみようと思う。

 ツインソウルは、最初は強烈に惹き付けられるのに、ある局面を迎えると強烈に反発し合う。反発し合うときは、互いに手加減なしに言いたいことをはっきりと言い合うので、他の人にならば遠慮して言わないようなひどいことまで言ってしまう。

 そして、あるとき、「こんな奴、もう絶交だ! こいつが私のツインソウルだなんて、聞いて呆れる!」と思いながら、相手をしきりに遠ざけようとするのだが、そんな気持ちとは裏腹に、相手の存在がとにかく気になって気になって仕方がない。時には、離れようとしても、自分自身の身がひきちぎられるような気さえする。

 そして大喧嘩のあと、少しの間、離れていると、喧嘩の原因になっていることが、自分たちの尊い関係よりもちっぽけなことであることに気付くのだ。

 たいていの場合、ツインソウルは喧嘩すればするほど強固な関係を築いて行く。激しい喧嘩もできず、言いたいことも言わずに心の中に引っ込めてしまうような相手ならば、それはツインソウルではないだろう。

 また、喧嘩をしたときに、愛しさよりも憎しみや悲しみのほうが勝るならば、それはツインソウルではなくカルマの関係だと思う。

 それでも、多くの人たちは、ツインソウルに出会うと、表面的な出来事に惑わされてしまう。しかし、ツインソウルという尊い存在を見失わないようにするためにも決して忘れてはいけないのは、表面的な出来事に惑わされないことだ。表面的な出来事というのは、時には目に見えているだけの現象であったり、単に相手に反発したいがために口を突いて出てしまった心にもない言葉であったりする。そうした表面的な出来事に惑わされることなく、本質を見抜く力が必要だ。相手の魂の奥底にある本能的な感覚を見破るのだ。そのためには、何度も何度も喧嘩を繰り返して、より強固な信頼関係を築いて行く必要がある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 既に出会っている相手がツインソウルかどうかわからないということはないと思いますよ。ツインソウルは、それくらい判り易い存在だと思います。それでもわからないというのであれば、手加減なく、思いきり喧嘩ができるかどうか、そのあと、ケロッとしていられるかで判断されてみてはいかがでしょうか。

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2012.01.12

リュープリンという選択(8)

映画『サンザシの樹の下で』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m JR福知山線で運転士が居眠りをしているところを、脱線事故のご遺族が見付けてJR西日本に報告したそうですね。実際、運転士は居眠りをしていたことを認めたそうですが、さすがにこれはまずいでしょう。他でもなく、あの脱線事故のあったJR福知山線なのですから。何年も経てば、緊張感は薄れてしまうものなのですね。私自身も、緊張感を持つべきところで失わないように気をつけたいものです。

 最近、どうも身体の調子がおかしい。新たにI医師の診察を受けたわけではないのだが、現在の身体の状況について書いておきたいと思う。

 まず、リュープリンで女性ホルモンの分泌を抑制しているにもかかわらず、本格的な生理がやって来てしまった。しかも、出血が一週間以上も続いている。女性ホルモンを抑制する注射を始めてから、何度か不正出血はあったものの、今回ほど出血が長引いたことはない。仮に今回の出血が不正出血ではなく本格的な生理だとすると、実は心当たりがある。それは、昨年末の注射を、病院の年内最終診察日にしていただくために、これまでのサイクルから少しずらして受けてしまったことだ。あのとき、前にずらしてしまったが、三回目以降の注射だったので、ひょっとすると後ろにずらさなければならなかったのではないだろうか。そのため、女性ホルモンの分泌を抑制する魔法が解けてしまい、生理が始まってしまったのではないかと思っている。

 もしもこれが本当に生理だとすると、私にとっての久し振りの生理はちょっぴり憂鬱だった。自分では気付かなかったのだが、やはり生理の出血量が多いということは、私にとって、ある種の心配事になってしまっていたようだ。日常生活の中で、生理の血液が漏れてしまわないかと、ひどく気になってしまうのである。しかし、女性ホルモンを抑制する注射が効いている間は、不正出血程度で生理のような本格的な出血はなかったので、安心だった。

 思えば、以前よりも筋腫が大きくなったと感じてしまい、スプレキュアからリュープリンに戻していただくことになったのも、実は女性ホルモンの分泌を抑制する魔法が解けてしまっていたからなのかもしれない。そうだとすると、残念ながら、今回の注射は失敗に終わったことになる。

 生理がなく、生理中の血液が漏れるという心配事が不要だったという点においては快適だったものの、女性ホルモンの分泌を止めて擬似的に更年期の状態を作り出すことは、身体にもそれなりの負担が掛かる。小さなことで言えば、おばあちゃんのように動作がのろくなってしまったことと、かゆみの症状があった。いつもと同じ時間に家を出ても、仕事に遅刻するようになってしまったのだ。自転車をこぐのものろく、以前にも増して、歩くのものろくなってしまったようだ。一方、かゆみに関しては、乾燥肌に対処するクリームを塗ることで落ち着いた。

 また、先日は、寝不足のせいもあると思うのだが、目覚めたときから身体が傾いているように感じた。もしかすると、これがめまいというものだろうか。倒れはしなかったので、そのまま支度を整えて仕事に出掛けた。眠いという以外は、難なく仕事をこなすことができた。しかし、帰り道がひどく寒く、風も出て来たためか、厳しい寒さの中で、私はまたしても平衡感覚を失っていた。自転車にまたがっているのだが、風のせいではなく、片方に身体が傾いてしまうような気がしていたのだ。不安を感じたので、先に帰宅しているガンモに電話を掛けて、迎えに来てもらおうかと思ったほどだ。それでも、何とか自宅にたどり着いて、ことなきを得た。

 次回の診察のときに、これらのことをI医師に相談してみようと思う。もしも今回の出血が不正出血ではなく生理だとしたら、実はあと一回の注射で六ヶ月の注射は終了になるのだが、その注射を受けることができるのかどうかわからない。身体に負担の掛かる部分はあるものの、生理がないという点においてはとても楽ちんだったことに、今更ながら気付いてしまったので、できれば引き続き注射を続けたいと思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これが不正出血ではなく生理なのかどうかは、何をもって判断するのでしょうね。しかも、仮にこれが生理だった場合、こんなにも早く生理が来るものなのでしょうか。以前、同じ職場の女性がリュープリンの注射をしていたそうですが、注射をやめてから二ヶ月くらいは生理が来なかったと言っていたように思います。そうだとすると、やはりこれは生理ではなく、不正出血なのでしょうか。何だか不安ですが、何はともあれ、I医師に確認してみたいと思います。

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2012.01.11

映画『サンザシの樹の下で』

西宮神社に参拝の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 東日本大震災の影響に関係なく、政府の地震調査委員会がホームページで発表した将来の地震発生率が上昇したそうですね。東海地震の三十年以内の発生率も、八十七パーセントから八十八パーセントに引き上げられているとか。いやはや、恐ろしいですね。これまでの大地震の経験を活かして大地震に備えたいとは思いますが、大地震が発生したときに自宅にいるとは限らないので、準備をしておくにしてもなかなか難しいものです。

 チャン・イーモウ監督作品である本作を鑑賞したのは、七月十二日のことである。チャン・イーモウ監督作品と言えば、先にレビューを書いてしまった映画『女と銃と荒野の麺屋』が記憶に新しい。映画『女と銃と荒野の麺屋』は、精巧な喜劇とも言える物語だったが、本作はうって変わって、あまりにも切ない実話ベースの純愛物語である。

