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2011.10.17

映画『はやぶさ/HAYABUSA』

さらばブルー・マウンテンズの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 朝晩、窓を開けると、さすがの私も寒いと感じるようになって来ました。おかげで、もう扇風機は使わなくて良さそうです。(苦笑)冷え込みが厳しくなって来たせいか、体調を崩される方が多いように見受けられます。皆さんも、窓を開けるときは、くれぐれもお気を付けくださいね。

 今回は、十月七日に鑑賞したばかりの作品のレビューを書かせていただくことにする。

 実は、はやぶさが感動的な帰還を果たした頃、ずいぶん話題にはなっていたものの、テレビを見る習慣のない私にはあまり実感が沸かなかった。何しろ、はやぶさ帰還の話題を職場の朝礼で聞いたとき、「七年間も宇宙を彷徨っていた小学生が帰って来たのか。それはずいぶん大掛かりな話だな」と思ったくらいなのだ。そう、小惑星と小学生を聞き前違えてしまっただけでなく、小惑星からサンプルを持ち帰ったというのを小学生が帰って来たと聞き間違えたわけである。

 そんな私が本作を鑑賞しようと思い立ったのは、やはり本作が公開された直後に鑑賞された方が、職場の朝礼で本作を取り上げたことがきっかけだった。実のところ、私が働いている職場は、はやぶさの打ち上げとまったく関係がないわけではない。そのため、職場の売店では、はやぶさグッズが売られていたりもする。そんなわけで、いくら世間のニュースに疎い私でも、はやぶさに触れる機会はそれなりにあったと言える。

 はやぶさが打ち上げられてから帰還するまでの実際の物語については、私よりもむしろ皆さんのほうがずっとお詳しいだろうと思う。だから、本作のストーリーについては触れないでおく。ただ、私自身がソフトウェア開発の技術者であるという立場から、複数の会社から集まって来た人たちが、それぞれの得意分野を活かしながら、会社や立場を超えて、はやぶさのプロジェクトに関わっていることに感動した。私自身、派遣社員という立場で企業の中に入り込んで仕事をさせていただいているわけだが、実際に企業で働いていると、やはり社員と派遣社員との間にある壁は感じてしまう。しかし、はやぶさという大きなプロジェクトに関わっている人たちの間には、それを感じなかった。会社や立場が違っていても、壁を感じることなく、一人一人が大きな歯車の中にしっかりと組み込まれていたのだ。ひょっとすると、実際のはやぶさプロジェクトには会社や立場の壁は存在していたのに、映画として描写される際に削り落とされてしまったのかもしれないが、仮にそうだとしても、会社や立場を超えてみんなの心が一つになっている姿は美しかったと思う。

 その一方で、はやぶさに送るコマンドがわずか一バイト程度のデータであったことには驚いた。使われているコンピュータも、ひと昔もふた昔も前のものであったように思う。いまどき、キャラクター端末なんてあまりにも古過ぎる。現代は、GUI端末が主流なので、通信の状況やはやぶさの状況についても、グラフィカルに映し出せる技術があっていいはずなのだ。それだけに、技術者たちがキャラクター端末に向かって必死にキーボードを叩く姿にちょっぴり違和感を感じた。

 何故、小惑星探査機と言われるほどの高度な技術を持った機器を制御するのに、あのような古めかしいコンピュータを使っていたのか考えてみたのだが、通信を行う距離があまりにも長いために、たくさんのデータを送受信することを避けたかったのではないかという私なりの結論に達した。例えば、糸電話を使って、人と人が会話することを想像してみよう。糸電話の糸が短ければ、相手の言っていることを鮮明に聞き取ることができて、ある程度の長話も可能かもしれない。しかし、糸電話の糸が長ければ、できるだけ話を手短にしなければ、話が良く聞き取れない可能性がある。すなわち、送信した情報が途中で欠落してしまう可能性が高くなるということだ。地球のはるか外にいるはやぶさと交信するのに、長いデータでやりとりするよりも、できるだけ簡潔な方法でやりとりをしたかったのかもしれない。そのために、何もあれほど古めかしい端末である必要はなかったとは思うのだが・・・・・・。はやぶさが映し出す映像のモニタがなかったことを考えると、やはり通信データをかなり絞っていたと想像することができる。

 本作は、宇宙科学研究所(JAXA)のある女性スタッフの視点で描かれている。最初はちょっぴりオタクっぽい存在の彼女だが、自分の中にある知識を次第に外に出そうとするプロセスをじっくりと見守ることができる。彼女が根っからの宇宙オタクならば、子供たちに向けてはやぶさの仕組みを図解しようとは思わないだろう。私自身もオタクの傾向が多々あるが、オタクというものは、あくまで自分自身の世界の中で自己完結してしまいがちだと思うからだ。

 もう一つ、本作の中で描かれているのは、いくらその仕事に情熱を傾けていたとしても、仕事はあくまでビジネスであり、ビジネスから外れたところでは関われないという無常さである。例えば、私が派遣社員という形のままで、はやぶさプロジェクトに関わっていたとしよう。しかし、派遣契約が切れてしまえば、いくら私がはやぶさプロジェクトに残りたくても、泣く泣くはやぶさプロジェクトから去らなければならない。それなのに本作の中で、はやぶさプロジェクトから去って行った人がプライベートな部分ではやぶさプロジェクトに関わることができるというのは、現代の時代の流れからは到底考えにくい。現代は、プロジェクトの秘密事項が厳守され、例え過去に一緒に仕事をした仲間であったとしても、内部の事情は漏らさないように働いているのではないかと思うからだ。また、はやぶさが小惑星から持ち帰ったサンプルを回収する場所がオーストラリアだとわかったとき、いったんプロジェクトを離れた人が自腹でオーストラリアに出向くというのも考えにくいと思うのだ。実際にそのような人がいたとすれば、かつての同僚たちは、一歩引いたところでその人を迎えようとするのではないだろうか。

 はやぶさを制御するのに使われているコンピュータと言い、職場における人間関係といい、どことなくひと昔もふた昔も前の状況を想像させてくれる作品ではあるものの、逆にそれらの状況を現代において目の当たりにすることで、今の時代に足りていないものを感じさせてくれるのではないかと思う。

 はやぶさに関する映画は、これからも続々と公開されるようである。それらの作品の描写を比較してみるのも面白いのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m トラブルに見舞われても、決して諦めなかったことで、何とか帰還するという感動をもたらしてくれたはやぶさですが、技術者としてはそのプロジェクトを諦めたくなくても、その裏には予算や人員の都合など、いろいろな事情があったことがうかがえます。大きな感動には、表面には現れて来ない、いろいろな要因が関わっているということを教えてくれる作品でもあったと思います。

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