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2011年9月

2011.09.30

経鼻内視鏡初体験(3)

映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。外はずいぶん涼しくなりましたね。おかげで過ごしやすくなったのですが、電車や室内などの冷房が緩くなったため、ほてりのある私には、電車や室内にいるのが暑いと感じるようになってしまいました。それでは、経鼻内視鏡初体験(2)の続きを書かせていただきます。

 経鼻(けいび)内視鏡検査を受けることが決まると、医師は机に向かって何かを書き始めた。どうやら、経鼻内視鏡の検査を担当してくださる検査技師の方への指示書と検査の同意書への署名のようだった。同意書については、のちに私も署名することになった。そこには、私の氏名と住所のほか、家族の氏名と住所、それから続柄を記入する欄があったので、私は自分の名前と住所を記入したあと、ガンモの名前とともに住所欄には「同上」、続柄には「夫」と記入した。

 その過程において、医師は私に、現在、服用している薬について確認してくださった。私は、問診票に記入した通り、I医師に処方していただいている桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)とリュープリンの注射について触れた。しかし医師は、桂枝茯苓丸のことは良くご存じないようで、
「けい、けい・・・・・・? 何? 知らん」
とおっしゃった。医師といえども専門外の分野で処方されている漢方薬なので、無理もないだろう。それにしても、さきほどの内線電話で相手もわからぬまま会話を続けていたことと言い、こうして知らない薬が出て来たときの態度と言い、私を担当してくださる医師は、何ともお茶目な医師である。私は、
「桂枝茯苓丸は、血流を良くするためと、ほてりを抑えるために飲んでいます」
と医師に説明した。それでも医師は、専門分野でないことには、あまり首を突っ込みたくない様子だった。

 ところで、経鼻内視鏡の検査は、局所麻酔を施してから行うらしい。私は麻酔が苦手だが、局所麻酔ならば全身麻酔よりもまだマシだと思った。私は医師に、
「麻酔をするとき、どこに注射をするのですか?」
と尋ねてみた。すると医師は、
「注射はしませんよ」
とおっしゃった。その回答では、一体どのように局所麻酔を施されるのか良くわからなかったのだが、のちにその意味を理解することになった。

 「それでは、経鼻内視鏡の検査を受けたあと、またこちらで診察しますので、係の者について行ってください」
と看護師さんに言われたので、私は医師にひとまずお礼を言って、診察室を出た。そして、看護師さんに案内されるがままに検査室の前のソファに腰かけて待っていると、誰かに声を掛けられた。誰だろと思いながら顔を上げてみると、同じマンションの同じ階に住む看護師のHさんだった。

 私はHさんに、
「ああ、見付かっちゃいましたか」
と言って、今回、この病院でお世話になることになったいきさつを簡単に話したあと、
「そう言えば、さきほど急患に対応されていましたよね」
と言った。急患の女性が救急車で運び込まれて来たとき、私は落ち着いて対応されているHさんの姿をこっそり拝見していたのだ。急患の対応など、私にとっては非日常の特別な出来事であったとしても、きっとHさんにしてみれば、毎日当たり前のように経験されていることなのだろう。

 それにしても、Hさんは、私がその病院を利用する度に、目ざとく私のことを見付けてくださる。以前、ガンモがお世話になったときも、声を掛けてくださったそうだ。きっとHさんは、通常の勤務をこなしながらも、待合室にいる患者さんたちに常に注意を払っていらっしゃるのだろう。Hさんは、私と少しだけ話をしたあと、間もなく医療の現場に戻られた。

 しばらくソファで待っていると、私の名前が呼ばれたので、私は再び荷物を抱えて、恐る恐る検査室の中へと入った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 看護師さん同士のコミュニケーションや医師と看護師さんとの会話の様子からも、この病院はとてもいい職場だと感じました。人間同士のコミュニケーションに緊迫した雰囲気が感じられないので、権力を持った先輩が幅をきかせているような職場ではないのだと思いました。

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2011.09.29

映画『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』

経鼻内視鏡初体験(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。尼崎市で猫の不審死が相次いでいるそうです。尼崎市というと、あのJR西日本の脱線事故を思い浮かべる方も多いかもしれませんね。我が家からはカングーで十数分のところにありますので、週末などは食事や買い物に出掛けている場所でもあります。そんな身近な場所で、一体何が起こっているのでしょうか。アライグマの目撃情報と何らかの関連性があるのか、それとも人間が介入しているのか、謎は深まるばかりですね。一日も早く原因が究明され、現在の状況に終止符が打たれますように。

 四月二十八日に鑑賞した本作は、かの有名な天才音楽家モーツァルトの姉ナンネルにスポットを当てた作品である。ナンネルもまた、音楽の才能に恵まれていたにもかかわらず、まだ女性が音楽を志すには早過ぎる時代だった。そんな時代背景からか、父は弟にばかり期待をかけているように見えた。

 モーツァルト一家は、ヨーロッパ各地の宮廷などで演奏をするため、馬車による演奏旅行を続けていた。演奏旅行に出てから既に三年が経過したあるとき、パリのヴェルサイユ宮殿に向かう途中で馬車の車輪が壊れ、修理のためにとある修道院に宿泊させてもらうことになる。ナンネルはそこで貴重な出会いを果たし、そのことがきっかけになり、フランス王太子と悲しい恋に落ちることになるのだった。

 何と、主役のナンネルを演じているマリー・フェレは、本作でメガホンを取っているルネ・フェレ監督の実の娘なのだそうだ。しかも、彼女と友好的な関係を結ぶことになるフランス国王の娘ルイーズの役を演じているリザ・フェレは、彼女の実の妹なのだそうだ。すなわち本作は、お父さんが映画監督で、お父さんの二人の娘が重要な役割を演じていたというわけである。確かに本作の中でも、ナンネルとルイーズの仲の良さは、特別感が漂うほどだった。それが、まさか実の姉妹だったとは驚きである。ナンネルたちを音楽一家と表現するならば、ナンネルを演じていたリザ・フェレらは、映画一家と表現できるのではないだろうか。

 ナンネル自身も音楽的な才能に恵まれていたというのに、時代が彼女に光を当てなかったのは、とても残念なことである。本作の中には、ある事情でナンネルが男装するシーンがあるのだが、彼女が女性であることで、音楽家としての芽が摘み取られてしまったことも、また、その一方で、ある事情で彼女が男装しなければならなかったことも、結果的に彼女自身が本来の彼女らしさから遠ざかる選択をしなければならなかったという意味においては、とても気の毒なことである。とは言え、彼女が女性であったからこそ、フランス王太子と心を通い合わせることができたわけだが、フランス王太子を取り巻く状況がそれを許さなかったのは、これまた皮肉としか言いようがない。かと言って、ナンネルの生きた時代が現代ならば、ナンネルは音楽家を志すことができたかもしれないが、フランス王太子との恋には相変わらず障害があったかもしれない。どんな時代においても、自分らしさをとことん貫き通すのは並大抵のことではない。それは、同時に、自分一人で生きているわけではないことの証でもあるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m あまりにもまばゆい光が身近にあると、その周辺にいる別の光は、輝きを失ってしまうものなのでしょうか。それはちょっと悲しいですね。自分自身を輝かせながらも、周りと調和して行くことは、意外と難しいのかもしれませんね。本作の中では、姉と弟の仲が良かったことがせめてもの救いでした。

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2011.09.28

経鼻内視鏡初体験(2)

経鼻内視鏡初体験(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。今月の六日に全日空機が約三十秒の間、急降下し、ほぼ背面飛行していたというニュースが流れていましたね。私も飛行機に乗る機会は多いほうだと思いますが、これは実に恐ろしい経験ですよね。何はともあれ、大事に至らなくて良かったと思います。それでは、経鼻内視鏡初体験(1)の続きを書かせていただきます。

 私の受付票には、今回、担当してくださる医師の名前とともに、呼び出し番号も書かれていた。私の番号は三番だったので、比較的早い番号だと言える。どんな医師が担当してくださるのだろうと思いながら、頭の中で勝手な想像を膨らませていると、たまたま診察室の前をその名札を付けた医師が通りかかった。五十代半ばくらいの男性医師だった。

 比較的早い順番で診ていただけることになっていたものの、既に診察が始まってもいいはずの時間だというのに、まだ誰も診察室に呼ばれてはいなかった。私は、自分の名前がまだ呼ばれないのをいいことに、待合室でこっそり朝食のバナナを食べた。朝食も食べずに病院に来てしまったため、お腹が空いていたのだ。いつもならば、二本以上は食べるところだが、病院の待合室なので、一本だけにしておいた。

 この病院は、初診の場合、医師の診察を受けるまでの間に看護師さんから問診を受けることになっている。看護師さんに名前を呼ばれた私は、さきほど記入した問診票を補うかのように看護師さんの質問に答え、血圧と体温を測ってもらい、再び待合室に戻った。

 他の診察室の様子をうかがってみると、どうやら既に診察が始まっているようである。何故、私を担当してくださる医師の診察室の呼び出し番号はまったく進まないのだろうと思いながら良く見てみると、今回、私を担当してくださる医師のいる診察室の呼び出し番号を示す案内板の下には「緊急中断」の赤いランプが点灯しているではないか。なるほど、私を担当してくださる医師は、さきほど運び込まれた急患の対応に当たっているらしかった。そのために、なかなか名前が呼ばれないのだ。

 ほどなくして、急患の女性は点滴を施され、いったん別の部屋に移されたあと、再び処置室に戻った。救急車で運び込まれて来た患者の中には、本当に素早い処置が必要な患者も多いことだろう。瞬時のうちに、その急患に対してどのような処置が適切であるのかを判断するのは至難の技である。急患の女性は、点滴を施されて落ち着いて来たのか、看護師のHさんが外で待っていた付き添いの男性に声を掛けて、処置室の中に案内していた。

 急患の対応を終えたからだろうか。今回、私を担当してくださる医師のいる診察室が活動を始めた。そして、ようやく私の名前が呼ばれたので、私は荷物を抱えて診察室に入った。診察室には、さきほど見掛けた男性医師が座っていた。医師は、私と看護師さんで完成させた問診票を見ながら、
「ゆうべの食事のときから、食べ物が詰まったような感じがあるんですね?」
と確認された。私は、
「そうなんです。このあたりに異物感があります」
と言って、喉の辺りを手で示した。

 医師は、
「唾を飲み込んだりすると、異物感を感じるということですね?」
と念を押されたあと、私の喉の辺りを軽く触診してくださり、聴診器で心臓の鼓動も確認してくださった。そして、少し考えると、
「内視鏡を使って中を診てみましょうか」
とおっしゃった。しかし、私が朝食にバナナを食べたことを告白すると、医師はとても残念そうに頭を抱え込んだ。私は、待合室でこっそり食べたバナナが、診察に影響するとは思っていなかったのだ。確かに、健康診断などで胃のバリウムの検査を受けたりするときは、朝食を抜いてから検査に臨んでいたものの、まさか内視鏡の検査を受けることになろうとは思ってもみなかったので、待合室でバナナを食べてしまったのである。

 医師は、私が食べ物を食べてしまっていることをとても残念そうにしながら、看護師さんに向かって、
「内視鏡やけど、経鼻(けいび)なら何とかなるやろか」
とおっしゃった。最初のうちは、「けいび」と言われても、何のことだかさっぱりわからなかったのだが、医師と看護師さんとのやりとりを聞きながら、そう言えば、「経口(けいこう)」という言葉があることを思い出し、やがて「けいび」とは「経鼻」であることがわかった。すなわち、鼻を経由して内視鏡の検査を行うということである。

 私は、内視鏡の検査はまだ経験がなかったので、急な展開に戸惑っていた。どうやら、医師と看護師さんの会話から想像するに、経鼻内視鏡は、撮影できる範囲が狭いので、朝食を食べていても何とか検査できるらしい。経口内視鏡のほうが経鼻内視鏡よりも広い範囲の検査ができるが、私の胃の中に食べ物が入ってしまっているため、難しいということのようだ。

 医師の指示で、看護師さんは、内視鏡の担当部門に内線電話を掛けてくださった。どうやら、まだ時間が早いので、内視鏡を担当してくださる検査技師がどこか別の場所にいらっしゃるらしい。看護師さんは、その検査技師と連絡を取りたいらしかったが、その検査技師が捕まらないのか、具体的なことは決めずに受話器を置いた。すると、ほどなくして、医師の机の上の内線電話が鳴った。そのとき、先ほどの看護師さんは、別の作業をされていたので、医師がその電話を受けた。医師は、電話の相手に私の状況を説明し、経鼻での内視鏡をお願いしますとおっしゃったあと、その電話の相手と話を取り付けて内線電話を切った。

 医師が、掛かって来た内線電話に対応していたことを知った先ほどの看護師さんは、医師に、
「Nさんからの電話でしたか?」
と確認された。すると医師は、
「誰かわからんけど、女性やった」
と答えられた。つまり、医師は、内線電話の相手が誰であるかもわからないまま、とにかく、これから内視鏡の検査を行う話だけを取り付けてくださったのである。電話の相手の名前がわからないまま会話を続けていたことを看護師さんから暗に指摘されると、医師は何となくバツが悪そうな表情を浮かべながら、あたかも救いを求めるかのように私と目を合わせた。私はその表情があまりにもお茶目だったので、くすっと笑った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m よもや内視鏡の検査を行う羽目になろうとは思いもよらなかったので、待合室で安易にバナナを食べてしまいました。(苦笑)医師にバナナを食べたことを告げたとき、とても残念がられてしまったので、自分の取った安易な選択が、のちの選択肢を狭めてしまうことになるということを再認識してしまいました。

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2011.09.27

経鼻内視鏡初体験(1)

映画『抱きたいカンケイ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。滝行で女子中学生が亡くなられたのは、大変痛ましい事件ですね。女子中学生には悪霊が取り憑いていたとかで、滝行をすれば除霊できるとして、嫌がる女子中学生を椅子に縛り付けて、無理矢理滝行を行わせていたそうです。仮に女子中学生に悪霊が取り憑いていたとしても、除霊をする人は愛をもって除霊を実践すべきではないでしょうか。報道内容からは、除霊を行っていた僧侶に女子中学生への愛は感じられませんよね。

 夕べ、夕食を食べている最中に、喉に何かが詰まってしまった。詰まったのは、野菜のてんぷらの中に入っていたごぼうかもしれないし、大きめにカットしたきゅうりかもしれない。夕食後も喉に何かが詰まったままの状態がずっと続き、飲み物や唾を飲み込む度に異物感を感じた。

 朝になっても、喉の異物感は取れてはいなかった。それどころか、夕べよりも異物感の度合いが強くなり、痛みさえ感じられるようになっていた。私は、夕方からホットヨガのレッスンを予約していたので、ホットヨガのレッスンと仕事に出掛けて行く準備を整えたあと、シャワーを浴びた。すると、シャワーを浴びている最中に、喉に詰まっている何かを吐き出したくなり、激しく咳き込んだ。驚いたことに、咳き込んで出て来たものの中には赤いものが混じっているではないか。要するに、血痰である。私は恐ろしくなり、シャンプーで頭を洗う手を止めた。このまま頭も身体も洗わずに、すぐに衣服を身に着たほうがいいような気もしたのだが、何とか気持ちを落ち着けて、頭も身体も洗ってバスルームを出た。

 私の勤務先が遠い上に、ガンモの職場よりも三十分早い八時半始まりのため、ガンモと私の生活時間には二時間の時差がある。私がシャワーを浴びて出掛けて行く頃、ガンモはようやく寝床から這い上がる。私は、そろそろ起きているであろうガンモに事情を話し、
「今日は仕事を休んで、病院に言って来るよ」
と宣言した。ガンモは、私の状況を冷静に受け止めていた。

 しかし、一体どこの病院に行けばいいのだろう。喉に何か詰まっているのなら、耳鼻咽喉科で診てもらうべきなのだろうか。考えた末に、ガンモの強い薦めもあり、私は自宅近くの総合病院に足を運ぶことにした。そこは、ガンモも私もしばしば利用している総合病院で、同じマンションの同じ階に住む奥さんが看護師さんとして働いている。

 病院の受付時間が八時半からだったので、私は八時十五分頃に家を出て、途中で職場に電話を掛けて、上司のまた上司に休暇願いを申し出た。上司のまた上司は快く承諾してくださったので、私はそのまま病院へと向かった。

 受付の開始時間にはまだ早かったからだろう。病院の受付には鉄格子が降りていて、本格的な受付はまだ始まっていなかったものの、担当者の方が来院した人たちに声を掛けてくださり、順番取りをしてくださった。そうこうしているうちに、鉄格子越しに、受付を担当している女性スタッフの顔が見えたとき、私は驚いた。何故ならその女性は、ほんの数日前に、自宅の最寄駅前にあるマクドナルドで見掛けた女性だったからだ。笑顔がとても素敵な女性だったので、私は釘付けになっていたのだ。間違いなく、そのときの女性だった。私は、
「いつだったか、駅前のマクドナルドにいらっしゃいましたよね?」
などと声を掛けるのはストーカーじみているのでやめておいた。