 文化大革命下の一九七〇年代のことである。都会育ちの女子高生ジンチュウは、住み込み教育を受けるために農村を訪れ、そこで青年スンと出会い、激しい恋に落ちる。しかし、ジンチュウの両親は反革命分子とみなされ、迫害を受けていた。ジンチュウの父が投獄されいるため、ジンチュウの母が必死で生活を支えていた。母は、ジンチュウが教職に就くことを強く望み、そのことを理由に、スンとの交際を何かと邪魔した。しかし、スンは深刻な病気に侵されていて・・・・・・。

 今どき、これほどの純愛物語はなかなか描けないだろうと思う。何しろ、全編を通して、二人のキスシーンがあったかどうかさえも思い出せないほどなのだから。それでも、二人の気持ちがしっかりと結ばれているのが伝わって来た。農村で出会った二人は、ジンチュウが都会に帰って来ても、しばしばプラトニックな逢瀬を重ねていた。お金持ちのスンは、ジンチュウやジンチュウの弟、妹たちのために、時には食べ物を届けたりした。ジンチュウに対するスンの気持ちはあまりにもまっすぐで、見ていてとても気持ちが良かった。鑑賞しているうちに、二人のこの幸せがいつまでも続くことを心の中で願っていた。

 最も印象に残っているのは、スンが入院している病院を訪れたジンチュウに、看護師さんの宿舎を借りて二人で泊まったシーンだ。当時は頻繁にお風呂には入らなかったのか、金属製の洗面器にお湯を入れて、足を洗っていたようだ。スンは、二人の思い出の農村に象徴的に咲いていたサンザシの花の絵の入った洗面器をたまたま見付けて購入する。そして、スンがその洗面器を使ってジンチュウの足を洗ってあげるシーンへと繋がって行くのだが、それが何とも美しいシーンなのだ。

 考えてみると、二人の間には、男女の間にありがちな欲望というものがほとんどない。ジンチュウはやや受身だが、それでもスンのことを想っている。スンはジンチュウと夜を共にしても、ジンチュウの肉体を求めたりはしなかった。もちろん、肉体を求めることは愛の延長線上にあることはわかっているのだが、二人の間にそれが存在してしまっては、もはや純愛ではなくなってしまうようにも思えた。それくらい、徹底的なプラトニック・ラブを貫いている二人なのだ。

 ラストは敢えて書かないでおくが、とにかく涙なしでは見られない。思えば、日本ではこのような描写をわざわざ避けて通っているように思う。どこかで美化しようとしているのかもしれない。しかし、チャン・イーモウ監督は、おそらくそのままを描写することを恐れなかった。それだけに、衝撃も大きいのだ。

 病室にジンチュウの写真を貼っていたスンは、どこまでもまっすぐな好青年だった。そんな二人の悲恋は、転生を繰り返しながら、少しずつ完成させて行くのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とにかく、こんなにまっすぐな純愛はないというくらいのピュアな悲恋でした。実話が元になっているそうですが、その後のジンチュウは、おそらくちゃんと前を向いて生きて行けたのではないかという気がしています。

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2012.01.10

西宮神社に参拝

MiFiと一緒に旅をするの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 友人の息子さんがセンター試験を受けるというので、同じくマークシート方式のTOEICの受験経験を活かし、わざわざ削る必要のないロケットペンシルをお勧めしました。すると友人は、まだ鉛筆を用意していなかったとかで、慌てて鉛筆を買いに行って来たそうです。しかし、購入した鉛筆がB鉛筆だと聞いたので、私は大学入試センターのサイトを確認し、「センター試験で使う鉛筆は、HBかHまたはFに指定されているよ」と友人に教えてあげました。すると友人は、またまた慌ててHBの鉛筆を買いに行きました。

 現在の派遣先での派遣期間が今年で丸十年になる。いつの間にか、社員として働いていた四年間を軽く上回っていた。この不景気な時代に、継続的に仕事があるのはとても有り難いことである。しかし、派遣先企業は、これまでよりも厳しい状況になって来ているようだ。それならば、商売繁盛の神様である「えびすさん」にお参りに行こうと、毎年福男で有名なえびす宮総本社西宮神社に足を運んだ。喪中なので、年賀状と同じく初詣は控えたほうがいいと思っていたのだが、商売繁盛のえびすさんならお参りしても良さそうだと思った。仕事帰りにガンモに電話を掛けて誘ってみたのだが、仕事の都合で行けそうにないという。仕方がないので、私一人でお参りすることにした。

 JR線の最寄駅に着いたあと、私は自転車に乗って、阪神西宮方面へと向かった。今日は、「十日えびす大祭」の「本えびす」なので、かなり混雑しているだろうと思い、できるだけ西宮神社に近い場所に自転車を止めて、そこから歩こうと思っていた。ところが予想に反して、阪神西宮駅前にあるコイン式の駐輪場が何台も空いているではないか。きっと駐輪場も一杯だろうから、どこかのお店の前にでもこっそり駐輪させていただこうかと覚悟して行ったのに、拍子抜けしてしまった。

 自転車を止めた私は、西宮神社に続く商店街を歩いた。先ほどの駐輪場の空き具合からも想像できたように、思っていたほど混雑してはいなかった。おかげで、私はいとも簡単に入口の門まで辿り着いてしまった。それでも、混雑を避けるために、警備員さんや警察官の方たちが出動して、入口の門と出口の門が明確に分けられていた。

入口の門

 入口の門を難なくくぐると、私はまっすぐおみくじコーナーに進んだ。毎回、おみくじを引くのが楽しみなのだ。

おみくじコーナー

 おみくじコーナーの近くでは、えびすさんのお酒を販売する会社が、えびすさんのお酒の試飲会を開催している。試飲するには、お心づけを少しだけ収めることになっているので、私は財布の中から小銭を取り出して、みんながお心づけを入れている入れ物の上にちゃりんと乗せた。そして、巫女さんのような女性にえびすさんのお酒を一口だけ注いでいただくと、一気に飲み干した。

 えびすさんのお酒を販売しているエリアには、毎年、えびすさんの格好をした男性が立っている。今年は、この男性が立っていた。暗いので、またしても手ぶれ写真で申し訳ない。

えびすさんのお酒のマスコット(?)であるえびすさんの格好をした男性

 さて、おみくじを引いてみると、末吉だった。内容を読んでみて、末吉とは、時間は掛かるものの、やがて吉になることがわかった。ちなみに、病気は「長引くがすっかり治る」そうだ。

引いたおみくじは「末吉」

 思ったよりも空いていると感じたものの、やはり境内はたくさんの参拝客たちで溢れ返っていた。ちょうど今朝、福男選びがここで行われたはずで、私がさきほど通った入口の門から福男を目指してたくさんの男性たちが走り込んで行ったはずである。私はまさしく、そのコースを今、歩いているのだ。

境内は、たくさんの参拝客で溢れ返っている

 おみくじを引いたあと、本殿に向かうための行列に加わった。本殿の直前で、神主さんの卵のような男性が頭にお祓いをしてくださるのが楽しみである。

神が棲んでいそうな建物

 頭をお祓いをしていただいて、本殿への通路を歩いていると、有馬温泉の水の中にたくさんの一円玉が浮かべられていた。

有馬温泉の水にたくさんの一円玉が浮かべてられていた

 更に、商売繁盛のえびす様に奉納された大まぐろの周辺には、たくさんの参拝客らが大まぐろを一目見るために行列を作って並んでいた。大マグロの上にも、やはりたくさんのお賽銭が載っていて、参拝客たちは、我も我もと行列に並び、大まぐろの写真を撮影したり、お賽銭を大まぐろの上に置いたりしていた。警備員さんらが、
「混雑しますので、ここに立ち止まって写真を撮らないでください」
と繰り返し叫んでいたので、私は、列からは少し離れたところに立って大まぐろの写真を撮った。

大まぐろ

 本殿の前でお賽銭を投げて、去年の御礼と今年のお願いを述べた。神社だから、手を叩いてもいいはずなのだが、何となく慣れなかった。

 ちなみに、本殿のすぐ近くに、今朝行われたばかりの福男選びの結果が掲示されていた。朝早くから走るためか、福男選びに参加されるのは大学生が多いように思う。朝六時といえども、会社員が福男選びに参加していては、仕事に間に合わないのではないだろうか。

福男たちの名前が掲載されていた

 流れに沿って、更に先へと歩いて行くと、お札や福笹などが売られているコーナーがあった。

お札や福笹などが売られているコーナー

 私は、商売繁盛をお願いするために、三千円の大福笹を購入した。

三千円の大福笹を購入した

今年も商売繁盛でありますように

 大福笹を購入すると、西宮神社にお参りしたという満足感が得られるから不思議である。

 人々の流れは、出口に向かって進んでいた。西宮神社の境内には、たくさんのお店が立ち並んでいる。もちろん、食べ物屋さんが圧倒的に多いのだが、中には遊戯施設もある。このおばけ屋敷は、何年か前にガンモと一緒に入ったのだが、生身の人間が驚かすので、かなり恐ろしかった。ほうほうの体(てい)で逃げ帰るという言葉があるが、まさしくそんな感じでおばけ屋敷の出口を飛び出したのを覚えている。

おばけ屋敷。何年か前にガンモと二人で入ったことがあるのだが、とても怖かった

 おばけ屋敷を過ぎると、出口はもう近かった。出口付近はさすがに混雑していたが、時計を見るとまだ二十時過ぎだった。この分だと、二十時半には帰宅できるだろう。

再び、入口を撮影。少し混んで来た

 私は、再び出店の立ち並ぶ商店街を歩くと、阪神西宮駅前に駐輪しておいた自転車を引き取り、帰宅した。ラッキーなことに、二時間以内の駐輪だったので、無料だった。とんとん拍子に参拝できたように、今年も仕事がうまく行きますように。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おみくじは末吉でした。これまで末吉は「小さな吉」だと思い込んでいたのですが、そうではなく、「吉になるのに時間が掛かる」という意味だったのですね。このおみくじのように、今年ものんびり行こうと思います。

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2012.01.09

MiFiと一緒に旅をする

Captain Cook Cruisesのディナークルージングの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さんは、この三連休をいかがお過ごしでしたか? 実はガンモが、この三連休を利用して私と一緒にシンガポールに行こうと、ずいぶん前に飛行機を予約していたのですが、事情があってキャンセルすることになりました。キャンセル料として五万数千円が消えて行ってしまったようです。とてももったいない話ではありますが、旅行に出掛けられるような状況ではなかったので、それでいいと思っています。

 少し前まで、私たちは海外旅行に出掛けると、宿泊先のホテルで取り扱われているインターネット接続サービスを利用していた。言い換えると、インターネット接続サービスのあるホテルをわざわざ選んで宿泊していたのである。しかし、宿泊するホテルによっては、海外のホテルのインターネット接続サービスはひどく割高になってしまうことがある。日本では、ガンモも私もモバイルカードを契約しているので、モバイルカードの電波の届くエリアならば、いつでも電波を使い放題なのだが、海外に行くと、日本で使用しているモバイルカードが使えない不便さもある。すなわち、普段から日本でモバイルカードの手軽さを体験していると、ホテルでしかインターネットに接続できないのはストレスにも感じられるのだ。もちろん、携帯電話を使ってインターネットにアクセスするという手もあるのだが、海外で携帯電話を利用するのはまだまだ割高である。

 実は、それらの問題を一気に解決してくれるサービスがある。それが、MiFiというモバイルルータの貸し出しサービスである。簡単に言えば、電波の中継器のようなものを持ち歩き、それを電波の発信機にして、ノートパソコンやスマートフォンから無線LAN経由でインターネットに接続することができるのだ。

 私たちはこのサービスを、去年のタイ旅行から活用し始めた。これにより、インターネットへの接続が、ノートパソコンとMiFiさえ持ち歩けば、ホテルに在室しているときだけでなく、移動中でも可能になったのである。特に私は、旅行中にリアルタイムで「ガンまる日記」を更新しているので、「ガンまる日記」を書き上げるまではホテルの部屋を出たくなかった。そのため、観光するためにホテルを出るのがひどく遅くなってしまうこともあり、ガンモをやきもきさせてしまうことも多かったのだ。それが、MiFiを利用することにより、解決したわけである。

 ちなみにMiFiは、関西国際空港や成田国際空港などでレンタルすることができる。すなわち、出国の当日にレンタルしておいて、帰国したときに返却するシステムになっているのだ。こうしたレンタル業を行っているのは、かつて海外向けの携帯電話のレンタル業を行っていた業者らしい。少し前までは、携帯電話も海外では容易に使うことができなかったので、同じように出国の前に海外で使用できる携帯電話をレンタルして、帰国したときに返却するレンタルサービスがあったのだ。私自身は借りたことはないのだが、ガンモは何度かこのレンタルサービスを利用したことがある。しかし、今やほとんどの携帯電話が海外でも使える仕様に変わったので、かつてこのようなレンタルサービスを行っていた業者が鞍替えして、MiFiのレンタルサービスを始めたというわけなのである。

 もちろん、今回のシドニー旅行でも、私たちはMiFiをレンタルした。

MiFi。撮影した場所が暗かったため、手ぶれ写真になってしまいました。ごめんなさい

 しかし、タイでは快適に通信できたものの、シドニーでは通信速度がひどく遅かった。そのため、ちょっとでも重いページにアクセスすると、描画までに何分も掛かったり、ときには表示されないことさえあった。とは言え、便利だったのは、Googleトークで実家の父としばしば会話ができたことである。おかげで、国際電話を掛けるよりもはるかに安上がりだったのだが、Googleトークを使えない相手に対しては、国際電話を掛けることになった。

 無事に帰国した私たちは、成田国際空港で、忘れることなくMiFiを返却した。借りることは覚えていても、返却するのはついつい忘れてしまいそうである。

 MiFiは、電波さえ届けば、日本で使用しているモバイルカードのようなお手軽な感覚で使用できるので、インターネットのヘビーユーザにはお勧めのツールである。特に私たちのように、それぞれが海外までノートパソコンを持参するような場合は、二人で同時にインターネットに接続できるのでお得かもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 出発前は借りるのを覚えているとは思うのですが、帰国したあとは気が緩んでいる(というか脱力感のほうが適切でしょうか)ので、返却するのを忘れてしまいそうです。でも、未確認ではありますが、そんな場合でも、宅配便による返却を受け付けてくれるようなサービスがあるのかもしれませんね。