 八時半になり、受付の鉄格子が開くと、これまで待合室にいた人たちが次々に自動受付の機械に診察券を通し始めた。私は、その病院の診察券は持っていたものの、おそらく初診扱いになるのだろうと思い、初診受付に出向き、どのような症状で訪れたのかを説明した。すると、問診票を渡され、これに記入してくださいと言われたので、椅子に腰掛けて問診票に記入した。問診票には、昨晩からのいきさつを詳しく書いた。初診受付が終わると、待つべき場所を案内してくださったので、私は案内された場所に設置された椅子に腰掛け、自分の名前が呼ばれるのを待った。

 しばらく待っていると、さきほど受付で見掛けた笑顔の素敵な女性が書類を手に持ち、病院の勝手口のような扉を開けた。確か、過去にその病院を利用したときの記憶では、その扉は救急車で運ばれて来た患者さんを受け入れる入口だった。そんなことを考えていると、奥のほうから見慣れた顔の看護師さんが出て来て、私がマクドナルドで見掛けた受付の女性のすぐ隣に並び、二人で会話を始めた。見慣れた顔の看護師さんとは、同じマンションの同じ階に住むHさんだった。おそらく、これから急患を受け入れる体制に入るのだろう。これから慌ただしくなるであろうHさんにごあいさつするのはあとにしようと思っていると、救急車が病院の前で止まり、女性の患者さんが運び込まれて来た。救急隊の方たちやHさんらのあとについて、心配そうな顔をした男性が、おそらく急患の女性のものと思われる靴を手に持って入って来た。急患の女性はただちに処置室に運ばれたものの、付き添いの男性は何もすることができずに待合室で待っていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 珍しく、筋腫以外の症状で病院に行きました。(苦笑)病院で、様々な気付きがありましたので、皆さんとシェアさせていただきたいと思います。しばらくの間、お付き合いくだされば幸いです。

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2011.09.26

映画『抱きたいカンケイ』

シドニーの夕焼けの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。リビアの首都トリポリで大量の遺体が埋められたと見られる空き地が見付かったそうですね。一九九六年に刑務所で起きた囚人大量殺人事件の証拠となるかもしれないとのことでした。政治的な指示が絡んでいるのだとしたら、とても恐ろしいことですね。当時のことは良くわかりませんが、それだけの数の囚人が殺害されてしまったのだとしたら、問題にならなかったのでしょうか。解明を待ちたいと思います。

 今から五ヶ月も前の四月二十二日に鑑賞しているので仕方のないことかもしれないが、この手の作品は、すぐに細かな内容を忘れ去ってしまう。どうやら私の中では、この手の作品は、どこか浅いところでさっさと処理されてしまうようだ。主演はナタリー・ポートマンで、彼女は本作の製作総指揮も手掛けている。

 ナタリー・ポートマン演じる医師として働くエマは、あまりにも仕事が忙し過ぎて恋人を作る暇がなく、おまけに、恋に傷つくのが怖い。そこで、感情を介入させないセックス・フレンドを作って肉体だけの関係を楽しむことにした。その相手とは、十二歳の頃にサマー・キャンプで出会って以来、偶然が重なり、何度かばったり会うことが続いた男友達のアダムである。アダムの父は有名な人気テレビスターだったが、アダムのかつての恋人が父と付き合っていることがわかり、アダムはショックを受けていた。そんな彼の心の傷を新しい恋が癒してくれれば良かったのに、アダムはふとしたことからエマと一線を越えてしまい、そこから始まったのは心を癒してくれるはずの新しい恋ではなく、エマとのセックス・フレンドの関係だったというわけだ。

 忙しいエマには時間がないために、エマは自分の都合のいいときにメールでアダムを呼び出しては、アダムと慌しく逢瀬を繰り返し、互いの肉体を重ね合う。会って、お互いの気持ちが盛り上がった末にセックスをするのではなく、セックスをするために度々会うのだ。

 ここまでの状況が揃うと、だいたいその先の展開が読めてしまう。もともと二人は、最初に出会ったあとに、何度も偶然の再会を重ねていることからも、運命的な相手であるという要素は揃っていたわけである。だから、もっと感情を介したドラマチックな展開になっても良かったはずなのに、セックス・フレンドになるという言わば遠回りをした上で、互いに感情を介した本当の恋人へと発展するというわけである。

 単に肉体だけの関係から、二人の間に恋愛感情が芽生えて行くプロセスをスクリーンで見守るのはなかなか楽しかった。嫉妬心が芽生えるのも、互いに感情を交わさないまま付き合っていることの弊害だろう。本作は、人間が生きて行く上で、様々な感情を体験することがいかに大切であるかということを、逆説的に扱った作品だと言える。今になって思えば、セックス・フレンドという形を取った二人の行為は、彼らなりの恋愛セラピーだったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画『ブラック・スワン』とは違った意味で、ナタリー・ポートマンが身体を張った作品と言えると思います。映画『ブラック・スワン』では、ナタリー・ポートマンの感情が重たいほどに伝わって来るのですが、本作の前半では感情をとことん押し殺していますね。私には、共感の少ない作品ではありましたが、一組のカップルが感情を交わすことの大切さを知るプロセスを見守ったという意味では貴重な体験をさせてもらったのかもしれません。

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2011.09.25

シドニーの夕焼け

コアラのなる木、再びの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ブログに付属のアクセスログを見ていて、うれしく感じることがあります。それは、毎日のようにアクセスしてくださっている方がいることと、過去ログにまで遡って、丁寧に読んでくださっている方がいることです。本当にありがとうございます。反対に、悲しいと感じるのは、ブログへの滞在時間があまりにも短いときです。(苦笑)ああ、せっかくアクセスしてくださったのに、ほとんど読まずにこのページを閉じてしまわれるのだなあと思い、がっかりしてしまいますね。とは言え、現代人は、抱えている情報量も常に多く、とにかく忙しいですから、仕方のないことですね。それでは、コアラのなる木、再びの続きを書かせていただきます。

 簡単に言えば、タロンガ動物園は、コアラ・パーク・サンクチュアリよりも圧倒的に規模は大きいものの、動物たちとの距離は遠かった。少なくとも、園内で放し飼いにされている動物は見掛けなかったし、動物たちとの触れ合いコーナーは設けられているものの、私たち人間が歩くことのできるコースは限定されていた。そのため、動物たちが近くに居ても、人間が歩くことのできるコースを外れることはできず、動物たちに手が届きそうで届かないようなもどかしい印象を持ってしまった。

 動物たちとの触れ合いコーナーの近くで、中学生くらいの中国人の子供たちに声を掛けられた。彼らは、触れ合いコーナーの向こう側に行きたいらしい。どのようにすればあちら側に行けるのか、わかれば教えてくださいと言われたのだが、私は行き方を知らなかったので、教えてあげることができなかった。彼らに声を掛けられてはっと我に返ったのだが、日本人の中学生は、こんなふうに外国で道に迷ったときに、彼らのように何の抵抗もなく、英語で道を尋ねることができるのだろうか。おそらく、私自身が中学生の頃のことを思い返してみると、例え英語が得意であったとしても、どぎまぎしてしまうのではないだろうか。すなわち、日本の英語教育には英会話の実践が足りないために、日本人は大人になってもなお、特別な英語教育でも受けていない限り、自分の想いを英語で伝えることがなかなかできないように思う。それを考えると、中国人の子供たちは素晴らしいと思う。

 園内には、カンガルーなのかワラビーなのか判断しかねてしまう動物たちがいた。カンガルーとワラビーの違いは身体の大きさだと言われているが、大きいのがカンガルーで、小さいのがワラビーということらしい。だから私も、自分で撮影した写真を眺めながら、これはカンガルー、これはワラビーと勝手に振り分けてしまった。

 タロンガ動物園を訪問したのが既に午後だったので、あちこち散策しているうちにそろそろ閉園時間が近付いて来た。閉園時間を知らせるアナウンスが流れ始めたので、私たちは出口へと向かった。出口と言っても、広い広い動物園なので、出口を目指し始めてから実際に出口に辿り着くまで、三十分は掛かったように思う。私たちは、行きと同じ路線バス乗り場ではなく、直接フェリー乗り場を目指すべく歩いた。

 そして、ようやくフェリー乗り場に一番近い出口に着いてみると、そこには売店があった。動物園の売店に来ると、私は例外なく、カメのぬいぐるみを探すことにしている。とは言え、たいていどこの動物園でも、売られているカメのぬいぐるみはほぼ同じなので、こっそり写真に収めるだけで終わってしまう。

 売店の片隅に、コアラのぬいぐるみに抱かれて記念写真を撮ることのできるコーナーがあったので、ガンモと私は代わる代わるコアラに抱かれて記念写真を撮った。さすがオーストラリアだけあって、そのコアラのぬいぐるみは一切脚色ない、実物のコアラに最も近いぬいぐるみだった。このような脚色のないコアラのぬいぐるみは珍しいと思う。

 更に、売店の近くには大きな水槽があり、アザラシ(?)が優雅に泳いでいた。どういうわけか、その水槽の手すりには赤い布が置いてあった。子供がその赤い布を手に取り、アザラシ(?)の前で振ると、アザラシ(?)はその赤い布の動きに反応して、自分の身体を動かしてみせた。これはなかなか面白い光景だった。しかし、私がその光景に見入っていると、ガンモが血相を変えて、
「まるみ、フェリーがなくなる。急げ!」
と言うではないか。

 私は慌てて売店を飛び出して、フェリー乗り場までガンモに着いて走った。大きな筋腫を抱えた身で走るのは、かなり大変なことだった。ガンモ曰く、売店に設置された案内板に、フェリーの運航時間が書かれてあり、その日の運行は十七時が最終だと言うのだ。時計を見ると、十七時まであとわずかしかない。売店から必死で走った私たちは、ようやくフェリー乗り場に着いたのだが、あいにくフェリーは出航したあとだった。私たちはこのままホテルに帰ることができないのだろうかと青ざめていると、フェリー乗り場にはたくさんの人たちが次のフェリーを待っているではないか。おそらく、先ほどのフェリーに乗れなかった人たちなのだろう。ガンモは、フェリー乗り場に掲げられている時刻表を確認した。すると、十七時以降もまだフェリーがあることがわかったので、そのまま次のフェリーを待つことにした。ガンモが見たという、売店に書かれていたフェリーの運行時間は一体何だったのだろう。フェリー乗り場で待っている間は、とても寒かった。シドニーは冬なのだから、仕方がない。ほてりがあって、寒さに強いと自負している私でさえ、シドニーで購入したセーターを着込んだくらいだ。

 そうこうしているうちに、フェリーがやって来たので、私たちは乗り込んだ。寒いというのに、私たちは景色を見たくて、外のデッキに立った。フェリーが出航すると、間もなくデッキからはシドニーの夕焼けが見えて来た。シドニー・ハーバー・ブリッジも夕焼けに包まれていた。何と、シドニー・ハーバー・ブリッジの上を歩いて渡る恐ろしいツアーもまだ敢行されていた。彼らは命綱を着けてこの夕焼けを眺めているのだろうか。

 間もなく私たちの乗ったフェリーは、サーキュラーキー(Circular Quay)の波止場に着いた。555 Sydney CBD Free Shuttle Busの運行が終了していたので、サーキュラーキー(Circular Quay)からは鉄道を利用してホテルまで帰った。こうして、シドニー滞在四日目も、たっぷりとシドニーを満喫して終わったのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、シドニーの夕焼けをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思えば、この日はずいぶん盛りだくさんな一日でありました。良くもまあ、体力が続いたものであります。それにしても、観光地でフェリーに乗って移動するのはいいですね。列車の旅とはまた違う趣があります。シドニーは冬だったので、外で景色を眺めるのは寒かったですが、それでもきれいな夕焼けを見ることができて良かったと思います。

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2011.09.24

コアラのなる木、再び

映画『キラー・インサイド・ミー』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m シルバーウィーク後半の三連休をいかがお過ごしでしょうか。私は、ガンモと一泊二日の旅行から帰って来て、自宅でのんびりと過ごしていました。疲れと睡眠不足を解消するために、睡眠を貪りました。やはり、睡眠は大切ですよね。さて、長らく時間が空いてしまいましたが、爬虫類の観察の続きをお届けしたいと思います。

 オーストラリアの歴史ある動物園なので、当然のことながら、タロンガ動物園にもコアラがいた。有り難いことに、コアラ・パーク・サンクチュアリよりも明るい場所に居てくれたので、コアラのなる木の記事でご紹介したときよりも鮮明な写真を撮影することができた。

 明るい場所で、改めて彼らをじっくりと観察してみたものの、やはり顔に表情がないことには変わりがなかった。良く見ると、何だかおじいさん顔に見えなくもない。しかも、口にピンポン玉をくわえているようにも見えてしまう。コアラは人間たちに愛想を振り撒くこともなくマイペースで、人間たちに写真を撮られていようが、そんなことはおかまいなしに、さっさと眠りに入ってしまいたいようである。何しろ彼らは一日に二十時間も眠るというのだから。

 木のてっぺんのちょうどいい場所を探しながら、コアラは今にも眠りに入ろうとしていた。木のてっぺんで眠ることができるのだから、きっとコアラは高所恐怖症ではないのだろう。私は高所恐怖症なので、コアラにはなれない。それにしても、木のてっぺんんで眠るということは、木のてっぺんの枝は、コアラのお尻が乗り易いように設計されているのだろうか。

 コアラは木のてっぺんで上手にうずくまると、やがて木の実になった。しかし、その直後に目を開けた。目はどこか眠そうだが、どうやら落ち着かないようである。やはり、人間たちに写真を撮られていることが気になってしまうのだろうか。私たちは、心行くまでコアラの写真をカメラに収めることができたので、次なる動物のいる場所へと移動したのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、コアラのなる木、再びをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m コアラは、その体型からは赤ん坊のようにも見えますが、顔を良く監察してみると、おじいさんのようにも見えます。年齢不詳ですね。(苦笑)正面から見た顔よりも、横顔のほうが、私たちが普段から抱いているイメージに近いような気がします。

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2011.09.23

映画『キラー・インサイド・ミー』

平日のランチの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 涼しくなったので、寝室の温度調節が難しくなりました。ほてりのある私は、窓を開けて涼しく過ごしたいのに、ガンモは窓を開けると寒いと言います。そのため、私は自分にだけ風が当たるように、扇風機を回すことになるのですが、窓を開ければ涼しいのにもったいないですね。(苦笑)

 四月二十一日に、何とも後味の悪い映画を観てしまった。しかし、後味は悪くても、映画として優れていないわけではない。むしろ、後味の悪さとは関係なく、高い評価を付けたくなる作品である。しかし、どうやら後味の悪さが評価にも影響してしまっているようで、鑑賞された方たちの評価は大きく二分されている。

 タイトルの通り、本作は、「内なる殺人者」を描いた作品である。アメリカの田舎町で保安官助手を務める青年ルーが、ある娼婦との出会いをきっかけにして、街の人々から持たれている好印象とは裏腹に、冷血な殺人鬼としてのスイッチが入ってしまう。スイッチが入ってしまってからのルーは、長年の恋人がいながらも娼婦とSM的な肉体関係を持ち、その娼婦や娼婦に入れあげている同級生らを次々に殺害する。そして、それらの殺人について、疑惑の目がルー向けられ始めると、あたかもそれらの疑惑をもみ消すかのように、ルーは更なる殺人を犯して行く。

 事件が起こっているのは、一九五〇年代のアメリカという設定なので、捜査方法もまだ科学的なものではない。それだけに、現代に置き換えて考えてみれば、すぐにルーが真犯人だとわかってしまうだろうという証拠も多々残されているはずなのだが、時代の古さが彼を真犯人に追い詰めようとはしない。

 本作で後味の悪い感情を引きずってしまうのは、ルーが何のためらいもなく、親しかった人たちに手を掛けてしまうところだ。そこに激しい嫌悪感を覚える。殺人鬼としてのスイッチが入ってしまった彼を形成しているのは、子供の頃の経験から来ているようでもあるが、はっきりとは描かれていない。とは言え、最初に娼婦や同級生らを殺害したのも、それなりの理由がありそうだ。というのも、殺された同級生の父親には、ルーの義兄を殺害した疑いがあったからだ。ルーは、義兄への復讐のために娼婦を巻き添えにし、同級生を殺害したようにも見えるのだが、真相はわからない。仮に義兄への復讐心からだとすると、少なくともルーの中には義兄への愛だけは存在していたことになるのだが、本作を鑑賞する限り、冷血な殺人鬼と化したルーの中に愛と呼べるものが存在していたかどうかは甚だ疑問なのである。

 ルーを演じているケイシー・アフレックは、ずいぶんはまり役だと思う。つぶやくようにしゃべる彼の演技からは、どんな感情も読み取れない。その淡々とした口調のために、彼は本物の殺人鬼なのではないかと錯覚してしまうほどだ。ちなみに、ケイシー・アフレックは、映画『ザ・タウン』で監督兼主役を演じていたベン・アフレックの実弟だそうだ。映画『ザ・タウン』のベン・アフレックが演じていた主役には、悪人から善人へと変わろうとする葛藤が感じられたが、本作のルーにはどんな感情も感じられない。それだけに、ひどく後味の悪い映画に仕上がっているのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とにかく、容赦なく殺人を犯すという残酷な映画でありました。これまでにも容赦なく殺人が犯される作品は観て来ましたが、他の作品の場合、殺人を犯す犯人の狂気が何となく伝わって来るのですが、本作の場合、犯人の感情がなかなか読み取れないので、余計に残酷に思えたのかもしれません。後味の悪い映画を鑑賞したい方にはお勧めします。(苦笑)