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2012.01.08

Captain Cook Cruisesのディナークルージング

映画『アリス・クリードの失踪』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 去年の夏休みのシドニー旅行について、まだ完結させていないというのに、二ヶ月も間が開いてしまい、申し訳ありません。そろそろ再開させていただこうと思います。今回、お届けするのは、シドニーのライトレール(路面電車)とモノレール(2)の続きであります。

 昼間はライトレールとモノレールに乗車して、シドニー・フィッシュ・マーケットでお昼ごはんを食べた私たちだったが、私たちにとってシドニー滞在六日目の夜は、シドニーで過ごす最後の夜となっていた。そこで、シドニー最後の夜を楽しむために、Captain Cook Cruisesのディナークルージングを予約していたため、夕方になると集合場所であるホテルに戻った。

 シドニー滞在中は、ずっと個人旅行を楽しんで来た私たちだったが、ディナークルージングのみ現地ツアーを申し込んでいたので、私たちはホテルのロビーでツアー会社の方と待ち合わせをしてピックアップしてもらった。私たちの乗ったバスは、途中でいろいろなホテルに寄り、何組もの日本人観光客を拾いながら目的地へと向かった。様々なホテルに立ち寄ったので、このホテルは私たちが泊まっているホテルよりも豪華だなどと、いろいろな意味で楽しめた。移動中のバスの中では、現地ツアーの係員の方が面白い話をたくさん聞かせてくださった。そのあたりのことについては、シドニー滞在中にリアルタイムでシドニーの暮らしという記事に書かせていただいている。

 私たちは、翌日の早朝の飛行機で帰国することになっていたので、できればシドニー滞在の最後の夜をディナークルージングの日に選びたくはなかったのだが、もともとこのシドニー旅行は、理由があって、出発の週間前に出掛けることを決意し、ガンモが飛行機やホテルを慌てて予約したものだった。そして、このディナークルージングの現地ツアー申し込みに関しては、Webから申し込みできるのが一週間前のみの予約だったため、この日程になってしまったのだ。

 このディナークルージングの現地ツアーには、数十名もの日本人が参加していた。ディナークルーズが行われる船の近くまでバスで移動すると、そこで更に別の現地ツアーの方たちと合流することになった。その後、申し込み者単位で名前が呼ばれ、次々に船に乗り込むことになった。私たちは、金額的にはグレードの低いディナーを申し込んでいたので、かなり気楽に構えていた。そんなところで気取ってみても仕方がないと思っていたのである。

 船に乗り込み、指定されたテーブルに着くと、飲み物は何にするかと尋ねられたので、私は赤ワインを注文した。飲み物を注文してひとまず落ち着いたので、私は船内にあるトイレを探して駆け込んだ。「腹が減っては戦ができない」ではなく、「トイレに行きたい気持ちを抑えていては食事ができない」だったのである。

 しばらくすると、お料理が運ばれて来た。何というのだろう。これまでにもハワイ香港、それからタイなどでディナークルージングを楽しんで来たが、今回のディナークルージングには、これといった特徴がなかった。何となくではあるのだが、日々、お決まりのコースをただこなしているだけのおもてなしを受けたように感じられたのだ。ひょっとすると、もう少しグレードの高いコースを注文した人たちには、それなりのパフォーマンスがあったのかもしれないが、グレードの低いコースを注文した私たちの座っていたテーブル付近では何のパフォーマンスもなく、ただ次々に運ばれて来るお料理を口にするだけだった。お料理そのものも、大きな一連の流れ作業の中に組み込まれている一部のような感覚を覚えた。

 食事中、中国人のカメラマンがデジタルカメラを持って私たちのテーブルを訪れた。彼は、私たちにポーズを求め、ささっとシャッターを切ると、次なるターゲットを撮るために、別のテーブルへと移動して行った。おそらく、さきほど撮られた写真はのちにプリントされ、有料で販売されるのだろう。

 そんなことを思いながら食事を進めていると、写真が出来上がったので、必要な方はおっしゃってくださいというアナウンスが流れた。やはり写真は有料のようである。私たちのテーブルに届けられた写真を見てみると、ガンモが独りで写っている写真と私たちが二人で写っている写真が二枚プリントされていた。私たちは、どちらの写真も見て驚いたものだ。というのも、私自身も写真を撮る身として、これほど素早く被写体に狙いを定め、しかも、被写体の最も良い表情を引き出すカメラマンに、これまで出会ったことがなかったからだ。ガンモが独りで写っている写真も、私たち二人で写っている写真も、実に良く撮れていた。そのまま二枚とも購入しても良かったのだが、そうはせずに、ガンモは自分が写っている写真を自分の持っているデジタルカメラにこっそり収めた。そのため私は、二人で写っている写真だけを購入することにした。ガンモは、
「あの中国人カメラマン、やるなあ」
と言っていた。私もまったく同じ意見だった。

 そんな中、現地ツアーの係員さんとディナークルージングの女性スタッフが仲良く話をしている姿が見えていた。私の勝手な想像だが、ひょっとするとお年頃のお二人の間には、既にほのかな恋心が芽生えているようにも思えた。今は互いに敬語を使いながら話をしているが、そのうちもっと親しく会話ができるようになると、言葉使いも砕けて来るだろう。なるほど、海外で生活をしていても、このような出会いがあるのかと感心してしまった。もしもお互いの中にほのかな恋心が生まれているのだとしたら、きっと現地ツアーの係員さんにとっても、ディナークルーズの女性スタッフにとっても、こうして会話を交わす瞬間が楽しみで仕方がないに違いない。ちなみに、どちらも日本語で話をしていたので、ディナークルーズの女性スタッフも日本人だったと思われる。この次に私たちがシドニーを訪れるかどうかはまだわからないが、もしもシドニーを訪れる機会があったとして、更にこのCaptain Cook Cruisesのディナークルージングを再び利用したならば、ひょっとするとこのお二人の関係はもっともっと進展しているかもしれない。

 こんなふうに、シドニー最後の夜は静かに過ぎて行き、ディナークルーズを終えた私たちは再びバスに乗り込み、ホテルまで無事に送り届けられたのだった。ホテルに帰った私たちは、翌朝のために帰国の準備を整えると、へとへとになってベッドにもぐり込んだのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、Captain Cookのディナークルージングをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちがシドニーを訪れてから、早くも五ヶ月が経過しようとしています。それなのに、まだ旅行記が完成していないのですから、今回の旅行記はかなりののんびりモードですね。帰国の記事については、確かリアルタイムに綴らせていただいているはずなので、あとは補足しておきたい記事などをいくつか書かせていただいて、このシドニー旅行記を完結させたいと思います。それまでお付き合いくだされば幸いです。

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2012.01.07

映画『アリス・クリードの失踪』

ひらひらと目の前に広がる金属製の幾何学模様の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。今回は予定を変更して、映画のレビューをお届けしたいと思います。

 本作を鑑賞したのは、映画『127時間』を鑑賞したのと同じ七月九日のことである。劇場で、予告編を何度か目にした作品だったのだが、実際に鑑賞してみると、頭の中で思い描いていた内容とはずいぶん異なっていた。

 二人組の男たちが黙々と何かの準備をしている。見守っているうちに、それが誘拐の準備だとわかる。二人はどこかの部屋を借り、部屋の中からは外の景色が見えないように光を遮断している。入口のドアにも、二重、三重に鍵が取り付けられている。

 やがて二人組の男たちは、若い女性を誘拐し、その部屋に連れて来る。そして、女性の着ている服を脱がすとジャージに着替えさせ、さるぐつわを取り付けてベッドに縛り付けた。女性は抵抗してはいるものの、生命の危機を感じたのか、いやいやながらも二人組の男たちに従っている。

 どうやら若い女性はお金持ちのお嬢様らしい。二人組の男たちのうち、若いほうの男が新聞で彼女を見付けて、誘拐のターゲットに定めたのだ。これから身代金が要求され、女性の父親との取引が始まるのかと思いきや、なかなかそうはならなかった。実は、若いほうの男は女性の恋人だったのだ。それからは、三人が互いに駆け引きをしながら、高額な身代金を手に入れようと必死にもがき始める。

 オープニングの段階から、完全犯罪とも言えそうなほどの用意周到な展開に感動していたところ、若いほうの男と誘拐された女性が恋人同士だったということがわかり、これまでとは違った緊張感が漂い始めた。二人組みの男たちのうち、年配の男にそのことがばれてしまったら、大変なことになるのではないかという予感がしたからだ。

 本作のタイトルは、『アリス・クリードの失踪』と掲げられてはいるものの、『奇妙な三角関係』というタイトルを掲げてもいいくらいだ。実は、誘拐犯の二人の男たちは、刑務所で知り合った仲間同士で、ただならぬ間柄でもあったからだ。

 しかし、どういうわけか、誘拐された女性に対し、被害者としての同情心が沸いて来ない。何故だろう? 考えてみたところ、どうも私は、誘拐された女性を演じている女優さんがミスキャストのように思えてしまったようだ。メイクも控えめで、もう少しかよわい感じのする女性のほうが、この役に適しているのではないかと思ってしまったのだ。しかし、最後まで鑑賞してみると、そんな考えも吹き飛んだ。なるほど、このような展開を迎えるならば、彼女は決してミスキャストというわけではなかったのだと言える。

 驚いたことに、本作の登場人物は、わずか三人だけである。低予算で製作されたとも言える作品だが、二転、三転と覆される三人の騙し合いに最後まで目が離せない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 若い男の刑務所仲間だった中年男を演じているのは、イギリス映画にはしばしば出演されているエディ・マーサンという俳優さんですね。彼は、普段は刑事さんの役が多いように思うのですが、今回は誘拐犯を演じていました。台詞がないときでも、表情で演技ができる役者さんなんですよね。

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2012.01.06

ひらひらと目の前に広がる金属製の幾何学模様

映画『127時間』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 予め喪中ハガキを送っておいた友人から、年賀状が届きました。彼女にとって、私の存在はそれだけのものだったのだなあと、ひどくがっかりしました。何でも機械的に処理してしまってはいけませんね。どんなに忙しくても、一つ一つの出来事に感情を落として行かなければ、何も残らない人生になってしまいます。

 二年ほど前からだろうか。ときどき何の前触れもなく、目の前に金属製の幾何学模様が見えるようになった。小学生の頃に全校朝礼が長引くと、ふらふらっと倒れることがあったが、気分はまるでそのときの前兆のような感じで、決していいものではない。金属製の幾何学模様は、陽炎(かげろう)のようにゆらゆらと揺れていて、次第に揺れが大きくなって来る。そして、ひとしきり揺れると、数分程度で収まるのだ。

 ガンモと一緒にいるときにその現象が起こったので、ガンモにそのことを告白したところ、
「目を閉じてみて」
と言われた。目を閉じてみると、やはり金属製の幾何学模様は、瞳の奥でひらひらと風に舞っていた。続いてガンモは、
「じゃあ、片方ずつ目を閉じてみて」
と私に言った。言われた通りにしたところ、左目だけを開けたときと、右目だけを開けたときと、どちらの目を開けたときも、金属製の幾何学模様は相変わらずひらひらと風に舞っていた。

 「目を片方ずつ閉じても変わらないよ」
と私が言うと、ガンモは、
「じゃあ、脳から来てるんでしょ」
と言ったので、私は青くなった。
「何でそんなこと言うの?」
とガンモに反論すると、ガンモは、
「だって、片方ずつの目でも同じように見えるのなら、目が原因じゃないでしょ? 脳でしょ?」
などと言うのだ。

 ガンモは、インターネットの検索エンジンに検索キーワードを入力し、この現象について検索してくれたようだ。すると、私と同じような症状の人たちの記事がたくさんヒットしたらしい。ガンモがそれらの内容を真剣に読んでいるので、私はいよいよ怖くなり、
「何の病気だった? やっぱり脳なの?」
と恐る恐る尋ねた。すると、ガンモは、
「いや、脳じゃないみたい。疲れたときなんかに、誰でも出るみたい」
と言った。

参考URL:目の中の幾何学模様

 ああ、良かった。確かに、朝、起きるのが早く、夜、寝るのも遅くなりがちな私は、普段から睡眠不足に陥りがちである。考えてみれば、そういうときに発症し易いようにも思う。とは言え、現象についてインターネットで検索しようにも、なかなかキーワードを入力し辛い。ひらひらと目の前に広がる金属製の幾何学模様・・・・・・。私がこのような記事を書いておけば、同じような症状を抱えていらっしゃる方が何とかこの記事に辿り着いて、安心できるのではないか。そんな想いから、この記事を書いてみたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 同じような症状を抱えていらっしゃる皆さん、どうか安心してください。これまで、どのような病気なのだろうと思っていたのですが、意外とたくさんの方たちが体験されているようで、安心しました。抽象的で、なかなか調べる手立てがないので、周りに同じような方がいらっしゃいましたら教えてあげてくださいね。それにしても、幾何学模様が見えるというのが何とも不思議です。自分で創り出しているのでしょうか。アーチストですね。(苦笑)

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2012.01.05

映画『127時間』

ホットヨガ(二七五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今日の通勤電車はいつもの活気を取り戻していました。一月四日からではなく、一月五日から仕事始めだった方が多かったのですね。また週末は三連休ですね。お正月の余韻を引きずりながら、有意義に過ごしましょう。

 本作を鑑賞したのは、七月九日のことである。公開前から、自宅近くの大きな映画館でも、良く足を運んでいるミニシアター系映画館でも、劇場内に設置されたテレビから、比較的長い予告編の映像が流れていた。私が本作を鑑賞したのはミニシアター系映画館だったが、本作を鑑賞するために、いつもは静かなミニシアター系映画館にたくさんの人たちが詰め掛けていた。

 本作は、アーロン・ラルストンという登山家のノンフィクションを映画『スラムドッグ$ミリオネア』のダニー・ボイル監督が映画化した作品なのだそうだ。主演は、映画『スパイダーマン』シリーズのジェームズ・フランコである。彼は、映画『トリスタンとイゾルデ』ではトリスタン役、映画『ミルク』では主人公ミルクの恋人スコット役、映画『食べて、祈って、恋をして』では主人公の元恋人役を演じていた。最近では、映画『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』で主役を演じていることからすると、以前よりもブレイクしつつあるといったところだろうか。

 そんなジェームズ・フランコ演じるアーロン・ラルストンは、金曜日の夜になると都会を離れ、独りでロッククライミングを楽しむために、誰にも行き先を告げずにユタ州にあるブルージョン・キャニオンまで自家用車で出掛けている。目的の場所付近まで来ると、自家用車に積み込んだマウンテンバイクに乗り換え、軽快に走り回る。やがてはマウンテンバイクも放り出して、リュックを背負ったままブルージョン・キャニオンの大地をぴょんぴょん飛び回る。