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2011.09.22

平日のランチ

ホットヨガ(二五四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m すっかり秋らしくなりましたね。つい先日までのあれほど暑かった夏が、早くも幻のようです。それでも、昔は九月半ば頃には確実に涼しかったと思うのですが、残暑がずいぶん長引くようになって来た気もします。何はともあれ、季節の変わり目は体調を崩しやすい時期なので、皆さんもどうか体調管理には充分お気を付けくださいね。

 シルバーウィークの後半の一日前は、ガンモと二人でちょっとした旅に出掛けるために休暇を取った。平日だったので、いつもは値段が少々割高のために敬遠してしまう自宅近くのレストランに足を運び、そのレストランとしては比較的割安な平日限定のランチを注文した。ランチというと、たいていどこのレストランでも、ドリンク付きで千円以内には収まると思うのだが、そのレストランはもともと割高なので、千五百円払ってもランチにドリンクは付かなかった。

 普段から外食をする機会が少なければ、たまの外食ぐらいはちょっぴり奮発してみようかという気持ちにもなれるのだが、普段から外食の多い私たちにしてみれば、やはり比較的割安なランチと言えどもドリンクの付かない千五百円のランチは割高に感じられる。とは言え、それだけにとても上品で、味も確かにおいしいのだ。

 そんな、私たちにとってはちょっぴり敷居の高いレストランで平日限定の比較的割安なランチを食べながら、私たちはそのレストランを利用している人たちの人間ウォッチングを始めた。

 平日の昼間ということで、やはり圧倒的に多かったのは、主婦の方たちである。私たちのテーブルのすぐ近くには、小さな子供さん連れの主婦の方たちが三人集まって食事をしていた。彼女たちが食べていたのは、平日限定の比較的割安なランチではなく、通常のメニューだったように思う。私は、この割高なレストランに子供さん連れでやって来た上に、平日限定の比較的割安なランチではなく、通常メニューの食事ができる彼女たちの懐の暖かさに驚いた。おそらくこれが日常ではないにしても、少なくともここに来る回数は、私たちよりもずっと多いはずである。

 私は、その光景を眺めながら、いろいろなことを想像した。例えば、映画『阪急電車 片道15分の奇跡』のように、本当は気が進まないのにちょっぴり無理をして、仲間たちとの食事に付き合っている人も中にはいるのではないかとも思えた。というのも、もしもこの方たちの結び付きが、私の予想に反して互いに強固なものならば、もっと食事中に視線を送り合ったり、時には心の底から笑い合えるような会話が飛び交うのではないかと思ったからだ。しかし、私には何となく、その雰囲気から、三人がまだまだお互いの中に遠慮のある関係のように思えてしまったのである。そう言えば、主婦向けの漫画などには、「ママ友」の付き合いに関する悩みを扱った作品が掲載されているが、ひょっとすると、このどこか他人行儀な三人組のママ友さんたちも、互いの心の中まではさらけ出していないのかもしれないと思った。

 また、少し離れたテーブルでは、いかにも上品そうなご年配のご婦人二人が食事をしていた。おそらく、私の母とほぼ同世代ではないだろうか。しかし、田舎に住む母には外食の習慣はなく、何でも自分で作ってしまう。そのご年配のご婦人たちは、母とほぼ同じ世代だというのに、その上品な雰囲気からも、母とはまったく違う人生を送っているように見えた。同様に、さきほどのママ友さんたちもまた、私とはまったく違う人生を送っているように思えた。人は、過ごす時間と空間が違えば、まったく違う人生を送ることになり、同時に、互いの人生を交差させることも難しいのかもしれない。

 そうこうしているうちに、今度はスポーツウェアを着た数名の女性たちが私たちのすぐ近くのテーブルにやって来た。近くにスポーツセンターがあるので、そこでテニスをした帰りらしい。平日にテニスを楽しむだけでも優雅に感じられるというのに、テニスが終わったあとに、比較的割高なレストランでみんなで昼食をとるというのもまた優雅に感じられる。

 身を粉にするほどではないにしても、私たちの平日と言えば、たいていはオフィスにこもって仕事をしている。そんな私たちと、この比較的割高なレストランで優雅な時間を過ごしている人たちの接点は、ほぼ皆無と言ってもいいだろう。

 私は、もしも平日が自由になる身であれば、果たしてどんな時間を過ごすだろうと考えてみた。やはり私は、大勢の人たちの中に属すことは好まないだろう。私自身の中から、最も私自身に近い部分を際限なく引き出してくれるような、私自身を埋もれさせないでいてくれる人と濃い時間を過ごしたいと強く望むのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 時間と空間を共有することで、初めて接点が生まれるのですね。今回、レストランでお会いした方たちとは、普段はほとんど接点がありません。だから、自分がいきなり、普段とはまったく異なる空間に迷い混んだような気がして、何となく場違いな気がしていました。ということは、これまで私は私なりに、居心地のいい空間にちゃんと配置されていたのかもしれません。更に、気づいたことがあります。それは、「子供を産まなかった私には、ママ友がいない」 ということでした。(苦笑)いや、決して負け惜しみのつもりはありませんが、あたかも子供の存在に救われているかのような、他人行儀な光景を見てしまうと、食事中にリラックスできないのは、私には辛そうです。

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2011.09.21

ホットヨガ(二五四回目)

映画『ツーリスト』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。台風十五号の影響で、首都圏では電車がストップして、大混乱していたようですね。おそらく通勤や通学にも影響が出たのではないでしょうか。特に首都圏では、長時間掛けて通勤、通学されている方が多いので、電車がストップすると大変ですよね。かくいう私も、通勤には片道一時間半掛かっていますが、東京に住んでいた頃は、通勤や通学に片道二時間掛かるなんていう人もたくさんいらっしゃいました。どうかその方たちが無事に帰宅できていますように。

 九月十三日火曜日は、仕事帰りに三宮店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。ここのところ、台風十二号の影響で自宅待機をしたり、生理と重なったりしたため、レッスンを予約していても直前でキャンセルすることが多かった。そのため、ずいぶん久し振りのレッスンとなった。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、以前、私を梅田店で見掛けたと言ってくださったインストラクターである。レッスンの参加者は十六名だった。平日の夜に行われている骨盤コースのレッスンの参加人数としては少ないように思えた。

 レッスンの前に、ロッカールームでサウナスーツの女性にお目に掛かったのだが、彼女は何と、直前に行われていた別のレッスンに参加されていたにもかからわず、骨盤コースのレッスンにも参加されていた。連続してレッスンに参加されているところからすると、彼女もフリーパス会員さんなのかもしれない。

 リュープリンの副作用が出始めているのか、私には、これまでよりもスタジオ内がひどく暑く感じられた。ようやく前半のレッスンが終わったので、スタジオの外で休んでいると、インストラクターが、
「お久し振りですね」
と声を掛けてくださった。考えてみると、こうして三宮店でレッスンを受けるのもずいぶん久し振りのことである。ごあいさつをさせていただいたあと、私が、
「レッスンを受けるのもし振りなので、ちょっときついですね」
と言うと、インストラクターは、
「骨盤コースはそうですよね。後半からは、もっときつくなるので、ゆっくり休んでおいてください」
と言ってくださった。

 スタジオの中があまりにも暑く感じられるので、私の心の中を一抹の不安がよぎった。たった一度のリュープリンの注射でいつもよりもスタジオ内が暑く感じられるならば、リュープリンの注射を続ければ、これからもっともっとほてりが強くなるのかもしれない。そうなると、ホットヨガのレッスンを受けるのが今まで以上に辛くなってしまうのではないだろうか。とは言え、それは実際にリュープリンの注射の回数を重ねながらレッスンを受けてみなければわからないことだった。

 スタジオ内が暑く感じられるというだけで、私の息はかなり荒くなっていたが、汗はほとんど出ていなかった。なるほど、私の感じている暑さは、汗の出る暑さではないということが良くわかった。何はともあれ、リュープリンを始めてからまだ日が浅いので、これからの経過を見守りたいと思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久し振りだったからなのか、それともリュープリンの副作用なのか、この日はとてもスタジオ内が暑く感じられました。まだ涼しくなり始めたばかりの気候ですので、暖房が使われていないからかもしれませんが、リュープリンの注射をしていても、普段の生活の中では、それほど暑いと感じることはありませんでした。しかし、これから暖房が使われるようになれば、今回のようにひどく暑く感じてしまうのかもしれません。ひとまず、もう少し様子を見てみますね。

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2011.09.20

映画『ツーリスト』

いつもの大ボラの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風十五号の影響で、私の住んでいる兵庫県にも雨がたくさん降っています。今回の台風は、西日本から東日本を縦断するようで、広い範囲に大きな影響を与えるようす。既に川が氾濫し、避難指示や避難勧告が出ている地域もあるようですね。子供の頃は、台風が来ると学校が休みになったので、怖いながらもちょっとわくわくしましたが、大人はそれでも仕事に出掛けて行かなければなりません。皆さんも、通勤や通学にはくれぐれもお気を付けくださいね。

 本作を鑑賞したのは、四月十九日のことである。私が鑑賞してから既に五ヶ月も経っているというのに、本作を鑑賞された方たちのレビューが今でも続々と映画サイトに書き込まれている。これは一体どういうことなのだろうと不思議に思っていたところ、DVDが発売になっていることがわかった。なるほど、それで、DVDで鑑賞された方たちが次々に映画サイトにレビューを書き込まれているわけだ。

 それにしても、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーという大物二人の初共演の作品であるにもかかわらず、劇場公開されていた頃から作品の評価がそれほど高くはなかったのだが、どうしてなのだろう。こうしてDVDが発売されてからも、どうやら辛口の評価は変わらないようである。私は、「それほど評価が良くない」という偏見を持ったまま劇場で鑑賞したのだが、評価に惑わされて、それほど期待もせずに鑑賞に臨んだところ、予想に反して楽しむことができた。むしろ、何故、こんなにも評価が良くないのか、首をかしげたくなるくらいだ。ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーが共演するほどの作品ならば、もっとひねりの効いたハラハラドキドキするような展開を期待していたのだろうか。もっとも、私の場合、スパイものというよりも、ラブストーリーとして単純に楽しめたのかもしれない。

 おそらく、本作に対して辛口の評価をつけている人たちは、ジョニー・デップにもう少しリードを取って欲しかったのではないだろうか。本作は、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリーの主演作でありながらも、どちらかと言うとアンジェリーナ・ジョリーにジョニー・デップが振り回されるような展開となっている。すなわち、ジョニー・デップが、ちょっぴり頼りないキャラクターに見えてしまうのだ。そのため、ジョニー・デップの魅力を充分に活かし切れていない作品のように思えてしまうのかもしれない。それでも私には、このあと公開された、同じくジョニー・デップ主演の映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命(いのち)の泉』よりも楽しめた作品だったのだ。

 ちなみに、本作の監督は、映画『善き人のためのソナタ』のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督である。映画『善き人のためのソナタ』も、スパイの雰囲気を漂わせながらもラブストーリーに仕上がっていたが、まったく異なる展開とは言え、本作もやはりスパイという状況にラブストーリーを絡めている。ひょっとすると、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督は、このようなスパイを背景にしたテイストがお好みなのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作を鑑賞した男友達は、「自分がこんな悪(ワル)でも、とことん愛されてみたい」などと言っていました。そのような願望が男の人にはあるのでしょうか。私は女性なので、アンジェリーナ・ジョリーに自分自身を重ねるような鑑賞が自然だったのかもしれませんが、今回はそうではありませんでした。スリルなどなくても、私にはロマンスだけで充分ですから。(笑)

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2011.09.19

いつもの大ボラ

リュープリンという選択(5)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。確か女性ホルモンは、一生を通じても、耳かき一杯程度しか分泌されないそうで、調整が大変難しいのもそのためだと言われています。しかも、血液検査を受けて、自分のエストロゲンレベルやプロゲステロンレベルを知ろうとしても、血液検査を受ける時期によって値が異なっているために、余計に調整しにくいのだと思います。注意したほうがいいのは、若い女性の皆さんが、豊胸のためにサプリメントなどから人工のエストロゲンを補給してしまうことです。人工のエストロゲンを補給することは、乳がんのリスクを高めることになってしまうので、もしも皆さんの周りにそういう方がいらっしゃいましたら、是非とも教えてあげてください。体内の女性ホルモンを自然な形で整えるには、やはり食生活や生活習慣を改めることが一番なのでしょうね。しかし、それもまた手探りの状態なので、多くの女性たちが婦人科系のトラブルを抱えているのだと思います。さて、この週末は帰省していたため、週末や休日を中心にお届けしている旅行の記事を書くことができませんでした。まだまだ残っているオーストラリア旅行記につきましては、また別の機会に書かせていただこうと思います。

 初めてリュープリンの注射をしたのあと、昼食をとった私は、TOEICのIPテストを受けるために、三宮にある派遣会社のオフィスを訪れた。そこあるセミナールームで、派遣会社の主催するTOEICのIPテストが年に二回程度の割合で開催されているのだ。この日は午前に一回と、午後に一回、開催されたのだが、いつもは午前の部を申し込んでいるのに、今回はMRIの検査を受けたため、午後の部で受験することになった。

 受験者は、私を入れて六名程度だったと思う。TOEICの試験は、公開テストならば通常で五千五百六十五円、リピート受験割引で五千三百七十円の受験料が掛かるところを、派遣会社の主催するTOEIC IPテストならばわずか四千円で受験することができるので、実力試しのために、毎回、受けているのである。

 試験の前に行われるインストラクションが終了すると、試験官は今にも試験を始めてしまいたい姿勢を見せた。公開テストならば、インストラクションとトイレ休憩などにたっぷり三十分間は取られるのだが、TOEIC IPテストはある程度、融通が効くので、試験の開始時間を繰り上げることができる。おそらく試験官は、早めに試験を終えて帰宅したいのだろう。たいていの場合、TOEIC IPテストでは、インストラクションとトイレ休憩で合わせて二〇分程度しか取られない。

 もう少しで試験が始まることがアナウンスされると、私はさっと挙手して、水を飲んでもいいかと試験官に尋ねた。このとき既にリュープリンの副作用が出始めていたのか、喉がひどく乾いていたのである。試験官から、水を飲んでも良いとの許可が降りたので、私は持参している保冷専用ボトルを持って、飲食禁止の試験会場から出て行こうとしたところ、試験官は、
「どうぞ、お席のままでかまいませんよ」
と言ってくださった。そこで私は、自分の席で保冷ボトルの蓋を開け、水をひと口、ふた口飲んで、喉の乾きを潤した。

 さて今回のTOEIC IPテストは、結論から言えば、自分なりには良くできたと思っている。前半のリスニングの試験も良く聞き取れただけでなく、後半のリーディングの試験も、時間が足りないという状況にありながらも、比較的余裕があった。あまりにも試験の感触が良かったので、試験が終わったあとに、私はすぐにガンモに電話を掛けて報告したのだが、私がいつも大ボラを吹いているために、ガンモは真剣に取り合ってくれなかった。やはり、結果を見てから判断したいのだろう。TOEIC IPテストの場合、二週間程度で結果が郵送されて来るはずなので、あと数日で私の手元に届くはずである。

 このように、いつも大ボラを吹いている私は、TOEIC IPテストの結果が届く頃には、何が何でもガンモよりも先に帰宅しなければならない。そうでないと、ガンモによって、先に封筒を開封されてしまうからだ。そうすることで、大ボラを吹いたことから自分自身を守る必要があるのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 台風十五号の影響で、西日本を中心に大雨や暴風などの注意報が出ているようです。私たちも、この三連休は実家で過ごして帰って来たのですが、帰りはこれまで体験したことのないほど大雨が降っていました。「これはまたどこかで被害が出そうだな」とガンモが言っていましたが、皆さんも、川の氾濫や土砂崩れにもくれぐれもお気をつけくださいね。また、道路の混雑や列車などの遅れにより、移動にはいつもよりも時間が掛かるものと思われますので、お出掛けの際には時間的にも余裕を持って家を出たいものですね。

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2011.09.18

リュープリンという選択(5)