 女性二人の旅行者の案内役を買って出ていることからも、彼がこのあたりに精通していることがうかがえる。おそらく彼は、ガイドブックにも載っていないとっておきのブルージョン・キャニオンを知り尽くしているのだろう。更に、水や食料、ビデオカメラなどの用意はあるものの、ひどく軽装だったことからすると、このような週末を過ごすのが彼にとっての日常だったと推測できる。しかし彼は、女性二人の旅行者を見送ったあと、ロッククライミングの最中に山中で落石事故に遭い、大きな岩に片手を挟まれ、身動きが取れなくなってしまうのだ。タイトルの『127時間』とは、まさしく大きな岩に腕を挟まれてから彼が山中で過ごした時間と言える。

 身動きが取れなくなり、持参した水がとうとう底をつきかけたとき、彼は意を決してある行動に出る。その行動には、何としてでも生きてここを出たいとう彼の切実な想いが込められている。繰り返される妄想や回想シーンが何とも切ない。果たして彼は、生きてここを出られるのだろうか。

 最も印象に残っているのは、途方もなく水に飢えた彼が泥水をがぶ飲みするシーンである。そのシーンを見たとき、私は、人間も植物であると書かれた『あるヨギの自叙伝』という書物のことを思い出した。私のホームページでも、その一節をご紹介しているのだが、「ガンまる日記」を読んでくださっている皆さんにもご紹介させていただきたい。

『あるヨギの自叙伝』より

 「創世記の物語はきわめて象徴的に書かれている。だから文字上の解釈をしただけでは、その意味をつかむことはできない。あそこに出て来る"生命の樹"とは人間のからだのことだ。つまり、脊髄は木を逆さにしたようなもので、頭髪が根にあたり、知覚、運動両神経が枝にあたる。この神経系統の木には、視聴嗅味触の五感というおいしい実が成っている。人間はこれらの果実を自由に楽しむ権利をもっているが、ただ性の体験--すなわち肉体の園の中央にあるりんごの実を食べること--だけは禁じられていた。

 これを読んだとき、人間の頭髪が根に当たるという記述がものすごく新鮮だったのだが、本作の主人公がこれほど切実に水を求めているシーンを見て、やはり人間は植物だったと確信したのだった。ただ、根が水を吸い上げるように、髪の毛を泥水に浸したわけではなく、口からごくごくと飲んだわけだが・・・・・・。ひょっとすると、口は髪の毛という根に繋がっているのかもしれない。

 狭い場所で繰り広げられるドラマとしては、棺桶の中に埋められた男のことを描いた作品も鑑賞したが、ノンフィクションであるだけに、本作のほうが身に迫って来るものがある。独りで行動するのが好きな人にとって、周りとどのように繋がって行けばいいのかについても、考えさせられる作品である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m たくさんの人たちに鑑賞されているだけあって、見応えのある作品でした。大きな岩に手を挟まれて身動きできなくなった彼が頭の中で思い巡らせていることがそのまま映像で再現されていて、人は究極的な状況に陥ると、このようなことを考えるのかと思いました。

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2012.01.04

ホットヨガ(二七五回目)

ガンまる、新年の髪のお手入れの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 仕事始めだというのに、いつも利用している通勤電車のドアが目の前でパタリと閉まってしまいました。「新年早々遅刻だ!」とがっくりうなだれていたところ、憐れに思ったのか、車掌さんがドアを開けてくださいました。今年は人に助けられる年になるのかもしれません。有り難く電車に飛び乗ってみると、驚いたことにガラガラでした。世間では一月四日が仕事始めだと思い込んでいたのですが、そうではない会社も多いのですね。

 十二月三十日金曜日は、ガンモの仕事が入っていたので、その前日に引き続き、三宮店のスタジオで六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。もともと、翌日の十二月三十一日に梅田店のスタジオで行われる骨盤コースのレッスンを予約していたのだが、十二月三十一日はガンモの仕事が休みであることがわかったことと、その前日に三宮店でレッスンを受けたときに、年末年始の三宮店でのレッスンにお誘いいただいたため、三宮店でレッスンを受けてみようと思ったのである。

 レッスンに通いながら、一つ気付いたことがあった。私は、梅田店でレッスンを受けるときは、毎回と言っていいほど遅刻しているというのに、三宮店でレッスンを受けるときはほとんど遅刻したことがないということだった。それは、やはり三宮店のスタジオがJR三ノ宮駅から近いところにあるというのが大きい。私のひどく遅い足でも、JR三ノ宮駅の改札を出てから五分もあれば、ビルのエレベータに乗って三宮店のスタジオに着いてしまうのだ。しかし、梅田店のスタジオはそうは行かない。JR大阪駅の改札を出てから梅田店のスタジオの入口までは、私の足で少なくとも二十分は掛かってしまうのだ。そのため、レッスン開始の一時間前に家を出ているのだが、それではいつまで経ってもレッスンに間に合わないことをそろそろ認めなければならないようである。

 さて、三宮店のスタジオのあるビルのエレベータに乗り込むと、同じビル内にある店舗の買い物客ではなさそうな方が一緒にエレベータに乗っていた。エレベータを降りてからようやく気付いたのだが、その方は、これまでに何度も一緒にレッスンを受けている元神戸店のフリーパス会員さんだった。彼女もずいぶん長くホットヨガのレッスンを受けている会員さんの一人だろう。

 レッスンの参加者は十六名で、レッスンを担当してくださったのは、ときどきお話しをさせていただくインストラクターだった。

 骨盤コースのレッスンでは、いつもポーズが浅くなりがちであることを反省していたので、私は、今回のレッスンではポーズが深くなることを意識しながらレッスンを受けていた。しかし、スタジオ内が暑く感じられ、途中でスタジオの外で休む羽目になってしまった。

 スタジオの外で休んでいると、インストラクターが、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けてくださった。私は、
「大丈夫です。ちょっとさぼってるだけです」
と苦笑いした。昨日は、三宮店でバレエストレッチのレッスンを受けたことをインストラクターに報告し、
「インストラクターの皆さんは、バレエ経験のある方たちばかりなんですか?」
と尋ねてみた。するとインストラクターは、昨日のレッスンを担当してくださったインストラクター以外には、バレエ経験者がもう一人いるが、ホットバレエストレッチのレッスンは昨日のインストラクターがほとんど担当されているとおっしゃった。

 さて、レッスンを終えて着替えをするときに、着替えのブラジャーを忘れてしまったことに気が付いた。最近、忘れ物をすることなく来ていたというのに、久し振りに大切なものを忘れて来てしまった。しかし、これまでどんなピンチも乗り越えて来た私である。私は、腹巻きをずずずと胸の辺りまで引き上げると、何食わぬ顔をして、その上からTシャツを着た。

 ところで、年末も押し迫っていたというのに、ロッカールームにはトライアルレッスンを受ける方がスタッフに案内されて入って来られた。私のように、ホットヨガのレッスンが既に日常的であるならばまだしも、こんな年末に、新たにホットヨガのレッスンを受けてみようと思い立つ方も珍しいと思った。