映画『神様のカルテ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 小樽沖で見付かった男性のご遺体は、JR北海道の社長さんであることが確認されたそうで、とにかく残念でなりません。社長さんの激務とは比べ物にならないかもしれませんが、私も結婚して関西に移住したときに、初めて勤務した職場での激務が続き、夜中の二時、三時まで働いてタクシーで帰宅していたことがありました。そのときに、ふと職場のトイレの窓を眺めていると、「ここから飛び降りたら楽になれるのかな」などという考えが頭に浮かんだことがあります。今になって思えば、それを実践しなくて本当に良かったと思っています。亡くなられたJR北海道の社長さんは、「あのとき心に思い描いたことを実践しなくて本当に良かった」と思うことがないまま亡くなられてしまったわけですが、どうか次の転生では、社長さんが現世と同じ課題をクリアできることを願いながら、社長さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 今となっては、初めてリュープリンの注射をしたあと、右手の握力が落ちてしまったのは、リュープリンの副作用だったのかどうかはわからない。右手の握力が落ちるという現象は、それからも何度か起こったが、その度に、落ちてしまった右手の握力はすぐに回復したので、それほど気にも留めなかった。右手は私の利き腕だが、中学生時代に左利きの男の子のことを好きになり、左手で文字を書く訓練を重ねて来ているため、例え右手の握力が落ちてペンをしっかりと握れなくなったとしても、左手で文字が書けるはずだという過信があるのかもしれない。

 帰宅して、リュープリンの副作用について本格的に調べ始めたとき、実はリュープリンが閉経前の乳がんや前立腺がんの治療に使われる抗がん剤であることを初めて知った。なるほど、だから看護師さんは、一クールなどという表現を用いたのだ。私の身体の中に、ついに抗がん剤が入ってしまったのかと思うと、これまで守り続けていた何かを一気に越えてしまったような気がした。リュープリンが抗がん剤であるということで、ガンモもリュープリンに興味を持ち始め、リュープリンについて、インターネットでいろいろ調べていた。それによると、どうもあまりいいことは書かれていない。

 ゆるやかなカーブを描きながら、ゆっくりと閉経を迎えるのは、既に多くの女性たちが経験されていることだが、リュープリンを注射することにより、翌月から生理が止まってしまうほど急激に女性ホルモンの分泌を止めてしまえば、身体がおかしくなってしまうのも当然のことだろう。リュープリンの副作用でウツになり、自殺を図った人までいるそうだ。その原因は、エストロゲンの低下によるものだとされている。エストロゲンは、低下しても過剰になっても大変やっかいである。

 子宮筋腫ができるのも、エストロゲンが関係していると言われているが、私の主治医であるI医師は、子宮筋腫の成長にはプロゲステロンも関わっているとおっしゃっていた。私の場合、二年ほど前に受けた血液検査では、エストロゲンレベル(エストラジオール値)が下がっているとI医師に言われたものの、生理は毎月ちゃんと来ていて、筋腫もそれなりに成長している。エストロゲンレベルが下がっている証拠に、上半身のほてりなどの更年期障害に似た症状が現れているというのに不思議なものである。実は、エストロゲンは脂肪細胞からも作られるため、脂肪細胞が多い人は、閉経後も乳がんになったりするのだそうだ。ひょっとすると、私の場合も、脂肪細胞からエストロゲンがどんどん作られていて、それが筋腫の成長に関わっているのかもしれない。しかし、卵巣から分泌されるエストロゲンは減少しているために、ほてりの症状が現れているのだろうか。そうだとすれば、脂肪細胞から作られるエストロゲンが、エストロゲン不足のために現れているほてりの症状を緩和してくれたらいいのにと思ってしまう。女性ホルモンは身体の中で一体どのように作用しているのか、まったくもって未知数である。

 週が開けて仕事が始まると、何となく、これまでとは違う感覚を職場でも体験することになった。まず、以前よりも目の乾きがひどくなってしまった。もともとオフィスはエアコンを使用しているために乾燥し易くなっているのだが、ハードコンタクトレンズを愛用している私は、ドライアイ対策のためにコンタクトレンズ装着液なるものを使用して、しばしば目に水分を補給していた。仕事中に目が乾いて来ると、机の上にティッシュペーパーを広げてその上にコンタクトレンズを慎重に取り外し、コンタクトレンズにコンタクトレンズ装着液を二滴ほど垂らしたあと、再び目の中に戻しているのである。しかし、リュープリンの注射のあとは明らかに、コンタクトレンズ装着液を使う回数が増えた。ということは、ドライアイが加速しているということである。調べてみると、やはりドライアイもエストロゲンの低下が原因のようである。

 どうやらエストロゲンは、潤いをもたらす女性ホルモンのようで、やはり更年期障害などでエストロゲンレベルが低下して来ると、性交時に膣の乾きを訴える人もいるようだ。私の場合は、ドライアイのほか、喉の渇きも加速しているように思う。身体が熱いせいもあると思うのだが、以前よりも水分を摂りたい気持ちが強くなったからである。

 そして、仕事中に感じたことがもう一つある。それは、強烈な眠気である。これまでにも、天然のプロゲステロンクリームを使用することで、皮膚を通してプロゲステロンを補給していると、仕事中に強烈な眠気を感じることが何度もあったが、リュープリンの注射のあとにも同じような眠気に襲われた。リュープリンの注射を始めてからの私は、プロゲステロンを補給してはいなかったので、ひょっとすると、プロゲステロンが過剰になると眠くなるのではなく、エストロゲンレベルが低下すると眠くなるのかもしれない。プロゲステロンを補給したときの眠気も、リュープリンの注射による眠気も、どちらもあくびが出るような自然の眠気ではない。あたかも薬で眠らされようとしているかのような、逆らおうとしても逆らえないほど強烈な眠気なのである。

 リュープリンの注射により、私の身体の中に入った薬は、私の鼻の奥や喉の奥に常に控えているような感じである。私はしばしば、鼻の奥や喉の奥に、西洋医学の薬特有の苦い味を感じている。それは本当に少しずつではあるものの、「鼻の奥や喉の奥から、今日の分のリュープリンが溶け出した」と感じているこの頃である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m リュープリンの副作用としてI医師に言われたのは、「骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になる人もいる」ということでした。骨粗鬆症についても、エストロゲン不足が原因とされています。エストロゲンは、過剰になると乳がんや子宮筋腫などの症状に悩まされ、不足すると、今回ご紹介したような症状に悩まされてしまいます。そのため、更年期障害があまりにも酷い人に対しては、エストロゲンを足すというホルモン療法も行われています。しかし、私の場合はエストロゲンが筋腫に影響を与えることがわかっているため、足すことができません。また、医師により行われるエストロゲンを加えるホルモン療法に使用されるエストロゲンが天然のものでない場合、乳がんの発症率を高めるというリスクもあります。このように、エストロゲンとは、本当にやっかいな女性ホルモンなんですね。(苦笑)だから、ゆっくりとカーブを描くように閉経を迎えるのが一番自然で身体に負担がないのだと思います。しかし私は、筋腫を小さくするために、リュープリンの注射という選択をしました。リュープリンの注射を二ヶ月、三ヶ月と続けるに従って、エストロゲン不足の副作用も大きくなるようです。そのときはまた皆さんにご報告させていただきますね。

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2011.09.17

映画『神様のカルテ』

リュープリンという選択(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。皆さんのお住まいの地域では、台風十五号の影響はいかがでしょうか。私は今、四国の実家にいるのですが、高速道路の一部が土砂崩れで通行止めになってしまっていたために、渋滞の中を何とか帰省しました。渋滞にはイライラさせられますが、土砂崩れに遭遇するよりは幸運な出来事だったと思っています。雨も、時折激しく振っていました。皆さんも、川の氾濫や土砂崩れには充分お気をつけくださいね。

 たまには鑑賞したばかりの作品のレビューを書かせていただこうと思う。

 本作は、公開前から気になっていた作品ではあるものの、末期がん患者が闘病の末に亡くなってしまうような類の作品ならば観たくないと思い、鑑賞を見送っていた。それでも心のどこかで本作が気に掛かるので、既に鑑賞された方たちのレビューを拝見させていただいたところ、「優しい気持ちになれる作品」という感想を述べている方が多かった。それならば、例え鑑賞したとしても決して後味が悪くなるような作品ではないだろうと思っていると、九月十六日金曜日の夜、まるで吸い寄せられるかのように本作を鑑賞することになった。

 実際に鑑賞してるみると、他の方たちがまさしくレビューに書かれている通りの「優しい気持ちになれる作品」だった。私は劇場で、じわじわとこみ上げて来る感動に涙し、作品全体から漂って来るその不思議な雰囲気に酔いしれた。一般的に言って、病院内で繰り広げられる、人の生死に関わるほど深刻なドラマがスクリーン上に展開されるとき、緊迫した雰囲気は避けられない。とりわけ、患者の側ではなく、医師の側からそれらの深刻な状況が描写されようとするとき、医学的な用語が多用されることもあり、その内容は硬くなりがちである。

 しかし本作は、医師の側から描写されているにもかかわらず、全体的にほんわかとした雰囲気が漂っていた。それは、主人公の栗原医師がもたらす独特の世界が表現されているからかもしれない。むしろ、栗原医師よりも、彼と一緒に働いている看護師さんたちのほうがしゃきしゃきしている。その絶妙なバランスがいいのだろうか。

 ほんわかとした雰囲気の栗原医師を形成している大切な要素の一つは、彼が夏目漱石の熱烈な読者であるということだ。そのため、彼は医師でありながらも、表現がどこか文学的で、一止という彼の名前の通り、ことあるごとに立ち止まっては物思いに耽(ふけ)っている。

 彼の妻である榛名との関係も緩くていい感じである。いつも仕事が忙しい栗原と、写真を撮ることを趣味としている榛名は、互いの感情を激しくぶつけ合うような密な関係を築いている夫婦ではない。二人の会話には敬語が含まれていたりして、一見すると、何となく距離感を感じてしまうような夫婦なのだが、互いの心はしっかりと結ばれている。また、古い旅館で共同生活を送っている画家の男爵や大学生の学士との関係も緩くていい感じである。特に、男爵を演じている原田泰造さんは、私がこれまで知っているコメディアンの彼ではなかった。私は、もしも自分が演出家ならば、このような緩いキャラクターを演出することは決してできないだろうと想像した。

 夫に先立たれ、他に身寄りもない安曇雪乃は、医学的には既に手の施しようのない末期がんだった。このような状態の患者が病院を訪れたとき、受け入れを拒否する病院もあるのだろうか。栗原に診て欲しいと必死に懇願する安曇を患者として受け入れたものの、栗原は具体的な治療方法に悩んでいた。

 栗原の患者となった安曇は、亡き夫との思い出話を栗原に語る。夫が亡くなって、既に何年も経っているはずなのに、今でも夫のことを想い続けている安曇の姿に栗原は心を打たれる。そして、そんな安曇に寄り添おうとする病院のスタッフも素晴らしい。医師も含めた病院のスタッフ全員が、多くの患者さんたちと関わりを持つ身でありながらも、患者を「患者」という一つの大きな塊として扱ってしまわずに、それぞれの患者の気持ちに寄り添っているのだ。そうした丁寧な想いが、死と隣り合わせにいる深刻な末期がん患者である安曇の気持ちさえも豊かにする。

 安曇が栗原に宛てた手紙の中に、本作のタイトルとなった『神様のカルテ』の意味が込められている。その部分が読み上げられたとき、私はどうしても涙せずにはいられなかった。ああ、人の生死を扱う作品で、こんなにも優しい気持ちにさせてくれる作品は本当に珍しい。こういう作品こそ、『神様の映画』とも言えるのではないだろうか。

 私は、安曇を演じていた女優さんのお顔を、どこかで拝見したことがあるはずだと思い、女優さんの名前を思い出すために映画サイトにアクセスして驚いた。何と、加賀まりこさんだったのである。私のイメージの中にいる加賀まりこさんは、どんな芸能人もひれ伏してしまうほど強い存在だった。あの加賀まりこさんが、こんなにも控えめで静かな役を演じていたとは驚きである。これほどまで別人になり切っているのだから、私が加賀まりこさんだと認識できなかったのも無理はない。原田泰造さんと言い、加賀まりこさんと言い、本作は、これまで私が知っていた役者さんたちの新たな一面を見せてくれた作品とも言える。

 ちなみに、私は普段からテレビを観る習慣がないので、栗原を演じていた櫻井翔くんのことはまったく知らなかった。それでも、原作を読んでいない私が言うのも変かもしれないが、彼の演じた栗原は完璧だったと思う。彼のように、一見のんびりしているようでいて、実は芯の太いキャラクターを演じることのできる役者さんはなかなかいないと思う。

 大袈裟に聞こえるかもしれないが、本作に登場する立場の異なる様々なキャラクターは、そのまま実社会に当てはまるように思う。例えば、栗原のように一見のんびりとしているようでいて、実は芯の太いキャラクターがいたり、そんな栗原の尻を叩いてエンジンを掛けようとするせっかちなキャラクターがいたり、患者の治療よりも、医療の最先端を目指そうとするエリートがいたり、はたまた、そんなエリートコースからはすっかり外れて、地道に患者の治療を続けている医師もいたりする。

 しかし、医療の最先端を目指すエリートたちの存在なくしては医学の発展は有り得ない。むしろ、エリートコースからはすっかり外れて、地道に患者の治療を続けている医師たちは、医療の最先端を目指すエリートたちが開発した技術を実践の場で活かしている人たちなのである。そんなふうに、実社会というこの世は、ありとあらゆる立場の人たちが一つの無駄もなく配置されている貴重な場所とも言える。だから、他の人がうらやむような道をいやいや選ぶのではなく、自分の魂が赴くままの道を進んで行けば良い。私にとっては、そんなことを感じさせてくれる作品でもあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の中に、一人の患者さんに対する処置を何人もの医師たちが考えを出し合って決めるシーンがありました。大学病院などの大きな病院では、そのようなことが行われていると、実際に話をうかがったことがありましたが、それを裏付けるようなシーンが出て来て、納得しました。これからも私は、医師の側の立場ではなく、患者の側の立場であり続けると思いますので、こういうシーンを確認すると安心できますね。それにしても、どこの病院でも、医師たちは食事の時間が取れないほど忙しく働いています。私などは、仕事をしていても、十二時のチャイムが鳴ればすぐにお昼休みのプライベートな時間に切り替えることができますので、そうした勤務事情に関しては恵まれていると思います。医師という仕事は、プライベートな時間と仕事の時間の切り分けが難しい職業ではありますが、逆にプライベートの時間を削ってまでも、とてもやりがいのある仕事だと言えるるのでしょう。

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2011.09.16

リュープリンという選択(4)

リュープリンという選択(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。昨日の記事の中で、UAEの手術方法について、記述に一部誤りがありましたので、訂正させていただきました。なお、女優の柴田理恵さんの体験談については、インターネットでも読むことができます。
女性と病気 柴田理恵 子宮のこぶ:1 人知れぬ悩み もう限界(8/6)
女性と病気 柴田理恵 子宮のこぶ:2 3週間も休めない(8/7)
女性と病気 柴田理恵 子宮のこぶ:3 治療後、楽に(8/8)
女性と病気 柴田理恵 子宮のこぶ:4 情報編(8/9)
興味のある方は、どうぞご覧ください。

 リュープリンの注射を打っていただくことが決まり、あとは開始日を決めるのみだった。その日は生理の七日目だったので、リュープリンを始めるのに差し支えない日だとI医師には言われていた。それならば、思い立ったが吉日で、今日から始めたほうがいいのだろうか。予想外の展開に、私が決断しかねていると、I医師は、
「今日、注射をしないんやったら、また来月にでも、生理が始まって五日目くらいに来てもらうかやね」
とおっしゃった。それならば、今日から注射をしてもらったほうがいいのではないだろうか。私は思い切って決断を下し、
「じゃあ、今日からお願いします」
と宣言した。

 リュープリンを始めると、翌月から生理は来なくなるという。しかし、私の場合は、おそらく不正出血があるだろうとI医師はおっしゃった。やはり、筋腫の数が多く、サイズも大きいからなのだろうか。

 I医師は、
「桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)は、リュープリンの注射をしている人にも処方している漢方薬なので、引き続き処方しますね」
とおっしゃり、一ヶ月分の桂枝茯苓丸を処方してくださった。今の私は、まだ本格的な更年期障害ではなく、卵巣の機能が若干衰えているために上半身のほてりを感じている。そのほてりを緩和するために、I医師から桂枝茯苓丸を処方していただいているのだ。リュープリンの注射を始めれば、女性ホルモンの分泌が抑えられるため、おそらく今よりももっとほてりがひどくなるだろう。私は、そのことが少し心配でもあった。

 I医師にお礼を言って診察室を出ると、一ヶ月後の診察を予約するために看護師さんと一緒に病院の予約システムがインストールされているパソコンの前に座った。看護師さん曰く、リュープリンの注射は四週間ごとに行うそうで、都合が良くないときは、前に数日程度ずらすことは可能だが、決して後ろにずらすことはできないという。また、途中で注射をする時期が外れたり、注射できなかったりすると、例えその時点でリュープリンを三ヶ月続けていたとしても、振り出しに戻ってしまうのだそうだ。すなわち、六ヶ月の間にたった一度でも注射の時期が外れたり、注射できなかったりすると、これまで実践したことがすべて水の泡になってしまうというわけだ。リュープリンの注射は、六ヶ月間連続して行うことで、ようやく一クールになるのだそうだ。一クールなんて、何故、抗がん剤を投与するような言い方をするのだろうと、そのときは不思議に思った。

 私は、一ヶ月後の診察とリュープリンの注射の予約をしたあと、I医師が書いてくださった処方箋の用紙を受け取り、婦人科をあとにした。そして、リュープリンの注射を打っていただくべく、病院内の指示された場所へと移動した。

 そこは、かつて血液検査を受けたことのある場所だった。受付でI医師の書いてくださった指示書を提出して待っていると、しばらくして名前が呼ばれた。どうやら、ご年配のベテラン看護師さんが担当してくださるようだ。看護師さんは私を、カーテンで仕切られたベッドに案内してくださった。驚いたことに、看護師さんは、
「ここに横になって、お腹を出してください」
とおっしゃるではないか。私は、
「えっ? 腕に注射するんじゃないんですか?」
と目を丸くした。それを聞いた看護師さんは、
「ああ、今回が初めてなんですね? はい、注射はお腹にします。今回は、おへその右側に注射しますが、次回は左側に注射しますので、毎回、どちらに注射したかを覚えておいてください」
とおっしゃった。確かに、先ほど提出したI医師の指示書には「下腹部」と書かれていたが、まさかそれが下腹部に注射をする意味だとは夢にも思わなかった。

 私は荷物を下ろすとカーテンを閉め、腹巻をめくり上げて看護師さんが来てくださるのを待った。看護師さんは、私の準備が整ったのをカーテン越しに確認してくださると、すぐに注射器の用意をして私の腹部にリュープリンを注射してくださった。チクリと痛んだものの、注射はすぐに終わった。注射のあとにはカットバンが貼られた。

 たったこれだけの注射で翌月からの生理が止まるとは、あっけないものだ。しかし、それだけ強い薬が私の身体の中に入ったということである。私はベッドから起き上がり、荷物を持って会計の窓口まで歩いて行った。会計の窓口では、ちょうど私の名前が呼ばれていたので、慌てて駆け寄って、支払いを済ませた。MRIの検査とI医師の診察、処方箋、それからリュープリンの注射で合計一万九千円ちょっとだった。

 その後、病院のすぐ近くの薬局で一ヶ月分の桂枝茯苓丸を受け取ると、私は路線バスに乗り、病院の最寄駅まで移動した。時計を見ると、既に十一時半だった。MRIの検査を受けるために朝食をとっていなかったので、私はお腹がとても空いていた。そこで、お昼ごはんには少し早かったが、駅前の定食屋さんに入り、早目の昼食をとることにした。そのときに、箸を握る右手になかなか力が入らないので、少々戸惑った。私は、ひょっとすると、これはリュープリンの副作用なのかもしれないと思った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実はこのあと、TOEICのIPテストを受けることになっていたので、鉛筆を握る右腕は控えて左腕に注射してもらおうなどと考えていたのです。しかし、お腹に注射をするとは驚きでした。(苦笑)注射の直後は、ほんの少し違和感があり、何となく歩きにくい気もしたのですが、すぐに普通の感覚に戻りました。このあといったん映画のレビューの記事を挟んでから、注射後の身体の変化について触れて、一連の記事の〆とさせていただきますね。

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2011.09.15

リュープリンという選択(3)

映画『アメイジング・グレイス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。台風十五号の影響で、またまたたくさんの雨が降ると予報されていますね。奈良県の野迫川村にあるダムが決壊する恐れがあるとのことで、警戒されているそうです。今年は本当にいろいろな自然災害が起こっています。最悪の事態にならないことを祈っています。

 しばらくすると、さきほどMRIの検査を担当してくださった男性検査技師が、封筒に入ったものを婦人科の窓口に置いて行った。間違いなく、私の腹部を撮影したMRIフィルムだろう。

 ほどなくして、私の名前が呼ばれたので、中待合と呼ばれる診察室のすぐ手前にある待合所のソファに移動した。私は、I医師に手術を勧められたら何と答えるべきか、頭の中で整理していた。私としては、こんなふうに答えるつもりだった。
「やはり、まだ手術を受ける気にはなれません。それよりも、この先いつか、私のほうから『先生、是非とも手術をお願いします』とお願いしなければならなくなる時期が来るのではないでしょうか。手術を決めるのは、そのときでも遅くはないと思います」

 私の前の患者さんが、診察室の隣にある内診室から出て来られたあと、すぐに診察室に入ってI医師のお話を聞いていた。ひょっとすると、その患者さんも子宮筋腫なのだろうか。もしもI医師の診察を受けている子宮筋腫の患者さんと繋がりを持つことができたなら、病院に行くのがオフ会に出掛けて行くみたいに楽しくなるかもしれない。

 私の前の患者さんが診察室から出て来られると、いよいよ私の名前が呼ばれたので、私は荷物を持って診察室の中に入った。I医師の手元にあるパソコンのモニタには、さきほど撮影したばかりの私の腹部のMRI画像が映し出されていた。I医師はパソコンを巧みに操作しながら、私の筋腫の状況を把握されていたようだ。

 結論から言えば、I医師は、去年のデータと比較することなく、今回のデータをご覧になっただけで発言された。
「あなたの場合は、やはり子宮全摘手術を受けたほうがいいでしょう。ただし、ここまで筋腫が大きくて数も多いと、腹腔鏡の手術は難しいでしょう。私にもできません。ですが、腹腔鏡の手術を望まれるのでしたら、滋賀県の草津にある病院をご紹介します」
確か、前回の診察でも、滋賀県の草津にある病院の話が出て来たが、何年か前に私が調べたUAEの手術を行っている病院なのだろうかと思い、尋ねてみたところ、
「いや、UAEの手術を行っている病院とは違いますね。ほとんどの病院では、あなたのように筋腫が大きくて数が多いと腹腔鏡の手術はやらないんですが、その病院なら、趣味でやってくれます」
「趣味で」という表現がおかしかったので、私は思わず笑った。おそらくその滋賀県草津にある病院の医師というのは、医学の常識を越えた範囲で腹腔鏡の手術を請け負ってくださるのだろう。

 ちなみにUAEとは、子宮動脈塞栓術と呼ばれる保険適用外の手術で、筋腫に繋がる血管を縛り、筋腫に対して脳梗塞や心筋梗塞と同じような症状を意図的に起こさせることにより、筋腫を懐死させる手術である。少し前に、アメリカのライス国務長官がその手術を受けて話題になったので、ご存知の方もいらっしゃることだろう。UAEは開腹手術ではないのだが、患者に麻酔を施して、太ももの付け根あたりから管を通して行うらしい。実は、有り難いことに、つい先日、ある方が私の筋腫をひどく心配してくださり、女優の柴田理恵さんがUAEの手術を受けて楽になったという新聞記事をわざわざ郵送してくださった。その記事には、柴田さんが頻尿になってしまったことや、生理の出血で仕事用の服を汚してしまったことなどが書かれていて、それらの状況が私の抱えている状況とあまりにも酷似しているために、柴田さんの辛い気持ちが痛いほど良くわかった。数年前にUAEの手術が話題になったとき、私もこの手術を考慮に入れたことがあったのだが、私の場合は既に筋腫の数が多く、サイズも大きかったため、子宮だけでなく卵巣からも血液を取っている可能性があると考え、見送っていた。

 私は改めてI医師に、
「UAEの手術は有効でしょうか?」
と尋ねてみた。しかし、I医師は即座に、
「あなたの場合は、筋腫が大きく数も多いので、きっと嫌がられるでしょうね」
と言われてしまった。私は、
「そうですか」
と言って、苦笑いした。

 今回の救いとしては、MRIの画像を見ながら、一年前のような重苦しい雰囲気にはならなかったことだ。その、比較的ゆったりとした雰囲気の中で、リュープリンの話が出た。リュープリンとは、女性ホルモンの分泌を抑え、擬似閉経を起こさせる注射のことである。月に一度のペースでその注射をすることにより、女性ホルモンの分泌が止まり、擬似的に閉経した状態になる。そうなると、女性ホルモンからエネルギーをもらって成長している筋腫が小さくなるのだ。私の職場にも、かつてその注射をして擬似閉経の状態を作り出していた女性がいる。その女性は、筋腫のサイズは小さいものの、その小さな筋腫が運悪く子宮内膜に掛かっているため、生理の出血量が著しく多く、深刻な貧血の症状を抱えている。リュープリンを注射していた頃、その女性は、数十分ごとに暑さと寒さが交互にやって来るというリュープリンの副作用によるホットフラッシュの症状に悩まされていた。そんなことから、私はこれまでリュープリンという選択についても見送って来たのだった。

 ちなみに、このリュープリンは副作用などの関係で半年間しか継続することができない。また、リュープリンをやめて生理が再開すると、小さくなったはずの筋腫は再び元の大きさに戻ると言われている。そのため、手術を受けることを前提に、一時的に筋腫を小さくしたい人が受ける場合がほとんどである。しかし私は、かつて四時間も待ったクリニックの女医さんから、リュープリンの注射を繰り返しながら閉経を迎える人も多いと聞いていた。

 私の頭の中には、手術は受け入れられないものの、何とかして実家の両親を少しでも安心させたい気持ちがあった。そこで私はI医師に、リュープリンの注射を受けるという提案をしてみた。すると、I医師は、
「注射をしてみますか?」
と私に確認されたので、私は、
「はい、お願いします。一回一万円くらいでしたっけ?」
と尋ねてみた。確か、リュープリンの注射をしていた職場の女性がそんなことを言っていたように思ったからだ。しかし、I医師は、
「あなたの場合は、体重があるので、一万円の注射じゃ効かないでしょう。一万五千円くらい掛かります」
とおっしゃったので、私は苦笑いをした。どうやら体重によって、投薬の量が違うらしい。I医師に、
「今日は、生理の何日目ですか?」
と尋ねられたので、私は、
「今日でちょうど一週間目です」
と答えた。

 I医師曰く、初回のリュープリンは、絶対に妊娠していない日を選んで行うのが望ましいのだそうだ。通常、リュープリンは生理が始まってから五日目くらいに行うが、七日目でも問題はないでしょうとのことだった。
「では、今日から注射を始めますか?」
とI医師がおっしゃるので、私はいきなりのことに驚き、
「えっ? 今日からですか? 注射をするにあたっての心構えはありますか?」
などと尋ねてしまった。するとI医師は、
「心構えは特に要りません。お財布との相談だけです。クレジットカードも使えますしね」
とおっしゃった。それを聞いたとき、これまで黙ってI医師と私のやりとりを聞いていた看護師さんがくすっと笑った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m あれよあれよという間に、リュープリンの注射を選択するという話に転んで行きました。リュープリンの話は、これまでにも何度か浮上していたのですが、ホットフラッシュの副作用があることや、注射をやめて生理が来ると筋腫のサイズが元に戻ってしまうことから、選択肢に挙がるだけで実践されることはなかったのです。しかし、今回はとうとうそちらに転んだので、やはり、このまま何もしない状態を選択し続けることは難しかったのだと思います。何はともあれ、一歩踏み出したという感じですね。(苦笑)

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2011.09.14

映画『アメイジング・グレイス』

リュープリンという選択(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。桜島で噴火が続き、大量の火山灰が降り注いでいるそうですね。三年半ほど前に、私たちも桜島を訪れました。そのとき、マグマ温泉に入ったわけですが、火山があることで温泉の恩恵を受けられる一方で、火山活動が活発になると、現在の鹿児島のように大量の火山灰に悩まされたりするのですね。女性のホルモンバランスと同様、ちょうど良い状態を保ち続けるのは、なかなか難しいのかもしれません。大量の火山灰に悩まされている鹿児島の皆さまにお見舞い申し上げます。

 本作を鑑賞したのは、四月十六日のことである。名曲「アメイジング・グレイス」の誕生とイギリスの奴隷解放にまつわる物語だ。「アメイジング・グレイス」という曲は知っていたが、私はこの曲がイギリスの奴隷解放と密接な関係があることは知らなかったので、とても勉強になった。

 そもそも私は、イギリスで奴隷貿易が行われていたことすら良く知らなかった。十八世紀のイギリスは、貴族階級の人たちが、奴隷貿易で多くの収入を得ていたようだ。しかし、奴隷貿易では、実に多くの奴隷たちが航海中に命を落としたそうだ。「アメイジング・グレイス」を作詞したのは、その当時、奴隷貿易船の船長をしていたジョン・ニュートンである。彼は、奴隷貿易で多くの奴隷たちが航海中に命を落としたことに心を痛めていた。そして、その昔、彼に従事していたウィリアム・ウィルバーフォースがのちに政治家となり、奴隷解放に向けて本格的に動き始めたのである。

 世の中で当たり前のように行われていることに対し、自分の価値観と照らし合わせて疑問を持ち、誰かの都合によって形成された価値観に惑わされることなく自分の価値観で行動することができるのは、とても素晴らしいことだと思う。奴隷制度に対し、ウィルバーフォースは正義感をもって立ち上がった。やがて彼は若干二十一歳にして政治家となり、同志を募りながら、奴隷解放を唱えて行く。

 強い意志を持った人が一つのことを成し遂げるには、それに賛同してくれる強力な同志が必要である。実際、ウィルバーフォースは、素晴らしい同志たちに出会っている。彼と仲の良いウィリアム・ピットが、英国最年少の首相であったのはとても心強いことである。

 英国の国会には、奴隷貿易で利益をあげている議員たちもいた。そういう人たちにとっては、奴隷貿易が廃止され、奴隷が解放されてしまえば収入源を失うことになる。そのため、国会といえども反対意見も多い。そんな欲にまみれた人たちの顔を見ると、「愛に目覚めよ!」と思わず渇を入れたくなってしまう。

 ウィルバーフォースらは、同志たちとともにロンドンのコーヒー店や地方のパブなどで演説をして回り、必死で奴隷貿易の廃止を唱えた。その甲斐あって、わずか一年足らずの間に三十九万人もの世論の賛同を得られたそうだ。しかし、国会に提出した奴隷貿易廃止案は、奴隷制度賛成派の反対によって否決されてしまう。しかも、ウィルバーフォースの身体はいつの間にか病魔に蝕まれていた。

 本作の素晴らしさは、やはりウィルバーフォースが既存の価値観に惑わされることなく、自分なりの価値観で行動したことと、彼の意志をサポートするかのように出会った同志たちとの連携プレイにある。言い換えると、自分の意志をサポートしてくれるような同志たちにまだ巡り合えていないということは、今、自分が選択していることは、魂が望む神の仕事ではないのかもしれないということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作を鑑賞すると、既存の価値観に対し、「こういうものだ」と思い込んでしまうことは、とても恐ろしいことなのだと感じます。「先人に従え」という言葉もありますが、実際、そうではない場合も多々ありますよね。既存の価値観を鵜呑みにせずに、そこでちゃんと立ち止まり、自分なりの価値観で行動できる人がいたからこそ、改善されたことがたくさんあると思います。既存の価値観を自分の中に吸収するとき、少なくとも一度は立ち止まりたいものです。

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2011.09.13

リュープリンという選択(2)

リュープリンという選択(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。不適切な発言が元で退任された大臣の後任として、枝野さんが就任されましたね。何だか政治的にはいろいろあるようですが、国民の支持率は圧倒的に高いのではないでしょうか。私も、「待ってました!」という感じです。(笑)

 今回、MRIの検査を受けることは、何人かの人たちに伝えてあった。その中の一人に職場の上司がいる。上司とは、少し前に職場で大喧嘩をした仲だったが、最近は、健康についていろいろ話をするようになった。上司も上司なりに悩みがあり、私も私なりに抱えている問題があるために、それらが線を結んだのである。

 上司と私の共通の見解は、何故、多くの人たちは、医師から手術を勧められると、素直に手術に応じるのか理解できないということだった。私は、全身麻酔の恐怖に加え、やはり西洋医学の取っている立場に対してひどく反発したい気持ちがあることを上司に話した。上司も全身麻酔への恐怖を抱えているだけでなく、医療事故も含めて手術を受けることのリスクについても充分考慮していた。手術のリスクを負うことと、手術を受けずにそのまま放置することの狭間で大きく揺れているのである。

 以前、私はガンモに、
「何で医師から手術を勧められたら、みんな、すんなり手術を受けるんだろう?」
と尋ねてみたことがある。するとガンモは、
「それは、医師への信頼だろうね」
と言った。確かにその通りかもしれない。

 「ガンまる日記」を古くから読んでくださっている方なら良くご存知のことと思うが、私は西洋医学の手術を治療だとは思っていない。治療とは、患者の身体を元通りに治すことだと思うのだ。しかし、「身体に不要なものがあることがわかったので、手術をして除去しましょう。そのとき、不要なものだけでなく不要なものがくっついている臓器も取ってしまいましょう。その臓器を取ってしまったとしても生命に危険はなく、なくても困るものではないので、安心してください。」そう提案するのが西洋医学である。

 正常に機能しなくなった臓器を取ってしまわない場合、例えこのような手術を行ったとしても、根本原因を解決していないために、また同じことを繰り返してしまう可能性がある。手術のときに臓器を残さない提案をされるのは、臓器を取ることで再発を防ぐという意味も含まれているのではないかと思ってしまう。