 着替えを済ませてロッカーの鍵を受付に返しに行くと、やはり宝くじはもらえなかった。その前日に、三宮店でのレッスンに誘ってくださったスタッフが、
「来てくださったんですね」
と喜んでくださった。私は、翌日の大晦日に梅田店でのレッスンを予約していたが、この日を二〇一一年のホットヨガ納めにして、翌日の梅田店でのレッスンはキャンセルしようと心に決めた。

 携帯電話の着信履歴を見ると、ガンモからの着信が入っていたので、ガンモに電話を掛けてみると、仕事を終えて自宅の最寄駅に向かっているところだという。ガンモの仕事が長引くようなら、レッスンのあと、映画を鑑賞しようと思っていたのだが、それもやめにして、私も自宅の最寄駅へと向かい、最寄駅で待っていてくれたガンモと落ち合った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の二〇一一年のホットヨガ納めは、このような形で迎えました。やはり、三宮店のスタジオは、アットホームな感じがしていいですね。でも、梅田店の会員の方たちにとっては、梅田店のスタジオがアットホームなスタジオなのだと思います。私のようにあちらこちらのスタジオに顔を出していると、特に「ホーム」を意識するようになりますね。

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2012.01.03

ガンまる、新年の髪のお手入れ

映画『蜂蜜』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m とうとう年末年始の休暇も終わり、明日から仕事であります。普段、土日が休みの人たちにとっては、最大で八連休まで可能なはずなのに、今回の年末年始の休暇は、土日がお正月の三が日に含まれていたため、年末年始の休暇がわずか六日間と短かったですね。皆さんは有意義なお正月を過ごされたでしょうか。私たちにとっては、とても地味なお正月ではありましたしたが、おかげで日頃の寝不足を存分に解消することができました。(苦笑)

 年末あたりから、ガンモが「髪を切ってくれ!」と懇願するようになっていた。そこで、年末年始の休暇の最終日である今日、私は久し振りにお風呂場でガンモの専属床屋になった。以前は、私の手さばきが不安だったのか、私がガンモの髪の毛を切っている間中、ガンモは鏡を手に持ち、自分の髪がどのように切られているかをずっと観察していたのだが、実績を積んで信頼してもらえたのか、最近では鏡も持たずにゆったりと構えてくれるようになった。ただ、お風呂場の予備暖房を使ったとしても、冬の風呂場は寒いので、スピード処理が求められる。それでも、私は慣れた手つきでジョキジョキとガンモの髪の毛を切り、子供用バリカンで仕上げをした。

 お風呂から上がったガンモは若返り、とてもすっきりしていた。
「うん、すごく若返って、いいよ」
と私が言うと、
「ありがとう。でも、もっと早く切って欲しかったのに」
とガンモに言われた。年末年始の休暇があると思うと、ついつい予定を先延ばしにしてしまっていたのである。

 さて、髪の毛を手入れしたのはガンモだけではない。私自身も何ヶ月か振りに天然ヘナで白髪染めをした。今回、白髪染めに使用したのは、ダ○ソーのナチュラルオレンジである。化学物質を含むものがとことん嫌いなので、白髪染めもできるだけ化学物質を含まないものを使用しているのだ。

 いつもは紅茶で天然ヘナを溶くのだが、紅茶のティーバッグが見当たらなかったので、今回はインスタントコーヒーで溶いてみた。オレンジヘナをインスタントコーヒーで溶けば、ブラウン系が少し混ざって、色も落ち着いて来るかと思ったからだ。ちなみに今回は、卵やレモンは使用しなかった。

 何ヶ月か前に開封して、大事に残りを取っておいたナチュラルオレンジをすべて容器に移し、溶かしたインスタントコーヒーを混ぜてマヨネーズくらいの固さになったのを確認すると、そのまま一時間ほど放置した。一時間経つと、髪の毛をシャンプーし、タオルで軽くふき取ったあと、薄手のビニール手袋をはめて、一時間ほど寝かせておいた天然ヘナをビニール手袋で直接すくい上げ、ペタペタと頭のてっぺんの白いところを中心に塗り込んで行った。そして、すべての天然ヘナを塗り込んでしまうと、日本てぬぐいを頭に巻き、その上にタオル地のターバンを着けて固定させ、更にどこかのホテルから持ち帰ったビニールキャップをすっぽりとかぶせ、その上から日本てぬぐいをもう一枚巻きつけて寝室に戻った。

 このとき、ガンモはまだ眠っていたので、私は何食わぬ顔をして「ガンまる日記」を書いたりして数時間を過ごした。お昼過ぎまで寝ていたガンモは、私の頭に何やら見慣れないものが巻かれているので、ようやく私が天然ヘナで白髪染めをしたことに気付いたようだ。

 そのまま夕方までゆったりと過ごすと、私は天然ヘナを洗い流した。鏡を見てみると、コーヒーで溶いたにもかかわらず、きれいなオレンジ色のままに染まっていた。ただ、天然ヘナ特有の牧草の匂いがそこかしこに漂っていた。ガンモも私の頭の匂いを嗅ぐ度に、
「ヘナくちゃい(臭い)」
と言う。年末年始の休暇は今日だけではなかったはずなのに、もう少し早めに染めておけば、仕事始めの頃には、この牧草の匂いもすっかり取れていたというのに、ギリギリまで重い腰がなかなか上がらなかったのだから、仕方がない。とは言え、天然ヘナ特有の牧草の匂いは、気になる人も多いというのに、ガンモはいつもその匂いに対して寛大だと思う。私は仕事始めからしばらくの間、天然ヘナ特有の牧草の匂いをあちらこちらにばら撒きながら、仕事をすることになりそうである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 年末年始の休暇の最終日は、重い腰を上げて、お互いに頭の手入れをしました。(苦笑)もっと早めに行動しておけば、ガンモの頭もすっきりしたし、私も頭に牧草の匂いを漂わせたまま出勤することもないとは思うのですが、やはり、重い腰はなかなか上がらないものですね。(苦笑)私の近くで仕事をする皆さん、ごめんなさい。

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2012.01.02

映画『蜂蜜』

二〇一一年ライブ納めの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m オウム真理教の平田信容疑者が警視庁本部に出頭しようとしたものの、正面玄関に立っていた機動隊員にいたずらだと思われ、丸の内署に行くように指示されたそうですね。確かに、まさか本人が出頭して来るとは思ってもみなかったという動隊員の主張も良くわかります。同様のことが起こったとして、実際のところ、冷静に対処できる人が、果たしてどれくらいいるでしょうか。平田信容疑者がそのまま素直に丸の内署に向かったから良かったものの、何らかの形で彼が本人であることが確認された上で、気が変わって丸の内署に出頭しなかったとしたら、ちょっとした騒ぎに発展していたでしょうね。

 本作を鑑賞したのは、映画『あぜ道のダンディ』を鑑賞したのと同じ七月二日のことである。この日は本作の公開日だった。公開前から本作の予告編は劇場で何度も観ていて、その静かで美しい映像に大きな魅力を感じていたので、公開されるのを心待ちにしていたのだ。

 ただ、予告編を観て、何らかの期待を抱いてしまった人たちにとっては、本作は予想外の作品だったかもしれない。本作は、心のどこかで、もっと特別な何かが起こってもおかしくはないはずだと、勝手に想像を膨らませてしまいがちな作品である。しかし、実際はそのような作品ではない。決してドラマティックというわけでもなく、ただ静かに、登場人物たちの日常の中に、蜂蜜を取りに出掛けた男が戻って来ないという非日常が盛り込まれているだけなのである。そこには、実際に登場人物たちが、舞台となっている森の周辺で生活しているのではないかと錯覚してしまうほどリアルな生活感が漂っている。そして何と言っても、吸い込まれるような深い森の美しさには叶わない。登場人物たちは、その美しい森にものの見事に溶け込んでしまっている。