 私が望んでいる治療とは、「あなたの場合、身体のここが悪いので、このようなものを食べるのは極力控えましょう。むしろ、このような食べ物は積極的に摂りましょう。身体の中にできてしまったものを外に排出するには、普段からこのようなことを実践すれば良いですよ。再発しないようにするためにも、このようなことを実践しましょう。」といったアドバイスを受けることである。しかし、実際は、西洋医学はひどくせっかちなので、なかなかそのような提案をしてもらえないのが実情である。

 それはさておき、今回、私がMRIの検査を受けることは、実家の両親にも伝えてあった。両親ともに、私の大きなお腹を見ては、この先、どうなるのだろうとひどく心配してくれていたようだ。特に母からは、MRIの結果を見ながら、先生と手術の相談をして欲しいと言われていた。母は、私と同じくらいの年齢のときに、やはり子宮筋腫で子宮の全摘手術を受けているのだ。私は、
「子宮筋腫はお母さんからもらったものだから、大事に育ててるんだよ」
と良く冗談を言っていた。しかし母は、
「そんなもん、大事に取っとかんでもええんよ(取っておかなくてもいいのよ)。切ったら(手術したら)楽になるんじゃがね(楽になるんだよ)。手術したら、もっと早(はよ)う手術するんじゃったって言うと思うよ」
と言った。

 確かに私のお腹は見た目にもかなり大きく、実家の両親がひどく心配するのも無理もない状況だった。そのため、実家の両親を安心させたい気持ちもあるのだが、やはり手術という選択はしたくない。私は、いろいろな想いを巡らせながら、診察室に呼ばれるのを待っていたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 不要なものは除去してしまえばいいという考えがあるために、西洋医学はその方面への進化ばかり遂げているように思います。筋腫に関しては特にそうですよね。だから女性たちは、最終的に、選択したくもない選択をすることになってしまいます。これで本当にいいのだろうかと、これまで立ち止まって考え続けて来ました。しかし、そろそろ状況的に、立ち止まっている余裕もなくなって来たようなのです。(苦笑)

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2011.09.12

リュープリンという選択(1)

映画『ダンシング・チャップリン』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m JR北海道の社長さんが遺書らしきものを残して行方不明になっているそうですね。今年五月にJR石勝線トンネル内で脱線炎上事故が発生して以来、かなりの心労が溜まっていたようですが、ここまで追い込まれる前に何か他の選択肢はなかったのだろうかと思ってしまいます。トップに立つということは、寄りかかるものが何もないということなのでしょうか。こういう形でしか悲鳴をあげることができないのだとしたら、あまりにも辛過ぎますよね。

 二ヶ月前にI医師の診察を受けたときに、最近、呼吸をするのが少し苦しく感じられるとI医師に相談させていただいたところ、二ヵ月後にMRIの検査を行い、去年よりも筋腫が成長しているようならば手術を考慮に入れましょうと言われた。私は、この二ヶ月の間に自分なりに筋腫を小さくしてからMRIの検査に臨もうと思っていたのだが、結局、何もできずに検査の日を迎えることになってしまった。

 MRIの検査は八時四十分からの予約だったので、私は仕事に出掛けて行くのと同じく五時に起きて支度を整え、家を出た。病院までは、片道一時間半ほど掛かるからだ。予約時間の十分前には到着するように予約票には書かれていたというのに、私が病院に到着したのは予約時間の八時四十分ギリギリだった。

 放射線科で受付を済ませ、MRIの検査室の前のソファに腰を下ろして待っていると、間もなく名前を呼ばれた。検査室に入り、去年と同じように更衣室で準備を整えてから検査を受けるのかと思いきや、荷物はそこに置いてもらっていいし、着替えなくてもそのままの格好でいいと、去年とは違う男性検査技師に言われた。そのとき私は、Tシャツに金具のないズボン姿で、おまけにブラジャーにも金具がなかったので、私は言われた通り、検査室の棚の上に自分の荷物を置くと、宇宙船の前の寝台の上に横になった。

 去年、検査をしていただいたときに、私の筋腫があまりにも大きいためか、男性検査技師が何度も場所をずらして撮影し直してくださった経緯があるので、私はあらかじめ、おへその少し上を指で示しながら、
「子宮筋腫なんですが、このあたりまであるので、それも含めて映るようにしてください」
とお願いしておいた。男性検査技師は、
「わかりました」
という返事とともに、下腹部を固定する装置を付け替えたいとおっしゃるので、私は横になっていた寝台から、ひとまず降りた。すぐに準備が整ったので、私は再び寝台の上に横になった。

 私は、両手には指輪もはめた状態で、しかも、両手首にはパワーストーンのブレスレットを着けたままだった。そして、首には肩凝り対策用の磁気ネックレスまで着けていた。心配になった私は、
「アクセサリを着けたままですが、大丈夫でしょうか?」
と男性検査技師に尋ねた。すると男性検査技師は、
「大丈夫ですよ」
とおっしゃったので、そのまま横になっていたのだが、横たわっている寝台が、今にも宇宙船の中に引き込まれようとしたとき、私は首のあたりに違和感を感じてしまった。慌てて首元に手をやってみると、磁気ネックレスがMRI装置の強烈な磁気に吸い寄せられて宙に浮こうとしていた。私は、これはまずいと思い、慌てて磁気ネックレスを取り外し、頭の上のほうに置いておいた。

 そこからは、いつものようにガリガリという音やピーッという音が継続的に聞こえ始めた。検査室全体にクラシックの音楽が流れていたので、私はリラックスしながら検査を受けることができた。

 とは言え、検査には、思ったよりも時間が掛かってしまった。ひょっとすると、私がお腹を冷やしたくないために、腹巻を三枚も重ねているので写りが良くなかったのかもしれない。MRIの検査のあと、九時半からI医師の診察の予約を入れていたのだが、ようやく検査を終えて婦人科の窓口に移動したときには、九時半を二分ほど過ぎてしまっていた。婦人科の受付を済ませた私は、ソファの上に腰を下ろして、自分の名前が呼ばれるのを静かに待っていた。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この二ヶ月の間、自分なりに筋腫を小さくする努力を行ってからMRIの検査に臨もうと思っていたのですが、実践できたのは、お腹を極力温めることくらいでした。腹巻をこれまでの一枚から三枚に変え、帰宅すると、三枚の腹巻の上に更に毛糸のマフラーのようなものを巻きつけてお腹を温めていました。やはり、お腹を温めると調子はいいみたいですね。

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2011.09.11

映画『ダンシング・チャップリン』

爬虫類の観察の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 九月十一日は、東日本大震災からちょうど半年を迎えるとともに、アメリカでの同時多発テロ事件からちょうど十年でもあったのですね。特に東日本大震災の被害に遭われた方たちにとっては、本当に大変な半年間だったろうと思います。同じ苦しみを経験していない私が言えることではありませんが、もしも東日本大震災で大切な方を亡くされた方がいらっしゃるならば、少しでも心の痛みが癒えていることを願っています。この世に陰陽が確実に存在しているならば、被災者の方たちが体験された深い悲しみと絶望の反対方向に存在しているはずの大きな喜びがいつかもたらされますように。

 本作を鑑賞したのは、四月十六日のことである。予告編を観たときからずっと気になっていて、一体どのような作品なのだろうと、頭の中で勝手にイメージを膨らませながら公開を楽しみにしていた。私は、ストーリー性のある一本の作品なのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、実際に鑑賞してみると大きく違っていた。

 まず、本作は一部と二部に分割され、一部の上映と二部の上映の間には休憩時間が設けられていた。一部は二部のメイキング映像となっていて、チャップリンの演じた映画がバレエ化された二部は、いくつかの短編が連ねられていた。

 一部のメイキング映像は、単なるメイキング映像ではなかった。こんなことまで映画として公開してしまっていいのだろうかと冷や冷やするような内容まで含まれていたのである。例えば、フランス人ダンサーの青年がバレリーナである草刈民代さんを持ち上げるシーンがあるのだが、どうやらフランス人ダンサーの青年の動きが物足りないらしく、他の人に替えたいなどということがシビアに討論されている。舞台ではなく、映画として後世にまで映像が残るというプレッシャーが、完璧さを求める気持ちに拍車を掛けているようにも見えた。私は、そのメイキング映像を見ながら、フランス人ダンサーの青年がとても気の毒に思えた。

 本作の制作には、世界各国からいろいろな実力者たちが集まって参加していた。その中でも特にご紹介しておきたいのが、チャップリン役を演じていたルイジ・ボニーノと世界的に有名な振付師のローラン・プティである。ルイジ・ボニーノは、ローラン・プティの主催するバレエ団でダンサーを勤めていたことから、ローラン・プティからの信頼が厚く、海外で公演するときはローラン・プティの振付を共演者たちに伝える役割も担っていた。また、ルイジ・ボニーノは、過去に『ダンシング・チャップリン』という公演をローラン・プティとともに成功させており、また、バレリーナとしての草刈民代さんの引退公演でも共演していることから、本作への出演の流れも自然に出来上がったものと思われる。

 振付師のローラン・プティについては、今年の七月十日に亡くなられたというニュースがインターネットでも流れていたので、バレエにそれほど詳しくない方であっても、彼の名前を耳にしたことがあるかもしれない。一部のメイキング映像では、本作の監督である周防正行監督と打ち合わせを行いながら、作品を綿密に練り上げて行くプロセスが表現されている。ただ、やはりローラン・プティと周防正行監督は対等ではなく、周防正行監督がローラン・プティにお伺いを立てている様子が伝わって来た。ちなみに、映画『それでもボクはやってない』の周防正行監督と草刈民代さんはご夫婦である。

 稽古場では、ルイジ・ボニーノと草刈民代さんが英語でやりとりをし、ルイジ・ボニーノとフランス人ダンサーたちはフランス語でやりとりをしていた。もともとルイジ・ボニーノはイタリア人なのだが、フランスでローラン・プティのバレエ団に入団していたことから、フランス語も自由に話せるのである。そして、ローラン・プティはフランス語で話をしていたと思うので、おそらく周防正行監督と話をするときは通訳の方が介入されていたのではないかと思う。

 そんな国際色豊かで、出演者や製作者たちの縁も互いに深い本作だが、本編とも言える二部では、映画といえども舞台が作られ、そこで演じられていた。そのため、映画を鑑賞する側としては、まるで舞台で録画された映像を観ているような感覚を味わうことができた。私はチャップリンの映画にあまり詳しくはないのだが、それでもずいぶん楽しめたと思う。

 本作の中で紹介されていたチャップリンのオリジナルの映像で特に印象に残ったのは、チャップリンがパンにフォークを突き立てて、パンを躍らせる卓上芸だった。私はその卓上芸が披露されている『黄金時代』というチャップリンの作品を知らなかったのだが、本作の中で少しだけ流れたその映像を観ながら、チャップリンという人は確実に、自分を客観的に観る眼を持っていたと感じた。そうでなければ、あのような卓上芸は披露できないだろう。本作では、ルイジ・ボニーノがチャップリンの役を演じ、パンにフォークを突き立てて躍らせるというチャップリンの卓上芸をトゥー・シューズに置き替えて実現させていた。

 本作を鑑賞したとき、劇場にはご年配の方が圧倒的に多かった。やはり、リアルタイムでチャップリンの作品を愛でていた方たちが、本作に期待感を持って劇場に足を運ばれたのではないだろうか。前述したように、私はチャップリンの映画には詳しくないが、リアルタイムでチャップリンの映画を愛でていた人たちが本作を鑑賞しても、きっと期待を裏切るものではなかっただろうと想像している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ルイジ・ボニーノは、さすがローラン・プティの振付を他の共演者たちに伝える役割を担っているだけあって、様々な意味においてパイプ役を務めていたと思います。おそらく周防正行監督が本作でメガフォンをとったのも、奥様である草刈民代さんがバレリーナとしての現役を引退されたことがきっかけになったのではないかと思います。そして、いろいろな人脈が繋がり、本作が生み出されたのはないでしょうか。人と人との繋がりの深さを意識せずにはいられない作品であります。

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2011.09.10

爬虫類の観察

「愛っていいものよ」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 問題発言をした大臣は退任されましたね。「ううん」という感想です。さて、今回の記事では、タイトルの通り、爬虫類が登場します。中には、爬虫類が苦手な方もいらっしゃるかと思いますので、苦手な方はどうかこの記事をスキップしてください。

 タロンガ動物園では、爬虫類をじっくりと観察した。何を隠そう、私はカメのはなしというブログも書いているくらいカメ好きなので、カメを観察するのは楽しみでもあるのだ。

 爬虫類のいるエリアの入口には、カメやヘビ、イグアナなどの絵が描かれ、これらの動物がここにいることが示されていた。写真ではわかりにくいかもしれないが、かなり大きな絵だった。

 中は少し暗かったので、三脚も持たずに写真を撮影するのは苦労した。それでも、日本ではケースの奥のほうに縮こまって動かないようなヘビでも、タロンガ動物園にいるヘビたちは活動的で、ときどき長い舌をちらかせながら、のそりのそりと動いていた。オーストラリアは冬だというのに驚きである。

 実は、今回の旅行を決めたとき、私は、できれば一枚一枚の写真を丁寧に撮影したいと思っていた。かつてはフィルム使用のマニュアルカメラを愛用していた私だったが、最近はデジタル一眼レフしか使用していない。フィルム使用のカメラと違い、デジタル一眼レフは手軽に撮影できるだけでなく、例え撮影に失敗したとしても、失敗した写真をメディアから削除してしまえばいいだけなので、失敗したときのコストはほとんどかからない。それだけに、一枚一枚の写真の重みがなくなりつつあるのも事実だった。失敗すれば何度でもやり直せるという手軽さは、写真の上達には結び付かないように思えるのだ。

 だから私は、今回の旅で撮影する写真は、例えデジタル一眼レフを使用して撮影するにしても、一枚一枚丁寧にシャッターを切ろうと心に決めていた。とは言え、被写体となる動物はあちこち動くだけでなく、ズームレンズ一本で撮影している私には、室内での撮影は暗く、なかなか思うような写真を撮ることができなかった。そのため、今回の記事でご紹介させていただく写真の中にも、手ぶれ写真が多く含まれてしまっている。

 それでも、何とかして丁寧な写真を撮りたいと思っていたために、いつもよりも長い時間、爬虫類の観察に時間を費やせたことは良かったと思う。撮影した写真は、自分なりに納得の行くものではなかったものの、敬遠されがちな彼らと長い時間を過ごせたことは、旅の良き思い出に繋がったと思う。特に、ヘビが活動的であったために、少なくともヘビの前で素通りせずに済んだ。日本の動物園では、ヘビが活動的ではないので、人々の興味もそこまでに留まってしまい、結果的にヘビを深く知るチャンスを失うことになり、いつまで経ってもヘビが忌み嫌われる存在であり続けるのではないだろうか。ふと、そんなことを感じたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、爬虫類の観察をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一種類のヘビだけでなく、いくつもの種類のヘビが動き回っていたのには驚きました。日本の動物園のヘビたちは、疲れ果てているのでしょうかね。ヘビの抜け殻もあり、思わず折りたたんで財布にしまい込みたい衝動に駆られました。(苦笑)

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2011.09.09

「愛っていいものよ」

映画『ザ・ライト -エクソシストの真実-』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m またしても政治家、しかも大臣の発言が問題になっていますね。おそらく問題となった発言は、大臣の素の部分なのでしょう。政治家は、人前にいるときは自分自身を装いますが、ついつい素が出てしまったのでしょう。普段から、自分自身を装うことなく素のままで生きていれば、このような人が大臣になることもなかったでしょう。装っている姿がその大臣の本当の姿だと思い込んでしまっていたので、問題になっているのでしょうね。

 my ferryに乗って私たちがやって来たのは、一九一六年にオープンしたという歴史あるタロンガ動物園である。歴史あるだけに、入場料も大人一人三十二ドルと、少々割高である。実は、フェリータロンガ動物園の入場券がセットになったお得なチケットもフェリー乗り場で販売されていたのだ。私はその案内をチラッと目にしたのだが、気が回らずに、フェリーのチケットだけを購入してフェリーに乗り込んでしまった。ちなみに、PIN or sign?と尋ねられたのは、タロンガ動物園で入場券を購入するときのことである。

 入場券を購入した私たちは、広い敷地内へと入って行った。私たちは前日にコアラ・パーク・サンクチュアリを訪れて大満足していたのだが、シドニーは観光名所がそれほど多くはないため、二日間連続して動物たちと触れ合うことを選択したのである。

 広い敷地内にはいろいろな動物たちがいたのだが、一番に書いておきたいのは、キリン夫婦のことである。私たちがキリンのいるエリアを訪れたとき、三頭ほどのキリンが屋外に出て、高いところに設置された餌をもぐもぐと食べていた。やがて、そのうちの二頭が何となく連れ立って、私たちのすぐ近くまでやって来た。私たちがキリンたちの様子を見守っていると、キリンたちは長い首を相手の身体にすり寄せる仕草をした。その姿はとても幸せそうだった。それを見た途端、私はこの二頭のキリンは夫婦であり、互いに愛情が通い合っているのだと認識した。二頭のキリンはしばらくの間、私たちの目の前で、長い首をゆったりと動かしながら、愛あるスキンシップを楽しんでいた。