 蜂蜜を取りに行って帰って来なくなったのは、少年ユスフの父ヤクプである。ヤクプは、高い木の上に巣箱を仕掛けて蜂蜜を取る仕事をしていたが、もはや近場ではあまり蜂蜜が取れなくなってしまったために、自宅から更に遠い森に巣箱を仕掛けるために出掛けて行ったのだ。そして、とうとう帰って来なくなった。自宅には、ユスフと同様、夫の帰りを待つ妻のゼーラがいる。しかし、国民性なのだろうか。日本人女性ならば、夫の不在で泣き崩れるような場面でも、トルコ人女性のゼーラは気丈に息子のユスフと接している。一方、ユスフはと言えば、予告編では当たり前のようにミルクを飲んでいるものの、実のところ、ミルクはユスフにとって、苦手な飲み物だった。それでもユスフがミルクを飲んでいるのは、父の不在を心配する母を慰めるためらしい。とは言え、ユスフは、父ヤクプの失踪と同期して、声を失ってしまう。

 鑑賞された方たちのレビューを拝見すると、良かったと絶賛されている方と、眠くなるほど退屈だったと批判されている方で、意見が真っ二つに分かれてしまっている。言うまでもなく、私は「良かった」と絶賛する派である。むしろ、私はこういう静かな映画が好みなのだ。眠くなるほど退屈だったと批判されている方たちは、映画に対して常に能動的でいたい人たちなのではないかと思う。反対に、本作を高く評価している人たちは、監督の描き出す映画の世界をただ受け入れることに徹することで、ご褒美を受け取ったのだと思う。

 ちなみに本作は、ユスフ三部作と呼ばれる作品群の完結編で、第六十回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した作品なのだそうだ。ユスフ三部作というのは、文字通りユスフを主人公とした作品群で、本作のユスフはわずか六歳の少年だが、他の二作はそれぞれ青年、大人の時期が描かれているのだそうだ。私は、三部作と呼ばれている他の二作品は鑑賞していないのだが、これほど心地良い作品を生み出した監督の作品ならば、いつかDVDででも鑑賞してみたいものである。ただ、それは今よりもずっと先のことになるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 主人公のユスフを演じている少年がかわいらしいですね。声を失ってしまった彼は、父の帰りを本当に楽しみに待っていたのだと思います。彼が言葉を失ってしまったように、森は何も語りませんが、それだけに、何もかも包み込むような説得力があります。とても情緒的な作品だと思います。

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2012.01.01

二〇一一年ライブ納め

ホットヨガ(二七四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。発言小町大賞2011 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)が決まったそうで、じっくりと目を通してみたのですが、さすがに賞をもらっているだけに、心が揺れ動くようなトピックがたくさんありますね。私は、孫と二人地味な私が声を掛けられました。という二つのトピックに特に心を動かされました。書き込みの数が多いので、それぞれのトピックの(トピ主のみ)というリンクをクリックすると、トピックを作成した人の発言のみの表示になり、トピックの大まかな流れを掴むことができます。こうしたトピックを読むと、文章というものは、やはりその人の魂の一部を映し出しているものだと感じます。私自身も、魂の一部を感じ取ってもらえるような文章を書いて行きたいですね。

 I医師の診察のあと、ホットヨガのレッスンを受けた私は、某コーヒーショップで「ガンまる日記」を書き上げ、とあるコンサート会場へと向かった。いやはや、予定のたくさん詰まった忙しい一日である。そのコンサート会場では、私の好きなアーチストが毎年恒例の年末ライブを行っているのだ。

 いつもは乗り換えが楽なように、コンサート会場からは少し離れた駅で降りて歩いて行くのだが、今回はコンサート会場に最も近い駅で降りて、開演ギリギリの時間まで、毎日の日課である電話を掛けていた。するとそこへ、いつも関西地方のコンサートを一緒に鑑賞しているライブ仲間のお友達がお子様を連れて現れ、声を掛けてくださったのである。私は、携帯電話には到底見えない小さなノートパソコンのような端末に耳掛けマイクを接続して話をしていたため、携帯電話で通話しているようには見えなかったようだ。私は、
「じゃあ、またあとで」
という素振りでライブ仲間のお友達をお見送りして、電話を続けた。

 電話を終えて会場入りしてみると、さきほどのライブ仲間のお友達がお子様連れでそのままライブに参加されていた。そして、いつもコンサートのチケットを手配してくださっているライブ仲間のお友達とも再会することができた。コンサート中、お子様も一緒に立って手拍子をされているお姿を拝見していると、とても微笑ましかった。何というのだろう。存在自体は小さくても確かなものがあり、ライブ仲間のお友達は、明らかにお子様からポジティブなエネルギーを受け取っていると実感することができた。母と子の間に流れるエネルギーは確かに存在すると感じたのだ。

 ライブの間中、私にはとても気掛かりなことがあり、ステージの上で繰り広げられている演奏と自分の感情をリンクさせながら、深い感慨に耽っていた。それは、言葉では到底言い表すことのできない感覚だけの世界だった。そういう意味では、彼らの音楽を本能的に耳で聴いていたようにも思う。ライブのあと、ライブ仲間のお友達と、少ししんみりしたお話をした。短い時間ではあったものの、とても有意義な時間を過ごすことができたと思っている。

 ライブを終えて、ガンモに電話を掛けてみると、まさしく納会の真っ只中だった。その後、会場の最寄駅から電車に乗ったとき、「しまった!」と思った。ぼんやりしていて、来たときと同じ方向の電車に乗り込んでしまったのだ。私は慌てて次の駅で降りて、反対方向の電車に乗り換えて帰宅した。ドジな私も、こうしてライブ納めを果たしたわけである。

 その翌日、前日の夜のライブに泊まりで来ていたという古い友人から、私の携帯電話のアドレスにメールが届いた。いつも彼女の存在は気になってはいるものの、最近の私は人との交流に関してひどく消極的で、自分から働き掛けることがない。それでも、何人かの友人が、私の送付した喪中ハガキに反応して暖かいメッセージを届けてくれた。彼女もその一人である。そんな彼女もまた、私と同じように、もう三十年ほど好きなアーチストのライブに通い続けている。私の周りには、そういう友人たちが多い。好きなアーチストを通して、学校だけの繋がりでは決して出会うことのできなかった、心に同じ熱い想いを抱えた友人たちと出会えたことが、いつまでも私の宝でもある。そんな同じ熱い想いを抱えた仲間なのに、消極的になってしまってはいけない。何故なら、彼女たちとは、いつも本気の感情を交わすことができるのだから。これからはもっと積極的に働き掛けよう。そんなことを決意したライブ納めだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ライブは、いつものように音が素晴らしい上に、平面の会場ではありましたが、とても良く見えました。私たちの席のすぐ後ろでは、スタッフの方たちが待機されていて、ライブの様子をじっと見守っていました。スタッフの中には、やはり三十年以上も彼らを支え続けている人たちがいます。三十年以上も経てば、確かに肉体的な衰えは感じるのですが、そんな中にも変わらないものを見出すと、何だか安心できますね。

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