 私には、向かって左側のキリンが雌で、向かって右側のキリンが雄であるように見えた。雌と思われるキリンは、これらの長いスキンシップを通して私たち人間に、
「愛っていいものよ」
と語り掛けているかのようだった。愛し合えば、こうしてお互いの身体を摺り寄せ合わずにはいられないのだとでも言わんばかりに、彼らは私たちの前で、長いこと長いこと、身体を摺り寄せ合っていた。

 タロンガ動物園に来るまで、私は愛の大切さをキリンから学ぶことになろうとは思ってもみなかった。キリン夫婦は、私たちの前で長いことゆったりとしたスキンシップを披露すると、やがて背を向けて奥のほうへと歩いて行った。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、「愛っていいものよ」をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m キリンがこんなにもスキンシップを大切にする動物だとわかり、とても驚いています。思えば、彼らの愛は動物園の中で芽生えたのかもしれません。それが人間であれ、動物であれ、愛し合う者同士の間には、常にゆったりとした時間が流れているものなのですね。そして、それが欲望でない限り、その愛の行為を目の当たりにすることを恥ずかしいとは思いません。愛の行為はむしろ微笑ましく感じられ、見ているこちらも温かい気持ちになれるものです。しかし、これが欲望であれば、思わず目を背けたくなってしまうでしょうね。

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2011.09.08

映画『ザ・ライト -エクソシストの真実-』

my ferryの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 岐阜県で、児童や職員など二千人余りがかゆみやじんましんなどの症状を訴えているそうです。かゆみやじんましんの原因は特定されていないようですが、一部の説によると、台風で花粉を出す稲が飛散したことが原因ではないかとも言われているようです。実は私も、ちょうど台風が通り過ぎたあたりから、とりわけ右腕に、身に覚えのないぶつぶつが出て来ました。それほどかゆくはないのですが、これも台風の影響で飛散して来た稲が原因なのでしょうか。

 本作を鑑賞したのは、四月十五日のことである。エクソシスト、すなわち悪魔祓いの話だが、何と言っても、実話に基づいているところが驚きである。とは言え、私が良くわからないのは、悪魔祓いが必要な状況について、キリスト教圏においてはこうしてしばしば取り上げられているものの、日本のような仏教国においては、本作と同様のケースがほとんど報告されていないということである。悪魔は、キリスト教について回るものなのだろうか。

 日本においては、悪魔の概念は馴染みが薄いが、悪霊という概念ならば存在している。ただし、その悪霊とは、ごく稀に生霊であるケースもあるものの、多くは死者の魂であるケースがほとんどなのではないだろうか。悪魔の場合はそうではなく、死者の魂とはまったく別物である。そう考えると、日本には、キリスト教圏の悪魔に相当するような、死者の魂とは別物のやっかいな存在は、あまり取り沙汰されていないのかもしれない。

 本作で興味深いのは、アメリカに住む神学生の青年マイケルが信仰心を失い、司祭になることを諦めようとしたとき、恩師からエクソシストになることを薦められ、バチカンに渡るところである。バチカンでは、実際にエクソシストの養成講座が設けられているという。作品の中に、その養成講座の様子が盛り込まれているのは面白い。しかもマイケルは、恩師の紹介で、異端ではあるものの、とても実力のあるエクソシストのルーカス神父に出会い、エクソシストの実践に踏み出すのだ。とは言え、最初のうちマイケルは、まさしく自分の目の前で起こっている出来事が悪魔の仕業であるようにはなかなか思えないのだった。本作には、神に対しても悪魔に対しても懐疑的なマイケルが、自らのトラウマを乗り越えながら真のエクソシストへと成長して行く様子が描かれている。

 おそらく本作のねらいは、ホラー映画を世の中に送り出すことではなく、悪魔の存在やエクソシストという職業を真面目に世の中に伝えようとすることなのだろう。だから、仏教国である日本にはあまり馴染みのない題材ではあるものの、エクソシストの懸命な取り組みにはグイグイ引き込まれる。悪魔がとりついていると思われるシーンにも、誇張はないように思える。

 とは言え、やはり私にとっては、悪魔がそれほど身近な存在ではないだけに、悪魔の仕業でそのようなことが起こっているとは半ば信じがたいものがある。しかも、本当に悪魔が存在しているのだとすれば、エクソシストという仕事は、命を落としかねないほどの非常に危険な職業ということになるのだ。命を落としかねないほどの非常に危険な職業の場合、その多くが肉体を酷使する職業なのではないだろうか。しかし、エクソシストの場合、酷使するのは精神だ。ロールプレイングゲームに例えるとするならば、MPが足りなければ敵に負かされてしまうような状況なのである。

 ちなみに、ルーカス神父を演じているのは、映画『ウルフマン』などのアンソニー・ホプキンスである。彼の出演作を鑑賞する度に思うのだが、彼は超人的な役柄がぴったりだ。そして今回も、エクソシストという超人的な役柄を見事に演じ切っている。ひょっとすると彼自身、既に人間という存在を超えてしまっているのかもしれない。

 本作を鑑賞した若者たちがエクソシストという特異な職業に強い憧れを持つかどうかはわからないが、私たちがこうしている間にも、キリスト教圏内においては、悪魔の仕業による霊障に苦しむ人たちを助けるために、エクソシストが命がけで闘っているかもしれないのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ずいぶん前にエクソシストを扱った映画を鑑賞したことがあり、ずっと心に残っていました。確かその作品も、実話に基づいていたように記憶しています。悪魔の存在そのものが、日本ではあまり馴染みがないので、エクソシストという職業が存在すると言われても、実際のところ、あまりピンと来ないですよね。ですので、私は悪霊と交信して霊障を抑える優秀な霊媒師に置き換えて本作を楽しませていただきました。信仰心を失い、トラウマを抱えた若きマイケルが、意外な形で信仰心を取り戻して立派なエクソシストへと成長して行く姿が良く描かれている作品です。

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2011.09.07

my ferry

難しいトイレ(13)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 北海道で震度五強の地震がありましたね。地震の影響を受けられた皆さん、お怪我などはありませんでしょうか。震度五強の地震が突然やって来るなんて、ずいぶん驚かれたことと思います。私も自分自身の立場に置き換えてみると、恐ろしいですね。地震速報がメールで届いたのですが、日高地方中部と書かれてあり、それを見た私は咄嗟に中部地方に住んでいる友人にメッセージを送ってしまいました。どうやら、日高地方と飛騨高山地方を混同してしまったようです。(苦笑)友人は寝ていたのか、すぐに返信はありませんでした。何はともあれ、北海道の皆さんのご無事をお祈りしています。

 シドニー・ハーバー・ブリッジを歩いて渡ったあと、私たちはHUNGRY JACK'Sで昼食をとり、サーキュラーキー(Circular Quay)の波止場からフェリーに乗った。購入したフェリーの切符には、"my ferry"と書かれていた。ちなみに、鉄道の切符には"my train"と書かれていたはずである。

 フェリーに乗り込んだ私たちは、船内の椅子には落ち着かずに、外の椅子に座ってシドニーの景色を眺めながら、ちょっとした旅を楽しんだ。旅先でフェリーに乗ることもあるが、都会でのフェリー移動は、田舎でのフェリー移動とはまた違った趣がある。バンコクのチャオプラヤー・エクスプレス・ボートのように、地元の人たちで埋め尽くされるフェリーもあれば、今回のフェリーのように観光客中心のフェリーもある。そう言えば、ロンドンでもリバー・ボートに乗船したことを思い出した。場所は違っていても共通しているのは、陸上での移動と違い、水上の移動は渋滞もなくスイスイ移動することができることだ。

 しばらくすると、先ほど歩いて渡ったシドニー・ハーバー・ブリッジが見えて来た。注意して見てみると、さすがに着けているであろう命綱までは見えなかったが、シドニー・ハーバー・ブリッジのてっぺんを歩いている人たちの姿が確認できた。

 日本とは違い、シドニーは冬だったので、外の椅子に座っていると少し肌寒かった。それでも、期待感いっぱいに胸を膨らませながら、フェリーの上からのシドニーの景色を眺め、私たちは目的地に到着した。フェリーに乗っていた時間は、十二分程度だった。フェリーを降りるとすぐに連絡バスが来ていたので、それに乗り換えた。そして、私たちはとある停留所で降りて、建物の入口を目指した。果たして、私たちがどこに向かったかについては、次にお届けする旅の記事でご紹介させていただくことにしよう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、my ferryをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちがどこに向かったかについては、それほどもったいぶる話でもないのですが、最後の写真に写っている建物の名前も見えていますし、私たちの行動パターンからも、おそらく皆さんには容易に想像が付くだろうと思います。振り返ってみれば、この日はずいぶん盛りだくさんな一日でした。天候に恵まれたのが幸いでした。

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2011.09.06

難しいトイレ(13)

映画『神々と男たち』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。ようやく涼しくなりましたね。今日は、長袖の服を着て出勤されている方もちらほらいらっしゃいましたが、ほてりのある私は、まだまだ暑く感じられるので、仕事中も冷感グッズを手放せません。季節の変わり目ですので、皆さんも体調を崩したりしないよう、お気を付けくださいね。

 オーストラリアのトイレについて、ご報告させていただこうと思う。結論から書かせていただくとするならば、オーストラリアのトイレはそれほど難しくはなかった。

 とは言え、不便に感じたこともある。最初にシドニー(キングスフォード・スミス)国際空港に到着したときに、飛行機が夜行便だったので、トイレで洗顔や歯磨きを済ませたあと、ハードコンタクトレンズを装着したいと思っていた。しかし、洗面台に栓がなくて、ひどく戸惑ってしまった。これではハードコンタクトレンズを洗っている最中に流してしまいかねない。仕方がないので、私は細心の注意を払いながら、ハードコンタクトレンズを恐る恐る洗浄し、装着した。これはかなりの冷や冷やものだった。ご紹介させていただく写真は、シドニー(キングスフォード・スミス)国際空港のトイレの洗面所ではないのだが、シドニー滞在中、こちらの写真と同じように、栓のない洗面台をあちらこちらで見掛けた。

栓のない洗面台。シドニーでは、ハードコンタクトレンズを使う人は少ないのだろうか

 ちなみに、使用したトイレのほとんどは至って普通だった。敢えて取り上げるとするならば、Milsons Point駅で、流すときにチェーンを引っ張るオランダ式(?)のタンク式トイレに遭遇したことだろうか。いや、私が勝手にオランダ式だと決め込んでいるだけで、実際に、チェーンや紐を引っ張るこの手のトイレがオランダから由来したものだという確証はどこにもない。

オランダ式(?)のチェーンを引っ張って水を流すタンク式トイレ

 しかも、どこかオランダ感じさせるような(私の中で、どこまでも勝手にオランダにこだわり続けている)木目調を意識した茶色い便器となっている。

何となく、気持ちだけ木目調を意識したかのように見える茶色い便器

 とは言え、この手のタンク式トイレは日本でも良く見掛けるので、それほど驚くことではない。私が驚いたのは、トイレットペーパーがトイレの扉の裏側に取り付けられていたことだ。

 扉を閉めて、便器に腰を下ろすと、目の前にトイレットペーパーがあった。通常、トイレットペーパーは、トイレの壁あるいは隣室との仕切りに取り付けられているものである。しかし、扉の裏側にトイレットペーパーが取り付けられているのは意外だった。トイレの扉を開閉するときも、トイレットペーパーが付いて回るので、何となく重々しかった。

何と、トイレットペーパーは扉の裏側に取り付けられていた

 ちなみに、このトイレの洗面台は、まるで屋外に設置された流しのようなステンレス製だった。私は、キャンプにでも来ているかのような気分に浸りながら、手を洗ったのだった。

洗面台も変わっていて、まるで屋外に設置された流しのようだった

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 良く見ると、ステンレス製の洗面台にも栓はありませんね。石鹸を置く場所に、平べったい栓のようなものがあるようにも見えますが、これが飾りなのか、栓なのかはわかりません。仮に栓だとしても、手動式なので、ちょっと抵抗がありますね。やはり、シドニーのハードコンタクトレンズ事情が気になるところです。

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2011.09.05

映画『神々と男たち』

大盛りシーフードチャーハンと巨大ワンタンの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m テレビゲームのドラゴンクエストが誕生してから、既に二十五年も経過しているのですね。私は大学時代にずいぶん夢中になってプレイしていましたが、今でも更なる続編がリリースされ続けているのでしょうか。まさか、ファミリーコンピュータ時代の大きなドットのキャラクターが、いまどきの精巧なゲーム機でプレイできるように、現代風のリアルな描写に生まれ変わったりしてませんよね? そんな愛すべきドラクエのキャラクターであるスライムの「肉まん」がファミリーマートで十一月に発売されるそうです。店頭で見掛けたら購入してみようとは思いますが、青色の着色が気になるところです。

 本作を鑑賞したのは、四月十二日のことである。今はもう九月だから、今からおよそ五ヶ月も前に鑑賞した作品ということになる。しかし、本作はエンターテイメント性の高い作品とは違い、私の心の中に確かなものを落として行った。私は、この手の静かな作品が大好きだ。

 本作は、一九九六年にアルジェリアで実際に起こった七人のフランス人修道士の誘拐殺人事件をモチーフにした製作されたものである。フランスの植民地であるアルジェリアで内戦が始まるものの、七人のフランス人修道士たちがアルジェリアの人里離れた修道院に残り、共同生活を続けていた。彼らは日々神に向かって祈りを捧げながら、医師免許を持つ修道士が修道院を診療所代わりにしてイスラム教徒である地元の住民たちを診察していた。

 修道士たちは、武装イスラム集団であるテロリストに怯えながら共同生活を続けるのだが、あるとき、とうとうテロリストが修道院にやって来る。しかし、テロリストに対し、冷静に対処して彼らを追い返してしまうところはさすがである。

 その後、アルジェリアでは次第に内戦が激化し始め、テロリストの活動も活発になって来た。そこで修道士たちの間で、このままここに滞在するか、それとも祖国フランスに戻るかどうかで意見が分かれ、しばらく時間を置いてから結論を出すことになる。その、結論を出すシーンがとてもいいのだ。修道士たちの年齢は様々で、お年寄りの修道士もいれば、世間で言うところの働き盛りという表現にふさわしい修道士もいる。このままここに留まるか、それとも祖国のフランスに戻るかどうかで議論するのだが、最初はばらばらだったはずの意思が、いつの間にか一つにまとまって行く。神に仕える人たちの頭の中は、常に愛に満ちているのだろうか。そんなことを考えさせてくれるシーンだった。

 それでも、普段からキリスト教にはあまり馴染みのない私からすると、日々の礼拝を欠かさず、厳格に戒律を守りながら生きている修道士たちの姿はとても新鮮だった。見えない存在をあれほどの信仰心を持って敬い、行動できることに驚きさえ覚えた。しかし、そんな敬虔な彼らだからこそ、ここに留まるかどうかを決めたあとにみんなで礼拝堂に集まり、静かにワインを飲む姿がとても心の豊かな人たちの姿に映って見えるのである。

 ちなみに、フランス語の原題は良くわからないが、英語のタイトルには"OF GODS AND MEN"と掲げられているので、「神々と男たち」という邦題は、おそらく原題に忠実だと思われる。「神々」と複数形を取っているのは、修道士たちの信仰するキリスト教の神と、武装イスラム集団のテロリストたちが信仰するイスラム教の神とで、神が複数存在しているからかもしれない。同様に、「男たち」とは、修道士たちのことだけでなく、テロリストたちのことも含んでいるのだろう。

 確か、この事件の結末の部分は、まだまだ謎の部分が多いと聞いている。そのため、修道士たちが実際にどのように殺害されたかについては、製作者の想像による描写となっているらしい。それでも、最初から最後まで、修道士たちの厳格な姿が貫かれている。彼らが下した尊い決断に心を動かされながらも、ここアルジェリアに確かに築き上げて来たものがあり、イスラム教徒たちと何とか共存したいという彼らの想いが叶わずに殺害されてしまったという無念さに、心の中にぽっかりと穴が空いたような気持ちになった。それでも、映画としては静かでとても美しい作品として仕上がっているのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 修道士たちからにじみ出ている厳格な雰囲気は、普段、キリスト教にはあまり馴染みのない私からすると、とても不思議な光景に映って見えました。作品全体として、その厳格な雰囲気がベースにあるので、私のような感想を抱く方も多いかもしれませんが、言い方を変えれば、その厳格な雰囲気にどこまでも誘われ続ける作品でもあるのです。

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2011.09.04

大盛りシーフードチャーハンと巨大ワンタン

だるまさんがころんだの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風十二号の被害は、想像以上に大きいようですね。ニュースサイトを開く度に亡くなられた方たちや行方不明の方たちの数が増えていて、心を痛めています。特に和歌山県や奈良県の被害がひどいようですね。川の様子を見に行ったばっかりに、流されてしまったという方が多いのに驚きます。川の様子を見に行かなければ、流されることもなかったのでしょうが、川の様子を見に行かなければ、現状を把握することはできません。対策としては、川にモニタなどを取り付けて、実際に川に足を運ばなくても、現状を把握することができるようにすれば、より安全性が高まるのでしょうか。改めまして、台風十二号で亡くなられた多くの方たちのご冥福をお祈り致します。それでは、気を取り直しまして、だるまさんがころんだの続きを書かせていただきます。

 コアラ・パーク・サンクチュアリをあとにして、Pennant Hills駅まで戻った私たちは、コアラ・パーク・サンクチュアリ行きの路線バスが発着しているエリアとは反対側のエリアに出た。お昼ご飯も食べずに歩き回っていたため、既にお腹がぺこぺこだったのである。コアラ・パーク・サンクチュアリの施設内にもちょっとしたレストランがあったのだが、選択肢が少なそうだったので、Pennant Hills駅の周辺で昼食をとることにしたのだ。

 Pennant Hills駅の周辺には学校があるらしく、高校生らしき男女がたくさんたむろしていた。お昼もとうに過ぎ、とにかくお腹が空いていた私たちは、やはりサンドイッチよりも温かいご飯を食べたかった。そんな私たちの切ない想いを叶えてくれたのが、またしても中華料理店だったのである。

 中華料理店と言っても、単なる中華料理店ではなく、シーフードを扱う持ち帰り可能な中華料理店だった。私たちは、それぞれシーフードチャーハンとワンタンを注文して、店内で食べることを伝えて、店内に用意されたテーブルに着いた。

 お店の奥のほうでは、小学校低学年くらいの中国人の男の子と女の子がラーメンをすすっていた。長い中華料理用のお箸は、子供たちが手に持つと余計に長く見えた。二人は、年の近い兄と妹だろうか。いや、ひょっとすると双子かもしれないし、姉と弟かもしれない。ひどくお腹が空いていた私たちは、ラーメンをすすっている彼らがうらやましくて仕方がなかった。

 首を長くして注文した料理の到着を待っていると、私たちのテーブルにシーフードチャーハンが運ばれて来た。トレーほどもある大きな白いお皿に盛られたシーフードチャーハンだったので、私たちはうれしい悲鳴をあげながらいただいた。バンコクで食べたチャーハンと言い、旅先で食べるチャーハンは、何故、こんなにもおいしいのだろう。

 ほどなくして、ワンタンも運ばれて来た。私はてっきり、味噌汁用のお椀くらいの大きさの器に入って運ばれて来るものと思っていたのだが、どう見ても、味噌汁用のお椀より一回り以上も大きかった。しかも、中に入っているワンタンの大きさも量も半端じゃない。チャーハンのボリュームも多い上に、ワンタンのボリュームも多いので、私たちは再びうれしい悲鳴をあげながら、巨大ワンタン退治に取り掛かった。お腹がぺこぺこだった私たちも、食べているうちに満腹になって来た。それでも、温かいお料理を食べさせてくれるこのお店に心から感謝した。

 私たちは何とか大盛りチャーハンと巨大ワンタンをきれいにたいらげて、お店を出た。さきほどまでたくさんいたはずの高校生たちは、私たちが遅い昼食をとっている間にいなくなっていた。おそらく、ホームにやって来た列車に乗って帰宅したのだろう。

 私たちもやって来た列車に乗り、Central駅へと向かった。Central駅で降りてホテルに帰る途中、いつものようにスーパーに寄り、夕食と朝食を買い求めた。遅い昼食をたっぷり食べたので、さすがにこの日の夕食はあまり食欲がなかったように思う。こうしてシドニー滞在三日目の夜も、静かに更けて行くのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、大盛りシーフードチャーハンと巨大ワンタンをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m サンドイッチばかりでは飽きるので、シドニー滞在中、温かい中華料理には何度か助けられましたが、このときもお世話になりました。シーフードチャーハンだけでは寂しいだろうと、スープを飲むような感覚でワンタンを注文したのですが、どちらもボリュームたっぷりで驚きました。それでも、旅の良き思い出になったことは間違いありません。

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2011.09.03

だるまさんがころんだ

映画『死にゆく妻との旅路』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風十二号は、私たちの住んでいる兵庫県をとても大人しく通り過ぎてくれました。とは言え、各地で亡くなられた方や行方不明になられた方がいらっしゃいますね。亡くなられた方たちのご冥福をお祈りするとともに、一人でも多くの行方不明の方たちが無事に救出されることをお祈り申し上げます。今年は本当に災害の多い年です。私たちがどんなに科学や文化を発達させたとしても、自然には太刀打ちできないことを思い知らされますね。それでは週末になりましたので、うさぎ顔のカンガルーの続きを書かせていただくことにします。

 コアラ・パーク・サンクチュアリでは、空高く飛べない鳥は檻に入れられることなく放し飼いされていた。例えばクジャクや鶏の仲間たちは、園内を自由に歩き回っていて、私たち人間が近寄ってもなかなか逃げようとはしなかった。おそらくコアラ・パーク・サンクチュアリを訪れる人たちのマナーが非常に良いために、動物たちと人間たちとの間に信頼関係が築かれているのだろうと思う。

 頭の上に角のように伸びた毛のあるコッカトゥと呼ばれるオウムがいた。こちらは空を飛ぶので、檻の中に入れられていた。日本では、オウムに向かって「こんにちは」としきりに語り掛けているからか、日本のオウムたちは「こんにちは」という言葉を覚えて発する。しかし、英語圏ではオウムに向かって"Hello"と語り掛けられていた。そして、オウムたちももちろん"Hello"という言葉を覚えて発していた。実に面白い現象である。なお、このコッカトゥは、ブルーマウンテンズにおいて、野鳥としてたくさん見掛けた。

 次第に奥のほうへと入って行くと、面白い光景に出くわした。柵の入口に鶏の仲間がうずくまり、その後ろでワラビーの仲間たちが静止していたのである。ガンモはその様子を見て、柵の入口付近にいる鶏の仲間に語りかけた。
「お前、鬼だろ? みんなで『だるまさんがころんだ』をやってるんだろ?」
私はガンモの言葉に笑った。何故なら、まさしく言い得て妙だったからだ。確かに、柵の入口付近にいる鶏の仲間は鬼であり、その後ろに控えているワラビーの仲間たちは、まるで時間が止まっているかのように息を潜めて立っていた。彼らは昼下がりのコアラ・パーク・サンクチュアリで、「だるまさんがころんだ」をして遊んでいたのだ。

 更に進むと、ウォンバットもいた。何を隠そう、ガンモはブルーマウンテンズでウォンバットのぬいぐるみを購入し、愛車カングーのフロントに飾っている。また、日本犬のように見えるディンゴもいた。オーストラリアにいるからディンゴなのであって、日本にいれば日本犬として飼われていてもまったく違和感がなさそうである。そして、私たちは見届けることはできなかったが、おそらく羊刈りのショーで毛を刈られたと思われる羊たちの群れも見えた。羊たちの群れの中には、さりげなくエミューも混じっていた。

 やがて、私たちが帰る頃になると、放し飼いにされているクジャクたちは、柵の上に座って休んでいた。日本では見たことのない光景に私たちは驚き、夢中でカメラに収めた。

 このように、コアラ・パーク・サンクチュアリは、オーストラリアに生息する動物たちのいるとても緩い動物園である。自由をなくした動物たちを憐れに思いながらも、これまでいろいろな動物園を回って来たが、こんなにも動物たちと人間たちとの共存が実現されている動物園は見たことがなかった。こうして、動物たちとの触れ合いに大満足した私たちがは、とても名残惜しそうにコアラ・パーク・サンクチュアリをあとにしたのだった。 

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、だるまさんがころんだをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 撮影した写真を整理しながら、そして記事を書きながら、コアラ・パーク・サンクチュアリで体験したことに想いを巡らせています。私たちにとっては、コアラ・パーク・サンクチュアリでの出来事は、とても素晴らしい体験でした。旅先で動物園に足を運ぶ気持ちの裏には、何となく制覇したいような感覚(言い換えると、たった一度の訪問でも満足できるという意味です)があるのですが、コアラ・パーク・サンクチュアリはまた是非とも訪れたい場所の一つになりました。

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2011.09.02

映画『死にゆく妻との旅路』

ホットヨガ(二五三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さんのお住まいの地域の台風十二号の状況はいかがでしょうか。台風の動くスピードがひどくのろいせいか、私の住んでいる兵庫県は、なかなか暴風域には入らないようですね。金曜日の夜はいつも映画を鑑賞してから帰宅するのですが、台風十二号が接近しているというのに思い切って映画を鑑賞しても、帰宅にはほとんど差し支えありませんでした。ただ、今回の台風はとにかくスピードがのろいようですので、決して油断することなく、土砂災害や川の氾濫などに注意してくださいね。

 どこから情報を入手したのか、珍しく、ガンモのほうから映画を観たいと言い出した。末期がんの妻をワゴン車に乗せて、日本のあちらこちらを走り回る映画だという。三年前に義母が肉腫で亡くなってからというもの、ガンモはがんに興味を持っていた。がんに関するブログを熱心に読んだり、がんを扱った映画を鑑賞したりしながら、がんに関して、自分なりに何か答えを探しているかのようだった。ガンモが観たいと言い出した本作は、ミニシアター系映画館で上映されている作品らしく、二月の終わり頃の公開だったが、私たちの住んでいる兵庫県にやって来たのは四月頃のことだった。そこで私たちは、兵庫県での公開を待ちかねて、四月九日に三宮にある映画館に足を運んだ。

 実際に起こった出来事なので、映画を鑑賞されなくても、過去にニュースなどで取り上げられたことにより、本作の内容をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。また、本作の主人公である清水久典さんが手記を綴っていらっしゃるので、その手記を読まれた方もいらっしゃることだろう。本作は、その手記に基づいて製作された映画のようである。

 三浦友和さん演じる清水久典は、石川県七尾市で小さな縫製工場を営んでいたが、中国製の安価な商品が出回ったことから、次第に経営難に追い込まれる。膨らんでしまった借金の返済に困り果て、姉からは自己破産を薦められたものの、久典は、石田ゆり子さん演じる大腸がんの手術を受けて間もない妻のひとみを連れて、ワゴン車で地元を離れる決意を固める。観光地を回れば、職にありつけるのではないかと思ったらしい。

 作品の冒頭から、ひとみが久典に恋焦がれているのが伝わって来る。大腸がんの手術を受けたあと、ひとみは娘夫婦の住むアパートに居候していたのだが、夫のいない生活はひどくつまらないのか、金策のためにあちらこちらをかけずり回っていた久典の帰りを、窓の外を眺めながら、今か今かと待ち受けていた。

 五十万円というなけなしのお金を持ち、ワゴン車の旅に出た二人だったが、私には、二人がとても幸せだったと感じられた。特に、狭い車内にお布団を敷いて、二人で並んで寝ている姿など、私には涙ものだった。ひょっとすると、狭いシングルベッドにガンモと寄り添って寝ている自分の姿と重ね合わせたのかもしれない。例えどんな状況にあろうとも、二人で一緒にいることが幸せなのだということが、あのシーンを見てひしひしと伝わって来る。

 他にも、久典がひとみの髪の毛をカットするシーンがあり、私たち夫婦の姿と重なった。我が家も毎回、お風呂場でガンモの髪の毛を私がカットしている。狭い車内に布団を敷いて寝る行為も、夫婦で散髪をする行為も、夫婦で一緒にいたいという二人の気持ちも、私にはわかり過ぎた。

 この映画の内容をニュースで知った方、手記を読まれた方、映画を鑑賞された方、それぞれの感想をインターネットで拝見したが、共感できなかったという方もいらっしゃれば、共感できたという方もいらっしゃった。意見が分かれてしまうのは、何が一番の幸せであるかという価値観の違いから来ているように思う。病院で治療を受けたほうが幸せだったのではないかと考える人たちもいる。しかし、ひとみが入院をすれば、二人が離れ離れになることは必至であり、本作の中にもひとみがそのことを恐れて激しく拒絶するシーンがある。また、治療にはお金も掛かるだろう。周りから見れば、単なる逃避だと思われるかもしれないが、まずは二人の間に一緒にいたいという強い想いがあったということを理解したいと思う。

 二人のワゴン車生活は二百七十二日間にも及び、ワゴン車の走行距離は六千キロにも達したそうだ。やがて食べ物を受け付けなくなってしまったひとみはワゴン車の中で静かに息を引き取り、久典は「保護責任者遺棄致死」の罪で逮捕された。ひとみを病院に連れて行かなかったことが罪になったらしい。しかし、この判断は、とても難しいのではないだろうか。定められた法律に従えば有罪になってしまうのかもしれないが、それならば、夫婦が一緒にいたいという強い想いや、病院の治療を受けるためにお金がないという状況は考慮されないのだろうか。私は、夫婦が一緒にいたいと願う愛のある行為が、「逃避」という一言で片付けられてしまうのはひどく残念である。

 鑑賞したあとは、本作を鑑賞したいと言い出したガンモのほうがひどく冷静で、私のほうがすっかり感情移入していた。本作の中で、ひとみが久典のことを「おっさん」を呼んでいたので、鑑賞後しばらくは、私もガンモのことを「おっさん」と呼んでいたのは言うまでもない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一緒にいたいと切望することからすると、きっと久典さんとひとみさんはソウルメイトだったのでしょうね。それだけに、ひとみさんが亡くなったあとの久典さんの絶望感は、計り知れないものがあったことでしょう。久典さんが書かれた手記は十五万部を売り上げたそうですが、それだけの印税があれば、おそらく借金も返済できて、ひとみさんも病院で適切な治療を受けられたかもしれません。でも私は、ひとみさんは大腸がんが再発してしまったとしても、大好きな久典さんと長い時間を一緒に過ごすことができて、とても幸せだったと思います。

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2011.09.01

ホットヨガ(二五三回目)

うさぎ顔のカンガルーの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 台風十二号が接近中ですね。このままでh、私たちの実家のある四国地方や、現在、私たちの住んでいる関西地方を直撃してしまいそうです。しかも、スピードがひどくゆっくりなので、週末の予定にも影響を与えそうな感じですね。普段、持ち歩いている折り畳み傘は役に立ちそうにないので、ポンチョを持ち歩こうと思っています。

 八月二十七日土曜日は、梅田店で六十分の骨盤コースのレッスンを受けた。またしてもレッスンに遅刻してしまったのだが、今回は、先週よりは二分ほど到着が早かった。先週よりよりも体調が良好だったために、JR大阪駅から梅田店までの長い道のりを、いつもよりも早く歩くことができたのかもしれない。

 今回のレッスンの参加者は二十名だった。そのうち男性会員は三名で、更にそのうちの一名は、レッスンに持参されていたフェイスタオルの色から判断するに、トライアルレッスン中の方だったようだ。

 レッスンを担当してくださったのは、先週と同じく、私とあまり相性の良くないインストラクターだった。相性が良くないと感じてしまうのはどうしてだろうと考えてみたのだが、どうやらあまり人懐こく話し掛けてくださらないために、そう感じてしまうようである。普段から、人と浅い付き合いをするのが苦手な私は、なかなか深くならない人間関係に戸惑いを感じてしまうのである。もちろん、深い、浅いの判断は、会話の量ではなく質である。

 六十分のレッスン中、やはり多くのポーズに前屈が含まれていたので、大きな筋腫を抱えている私には辛かった。休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)になると、私は待ち兼ねたようにスタジオを退出してトイレに行った。先週と同様、レッスンの前にトイレを済ませておく時間が取れなかったためである。

 今回のレッスンでは、気持ち良くたくさんの汗を掻いた。レッスンを終えてシャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付に行くと、さきほどのトライアルレッスンを受けていた男性が受付にいらっしゃった。トライアルレッスンは、確か二週間以内に合計二レッスンを受けることになっているため、次のレッスン日を予約しようとされているようだった。それにしても、申し合わせたわけでもなさそうなのに、トライアルレッスンを受けていらっしゃる方が、最初から、梅田店の男性会員の方たちと同じような雰囲気を持っていらっしゃるのはとても不思議なことだった。

 ところで、梅田店のレッスンを想うとき、私は自分の高校時代を思い出す。教育に関して、当時の言い方で表現させていただくならば、高校時代に所属していた私のクラスは、国公立大学の二次試験で数IIBの必要のない文系クラスだった。参考までに、当時は数学が数I、数IIB、数IIIのように分けられていた。同様に、地理A、地理B、生物I、生物IIなどという科目もあった。私は文系クラスに所属していたので、物理は学習していないが、地学は学習した。今で言うところのセンター試験は共通一次試験と呼ばれ、私も現役の頃に五教科七科目を受験した。

 梅田店のレッスンで高校時代を思い出すのは、私の在籍していた文系クラスには、男子生徒が極端に少なかったからだ。何と、四十五人のクラスに対し、男子生徒は七人しかいなかったのだ。それを思うと、ホットヨガのレッスンは圧倒的に女性が多いことからも、実は文系クラスなのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 土曜日は、ホットヨガのレッスンに出掛ける前に「ガンまる日記」を書き上げることを目標としているため、いつも家を出るのがギリギリになってしまうんですよね。特にこの日は、派遣仲間たちとの飲み会が夜に控えていたので、「ガンまる日記」を推敲する時間が取れないと思い、かなり気合いを入れていました。(苦笑)

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